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最近のトピック 4.雑学&雑感

コンパクトシティ構想

 というわけで今日はまったり ECO で遊びながら、知人の社長さんから依頼されていた作業を片付けてみたり。携帯電話向けの HTML を初めていじってたのですが、まあ単純なだけに簡単だなぁという印象。QR コードの作成なんかもツールで簡単にできるし、予想以上に導入のハードルは低いなぁという感じ。DS なんかもそうですが、サイズが小さい方がやっぱり作るのはラクだなぁと実感。

 で、そんな作業をしながら横目で見ていたのが NHK の「日本の、これから」という番組。地方衰退の問題を採り上げてこれをどうするのか?という議論を展開していたわけですが、いかにもな誘導的質問が多くて思わず苦笑。

「低迷する地方の現状をどう思う? @ 問題だ A 仕方がない」

 ……いやその後の進展があまりにも簡単に推測できそうな設問;。この設問、適切な答えは、

・都市部に人もモノもカネも一極集中してしまうのは市場原理に基づく抑えられない流れだから「仕方がない」。
・だからといって地方社会の過疎化や高齢化などは放置・無視できない「問題だ」。

というわけでどちらも『正解』。ところがその議論の中に「今の暮らしは変えたくない、けれども生活水準は上げてほしい」といった甘えの構図と、それに対する批判の気持ちとが入ってくるので、正論で正論を叩き合うという混沌とした展開に^^。なるほどこういう話の振り方と展開のさせ方もあるよなぁと改めて思ったり。

 まあそれはさておき、確かに番組内で指摘されるように低迷する地方は決して無視し続けることのできない問題ではあるのですが、それに対する一つの現実的な解決案として提示されていた「コンパクトシティ」という概念は、初めて聞きましたが面白いですね。これ、過疎化の進んだ郊外をそのままに放置すると高齢者にはとても住めないような場所になってしまう。このために無秩序な郊外開発をせずに市街地のスケールを小さく保ち、生きていくのに必要な生活圏を歩いていける範囲内で収められるようにしよう、というもの。要するに都市の密度をある程度以下にならないようにコントロールしようというものなのですが、あ゛ー、なるほど極めて理に適った政策だなと思ったり。(もちろん実現の上では課題は山積みなんでしょうけれども、基本コンセプトとしてはよいですね)

 しかしこの手の行政サービスなどの問題には根深いものがありますね。先日の NHK スペシャルで取り上げられていた岡山県の話もそうなのですが、根っこのところにお金やサービスは(自分が稼ぐものではなく)誰かが恵んでくれるものという甘えた構図が見え隠れする。行政なんだから赤字でもいい、なんてことはあり得ないし、市場の経済原理の流れに逆らうための費用を国からもらおう、なんていうのはさすがに無茶がある。一言でいえばこれらはモラルの問題なのですが、こういう話を平然と言ってのけてしまう人が多いという現実に、正直なところ驚愕せざるを得ません;。

# ……や、なんか恥ずかしくないのかな?? というのが根本的な疑問としてあるのですが;。

 でも若い女性の人が、最後に「みんな国は叩けばいくらでも出るお金のポケットだと思っている」と一刀両断していたのはちょっと見ていてすっきりするものはありました。地方の衰退を止めるために誰が変わるべきか? 国も地方自治体も住民もそれぞれが少しずつ意識して変わっていく必要があるのでしょうが、根深い問題なだけに簡単に片付く問題ではないでしょうね;。

 ……ってあれ? オチがないなこのエントリ;。

2007/5/20 00:25 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
NHK スペシャル「高速ツアーバス 格安競争の裏で」

 というわけで今日もぼちぼちサウス街道でシナ狩り続行中だったわけですが、さすがにこんだけ延々と ECO をやり続けていると困ってしまうのが横で見るアニメがなくなるということ;。なんか見る番組ないかなーと思ってチャンネルを回していたら掲題の番組をちょうどやってたり。ちょっと気になったのでエントリにしてみるテスト。

 高速ツアーバスに関しては、昨今、過当競争が激しくなっていて安全性が確保できなくなっている、という話はいろんなところで採り上げられますが、職場環境は相当にひどいことになっているだろう、と思って番組を見てみたら予想通りというか文字通りひどい有様に。要するに、価格の過当競争が発生しているために、旅行会社が下請けや孫請けのバス会社から搾取する形で、運輸省の定めている規制価格を下回る価格でバスをチャーターしているという状況。バス会社があまりにも過酷な労働条件であるが故に安全性確保のために賃上げの嘆願をするも、高速ツアーバス会社最大手のウィラートラベルという会社側は「コストダウンと安全は両立できる」と一刀両断。下請けバス会社はダンピング価格で応札せざるを得ない有様を描いていたのですが、ちょっと「??」となってしまう内容ではありました。

 「コストダウンと安全は両立できる」という論理。その意見自体には私は割と賛成派で、基本的には同意します。なぜかというと、こうした二律背反に見える内容を両立できないケースでは、やり方そのものの抜本的な見直しが行われていないことが多いから。今のやり方を踏襲したままでは(=同じ仕事を同じようにやり続ける方法では)価格低減圧力をかわすことは絶対に不可能。今回の例でいえば、ウィラートラベル自身が経営するバス運営子会社の例のように、バスそのものの仕入れルートを見直すなど、やり方そのものを変える工夫が必要でしょう。今のやり方を今の延長線でやり続けたい、だから賃上げしてほしい、という自分たちのロジックに基づく要求は、そもそもロジックが違う(端的に言えば買い叩きができる立ち位置にある)ウィラートラベル社に通じるロジックではない。そのやり方をしているだけでは、いいように買い叩かれるだけになってしまう。業態を変えるなり特殊なサービスを打ち出すなり、何らかの工夫を行わなければならないはず。

 しかしその一方で、ウィラートラベル社がバス会社を「経営資源調達のための下請け会社」としてしか扱っていない(ようにフィルムで描写されている)ことには疑問を覚えました。本来こうした大きな会社は社会的責務を担っている面もあるのだから、お金は出さなくてもアイディアは出すのがあるべき姿。や、親会社と下請け会社の協調関係というのはお題目ばかりになりがちなのは確かなのですが、それにしてもそうした姿が全くないかのように描かれているのはさすがに「??」となってしまいました。これが民法の番組であるのなら、やや過剰演出ぎみに業界最大手のバス会社=悪の権化、みたいな描き方をしたかったからだろうと推測するのですが、NHK スペシャルでこの内容というのは……どう判断すべきなのか迷います;。

 いずれにしても、No.1 を自負する会社であるのならその社会的責務を果たすべきであり、(お金ではなく)アイディアを出して手助けすることで、変わろうとする意志のある人たちを救うべきなんじゃないか、と私は思います。会社が長期的な成長を続けるためには、そうした「回りを変えていくこと」も絶対に必要なことで、そうした取り組みが番組内で全く描かれていなかったことに疑問を覚えました。……さすがになんにも取り組みをしていない、なんてことはないと思うんですけどねぇ;。

 ちなみにちょろっと Web で検索してみたら、やっぱりウィラートラベルさんは叩かれまくっている様子;。あの番組の作り方じゃ擁護のしようもないとは思うのですが、それだけ業界がひっ迫している、ということでもあるのでしょう。こういう社会的な歪みに関しては、運輸局などにちゃんと頑張ってほしいところだと思うのですが、どうでしょうね?

2007/5/3 01:44 | 4.雑学&雑感 | コメント (6) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
パワーゲーム妄想

 う゛ーあ゛ー、なんか今日もなにげにトンデモな時間に;。というか今日は普通に会社でお仕事していたわけですが、さすがに GW 初日だけあって誰もいねーよ状態。おかげで仕事ははかどるわけですが、家に帰ってきたら帰ってきたで延々と ECO をやり続けるワナ;。まあ帰宅したのが夜中の 12 時頃なのでさしてプレイしているわけでもないのですが……とか書いてる時点ですでに終わってるような気がするのは気のせいですきっと;。

 そんなわけで今日もワーカホリック気分 ECO 中毒炸裂なわけですが、そんなこんなで最近知人のサイトでネタにされていた記事から軽めのエントリを一つ起こしてみたり。

・彼女のためにフリーターを卒業★ モテル肩書きITエンジニア★
 年収1000万円への道!
 http://haken-it.inte.co.jp/landing/ttp006-k.html

 この見出し、最初に見たときに思わず吹きそうになったんですが^^、まあ率直な感想を言えば、非常に趣味の悪い広告。……なんですが、この手の誤解って確かに世の中の男性陣的には結構根深いんだよなぁ、と思わずにはいられなかったり。や、どういうことかというと、「仕事ができる=お金がある=女性にモテる」なんていう構図は女性からみれば鼻で笑っちゃうようなモノなのに、男性の場合にはこのアホみたいな構図(端的に言えば勘違い権力構図なのですが)が頭の根っこにインプリされているケースが少なくないんですよね。実際、私自身も飲み会とかでよく聞かれる質問が、以下の 2 つ。

・「○○っち(← 本名)なら、その気になればいつでも彼女なんてできるでしょ?」 or 「いつでも結婚なんてできるでしょ?」
・その手の話になると、男性から貯金の総額を聞かれたり探られたりする。(= お金持ってるんでしょ?)

 あまりにも頻繁に聞かれるのでいいかげん慣れましたが;、そんなことで彼女ができたり結婚できたりするんなら苦労しないよ、と思いっきり毒づきたくなるワナ;。そもそもサラリーマンやってる限り収入なんてたかがしれている、という当たり前の事実すらも見過ごされるのは何故なんだろうか、とよく思ったりします。

 でも現実問題としてこういう誤解(お金があればモテるとかいうパワーゲーム妄想)は、こと未婚者で若かったりすると結構根強かったりするわけで、その心のスキマにうまい具合につけこむ掲題の記事は、(下品だけど)キャッチーな広告としては見事ではありますね。ちなみにこの記事には 2 バージョンあって、元の記事はこちら。広告ヘッダだけ取り換えてうまい具合にページビューを稼いだ好例、ということになるかもしれません。

 とはいえ、ヘッドハンティング業界ではいい人材をどれだけ確保できるのかが最大な問題なわけで、優秀な人ほどこんな広告に踊らされることもないはず……と考えると、申込数は増えても実質的には手間が増えるだけ、というオチになっているかも(苦笑)。ある意味、そういう観点では話題性はあっても本質的にはハズしている記事のような気がしなくもありません;。

2007/4/29 05:33 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
NHK スペシャル 「トリアージ 救命の優先順位」

 というわけで今日はちょっと重たい話ですが、こちらのエントリを。今週月曜日に放映された NHK スペシャルの特集番組で先ほどようやく見ることができたのですが、正直なところ見ているだけでも気持ちが悪くなるような重たい内容の番組でした。

 番組の内容は、2 年前に起こった JR 福知山線脱線事故の現場で行われたトリアージ作業に関するもの。「トリアージ」という用語は耳慣れない方も多いと思いますが、大規模災害などで多数の負傷者が起こった場合に行われる、傷病者に対する救急の優先順位を決める作業のこと。Wikipedia のこちらの説明が詳しいので見ていただきたいのですが、重要なポイントは以下の 2 つ。

・救命の見込みがない傷病者には黒タグを付け、救命措置を施さない。
・トリアージは 1 人の傷病者あたり 30 秒程度で行う必要がある。

 救える人命をどれだけ多く救えるのか。病院の中で行われる死亡確認とは全く違う死亡判定と、助けられる命を助けるために求められる冷徹な判断。それをひたすら、かつ正確に繰り返していく必要のあるトリアージ作業。経験のないぶっつけ本番の作業の中での自分の感情と理性の戦い。想像しただけでも気持ちが悪くなる重圧で、そうしたトリアージにまつわる問題を、多くの視聴者たちに問いかける番組でした。

# 中でも非常にキツかったのが、ある看護師が語っていたエピソード。
# 黒タグを付けた傷病者の携帯電話が鳴ると、押し殺している感情を引き出される、と……。
# そうした重圧に耐えた現場の医師や看護師の方々には、本当に尊敬の念を抱かされます。

 番組の中で投げかけられた様々な課題。消防隊と医師たちの連携や全体統制の問題、赤トリアージタグ(生命に関わる重篤な状態で、救命の可能性がある、最優先で救命すべき人たち)をつけられた人たちの中での更なる優先順位付けの問題、そして救命につながるわけではない黒タグへの未記入問題、残された遺族の割り切れない思い。番組では不必要に感情を煽ることなく、淡々と事実と今後に残された課題、そしてそれらに対する現在の取り組みを描いていましたが、こうした取り組みを通して、大規模災害における救急医療の現場がさらに改善されていくことを願って止みません。

 こうした番組を見ていると、医者という生死のかかわる職業の重みを改めて考えさせられます。正直、自分にはとてもじゃないけど出来ない類の仕事ですが;、医師の友人が多い自分としては、彼らの日々の重圧を改めて考えさせられるような内容でした。

2007/4/26 00:08 | 4.雑学&雑感 | コメント (11) | トラックバック (2) | このエントリへ拍手
Web 2.0 がもたらす新たな時代 その後

 というわけで先日のエントリにいくつかコメントがあったのでリプライを。

> 日本語のBLOG投稿数は世界一とかの話もあるし、参加人数や言語鎖国に拠るのではなく、単民族性による閉鎖文化が年功序列を定着させているのが原因と考えます。

 えーっと、単民族だから閉鎖文化が生まれる、というのはこと経済に関しては経済原理に適わないように思うんですが、どうでしょう? 要するに「お金が安くて問題なければなるべく安い労働力を使うというのが企業の論理」と。民族性では経済原理を覆す理由や説明としては弱いのではないか、と。ただ、blog の投稿数に反して発展的議論は少ない、という点は確かにありますね。(年功序列というか、情報は上から下へ与えられるもので、ボトムアップの情報はないという点。) これは教育として議論に慣れていないとか、自ら情報を発信するという文化に馴染んでいないという点が大きいかもしれません。この blog もそうですが、どの blog もみんな「つぶやき独り言 blog」になっていて、情報を共有しようとかそういう意志は弱い、と;。

> このためには救急医自身もさまざまな形で情報を発信していく必要があるんですけどねぇ。

 救急医自身が情報を発信するというよりも、おそらく給料に関する過度な妄想を打ち消すための何らかの工夫が必要、というところだと思います。例えば一般的には「医者は高給取り」と言われるわけですが、実際のところは医者にもいろんなタイプがいて、その給料格差の激しさは(内情を知っていると)とんでもないものがあります。や、開業医じゃなくても数倍ぐらいの開きがあるわけで、実際には一般的なサラリーマン+αぐらいしかもらっていない勤務医の人たちも非常に多いんですよね。でもそういう実態はあまり知られていない。

 例えば、日本の大企業の場合、系列会社は(たとえ潤っている業界だったとしても)ほとんど給与水準は横並び。これはグループ企業間での人事異動を容易にするための施策の一つ。ところが同じコンピュータ業界だったとしても、放送やマスメディア関連の情報処理子会社と、製造系の情報処理子会社では、(仕事の内容には大差がないのに)給与水準に雲泥の差があるんですよね。こういう話って、知ってる人は知ってるけれど、知らない人は全然知らない。

 一部の「お金持ちさん」とか、仕事で大成功を収めた人たちがマスメディアによってクローズアップされるが故に、我々の感覚が狂わされている部分が多々あるわけで、そういうものに踊らされずにきちんと真実を見極める必要性、そしてそのために必要な情報を公開する必要性はあるんでしょうね。

 ところでこの話と関連して、というわけでもないのですが、こちらの本を読破。



 先日のエントリの中で紹介した、セカンドライフの日本の代理店?みたいなところの社長さんが書いた、セカンドライフとは何かという本。どうもちょうど出たばかりの本のようで、ほとんど書評らしい書評は上がっていないようですが、自分が読んだ感想を言うと「何か違う」。この本では、セカンドライフの概要や特徴、あるいはそれをとりまくビジネス環境のことをいろいろと説明しているのですが、どちらかというとマーケティング目的で書かれた匂いが強くするものになっていて、ビジネス的な側面からの分析は全体的に弱い。夢を売ること自体が目的になっている感じの本ですね。

 確かに、セカンドライフのシステムはあくまでインフラプレイヤーに徹することで、リアルワールドのビジネスの縮図をバーチャルワールド上で作り上げることに成功した稀有な例で、確かにまだまだ金がたくさん埋まっている鉱脈であることには違いがない。けれども、世の中のみんながこぞってセカンドライフをライフインフラとして使うような時代がやってくる、みたいなイメージはさすがにちょっと違うだろう、と思ってしまう。セカンドライフだけでなく、google にしろ amazon にしろそうですが、こういうものって、既存のビジネスがリプレースされるのではなく、互いに補完しあうようなところに落ち着いていくんじゃないか、という気がします。ただ、セカンドライフというものがどんなものなのかを知るのには格好の一冊で、特にアメリカ圏での動きがよくまとめられた資料としては非常に興味深い一冊ではありました。

 いずれにしても、セカンドライフに限らず、この手の Web2.0 系の動向は「IT 業界と無関係だから」という理由だけでは見過ごせなくなってきているのも事実のように思います。「情報」が全くかかわらないような仕事というのは、世の中にはほとんどないわけですからね。

2007/4/18 02:17 | 4.雑学&雑感 | コメント (12) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:東大のこと、教えます(★×5)

 今日はこちらの書評を一つ。



 現在の東大総長である小宮山さんが書かれた、東大に関する一問一答形式の本。たまたま某所で見かけて手に取ってみたんですが、これがむちゃくちゃ面白い。や、こんなぶっちゃけトークを現役の総長が話しちゃっていいんですか?? 状態なんですよ。たとえばこんな感じ。

Q.もっと給料をもらうべきだと思っていますか
A.この激務なら2倍は欲しいところ
 今の私の給与年収は2480万円(税込)だ。これを高いとみるか、低いとみるか。「好きでやっている」と世間に言われればそれまでなのだが、これだけの激務でこの金額は、安いと思う。正直なところ、せめてこの倍はほしい。そうでないと、今後総長に良い人を得ることが難しくなってしまうだろう。そもそも、大学教授の給料が安すぎる。……

Q.お金持ちの家庭でないと、東大に入れないのでしょうか
A.親の年収データは、正確なのか見極めるべき
 東大生の親の年収は1000万円以上で、今や慶応大学生の親の年収よりも高くなっているという統計があるようだが、にわかには信じがたい。東大生の親にはサラリーマンが多いが、慶応大学生の親には自営業の人が多いために、正しいデータが集まっていないのではないだろうか。……


 って、こんなにぶっちゃけていいのかよ状態;。や、実はこの2つはまだ大人しい方で、それ以外にも「なぜ日本にはグーグルが生まれないのですか」「40年前と比べて、東大生に美人が多くなったと思いますか」「東大の卒業生が金儲けに走るのは、もったいないと思いますか」「東大では世界トップレベルの研究が行なわれていますか」「東大の卒業生が専業主婦になったらもったいないと思いますか」などなど、どう見ても週刊誌よろしく興味本位の面白半分な質問に、片っぱしからぶっちゃけトークで答えていく。普通に考えれば権威の塊みたいな存在であるはずの東大総長(しかも現役)が、公の場でこんなトークをやってのけたというのは正直なところ凄い。

 そしてなにより素晴らしいのは、その見識の広さと洞察の鋭さ。単に面白半分でぶっちゃけトークをしているのではなくて、そこにはちゃんと小宮山さんの問題意識があり、危機意識があり、それを少しでも変えていきたいという思いがある。さらに教養の深さもビジネスセンスも兼ね備えていることが伺える秀逸な回答ばかり。東大総長なんて全く無縁な存在で、いったいなにをしているどんな人なのかなんて興味もなかったのですが、この本の語りを通して、素直に素晴らしいと思える人物像が浮かんでくるように思います。

 一般的な話として、人間ってどうしても保身的な行動に走りがちで、こうしたときにも当たり障りのない答え(=減点事項が極力少なくなるような無難な答え)をすることが多いと思うのですが、そういうところを超越して、論理的に正しいと思えることは自信を持って語りかけていくべきだという強い信念のようなものが感じられる本で、非常にインスパイアされる一冊。東大が好きな人も嫌いな人も、興味をちょっとでも持ったらぜひ読んでみてほしい一冊です。非常に読みやすいので、最後まですらすらと読めてしまうと思います。

2007/4/12 00:30 | 4.雑学&雑感 | コメント (40) | トラックバック (4) | このエントリへ拍手
Web 2.0 がもたらす新たな時代 Part 3

 さて、手前 2 回のエントリを軽くまとめておくとこんな感じでしょうか。

・google や amazon の出現により、電気・水道・ガスなどに続く新たなインフラとして情報流通インフラができつつある。
・情報流通インフラが出現すると、物理インフラを縛る(チャネルを囲い込む)ことによって実現していた既得権益構造が維持できなくなるリスクが発生する。
・情報流通インフラが効率的に機能するためには参加人数がある臨界質量を超える必要があるが、現時点の日本ではまだ到達していない。
・特に英語/日本語間での自動翻訳技術が実用域に達した場合、情報流通インフラがより効率的に機能するようになり、それによりビジネスのやり方が大きく変化するリスクがある。
・その結果として、自分たちが今までの既得権益を維持できなくなる(=今までの給料がもらえなくなる)可能性がある。

 なので、(今すぐどうこうというわけではないにしても)長期的に自分の仕事がどうなっていくのか?(広がりを持っているのか? それとも廃れていく仕事なのか? 労働単価が安くなっていくものなのか?)については多少なりとも考えておかないと危険だと思うんですよね。なぜなら今の時代は、その会社にずっと勤めていたとしても、給料が高くなるとは限らないから

 で、このことを考える上で示唆に富んだ本を最近読みました。

・次世代ウェブ グーグルの次のモデル

 この本、前掲の「グーグル 既存のビジネスを破壊する」を書かれた著者さんの最新刊なのですが、何が書かれているのかを端的に書くと、Web 2.0 という新たな情報インフラが出現してきている中で、次のビジネスモデル(Web 3.0)をどのように考えるべきなのか? ということを実例を示しながらいろいろ考えている本、なんですね。この本の内容をあれこれ紹介するよりも、この本を通して私がどんなふうに思ったのかを書いた方がいいかな?と思うので、そんな形で書いてみることにすると。

 まず、Web 2.0 を考える上で重要なのは、「地主になろうとしてはいけない」という点。や、どういうことかというと、例えば Google や amazon は、検索サービスや AdSense と呼ばれるマッチングシステムによって巨大な広告ビジネスを展開することに成功しつつあるのですが、こうしたインフラプレイヤーの真似をしようとしてはいけない、ということ。Google や amazon などが作り上げた情報インフラそのものに取って代わる情報インフラを作るのは、Yahoo とかマイクロソフトとかの超大企業、あるいは日本政府とかがやろうとすればよいことであって、我々個人が自分の身の振り方を考える場合には、「そのインフラの上でどういうビジネスをするのか?」を考えた方がいいんですよね。

 これはもっと分かりやすくいえば、今の時代において「東京電力にとって代わる電力会社を興そう」なんて普通の人は考えないですよね。そうではなくて、電気を活用してどんなビジネスを展開するのかを考える。それと同じで、新たに出来上がった情報インフラの上でどう立振る舞うべきなのか、を考えた方がより現実的だろう、と思うわけです。

 そしてもう一つ重要なのは、自分の仕事を改めて考えたとき、自分の仕事に対する対価が、自分の仕事の「価値」に対して正当なものであるか否かを客観的に評価すること。や、どういうことかというと人は多かれ少なかれ「自分はこんなに頑張ったのだからもっと給料がほしい」と考えがちですが、以前のエントリで書いたように、実はその給料は、現在のビジネスが何らかの『既得権益』(何かに対する独占的な権利、囲い込みなど)に依存していて、そこからひねり出されている可能性があります。もしそうだとしたら、それは将来的に維持できなくなる危険性が高い。その既得権益の最たるものが「日本語に依存した仕事である」という点で、日本語ができるから(あるいは日本人である)、という理由だけで、世界標準よりも大幅に高い給与をもらっている可能性がある、ということを考慮しておかなければなりません。

 では、そうした既得権益による囲い込みがなくなっても生き残れる(=高い価値や給料水準を維持し続けられる)仕事とは何なのか? ぱっと思いつくものとしては、大別して 3 種類ぐらいあるのではないかと私は考えています。

@ only one のニッチ市場で no.1 を狙えるような仕事。
A 世界市場で no.1 になる実力を持つ仕事。
B 地域や言語、文化などに強烈に縛られるような仕事。

