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最近のトピック 4.雑学&雑感

ご恩返しなお仕事。

 ふう〜;、ようやくお仕事ラッシュも一段落で、今日は朝からまったり ECO(ぉぃ)。や、もっとゆっくり寝ようと思ってたんですが、ここ2週間ほど朝が早かったこともあって早くから目が覚めてしまうワナ;。疲れはあんまり抜けてないのでこの三連休でしっかり回復せねばなわけですが、昨日のお仕事は実は古巣なお仕事だったり。

 自分は今の会社が2社目だったりするのですが、新卒のときに入社した1社目は2年ちょっとで退社。最初に入った会社はいわゆる典型的な日本企業で、労働組合なんかもかなりしっかりしている優良企業……だったのですが;、基本的に超わがままな自分にはこれがどうにも肌に合わなくて今の会社に転職。や、新卒のときに配属されたプロジェクトが失注しちゃってチームが解散して当時の部長とかが全部飛ばされた=会社に奉仕することには意味がないと気づいたから、というところが大きかったりするのですが、まあ今から思えば若かったなぁと思う部分もあって(苦笑)、本当にそのチョイスでよかったのかどうかは悩むところもあったり。

 まあ、今のチョイスしか取れなかったのもまた事実ではあるのですが;、新卒数年目で辞めたということ自体いろんな意味で心残りがあって、(しょせんは同じ業界なので)いつかどこかで前の会社と何らかの形で関わりたいなぁとは思ってたんですが、それが昨日、講演会という形で実現。これを皮切りにこれからいろんな施策を順番に展開していこうとか思っていたりするのですが、やっぱり仕事を一緒にやってみると、いろいろと感慨深いものがある。終了後に懇親会 → さらに 2 次会で終電までみんなで盛り上がっていたのですが(しかもさんざん飲んだ(笑))、いろいろ話をしていたら、先方の若手のエース(と自分が思ってる人)が大学の後輩であることが判明(学科違うけど;)。もしかして自分が前の会社に残っていたら向こう側に座っていたわけですが、なかなか動きの悪い自分の会社の愚痴を言いながらも温厚な笑顔を浮かべるその人を見ていて、そういう人生も悪くなかったんじゃないか、と今さら思ったり。や、しょせんは隣の芝生な話なのですが、人生っていろんな意味でやり直せないものなだけに、改めていろいろと考えさせられるものがありました。

# いや別に今の仕事とかに取り立てて不満があるわけじゃないんですけどね;。
# ただまあ、いわゆるレールから外れたアウトローな生き方をチョイスしていると、
# 普通の生き方をしている人が羨ましく思える瞬間はやっぱりあるんですよねぇ;。

 ……なんていうことを考えてしまうのは自分がそこそこの歳だから、というのもあるんでしょうが;、でも、こういう形で前の会社の人たちと絡んで仕事ができるのはかなり嬉しくもありますね。前の会社を辞めるときに、いつか力をつけてこの会社に何らかの形で恩返しをしたいと思っていたのですが、図らずもこうした形でそれが実現したのはやっぱり嬉しいところ。たぶん、他の会社だったらこのプロジェクトにここまで肩入れはしないのですが(=会社の一員としてはあまり正しい判断ではない)、でもやっぱり心情的に力が入ってしまうのは……まあちょっとは許してください;、状態(苦笑)。どこまで何ができるのかはわからないけど、できる限り頑張ってみたいところです。

# それにしても、やっぱり以前その会社にいたという経験はめちゃめちゃ強力ですね^^。
# その会社の文化的な背景が分かるので、問題点や解決の方向性もかなり的確な提案が(笑)。

2008/9/13 11:00 | 4.雑学&雑感 | コメント (16) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
「先生」という名の職業

 や、先週から今週にかけては講習会の講師をひたすらやってたり。たまたま講習会のお仕事がスケジュール的に重なってしまってこの時期に一気にやるしかなかったのですが、さすがに一日中の立ち仕事を週4日間とかやるとかなりボロボロ状態に。話している最中は気力でなんとか話せてしまうのですが、問題なのは終わった後とか座ったとき。今日はデモのために一時座ってキーボードを叩いたのですが、さすがに座ってる最中に立ちくらみしたときにはかなり自分で焦りまくり;。これはやはり自重しろという神のお告げですかそうですかorz。

# しかし立ちくらみしながらも何事もなかったかのように平静を装って話し続けたあたり、
# 自分で激しくどうなんだろうとか思った……orz うむむ、栄養不足かなぁ;;。

 とゆーわけで、今日はせっかくなので講習会に絡んだお話。先日、ある方と話してるときに「先生という呼び方は避けて欲しい」と依頼されて、やむなく先生という呼称を外したのですが、その理由が「自分の職業は先生ではないから」というもの。要するに専門職の役職名で呼んでほしい、という話だったのですが、いやいやそれを言ったらそもそも先生っていう職業なんてないじゃん;、とツッコミを入れてしまったり。確かに、世の中に「先生」と呼ばれる職業って結構あるわけですが、

・学校の先生 → 教師とか教諭とか教員とか。
・大学の先生 → 教授とか助手とか講師とか。
・塾の先生 → 講師
・病院の先生 → 医師

が本来的には正しい職業名。相手に対して敬意であるとか respect が入った場合にそれが初めて「先生」っていう呼び名になるわけで。(なので自分の場合は過去に習った学校の先生についても、「さん」「様」「先生」を使い分けることがあったりする……っていうのはもしかして minority ですかそうですか;)

 確かに、「先生」という呼び名は、呼ぶ方にも呼ばれる方にもいろんな誤解を与えがち。その昔、大学時代の研究室のある先輩が、「先生と呼ばれる職業の娘や息子にロクなヤツはいない」という暴言を吐いたことがあるのですが;、さすがにそれはちょっと言いすぎだろうと思いながらも、思い返してみれば不必要にプライド(という名の見栄)が強い人は多かったかも。血筋の良さを誇りにするタイプの人も実際にいて結構げんなりした記憶もあるのですが;、「先生」という呼び名で日々持ちあげられていれば、そういう勘違いをするリスクもある。そういう意味において、自分は先生と呼ばれるに値しないという謙虚さを常に持ち続けることはものすごく大切だと思うし、「先生」という呼び名に値しないと思えば、返上する謙虚さを持つべきだと思うんですよね。

 けれどもその一方で、他人から先生と呼ばれる重圧に耐えることも必要なんじゃないか、とも思ったり。相手が単に形式的に「先生」と呼んでいるだけであればその呼称は丁重にお返しすればいいわけですが、相手が何らかの敬意を持って「先生」と呼んでくれているのであれば、その呼称を返上することは、相手の敬意を否定することに繋がる。相手の敬意や respect、過度な期待は時として重圧で、逃れて身軽になりたいと思うものだけど、その言葉の重みに耐えて、その人の期待に応えるように頑張ることもまた必要なんじゃないか、と。

 ……や、要約すると。
 めげずにがんば。ってことですか。(要約しすぎだw)

 まあ、自分に対する謙虚さと自分に対する厳しさの両方を持つことが、たぶん大切なんですよね。
 ……とか書きながら最近自分に対する甘さが結構目立つような気がする今日この頃;。やらなきゃいけないこといろいろ山積み〜;;。なんとかしよう、うん;。

2008/9/11 01:11 | 4.雑学&雑感 | コメント (42) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
権利としてのプライバシー

 えーと、今日は先日の Google Maps ストリートビューに関連したちょっとしたお話をひとつ。やっぱりコメも多いようで、みなさん気になるんでしょうか^^。

 Google Maps ストリートビューというのは、要するに Web 上でかなりの精度でその街並みを見ることができるというツールで、住所さえ分かってしまえば現地まで行かずともその周辺の様子をさくっと見ることができてしまうというもの。先日のエントリでも、TMV さんが思いっきり映っていたという笑えない話もあり;、これってプライバシー侵害なんじゃないか、という物議をいろいろと醸しているのは確か。

