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さっきまでけろっちゃ氏による聖地巡礼レポートを読んでたんですが、おいおいいったい 4 日間でどれだけの量の聖地を巡回してきたんだよ状態。見事なまでの超過密スケジュールのこなしっぷりを見て思わず呆れたリスペクトしたのは言うまでもありません。(ぉ)
# ……っつーか凄すぎ^^。このレポ晒したい(笑)。
# とりあえず 2 章まで読みましたが、続きはまた明日^^。
で、今日は先日の ECO エントリのコメントより。や、普通にコメントで返そうかなと思ったんですが、ネタ的にちょろっと書きたかったのでピックアップして独立エントリにしてみたり。
> 「ネトゲは多くの学生にとって、「便利」なものではない」という事です。
確かに便利なものではないですね^^。けれども、ネトゲがあるから学力が奪い去られる、というのはなかなか微妙な論旨なんじゃないかな、という気もします。「たられば」の話をするのはあまり意味がないかもしれないんですが、
・ゲーム機が登場しなかったら?
・PC が普及しなかったら?
・ネトゲが登場しなかったら?
果たしてみんな勉強したのか? 学力が下がらなかったのか?
……多分違うんじゃないでしょうか? おそらくは、異なる『中毒性を持つ何か』を見つけて没頭していたんじゃないか、という気がします。や、だってたいていの人は勉強なんて嫌いですから;。結局、中高生ぐらいであればそれこそ両親や学校による強制力、そして大学生ぐらいになれば自身による精神力がなければ勉強なんてやらないんじゃないか、と。
もちろん社会システムを考える側の立場にいる人であれば、ある程度の抑止力を持たせることは必要でしょうけれども、現在のネトゲの程度のレベルで果たしてそれが必要なのか? となると、私自身がネトゲをやっている感覚のみから言えば、特に必要ないんじゃない? という気がしますが、どうでしょうね?^^
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聖地訪問中毒なけろっちゃです。仲間内向けのレポを書き終えたのですが、言われようのない寂しさが。
さて、お二人の議論を読んで感じたことをつらつらと。
ネトゲ(など)の存在
↓
@ネトゲ(など)そのものの誘惑(sand氏)
A精神力が足りなければ(まちばり氏)
↓
学力低下
この@とAってある意味表裏一体だと思います。
例えば、私の場合高校時代はある程度精神力は高かったはずですが、某氏の洗脳のおかげで(ぉ)いまや立派な廃人に。かろうじて仕事はしておりますが(ぉぃ)、仕事をする上での自己研鑽という観点ではとても及第点に至りません。
#誤解ないように書いておくと、感謝こそすれ、腹を立てたり後悔したりしているわけではありませんので。>某氏
結局、その程度で崩れるだけの精神力だったと言ってしまえばそれまでですが、(私の場合は)ゲームのここまで人をひきつけるだけの誘惑の度合いは凄いと思います。実際、仕事柄子供と接することが多いですが、半数以上が携帯ゲーム機で遊んでいるのを見ると、ゲーム(などの)魅力には生半可な精神力では抗えなくなっているなという印象を受けます。昔と比べてこのような娯楽に対する社会的な寛容度が上がってきている(言い方を変えれば抑止力がなくなってきている)ことも影響しているのかもしれませんが。
ま、だらだら書いてきましたが、現在根性パラメーターが0に近い私がネトゲをやり始めたら間違いなく廃人になって、学力低下どころか仕事にモロに影響が出るのは必定。君子じゃないけど、危うきに近寄らない予定です。
投稿者 けろっちゃ : 2006年10月7日 10:55
まちばりさん個人としてネトゲ程度なら大丈夫だと仰っている事はわかりましたが、やっぱりすごい人だな^^; と。
勿論私も「強い意志」と書いておりますし、最初からそういったものを全員が持っているのならば問題ない事も承知しております。
だから結局言いたい事は「多くの人にとって、便利なものじゃない」の一点だったんです。
まちばりさんみたいに両立出来る人もいれば、反面身を持ち崩す人もいますね。
私は意志力にあまり自信がありません。私も危うきに近寄らない予定です。
>けろっちゃさん
中毒性の上昇は確かに有りますね。
思い返せばネトゲの登場と同時に、ゲームに熱中していて成績の悪かった仲間たちの成績はさらに落ちていきました。
ゲーム→ネトゲの一番大きな変化は
・終わりが無い
だと思うんです。
ゲームは熱中しても終わりがあります。
ネトゲは熱中してしまったら…、怖いですね。
投稿者 sand : 2006年10月7日 14:16
私も古くからのゲーマーですけど、ある種の麻薬的な側面を持つゲームは危険度が高いと感じますね。
今もシヴィライゼーション4に猛烈に時間を吸われてしまって、
思わずドライブからディスクを取り出して片付けてしまいました。
オンラインゲームではそこで友人が出来るとか、ある種外形的な枠組が
出来てしまうと日々のタスクが成立してしまいます。
精神力と言えばそうですが、確率論的に危険度の高い行為はあるということでしょうか。
そういうわけでオンラインだけは避けまくっています。
もっともカルドセプトとか控えているのでどうするかな、ですけど。
投稿者 夏のこたつ : 2006年10月8日 00:16
エントリ立てるのに手一杯でコメントが後手に回っているまちばりあかねです;。
この議論、ちょっと振り返って考えてみると私にとっての違和感は、
「ネトゲが存在する『環境』を前提条件として捉えるのかどうか(変えられるものかどうか)」
というポイントから生じたものなのではないか、と思ったり。
私はどちらかというと、ネトゲにしてもその他の中毒性のあるものにしても、
基本的には「与えられた環境」であって、それが現れるのは『大きな流れ』に
よるものだから、そこにケチをつけてもそうそう変わらないだろう、という
スタンスで物事を考えます。
「作る側」の人間が、本人の意思や家庭の躾といったものの弱さを元に自己の
正当性を主張するのだとしたら論外ですが、「遊ぶ側」の人間が、メーカ側や
供給側の責任追及を持って自己責任への言及が弱まるという点に違和感を感じるわけです。
(供給者側への過剰な責任追及は最近始まったわけでもないですが。)
> オンラインゲームではそこで友人が出来るとか、ある種外形的な枠組が
> 出来てしまうと日々のタスクが成立してしまいます。
> 精神力と言えばそうですが、確率論的に危険度の高い行為はあるということでしょうか。
結局は夏のこたつさんのこの指摘が一番的確かもしれませんね。
ただ、『高みを目指す』という行為が、虚構の世界に閉じるのではなくリアルワールドで
発揮されれば世の中の生産性はきっと……というのは甘い考え方ですかね?^^
投稿者 まちばりあかね☆ : 2006年10月20日 12:00