 まず@について。何百億円とか稼ぐような仕事をするのは大変かもしれませんが、人間一人とか家族数人であればそんなにたくさんのお金は要らないはず。昨今、google のキーワード連動型のビジネスで顧客層を広げることによりビジネスを拡大した、という例がテレビなどで紹介されるようになってきましたが、新たな情報インフラをうまく活用して、今まで「同じ地区の中の一部の人」しか対象にできなかったニッチビジネスを、「日本全国の中の一部の人」たちを対象にすることによってスケールさせる(規模を拡大させる)という戦略が考えられます。もちろんそのためには、そのビジネスが「少なくとも誰かからは強烈に必要とされる」ようなものでなければなりませんが(当たり前のビジネスの場合には低価格化競争に巻き込まれてしまうため)、ビジネスがユニークなもので only one かつ no.1 のものであれば、たとえ「地元」では小さなビジネスでも、大きく拡大させることができるかもしれません。

 その次のAについて。仮にやっている仕事が割と「よくある」仕事だったとしても(← 大半のサラリーマンはそうですが;)、世界規模で見たときに圧倒的な実力を持つことができるのなら、むしろ言語鎖国が崩されることは望ましいことになります。例えば、超売れ線漫画を描ける作家さんであれば、言語鎖国が崩れることはむしろ welcome になる。(ただし、その周辺で「おこぼれにあずかる」ような仕事をしている人たちにとってはマイナスに働く) この路線で生き残るためには、圧倒的な実力をつけることが必要で、日本の中でいくら実力があるといっても、実は井戸の中の蛙状態だとすると将来的にはヤバいことになります;。

 最後のBについて。これはお医者さんなんかが分かりやすいですが、物流や情報流通がどれだけ早く・安くなったとしても、物理的に「そこにいないとお話にならない」タイプの仕事は世の中にはかなりあります。こうした仕事は仮に言語鎖国状態が崩れ、情報インフラが効率的に機能するようになったとしても、ビジネスとしては残り続けるはず。もちろんその多くは低コスト化の波には晒されるでしょうが、お医者さんだとかおいしいラーメン屋さんであれば、「世界一の実力を持たなくても、その地域内で一位であれば十分な価値を守り続けることができる」ことになるでしょう。

 もちろんこの 3 種類以外にも、「Web 3.0 時代に高付加価値を維持し続けられる」ビジネスはたくさんあると思うのですが、重要なのは「今現在の自分の給与はどこからどういう仕組みで出ているのか?」を理解しておくこと、そして「その仕組みは将来的に壊れる危険性があるのか?」を理解しておくこと、だと思います。他ならぬ自分自身がそうですが、仕事に対する対価は、心理的に「苦労に対して支払われるもの」と考えがちですが、Web 2.0 などに見られる世界的な潮流として、

 『正当な努力で正当な結果を出した人が、正当に報われる時代』

 に近づきつつある、と思うのです。もちろん、社会的な構造として高付加価値でない仕事を実直に行う人たちがいるからこそ社会が円滑に回るわけで、そこを社会システム的に適切に維持していくための施策は絶対に必要ではあるのですが、ある一定線を超えるブレイクスルーを目指したいという人たちの場合には、こうしたことに対して自覚を持っていることが必要なのではないか、と思ったりします。

 ……や、とはいえいったいどうすればいいのか、という話になると、なかなか難しいんですけどね;。
 自分ができること、自分が望むこと、そういったものとうまくすり合わせることも必要になりますからね^^。

2007/4/7 04:52 | 4.雑学&雑感 | コメント (58) | トラックバック (4) | このエントリへ拍手
Web 2.0 がもたらす新たな時代 Part 2

 というわけで、ちょっと乱暴であることは承知しつつも昨日のエントリをひと言でまとめると、

「Google や amazon などにより発生した Web 2.0 の本質は、長期的に見た場合に、新たな情報インフラが出現することで、物理インフラを縛ることによって実現していた既得権益が維持できなくなってしまうこと。」

 だと思います。ただ、この話はあくまで「事実」としてそうであるというだけであって、じゃあそうした環境変化において我々はこれからどう生きていけばよいのか、という話になると全く話は別。そして実はそのことの方が我々にとっては遥かに重要です。その理由は二つ。

・この環境変化(既得権益の破壊)は、我々が生きている間、しかも定年前に起こってしまう可能性がある。
・Google や amazon をはじめとする情報インフラに取って代わる「新たな情報インフラ」を打ち立てることは無理。

 なので、この新たな Web 2.0 情報インフラの上での生き方を考えていく必要があると思う……のですが、おそらく多くの人にとっては「はぁ? 何言ってんの?」と思うんじゃないかと思うのですよね、この話;。だって、実際問題として日常生活に大きな変化はないし、Google や amazon が出現したせいで街中にある本屋さんがなくなるかといえばそんなこともないじゃないか、と。

 ……はい、基本的にはその通りなんですが、Web 2.0 を考える上ではひとつ考えておくべき重要な点があります。
 それは、「臨界質量」の問題です。(← この点を分かりやすく説明している本がほとんどなかったのが意外なのですが。)

 日本で仕事をしているとあまり意識できないのですが、仕事でアメリカの文化圏と接点を持っていると、アメリカでの仕事関係の blog の量と質に驚かされることがしばしばあります。や、簡単に言ってしまえば、日本だと専門書ですら読めないような高度な内容や質の高い情報が、Web 上の blog などで簡単かつ無料で読めてしまうんですね。加えてコミュニティ活動も活発で、専門家が日夜 Web 上の blog で質の高い論争を繰り広げている。日本でもぼちぼち blog で高度な内容が取り扱われ始めたものの、アメリカと比べると雲泥の差があります。

 あるいは、Wikipedia。日本の Wikipedia もそれなりに充実してきたのでご存知の方も多いでしょうが、これ、Web 上の百科事典。ただ、いわゆる普通の百科事典と違うのは、ユーザが新たに項目を追加したり、間違っている内容については直接書き換えたりすることができるという点。要するに、みんなでよってたかって百科事典を作っちゃえというもの。けれども、アメリカの充実度合いに比べると、日本はかなり立ち遅れているという印象があります。(ちなみに英語だと 112 万項目、日本語だと 21 万項目。まあこれでも他の国に比べると良い方なのですが;)

 こうした差について、「日本だと文化的に物事をオープンにすることを嫌う傾向がある」とか、「企業秘密に属するような専門的知識を社外に公開するといったことが日本では考えがたい」といった説明を試みる人もいますが、私はそうじゃないと思うんですよね。一番のキーポイントは、「日本では、インターネットへの参加人数が臨界質量を超えていない」ということだと思うんですよ。

 Web 2.0 のキーワードの一つに、"Wisdom of Crowds" というものがあります。これは Wikipedia の説明でよく使われるキーワードで、「みんなの言うことは案外正しい」というもの。従来、百科事典は専門家が高度な専門知識を元にして作るものというのが常識でしたが、一般人が「よってたかって自分の専門領域の知識を元にして情報をかき集める」と、専門家と同等、あるいはそれ以上の百科事典を作ってしまうことができる。それを Wikipedia は実証しているわけです。

 しかしそれが成立するのは、要するに「たくさん人が集まれば、どの分野でもその分野のヲタが一人や二人は必ずいるはず」だから、なんですよね。100 人ぐらいが集まったのではカバーできない分野がたくさん出てしまうし、高度な議論を交わせる人数も限られてしまうけれど、参加人数が 100 万人になれば百科事典だって作れるはずじゃないですか、ということなんですね。

 ところが日本の場合には、アメリカほどたくさんのユーザがインターネットに参加しているわけではない。なぜかというと、日本は言語鎖国だからです。や、ネットへの参加率はアメリカに比べて極端に劣っているわけではない(日本のブロードバンド環境の良さはよくいわれることです)のでしょうが、アメリカ(すなわち英語)の場合には、文字通り全世界から参加者を集めることができる。だからアメリカではあっという間に Web 2.0 の情報インフラが成立したわけだし、日本ではなかなかこの情報インフラが成立しない、のでしょう。

 そして、この状態は基本的におそらく今後数十年はきっと変わらない……と思うのですが、この壁を破壊しかねない技術がある。それは、自動翻訳技術(機械翻訳)。や、ホンヤクコンニャクができるのは何年後になるか分かりませんが^^、例えば日本語/英語間での自動翻訳技術が実用レベルに到達してしまうと、とんでもない既得権益の破壊が発生するリスクがあると思うんですよね。

 例えば、今は企業ノウハウとして外部に隠蔽されているものも、実は英語圏ではインターネットという公開の場で激論が交わされているものかもしれない(というかそういうものは意外に多い;)。海外の専門書だってそのままストレートに読むことができるし、場合によっては海外の専門家と同じレベルで激論を交わさなければならなくなるかもしれない。逆に、一次情報を作れる産業(例えばアニメ、漫画、ゲームなど国際的に競争力のあるコンテンツ産業)にとっては、とてつもなくビジネスの可能性が広がるチャンスにもつながるかもしれない。

 江戸時代には物理的な「距離」(=海)が鎖国状態を作っていたわけですが、現代においては「言語」が鎖国状態を作っている。だから、インターネットのような低コストな情報流通インフラの出現と、自動翻訳技術の出現は、現代の日本の中にある既得権益構造を壊しかねない力を持っている、と思うんですよね。

 もちろんこの話は、業界や職種ごとにかなり性質・性格が異なることは確かです。例えば、駅前にあるおいしいラーメン屋さんが自動翻訳技術の出現でつぶれるということは考えにくいし、たとえ amazon が扱い始めたとしても、化粧品をはじめとするブランド品が百貨店の 1F フロアからなくなることもまずあり得ない。あるいは Web 2.0 が出現したところで町医者による診察がなくなることもないでしょう。なぜなら、これらのビジネスは「物理的な接触」への依存度が高い(直接見たり食べたり触ったり聞いたりしないとそもそもそのビジネスが成立しない)ので、情報流通インフラが発達してもあまり影響を受けないんですよね。

 でも、例えば会社の定期検診での肺レントゲンデータの診断だったら、インターネットでどこか他国の医者に送ってまとめて診断してもらうことだって十分にできる。まあ、今時点では契約問題とか責任問題とか設備問題とかで実現できないかもしれませんが、論理的には十分にあり得るビジネスモデルなわけです。漫画にしたって、ストーリー作成、コンテ、トーン貼りなどすべてデジタル化が(理屈上は)可能。アニメ業界が彩色作業を海外に発注するように、漫画でも単純なアシ作業はどんどん低コスト化の波が押し寄せてしまってもおかしくない。

 「昔からこういうやり方をしていたから」「慣行上そうなっているから」という理由で当たり前のように行われている日本の高コスト体質も、「物理的な接触」への依存度が低いものに関してはどんどん見直しがかかっていく危険性が高い、と思うんですよね。実際、日本の既存ビジネスの中には、言語鎖国であることによって高コスト体質を維持しているものが数多くあり、無意識のうちにそうしたビジネスに依存している人も少なくないはず。

 「もしも自分のやっている仕事が全部英語でできたとしたら?」「もしもそこに言語的に不自由のない(=日本語が話せる)労働単価 1/10 の外国人の人がすぐ横にいるとしたら?」という前提条件で自分の仕事内容を捉えなおしてみると、おそらく大半の日本人は給料もらいすぎなんじゃないかと思うんですよ。それがいいことなのか悪いことなのかは置いておきますが、向こう 10 年ぐらいはともかく、その先においては今のままいけると思ったら大間違い、ぐらいに思っていないとものすごく危険なんじゃないか、と思うんでよね。

 じゃあ我々はどう考えればいいのか……というのについてはまた次回に;。えらい長文エントリだなこれ;。

2007/4/6 01:27 | 4.雑学&雑感 | コメント (46) | トラックバック (2) | このエントリへ拍手
Web 2.0 がもたらす新たな時代 Part 1

 というわけで今日は Web 2.0 関係のエントリを。今回のエントリ、アニヲタ&ゲーヲタな方々には無縁なお話といえばそーなのですが、一般的な話題として知っておいた方がよいお話でもあると思うので是非。ちょっと長文なので、何回かに分けてアップします。

 ここ 1 年ほどでムチャクチャ有名になった本として、以下の 2 冊があります。

・ウェブ進化論―本当の大変化はこれから始まる
・グーグル 既存のビジネスを破壊する

 これらの本、私は夏のこたつさんに薦められて読みましたが、あれよあれよという間にこれらの本をベースとした番組の企画が多数打ち立てられて、しばらく前には NHK でも Google 関連の特集番組(NHK スペシャル)が組まれていました。日本の場合、Google よりも実は Yahoo の方がインターネットポータルとしては有力なのですが、世界規模での世の中の動向として、Google の動きはなかなか無視できません。や、自分は IT 業界とは無関係だからいいやと思う方が多いでしょうが、それはかなり危険。というのも、この Google をはじめとする Web 2.0 ビジネスの本質は、電気・水道・ガスなどのインフラに続く、情報流通インフラを作り上げるというものだからです。短期的に自分たちのライフスタイルを変えるものではありませんが、長期的に見た場合、このインフラの出現によって自分の立ち位置がどのように変わりそうか? を考えておくことは、ものすごく重要なことだと思います。少なくとも私はこの 2 冊の本を読んで、本気で戦々恐々としました。いや、死ぬまで普通に生きられるのだろうか、みたいな;。それぐらいに強烈な本です。

 さてこの 2 冊、どちらも Google や amazon を初めとしたインターネットの大企業について書かれている本なんですが、おそらく日本人の大半は、Google = 便利な検索エンジンを提供する会社、amazon = ネット上の便利な本屋、ぐらいにしか考えていないでしょう(私も似たような認識でした)。が、これらの企業が本当にやっていることは、上述したとおり、公正中立な情報流通インフラを作ること

 ……と書かれてもおそらくピンとこないでしょうが、これは実はとてつもなく恐ろしい話なんですよね。

 上記の本で引き合いに出されている例を取ると、例えば amazon.com の書籍の売り上げ傾向は、実は一般的な書店とは全然違っていて、売り上げの 1/3 程度を、一般書店が在庫として抱えられないようなマイナー書籍や CD から売り上げていると言われている。一般に、リアルの世界での書籍や CD の販売では、基本的にはベストセラーや大ヒット曲によって売り上げの大半を稼ぐビジネスモデルになっていますが(パレートの法則)、ネットの世界では陳列コストがほぼゼロなので、リアルの世界ではあり得ないような売り上げの傾向が生じる、というんですね。

 多分、これだけではなかなかピンとこないと思うので、ヲタ blog らしく、身近な話としてマンガを例に取って解説してみましょう。例えば、商業誌に掲載されているマンガ。これ、実は『顧客の囲い込みによって成立しているビジネスモデル』なんですよね。

 どういうことかというと、例えば多くの小学生や中学生にとって、普段入手できる『マンガ』は、おそらく近場の本屋で買うことができるジャンプやマガジン、あるいはそれらのコミックスでしょう。しかし、コミケットなどの同人誌の場を見てみれば、世の中にはマンガってそれこそ掃いて捨てるほど描かれてるんですよ。

 にもかかわらず、なぜ同人誌は数百部も出れば御の字で、ジャンプやマガジンといった商業誌ばかりがこうも圧倒的に売れるのか? 理由は簡単で、小学生や中学生などの大多数のユーザにとっては、同人誌ってとにかく入手しにくいし高いので、それらを購入するという選択肢がないんですよ。簡単に言えば、出版社、流通業界、そして書店などによって作り上げられている『販路』(販売チャネル)を確立することによって、エンドユーザから選択権を奪っている(=顧客の囲い込みをしている)んですよ。

 しかし、例えばコミケで頒布されているマンガ、商業誌で掲載されているマンガのすべてがインターネット上に掲載され、さらに趣味や嗜好(萌えとかショタとか^^)といった属性(メタデータ)でも検索ができるようになり、さらにどれもが一部 \10 で読めるようになったとしたらどうなるか?

 Google などの検索エンジンでは、人気のある作品が自ずと上位にランキングされ、しかもそれは商業誌だろうが同人誌だろうが一切色づけなし。そうなると、純粋に作品が面白いかつまらないかによって、あっという間に選別と淘汰が進んでしまうはずなんですよ。もちろん、DEATH NOTE とかネギま!とか、ホントに作品そのものに人気がある超一流の作品なら問題はないでしょうが、(乱暴な言い方をすると)その作品をコミケ会場に持ち込んだときに壁の行列サークルになれない作品だとしたら、商業誌の掲載作品といえど、おそらく簡単に淘汰されてしまう。

 こういう話をすると、「そんな時代なんか来るわけないじゃん」と言いたくなるでしょうが、例えばかみちゃまかりんなんかはネット連動企画で本誌掲載よりもちょっと早くに読めたりらしいするし、そもそもこういう変化はじわじわと長時間をかけて発生していくもの。今から 10 年前にここまでネット環境が当たり前になることを予想できた人は少ないでしょうが、では逆に、今から 10 年後はいったいどうなっているのか。アニメやマンガはネットからダウンロードして見るのが当たり前、となっていてもおかしくないかもしれない。

 そしてさらにこれを後押しするのが、人間そのものの世代交替。今から10〜20年経つと、団塊世代はことごとく引退し、そして子供の層は「ネットが当たり前」の世代にごっそり入れ替わる。TYPE-MOON や 7th Expansion が大ブレイクしたのは、20〜30台男性によるネットでの口コミが主要因でしたが、おそらくそれと全く同じことが小中学生の年齢層でも発生するようになっていってもおかしくない。こうなってくると、『雑誌』という囲い込みによってユーザから選択権を奪うことが全くできなくなってくる。

 既得権益にすがるものには破滅的な力を持ち、逆に無名なれど実力のあるものには極端な追い風として働く。つまり、Google や amazon の本質は、物理インフラを縛ることによって囲い込んでいた既得権益を破壊しうる、公正中立な情報流通インフラを作り上げた点にあるんですよ。

 考えてみればマンガだけに限らず、世の中の多くのビジネスは、こうした既得権益に依存しているんですよね。アニメ、ゲーム、本屋、CD、雑誌、新聞、ニュース、テレビ。しかし、それらは物理的インフラに縛りを入れることで、『お客さんから選択肢を奪い、少数から選ばせる』ことによって成立するビジネスモデルになっている。例えばアメリカではインターネットを通したテレビ番組配信に対して放送局が非常に前向きですが、日本においてはインターネットに対して番組を流すということに対して放送各社が強固に反対しているとか。著作権云々といったことが前面に出されて議論されますが、おそらくその本質は、巨大ビジネスの根幹をなす「チャネルの囲い込み」をぶち壊されるリスクが高いから、というところにあるのでしょう。(アメリカの場合はケーブルテレビ会社が多数の番組を提供しているため、放送局の権力が日本に比べて圧倒的に低いそうです。)

 今までの時代は、社会インフラとは、水道、交通、ガス、電気などの物理的なインフラのみを指していたわけですが、バーチャルな世界(=インターネット)に新たな情報流通のインフラが作られたことによって、物理的なインフラだけで既得権を守り続けることができなくなった、というのがコトの本質だと思うんですよ。そしてそれが、既得権益によって生きている人たちにとっては破滅的な脅威になる、というのが、Web 2.0 と呼ばれる、現在のインターネット上に作られ始めているバーチャルな情報流通経路の恐ろしさだと思うんですよ。

 ……と、ここまでが本に書かれている内容なわけですが、ホントの問題はここから。がしかし長くなったのでまた次回に;。

2007/4/5 01:31 | 4.雑学&雑感 | コメント (31) | トラックバック (1) | このエントリへ拍手
書評:東大脳の作り方

 というわけで今日はこちらの書評を一つ。



 タイトルからしてめがっさ煽りまくり……というかこの本のどこがどう家族力なのか激しく知りたいわけですが、桜蔭(女子御三家の中の一校)を首席で卒業し、塾にも通わずに学校の勉強と自学自習だけで理IIIに現役合格したという 19 歳の女の子が、ここまでの人生を振り返った自叙伝。現在大学2年生で、この4月から本郷に進学するらしい。で、あれこれ書くまえにまずは一言。

 面白かった。や、いろんな意味で^^。

 というか、勉強スタイルも何もかもが「一般的」じゃないんですよ。なにしろ最後まで塾らしい塾にも通わずに学校の勉強をきちんとこなしていって、その結果として桜蔭首席卒業+理III現役合格……ってそりゃ一般的じゃないですよ(苦笑)。ただでさえ羨望のまなざしで見られる立場である彼女がそんな人生を振り返った自叙伝を力強く語れば、自ずと自己肯定のニュアンスが強くなってしまうもの。おかげで amazon にしても mixi にしても、書評は全般的に酷評;。ただの合格体験記とか思い上がりだとか若造がとかナルちゃんとかトンデモ本だとか、さんざんに書かれてるという有様。や、いくら強い子といっても処女作の書評でこうも叩かれたらそれなりに凹むよなぁ……と思わずにはいられなかったり。(← でもそれをバネにして跳ね返るタイプの子だろうとは思うのですが;。)

 まあこの著者の安川さんの場合、臭いものと興味のないものにはフタ、というスタンスが徹底しているし、No.1 への固執といっても「自分がなれる No.1 への固執」なので、井の中の蛙だと書評で叩かれるのも仕方がないといえば仕方がない。でも私はその辺はあんまり気にならず、むしろ違和感を覚えたのはこの本における「東大脳」の定義。や、安川さんはご自身の経験と自分自身の分析を踏まえて、「東大脳」をこんなふうに定義しています。

「自分の人生を自ら切り拓く意志を持ち、設定した目標に向かって努力することのできる思考形態」
「単なる知能指数ではなく、自主的にやる気を出し、計画的に努力して、挑戦する姿勢」
「一つの挑戦を達成し終えたらまた新たな挑戦、というように、奮起→努力→挑戦→達成のプロセスを踏み続けられる人」

(っつーか一冊の本の中で定義が微妙にブレてるのもどうよ?状態ですが;)

 もし「東大脳」というのが「東大に合格するための脳」というのであればまあこれでもいいのかもしれないのですが、おそらくこれは、著者である安川さんの一番の資質じゃないように思うんですよね。この本を一通り読んでいて思った、安川さんの一番の特徴であり強さの根源は、以下の点だと思うんですよ。

「何事に関しても、自分の目で見て、自分の頭で考えて、論理的に、自分なりの判断を下す。」

 周囲に安易に迎合しない、「自分自身の頭で物事を考えて判断する能力」こそが、安川さんの最大の資質であり、幼い頃から培われてきた東大脳の本質じゃないかと思うんですよね。その姿は周囲からナルちゃんとか思い上がりだとか言われることもあるだろうけど、そういったノイズに左右されないからこそ大きなコトを成し遂げられるんじゃないか、と思うんですよ。

 例えばこの本の途中で、幼い頃に大好きだったというアンパンマンの話が出てくるのですが、こんな感じ。

 幼少期の自分について語る上で、アンパンマンは欠かせない存在です。……(中略)……それなら、どうして私はあんなにもアンパンマンが大好きだったのだろう、と思い、今さらながらアンパンマンという作品について深く考えてみました。……(中略)……
 私がアンパンマンという作品からどれほどのメッセージ性をくみとっていたかはわかりません。けれど、「常に正しく生きること」への憧れが、アンパンマンに対する尊敬につながっていたことは確かだと思います。正しく生きる、というのは、成長していく過程で常識やら偏見やらを身につけるほどに困難になるものです。でも、たとえ現実には無理であっても、正しいことしかしたくないという姿勢をもちつづける大切さを、私はアンパンマンから教わった気がします。


 ちょっwww、というかごめんなさい、思わず吹き出しました(失礼;)。や、この辺の話についてはどこまで本気で書いたのかは分かりませんが(← 出版社が校正時点で煽る方向に指導している可能性もあるので)、いじめに関する言及なんかも「おいおい考察が浅すぎるよ」状態だし、インドアなヲタク趣味は自分から何かを発信するタイプの趣味じゃないのでお薦めできないそうです(笑)。……というか良くも悪くも、一事が万事こんな感じ。

 確かにここの部分だけ切り出して読むとイタい子(ぉ)にも見えるし、この辺の部分を指して「恥を知れ」みたいな書評を書いている人も結構いる様子……なのですが、でも彼女の場合はこれでいいこれで正しいと思うんですよね。なぜかというと安川さんは最後で、最近は東大脳を持たない東大生が多くなってきたと書き、こんなふうに締めくくっています。

 それなら、「東大脳を持った東大生」が少ないと私が感じ取るのはなぜか。それは、先に述べた「自分に合った型を模索し確立していく」能力の代わりに、「人から与えられた型を忠実にコピーして自分の中に取り込む」能力ばかりに秀でている学生が多いように思うからです。