 が、ここで疑問になってくるのはそもそもプライバシーって何か? という話。

 私も仕事柄、コンピュータシステム関係のセキュリティの話をする機会がよくあるのですが、プライバシーとは何か? という話をすると、「自分に関する情報を守る(秘匿する)こと」、と答える人が結構います(というよりほとんどの人がそう答える)。けれどもこの考え方は結構古い考え方で、現在は、

 プライバシー = 自分に関する情報を、誰にどこまで公開するのかを自分で決定できること

というのが正しい定義になっていたりします。や、言われてみればこれは当然で、お友達だったら別に住所とか電話番号を教えてもいいけど、でも家族構成や年収とかは教えたくない、なんてのは良くある話。つまり、プライバシーというのはなんでもかんでも隠すということではなくて、公開できる情報を自分でコントロールすることができるという権利、なんですよね。

 がしかし、勝手に公開しておいて、後から問題があれば削除するよ、というスタンスは結構微妙といえば微妙。例えば大手銀行が預金口座の残高リストをまとめて一気に公開しちゃってから、預金者に対して「問題があったら削除するよ」なんて言おうものなら「おいおい」となってしかるべき。これは極端な例にしても、一度 Web みたいな公的な場で公開されたデータって取り消すことができないわけで、えらい強硬策に出たなぁという気がするのも正直なところ。

 「オプトアウト(opt-out)」と「オプトイン(opt-in)」という用語があるのですが、opt-out というのは「事前にユーザの許可なく一方的に勝手にやっちゃう」こと、opt-in というのは「事前にユーザに許可をもらってから何かをする」こと。一般的に、Web のメールの世界では opt-out な広告メールを送り付けると思いっきり嫌われるので、極力 opt-in を使おう、というのが Web の世界の常識……のはず。確か Google さんは「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにする」というビジョンを掲げているのですが、突き進む企業というのはこういった常識すらも撥ね退けて自らの信念を突き進んでいくものなのかもしれません。

 ……いやさすがにこれに関しては微妙だと思ってますけど;。

2008/9/9 01:30 | 4.雑学&雑感 | コメント (7) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
一期一会

 ふう〜、今週は週4日間の講習会の講師の仕事で結構ぼろぼろ;。昨晩は送別会 → ECO でちょっとだけクエこなし → ばたんきゅ〜、だったのですが全然疲れ取れないよ状態でまるで頭がまわってない;。さすがにキツいのですが、来週もまた週4日間講習会なんですよねぇ……なんつーか完璧にデスマでどうしよう状態に;。

 さてさて、ホントは月曜日に個別に行うはずだった送別会に弔事で参加できなかったので、かわりに昨日の送別会に参加。さすがに組織の大人気者だけあって、入社3年目にもかかわらずかなりの大人数の参加者。二次会にも20人以上が参加するという凄い大所帯になっていましたが、あるマネージャの「みんな怒ってる」という発言に思わず苦笑。や、要するに「みんなに迷惑かけて辞めるんだから、全力で頑張ってこい」という激励の意図なのですが(類似の発言が複数人から噴出(笑))、まあ気持ちは分からなくもなかったり。ただその一方で、この子の苦悩を分かってあげられなかったあなたたち(マネージャたち)にも十分に非があると思うだけに、いろいろと考えさせられるものもあったり。というのも、やっぱり世代ギャップなのか、最近の新人君たちとの接し方ってやっぱり難しいなぁと思ったりするんですよね。

 今週の自分の講習会は、ある企業さんの新人1年生を相手にした講習だったのですが、今年の新人君たちの難しいところは、とにかく叩くと簡単に折れてしまうというところ。ゆとり教育の影響かどうかはわかりませんが、要するに極度に打たれ弱いところがあって、いろんな意味で接し方が難しい。同僚いわく、最近の若い人を指して「誰かがなんとかしてくれる病」と称していたのですが、根性や芯の強さを見せてくれるような瞬間がとにかく少ないので、どうやってプロ意識を持つようになってもらうのか、という点が難しい。確かにプロ意識というのは教え込めるものではなく、当人が気付くしかないタイプのものなのですが、甘やかさず、かといって厳しすぎずというバランスを取るのはホントに難しい。一歩間違うとその人の人生や経歴にも影響を与えてしまうだけに(いくら自己責任が原則とはいえ)やっぱりあれこれ考えちゃうところはあるんですよね。

 昨日の送別会の子の場合、会社よりも自分の夢に賭けてみる、という選択肢をチョイスすることに繋がったので結果オーライという側面はあるのですが、正直、その業界で成功するのはよっぽどでないと難しいだけに、後悔の残らないように全力でやれるとこまでやって欲しいと思わずにはいられなかったり。多分、この子とはもう二度と会うこともないんでしょうけど、ホントに頑張って幸せになってもらいたいものです。

 ……というわけでなんかまだ眠いんですが;、今日はお仕事しなくちゃ状態;。
 週4日間の講習会=週中で作業時間が取れない=週末のお仕事確定、なんですよねぇ;。ううっ;。ご飯食べたら出かけるかな……

2008/9/6 10:49 | 4.雑学&雑感 | コメント (4) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
おっきな企業のお偉いさん。

 ふう〜、というわけで今日もぼちぼちお仕事いろいろなわけですが、さっきうちの社長からメールが飛んできてびっくり;。や、昨日たまたまリーダシップ研修の懇親会に社長が来てたので、普段から もやもやっとしていた内容をちらっと提案してみたのですが、ものの数十秒で言いたいことをさくっと理解してくれて、「じゃ明日にでも○○さんから連絡取ってもらうようにお願いしとくから」と言われたんですよね。で、こちらとしては内心「まあお偉いさんによくある気軽な返事かなぁ……」ぐらいに思っていたのですが、まさか本当に向こうから連絡があるとは思っていなくて超びっくり;。今まで社長室の知人数人に複数方面から相談を持ちかけてもからっきし動く気配がなかったのに、こうもあっさり動いてくれたのには驚きを隠せなかったり。

# もちろん初動が早いだけで、そのあといろいろ紆余曲折があるはずなんですが(笑)。
# とりあえず資料や情報を取りまとめてメールしなくちゃですよ;。

 実は昨日のリーダシップ研修に参加していた(かなりえらい)人が言ってた話の中に、ものすごくうなづいてしまったこんなセリフがあるんですよね。

「大きな企業の場合、上に行くほどまともな人がいる。」

 このセリフ自体は、他部門とのやり取りで話を理解してもらえなくてものすごく困っている、という人に対するアドバイスとして、横とのつながりだけでなくて、斜め上とのつながりも作れ、という話の中で出てきたものなのですが、あ゛〜、なるほどこれは言い得て妙だな、と思ったり。大企業のお偉いさんとなると、(やっかみ半分もあって)ロクなヤツがいない、とか思いがちなのですが、でも実際のところ、まともな企業の上の方の人はホントにめちゃめちゃ優秀。ちゃんと理屈と筋を通せば分かってもらえることがものすごく多いし、情にも厚い人が多い。やっぱり偉くなる人にはそれなりの理由があるんだなぁと思わせてくれるものがあったりするんですよね。

 うちの社長さんと話したときに、「いやいや僕の仕事は組織の人同士をうまく繋ぐことだから」と言ってたんですが、そんな当たり前のことをちゃんと実践できるあたりがやっぱり優秀な人の証なんだろうなと思ったり。自分の組織の部門長もめちゃめちゃ優秀な人なんですが、こういう人たちと一緒に働けるというのは仕事していて楽しいし面白いですね、やっぱり^^。

2008/9/4 01:38 | 4.雑学&雑感 | コメント (28) | トラックバック (1) | このエントリへ拍手
こんなときでもない限り。

 今日は以前の会社でお世話になった先輩社員のお通夜に出席。昨日の夜、以前の後輩の子が知らせてくれたので急遽都合をつけて駆け付けたのですが、まさかの突然の訃報に驚かずにはいられず。聞いた話では数年前から悪性腫瘍との闘病生活を続けていたとか。まだ働き盛りの 40 代、しかもお子さんもまだ小学生ぐらいだというのに……