 おそらくここのところが一番のキーポイントで、要するに、何事につけても『正しい』と思えることを自分で判断し、決断し、行動する能力、それが東大脳の本質だと思うんですよ。アンパンマンの論評にしろいじめに関する言及にしろ彼女の受験スタイルにしろ、この本の中で語られている内容は、事物の様々な切り口の一つでしかないし、数多ある正解の中の一つでしかない。けれども、みんなが是とする「和集合的な」答えよりも、自分に適した答えを自分で見つけて行動していく。その答えは確かに多少のロスは出るけれども、結果的に一番大きなリターンが得られるものなんじゃないかと思うんですよね。

 書評を書かれている方々の中には「これからが楽しみだ」といったことを書かれていた人もたくさんいましたが、ちょっと心配になる方でもありますね。自分が達成しようとしているゴールの律速要因や阻害要因が「他人」になったときにつまづかなければいいんだけど、と思うんですが、とはいえ医者って割と専門性の強い職業だし、彼女ほどの利発な方ならうまく軌道修正して乗り越えていっちゃうんでしょうね、きっと^^。

 でもそれ以上に面白かったのは。
 ……桜蔭ってこんな面白い学校だったのか〜(笑)。や、マジメな子が多そうな学校だとは思っていたけど^^。

 なんにせよ、この著者の安川さんって凄いお方であることは間違いないか、と。や、書かれている内容もさることながら、大学2年生という若さでこれだけの行動力、そしてこれだけの文章をまとめあげたのはさすがです。……っつーか大学2年生のときなんて、自分はひたすら同人誌書いてたような気がしますよ;orz。

2007/3/28 02:10 | 4.雑学&雑感 | コメント (3) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
適度な丸め方

 先日おしごと関係で EQ テストを受ける機会があったんですが、これ非常に面白いですね。EQ というのは Emotional Intelligence Quotient、通称「心の知能指数」とか呼ばれているもので、まあ簡単にいえば、自分の感情の傾向と、それをどの程度コントロールする能力があるのかを測るもの、と言われています。

 けれどもこの手のテストの難しいところは、丸めてしまうとホントのところがわからなくなってしまうというもの。例えば、ここに EQ テストのページがあるわけなんですが、実際に私がやってみるとこんな結果が出ます。

状況判断力 [53点] 客観的な立場での情報判断力はピカイチ
感情制御力 [70点] 感情制御力が強すぎて、人間味に欠ける傾向も
意志実行力 [54点] チャレンジ精神は旺盛だけれどすぐに飽きてしまうことも
対人共感力 [59点] 世渡り上手だけれど八方美人になりやすいかも
総合診断 [タイプA] 周囲の信頼を集める抜群のリーダーシップの持ち主

 や、この結果を見たとき外れてないけど当たってない、と思いました;。どういうことかというと、確かにそういう側面も自分の中にあるけれども、それだけというわけでもないと思うんですよね。

 なのでこの手の性格診断みたいな分析はあまり真に受けないようにしてるんですが、先日会社で受けた EQ テストの診断結果を見てびっくり。200 問ぐらいのクイズにサクサクと答えていくだけなんですが、かなり細かく分類された性格診断結果が出てきて、さらにかなりの精度で自分の内面性格を言い当てられたときにはびっくりしました。や、私自身は外向的な性格と内向的な性格という真反対な性格の二面性を内面に抱えている(と自分では思っている)のですが、それがくっきりと現れているんですよ;。

 どうも周囲の人の結果を見せてもらうと、割と表と裏がない(というか強いところと弱いところから、割と一貫性のあるその人の人物像が見えてくる)ようなんですが、自分の結果は非常に面白くて、「強いところ」の中に相互に矛盾する項目があったり、「弱いところ」の中に相互に矛盾する項目がある;。これ、自分ではものすごーくよく理解できていて、

・片方のグループ → 仕事をバリバリとこなしているリーダシップタイプの public な自分。
・もう片方のグループ → 少女漫画読みながら ECO やっているヒッキーな private の自分。

の 2 つにグルーピングできるんですよ;。周囲の人たちは「??」と頭を傾げていましたが、自分的にはあまりにも的確すぎる結果だったのでびっくり。

 要するに、これってデータを平均化して丸めてしまうと見えなくなるものがあるってことなんですよね。データを分析するときに、細かすぎるデータを見ると木を見て森を見ず、になってしまうけれど、必要以上に丸めてしまうと今度は逆に森しか見えず、になってしまう。自然科学系のデータ分析であればこれは当たり前の話なんですが、こういう性格診断みたいなところでも似たような話があるんだなーと思わされました。うーん。

2007/3/22 01:20 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
適正価格

 さてぼちぼち寝ようか……と思ったら blog を更新していないことに気付くワナ;。や、今日はけろっちゃ氏と会う約束だったわけですが、微妙に予定変更食らって明日に順延、そんなわけでお仕事に行ってきたり。や、明日やる予定だった本の原稿チェックを前倒しでやってきたんですけどね;。

 で、ふと思ったこと。
 ……言うまでもないことだけど、本の値段って、中身の質とか価値をあんまり考慮しないで決められてるなー、と;。

 や、実は原稿チェックしてたらすでに値付けを決めていたらしく、値段が表紙に入れられていたんですが、私の感覚からするとどう考えても倍の値段をつけてもよいぐらいに思える本。類似の情報が出てないとか、他の本との情報価値とかの差を考えて妥当な値付けを行うとそれぐらいだろう、と思ったんですが、出版社がつけてきた値付けは全く違うロジックで数値が叩き出されている。

・出版までにかかった出版社内のコスト(版組コストとか)
・ページ数から見た妥当な価格

 で、前回に出した本よりページ数が少なくて、なおかつ出版までの作業プロセスの見直しもかけたおかげて百万円ぐらいコストが浮いたおかげで前回に出した本より安い値付けが付いていた……んですが、うーん、それは出版社内部の都合だろう、と小一時間;。

 でも、適正価格の決定ってちょっと考えてみるといろいろと厄介なんですよね。

 文化的配慮云々とかの話を横に置いておくと、質による価格差をこうしたものに反映させるロジックはおそらく 2 つあって、初期価格設定を変えることと、ディスカウント率を変えること。後者は再販制度によって規制されているので、販売元による初期価格設定権のみが強く生きてくる。最近では質によって初期価格設定を変えるということも行われるようになってきていますが(例えば売れそうなアーティストについては PV の DVD つけて \2,000 でシングルを売るとか)、基本的には「従来の流れを踏襲した」一律の価格設定になっている、のが普通でしょう。

 でも自分で自信を持って、そしてそれ相応の時間を投資して作ったものに対しては、(市場原理に見合った)正当な対価を価格として設定すべき、と思うんですよね。それは、不当に自分を安売りしない、という意味において重要。買い手の立場からすれば「安ければ安いほど嬉しい」のは当然ですが、だからといって(仮に採算が合ったからといって)「価格を安くすればするほどいい」という性質のものではない、と思うんですよね。私は普段の仕事でも営業による安易なディスカウントに強烈に反対する人なのですが、それは自分の仕事の価値の安易なディスカウントを認めたくないから、でもあります。価値があると思うのなら、その価値に見合った価格を設定するのが、作品に対してのこだわりではないか、とも思うのです。

 客観的に適正な価格の設定というのはそれ自体非常に難しい作業ではあるのですが;、自分の作品に対してこだわりがある人は、価格に対してもっとこだわっていいんじゃないか、という気がします。作品に対するこだわりは、価格に対するこだわりにも反映されてしかるべきではないのか、とも思うわけです。

# もっともその一方で、自分の仕事の価値を客観的に評価することの難しさもあります。
# 仕事してると、だいたい多くの人は自分の仕事の価値を高いと考えがちですからね;。

 ……まあこの辺、言い尽くされた議論だとは思うんですが、自分がその渦中に立たされてみるといろいろと思うところはありますね。(苦笑)

2007/2/25 04:09 | 4.雑学&雑感 | コメント (3) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
ひとかけらの良心

 今日は帰りがけにふらっとゲマに立ち寄ってこちらを査収。



 「芽生えドライブ」はもともと CDS に期待してた曲なんですが、柔らかくていい曲ですね。こういうほんわか曲は結構好き。コミックスは……んー、ぼちぼち読もう;。

 ところで昨日のこどものじかんのエントリへの Web ツッコミより。

>> ……大丈夫かなー;。かなり心配かも。
> まちばりさんのところでしか、まちばりさんのような評価は見かけないので
> たぶん大丈夫ではないと思います。まちばりさん的には。

 うあ、やっぱりそー思いますか(苦笑)。といいつつ、そういう方向性だけのアニメ化になるかどうかは、結局のところアニメ化スタッフの手腕にかかっているんじゃないか、とも思います。

 基本的に私は、どんなに出来が良くても(売れてても)良心が含まれていない作品を高く評価しません。や、具体的にどの作家だとかどの作品だとか書くつもりはないのですが、「売れるだけの作品」はあんまり好きじゃないんですよね。

 例えば一例を挙げると、少女漫画とかって基本的には子供が読む作品ですよね。で、子供が読むという視点に立って考えれば、刺激的な作品の方が面白いに決まっている(爆)。けれどもそういう作品って、母親の視点に立ったときに実際に娘に読ませたいと思う作品なんですか? となるとぜんぜん話が違ってくる。刺激的な作品を与えて子供を夢中にさせることはできるかもしれないけども、乱暴に言えば、それは子供を麻薬漬けにしているようなものであって、なぜそこにあなたは罪悪感を感じないのか? と言いたくなる。

 実際問題としてどの業界であっても、ある程度の実力とセンスがあれば、どんな作品(モノ)が売れるのか、売れる作品(モノ)を作るためにはどうしたらよいのか、というのはそれなりに分かるでしょう。けれども、売れさえすれば後のことはどうでもいい、それによって生じる悪影響は知ったこっちゃない、的なスタンスで仕事に臨むような姿を、私自身は高く評価しないんですよ。

 本当にいい仕事というのは、売り上げをきちんと立てつつも、それによって何らかの社会貢献をしているような仕事、だと思うんですよ。この二つの要素は二律背反(=両立できない)のように語られることが多いのですが、私はそうは思っていなくて、本当にレベルの高い仕事であればこの二つは両立できる、と信じているんですよね(← 大変だけど;)。

 あなたはその仕事(作品)を通して、社会(人々)に何を訴えかけていきたいのか。何を遺したいのか。

 ただ楽しいだけの刹那的な作品や刺激的な作品はダメだ、とかいうつもりもないのですが(売れる作品にはそれなりに見どころがあるのも確かだし、そういうものもある程度は必要だと思うので)、でも私はあんまり好きじゃないです。どっちかというと、あんまり売れてなくても or 目立ってなくても、良心の芯がちゃんとある作品の方がずっと好きですね。

 で、そういう観点からすると、こどものじかんのアニメ化も、スタッフの意識一つにかかってると思うんですよ。この作品の作者自身、この作品について「一般誌の限界に挑戦」しつつも「エロ漫画ではない」と語っているわけで、「売れる」作品にしながらも「良心を残す」ことに腐心している。同じような頑張りを、アニメ化スタッフにも期待したいなー、と思ったりするわけです。

 ……いや、どーなるのかはさっっっぱり分からないわけですが;。
 とはいえ頑張ってもらいたいものです。や、ホントに。

 あ、そうそう、Web 拍手といえばもう一つ。

> プラネットアースのインプレ書かなくなりましたね。観ていなかったりします?

 すいません、あろうことか最終回を落とすというあり得ないことをやっちゃいまして;、3 月の再放送待ちだったりします;。なんで今回に限ってすぐさまの再放送とか BS-hi での再放送とかがないんだー;と嘆きまくりなわけですが、まあのんびり待つことにします;。

2007/2/22 02:02 | 4.雑学&雑感 | コメント (4) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
目指すべき場所。

 ふー、ようやく今とりかかってる本の初校の校正作業終わり〜。執筆作業といいなんだかえらい時間がかかったような気が自分でもするわけですが、とっとと脱稿して次の仕事に行かねば状態。

# まあ短期的には土日に仕事すればいいわけですが、それは単なるオーバワークなので極力避けていたり。
# や、働いたら負けとか思ってる人なので……っていうのは冗談で^^、時間あたりの仕事の量と質を
# 高めていくことが一番重要だと思っているので、時間はオーバワークにはならないようにしていたり。

 しかし考えてみれば自分はずっと同じ出版社から本を出してもらってるんですが、なんで今でもそこを使ってるのかとゆーと、最初の本を出した後で、編集長さんが「あまり売れなくて赤字が出たとしても、こういう内容を広く伝えることが出版社としての存在意義なんだから、基本的にこの人の企画は全部通せ」と言ってくれていたという話を人づてで聞いたから。や、この編集長さんって技術畑の経験もあってきちんと本を読んでくれてたらしいんですが、今どき珍しい人だなぁ、とも思うんですよね。

 というのも、(以前にも書きましたが)今の時代って出版業界はものすごく冷え込んでて、正直なところどこの出版社さんも利益を確保するために血眼になってたりする。そんな中で出版社の存在意義、なんて単語を聞くこと自体ちょっと驚いてしまうし、そもそもちゃんと本を読んでくれたということ自体にも驚いてしまう。

 さすがに海千山千のサラリーマン生活を送ってきた人間なので、私もこの言葉を額面通りに受け取るほど素直じゃないですが;(← 実際、赤字なんか出ないはずだし;)、けれどもこの話を聞いたときに、仮にこれがポジショントークであったとしても、5%ぐらいのホントが混じっていてくれたらそれで十分、って思ったんですよね。

 夢ばかり語って現実を見ないのは困りものだけど、かといって夢もなく現実ばかり見て仕事をするのもつらい。自分は何のために、誰のためにどんな仕事をするのか。95%ぐらいは現実を見て仕事をするにしても、5%ぐらいの夢があってもいいじゃないか、と思う今日この頃。夢のために頑張る、なんて文字にするとお前アホかよという感じすらする言葉だけど、ある意味では子供っぽい夢とか絵空事を叶えるために頑張るというのが、自分の理想とする生き方なんじゃないかと思ったりします。

 ……ってまあ自分がお子様だからそんなこと思うんでしょうけどね;。(苦笑)
 でも、夢がまったくないお仕事というのも、きっとつまらないと思うのです。いやホントに^^。

2007/2/17 04:37 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:朽ちていった命 被曝治療 83 日間の記録

 先日、でじくま氏の家に遊びに行ったときに見かけたこの本を読了。



 1999 年に起きた東海村での臨界事故のドキュメント。放射線により壊れ、そして朽ちていく命を淡々と綴った一冊。なんというか、こういう本というのは何を書けばよいのか迷ってしまうものなのですが、かつて学生のころに感じていた恐ろしさと重なることがあったので、ちょっとその辺について書いてみようかと思います。

 「放射線は怖い」「原子力は怖い」。おそらくそのこと自体は多くの人がなんとなく思っていることだと思うのですが、じゃあ放射線や原子力がどのようにどの程度怖いのか、となると今ひとつピンとこない人が多いんじゃないか、とも思います。でも、放射線の怖さは、簡単に言えばこう表現できると思うんですよ。

 『目に見えない、非常に微細で非常に大量の散弾銃の嵐

 そんなものを全身に受けたら生きていられるはずがないわけで、考えただけでもぞっとする。けれども、放射線に対してそういう認識を持っている人はおそらく少ない。それは、目に見えないもの、実感が湧かないものに対して、人間は恐怖をあまり感じられないからじゃないか、と思うんですよね。

 私が今でも忘れられない大学時代の光景の一つに、化学実験室の試薬台があります。

 いわゆる学生実験室の共用の電子秤の周囲に、酸化剤の一つである褐色の二クロム酸カリウム (K2Cr2O7) がぶちまけられている。しかも一人二人の仕業じゃない。薬包紙の上に二クロム酸カリウムを瓶から出すときにこぼれてしまったものなんですが、これを見たとき唖然としたんですよね。仮にも化学科の学生がなんでこんなことを平然と出来るんだ、と。

 二クロム酸カリウムは高校生の化学でも出てくる典型的な試薬ですが、別名を六価クロムという。その名前を聞けば一般人ですら有毒物であるとすぐに分かるはず。にもかかわらず、その実感が湧かないんですよね。それはおそらく、二クロム酸カリウムなんて受験によく出てくる当たり前の試薬だから。これを見たとき、化学実験の怖さを感じたことをよく覚えています。

# いや今だからこそ言える話ですが、化学の道に進むのをやめた理由の一つにこれはありますね。
# 要するに、目に見えない、実感できないような危険なものを取り扱うことが怖くなった、という。
# それが直接的原因ではないんですが、遠因にはなっているよな……と。

 端的に言えば、危険に対してどれだけ敏感か、という話ではあるのですが、目に見えない危険であるとか、物事を楽観視することによるリスクの軽視とか、そういうことは確かに日常茶飯事に存在している。この本を読んで、改めてそういうものの怖さを感じました。

 それにしても、本書に綴られている、亡くなられた大内さんと家族の姿には、いろいろ考えさせられるものがありました。同じ立場に立ったときに、こんなふうに強くいることが出来るのだろうか、と思うと、正直なところ自分には無理だろうな……とも思ってしまいます。あくまで事実を淡々と綴っている本なのですが、にじみ出てくる様々なものにいろいろ考えさせられる本でした。もともとは NHK スペシャルだったそうですが、番組の方も機会があれば見てみたいものです。

2007/2/16 02:17 | 4.雑学&雑感 | コメント (6) | トラックバック (1) | このエントリへ拍手
ほわいとからーなんちゃら。

 えーっと、今日は少し前の Web 拍手で気になったネタがあったのでいまさらながら書いてみたり〜。ええっと、たぶん 1/25 分かな?;(← 遅すぎ;)

> ところで今話題のホワイトカラーエグゼンプションについてどう思われます?

 ……ええっと、なんですかそれ? タベラレマスカ?(違)

 というわけでとりあえず Wikipedia で調べてみましたが、ああ、なるほど要するにホワイトカラー向けの労働基準法の話ですね。このネタもいつか書いてみたかったので、ちょろっと書いてみるテスト。

 ええっと私自身は、残業時間制限がきっちりと守られるようなむちゃくちゃ労働組合の力の強い日本企業も、あるいは残業代なんてもともと出ない年俸制の外資系企業も、両方(← えらい両極端ですが;)経験したことがある人間ですが、率直な感想を言えば

 どっちもどっち。

だと思っていたり;。や、そんな玉虫色な回答でどーするよ? とツッコまれそうですが、要するにワークスタイルの多様性を認めるためには会社単位での多様性を認めるのが現実的な落としどころだと思ってるんですよね。と、これだけだとやや意味不明なのでもうちょっと補足すると。

 「働く」理由が人それぞれいろいろあるのと同じように、「どんなふうに」働きたいのかも人によっていろいろある。例えば子供を持っている親御さんであれば朝早くに出社して夕方には幼稚園の送り迎えをしたいでしょうけど、私のように夜型の人間ならむしろ朝はお願いだからもっと寝かせてくれとなる。家庭を持ってるような父親が「いい父親」であるにはやっぱり労働組合とかによる「歯止め」が必要なのは確かだと思うし、逆に私のようなワーカホリックが「好き勝手に働きたいときだけ働きたい」と思うときにはそういう歯止めはむしろ邪魔。要するに、人によって会社に求めるワークスタイルはぜんぜん違う、と思うんですよね。

 しかしその一方で、会社のように『組織』として行動することが求められる場合、個人ごとのワークスタイルの差異を認めるのにも限度がある。例えばコミュニケーションをとりやすいオープンな職場を望む人もいれば、仕事環境に集中できるパーティション型の職場環境を望む人がいるわけですが、これは両方を同時に満たすことはちょっと難しい。同様に各人の裁量労働をどこまで認めるのか(出勤時間なり在宅勤務なり)となると、ある程度縛りをかけなければいけないわけで、そこには現実的な制約との conflict(衝突)があるわけです。

 となると現実的な落としどころとしては、

・標準ワークスタイルは会社ごとでかなり違うが、一つの会社の中で見るとそれなりに揃っている。
 だから、「仕事をする人」の方が、自分の好みにあった会社を選択する。
・労働基準法にそぐわない会社もあるけど、ある程度は黙認。ひどくなったらそれなりに対処。
・かといって「歯止め」は必要なので、労働基準法とかは存在しているべき。

という状況……まあすなわち今の状況が割とベストなんじゃないか、という気がするのです。

 これは私が転職経験を持っているから言うのかもしれませんが、「そんなにその会社の○○(給料とかワークスタイルとかその他もろもろ)がイヤだったらとっとと転職すればいいじゃん」と思うことがあります。や、それは強者の理論だと言われそうですが、でもそもそも仕事というのは「自分が会社に仕事させてもらっている」わけでもなければ「自分が会社に対して仕事をしてあげている」わけでもない。会社勤めなんて良くも悪くもメリットとデメリットのトレードオフバランス。それがバランスできていないと思うのなら、バランスできるような会社に転職するのか、そもそも職種を変えるのか、仕事内容を変えるのか、といった選択を取るべきだと思うわけです。

 もちろん一概に社員の側が悪いということはないのですが、環境を変えるパワーに比べたら、自分自身を変えるパワーの方がずっと少なくて済むしラク、だと思うのです;。それこそが、(経営者ではない)サラリーマンの最大のメリットでもあるわけなのですから。

 ……などと思う私はやっぱりフリーランスタイプの人間なのかもしれません;。
 でも私は働いたら負けだと思ってますが(ぉ。

2007/2/14 00:39 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
お仕事いそがしい…… ><

 終わった〜〜〜〜;。

 や、なんとか月末締めの原稿を 11 時過ぎに脱稿。直前に割と大きなポカを 1 つ見つけちゃって 5 ページぐらい加筆修正していたらえらい時間になってしまったり。まあこれから細かいチェック作業とかありますけど、基本的にはこれで一段落。ううっ、疲れたでありますよ隊長……締め切りがある仕事ってつらいですねぇ。(← 当たり前だ;;)

 そんなわけで昨日のエントリにはやっぱりいろいろとツッコミが入っていたわけですが(いつもありがとうございます〜 m(_ _)m)、

> とらハの感想拝見以来、お邪魔しています。ベースに大人な視点があるのが好きなのですが、ECOしすぎかと

 う゛、このコメント、後ろが切れてるよーな気が……(笑)。

# すいません、コメントの字数って最大 50 文字なので;。あとで増やしておこう……

 ECO については複数方面からツッコミが入っていて、先日、でじくま氏からは ECO エントリ率高すぎとご注意を受けたので今週は ECO エントリなしで頑張ってるわけですが(もちろんゲームはやってる(爆))、実際のところ 1 月がシャレになってなかったのは、ひぐらし 26 話一気鑑賞と、上に書いた原稿執筆の 2 つが原因;。どっちも普段の作業をこなしながらの話なわけで、やっぱり時間食われるよなぁ、という印象。

# ちなみに ECO のプレイ時間自体は、多分そんなには変わってないです。(=前もかなりひどかった;;)
# 他のことをやる暇がなかったので、1 月はエントリがやたらと ECO に偏らざるを得なかった、という。

 で、実はこうなっちゃった一因に、最初に立てた計画が少し野心的過ぎた、というのがあったりします。昨日のエントリと重なるんですが、もっと短い時間で片付けたかったんですがやっぱり無理だったか……という。ええっと、昨日のツッコミの一つにこんなコメントがあったんですよね。

> やることをつめこめばつめこむほど時間は伸びてくれるってことなんですかね〜。ありがとうございます。

 ちょっと言葉が足りなかったので少し補足したいんですが、遊びに関してはその通りですが(笑)、仕事に関しては詰め込むというよりは、むしろいかに自分の仕事の価値を高めるか、が重要だと思います。

 例えば、今の給料が○○だったとして、1年後に給料が1割上がっていたら嬉しいな〜、と思ったとします。このとき、どれぐらい仕事を増やせばその目的を達成できるのか?

 仕事の時間を1割増やすか、仕事の価値を1割高める、と単純に考えている人が意外と多いように思うんですが、それではたぶん給料は上がりません。なぜかというと、お客様からのニーズは1年後には成果1割増(あるいはコスト1割減)になっているから。そのことを踏まえると、2割ぐらい仕事の量を増やすか価値を高めるかしないと、給料は1割増にはならない、と思うんですよね。

# や、だって自分が消費者として何かを買ったりするときには「同じものだったらより安く or よりよいモノを」って考えるじゃないですか;。
# そのルールは自分の仕事に対しても当然当てはまるわけで、それを加味しなくちゃいけないわけです。
# 同じ仕事しかやっていなかったら、その時間単価(価値)はどんどん下がっていく、と;。

 分かりやすく言えば、重要なのは「周囲から期待される成長を超える成長を続ける」こと。しかし単なる詰め込み(=質的に同じものを増やすアプローチ)では簡単に限界に達してしまう。だから、「増やす」アプローチよりは「減らす」アプローチ、つまり実質的に同じ仕事を短い時間でやったり、あるいは同じ時間でもより価値の高い仕事にシフトしていく、そういうアプローチが非常に重要で、それは意識的にやらないとなかなか達成できないんじゃないか、と思ったりします。

# ええっと、だから合言葉は「仕事したら負け」だと思うのですw。

 ……や、実際には相当に難しいんですけどね。ある一定線を越えたあたりになると;。
 うーん、なにはともあれ今月も頑張ろう;;。

2007/2/1 01:54 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
マルチタスク処理。

 ふー、ようやく出張終わり。というわけで出張先から帰宅して E(ry わけですが、今日は先日の Web 拍手コメントより。

> お仕事お忙しそうなのにどうしてそんなにいろいろ活動する時間あるんでしょうか。
> 何かコツとかあるんですか?

 ええ、実は私もいったいどうやってるのかものすごく不思議なんですよ。(ぉぃ;)
 っつーか、ラピュタ計画を正味 2 週間弱ぐらいで実現したときには自分でもアホかと思いましたが;、単にやり始めたら止まれないという典型的なヲタの症例が出ているだけのような気がしなくもありません;。

# すすす、すみません、生まれてすみません、ごめんなさい(違)。

 ……といいつつ、確かに先週末から今週頭にかけてはかなりひどいことになっていたのは事実です。ちょっと試しにタイムテーブルをざっと書いてみるテスト。なんか忘れてるかもしれませんが。

26日(金) 23:30-00:00 仕事の原稿が一段落してぼちぼち帰宅。
             妹から明日、PC のセットアップ手伝ってくれとの依頼。っつーか暇ない;。
27日(土) 00:00-05:00 ひぐらし #22-#25 を鑑賞しながら ECO 六姫クエでロウ集め。
27日(土) 05:00-10:30 睡眠。
27日(土) 10:30-16:30 溜まった洗濯とか掃除とかアイロン掛けしながらアニメ消化と ECO。
             っつーかアイロンかけないと着る物がないワナ;。(← 廃人だよ;)
             露店で毛皮を捌いてお金をためる。
27日(土) 16:30-18:00 妹に来てもらって、自宅近辺をまわっていろいろ買出し。
             プリンタをセットアップして引き渡し。割とあっさり片付く。
             (ちなみにその後、妹はドジっ子属性を発揮して足の指をぶつけて骨折したらしい……;。
             どうしてリアルマイシスターは生傷が絶えないのだろーか;;。お大事に;。)
27日(土) 18:00-18:30 出張準備ができていないことに気づいてあわてていろいろ支度。
             もうちょいでラピュタ完成だけど時間足りず;。blog を書いてお出かけ。
27日(土) 18:30-23:30 高校時代の友人たちと飲み会。うち一人が結婚するとか。おめw。
27日(土) 23:30-03:00 いよいよ飛空庭制作開始。ログインしていた知人に手伝ってもらって、無事に
             30分ほどで飛空庭完成^^。そのあと 1 時間ぐらい一緒に遊んだ後、
             ノーザン台地で乱獲を開始しながらひぐらし #26 を鑑賞。なんとか間に合う;。
28日(日) 03:00-04:00 blog エントリ書き、お風呂入って寝る。
28日(日) 04:00-10:00 睡眠。すやすやすぴー。
28日(日) 10:00-11:30 なぜか朝から ECO でちょっとだけ乱獲w。いろいろ支度。
28日(日) 11:30-12:30 でじくま氏宅に立ち寄っていろいろ荷物を引渡し。その後、新年会へ移動。
28日(日) 12:30-15:00 桜なべ 中江で桜なべに舌鼓を打つ。うまいww。が、お酒飲みすぎる;
28日(日) 15:00-16:30 九段下に移動して喫茶店で時間つぶし。いい感じに昼間っから酔っ払い;。
             ちなみにこの辺、かなり頭回ってません><。ぐだぐだモードに;。
28日(日) 16:30-17:00 ひぐらしイベ開始待ち。寝落ち;。けろっちゃ氏に心配される;。
28日(日) 17:00-19:30 ひぐらしイベ。PS2 版を買おうかどうしようかかなり迷う;。
28日(日) 19:30-20:00 いったん自宅に戻って荷物を置く。
28日(日) 20:00-20:30 ちょっとだけ ECO。(ぉぃ 軽く着替えて移動開始。
28日(日) 20:30-23:00 出張のため、名古屋へ新幹線で移動。
28日(日) 23:00-01:30 ホテルに入っていろいろお片づけ & blog 書きとか。01:30 頃に寝る。

 ……書いてて思いました。お前、アホか、と;;。
 いやさすがに無理がたたって、日曜日の夕方頃はかなりぐだぐだ状態になってました;。申し訳なかったです;。> でじくま氏 & 本郷氏(=酔っていない二人;)

# というか、時間刻みのスケジュールをこなしたのは久しぶりかも。
# さすがに普段の土日は 8 時間ぐらいは寝てるし、コミケとかの期間中でもない限りは
# こんなことになることはないんですけどね。
# ……しかしでじくま氏はこういうのを日々こなしてるからびっくりするわけですが;。

 でもって最初の質問に戻るわけですが、

> お仕事お忙しそうなのにどうしてそんなにいろいろ活動する時間あるんでしょうか。
> 何かコツとかあるんですか?

 ええっとですね、時間は使うものではなく作るものです。(ぉぃ

 や、要するに私みたいにやりたいことが山ほどあるタイプの人は、時間こそが最大かつ最も重要かつ最も貴重なリソースなので、それをいかに効果的に&効率的に使うのかを常に考えている、というだけの話なんですよね。

 私にとってアニメや ECO が便利というか都合がいいのは、これらは基本的に他のタスクと重ねられるというところ。例えばアイロンかけながらアニメ見る、とかできるじゃないですか^^。ネットラジオ聞きながら洗濯とか ECO とか、そういうマルチタスク処理をすることが結構あります。もちろんホントにいい作品とかはちゃんと時間を取って鑑賞するんですが、逆にそういう作品は見るのが遅れてしまったりすることがよくあります。(Kanon とか数週間分溜まってる....;)

 まあ、私の場合は寂しさを忙しさで紛らわせるようなタイプなのであまりいいことではないんでしょうけれど、でもやりたいことは山ほどあって、どれもやらないと気が済まないタイプなのでこういう生活になっちゃいますね。

# あ゛ー、そういや料理したい。めがっさ料理したい;。← 思い出したようにたまに料理病に;。
# 圧力鍋買ったのにぜんぜん使ってないしレパートリーも増えてないですよ;;。

 ええっと、何が言いたいのかとゆーと。
 あんまりお奨めはしないですけど、結構楽しいですよー、こういう生活も?(笑)

# 俗にこういうのを壊れているとか言うんですが^^。
# ちなみに本日は帰ってきて残クエ片付け+六姫クリア。さらにちなみに明日は手持ちの原稿締切日……。(ぉぃ

2007/1/31 00:15 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
ヒューマン 2.0 〜 web 新時代の働き方(かもしれない)(★×4)

 というわけでようやくこの本を読破。



 や、とっとと読みたいと思ってたんですが、なんかぼちぼち忙しかったせいで随分と読むのが遅れてしまったり。この本がどんな本なのかについては著名 blogger の R30 氏が詳細なネタバレを書いているのでそちらを参照していただくことにしますが;、ものすごーく大雑把に言うと、いわゆるシリコンバレーと呼ばれる IT 最先端の地はどんなところで、そしてそこで働く人たちはどんな条件下でどんなメンタリティを持って働いているのか、について書かれた本。で、もしその文化に馴染めそうだったらシリコンバレーで働くのもいいかもよ? って書かれている本だったり。

 ……なんですけどね、この本めちゃめちゃ面白いです。
 いや何がって、シリコンバレーがどんなところなのか、その空気がものすごーくよく伝わってくるんですよ。ああ、なるほどこういう文化を持っている土地なのか、と。

 シリコンバレーは、子供のころ、「君ってオタク〜」という偏見をもたれてきた人がたくさん集まっている地でもあり、しかも、そういう人が尊敬される場所。エンジニアでは、服装がこぎれいな人より小汚い方が「できるやつ」と一目置かれたりする。通常は場がしらける技術の話が、パーティの小話の主たるテーマだったりする。

 エンジニアだったら、男子が長髪でポニーテールだろうが、スカートをはいていようが、女子がパンクロッカーばりばりで髪の毛が逆立っていようがOK。能力あるエンジニアは非常に限られた資源。スキルさえ高ければ他のすべてが許される。面接に30分以上遅れ、ペンもノートも持たず完全に手ぶらで登場、服装は腹だしセーターにジーンズにブーツの女子でも、中身が超級だったら問題なし。エンジニアは神様なのである。

 ちょ、ちょっと憧れる……かも??(笑)

 ……という冗談はさておき^^、シリコンバレーの文化ってものすごく面白い。彼らがそんなムチャクチャな風貌でも許されてしまうのは、彼らがホントの超一流の技術者集団であり、レイオフ(会社都合による集団解雇)が常態化している社会の中で常に努力して走り続けられる人々だから。会社に頼らず、自分個人の能力を極限まで磨き、その腕一本で会社から会社へと渡り歩いていくフリーランスたちがごまんといる社会って、確かに凄いところなんだろうなぁ、と思ったり。

 実はしばらく前にアメリカのいわゆる Web 2.0 系の会社の人たちと一緒にお仕事する機会があったんですが(といってもたいした仕事ではない;)、ものすごく面白かったんですよね。確かにむちゃくちゃ優秀な技術者揃いであることは分かるけれども、それ以上にとにかく社員も会社も明るくて元気。誇りと自信を持って働くエンジニアが多いと、自ずと雰囲気がよくなるんですよね。あの空気や雰囲気は日本にはなくて、(その部分だけ切り出すと)ちょっと憧れるものがありますね。

 でも自分がシリコンバレーで働きたいかというと、全くその気になれないなと思ったのも事実だったり。や、英語ができないという致命的な事実もありますが、なによりやっぱり日本と日本人が好きなんですよねぇ;。どうせ自分の力を役立てるのなら、みんなのため(=不特定多数のため)よりは身近な人たちの方がいいし、日本からは離れたくないんですよねぇ。や、アニメとか漫画に溢れる日本を離れるなんて絶対に無理とかいう話もありますが;

 この本を読んでみてちょっと興味を覚えたのは、この本に出てくるような人たち(ギークとか)が何に対して帰属意識を持っているんだろうか、という点。私は結局のところ日本に対して強烈な帰属意識を持っているからこういう発想になるわけなんですが、彼らはいったい何に対して帰属意識を持っているのだろうか、と。それはシリコンバレーなのか、祖国なのか、それとも地球全体そのものなのか。海外で働くことを違和感なく決めてしまう人たちは少なからずいるのですが、私にはどうも感覚的に理解できなかったりします;。

 と、つらつら書きましたがなにはともあれこの本、日本とアメリカの文化の違いを知るには最適な本だし、読み物としても結構面白いので、ちょっと興味がある方は読んでみてもいいかもしれません。2時間ぐらいでさくっと読める本ですし^^。

2007/1/25 01:21 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
不労所得は是か非か?

 先日の株のネタ、やたらと Web 拍手がいろいろと入っていたんですが、そんなにウケがいいネタなのか;。いろいろお薦め本とかありがとうございます〜。ちょっと調べてみますね。

 さて、そんな中にこんなツッコミが。

> 資産運用と考えず、自分も働くが「お金にも働いてもらう」と考えれば「不労所得」と感じなくなると思います

 ええっと、私は「自分以外の人やモノに働いてもらって得る所得」のことを「不労所得」と呼ぶと思うんですが;。もしその文脈で資産運用を不労所得ではないとするのなら、「どの会社に投資するのかを決定し、その人たちにお金という『道具』を使って、金銭面での手助けをする」という仕事をしているから不労所得ではない、という方が適切だと思うんですが、どうでしょう?

 ……と、字面を追っても仕方がないのでもうちょっとツッコミですが、私が基本的に不労所得を好まないのは、

 「何らかの能力をもって生まれた人間は、その能力を何らかの形で人間社会に還元すべきだ。」

という考え方を持っているからです。私の場合、男としてはダメダメでも;、少なくとも他人よりちょっとは仕事ができる能力を授かって生まれている。だったらその能力の部分を何らかの形で生かして、ちゃんと人間社会の発展に貢献すべきだろう、と。私の場合は、それがたまたま「お金を運用する能力」ではなくて、「実務能力」だったので、せっかくなんだからその実務能力を生かして人間社会に貢献したい、と思っているわけです。

 資産家の家に生まれたのであれば、その資産を、お金を本当に必要としている人に貸与する。
 絵を描くのがうまいのであれば、アニメータとか漫画家になってみんなを喜ばせる。
 声がきれいなら、声優さんになってとろけるヴォイスでみんなを魅了する。
 イケメンに生まれたなら、ホストクラブで夢を売る(笑)。

 や、能力を持って生まれた人はずるいから、その「凸部分」を全部削って社会に還元して、みんなが公平であるべきだ、なんて考え方は私は持ってないです(それに近いことを主張する意見は少なからず聞きますが;)。でも人それぞれ、どんな能力やどんな長所を持って生まれたかはまちまちでも、それを生かしてちょっとでも社会に還元する気持ちは持っていてもらいたいなー(=自分のことしか考えないのはどーよ?)、と思うことはよくあります。

 私自身は不労所得は好きではないですが、それは「不労所得がずるいから」じゃなくて、どちらかというと「自分の存在価値とズレていると思うから」だったりします。自分の能力を界王拳で何倍まで伸ばしてどこまでできるのか? それが私にとっての仕事をする楽しみの一つ、ではありますね。

# ……と、こういう発想そのものが貧乏人の考え方だということは分かってますが。
# まあ、人間一人が生きていく分にはどーにでもなるだろ、みたいなところもあったり;。

2007/1/24 01:08 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:臆病者のための株入門(★×5)

 というわけで今日はこちらの書評を一つ。



 や、実はこの手の株関係の本を最近(といってもここ半年ぐらい)ぼちぼち読んでるのですが、その理由はそろそろ資産運用について考えなくちゃいけないなー、と思ったから。や、ぶっちゃけ運用できるほどの資産はないんですが;(← 無駄遣い多いしなw)、しばらく前にちょろっと複利計算をやってみたときに愕然とする当たり前の事実に気付いたから、だったりします。

 例えば今の自分の感覚で、年間 300 万円もあったらゲーム買い放題で愉快な老後めちゃめちゃ裕福で超贅沢な老後が送れるなー、と思ったとする。この場合、じゃあ毎年 300 万円ずつ溜めておけばいいのか? というとそれは大間違い。例えば平均物価上昇率が仮にこのデータを参考にして、年間 3% だったと仮定しましょう(実際にはこれより低いと思いますが)。そうすると 30 年後にはざっと物価は倍になってるわけで、現在価値で 300 万円の生活と同等の生活をしようと思うと、その時点で 600 万円必要になる、という計算に;。つまり、今みたく普通預金にツッコミっぱなしで利息ゼロで放置なんてしてたらヤバすぎ、ということになる。

 要するに、お金を積極的に運用して増やすつもりがなくても、実質的に目減りさせないために何らかの対処が必要、という当たり前の事実に気付いた、という;。← や、今ごろ気付くというあたりが我ながらアホなのですが;。

# ちなみに私自身は不労所得は好きくないタイプの人です。
# で、どっちかというと石橋を叩いて壊す。つまり投資・投機には全く向いてない人です;。

 そんなわけでここしばらく資産運用関係の本を 10 冊ぐらい読んで、どんな金融商品があるのかなぁとかいろいろ調べていたんですが、株のデイトレなんて ECO が忙しくて とてもやってる暇ないし、かといって投信もどれを買えばいいのかさっぱり分からないし、いったいどーすれば状態。読めば読むほど混乱しちゃうし、一方で Web サイトやら銀行やらの資産運用のススメなんかを見てもどう考えてもそれは手数料分だけ損だろみたいなものが多くて困ってしまう。で、結構途方に暮れてやや放置気味だったんですが、そんなときに巡りあったのがこの本。これ、ものすごーく本質を突いてる、と思うんですよ。

 この本、タイトルこそ「株入門」と書かれてますが、おそらく本質は違う。端的に言えばこの本は、個人が資産を管理する際の適切なポートフォリオ(配分バランス)の組み方を解説した本なんですよ。キーポイントを端的にまとめると以下のようになる。

@ 個人のポートフォリオの組み方の本質は、以下の 3 つへの配分率(保持バランス)を決めることである。
・債権(預貯金なども含む)
・株(投信などの派生商品なども含む)
・保険(一種の宝くじ)

A 株の世界で儲ける方法は、本質的には以下の 3 つに分類される。
・トレーディング(デイトレなど):ギャンブル性が高い確率ゲーム
・個別株長期投資(ファンダメンタルズ):価格のゆがみを利用し、割安株を長期保有する
・インデックスファンド:長期的に市場が拡大していく資本主義市場の本質を利用する
上に行くほど吸われる時間が多くなる。なので、仕事とかで忙しい人はなるべく下の方を使うとよい。
逆に、失うものが何もない人はデイトレで一攫千金を狙うとよい。『万が一もしかしたら』大金持ちになれるかも。

B Aのどれで儲けるかを考える場合には、以下の点を考慮に入れる。
・通常、個人においては『本人』が一番の資産になる(=普通に仕事をするのが最も効率がよい稼ぎになる)。
 よってまず日々の仕事をちゃんとやることが一番の資産。これ抜きにしてデイトレなんかやるなw。
・分散投資を考える場合には世界分散を考える。ちなみに日本株は全世界の株取引の15%しかないことに注意。

 って、なるほどめちゃめちゃ分かりやすいじゃないですかこれ。言われてみてものすごく目から鱗で、ああなるほどこうやって考えれば自分に適した資産運用や投資のスタイルが分かるのか、という感じ。

 結局、投資関係の本って、書いた人のポジショントーク(自分にとって有利な発言)になっていることが多くて、「その人と似たような立場の人」にしか役に立たないことが多い。加えてこの本が信用できるところは「ちゃんと働け」と書かれているポイント。日本の普通のサラリーマンの場合には給与所得が最大の資産になることをすっ飛ばしてポートフォリオを論じている本が少なくないのですが、それは常識的に考えておかしい、と思ってたんですよね。この本に書かれていた話ですが、株で億万長者になる人は普通の会社員であることはほとんどなく、かつそれもごく一掴みでしかない。それは、@ 彼らには「失うもの」がもはや何もないのでギャンブルに自分自身をかけることができ、A 幾千もの屍の上にたまたま成功した数人がいて、B その数人のみが大きく露出される、という構図があるからだと分析している。言われてみればそりゃ当たり前。確かにここ数年のバブルで成功した人たちが書いた本って、とても自分じゃ同じことは出来ないよなー、と思うわけで、こういう『全体の枠組み』を示してくれる本の存在は非常に有難かったです。

 ……とりあえず米国の MMF あたりから、とか思ったわけですが、でもなにげに今は円安なんだよなー;。
 まあ暇なときに銘柄探しから始めますか…… ← このパターンが一番ダメなパターンなんだよな;;

# っと、明日は日帰り出張なのでとっとと寝ないと……;。つい E(ry

2007/1/19 00:30 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
あなたとわたしの信頼関係。

 や、最近ちょっとお仕事でかな〜り切ない話があったので書いてみたり。

 先日、あるマネージャから赤字が出そうなプロジェクトへの支援依頼が来たときの話。このプロジェクト、うちの組織の重点プロジェクトの一つで、これがコケるとかな〜りヤバいことは私も分かってたんですが、このマネージャさん、作業の位置付けや全体像もなんにも話さずに、とにかく身体を空けろ、うちの仕事をやれ、の一点張り。

「どれぐらい身体空けられるの? とにかく空けられるだけ身体を空けて欲しいんだけど。」
「いや他にもやらなきゃいけない仕事たくさんあるので;、依頼される内容次第で決めたいんですけど……。」
「いやとにかく空けられるだけ空けて協力して欲しいんだけど。」← ちょっと語気を強めて;
「組織的にヤバいのは分かりますけど、私一人がちょっと協力すれば解決するって問題じゃないじゃないですか。どういう状況で、どんな作業が残ってて、どの部分をどういう形で手伝って欲しいのか、そういう情報がないと判断もできないし、入るにしてもうまく動けないんですけど。」
「いやだからホントにプロジェクトがそれどころじゃなくて、説明する時間も惜しいんだよ。」

 ちょっ;。や、このマネージャさんって以前からかなりデタラメばかり繰り返している人で、普段から部下の悪口も言うし、私自身も結構放置プレイをされていたりする。で、今回も形だけしか頭を下げてないし、説明もめがっさいい加減。そんなデタラメな仕事請けられないですよ状態。とはいえあんまり綱引きしてるのも意味がないしマネージャさんが追い詰められてるのも分かるので、仕事内容よく分からないけど週2日は強制的に空けて、それ以上身体を空けるかどうかは現場で直接内容を見てから判断させてください、という方向で調整。で、その調整がだいたい片付いて言われたセリフが……

「ホントはもっと身体を空けてもらって、もっと重要な○○の仕事やってもらいたかったんだよね。」

 お、おいおい;;。どうして最初っからそういうことを全部洗いざらい話した上で腹を割って調整しようとしないんだよ状態;;。(← 思わずそう言ってしまいましたが;、ちょっと大人げなかった;;。)

 このマネージャさんの問題点って、要するに上下関係の中で仕事を進めようとしてる点なんですよね。けれども、人間同士の信頼関係って、上下関係の中からは生まれない。あなたが私のことを信用してないのに、私にあなたのことを信用して、何でも言うこと黙って聞いてフルコミットしろ、ってのはちょっと都合が良すぎると思わない?? ってことなんですよね。

# ちなみにこの件、私のみならず周囲のマネージャもメンバも、みんなドン引き;。
# 予想通り誰にも助けてもらえず、「あ゛あ゛、やっぱりな……」状態。切ない……;

 この人のためにだったらちょっと頑張ってもいいかも? という気持ちは、契約関係とか人事関係では決まらない。もっとごく単純な、人間対人間の信頼関係によって決まるもの。それはプライベートだけではなくて、仕事上でも同じようなことがある。いろんなお客さん(マネージャクラスの人たち)とやり取りしていて、優秀な方ほどそうした信頼関係の構築が上手だと感じることが多いです。要するに、優秀なマネージャというのは、人の力を普通以上に引き出すことのできる信頼関係を普段から作れる人、なんじゃないかと思うんですよね。

 なんかこのマネージャを見ていて、ホントに他山の石としないとなぁ……と改めて思ったり。普段からウソをつく人が急場になって信頼してもらえないのと同じように、普段から人間関係を大切にしない人は急場になっても誰にも助けてもらえない。アナログな人間関係ってものすごく大切。……と、むちゃくちゃ当たり前のことを改めて実感する今日この頃。

 ……でも私も優しくなかったかなと反省;。どうも私は上に対しては厳しくなってしまう傾向があるようで、この辺も私自身の反省ポイント。厳しさと優しさを共存させることは難しいです;。うむむ。

2007/1/17 00:34 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
思考力の培い方

 ええっと、先日のマインドマップのエントリへの Web 拍手より。

> よければ思考ツールについてもっと書いてみてください

 ……ってすいません、あれだけでネタ切れです;。や、よくこの手の質問は仕事関係で聞かれるんですが、そんなもんがあるぐらいなら私が聞きたいですよ状態。以前、ロジカルシンキングの本とかを読んだこともあるし、トレーニングも受けたことがありますが、ぶっちゃけほとんど役に立たない;。その理由はなぜかというと、こういうのは普段からの訓練が最も大切だから、です。

 私の行動の一般原則として、「納得できないことはやらない」というものがあります。(良いか悪いかは別問題として)「みんながこうだから」とか「一般的にはこうだから」という理由付けでは私は基本的に納得しないんですよね;。もちろん、「みんながこうだから」「一般的にはこうだから」にはほとんどの場合、何かしらの理由があるんですよね。だけれどもそれを何にも考えずに受け入れることは基本的にしない。いやだって納得できないですから;。

 こういうときに、なぜそうなのか、というのを突き詰めて考えてみて、頭の中で分析・整理する。で、納得できたことを可能な限り良い方法でやるようにする。こういうことを仕事でもプライベートでも日常的に行うのが、思考力を養う上で重要なんじゃないかな、と思います。たまに自分でも厄介な性格だなー、とは思うんですが;。(← 納得できないといろんな物事ができない人なので;)