 しかしこの先輩社員と仕事でご一緒していたのは8年以上も昔のこと。当時のプロジェクトメンバーは生え抜き揃いで、今から思い返してもドリームチームのような素晴らしいプロジェクトチームだったのですが、プロジェクトの失注でチームのみんなもバラバラに。以来、私も会社を辞めてしまって会う機会もなかったのですが、せめてということで年賀状だけは送ってたんですよね。いつかどこかでみんなと会いたいなぁとは思っていたものの、こういう場で再会というのも微妙な心境。亡くなられたこの方とも結局お話しできなかったと思うと、やっぱりみんなが健在なうちに都合をつけてでも遭うことがやっぱり大切なんだよな、と思わずにはいられなかったり。

 みんなでまた飲みたいね、とは話したものの、果たして実現するものかどうなのか。つい日常生活だと日々の忙しさにかまけてサボってしまうことはたくさんあるけど、なんとかしたいものです、はい。

2008/9/2 01:12 | 4.雑学&雑感 | コメント (5) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
Google Maps ストリートビュー

 激しく出遅れ感がある上に初めて真面目に見たんですが、これはさすがに;。

・Google Maps ストリートビュー
 http://www.google.co.jp/help/maps/streetview/

 これ、具体的に実際にモノを見てみてもらった方が早いと思うのですが、簡単に言うと Web 上でかなりの精度でその街並みを見ることができるというツール。アメリカでサービスを開始したときに相当な物議を醸した、という話は聞いていて、さらに先日は依然お世話になってた塾の社長から「あれはひどい」と話を聞いてたのですが、実物はまだ見てなかったんですよね。で、使ってみたのですが。

 ……いやこれさすがに激しくどうよ? と。

 とりあえず私の家とか母方の実家とか検索して表示して見たのですが、一発でアウト。幸い、私の家や実家はマンションなのでまあまだマシですが、母方の実家などは思いっきり一軒家なのでバッチリ見える、という素敵プライバシーな状況。360 度カメラで撮影しているので視点までくるくるっと回すことができるというおまけつき。撮影時間帯によってはベランダに布団を干してたりする生活感あふれる写真、あるいは事故直後の写真、ひどいのになると空き巣侵入しているまさにその写真まであるらしく、こりゃまたひどい凄まじいものを作ったもんだなぁと思わずにはいられなかったり。

# ちなみにさすがに首都圏や大都市近郊だけのサービスですね。
# 地方の方は思いっきりセーフです。

 こうしたテクノロジについては功罪両面があるもので、一概に悪いと断定できるわけでもない。例えばこんなことをしてやれば、

 おうちにいながら聖地巡礼www。

とかできる。特に現地に行ってからいろいろ確認しなくて済む分、効率的に聖地巡礼ができるようになるツールとしては超期待なわけですが、まあ聖地巡礼はともかくも、

・おうちにいながらいろんな有名観光地に行った気になれる。
・不動産選びのときにこれを使うと周辺の住居環境がすぐに分かる。

とか、いろんなメリットがあるわけで、確かにバーチャルリアリティ技術としては良くできている。とはいえ、上にあげたようなことは裏を返せばリスクになるわけで、

・犯罪者が空き巣を狙いやすい家を探しだすことができる。
・宅地環境が分かってしまうので、住所情報からその人の生活水準が推測できてしまう。

などなど、正直ろくでもない使い方はいくらでも出来てしまう。面白いという印象よりも、一般人(特にプライバシーに敏感な日本人)にとっては怖いという印象が真っ先に立つはずで、特にお子さんをお持ちの方なんかの場合には見た瞬間にシャレになってない、と思うんじゃないかと思ったり。

 Google にしろ YouTube にしろ、昨今革新的と言われている会社は、要するに法律やら許可やらを事前に根回しして取るのではなくて、技術力や資本力などのリソースを全力投入して、様々なしがらみや制約の抜け目を半ば独善的に強行突破することによって成立している。けれどもそれにより『便利さ』が生じるとともに、『リスク』も生じることになる。ここで、『便利さ』を享受する人と、『リスク』を背負わされる人の間にねじれ関係が生じると問題が発生するのですが、このサービスはそういう意味で非常に危険なサービスだなぁ、と思わずにはいられません。

 ただ、1ユーザとして考えた場合、結局のところ、このサービスを許すかどうかではなく、

 こういうサービスが存在するという前提で、どう自分の身やプライバシーを守るのか。

を考えなければならなくなっているのが実態。正直なところ、私はこのサービスは得られるメリットに比して被るリスクが大きすぎる、と感じずにはいられないのですが、こういうのは頭の発想を切り替えていかないといけないのかもしれません。

2008/8/29 02:23 | 4.雑学&雑感 | コメント (9) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
ポジティブフィードバック

 ふう〜;、なんかもろもろ忙しい;。まあこんなこともあるよね、と思いつつ今日の blog なんにしよう、状態なわけですが、今朝まったりとテレビを見てたときに思ったネタを一つ。

 今朝やってた番組で扱ってた話題は、モンスターペアレンツ(moster parents)。簡単に言えばめがっさ理不尽極まりないことを当然の権利であるかのごとくあれこれ言いまくる親のことを指す言葉で、それによって教師とかが疲弊しまくってます、という趣旨のお話だったのですが、まーこれがひどい;。

[case 1. なべやきうどん]
・過保護な親が、冬場に冷たいお弁当を食べさせるのはかわいそうだと高校生の息子になべやきうどんの出前を頼む。
・これはさすがに困るということで親御さんにそれを伝えたところ、今度は自前でなべやきうどんのデリバリ。
・挙句の果てに教育委員会に通報されたらしい。
あまりにもひどい話で、先生がかわいそう。

[case 2. 先生に憧れる子供]
・学校教育の現場を定年で離れた後、ボランティアで英語の教師をやっていたある先生のお話。
・ある子供が先生に憧れて毎日勉強に励むようになり、将来は英語教師になりたいというようになった。
・そんな生徒を見て、先生から「頑張りなさい」との励ましの言葉。
・ところがしばらく経って、親がいきなり怒鳴り込み。いわく「自分は先生って職業が大嫌い。理想を子供に押しつけやがるな」と一方的にまくし立て。
・この一件で疲弊してしまったこの先生は、半年後にボランティアでの教師活動をやめてしまった。

 さてさて、この 2 つのお話。どっちもひどすぎる親だと言わざるを得ない & どー考えても親が悪い、という点については論を待たないのですが、聞いてて「うーん」と考え込んじゃった点があったり。それは、この 2 つのケースの先生たちは、どちらもポジティブフィードバックを受けていないんじゃないか、という点。要するに、モンスターペアレンツに言われる一方で、褒められたり感謝されたりする機会が実は少なかったんじゃないか、と思うんですよね。

 もちろんテレビによる脚色も含まれていると思うのでその辺は差し引く必要があるのでしょうが、この二人の先生の場合、ごく当たり前のことを当たり前に言ったりやったりしているだけ。case 2. に至っては、わざわざ定年後にボランティアまでしているということを考えても、熱意のある方なんじゃないかと思うんですよね。がしかし、それがモンスターペアレンツのひと言で挫けてしまう。これって理不尽極まりないとは思うのですが、その一方でこうしたことで精神的に挫けてしまう一因として、多分、普段当たり前のことを頑張って当たり前にやっていることに対して、褒められたり感謝されたりすることがほとんどないからなんじゃないか、と思うんですよ。例えば、case 1. の場合、極端なことを言えば、かわいそうだと思いつつもその先生に対してポジティブフィードバックをしていない(あなたは正しいと言ってあげていない)ということは、(悪意はなくても)あなたも同罪という側面があるんじゃないか、と。

 感謝の言葉やほめられた一言で、すべてが救われる瞬間がある。
 学校の教師やお医者さんのすべてが正しいわけでもないし、すべての人が善意や熱意に溢れたいい人ばかりというわけではないけれど、少なからず多くの人たちが、私利私欲だけではなく情熱を持って頑張っている。けれども、それがサービスとしてお金を払っているんだから当たり前だ、という気持ちでいるのは果たしてどうか。自分が普段の日常生活の中でサービスを受けたときに、その相手に対してどれだけのポジティブフィードバックをしているのか? そう考えると、普段の日常生活の中でも、ちょっとした感謝の言葉を口に出すのはとても大切なんじゃないか、と思ったりします。