 あー、あとは普段から blog とか書いて自分の思考を整理したり言葉にしてみることもなにげに重要かな、と。こういうのって、意外に若いうちは元気なので自然と出来るんですが、歳を取ってくると意識的にやらないとダメですね;。や、歳のことはゆーな状態ですけど^^。

2007/1/8 03:35 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
マインドマップ

 というわけで今日も引き続き引き篭もり(ぉ)。けろっちゃ氏からは

 あかねさんの すごい ひきこもり

 ……とかいうひどい命名を受けましたが(というかそれはそらにあやまれ!ですよ(笑))、まあ年末から年始にかけてこれだけぐーたらしてるとさすがにどうよという気もするので明日あたりからはぼちぼち仕事しようかと思っていたり。そんなわけで今日はビジネスにも blog 書きにもレビューにも役立つこんなツールを紹介してみたり。や、ビジネスマンであれば割と常識かと思ってたのですが、意外に知らない人が多いようなので。

 日常生活でもビジネスでも、何かと「ぐちゃっ」とした考えを整理しなければならないことは多々あるんですが、こういうときにはマインドマップというツールを使うと結構便利だったりします。



# 久々に要因分析するために結構巨大なツリーを描いたような気が;。

 このツール、簡単に言えば「ロジックツリーの整理ツール」。どんなときに使うのかを説明するために身近な例を挙げてみると、例えばインプレとかをまとめるときに(ぉぃ)、どうも作品のテーマであるとか設定であるとか狙いとかが「ぼやっ」としていて、なんとなく分かるけどホントかどうか自信が持てないことがあるじゃないですか。こんなときには、まずこのツールを使って、思いついたキーワードとか感想をブレインストーミング的に片っ端からメモしていく。で、画面上のノード(アイテム)はドラッグ & ドロップで好き勝手に移動したり接木したりできるので、書き上げた項目を似たもの同士で束ねていくようにグルーピングしていく。こうすると、ぼんやりした思考が綺麗な形で体系化されて、本質的に重要なものが何なのかが見えてくる、というものなんですね。

 マインドマップを描くためのツールとしては Mind Manager という有名な市販ツールがありますが、これはめっちゃ高い;。なので普通は FreeMind というツールを使うと便利でしょう。ドキュメントは英語ですが UI は日本語化されているし、ホビーユースであればこれで十分です。

 もうちょっと詳しく使い方を説明すると、このツールには以下の 2 通りの使い方があります。

@ ボトムアップアプローチ
 ブレインストーミング的にアイディアを出しておいて、あとでこれを「似たもの同志」で適当にグルーピングしてツリー化していき、整理するパターン。
A トップダウンアプローチ
 ある内容をトップダウンでブレイクダウンしていき、各項目を細分化していきながら展開していくパターン。

 この@とAを交互に使いながら思考を洗練化させていきます。私がよくやるのは、ブレインストーミング的なディスカッションになったときに、みんなにバラバラと発言してもらって、これをとりあえず項目として書き出しておき、その項目を見ながらグルーピングしつつツリー構造を作り上げていく、というもの。これによって思考の抜け漏れを見つけたり議論をまとめていったりすることが多いです。

 最初はツリー化するという考え方そのものに慣れが必要なのですが、この「ツリー化」という考え方はこのツールを使おうが使うまいが極めて重要;。逆に、ツリー化という考え方に慣れている人には極めて有力なツールになります。ツールの使い方も簡単だし、慣れると便利なので、是非使ってみてください。

# 内容的にはフィッシュボーンダイアグラム(魚の骨図)なんかと同じですね。
# ロジカルシンキングを求められる職種の人にとっては必携のツール、と言ってもいいと思うんですが、意外と知られていない……;。

 ちなみにもう一点おまけで書いておくと、ツリー展開するときの展開パターンって、基本は 3 つしかないんですよね。

(1) すべて同列の項目が箇条書きのように並ぶ。(A は、X と Y と Z を含んでいる)
(2) 各項目が時系列順の意味を持っている。(A は、X → Y → Z )
(3) 各項目が論旨展開になっている。(結論としては A、その理由は X ならば Y であり、Y ならば Z だからである。)

 (3) は滅多に出てこないので、(1) と (2) が使いこなせるようになれば、ロジックツリー的思考には事足りると思います。まあ日常生活でこんなものを使う機会は滅多にないと思いますが、ちょっと真面目なインプレとか書こうと思ったりするときには結構便利だったりするんですよ? ……っていうかぜんぜん仕事に使ってないじゃん、というツッコミはなしで;。

2007/1/6 00:53 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
生き方の選択。

 さてさて、忘年会からようやく帰宅。コミケ最終日の出撃に向けての最終調整中なわけですが、2006 年最後の blog エントリ、今年はなにげにコミケネタ書いても普通に締めくくれるしどうしたものかと迷ったわけですが、昨年は自分のこと棚上げモードで書いたような気がするので、今年も昨年同様にさらに棚上げ当社比 3 割増で書いてみようかと思ったり。

 今年の自分的 10 大ニュースはなんだったっけかな〜? と振り返ってみるとあいかわらずいろいろあったわけですが(というか blog 読み返すだけでも一苦労ですよ;)、最近に限っていえばやはり大きかったのは ECO との出会い(苦笑)。友人たちからはなにゆえ今さらオンラインゲーなんかにハマるかな? とかさんざん言われましたが、もちろんその理由はキャラがかわいいから、だけではなくて、いろんな意味で自分の思考を刺激される作品だから、ですね。

 以前のエントリにも書きましたが、このゲームの非常に面白い点として、参加しているプレイヤーが異様なほどに他人に対して親切で優しい、という点があります。他ならぬ自分自身がそうですが、実際問題としてこのゲームに参加しているすべての人たちがリアルワールドでも超親切、なんてことはおそらくあり得ない。にもかかわらずなぜ ECO というゲームの中ではみんながこうも優しくなれるのか?

 いろんな原因があると思いますが、私はその一つの要因に、ゲームシステム的な縛りがある、と思うのです。

 確かに ECO というバーチャルワールドの中ではいろんなことができますが、基本的には『悪いこと』『不正なこと』ができないようなシステムになっていて、『他人に対する思いやり』や『親切心』が自ずと評価されるような仕組みになっている。それによって、プレイヤーが持っている『善性』の部分を強烈に引き出している。だからこそ、ソロでプレイしているのにもかかわらずものすごく居心地がいい空間になっている、と思うんですね。

 この話は何もバーチャルワールドに限った話ではない。例えば Disneyland での有名な質問に「清掃スタッフは何人いるのか?」という問いかけがあります。ちなみにこの問いかけの答えは「四万五千人」。いやもちろんキャストさんがそんなにたくさんいるわけじゃなくて(笑)、要するに、この空間にいると誰しもが優しい気持ちになるし、ゴミを捨てるような気持ちにならないし、落ちてるゴミがあったら拾って片付けたくなってしまう。だから、ゲスト全員が園内を綺麗に保ってくれているんだ、という答えなんですね。

 改めて書くまでもないですが、性善説と性悪説はどちらか一方が正しいわけじゃなくて、人間は両方のものを持っている。そのどちらが引き出されるのかは、状況に応じて変わる、ってことなんですよね。

 ところが翻ってリアルワールドはどうかというと、そういうシステムによる縛りがない。や、もちろん法律とかルールとかによる最低限の縛りはあるにしても、こと「どんな生き方をするのか」「何を目指して生きていくのか」ということに関しては、全く縛りがないんですよね。いやそんなの当たり前じゃん、と普通の人なら思うでしょうし、他ならぬ私自身もそう思っていたんですが、いざ改めて考え直してみると、意外に「周囲の環境」とか「状況」に流されて、それを自分の意志と勘違いしちゃってるケースも少なくない、と思うんですよね。

 例えば会社の例で言うのなら、今やっている仕事がものすごく楽しくて充実していて、マネージャからも高く評価されていて、これが自分のやるべきこと! と思ってる人もきっと多いと思います。や、もちろんそれはそれでいいのですが、でもある一定以上のポジションにつくと、何をするべきか、どんなことをするべきかに関してのフリーハンドがものすごく増える。要するに、自分のできることよりも、依頼される仕事の量の方が多くなるので、その中から何を取捨選択し、どれを優先的にやるのかを自分で決めなければならない。そのときに、ラクな仕事を選ぶのか、実入りのよい仕事を選ぶのか、自分の信念に合ったものを選ぶのか、人のためになる仕事を選ぶのか。どの仕事をどういう基準でどんな考え方に基づいて請けるのか。それらは全部、自分で決めなくちゃいけないんですよね。(これは自分で会社を興して起業しているような方であればなおさらのこと。)

 あるいは、日常的な対人関係や生き方についても同じような話が言える。誇り高く生きようとするのか、流されるままに楽しく生きるのか、ストイックに道を求めるのか、正しいことを正しくやる道を選ぶのか、楽しくみんなが笑っていられるような道化でいることを選ぶのか、正義の味方でいることを選ぶのか。

 そういうのって、どれがいいとか悪いとかの問題じゃないし、何をやるのが正しい、なんていうルールはこの世にはもともと存在しないんですよね。何を目指して生きるのか、どんな自分ルールを持つのか、そしてどんなことをやるのか。それを選んでいくことは、きっと、その人にとっての『自分の生き方を選択すること』に他ならない、と思うんですよ。

 自分の人生をどんな自分色にしていくのかは人それぞれ自由。今さらポストモダンだとかあれこれ書く気もないのですが;、いずれにしても個々人が生き方を選択しなければならない時代になったのは確かでしょう。例えば、清く正しく生きましょう、なんてことを言う気は私はさらさらないですが、その理由は、そんなふうに生きたからといってその人が幸せになれるとは限らないから。同じように、「みんなと同じように生きる」ことが幸せかといえば、どんな人でもそれで幸せになれるわけではない。かといって斜に構えて世の中をシニカルに見ても、自分に何かが残るわけではない。幸せになりたければ、自分で自分なりの幸せの形を定義して、それに向かって頑張っていくしかない。いや当たり前といえば当たり前なんですが、それが昔以上に求められてきている、そんな時代になりつつあるんじゃないか、という気がします。

 そんなことをつらつらと考えていた自分にとって、今年一年間を振り返って大きかったと思うのは、新たに自分ルールを一つ追加したこと。多分、言葉だけ書くとめちゃめちゃ語弊があるとゆーかむちゃくちゃ誤解されそうな気もするのですが;、自分を戒める意味で文字にして書いておくと。

 「自分を物語の主人公にしない。」

 あらゆる物事の勘違いはここから始まるし、これを乗り越えないと自分はきっと自分的に幸せにはなれないんだろうなぁ、と思ったり。それはあまりに不毛な自分ルールだ、とツッ込む人も多そうですが、まあそれはそれ。あ゛〜、これが自分のすべての勘違いの元なのだ、とようやく気付けただけでもラッキーなわけで、どこまでこのルールを守れるかは分からないけど、もう一度頑張ってみよう、と思った年でした。まる。

 ……と、な〜んか微妙に湿っぽいエントリになっちゃいましたけど、たまにはこんなエントリもいいんじゃないかと思ったり。ま、なにはともあれ、みなさま、良いお年を〜!

# あ、そうそう、今年はな〜んと blog フルコンプなんですよ。我ながら凄いw。
# いや実はこれが今年最大のニュースかもしれません。(笑)

2006/12/31 02:52 | 4.雑学&雑感 | コメント (3) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
フリーザ様に学ぶフリーター問題

 のっけから実にどうでもいい話ですが、最近、ティファールの鍋か圧力鍋が欲しい(笑)。や、今日の晩ご飯はクリームシチューだったんですが、小さな片手鍋が一つしかないので、煮込み処理が並列魔術できないしクリームシチューもうまくかき混ぜられないのでタマネギ焦がしちゃうんですよね;。んー、ゆかりんチケットでは涙を呑んだので、自分用クリスマスプレゼントに今度探してみるかな状態。(ぉぃ)

 で、それはともかく、こたつさんに教えてもらったんですが、これあまりにダークすぎる……;

・フリーザ様に学ぶフリーター問題
 http://gazouko2.tripod.com/img/seli-1.html

 っつーかすいません、不謹慎ですが吹きました;。これ、シリーズものらしくてその2その3まであるんですが、元ネタは何かと聞いてみたらこれらしい。

・「就職できない人は欠陥品」 近畿大HPをめぐって議論
 http://www.j-cast.com/2006/11/27004007.html

 あ゛〜、と思わず唸ってしまったり。言いたいことは分かるし危機意識の欠如というのは事実なんだろうけど、こんなこと言ったからといって事態が改善されるわけではない(=学生が危機意識を持つに至るはずがない)んですよね。これに似た話なんですが、前回の N.H.K. のラストで、思いっきり突き刺さったセリフがあるんですよ。

 問い。なぜひきこもり続けられるのか?
 答え。衣食住が保証されているから。
 なまじっか最低限の生活が許されているから、いつまでもひきこもりでいられるんだ。
 ひきこもってられるってのは、それ自体、とても贅沢なことだったんだ。
 衣食住の保証がない状態で、死ぬ覚悟もなかったら、働くしかないんだ……。

「おめでとう、佐藤くん。ついに引きこもり脱出だね……」


 このセリフの意味するところは何か。要するに、本当の意味で追い詰められれば自ずと人は変わっていくし、逆にそういう状況でない場合には意志を持って自ら変わっていくことは難しいってことだと思うんですよ。それは別に引きこもりとか就職活動とかに限った話じゃなくて、『今さしあたり困っていない』という状況に対する危機意識の欠如に関する一般則。そしてそういう自分への『甘え』に対するペナルティは、結局回りまわって自分に刺さり、そのツケは自分で払わざるを得なくなる、ということだと思うんですよね。

 や、そういう私自身、明らかに『ツケが回ってくる』ことが確実な問題というのをいくつか認識してるわけですが、いずれどっかでツケを払うことにはなるんだろうなー、とは思っていたり。どんなに願ったところで起こらないから奇跡って言うんですよなわけで;。

2006/12/18 00:13 | 4.雑学&雑感 | コメント (8) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:ノベルゲームのシナリオ作成技法(★×5)

 そんなわけで国外からの投入エントリの最後は書評を一つ。たまたまヨドバシの書籍コーナーで見かけたこの本を購入して読んでみたり。



 や、CLANNAD のことみシナリオや planetarian などを書かれた涼元氏による、ノベルゲームのシナリオライターのお仕事に関する How-to 本。もちろん私はその手の業界の人ではないのですが、ちょっと興味を覚えてざっと読んでみたりしたのですが、これがめちゃめちゃ面白い。例えばしょっぱなから一刀両断。

 いきなり話の腰を折って申し訳ないのですが、これだけは言わせてください。
 シナリオライターって、そんなにいい商売ではないです。


 ……まあこの程度は序の口で、次から次へと出てくる我々の儚い夢を奪う解説の数々w。

・恋愛ゲームのキャラは愛玩動物であれ。
・主人公は、「受け手が共感できる等身大の主人公」「受け手の理想となるあこがれの主人公」を兼ねるのが望ましい。
・恋愛ノベルゲーの最凶最悪の大惨事は、『ヒロインの名前が母親とモロカブリ』である。
・人間は状況に応じて『泣くように出来ている』のだから、単に泣きゲーを作る『だけ』なら、そう難しくはない。

 うーわー、言っちゃったよおいみたいな感じですが^^、こんな内情暴露みたいなぶっちゃけ解説がある半面、ものすごく理にかなった企画やシナリオライティングのテクニックに関する解説もある。

・大きな嘘をつくために、小さなホントを積み重ねるのが創作の基本。
・リアリティーが買えるなら、金に糸目をつけるな。
・イケてる企画か自信が持てない場合の簡単なチェック方法は、作品を一言で言い表せるかどうか。
・声優さんとのイメージすり合わせに時間をかける。

 そしてなによりこの本で感心したのは、細かい技法・テクニックよりも前に、まず理念みたいなところをきっちりと説明しているところ。当たり前ですが、漫画とかアニメ、ゲームといった業界は遊びの延長線で入っていけ(そうに思え)る側面があるし、なんとなく輝いてみえる世界であるが故に、「夢を見てしまう」業界でもある。けれども現実はそう甘くはないわけで、きちんとそういう点についても読者に問いかける内容になっているのが良い。それは業界の先輩として最も重要なアドバイスでしょう。

 いかがでしょう? 面白そうですか? それとも読むだけでうんざりしましたか?
 どちらにせよ、これだけは覚えておいてほしいです。
 ノベルゲームというものは、作り始めてすぐにできるものではありません。
 残りの人生の何十分の一かを、一本のゲームに費やすことができるでしょうか?
 プロを目指そうという方は、まずこの点をじっくりと考えてみてください。


 や、私は IT 業界のコンピュータシステム開発を知ってるし、いわゆる書籍も書いたことがあるのですが、ノベルゲームの開発って業界は違えど通じるものがたくさんある。良いものを作るために不要な部分は惜しまずに切り捨てるだとか、デバッガと開発者の関係だとか、仕様管理や予算管理の基本だとか、結局モノ作りやモノ書きの根幹はどの業界であっても結構近いんじゃないか、と思えます。(涼元氏自身、もともとノベルゲーム業界の人ではなくて、最初は普通の小説家だったわけですが。) 細かいもの書きとしてのテクニックも自分の仕事に吸収できるところがあったりと、なかなか読んでいて面白かったです。……というか勉強になるので付箋貼り付けながら読んでしまった;。最後の一節は、私も身に覚えがあるし絶対に肝に銘じるべきことだな、と思ったので備忘録に。

 昔、小説を書いていた頃、先輩の作家さんから聞いた言葉があります。

 必要なのは、根拠のない自信と、悪評を聞き流す耳

 『根拠のない自信』の方は、創作を志すような者なら大抵売るほど持っているから大丈夫でしょう。
 問題は、『悪評を聞き流す耳』の方です。
 褒められれば嬉しいし、貶されれば悔しい。これも当たり前です。ですが褒め言葉より悪口の方が10倍……いや、100倍はこたえるものです。
 そしてなお悪いことに、無反応はそのさらに1000倍は饒舌と来ています。

 全部、聞こえない振りをしましょう。ですが、褒め言葉だけは聞きましょう。特に、どこがいいかを詳しく褒めてくれる言葉は、何遍でも聞きましょう。
 そして聞こえない振りをしつつも、それでも聞こえてくる聞きたくない批評だけは、悔しいからそれとなく覚えておきましょう。
 全ては次の作品のために、です。


 この本、もともと涼元氏がよく「シナリオライターになりたいんですけど」という相談を受けることもあって、意外にノウハウや How-to が整理されていない & 公開されていないこの業界のノウハウをある程度明かそうとしたものみたいですが、こういう本はめちゃめちゃ貴重ですね。一般的にこういうネタは専門性も高いノウハウなので門外不出のモノとして OJT 形式で親方から弟子へと引き継がれるものだと思うんですが、これらをきちんと整理して一般に流布するという行為は、業界そのもののレベルの底上げという観点から見たときにものすごく貴重なんですよ。こういうものって、自分のノウハウが失われることを心配して『隠して』しまうものですが、むしろ積極的にオープンにしようとするその姿勢には非常に感心します。また機会があれば是非こうした書籍を書いてもらいたいものです。

2006/12/9 00:12 | 4.雑学&雑感 | コメント (3) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
歴史は繰り返す。

 や、先日の某エントリへの Web 拍手ツッコミより。

> 最近まちばりさんはエロゲやらなくなっちゃって寂しい…。>ほぼエロゲオンリーな人

 ぐあ(苦笑)。先日ちょうどそんな話をしたばっかりだったので、あいたたた、状態^^。

 まあ理由はいくつかあるんですが、一番大きな理由は ECO の方が面白いから。……って廃人まっしぐらな発言してどうするよ状態なわけですが、実のところこれは今回に始まったことじゃなくて、私の趣味は以下のものをあっち行ったりこっち行ったりでローテーションしてるんですよ。

・マンガ
・アニメ
・ゲーム

 ……って典型的なダメヲタだろ、とツッコミを受けそうですが;、今から 5 年ぐらい前の時期ってちょうどアニメが非常につまらなくなっていた時代で、それに対してゲーム(特にエロゲやギャルゲ)がものすごく進化した時期だったんですよね。Kanon や AIR といった超大作はもちろんのこと、Phantom, 月姫, Sense Off, 水月, Ever 17 あたりが立て続けにリリースされていったのが 2000〜2002 年頃で、この頃、ゲーム(特にエロゲ)に質的転換が発生したんですよね。つまり、いわゆる「免罪符」さえ装備されていればあとは哲学を語ろうが心理学を語ろうが何しても OK、みたいなモードに。このおかげでゲームの幅がものすごーく広がって、めちゃめちゃ面白いゲームがたくさん出続けた。けれどもここ数年は逆にそれがパターン化されてしまって「新しいモノ」がものすごく減ってしまったんですよね。ここ数年来で見た作品の中で新しい可能性を感じたのは School Days ぐらい。

 逆に、ここ数年はアニメが随分面白くなってきた。低コストでのアニメ生産手法が確立されてきたせいだと思うんですが、大量の深夜枠アニメが制作されるようになって、結果として作品の幅が広がってきて『好きなものを見られる』環境が整ってきた印象があります。まあ直近 1 年ぐらいは企画の弱さが目立つようになってきて安易なパターンアニメが多くなってしまったようには思いますが、それでも京アニをはじめとする一部の作品は桁違いのクォリティ。ここ最近はコミックスも新進気鋭の若手作家がぼちぼち出てきて、作品に幅が出てきた感があって面白い。

 や、ヲタって『新しもの好き』じゃないですか^^。なんつーか、同じものばっかり食べてるとどんどん食傷になっていく。よく言えば知的好奇心、悪く言えば浮気心を満たしてくれるメディアを次々と乗り換えていく。そんな中で今のところはちょうどアニメとかがメインになっている、という感じですね。や、最近はなんか ECO 専門になっているような気もしますが、これが気に入ってる本質的な理由はおそらく新しさ(=従来のゲームにはなかった、質的に異なる面白さがある)、なんですね。

 そういう意味で、やっぱり Wii の今後にはめちゃめちゃ期待してしまうところ。タッチペンと2画面パネルという、技術的には全く難しいところのないゲーム機であれだけの新しいものを作り出した任天堂が、Wii で果たしてさらにどこまで幅を広げてくるのかが楽しみなところ。こういう新しさがあるからヲタはやめられないのでありますよ隊長w。

 ……とか書こうと思ってたら先日のエントリへの Web 拍手でこんなツッコミが。

> オフ会参戦おめでとうございます。しかし手広いですね。

 う゛あ゛、単に節操がないだけなのか自分??;
 いや、一応コアな部分は特に変わってないんですけどねぇ。というか基本ベースラインというかホームグラウンドはやっぱり創作少女系とか少女漫画系なわけで^^。

2006/12/5 01:52 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:サービスの花道(セオリー)(★×3)

 というわけで出張期間は溜め込んでおいたネタを順次投入してみたり^^。まずはしばらく前に本屋めぐりをしている最中に見かけたので買ってみた本の書評を一つ。



 や、「サービス」について様々な業界・業種の著名人や一流人に語ってもらった話を一冊のムック本にまとめた本。昨今様々な業種で「サービス」という概念がよく引き合いに出されるようになりましたが、実際この概念は営業活動のテクニックというよりも、人生とか日常生活をよりハッピーにするための基本となる考え方でもある。残念ながらすべての記事が必ずしもいいというわけではないんですが(ただのタチの悪い客としか思えないような気分が悪くなる記事もある;)、全般すればものすごく示唆に富んだ一冊なんじゃないかな〜、と思ったり。

 中盤の「客の心をつかむプロたち」なんかはものすごく面白い記事が揃ってますね。リゾート病院や老舗料理屋、高齢者ホームや温泉といったサービスに直結する話はもとより、新幹線のカリスマ社内販売員の記事などは非常に興味深い。新幹線という限られた条件の中で通常の社内販売員の 10 倍以上を売り上げるというのは普通には考えがたいですが、書かれているこぼれ話を読むといろんな意味で納得。ワゴン一つで 30 万円という、小さなコンビニに匹敵する売り上げを叩き出すというのはやはりプロフェッショナルそのもの。普段気付かないところにこんな人がいる、というのにもびっくりです。

 あと興味深かったのは、セブンイレブンの会長を勤めていた鈴木敏文氏の語録の一つ。よく「日本の消費者のニーズは多様化した」と言われますが(私もよく書いている;)、鈴木氏はむしろ逆で、「日本ほど画一化している国はない」と主張していたんだとか。その真意は要するにこういうことらしい。

・今の日本は世界でも希なほどに商品のライフサイクルが短くなっている。
・ある商品に一気に人気が集中したかと思うと、長続きせずに短命に終わる。
・次々と商品が出てくるのである期間を取ってみると多様化しているように見える。
・しかしある瞬間について見ると、みんなが同じモノを買っていて非常に画一化されている。

 つまり、ライフサイクルの短期化こそが本質だ、というのですね。いやこれは確かにその通り。なのはがブームになったかと思えばハルヒが大ブレイクしたりとか、確かにある瞬間を見るとブレイクしている作品が存在しますね。

 さらにお詫び状の書き方などのビジマナ的な話題なんかも掲載されていて、非常に話題豊富な一冊です。サービスに興味がある方は読んでみると面白いかもしれません。

# そういやこの本、講談社なのに Disney の話が載ってないですね。
# まあこういうムック本でちょろっと引き合いに出されるような企業ではない、ということなんでしょうけど。

2006/12/4 02:45 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
希望格差社会、かも;。

 ぼちぼち 12/2 の Wii 発売に向けて、果たしてどこに並べばよいのかといろいろ調査をしているわけですが、新宿ヨドバシで夜 12 時前にアウト(800 台ぐらい?)とか、秋葉原ヨドだと午前 5 時半で 1850 人ぐらいでアウトとか、池袋ビックで 1250 台入荷で始発でも OK だったとか、いやいったいどうしようかと迷うわけですが、それにしても多かったのが複数方面で報じられている中国人の転売師たち。

 や、PS3 の行列のときにも隣の中国人の女の子とずーっと 6 時間ぐらいほとんどぶっ通しでおしゃべりしてて、いったいなにやってんだ状態だったわけですが、この子も当然のように転売目的。もともと中学校のときに見たスラムダンクでアニメにハマり、以来、SF 小説や恋愛小説などを中心にいろいろ摂取。ブリーチ、ワンピ、テニプリ、ヒカ碁、デスノ、などなど腐女子アニメを総なめにしつつ、趣味と実益を兼ねて日本語コースに進み、大学卒業後に大学院のために日本に留学しようと単身乗り込んできたんだとか。ちなみに好きな小説は銀英伝、だけれどアニメ版のラインハルト様は彼女的に萌えないらしい^^。で、最近では何見てるの? と聞いてみたわけですが、日本に来てからは忙しくてとても見られない、とか。聞いてみるとそりゃ確かにそうだわ、と。

 この中国人の女の子、大学出てすぐに日本に来たので本人は 22 歳。21 歳と 19 歳の女の子とルームシェアして暮らしてるそうですが、月 9 万円で 10 畳ぐらいの部屋を共有(ただし光熱費・水道・インターネットは使い放題)。昼間は学校、夜は知人経由で紹介された銀座の中華料理店でアルバイト。ちなみに私も知ってる有名なお店だったんですが、聞いてみたら時給はたったの 1000 円ちょっと。最近は入国管理局がかなり厳しくなっているせいで週 20 時間というバイト上限が決まっているらしく(バレたらあっさり強制送還)、フルフルで働いてもそんなにお金が取れるわけではない。とにかく大学院に受かって奨学金を取れないとどうにもならないために勉強に励むという、まさに苦学生そのもの。PS3 の転売でお小遣い稼ぎならぬ生活費稼ぎをしようというのも、話を聞けば無理もない。

 けれどもこの子、ひと目見て育ちのいい子だなー、と思わせる雰囲気の良さが至るところにあったんですよね。お金はかかっていないけど小ぎれいな外見、バランスの取れたセンスのよいアクセサリ類、そして目つきの良さ。外見だけだと一瞬中国人と分からないし、コミュニケーション力も高いし基本能力も高い。普通、外国人の方だと「日本語ができないから」という言い訳を立ててしまうけど、この子に関して言えば日本語もめっちゃ堪能。

 同程度の能力と日本語力を持つ、同い年ぐらいの日本人の女の子だったら、おそらくは遊び転げているのがごく普通なのにもかかわらず、彼女はなんでこんな苦労を強いているのか? それはおそらく『システム』によるもの、なんですよね。

 製造業などはまだしも、多くの業種で日本企業の実力の空洞化が進んでいると思うんですが、IT 企業なんかにいるとそれは強く実感するところがある。中国やインドのエンジニアに比して日本のエンジニアの人件費は数倍〜数十倍ほどの開きがあるわけですが、それでもなんで日本人のエンジニアが存在するのかといえば、それはひとえに「言語の壁があるから」に他ならない。けれども日本人の果たしてどれだけが、この高い『言語の壁』に守られているという実感があるのだろうか、と考えると、先行きものすごく怖い、という感があるんですよね。

 PS3 を買い終えた後、彼女は同じ留学生の友達と一緒に教科書を探しに行くんだといって去っていきましたが、なんというか彼女の話を聞いていて、彼女の努力が少しでも報われる世界であって欲しいな、と思ったり。真面目に頑張っている子が、ちゃんと報われるような社会システムであって欲しいし、こういう格差はなくしていかなくちゃいけないんじゃないかな、と。

 そしてそういう格差がなくなったときでも生き残れるように、ちゃんと手に職をつけて「世界市場」で闘える実力をつけていないといけないのかもしれません。……や、ハードルはめっちゃ高いですけど;。

# で、どーでもいいですが、なんか 12/3 から海外出張っぽいんですけど;。
# ……っつーか Wii 買ってもいきなり放置プレイぽいのですが;;。
仕方ないので DLR でも行って(ry ← っつーかこのシーズンは近づいてはいけない場所のような気も;

2006/11/25 01:01 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
論理展開のクセ

 少し前の話ですが、Web 拍手にこんなツッコミが。

> 相変わらず他の誰かの回答を引き合いに出して「それは違うんですよね」と正論を提示するのがお好きですね。

 あ゛、あ゛た゛た゛、ご、ごめんなさい状態;。ついいつもの悪いクセが;;。

 これ、実際ご指摘の通りで、こういう論理展開をしているエントリ、確かに多いです。正論を示せているかどうかは不明ですが(ただ持論を述べているに過ぎないので;)、どっちにしてもこういう論理展開が読んでる方々を不愉快にさせる危険性は多分にあるので気をつけないと、なんですよねぇ;。ううっ、すいません〜。m(_ _)m

 確かトヨタの話だったと思いますが、現場での社員の教育の中に、「なぜ」を三回繰り返せ、というものがあるらしいんですよね。ちょっとでもひっかかりを覚えたもの、違和感を感じたもの、疑問を覚えたものをそのまま放置せずに、「なぜ」を繰り返して本質に近づいてそれを改善していくべきだ、というもの。で、私も似たような発想をいつもするようにしているんですが、そのままの形でエントリを書くと……ううっ、ごめんなさい;;。

 しょせんは個人の雑記用 blog なので軽く流して〜;、と甘えたくなる部分もあるんですが、とはいえついこういうエントリを書いちゃうのはやっぱりクセなんですよね。うむむ、気をつけないと、です;;。

2006/11/23 02:34 | 4.雑学&雑感 | コメント (3) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
手段と目的

 ここ最近、会社からの指示でリーダ育成研修みたいなのを受講していたり。おかげで最近はたまに早起きしなくちゃいけなかったりで勘弁してよ状態なわけですが(ぉ)、しかし内心としては何で今さらこんな研修を、状態だったり。や、今のポジションになったのは数年前なので、今さらこんな研修受けてもなー、という印象。単に枠の数が決まってるので年上の人からという日本企業にはありがちな理由っぽかったですが、一緒に参加した人たちの話をつらつらと聞いていて、な〜んか違うよな、と思ったり。

 しょっぱなにオリエンテーション的なものがあって、そこでこんな設問があったんですよね。

 「簡単な自己紹介と、リーダシップを発揮して挑戦してみたいことなどを、1 分でプレゼンしてください。」

 さて、みなさんだったらどう答えますか?
 もちろんタイムキーピングが出来てないのは論外として、非常に多かった(というかほとんど)のがこんな感じの答え。

 「この研修でリーダシップ力を身につけて、組織を○○のようにしていきたいと思います」
 「私がリーダになったら、○○をしたいと思います」
 「もっと会社をよりよくしていくために、この研修でリーダシップ力を身につけていきたいと思います」

 この答え、当たり障りのない無難な答えなんだけど、手段と目的を取っ違えてるんですよね。

 や、どういうことかというと、リーダシップ力というのは発揮しようとして発揮できるものではない。つまり、発動型のスキルではないんですよね。リーダシップを発揮している真のスペシャリストというのは、「リーダシップを発揮して」何かをしているのではなくて、何かをしていると、結果的にそれが「リーダシップ力」を伴っていると評される、という類のものなんですよ。

 例えば、プレゼンテーション力が高い人、っていますよね? でもおそらくその人は、「プレゼンテーション力の高さを発揮して」分かりやすい説明をしているのではなくて、分かりやすく何かを解説していると、結果的にそれがプレゼンテーション力の高さとして評される、んですよ。そういう観点で見ると、実はこの設問自体がちょっとズレている(というかやや誘導的な設問になってる)んですよね。

 もちろん正解のない設問ではあるんですが、リーダシップを発動型スキルであるとか役職に伴う権限だと勘違いしていると、こういう答えが出てきてしまうんじゃないかなー、と。じゃ、ちなみに私はどう答えたのか? というと。

 教えな〜い。

 ……ってゆかりんネタ知らないと分からないよなこれ;。
 ま、でも敢えてここでは答えないことにしておきたいと思います。や、ちょっと恥ずかしいしw。

 リーダシップというのは、周囲よりも頭一つ飛びぬけて、みんなを引っ張っていく力。では、それに必要なものは本質的に何なのか? ……というのを考えると、実は自ずと答えが出てくるものじゃないかと思います。

2006/11/16 00:20 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
夢とか希望とか最初に言い出したのは〜♪

 や、先日某氏と Messenger で会話していたときの話。

「まぁ、めったに実家に帰らないので実家に帰ったついでにいろいろとさせたい事が多いらしい。」
「いろいろさせたいことですか。いろいろ想像できるな、とか言ってみるテストw。」
「先日、前哨戦をしたところですので。」

 あ゛〜、いわゆるお見合い話ってヤツですか。某氏も実家に帰ったときにツッコミ入ったそうですし、さらには某所でめがっさいい話も聞いたりとか、重なるときにはいろいろ話が重なるものだなぁと思う今日この頃。とはいえいろいろ気を遣ってもらえるのはめっちゃ有難い話ですよきっと? ……という私も最近、会社の同僚が結婚したおかげで「なんで結婚しないんだ」と上司からツッコミ入れられたばかりではありますが、や、そんなの知らないよと他人事のごとく言ってみるテスト(苦笑)。

# ちなみに先日設置したアンケートで一番投票が多かったフリーコメントはこれ。
# 「たいしたものです。ある意味尊敬してます。ご結婚のご報告を期待してます。
# や、みなさん心優しい暖かいコメントありがとうございますですよ〜。(涙)

 ま、ちょっとだけ真面目モードで答えると、なんで結婚しないんだという質問に対する私の答えはものすごく単純で、要するに自分の中でもっとプライオリティの高いものがあるから。確かに人生って「型から入る」みたいな側面もあるとは思うんですが、重要なのは「自分の人生にとって何が大切なのか or 何を大切にしたいと思っているのか」を見極めることじゃないか、と思ってるんですよね。そのゴールと方向性がズレてないのであれば結婚するのもぜんぜん agree、っつーかむしろ welcome ですけど、そこを捻じ曲げるような結婚はある意味あり得ないわけで。

# ちなみに私は「奥さん」は要らないけど、一緒に歩いていける「パートナー」は欲しい人、ですね。
# や、基本的に私は寂しがり屋さんなんですけど、かといって物事の考え方のコアが同じ人じゃないと、
# 結局、自分のことも相手のことも不幸にしちゃうじゃないですか。
# そんな人に巡り会えたら僥倖でしょうけど、私みたいな偏った思考と一致する人っているのかなぁ状態;。

 もっともそれ以前の話としてあんたに選択権なんてないというセルフ突っ込み;。や、売れ残りな自分の場合、肩書きとかの属性以外に見どころがないのも事実なわけで、かつてリアルマイシスターが私に言い放ったセリフ。

 「お兄ちゃんみたいな人を結婚相手に選ぶぐらいなら、もっとお金持ちの人を選ぶよ。」

 思わず自分で「そりゃそうだよなぁ」とうなづいてしまったあたりが我ながら終わってるんですが;、自分のことを身近で知ってる人からの評価がこんなんでは推して知るべし。や、身内ならではの冷酷さですが(苦笑)、とはいえこういうセリフを言われると冷静になれます。回りくどく言われるよりも分かりやすいし、歯に衣着せない客観的評価は重要ですよ、ホントに。

 まあそもそも性悪ぷち引きこもりヘタレゲーマーという自分の本来の身の程を弁えていればあれこれ悩むこともないわけで、その辺が重要なんだよな〜、と思う今日この頃。実はこの辺は語りだすとキリがないわけですが、それこそただのヤバい人なのでやめておきます;。

 さて、今日もこれから ECO に潜るか…… ← 優先度の高いことってそれかーw

2006/11/9 01:30 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:新平等社会〜「希望格差」を超えて(★×3)

 先日のけろっちゃ氏との会話。

けろっちゃ氏「しかし、先生のブログのECO占有率、かなり上がってますね。w おそらく3割越え。」
まちばり  「あれ? そんなに多い?;」
けろっちゃ氏「うーむ。そんなものでは?」
(慌てて確認してみる……)
まちばり  「げっ、確かに多い;。(気付いてないよこの人;」

 ……というわけで今日は普通の話題を一つ。やや遅ればせながらこの本をようやく読破。



 これ、有名な『希望格差社会』を書いた著者 山田昌弘氏の最新の著作。混迷する格差論争に終止符を打つ決定本、などといった煽りが付されていて、はたしてどんなもんかなー、と読んでみたわけですが、結論から言うとかなり微妙。や、書かれていること自体は個別には間違ってないような気がするし、まあ納得できる部分が多いんですが、全体となるとなんか腑に落ちないというか、違和感があるんですよね、この本。

 要点をまとめるとこんな感じ。

・希望格差が存在すると、社会の永続的発展が失われることになる。
 例えば、企業が自社利益と経済合理性のみを追求していると環境破壊などが進んでしまい、結果的に永続的な経済発展性が失われてしまう。同じように希望格差がこれ以上進むと社会の安定性(治安の悪化など)が無視できないほどに大きくなり、今現在、勝ち組と呼ばれているような人たちも結果的には不利益を被ることになる。よって適度な是正を行い、社会の永続的な発展を取り戻すことが必要。

・施策を考える場合には、「普通に働いていれば普通に報われる」ようにすることがポイント。
 収入格差や家族間格差が拡大するのはニューエコノミーによるものなので、不可避なものである。一方で、普通に働いていても未来に希望が全く持てない社会では、希望の喪失が発生する。重要なのは、ニューエコノミーを否定することなく、「普通に働いていれば普通に報われる」ことが保証されるような社会を取り戻すことである。

 で、そのために所得の適度な再配分を初めとする様々な方策を掲げているわけなんですが、ここまで読んで「??」となっちゃったんですよね。書かれている方策自体にはおおむね異論はないんですが、根本的なところに違和感を感じるんですよ。

 ……で、いろいろ考えてみたわけですが、ああ、なるほど納得。この論旨は山田氏自身の前著での論説と矛盾しているのだ、と。この本に足りないもの、それは「過度に行き過ぎた、肥大化した『期待』の冷却システムの構築」だと思うんですよ。どういうことかというと、確かにこの本の言うように、「普通の人が普通に働けば普通に報われる」ことは重要でしょうが、じゃあ『普通』とはどの程度をもって普通だとするのか? 巻末のまとめにはこんなふうにあります。

 そこで、人々の意識の上でも、社会制度の上でも、「生活の構造改革」を行わなければならない。5章で、希望格差社会を反転させるための施策を具体的に述べてきた。もう一度繰り返せば、@「努力すれば誰でも」生産性が高まり評価できる職につける保証、A「努力すれば誰でも」人並みの生活水準が維持できる保証、B「努力すれば誰でも」新しい価値観をもって希望のもてる生活ができる保証である。
 そして、この保証は、市場に任せていたら自動的に達成されるものではない。経済改革が政府の関与の下に行われたように、生活の構造改革をどのように進めるかがこれからの日本の政府の課題となっているのである。


 前著において山田氏は、従来の日本では教育パイプラインシステムが「膨らみすぎる希望」の適度な冷却システムになっている、と論じていたと思うんですが、このパイプラインシステムの肝は、山田氏自身が述べているように、それが『努力』と『結果』の相応なバランス関係を示す指標になっていたこと、だと思うんですよ。ところが今日では、

・パイプラインシステムに漏れが生じると同時に、そこからの復活が理論上ありうるようになった(=敗者復活戦が認められるようになった)
・オールドエコノミーにおいては突出した大金持ちは数的にごく限られていたし、そうした人たちがことさらにマスコミなどに取り上げられることはなかった。
・しかし今の時代では、そうした人たちが実際に経てきた『努力』がすっ飛ばして報じられ、『結果』だけが一人歩きし、それによって普通の人が身の丈を越えた期待感(夢)を抱き続けてしまっている

 それによって適度なバランス感覚が失われ、結果として『努力と能力に即した分相応の生活』がどの程度なのか、ということに関する客観的な尺度が失われてしまった。それこそが現在のような混沌の生まれる中核原因なのではないか? と思うんですよ。端的に言えば、『努力』と『結果』の相応なバランス感を取り戻して納得してもらうこと、それをセットにして考えないと、山田氏の言うような様々な方策も『砂地に水撒き』の施策になってしまうんじゃないか、と思うんですよね。

 分かりやすく例えて言うなら、お見合い結婚システム(?)が壊れた今日の自由恋愛市場においては、客観的な努力と結果バランスを示す指標が『リアルな現実』しかないのと同じように、教育パイプラインシステムが壊れた今日の社会システムにおいては、客観的な努力と結果バランスを示す指標は『リアルな現実』しかない。結局、身の回りなんかを見ていても、幸せそうにしている人はいろんな意味で「身の丈」を弁えてる人じゃないか? と思うだけに、山田氏がここで述べているような「バラ撒き底上げ(だけの)アプローチ」には違和感を感じずにはいられません。や、もちろんこれはこれで必要だけど、それだけだと足りないかな、という意味で。

 とはいえ、じゃあバランス感覚を取り戻すために必要なシステムって何か? といわれると、ごめんなさいまるで想像も見当もつきません、という感じなのでぜんぜん説得力がないわけですが;。や、私が思いつくぐらいならきっと誰かがとうの昔に考え付いてると思うんですけどね;;。

2006/11/7 00:35 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:「性愛」格差論〜萌えとモテの間で〜

 というわけで今日はこの書評を一つ。



 や、書店でつらつらと本を眺めていたらまたこの手のタイトルか、と思ったわけですが、著者を見て思わず即買い。これ、「負け犬の遠吠え」を書かれた酒井順子さんと、ヲタ系分析大好きな精神科医の斉藤 環氏の対談本じゃないですか。しかも巻末にはこんな煽り文句が。

 金があっても必ずしもモテない(!?)時代。格差は「金持ち/貧乏」「モテ/非モテ」「既婚/未婚」等と入り組む。趣味の「棲み分け」が進むなか、男女が番わない(つがわない)理由を徹底解明。

 いや負け犬代表の酒井さんとヲタク代表の斉藤氏のこのネタの対談が面白くないはずがなかろう! というわけで読んでみたわけですが、めっちゃ面白いwww。斉藤氏のちょっと穿った^^切り込みと、冷静でちょっとシニカルな酒井さんの受け答えがこうも小気味良いものなのか、とめっちゃ感心したり。後半はやや斉藤氏が語りすぎの感があってくどかったですが、全体としてはなかなかに面白い対談ですね、これ。全体的にはどちらかというと『萌え』に関する言及よりは『モテ』(恋愛資本主義)に関する言及の方が多いんですが、これに関しても二人ともある種あっけらかんとしていて、超毒舌。

斎藤氏 「ただ、そういう『おばさん化』できる人が減っているようにも思います。」
酒井さん「女性はいつまでもきれいでないといけない、心身ともに、永遠におばさん化してはいけないというプレッシャーが強いですからね。特に独身だと、常に自分は売り物で、誰かに手を伸ばしてもらわないといけないという意識がある。」


斎藤氏 「男性にはハーレム願望があるし、モテたがる人は多いんですが、女性もそんなにモテたいんですかね。モテてどうするんですか。」
酒井さん「モテたいですね。選ばれたい。男性から望まれた、という所に勝ちが生まれるというメンタリティーは強い。」


 うーわー、言っちゃったよおい状態;;。や、確かに会社とかで結婚した女性陣を見てると、一部には半年と経たずに一気に老け込んじゃっている人も(← いやここまで激変するものなのか、と;)。なんかあの様子を見てると、いかに昨今の「モテ」ブームが若い女性に無理を強いているのか、と感じることも。まあ確かに、口では「見た目より心」と言いつつ本音では、という人も多いでしょうから外見を磨くことも大切でしょうが、こうもバッサリと切り落としてくるとは;。さすがはこの二人の対談、という印象も。

 でも、この本で最も印象的だったのは、斎藤氏が前書きで述べている、酒井さんの著作「負け犬の遠吠え」に関する言及。

 ……この本の価値は「負け犬/勝ち犬」という新しい格差論を導入したところにあるわけではありません。そうではなくて、「勝っても負けてもしょせんは犬」という、徹底して醒めた視線の痛快さゆえです。それはいわば、擬似的な格差論をぶつけることで、世にはびこる「格差幻想」を解毒しようという試みです。……
 酒井さんの巧妙なところは、世間の固定観念をいったん受け容れるふりをしながら、ラベリング好きな世間の習性を巧みに利用して、新たな価値観を少しずつ浸透させようとしたところでした。案の定世間は大喜びで「負け犬」という言葉を(もちろん誤解とともに)受け入れ、浸透させました。しかしまだ、「世間」は気づいていないようです。「負け犬」という言葉が、一種の「トロイの木馬」のようなものであり、この言葉を受け容れることで、いずれ世間的価値判断の屋台骨が揺るがされてしまう可能性があることを。


 あ゛あ゛あ゛あ゛っ、なるほどという感じ。それで犬なのか、と。要するに、「他人を見下すことで安心感を得る」タイプの人がめちゃめちゃ多い、ってことなんですよね。従来はキャリアウーマンなどとして称されたいわゆる「人生の勝ち組」と呼ばれている人たちはある種の羨望を集めていた。けれども負け組の人たちから見て、そうした羨望が許容できない一定線を越えると、とたんに相手を見下したくなる。それにうってつけのキーワードが『負け犬』、つまり「あなたは仕事で成功していても結婚してないから女として幸せじゃない」というものだったんですよ。

 もともと酒井さんご自身は自虐的キーワードとして『負け犬』というキーワードを持ち出したのかもしれませんが、確かに世間がこのキーワードを大喜びで受け容れたのはおそらく上述の通り。けれども、そういうラベリングで人を見下すという行為そのものが『犬』そのものじゃないか、つまり勝っても負けてもしょせんは犬じゃないか、というんですね。確かにこういうラベリングはめちゃめちゃたくさんあるよなぁ、と思ったり。あんまり建設的な思考じゃないんですけどね;。

 あとこの本で面白かったのは、ヲタクと負け犬という種族の他に、ヤンキーという種族を採り上げていた点。確かに一般には採り上げられることのないクラスタなのですが、なるほど確かに言われてみればそういう部族も存在するよな、という印象。さすがによく世の中を見てるだけのことはありますね。煽り文句の言葉ほど『萌え』(=交流を求めなくても自給自足してしまうこと)に対する言及はなかった気がしますが、切り込みの面白さはさすがに一流。なかなかに面白い一冊でした。

 ……夢も希望もない本だなぁ、とは思うけど(ぉ)。

2006/11/4 02:08 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
若さゆえの強さ

 昨日・今日と完全 off だったので、久しぶりにこれを握ってみるテスト。



 や、いわゆるタブレットとかゆーやつ。もちろん私は絵心なんてまるでないわけですが、ごくたま〜に画像を加工するときに使うことがあったり。6 〜 7 年前に買ったヤツでここ 2 年ぐらい使ってなかったのでちゃんと動くか不安だったんですがドライバ入れたらちゃんと動いたのでよしよし、という感じ。タブレットとかスキャナって、常用するわけじゃないけどたまに使いたくなることがあるのでないと不便という類のものなんですよねぇ;。PC 関係ってそういう類の部品がいくつかあるので結構困ります。や、滅多に使わないんだけど捨てるに捨てられない、という;。

 しかしアニメ見ながら画像をいじってたらあっという間に夕方になり、その後はテレビとアニメ見ながら ECO 三昧という、N.○.K. と何が違うんだ状態の生活を送ってたわけですが、フィギュアスケートがなかなか面白かったですね。キミー・マイズナーの素晴らしい演技に惚れ惚れするも、安藤美姫が異次元の滑りを見せてぶっちぎりのGPシリーズ初優勝。や、フィギュアのルールって私はよく知らないのですが、それでも美しい滑りは見ていて非常に面白いですね。

 でもちょっと印象深かったのは浅田真央さんへのインタビュー。弱冠 16 歳、昨日の Short Program を 1 位で折り返した彼女が今日は一転して一発目のトリプルループを失敗してたんですが、この失敗した原因に関するインタビューアやコメンテータの説明が「おいおい」状態;。や、彼らはこの失敗の原因を aggressive でなかったとか二連覇のプレッシャーがあったんじゃとかそういうふうに分析してたんですが、インタビューアに聞かれた浅田さんが返した言葉は「(トリプルループに入る前の)勢いが足りなかった」。その後もインタビューアがなんとか「気持ちが足りなかった」的なコメントを聞き出そうと手を変えつつ聞いてたんですが、浅田さんの方は何を聞かれてるのかよく分からない様子で「多分勢いが足りなかったんだと思います」の繰り返し。思わず「うわー、噛み合ってないなぁ」と思わずにはいられなかったり。

 や、確かに年を食うと守りたいものや大切なものが増えてきて、失うことが怖くなって物事に失敗することがある。しかし若いうちは失うことの怖さを知らない。だからこその強さがある。今でこそ赤い皇帝と呼ばれている M シューマッハの若き日の呼び名は「ターミネータ」。まるで心を持たない機械のような強さを持っていたからこその呼び名だったわけですが、若い人の強さというのは、良くも悪くもそういう側面があるんじゃないか、と思うんですよ。

 浅田さんにしても彼女は未だ 16 歳、技術力では世界一でもまだ高校生。コメンテータたちが精神論で失敗を理由付けようとしているのに対して、浅田さんは純粋に技術論で失敗を位置づけている。でも、だからこそ『強い』のではないか、と思うんですよ。

 まあホントのところどうなのか、というのはもちろん本人にしか分からないところだし、こういう『世界の頂点』を目指す人たちには彼ら・彼女らにしか分からない苦悩がきっとあるんだろうと思います。でもその若さゆえの強さを昇華させて、M シューマッハのような『偉大』と呼ばれるような人になれるように、もっと高みを目指していって欲しいなー、と思います。そういう人たちって、回りに力を分け与えてくれますからね。

2006/10/30 00:36 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:上流な私? 下流な私?