2008/8/28 02:15 | 4.雑学&雑感 | コメント (8) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
会社と私の契約関係。

 先日、まったりと会社でお仕事してたらびっくりメールが飛んでくるワナ。入社3年目の新人くん(女の子ですが;)が退職するとか;。クロスグループコラボで一緒に作業をしたことのある子で、当時から仕事がうまく回らない様子(入社直後にその子を見ていた割と面倒見のいい先輩社員が別の部署に異動してしまった)でかなり悩んでいるらしいという噂は聞いてたのですが、いやはやそれにしても入社3年目で退職するという話にはさすがにびっくり。

 で、いったい何が原因なのかとその子のところに行って話を聞いてたわけですが、これがさらにびっくり。なんと今の IT 関係の仕事をばっさりと辞めて、バレエの専門学校に進むという別の人生を歩むことに決めたのだとか。クラシックバレエとかはヨーロッパが本場らしく、イギリスの方に留学してまずは専門学校に入って、うまくいけばそっちに永住する、みたいな話。その子いわく、もともと入社のときからバレエの道に進むかどうか迷っていたものの、社会人経験はしておいた方がよいだろうという判断で今の会社に入社。で、2年間お仕事をしてきてやっぱり夢を捨てきれずにそっちの道に行く……という話なのですが、それが本当なら

 お願いだから迷惑なことはホントやめて〜;;。

と思わずにはいられなかったり;。というのも、入社から2年間というのはとにかくコストのかかる時期で、新人一人に対してかける教育コストってある意味採算度外視なんですよね。けれども将来的に稼いでくれれば……という期待感でコストをかけているわけで、同じ業界ならともかく全く違う業界に転職って……orz まあこの子の場合、フロントエンドの人たちとコミュニケーションを取らないと成立しないバックエンド部門の仕事をこなしてたんですが、あまりコミュニケーション能力が高いとは言えず、仕事がうまく回らなかったのでやや「逃げ」を打ってそちらの方面に進む、みたいな匂いを多分に感じたり。なので、ホントの意味で自分のことしか考えていなかったというわけではないと思うのですが、でもこういう人が出てしまうと企業として新人に対してコストをかけるのはバカバカしい、というドライな判断がなされちゃうんですよね;。そしてそれは自分だけの話じゃなくて、他のみんなにものすごく迷惑をかけちゃう話、なんですよね。

 ……という私自身も実は入社3年目のときに転職しているのですが(ぉぃこら;)、でも当時、退職するときには自分と会社とのトレード関係は正当なものなのか、ということは結構気になったんですよね。要するに、もらってる給料やかけてもらっているコスト以上に見合う仕事の働きを見せたかどうか。実際、前職の退職時には 10 年選手の先輩とタメ張って仕事をしていた(というかたまたま年季がモノをいわない仕事だったというのもあるのですが)し、退職時には大量のドキュメントとかを残したりとか、それ相応の貢献はしたつもりなのですが、それでもその点についてはいろんな意味で心にしこりを残した部分。幸い、それから8年ぐらい経った今、再び前職の会社とかかわって仕事をする機会が与えられて、ある意味普通だったら絶対にしないような手厚い支援をしているのですが、なんかやっぱりそれって新卒で拾ってくれた前の会社に対してなんとなく後ろめたい気持ちがあるから、なんですよね。

 先日のエントリで、学生感覚が抜けていない人(学生=環境は与えられるものであって自分で作るものではない、という感覚から脱することができない人)の話を書いたのですが、会社との関係においては、もらった分以上の貢献がちゃんとできていると胸を張って言えるかどうかはものすごく重要なことなんじゃないかと思う今日この頃。それは言ってみればフリーランス的な感覚なのですが、特に今の世の中のように会社がいつ潰れてもおかしくないような時代では、ものすごく重要な感覚なんじゃないかと思います。

 ……しかしこの子の送別会どうするかな;。なんか考えないと;;。

2008/8/22 01:59 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
仕事で使えない人 Part.1

 えーっと、今日はちょっと毒入りエントリをひとつ;。

 私はお仕事関連ではカンファレンスとかでスピーカーとかやったりすることもあるのですが、先日、カンファレンスを実施したときに、後でビデオを Web で公開できるようにしてもらえないかなぁと思ったときの話。最近はビデオの撮影にしろエンコードにしろ、ものすごく環境もツールも整いまくっているのでホビーユースでも簡単にエンコード処理とかできてしまうのですが、それを頼んでみたところ、主催のイベント系の企画チームの担当者からの返答にびっくり。

「うーん、予算がないのでちょっと難しいんですよねぇ……。」

 いやいや;、ビデオカメラがそこにあるから普通にあなたがちょろっと撮影してエンコードすれば済む話じゃん、と思ったわけなのですが、どうも外部の会社に委託することを想定していたらしく、いやそこまでおおごとにしなくてもいいんだけど、と思ったり。で、そんな話をしたところ、いやそもそも自分だとやり方が分からないだのなんだのぐだぐだいうので、だったら自作自演で自分で撮影しますから、と話を打ち切って、自分の組織で持っている DV カメラを持ち込んで、とりあえず自分で撮影。

 ……とまあここまではよかったものの、撮影が終わってそれをエンコードしようという話になると、また話がたらいまわしに;。いやあなたが持ってるそのノート PC でそのままエンコードできるんだけど、というものの、やっぱりやり方が分からないだのなんだのという話に;。これまたあまりにもうっとおしくなって、だったらこっちでエンコードしますから、と話を打ち切るハメに。とはいえ、自分の PC はちょっと調子がおかしいこともあって、自分の組織の派遣の方にエンコードをお願いすると(← 以前、エンコードのやり方を教えておいたのですが)、

「あー、わかりましたよ、やっておきますね。
 でもちょっと今日はもう時間なくて帰るので、明日でもいいですか?」

 ……っていうかおいおいなんなんだこの違いは、と頭を抱えてしまったり;。

 この正社員さんは典型的な例なのですが、この人に限らず、これは自分のやるべき仕事じゃない、と簡単に線引きをして他人に任せようとする人が結構多い……のですが、概してこの手の人って仕事では使いモノにならないんですよね。例えばこの例の場合、私の本業はビデオの撮影でもエンコードでもないけれども、とりあえずやってみようかなと思ってトライしてみるのに対して、この正社員さんの場合には比較的本業に近い(=その知識があれば別の機会に活かせる可能性がある)にもかかわらず、率先してやろうとしない。なぜやろうとしないのか、という理由や心理については人それぞれいろんな理由があるのでしょうが、本音ベースでいえば、

 他人が成功のお膳立てをしてあげないと仕事ができない人は使い物にならない。

んですよね;。まあこの正社員さんの場合には、さすがにその人の本業部分についてはちゃんと仕事をしているので全く使い物にならないというわけではないのですが、その一方で、自分の職責範囲から出ようとしないスタイルでしか仕事をしないような人のところには面白い仕事は来ないという事実もある。結果として、「仕事つまんないー」「なんとなく転職しようかなー」モードになってるわけですが、いやまあそりゃそうでしょうねぇ……と思ってしまったり。

 結局のところ、自分の職責範囲にとどまらず、自ら進んで三遊間ゴロを拾いに行くようなタイプの人じゃないと仕事では使い物にならないし、そしてそういう積極性がない人には面白い仕事がアサインされることなどない。結局、それは事物に対する興味レベルを高く持ち、とりあえずなんでも飛びついてみる、ということなのですが、そういう積極性を持ち続けることが、仕事にしろなんにしろ重要なんじゃないかなぁと思ったりします。

 ……にしても、この人がなんで自分からやろうとしなかったのかは微妙に気になるところ。
 まあ今度機会があったら聞いてみることにします;。

2008/8/6 02:47 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
どんだけ煽れば……;。

 そんなわけで今晩もさんざん狩りまくって、さっき露店を出してようやくひと段落したのですが(ぉぃ;)、ちとここ数日の廃人っぷりに自分でも呆れかけている始末;。まあ明日はもっと廃人な人たちを見ることができると期待しているのですが、それはともかく今日はちょっとした小話?をひとつ。

 手前のエントリに書いたように、今日は祖母のお見舞いに行ってきたのですが、すでに祖母は相当具合も悪い上に認知症も進んでいて、私の名前なんかもかなり怪しい……というより思い出してくれない確率の方が高かったりするのですが、今日は先日新しく出版された書籍を持って行ってみたら、その書籍つながりで私の名前が思い出せた様子。今まで出してきた書籍については全部、祖母の部屋にある祖父の仏壇の脇に備えておいてもらってあるのですが、新しい本を出しては持っていってたんですよね。嬉しくもあり、また切なくもあったのですが、この書籍の表紙のデザインを決めるまでは結構な紆余曲折があったり。

 同人誌と同様に、書籍でもやはり表紙のデザインについては、デザイナさんからの素案をいくつかもらってそれを見ながら調整をかけます。がしかし実を言うと、今の書籍の表紙はカラーリング含めてかなり気に入らなかったりします。端的に言えば知的さやクールさに欠けるからなのですが、ところがどっこい、このダサめなデザインがかえっていいらしいんですね。

 考えてみればわかりやすいのですが、同人誌の購入と同じく、書籍の購入動向にも基本的には2つある。

・指名買い。(この出版社・この人・この内容であれば買う)
・一見さん買い。(書店でなんとなく目にとまったから買う)

 で、書籍の売り上げを伸ばすためには後者の心をどれだけ掴むかが重要で、そのために平積み位置の確保とか(ちなみに書店と出版社との力関係で平積みになる書籍が決まったりする)をするわけなのですが、

 一般的に、センスのよいデザインの表紙は、むしろ心や視覚に残りにくい。

という問題があるんですね。だから、表紙はむしろ「ダサくても視覚的アピールのあるもの」の方が売れるのだそうで、なるほどそういうものなのか、と感心したり。……がしかし、ですよ。

 なんすかあの帯のあおり文句は;;。

 しまった完璧に油断してて、あちゃー、やられたよ状態に;。や、いつもは表紙に入れるリードや拡販用の帯紐なんかについても校正を入れるのですが、今回は完全に出版社お任せモード……というかレビューするのをすっっっかり忘れていて完全に放置してたらおいおいどんだけ煽れば気が済むんだみたいな帯になってて思わず苦笑。……や、もういいや、旅の恥はかき捨てとか言うし。(← 完全に開き直ってやがりますよこの人;)

# というか私のリアルネームご存じの方はちょっと本屋にでも立ち寄ってみるといいかも。
# 思いっきり吹きます……というか誰かに笑い飛ばしてもらわないとやってられない(苦笑)。
# でもなんかこういうことが何度もあると、ホントに感覚が麻痺してきて、「もう好きなだけ
# 勝手にいじって;」という自分投げ出しモードになっちゃうんですよね;。
# 正直、いろんなことに対する実感を損なうということなのであまりよいことだとは
# 思えないのですが、年を食ってくるとこういうことも背負わなくちゃいけなくなってくる
# ものではありますよねぇ;。

 まあ確かに目立つのは売上的に重要かもしれませんが、悪評で目立つのだけは避けたいと思う今日この頃;。……というかなんかいろんな意味であの書籍の帯はイタいと思うのはこの blog と同じですかそーですか;。orz

 ……ま、それはともかく今日は ECO ユーザカンファレンス。
 どんな廃人さんたちがいるのか超ワクテカ(← ってか君も明らかに廃人だ、とか言われそうw) 気分を入れ替えて楽しんできますよ〜?^^

2008/8/3 03:25 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
迷惑 blog の話。

 なにやら東北地方で大地震があった様子。関東でもかなりの揺れでびっくりしたのですが、まだ情報があまり出ていない様子。これからいろいろ被害状況が明らかになってくると思うのですが、震災に遭われた方々はほんとご愁傷さまです....東京もそのうち起こるんじゃないかと思うだけに、ホントにこわいものです;;。

 というわけで今日は先日 NHK ニュースを見ていたときのお話を一つ。日本はもともと blog 大国とでも呼べるほど blog がやたらと多い国なのですが、総務省の調べで、そのうち 1/3 が迷惑 blog だとかいうデータが出たそうな。調べてみると、ニフティの過去の調査では 4 割が迷惑 blog だそうで、まあいずれにしてもかなりの数が迷惑状態らしい;。

 ニュースでは、なにをもって迷惑 blog とするのか、という判定基準があいまいだったのですが、まあ簡単にいえば、検索エンジンの上位にひっかかるにもかかわらず、実際には中身としての情報がほとんどなくて広告ばかりが貼られており、アフェリエイト(簡単にいえば広告掲載料)でお金を稼ぐというもの。検索エンジンの上位にランキングされるように、頻繁なページ更新を行ったり、検索エンジンにひっかかりやすくするように「ヒットしやすい」単語を並べたり、と、迷惑 blog の作成者の方もかなりの工夫を凝らしている様子。月に数百万を稼ぐサイトもあるらしく(多分アダルトサイトでしょうね)、そりゃまあそれだけ稼げるとなったら真剣になっても当然だろうな、と思ったり。

 これは私の推測でしかないのですが、日本においてこれだけ迷惑 blog が増える理由の一つに、

 日本語の検索エンジンの精度が甘い。

というのが大きいんじゃないか、という気がしたり。スパムメールと同様に、スパムブログ(注目を集めそうなキーワードを適当に集めて適当に記事をでっちあげるような blog)などに対する危惧は昔からあったのですが、こうした問題は検索エンジンの精度が上がれば、必然的に淘汰されると考えられてきたんですよね。ところが問題なのは、英語圏の検索エンジンに比べて日本語の検索エンジンは精度が粗い。

# これはそもそも日本語の検索エンジンの作成が技術的に難しいことにも起因しています。
# 分かりやすい例を挙げると、検索エンジンの基本処理の一つに「ワードブレイク」というのが
# あるのですが、これは文章の中から単語をうまく切り出す仕組み。英語だったら最初から
# スペースで切れば済みますが、日本語だとそうはいかない。これ以外にも、ひらがな/漢字、
# 意味推測など、日本語にはいろいろとやりづらいところがたくさんあるんですよね。

 ネットの世界は、技術革新と悪意のあるユーザとの間のいたちごっこで成長してきた節がありますが、技術革新で解決できないとなると、こうした迷惑 blog の話などはなかなか簡単には解決しない問題なのかもしれません。うむむ。

2008/7/24 01:40 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
伝えられることと伝えられないこと。

 そうそう、先日の ECO のエントリに Web ツッコミが入っていたので、こちらもツッコミ返してみるテスト〜。

> 初心者講座で伝えるべきはステ振・狩場・稼ぎ方ではなく、全滅寸前で生き残ったり黙々と
> 頑張って達成したりした時の気持ちではないかと。伝えるの難しいですけど。

 えーとですね、たぶんご承知の上だと思うんですが、それは無理ですwww。
 なぜそれが無理なのかというと、そうしたことは、伝えることではなく、本人が気付かないと意味のないこと、だと思うからなんですよね。

 たぶんこのケースの場合、重要なポイントは以下の 2 つ。

・本人たちが「聞きたい」と思っている情報以外は、伝えてもあまり聞いてくれない。
・他人がいくら伝えたとしても、当人が実体験として体験しない限り、その意味や意義を理解できない。

 今回のケースの場合、本人たちはとにかく狩りして Lv をあげまくりたいと思っている。そういう状況下で、それにそぐわない形で情報を伝えても、「ボクには関係ないもんね」となってしまう可能性が非常に高い。オンラインゲームの場合、視野の広さがないと(=限られた遊び方しかしていないと)結構飽きが来るのが早い、という問題もある。だとすると、狩りをしながらいろんなところに行ってもらったり、狩りからゴレ売り、あるいは野良 PT といった具合に行動を広げていってもらうようなことがたぶん重要なんじゃないかと思うんですよね。そして、それを通して本人たちが何を一番面白いと思うのかに気付いていってもらう必要があると思うんですよ。