 というわけで、今日はこちらの書評を一つ。



 下流社会という本を書かれた三浦氏の著書。女性マーケティングを中心に実施してるこの人の著書は過去に何冊か読んだことがあるんですが、ぶっちゃけ品がないというか女性に対してあまりにも失礼で我田引水な考察が多いんですよね。この本も本屋で興味を引かれたものの読むべきか否かかなり迷う……けど、とりあえず迷ったら買い、ということで購入してみたり。

 で、ざっと読んでみましたが、感想。第一部はひどいけど、第二部は面白い;。

 この本、第一部は分析したデータに対して三浦氏があれこれと注釈をつけながら説明するのですが、分析そのものが甘すぎてまるで説得力が感じられないのが難点。まあデータを細部にわたって分析するのには限界があるし、なんでもかんでも上流・下流に分類しようとしてるので無理がありすぎると思うんですが、非常に面白かったのが第二部。ここでは、消費行動や性格アンケートなどの結果をクラスタ分析(多数のデータから『似たもの』を抽出する統計分析の手法の一つ)して、女性を以下の 7 つのタイプに大別。

@ 人生エンジョイ系(自分らしく生きていたい、刺激的で面白い人生、お金はないけど買い物好き、9.8%)
A きちんとお嬢さん系(経済的にゆとりのある家庭で育ち、豊かでオシャレな暮らし、努力家、品がよい、ブランド好き、19.6%)
B オンナ追及系(女性に生まれたことをめいいっぱい楽しみたい、外見は綺麗に、結婚相手は見た目も重要、お金持ちなら最高、16.8%)
C インテリ自己実現系(社会に強い関心、仕事や勉強に打ち込む超頑張り屋、自分の信念を貫く、上流意識が強い、4.4%)
D 平凡安定系(主婦が多い、世帯収入低め、買い物は実用的・価格重視、身近な人と楽しく安らいだ暮らしをしたい、12.6%)
E 堅実コツコツ系(流行を追わない、個性の表現や自己実現の欲求は低い、前向きだが人生に過度の期待はしない、一人でいることを好む、28.0%)
F 脱力マイペース系(独身やフリーターが多い、流行や消費やファッションに無頓着、努力するよりものんびり気楽に生きることを選ぶ、9.1%)

 そして各グループに見られる行動傾向や価値観(女性観)、年齢分布などの特徴を平均値からの偏差として分離して、ざっくりとした 7 タイプの女性像を作り上げている。7 タイプのクラスタは割と傾向がよく似ていて統合できそうなものも一部にあるけれども、細分化としては荒すぎず細かすぎず、という感じでちょうどいいのかも。

 で、この分類の何が面白いかっていうと、年代構成比率データ。@〜Cは明らかに若い人(18〜27歳)が多いんですが、D〜Fは逆にその上の世代(28〜37歳)が多い。これの意味するところは何かといえば、

 『歳を食うと気力が萎える』

 ということに他ならないんじゃないか、と;。まあ結婚してクラスチェンジしている層がいるのも一つの要因じゃないかと思うんですが(結婚したとたんに老け込む女性がいるのは事実;)、なかなか面白いデータだなぁと思わずにはいられなかったり。

 まあ、実際のところは個人によるブレの方が大きいので話半分ぐらいにしておくのが正しいとは思いますが、マーケティングデータのクラスタ分析から上記の 7 つの分類が出てくるというのは統計分析恐るべし、という気もしますね。

2006/10/27 00:20 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
自分的な備忘録。

 多分このメモのホントの意味は自分にしか分かりません。だから、こういうオープンな blog に書くべきものじゃないかもしれない。けれども、自分的にどうしても記録しておきたいので、意味不明なエントリですけど上げます。m(_ _)m

 自分が今までいろんな人と話してきて、心から全面的に尊敬できるような人に出会ったことってほぼ皆無に近いんですが、数日前、ちょっとした興味半分で飲みに誘ってみた人がまさにそういう人。ホントの意味で気後れしてしまって自分から何も話せなくなるという感覚を本気で感じたのは、少なくとも記憶の中にはないんですが、コアな話に近づくほど、聞くこと全てに感心してしまって何も話せなかった。

 その人を表現するのなら、「人がいい」ではなく、「人ができている」。相手がどんな人であっても他人のいいところを引き出すことができる人。『人格者』、そういう表現が文字通り似合っているような人。(ものすごく語弊のある言い方かもしれないけれど)こんな人が今の日本にまだいたのか、というのが信じられなくて、齢 31 にしてここまで人間としての幅、そして深さを備えている人が今の時代、今の日本にいる、というのが信じられなかった。

 なんかうまく自分の中で消化できてなかったけれども、今日つらつらと会話の内容とかを思い出したり考えたりしてみて、ここしばらくバラバラしていた思考がようやく一本に収束した気が。もしかしたらかつての自分は、この人に似た部分を、ほんの少しだけ持っていたかもしれない。けれども、なぜ今の自分はそれを失ってしまったのか。……多分、それは自分の意志の弱さだったんだな、と。

 この人は多分、本質的な部分で自分が辿り着きたいと思える、自分にとって遥か遠くにある目標になるような存在。自分とほぼ同じ世代に、こんなに素晴らしい人がいるんだということを知ることが出来たことが、自分にとってなにより大きい収穫。

 現実に負けそうになる毎日だけど、もう一度また頑張ってみよう、と思いました。
 こんな素敵な人と話しても、恥ずかしくないと思える自分になれるように頑張ろう、と。

 ……ま、たまにはこんな意味不明なエントリがあってもいいよね?

2006/10/15 17:06 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
流されるままでは、明日は来ない。

 さっきまでけろっちゃ氏による聖地巡礼レポートを読んでたんですが、おいおいいったい 4 日間でどれだけの量の聖地を巡回してきたんだよ状態。見事なまでの超過密スケジュールのこなしっぷりを見て思わず呆れたリスペクトしたのは言うまでもありません。(ぉ)

# ……っつーか凄すぎ^^。このレポ晒したい(笑)。
# とりあえず 2 章まで読みましたが、続きはまた明日^^。

 で、今日は先日の ECO エントリのコメントより。や、普通にコメントで返そうかなと思ったんですが、ネタ的にちょろっと書きたかったのでピックアップして独立エントリにしてみたり。

> 「ネトゲは多くの学生にとって、「便利」なものではない」という事です。

 確かに便利なものではないですね^^。けれども、ネトゲがあるから学力が奪い去られる、というのはなかなか微妙な論旨なんじゃないかな、という気もします。「たられば」の話をするのはあまり意味がないかもしれないんですが、

・ゲーム機が登場しなかったら?
・PC が普及しなかったら?
・ネトゲが登場しなかったら?

 果たしてみんな勉強したのか? 学力が下がらなかったのか?

 ……多分違うんじゃないでしょうか? おそらくは、異なる『中毒性を持つ何か』を見つけて没頭していたんじゃないか、という気がします。や、だってたいていの人は勉強なんて嫌いですから;。結局、中高生ぐらいであればそれこそ両親や学校による強制力、そして大学生ぐらいになれば自身による精神力がなければ勉強なんてやらないんじゃないか、と。

 もちろん社会システムを考える側の立場にいる人であれば、ある程度の抑止力を持たせることは必要でしょうけれども、現在のネトゲの程度のレベルで果たしてそれが必要なのか? となると、私自身がネトゲをやっている感覚のみから言えば、特に必要ないんじゃない? という気がしますが、どうでしょうね?^^

2006/10/7 03:11 | 4.雑学&雑感 | コメント (4) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
恩義の返し方

 というわけで今日のお昼はロッテリア〜。



 ……っていうか目的は写真右上にあるキッズセットのおまけのおもちゃだったんですが^^、いやー、このミニバッグ、メルヘンなぐらいにちっちゃい。でじくま氏ご所望ということで私とけろっちゃ氏と手分けしてロッテリアを襲撃したわけですが、果たしてこれをいったい何に使うつもりなのか聞いてみたいところ;。いや微妙に使い道ないのでは;;。

 で、今住んでるとこは出身高校に近かったりするのですが、なにげに昔の同級生から文化祭やってるよ、とメールが来たので食事ついでにふらっと立ち寄ってきてみたり。さすがに高校来るのも相当久しぶりで、高校を出てからも軽く 10 年以上経ってるわけですが、驚いたことに当時の恩師の半分以上が普通にまだ高校に残ってる。さすがは私学なわけですが、私の恩師の一人が 30 年目の永年勤続賞を受けてて、いやもうこの先生もこんな歳なんだなぁ、と思ったり。そりゃ自分も歳食うわけです;;。

 しかし驚いたのは私の方が忘れている先生から声をかけられたこと;。いや確かに自分が教わった先生のことよりも、自分が教えた生徒のことの方が圧倒的によく覚えているものだとは思うのですが(実際自分もそうだし;)、久しくほったらかしにしてたのに暖かく迎えてくれた先生方には本当に有難く思ったり。せっかくなので、と自分が書いた本も一冊寄贈してきたのですが、そんな先生からの有難いお言葉。

「○○君も、活躍してくれてるようで嬉しいよ。」
「いやいや、恩師の先生に報いる方法ってそれしかないですからねぇ。」

 ああ、なるほど、と自分で言ったセリフに自分でえらく納得してしまったんですが;、要するに、恩師から受けた恩を返す先は恩師じゃないんですよね。恩師から受けた恩は、その後に続く別の誰かに引き渡していく。形はいろいろ違えど、頑張って社会に対して貢献(?)していくことが、恩師に対して報いる唯一の方法なんだろうな、と改めて思ったり。実際、自分も教え子からそういう活躍の報告を聞くと嬉しかったりするわけで、きっとそういうものなんでしょうね。

# がしかし、一番お世話になった先生はすでに退職されていたりするわけですが;。
# 今度連絡取ってみよう……^^

 で、結局会ったすべての先生から「結婚は?」とツッ込まれたわけですが、えーと、ロッテリアでキッズセットを注文し、さらには行きがけにこんなものを買ってバッグに入れて文化祭回ってた人なんですけど;;。



 NANA 読むとさらに心が荒びそうなのでハヤテでも読んで心を癒すことにしますか……(笑)

# 「現実逃避」とか言う人、嫌いですw。

2006/9/17 00:32 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
人を束ねる者としての資質

 というわけで今日はけろっちゃ氏と共に、かつてのバイト先の名簿作りミーティングに参加してきたり。や、隔週ぐらいでミーティングしているわけですが、いつも終わったあとに A 級グルメをゴチになっていたりして(というかいわゆる接待;)文字通り『美味しい』ミーティングなわけですが、今日は焼肉屋でおいしいお食事をご馳走していただいたり。



 っていうかしまった肉の写真を撮り忘れた;。なにげに会計がとんでもない額になっていたような気がしますが(というか地元であの価格帯は結構あり得ない;)、まあ実務もしてるのでそれぐらいはゴチになってもバチは当たらないかなー、とか言ってみるテスト^^。や、なかなかにおいしいお話でありますよ隊長。

 そんなわけで現在は微妙に(どころかかなり)酔っ払いモードなわけですが、つらつらと思ったことを書いてみたり。

 この名簿作りミーティング、微妙に地味な面倒っちい作業でありながらもなぜ参加しているのかというと、おいしい食事をゴチになれるからではなくて、実業家の思想や発想をいろいろ聞かせてもらえるから、というポイントが自分にとっては大きかったりします。というのも、自分の会社では自分の周りも上司も良くも悪くも会社の色に染まってしまったサラリーマンが多いので、叩き上げの起業家らしい考え方を聞けることがほとんどないんですよね。私も今の会社に 6 年も勤めているので、そういう意味で刺激になる。

 で、さすがに現場の人間がいないので微妙に社長も毒舌になってしまうわけですが^^、いろいろ聞いてみて、この人にはあって自分に欠けている能力は何だろうか、と突き詰めて考えると、究極的には以下の 2 つなんじゃないか、と思ったり。

・現場の人たちより(専門職としての能力が)劣っていること。
・『人』に対して興味を持てること。

 まず一点目。管理職と実務ラインを分けろということはよく言われることだし、管理職と実務の専門職は違う、ということもよく言われることなんですが、実際問題として専門職としてダメな人は管理職としてもダメなことは多い。けれども、本当の「管理職としての一流」を目指すのであれば、専門職として一流であってはならない、と思うんですよね。その理由はなぜかというと、現場の専門職の人たちを見ていて、つい「自分だったらもっと上手く出来るし、もっと上手く出来て当然だ」と思ってしまうから。でも、自分が専門職として二流以下であれば、専門職として一流の人たちにどうやってもっと力を発揮してもらえばいいか、どうやったらもっと力を発揮してもらえるようにできるのか、そういう方向に発想が行くと思うんですよ。そういう意味で、管理職や社長は、現場の人たちに比べて専門職としての能力は劣っていなければならない。

 そして二点目は、そうした多種多様な専門職の人たちを抱えていくために、多種多様な人たちにうまく接することができることが必要。や、言葉で書くと簡単な話ですが、人ってホントにいろんなタイプがいるわけで、場合によってはホントに文字通り「いけ好かない」人たちもいるかもしれない。けれどもそういう人たちをも飲み込めるだけの包容力があることが必要なんじゃないか、と。今日、飲み会をしているときに「○○はさぁ、そういえば昔は○○に住んでたんだよな」と言われて本気でビビったのですが(っつーか一介のアルバイト君(しかも 10 年ぐらい前の話)のプロフィールをそこまで正確に覚えているのは凄すぎるとしか言いようがない)、こういうタイプの記憶力の良さは、『人』に対して興味を持っていることの証そのものなんじゃないか、と思うんですよね。

 考えてみると、私の場合は良くも悪くも好き嫌いがはっきりしすぎているわけで、こういう人と話していると、専門職として一流になれたとしても管理職としては一流になれないんじゃないか、と思うことしきり。や、よく自分の上司から管理職やらないか? と言われるわけですが、いろんな意味で自分には足りない要素がめっちゃ多いなぁ、と思ったり。

 まあ管理職をやるかどうかは別の話としても、足りない要素についてはぼちぼち補っていきたいものだな、と思う今日この頃。普段、なまじ手持ちの仕事ばかりに集中しちゃっているので、こういう「業界の違う人の話」を聞くのはいい刺激というか、振り返りの機会になりますね^^。

2006/9/11 01:24 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:サービスの極意(★×5)

 さてさて、今日はこちらの書評を一つ。



 皆さんもご存知、世界最優秀ソムリエコンクールの日本人初の優勝者である田崎真也さんの著作。知人から面白いと薦められたので私もちょろっと読んでみたんですが、確かにめちゃめちゃ面白い

 本書で語られている内容の多くは、一流のサービスについて語る著作の多くと、本質的な部分では共通している。つまり、「気持ちよくお金を使っていただき、対価に値する以上の満足を味わっていただくことがサービスの本質」である、そしてお客様の望みにあった演出がポイントになる、と語っているのですが、ここだけ取り出すとよくあるサービスの本と変わりがない。けれども、目から鱗が落ちたのは次のひと言。

 サービスという仕事。私は今まで、随分と勘違いをして理解していました。
 ……(中略)……
 そしてもう一つは、サービスをおもてなしと考えてしまっていたことです。これは大きな過ちでした。……(後略)


 最初に読んだとき「?」となっちゃったんですが、読み進めてみてものすごく納得。

 「お金をいただいてするサービスでありながら“おもてなしの心”を基本にするのはおかしい。」
 ホテル西洋銀座で仕事をする中、ボクの疑念はふくらんでいた。ホスト、つまりは「もてなす主」をアシストすることこそがサービスではないかと気付いたのは、そのときのことだった。


 カップルで来店されたお客様であれば、通常は男性がホストとなり、主たる「もてなしの対象」、つまりゲストは女性になる。この場合、サービススタッフが直接的なコミュニケーションをするのは原則として男性のみとなるべきである。女性からの注文も男性を通じて受け、メニューや飲み物を女性におすすめする場面であるとしても、男性を通じてするのが鉄則だ。「女性のお客様にはこちらのほうが……」などと女性に直接おすすめしてしまうとしたら、それはホストの立場をおかすことに他ならない。
 ……(中略)……
 ボクの理想は、ホストであるお客様一人に「お疲れ様、ありがとう」といっていただけるサービスを貫くことだ。「楽しかった、ごちそうさま」は、もてなしを受けた方が対価を支払うホストに贈る言葉であり、ボクやお店がいただくべき言葉ではない。


 ああ、なるほど、という感じ。言われてみれば至極当然のことなんですが、サービスって自分が陽の当たる表舞台に立つことじゃないんですよね。あくまで主役はお客様であり、それをサポートすることこそがサービスの真髄である、というのはものすごく納得できる。この本を読むと田崎さん自身の辿ってきた過去の人生についても垣間見ることができるんですが、様々な過去の経験から、田崎さんはサービスについてこんなひと言を書かれています。

 この人にとって、今は何が大事なのか。
 自分にとって、今は何が大事なのか。
 本物のサービスは、それを読み取るところからしか始まらない。押し付けや独りよがりをしてサービスだ、または「愛」だと誤解しているかぎり、本物のサービスは遠ざかるばかりでしかない。


 なんというか、非常に重みのある言葉に思わずため息。言葉だけではない、実績という重みを伴った結論。この結論に至るまでに積み重ねられた年輪の数々、積み重ねられた努力、正しいことを貫き続ける意志の強さなどを思うと、サービスの分野のスペシャリスト、しかも世界一になる人は桁が違いすぎる、と思えて仕方ありません。……というか自分自身を振り返ってみて恥ずかしい & 情けないばかりだとしか言いようが;。激しく反省;;。

 こういう本を読んでると、こういう人たちの生き方は素敵だなぁと思いますね。田崎さんは、敢えて記そうと断った上で、この仕事は(堅苦しい意味での)正義の味方であってはならない、見たくない場面に遭遇しても自然に受け流せる人でなければ勤まらない、と書いていますが、そういうところも含めてやっぱり凄いなぁ、と。ホンモノは清濁併せ呑むところを持っているものですが、そういう人だからこそ超一流であり、世界の頂点に立てるのかもしれません。いろいろ考えさせられる、いい本でした。

2006/9/5 00:05 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
only one として生き残るためのスキル

 というわけで今日は Web で見かけた非常に興味深いエントリの話題を一つ。

・コゲどんぼさん 2006/08/30 日記
 http://kokolog.blog40.fc2.com/blog-entry-104.html#more

 ぴたテンやかみちゃまかりんなどを描かれたコゲどんぼさんの blog のエントリなんですが、非常に面白いエントリだったり。や、めちゃめちゃ容赦ないエントリだなぁ……とも思いましたが(同業者が読んだら怒るんじゃないかという気も;)、書かれている内容自体はものすごく理にかなってるというか、一流の人ならではのエントリなんですよ、これ。

 ちょっと引用。

 そんな事はどうでもよくって、最近
 商業界で残っていくにはより沢山の能力を持ってる事が必要なのかしら、
 ……と思ってみた。

 漫画家が話が作れるのは当たり前です。
 漫画家が絵が上手いのは当たり前です。

 まずスタートラインがみんなそこなので、
 そのラインからどれだけ前に出れるかは能力で決まると思うわけです。


 うーわー、言っちゃったよ、という感じのお言葉ですが、実際問題としておそらくその通りなんでしょう。これって別に漫画家に限った話じゃないんですが、当たり前のことが当たり前に出来るだけでは、今の時代は一流としては生き残れないってことだと思うんですよね。

# まあ確かに当たり前のことが当たり前に出来ない人がいるのも確かですが、それは論外として;。

 例えば声優さんであれば、声が上手に出せるのも演技をつけて喋れるのも当たり前。けれども、さらに歌も歌えてルックスも良くてトークも上手くて作詞もできる、といった具合に、マルチタレントぶりを発揮できなければ、一流として生き残っていくことは難しい。一流として生き残れないということは代替が効くということだから、経営者の視点からすればパーツとして取り替えができるということだし、若い人で似たようなスキルを持った人が出てくれば淘汰される運命にある。実際、5 年から 10 年ぐらい前に第一線を張っていたような声優さんで、今も生き残っている人なんて果たしてどれだけいるものなのか。そして今いる声優さんたちの中で、5 年後や 10 年後も生き残っている声優さんたちはどれだけいるのか。

 コゲどんぼさんは、先のエントリの中で「つーか絵が上手い人なんてめちゃくちゃ余ってんだよー!マジで!!」と書かれてますが、要するに、『あなたが only one として生き残っていくためのスキルはなんですか?』ということだと思うんですよ。

 でもってこう書くと、あたかも「一流として生き残っていくためには、他人が全く持っていないスキルを持っている or 作り出せることが必要だ」といった具合に勘違いする人が多いんですが、実際のところはそうじゃないと思うんですよね。おそらく一番重要なのは、「複数のスキルを組み合わせてブレンドし、新しい only one を組み立てていくことができるかどうか」という点。世の中にはものすごくたくさんのスキルがあって、その組み合わせも無数にある。こういう『調合スキル』とでも言うべき二次創作的スキルを持っていると、全く新しいモノを作り出せなくても十二分に生きていくことができるんじゃないか、コゲどんぼさんのエントリはそこを突いてるんじゃないか、と思うんですよね。

# 二次創作と書くとマイナスイメージかもしれませんが、そもそも新しいモノって完全に『無』から生まれるわけじゃないんですよね。
# 「守」「破」「離」 (しゅはり) という有名な言葉がありますが、この言葉のように、従来のモノを越えていく『新しいモノ』って、過去の模倣がベースにあって、そこに独自の工夫を加えていくことで生まれていくんじゃないか、と。
# 過去のやり方を守るだけでもダメだし、過去のやり方を破る(捨てる)だけでもダメ。
# この言葉は伝統工芸などでよく使われる言葉ですが、業界を問わずに通用する概念だと思うんですよね。

 私はコゲどんぼさんはぴたテンの bitter ending がめちゃめちゃ気に入って、それ以来ずっとチェックしている作家さんになってますが、こういう物語を描ける人っていったいどんな「人生経験豊富」な人なんだろう? とは思ってしまいますね^^。や、実は最近コゲどんぼさんの blog を読むようになって、作家としての能力だけでなくビジネスセンスもある人なんだなぁと思っていたのですが、普通の社会人としての経験を持っている作家さんってマーケティングや露出の重要性とかをものすごくよく認識してるんですよね。OL も掛け持ちしているというのは私にはちょっと信じがたいんですが;、きっとこうしたバイタリティを持っているからこそこれだけ成功しているのでしょうね。

 いやはや、こういう方のこういうエントリはやっぱり読んでいて面白いですね。業界は全く違うし、ぶっちゃけ足元にも及ばないですけど;、いろいろと感じるところがあるエントリがアップされる blog は読んでて楽しいです。

# そういやコゲどんぼさんのところの夏コミの通販頼んだんだよな、不在で受け取れなかったけど;。
# 明日受け取らねば……

2006/9/2 01:15 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
太陽系の惑星の数

 太陽系の惑星の数といえば、すいきんちかもくどってんかいめい、じゃなくてめいかい? というわけで 9 個、と答えそうなところですが、実はなにげにこれが間違っているらしい;。

・太陽系惑星9個→12個へ、惑星の定義変更案を公表
 http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20060816it11.htm

 え゛え゛え゛〜、という感じ。っつーかですね、何百万光年も先にある星に名前がつけられまくってるのに、こんな身近に見知らぬ惑星が存在したということ自体、私は全然知らなかったのですが状態;。そんなの誰も教えてくれなかったじゃん〜、みたいな;;。← あんたが無知なだけだろというツッコミはなしで;。

 電車の運転手に憧れるように、男であれば一度は宇宙に憧れるものだと思いますが(多分;)、子供の頃、買ってもらった天体望遠鏡で、都会のまるで見えない空に向かって一生懸命ファインダーを覗き込んでいた日々が懐かしいですね。や、自分は生きてるはずがないけど(笑)、ずっと先の未来では膨張した太陽に地球が飲み込まれてしまうとか、ああいう話を読んでなんともいえない気分になったことなんかはリアルに覚えていたりします。

 ……にしても、和名とかどうするんですかね?
 すいきんちかせれもくどってんかいめいかろにせんさんゆーびーさんいちさん……って訳分かんないのですが;;。化学の周期表よりよっぽど覚えにくいんですけどー;。

2006/8/22 00:35 | 4.雑学&雑感 | コメント (5) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
発言と立ち位置

 よしよし、姫からのメール受信確認……っておいおい、花火の音が聞こえるっていったいどこに住んでるんですかこの人は状態;。いやこれだけじゃないですが、断片的な情報から確かに住んでる場所はだいたい割れてしまいますね。んー、おそらく実家のそばだったんじゃないかという気がしますが、結局遭遇できずですか。

# や、だからどーしたというわけでもないのですが;。

 そんなわけで今日は昨日のでじくま氏のこの姫のエントリについて、ちょっと思うところがあるので軽くコメントしてみたり。

 細かいところはでじくま氏のエントリを見ていただけるとよいかと思うんですが、童話迷宮の CDS に関するアニカンのインタビュー記事の中で、ゆかりんが「フリッとした服は場所取るんだよね、でも最近は置ききれないから捨てちゃう。また買えばいいし」みたいな発言をしていた、ということに関して。これ読んだときには思わずツッコミ入れちゃったんですが、結構リスクの高い発言だなぁと思わずにはいられなかったり。

 一般論として、この手のインタビューは発言通りの記事にならないのが常。このため、インタビュー側とされる側との力関係が極端に偏っていなければ、普通は事務所チェックを通す(そうしなければインタビューをお断りする)ものだと思うんですが、にもかかわらずこういう発言が(フリーペーパーとはいえ)媒体として出てきてしまうということにまず驚き。

 実際問題として、ゆかりんがこの発言をどういう文脈で、どういう意図で言ったのかに関しては分からないし、でじくま氏の言うようにお得意のマリー・アントワネットネタのつもりで発言したのかもしれない。私の勝手な憶測では、まあそんなに深く考えずにさらっと事実を言ってしまっただけなのでしょう。実際、ゆかりんのような仕事をしていればおのずと大量の服を買わざるを得ないし、あれだけのハードワークをこなしていれば文字通り「お金で解決せざるを得ない」(=そうしなければ本人が過労でぶっ倒れてしまう)こともおそらくあるでしょう。けれども最大の問題は、ほとんどのファンはそんなことを差し引いて考えてはくれないということ。

 以前 blog に、「言葉の意味とは、話し手の意図ではなく、聞き手がそれをどう感じてどう受け止めたかによって決まるものである」といった話を書いた記憶がありますが、特に大衆を相手にする職業の人は、自分の目線を意識的に『聞き手』に合わせるようにしなくちゃいけない、と思うんですよ。マリー・アントワネットがなぜ叩かれるのかといえば、それは彼女が自分の立場を基準にして物事を喋ってしまったからに他ならないんじゃないかと思うんですよね。

 私はあのアニカンのインタビュー記事を読んだときに真っ先に思い出したのが、往年のコナミの看板娘、マリ姉こと國府田マリ子さん。彼女も駆け出しのツインビーパラダイス(懐かしい^^)のパーソナリティをやり始めたときにはとにかく必死に頑張る子というイメージが強かったですが、ある時期から発言や態度が微妙にズレてきて、そこから私は近寄れなくなっちゃった記憶があるんですよね。今にして思えば、それは成長していくマリ姉に、自分の視野や視点がついていけなかっただけなんですが、でも私のように思ってしまうファンもおそらくは少なくない。

 こういう発言がぽろっと出てしまうのは、それだけ心にゆとりがない状況に追い込まれているからじゃないかと思うんですが、せっかくの逸材がこんな形で使い捨てになって欲しくはない、と思ったりします。や、天使のお仕事を頑張ってこなすのも大切ですが、たまには振り返る時間も取るようにしないと、結局遠からずつぶれちゃうんですよね;。太く短くよりも、できれば細く長く続くように頑張って欲しいものですし、コ○ミさんには彼女を潰すようなことだけはしてもらいたくないものです。や、長期的に見たらきっとどっちにとってもその方が幸せですからね、実際問題としても;。

 ……とあれこれ書いてるけど、他ならぬ自分が不用意な発言しまくりなので自分こそよっぽど気をつけないと、なのですが。まったくもって他人ごとじゃないのです、ええ;。

2006/8/17 01:15 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
日本人は不幸せ?

 ちょっと前の話ですが、テレビをつけてたらこんなニュースをやってたり。

 『日本人の幸せ度は世界 90 位』

 世界各国の人々に、「あなたは幸せだと思いますか?」という質問をしてみてランキングを取ってみると、日本は実に世界で 90 位とかなり低い結果だったとか。まあどんな国が上位に来ているのかは分からなかったですけど、そのあとの街頭インタビューでは世代によって随分答えが違ってて、いやこれって激しくどうよ?と思ってしまったり;。

 経済的な豊かさと心の幸せ度は別の話なので、経済大国だからといって幸せ度が高いとは限らないのは当たり前。ただ、改めて幸せってなんだろうねぇ、と考えてみると、なかなか言葉にしにくいのも確か、なんですよね。

 例えば、自分の欲(物欲とか食欲とか)が満たされているときには幸せなのか、と言われると、なんとなくそんな雰囲気もしますがおそらく違う。それはどちらかというと満ち足りている、つまり満足なのであって、幸せとはちょっと別。それに、人間の欲って良くも悪くもキリがないので、一つのことが当たり前になると次のことを求めてしまうわけで、それだと一時的に満足することはあってもほぼ常に満たされていない状態、すなわち不幸感が漂うことになる。つまり、わがままに生きてりゃ幸せってもんじゃない。

 かといって、周囲の人と比べて相対的には幸せだとか思うのも困りもの。や、世の中にはもっと不幸な人がいるんだから自分はまだマシとか考えるのも、不幸な自分を慰めるにはちょうどいいけれど、視点を変えて頭でごまかしているだけなので、ふっと素に還ると「あたしって実は不幸;」とかになってしまう。つまり、周りはこんなもんだから自分もこんなもん、という頭で考えた慰めロジックでは自分をごまかすことしかできない。

 頭で恋愛するのと心で恋愛するのが違うように、幸福感もまた、頭で感じるものじゃなくて心に感じるもの。まあ、統計的に見れば欲が満たされている状態の方が幸福度は高いだろうとは思いますが、それは欲が満たされているから幸福なのではなくて、欲が満たされている状態の方が、身の回りにある幸福に気付きやすくなるから、じゃないかと思うんですよね。

 日々の雑事に追われて忙しいときにはなかなか気付きにくいものですが、当たり前にある普通の幸せというのはちょっと立ち止まってみないと分からないことが多いもの。すぐそばの手元にある幸せに気付けないとか、それを感じ取れないとかいうのは、ものすごく不幸せなんじゃないか、とも思うんですよね。や、ホントに幸せな人は、幸せそうな顔つきをしてるんじゃないかなぁ? とは思ったりしますが、主体的に幸福感を感じるというのはなかなか難しいもの。そういう人を見てるとうらやましく思ったりもするものです。

 ちなみに自分が聞かれたら……うーん、分からない;、とか答えそうですが。(← ぉぃ;)

2006/8/3 01:55 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:恋は痩せたもの勝ち(★×3)

 というわけで今日はこんな本の書評を。



 ……ってなんで私はこんな本を読んでやがりますか状態なわけですが、実は最近、ネットラジオを聴くようになって、女性声優陣のトークネタにやたらとダイエット話が出てくるなぁと思ったんですよね。例えば、ちっちゃな雪使いシュガーで心優しい少女サガを演じたはずの浅野ますみんが暴言を連発する(としか言いようがない;)かしましらじお PC では、新谷良子と二人でダイエットに挑戦したりしてる。がしかし、正直言ってこうもダイエットがネタになる理由が感覚的にどうにも分からない……で、先日他の文庫を買ったときに目に付いてちょっと手に取ってみた、という次第。

# 他と違って blog ネタとしては微妙に危険なネタのような気もしますが噛み付かないでください(ぉ)。

 で、読んでみたんですが……いやなるほど確かにダイエットって涙なくしては語れないのですねぇ;。

 まあ、この本を読んだところで感覚的に分かるようになるというモノでは当然ないんですが、要するにダイエットって、身体の正直で正常な欲求をいかにコントロールするか、という本能との戦いなのか、と。つまり、我々に例えて言うなら、ダイエットとは、我々が心の養分補給のために日々欠かさず摂取しているアニメを半年見るな、と言われるようなもんなんですよ。……それは無理、絶対無理、みたいな話ですよ、確かに。そりゃ女性陣でこれだけ話になるのも当然。(← 例え話が悪すぎです;)

 実を言うと、私の場合は普段からリアルマイシスターを見慣れてしまったせいで、外見では全く反応できないタチになっちゃったんですよねぇ。や、兄の私が言うのもなんですが、実際問題としてそんじょそこらの子ではリアルマイシスターには全く太刀打ちできないのですよ;。喋らなければもっといいんですが まあ、反応できない真因は三次元だからだろとかツッ込まれると何も言い返せませんが;、そういう人間なせいか、こうも世間が極度にダイエット(=外見)にこだわる理由がどうもピンとこない。けれども、実際に苦労してダイエットで痩せるとおそらく世界観変わっちゃうんでしょうねぇ;。かつてリアルマイシスターは、ダイエットしてメガネ外したらアホみたいにモテるようになって世界観が変わったと言ってましたが、そりゃモテ子になれば世界観も変わって無理もないのかもしれず。

 ……とか思って読み進めてたんですが、考え込んでしまったのはこの本の巻末のあとがき。この著者の人、会社を潰してしまって鬱になり、自宅に引きこもってぐーたらしてたら太ってしまってダイエットを始めたらしい。けれども痩せたら自分に自信が持てるようになって、何をするにも前向きに取り組めるようになった、と。つまりこの人の場合、ダイエットして最も良かったのは何かというと、モテ子になったことでもなんでもなくて、かつての自信を取り戻して人生に対して前向きになれたことだ、って言うんですよね。なるほどこれにはめっちゃ納得。最初から、自信を取り戻すためにダイエットしよう、なんて人は皆無でしょうが、本人も後から気付いた副次効果なわけで、なんかすごくいい話だなぁと思ってしまったり。や、外見ばっかり取り繕うのは問題でしょうけど、良いか悪いかはともかく「人は見た目が 9 割」とか言われる時代。こういういい話を聞くと、やっぱり少しは考えないとなぁと思った今日この頃。や、そっち方面は全然ダメな人なので;。> 自分

 あと、この本を読んでちょっとショックだったのは、紹介されているおすすめダイエット法。結局、消費カロリーと摂取カロリーのバランス問題だから、食欲との戦いに勝つために、おいしくて低カロリーのものを食え、と。なので鍋ダイエットとかいろいろお薦めされてるわけですが……ってちょっとマテ、これって私の食生活そのものじゃないかよ状態;;。

・野菜中心の鍋物はカロリー低いから満腹になるまで大量に食べても OK。
・野菜は低カロリーで栄養バランスもいいから大量に取るべし。でもジャガイモだけは危険。
・抜きすぎるのも問題だけど、炭水化物を摂取しすぎないようにするのもポイント。
・食べたくなったらケーキとかもOKだけど、ホントにおいしいものを少なめに。
・お酒もどちらかといえば飲まない方がいい。

 な゛ー、まんま私の食生活じゃないですか;。や、実は私って、人に会うたびに「また痩せた?」と言われ(←ここまでならまだイイ)、実際問題として年々体重が減り、ついに定期健康診断では欠食児童(要するに栄養失調)とすら診断されたことがあるんですが(この飽食時代にですよ??)、野菜とかめっちゃ好きで、炭水化物そっちのけで食べるんですよね;。普段も量より質重視な人なんですが、なんのことはない、これって無意識にダイエットしてるってことじゃないですか;。最近、さすがにヤバいような気がして、自炊では意識的に量を多くするようにしたので多少は戻りましたが、量だけじゃなくて質を考えなきゃダメなのかと気付く今日この頃。でも野菜炒めとかめっちゃ好きなんだよなぁ……;。

# あ゛ー、摂取カロリー増やさなくても消費カロリー減らせばいいのか。
# つまりさらにひきこもってぐーたらすれば OK なのか?(違います)

 それにしてもこういうのを読んでると、やっぱり女性はいろいろ大変なんだなぁと思いますねぇ。よく、男性は女性が前髪を 3 cm 切ってもまったく気付かないとかいわれますが、そりゃこれだけ頑張ってるんじゃ、ほんの少し痩せても褒めて欲しくなるのは無理もないんだろうなぁと思う今日この頃。というか過去何度リアルマイシスターにテストされてその度にアホ呼ばわりされたか分からないわけですが;。> 髪の毛 & 髪型テスト

 ……と、おそらく著者の意図とは全く違う方向に全く違うショックを受けた本(ぉぃ)。なにげに後半はただのお料理本と化してましたが、でも素直に面白かったです。こういう普段は全く無縁なジャンルの本も、たまに読むと面白いですね。

2006/7/30 01:23 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
振り返りのお時間。

 最近、自分の組織に中途採用の新人くんがぼちぼち入ってくるようになったわけですが、なぜにやたらとメンター(いわゆる相談役)にアサインされるのかかなり謎;。や、今現在も 3 人もアサインされてるんですが、面倒なことは全部押し付けですか状態;。……といってもじゃあ具体的に何をやってるのかとゆーと、実はたった一つだったりするんですよねぇ。それは、

 たまにお昼ご飯を一緒に食べに行く。

とゆーもの;。おいおいそれでメンターと言えるのかよと言わそうですが、ぶっちゃけ話、私はこれが一番いいんじゃないかなぁと思ってるんですよね。や、完全な学卒の新人の場合にはまたちょっと話が違うんですが、中途採用だと若手の人でもあんまりあれこれ口を出すべきじゃないと思ってるんですよね。仕事のやり方や進め方については当人のスタイルで決めた方がいいし、子供じゃないんだからお尻を叩かなくてもちゃんと仕事ぐらいできるでしょ? と。ただ、社内の人を紹介してあげるとか、当人が困っていることについてアドバイスしてあげるとか、そんなことぐらいで十分で、そのためにはお昼ごはんを食べながら雑談ベースで、ぐらいがちょうどいいんですよね。

 ただ、それでも若手の人の場合には必ず私の方からアドバイスしていることが一つあります。それは、

 毎日必ず寝る前に、15 分ぐらいでいいから「作業の進め方」や「作業そのもの」を見直す時間を取ること

というもの。や、最近はどこの会社も忙しくて、特に即戦力を期待される中途採用の人はいきなりプロジェクトに放り込まれるケースが多々あるわけですが、前職からのスキルセット転換が間に合わなかった場合、やっつけ仕事を繰り返すためにいつまでたっても自転車操業になっちゃうことが往々にしてあるんですよね。で、こんなことをいくら繰り返していても、はっきりいってタメにならない。

 こうした悪循環を抜け出すためには、客観的に自分の作業の進め方や作業そのものを分析して、それを改善していく必要があるわけなんですが、日々の忙しさにかまけてしまうとついついこうした作業を忘れちゃうんですよね。だから、強制的にでも時間を取って、やり方を見直すようにしないといけない、と思うんですよね。(← 慣れてくると毎日決まった時間を取らなくても作業をしながら常に「振り返り」ができるようになってくるんですが、慣れないうちは強制的に時間を取った方がよい、と。) 例えば品質管理の世界には PDCA という有名な考え方があって、

・Plan(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する。
・Do(実施・実行):計画に沿って業務を行う。
・Check(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する。
・Action(処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする。

というサイクルを繰り返せ、というんですが、要するにこれも漫然と仕事をしないで定期的に仕事のやり方そのものを見直せということなんですよね。こういうのって多くの企業で新人研修などの間に教えてもらうのに、現場に放り込まれるとすぐに忘れちゃうんですよ^^。

 個人的な感覚では、全体の稼動の 3 〜 5 % ぐらいをプロセス改善の時間に当てるべきじゃないかと思ってるんですが、なかなかそういうことを実践している人は少ない様子。や、スーパーサイヤ人じゃないですけど、ベースになる実力が少ない人はそれを何倍にするのかを考えて頑張った方が、結果としてのアウトプットの総量は大きくなるんじゃないかなぁと思ったりするんですけどねぇ。

2006/7/27 00:26 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:敗局は師なり――知られざる名勝負物語

 というわけで今日はこれの書評を一つ。



 溜池通信の 6/23 の日記で一部引用されているのを見て、ちょっと興味が出たので読んでみようかと思ったらすでに絶版;。やむなくヤフオクで落札して軽く読んでみたり。や、どういう本かというと、将棋の世界は勝負の世界なので、当然のように勝者にスポットが当たる。しかし、超一流棋士たちが痛恨の敗局を喫したとき、いったい彼らは何を失って、何を得たのか。序文にこんな文章が書かれてます。

 ……勝負の価値は、そこに賭かっているものの大きさで決まる。だがそれは、勝者が何を獲得するかということより、敗者が何を喪失するかということの方が大きいのではないか。そして敗局の中にこそ、その人の真実がありはしまいか。
 私は多少は将棋が分かるものの、棋士たちの譜面を理解できるほどの実力には程遠いので、この本で採り上げられている棋譜はほとんど分からない。けれども、そこに綴られているのは棋譜そのものではなく、それを作り上げている人間のドラマ。タイトルホルダーの棋士たちが若手に破れたときの痛恨。対局料が安くなったり、サイン色紙を求められて肩書きが書けなかったり、弱くなったとたんにファンたちが離れていったり。目の前に突きつけられるリアルが、失意をより根深いものにする。

 そうした挫折やカベにぶち当たったときこそその人の真価が問われるわけですが、この本を読んで興味深く感じたところは、彼らは決して相手を貶めたり目をそらしたり逃げたりしていない、という点。時間はかかっても、様々なモノに触れて、何かのヒントを得て、彼らはその挫折を『消化』している。普通、挫折というのは『乗り越える』とか『克服する』ものだと言われるんじゃないかと思うのですが、乗り越えようとしてかえって泥沼にハマってしまうケースも多い。けれども、彼らは何かしらそこから悟りを得ているんですよ。
 そう、風車になればいいんだ。風の吹くまで二年、三年かかろうと、ちょうどいい機会と考えて勉強しよう。そう考えると、肩の重い荷が全部おりた気がした。
 何気なくもらした娘の無邪気な言葉(「パパも将棋を習ってるのね」)が、内藤の気分を落ち着かせた。普通なら聞き流してしまうところだ。それを師の声のように聞けたところに内藤の充実が感じられる。
 これだ。自分は将棋を「知る者」だった。しかし中原名人は将棋を「楽しむ者」だった。「好む者」よりも上なのだから自分より二階級上ということになる。そうか、それで恐怖心が湧いたのか。
 F1 のアロンソなんかを見ていても思いますが、確かに勢いのある若手は、何もかもぶち壊して突き抜けていく強さがある。それに対して追われるものの立場にある人はすぐに引退やらなにやらと書きたてられる。実際、老兵は老いては去るのみとか言われるわけですが、けれども本当にそうなのか。
 だが大事なことは、敗戦はただマイナスばかりではないことである。敗戦の悲しみを糧にして棋士は立ち直る。沈潜した悲しみがその人を強くし、さらなる飛躍をもたらすのだ。挫折なき人に、超一流はいないのである。
 順風満帆なだけの人生はなく、挫折を消化しているからこそ人としての厚みが出てくる。おそらくどの業界にもいる『ベテラン』と呼ばれる人々は、そうした域に立っているからこそ『超一流』なのでしょう。や、確かにこれは名著と言われるだけのことはある一作。なかなかいい本でした。

2006/7/26 00:55 | 4.雑学&雑感 | コメント (3) | トラックバック (1) | このエントリへ拍手
努力と適性

 というわけで今日はなんとなくこんな軽めの話題を一つ。

 土曜の朝といえば、おとぎ銃士赤ずきん。まあゆかりんが出てなければ見なかった可能性が高いアニメなわけですが;、以前のエントリにも書いた通りこのアニメ、ぶっちゃけゆかりん合ってないよ状態;。や、別にゆかりん及びそのファンの方々(主にでじくま氏;)にケンカを売ってるわけではないんですが(← って私も国民なのか;)、そもそも純粋に声質が合っていないんですよねぇ。どっちかというと、これはゆかりんではなく北都 南さんの方がぜんぜん合ってるなぁと思ってしまったり。

 この blog を読んでるみなさんならご存知でしょうが、X ゲータイトルで北都 南さんが当ててる声が、コンシューマ移植時にはゆかりんに移植されるケースがあるんですよね。D.C. のさくらとか、とらハシリーズのなのはとか。確かに声質や音域は割と近い二人なんですが、致命的な違いがある。それは、北都さんの声が透明であるのに対して、ゆかりんの声は色がある、という点。や、簡単に言ってしまうと、ゆかりんの声って裏表のあるキャラとか影のあるキャラ向きで、純真な子供のような、純粋な透明感を要求されるキャラにはちょっと向いてない。だから個人的には、

・D.C. のさくら → ゆかりん
・とらハのなのは → 北都さん
・AIR のみちる → ゆかりん
・赤ずきん → 北都さん

というキャスティングの方が腑に落ちるんですよね。(要するに、見かけは子供、頭脳は大人のキャラがゆかりん向き) 私はとらハのなのはは今でもゆかりんより北都さんの方が合っていると思っている人なんですが、ただそれでもゆかり版なのはが許せるのは、本人の努力の跡が声の節々に見られるから。ただ、努力したとしてももともと声質が合っていないものは補正にも限界があるわけで、そういう意味で赤ずきんはちょっとミスキャストだと思うんですよね。

 や、商品価値としてどちらの方が高いかと言えば、圧倒的な固定客とファンを持つゆかりんであるのは確かだし、そういう意味でコンシューマ移植などでゆかりんが選ばれるのはよく分かる。けれども、なんというか、努力と適性は別物なんじゃないか、と。CM を見ていても完全に困ったときのゆかり頼みになっちゃってるし、ちょっと違うよなぁと思う今日この頃。

# もちろん、適性(声質が合っている)があればいいかというと、そうじゃないですけどね。
# むしろ適性はあるのにやる気のない声を聞くとホントにがっかりします。
# 例えばコンシューマ版 D.C. の音夢の声とか音夢の声とか音夢の声とか;。

 結局のところ、自分の一番向いているところで頑張るというのが一番いいんでしょうけど、世の中なかなかそんなにうまくいくわけではない、というのも実際のところ。振り返ってみて、自分はかなり適性のあるところで働いてますけど、こういうところで適性もある好きなことばっかりやってるのはやっぱり幸せなことなんだよなぁと思う今日この頃かも。けどまあ、こんなことばっかりやってると頭が腐ってくるのも事実なわけで、なんか次のステップを考えねば、ですねぇ。

2006/7/22 00:55 | 4.雑学&雑感 | コメント (3) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
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