 というのも、全滅寸前で生き残ったり頑張って達成したりした時の気持ちを楽しいと思うかどうかはそれこそ人それぞれ。ECO の場合、プレイヤーごとに、ペット育成、素材狩り、商売、イベントなどなど、いろんなことに楽しみを見出していくわけで、そうしたことを見つけ出せるシチュエーションに多く触れられるようにしてあげることが一番重要なんじゃないか、と思うんですよね。

 別にこれは ECO に限った話ではなく、人対人のコミュニケーション全般について言えることだと思うのですが、こういつた話でたぶん一番重要なのは、答えの形を決めた上で誰かがその人に対して与えてあげるのではなく、自分なりの答えを見つけてもらうシチュエーションを整えてあげることじゃないか、と思ったり。結果的に、それが自分と同じ答えになるのかもしれませんが、数学や物理のように正解が一つに限られないようなモノについては、そんなふうにするのがいいんじゃないのかなー、とか思ったりします。はい^^。

2008/7/21 18:38 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
受け止め方の問題。

 ふう〜、昨晩は連日の ECO 疲れがたたって狩りの途中でばたんきゅ〜;だったのですが(← 相当疲れていたらしい;)、一晩ぐっすり寝て回復。というかこんな暑い日はどー考えても引きこもり日和としか言いようがないのですが、引きこもりらしくネットを巡回してたらこんなエントリが。

・。*:゜+ しゃまえこ +゜:*。さん
 http://syamaeco.blog.so-net.ne.jp/2008-07-17

 ……と、たぶんこのエントリだけ読んでも意味が不明だと思うのですが;、このお方、ECO でゲーム内ラジオをなさっている方で、割と有名な絵描きさんでもあったり。で、どんなふうにかはわかりませんけど、無断でイラストを転載されたらしく、それで上記のようなエントリになった様子。このケースの場合、どう考えたって無断転載する人が悪いのは確かなのですが、その一方で難しいのは、

 全員に良心や良識を強制することは現実的に無理。

という事実。一般大多数の人はこうした良識や良心をちゃんと持ち合わせているけれども、誰か一人でもそれを破ったらおしまい。もちろん、小学校のクラスのように、全員が顔の見える仲間であればともかくも、インターネットのように、誰が参加しているのかもわからない不特定多数集団の中では、おかしな行動をする人は必ずどっかしらにいる。そうした状況の中で、たった一人のミスで全員が連帯責任を負わされるような形になってしまうと、ホントに心ない一人の行動で、みんなが気分を害する、という状況になっちゃうんですよね。

 けれどもそれに対する対策として、そうしたたった一人の心ない人をなくそうとするのは土台無茶な話。だとすると、どちらかというと情報発信元の心がけとして、

 心もとない人がある程度出るのは仕方がないと諦めておく。

という方がいいんじゃないか、という気がするんですよね。(というか、それがイヤならインターネットのようなオープンの場でやらずに、closed な掲示板とかの中でやった方がよい) 「誰でも読んでください」としながらも、「読む人全員に良識や良心を 100% 強制する」というのがそもそも矛盾しているわけで、ある程度その辺はゆるやかに考えておかないといけないんじゃないか、と思ったりするんですよ。

 ……とか書くと、「おまえは無断転載されたことがないからそういうふうに言うんだ」とか書かれそうですが、まあ実際、私にもその手の経験はあります;。その昔、AIR のゲームインプレッションを掲載していた頃に、ほぼそのまんまみたいな形で全文引用された上に、あたかもそれが自分の書きおろした文みたいな形で転載されてたことがあったのですが(というか文字の文章で転載されるとは思ってもみなかった;)、これもある意味モノは考えようで、

 自分の文章に価値がなければ、そもそも引用も転載もされない。

と思うんですよ^^。自分がリアルで書いた本に関しても、(大多数は好評だけど)たまに心ない評価を書く人が全くいないわけではない;。けどまあ、それも謙虚に受け止める(そういうふうに思う人もいる → どういうふうに振る舞うべきかのヒントになる)ことで自分の血肉になるわけで、大切なのは、ある事実が発生したときに、それをどう受け止めるのか、という話なんでしょうね。(当たり前ですけど;)

 というわけで今日は起きたのが遅いのでまったり部屋のお片づけ & 積まれている本の消化〜。
 普段だと週末はマイマイ報告書イベなのですが、今週はないのでちょっとさびしいですよ;;。しかし三連休なのは助かりますが^^。

2008/7/20 18:02 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
蟹工船

 というわけで今日はこちらのインプレを一つ。



 えーっと、蟹工船という小説。1929 年に出版されたプロレタリア文学の代表作……ってなんのことだかさっっぱりわかりませんが;(ぉぃ)、先日テレビを見ていたときになぜか現代の若者に大ブーム、という話が出て興味を持った次第。今年、例年 5 倍の売り上げで実に 2 万 7 千部の増刷を行ったらしく、いったいなんでそんなに人気を博しているのかなと思って読んでみたり。さすがに昔の作品なのでちょっと読みづらいところはありますが、なるほどこれは現代に通じるワーキングプアの物語なのか、と。

 どんな物語かというと、平たく言えば、カムチャッカの沖で蟹を獲って缶詰にする蟹工船で酷使される貧しい労働者たちの凄惨な様子を描いたお話。出稼ぎ労働者たちを格安賃金で酷使し、さらには暴力や虐待の限りを尽くし、次々と労働者たちが倒れていく。最後には皆一群となってストを起こすものの、結果的にはリーダ格の指導者が検挙されて終わってしまう。もはやなにをやってもダメというデフレスパイラルの様相を呈する船内の労働者たちの様は、まさに就職氷河期時代の不安定労働者やワーキングプアに通じるものがある。

 ただ、それよりもちょっと「うーん」となってしまったのは、なぜこの物語が今の時代の若者にウケているのか、という点。例えば朝日などは「貧困に負けぬ強さが魅力?」と評していますが(こちら)、他の書評も似たり寄ったり。この物語、最後に結局ストが鎮圧されるものの、彼らは最後にまた決起を目指して何度でも立ち上がろうという姿を見せて終わる。そうした彼らの姿に感情移入して……の発言なのでしょうが、いやそれは激しく違うだろう、と思ってしまったり。この本は、主観的に読むのではなくて、客観的な立場から読まなきゃいけないと思うんですよ。つまり、何がその貧困を作り出している原因で、それはどうすれば解決できるのか? 状況を客観的に分析し、それを解決する努力をしなければ問題は解決しないわけで、この労働者たちに感情移入してしまってはダメだろう、と思うんですよね。

 が、その一方で考え込んでしまうのは、じゃあこの凄惨たる状況を解決する手立てがあるのか、という点。要するに、問題の根が深すぎて、それこそ手持ちのカード全とっかえでもしないと問題は解決しない。じゃあどうすりゃいいのよ? と言われると、解決の手立てがないという意味において、今の日本の状況ってこれに非常に通じるところがある。そういう状況に立たされたときの「やるせなさ」のようなものがあるからこそ、この物語が今改めてブームになっているんじゃないか、と思ったり。

 物語自体は特にどうということのないものではありましたが、これが今の時代に改めてブームになっているというのはちょっと興味深かったです^^。

# と、それはともかくいろいろタスク山積みで blog が追いついてない;。
# 書くネタはあるんだけど書く時間がない、というのはどーにかならないものかと;;。
# この週末にリカバリできるかな〜;。うむむ。ちとどうにもならなくなったらしばらく blog 止めるかも;。

2008/7/11 03:46 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
そこにいるだけで価値のある人。

 というわけで今日は帰りがけに大学時代のアルバイト先の塾に立ち寄り。や、25 周年記念の名簿作りのための実作業を進めるために立ち寄ったのですが、ここんとこサボり続けていた作業のツケが一気に回ってきた感があって、とにかくめんどい;。とはいえやらないことには話にならないのでみんなで頑張って片付けたわけですが、まあ内心「やっぱりこーなったか;」と思う部分もあったり。

 この件、けろっちゃ氏にも手伝ってもらっていたのですが、実は開始直後には彼にあまり手伝ってもらう内容がなくて、結構手持ち無沙汰状態になってたんですよね。で、彼が当時、実質的に自分がいなくても作業は進むんじゃないか? ということで、自分はこの件に参加しなくてもいいんじゃ? みたいなことを言ってたことがあったんですが、

 いやそれ激しく違うから。

状態だったんですよね;。その時は直接は言わなかったのですが、けろっちゃ氏の役回りはどちらかというとあのプロジェクトにおける求心力。つまり彼がいると、みんなが「あー、ちゃんとやらなきゃ」という気になって、それなりに作業が進む。社長以下、自分も含めて期日が切られていない仕事が苦手なタイプの人ばっかりなので(ぉぃ)、けろっちゃ氏が焼津転勤になった瞬間に、一気にプロジェクト自体も気の抜けたコーラ状態に転落;。ヤバいなぁ、きっとそうなるよなぁ、と思っていたとおりになってしまった(いや端的に自分が怠けてるのがすべての敗因なのですが;)わけで、内心ぶっちゃけ「うあー、ごめんなさい;」な状態に。

 チームを組むプロジェクトにおいて、自分の立ち位置を把握することや、自分の役回りを正しく把握することは極めて重要。物理的な作業をこなすことだけが、チームメンバの役割というわけではないわけで、そうした実作業以外のところの役回りをいかに正しく把握できるのかはものすごく重要ではないかと改めて思ったり。

 そんなわけで超戦力ダウンなプロジェクトなわけですが、引き続き頑張ります。

 ……ってかごめんなさい、自分がかなり怠けモード入ってるのが諸悪の根源なのですが。><
 すみません思いっきり他人のせいにするな状態です;。ううっ;;。

2008/7/10 01:58 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
よいお仕事をするための心がけ。

 日曜日の講師総会ででじくま氏がスピーチしたわけですが、その折に出てきたのってなんだったっけかなー、と思ったら「心の理論」が正解だった様子。「心の理論」と聞いて「Theory of Everything」を連想した自分は思いっきり CLANNAD っ子なわけですが(笑)、そうそうこの話は書こうと思ってたんだよな、というわけでちょろっと書いてみるテスト。

 ちょっと前のお話ですが、あるお客さんに打ち合わせでいったときのこと。プロジェクトリーダが先方とのミーティングをアレンジしてくれて、私がスポット支援でそのプロジェクトにお邪魔したのですが、行ってみたら超びっくり。ホワイトボードに今日の Agenda が書かれていて、午前中に基本的な考え方の講義、午後に実践……って、おいおいこんな話聞いてねーよ状態;。先方のお客さんの方がちょっと気合いを入れて準備しちゃったというのが真相なのですが、とはいえ先方の期待を裏切るなんてことは自分的に許されないので、超いきあたりばったり出たとこ勝負の即興で解説をアレンジ。先方の要望をうまく引き出しながら軌道修正しつつ無事に一日を乗り切ったのですが、これ、自分だったから無事に済んだけどたぶん若手の人だったら絶対に撃沈されてただろと思うワナ;。

 さすがにもう今の会社でかなり勤めていることもあって、この手の局面でもそうそう大ヘマをすることはなくなっているのですが、その一方で問題なのは、こういう状況にまだうまく対応できない新人の人たちをいかに育成するのか、という問題。今回のケースの場合は段取りの甘さの問題もあるものの、現場ではこういう状況に晒されることはよくある。こうした状況で問われるのは小手先のテクニックでもなければ単なる技術的な知識でもなく、真の意味での「仕事力」。では長期的にそうした力、つまり「良い仕事」をするための実力を養ってもらうためには、普段どんなことを心がけてもらうようにすればよいのか? ……ということを真面目に考えたことがあったのですが、結論として導いた答えって割と普遍性があるような気がするのでここに書いてみたりするテスト。

 たぶん、「良い仕事」をするには、3 つの心がけが必要なんじゃないかと思うんですよ。

@ 技術力へのこだわりを持つ。
A サービスに対するこだわりを持つ。
B お客様への思いやりの心を持つ。

 これだけだとわかりにくいのでもうちょっと補足すると。

@ 技術力へのこだわりを持つ。

 よく「技術力は、現場の OJT 経験を通して身につくもの」と主張する人が(結構)いるのですが、個人的にはそれは間違ってるんじゃないかと思っていたり。や、業界業種にもよりますけど、実際には机上の勉強でもかなりのことを学習できると思うんですよね。もちろんそれは教科書のような「学習しやすい形」に取りまとめられていない可能性もありますが、少なくとも現場に出る前の「事前勉強」をどれだけ真面目にやるのかがまず first step。基礎学習や基礎知識が身についていない人に、「実際の現場」という応用問題が解けるはずがない。やはり優秀な仕事をする人は、こうした「現場の外での勉強」を決して疎かにしていない傾向がみられるんじゃないか、と。日常的な勉強で、技術力や知識を身につけておくことが、まずすべての源泉にあると思うんですよね。

A サービスに対するこだわりを持つ。

 もちろん@だけならいわゆる「学者」みたいな人も当てはまってしまう。けれども、お客様は「その人がどれだけの知識を持っているか」ではなく、「その人がその知識を使ってどれだけ自分に対して適切な仕事をしてくれたのか」ということに対してお金を支払う。つまり、持っているだけでは宝の持ち腐れである知識を、いかに実際に『役に立つ』ものとして使ってお客様によい仕事をするのか? というところにも腐心しなくちゃいけない。つまり、実際の現場で、そうした技術力や知識を発揮する訓練をすることも重要になると思ったり。

B お客様への思いやりの心を持つ。

 そして@やAのすべてに通じるバックグラウンドとして、お客様への配慮や思いやり、というものが必要。お客様が置かれた状況や立場を鑑みてお客様に対して最適な解を提供したり、お客様の気持ちを察して共感することは、お互いが気持よく仕事をするためには絶対不可欠な要素。でじくま氏が語った「心の理論」はまさにこれ。もちろんデタラメを言うお客さんは少なくないですが、そういったお客様に対しても、相手の立場を尊重しながらも圧倒的な実力とパフォーマンスでちゃんとうまく正しいところへと誘導しなくちゃいけない。そうした高いマインドが、良い仕事をするためには必須なんじゃないかと思ったり。

 おそらく、「いい仕事」をするために、日常的に気をつけなくちゃいけないことややらなきゃいけないことはたくさんあるんですが、でもそれらすべての根源をたどっていくと、その根源にはこの 3 つがあるんじゃないかと思ったり。言葉でまとめてみると非常に当たり前のことのようにも思えるんですが、普段からこうしたことを意識的に心がけるようにするのはやっぱり重要……なんじゃないですかねー、とか書いてみるテスト^^。

 しかしこういうことをぐだぐだと考えるのは結構面白い〜。普段使わない頭をフル回転してるような感覚かも^^。

2008/7/9 02:41 | 4.雑学&雑感 | コメント (3) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
間違いを認める勇気とプライド

 うーあー、や、やらかした;;。

 や、お仕事の話だったりするのですが、先日、提案に行っていたお客さんからびっくりするようなメールが来るワナ;。普通に読むと怒ってるんだかなんだか解釈に苦しむメールだったのですが、営業さん経由で裏から確認を入れてみるとヘソを曲げていたりする様子。かなり穏やかに話が終わって、さてこれで無事に受注できるかな? ぐらいに思っていたところだったので営業さんともどもびっくりだったのですが、いやはやホントにもう参ったなぁ……という感じ。

 そもそもの経緯はこんな感じ。

・数ヶ月前に出された RFP に基づいて提案をしようとするも、RFP に明らかな無茶がある;。
 このまま進むと失敗すると思うので、違うやり方をしましょうという提案をするも予想通り敗退。
・数ヶ月後に、案の定、納入された品物が使えないものであることが判明。
 内容をざっくばらんに見てもらってコメントくれないかというので行ってみることに。
 やっぱりこうなりましたよね、だから今からこう軌道修正すべきじゃないですか? という提案に。
・提案受けますよ、という話になったので提案を持っていき、普通に話が軌道に乗りかける。
 これでやっとプロジェクトも正常化してくれる……と思ったら突然のびっくりメール;。

 要するに、うちはここまでちゃんとやってきてるのでそんな提案いらん、とちゃぶ台ひっくり返されたのですが、いやいやちょっとマテ、それで失敗したんだろう、と思うワナ;。いやはやこれにはちょっと参ってしまったり。

 この会社さん、日本ばかりか世界に名だたる大企業さんだったりするのですが、この手の大手一流企業さんの中には少なからずプライドの塊みたいな人種の方々がいる。一流企業で働いているんだという自負は単体ではそんなに悪いものではないですが、立ち入りの業者さんからちやほやされ続けたりして自分を見失ってしまって、自分の非を認められなくなってしまうようになるとタチが悪すぎる。結果として、周囲が常時その人のご機嫌伺いをするようになっていく、という最悪の構図が出来上がっていくんですよね。

 ぶっちゃけ、あなたが偉いんじゃなくて会社が偉い。それに加えて、それはプライドに見せかけた見栄にすぎない。それなりの立場にいるにもかかわらず、自分の間違いや過ちを認める勇気やプライドがない人を見ると、ホントにげっそりするんですよねぇ;。

 もちろん、そうはいっても仕事は仕事。こういう方々を相手にする場合には常時接待モード(たとえあなたが間違っていてもお客様なので神様ですモード)で行くのが普通なのですが、会話をしていく中で、この人は自分の間違いを認められる勇気を持ってる人だ、と私が勘違いしちゃったのが運の尽き;。うーあー、地雷踏んじゃったよ、状態に;;。

 なんつーか、改めてこういうことは注意しすぎてもしすぎるということはない、と思ったり。少なくとも自分は間違いを認められるプライドを持ち続けたいものだとは思いますが、現実的にそうであり続けることはきっと難しいだけに、他人と接するときはやっぱり気をつけなくちゃなぁと思ったりしますね。うむむ。

2008/6/19 00:57 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
秋葉原の通り魔事件

 今日は秋葉原でとんでもない事件があったわけですが、あまりにひどすぎる事件に開いた口がふさがらず。しかも犯行場所が祝日の秋葉原の歩行者天国というあたり、ホントにとんでもない事件だと思わずにはいられなかったり。まさに秋葉原現地に在住している本郷氏は出かける時間帯がずれてたこともあって事なきを得た様子ですが、それにしても、と思わずにはいられなかったり。

 今回の事件の犯人像とかはまだ断片的にしか分かってない様子ですが、この手の事件、今回だけでなくなるとはとても思えないんですよね。先ほどこたつさんと Messenger で話してたら、「絶望からくる犯罪」という表現を使ってましたが、確かにまさにその通りなわけで、そうだとするとむしろこれから増加する傾向になるはず。人がたくさんいればどうしてもイレギュラーによる犯罪の発生はあると思うのですが、なんというか、こういう犯罪って社会システムそのもののシステムエラーな気もするんですよね。きれい事を並べて社会システムを作っていったら、いつの間にかこんな社会になっちゃった、みたいなところがある。ゆとり教育なんかがその最たるものだと思うのですが、それに限らず、似たような話は結構あるような気がするんですよね……こちらとしては防ぎようがない事件なだけにホントになんなんだろうと思わずにはいられないです。

 仔細はそのうち明らかになってくるのだろうと思いますが、本当に亡くなられた方々には深くご冥福をお祈りします……。
 と、なんかえらい暗い話になって書く気力がなくなってしまったのでエントリはまた明日に;。

2008/6/9 00:32 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
誇れる自分でありたい自分。

 ふう〜;、というわけで昨晩は部門の新人君たちとの飲み会……だったのですが、なぜかそのままオールに突入するワナ;。内心早く家に帰って ECO やりたいから解放してほしいんだけどと全力で思っていたりしたわけですが、さすがに帰るに帰れずずるずると参加し続けるハメに;。ちなみに今日(土曜日)は自分の17歳+α時間のお誕生日だったりするわけですが、翌日誕生日だけどすることないのでここで祝ってくれ、と冗談で言ったらさんざんネタにされるハメに(苦笑)。

 まあネタにしてもらうつもり8割で投入したのでそれ自体はよかったのですが、やっぱりその流れで「結婚願望とかないのか」とかいう話に。どんな女性が好みなんだとか、相手に何を求めるんだとかお約束の質問の羅列があったわけですが、ぶっちゃけマジレス返したら多分この場がただじゃ済まなくなるんですけど、状態;。や、自分より年上の未婚女性3人を前にしていったい何を言えっていうんだYo!と苦笑していたわけですが、そういや先日のけろっちゃ氏お祝いパーティエントリにも、ラスティさんからこんなツッコミが入っているワナ;。

> 止まっているものはそのままとどまり続けようとする・・・何とかというのを
> 耳にした覚えがありますが、果たしてこれをきっかけに状態が変わるのでしょうか???
> 変わらなかった場合は、恐らく最初に書いた例えの様に・・・えぇっと・・・。

 あはは〜;;。っつーか笑うしかないわけですよこれは;(苦笑)。そういやこの話、なんかけろっちゃ氏との帰りがけにも似たような話が出たので、お誕生日なわけだしせっかくなのでちょろっと書いてみるテスト。まあもう8割方開き直りも入ってるので、もうえいや、っと書いてみたり。

 私の場合、別に独身貴族とかモラトリアムとかを楽しんでるわけでもなんでもないし、ハイヤリング……じゃなかった、リクルーティング活動(← 採用してもらう方の活動(笑))をしてないわけじゃないのですよね;。実際、なんかうちの上司はえらい心配してくれたりもしてるし、誰かから誰かを紹介されたら結構ほいほいと顔を出すようにはしてるし、自分からもいろんな人と接点を持つようにはしてるんですよね。

 ……がしかし、これがびっくりするほどどーにもならない;。

 よく他人から「テコでも動かないし絶対に変わらない」とか「先読みしすぎて傷つくを避けてるんでしょ」とか「要求レベルが高すぎる」とか言われるわけですが(← っつーか昨日もまた言われたよ;)、いやそんなこと全くないから、状態。まあ一番最後はある意味当たっているといえば当たっているのですが、別にスペックの高さを求めてるわけじゃないので、そういう意味では外れている。んじゃ何がネックなのかというと、これは自分でもよーくわかっていて、単純に自分の物事の考え方でしかないんですよねぇ。

@ 女性特有の「思いやりのないわがまま」が致命的なぐらいに大っ嫌い。(たぶんこれは同族嫌悪;)
A お金と肩書きから寄ってくる女性はいるけど、正直それは自分じゃない。(そこを好きになられても困る;)

 このたったの2点だけ、なんですよね。自分は激しくお節介な性分なので、誰かのお役に立つのが激しく好きなわけですが、その一方で、自分の幸せのために尽くして欲しいというワガママタイプの女性を見るとクラクラするんですよね;。若い人ならまあまだ人生経験も少ないので仕方ないよね、とも思うんですが、そこそこ歳も行ってて、さらにそれなりの立場の人がそうだったりするとホントに頭を抱えたくなることもあって、げっそりしてしまうこともしばしば。会社関連で紹介される人はホントにこのタイプが多くて泣きたくなるのですが(いやそれでも紹介してくれるだけありがたいのですけど;)、そんな一方通行の人間関係は激しくごめんなさい、状態。

 女性のアクセサリーになるのはイヤだし、女性をペットのように飼うなんて関係になるのは死んでもイヤ;。ごく単純に、ごく普通の人間関係でいたい、というそれだけの話なんだけど、これが今の世の中の場合にはとんでもない高望みになってしまう;。まあ世の中には極めてごく少数ながらもそういう素晴らしい女性も実際に存在するわけですが(例えばけろっちゃ氏の奥さんとか;)、そこで問題になるのは自分がそういう人に惚れこまれるようないい男ではないという真実;。。いやー、そりゃまあ確かに無茶だわ、と自分でも苦笑するわけで。もうここは笑うしか。あはは(苦笑)。

 そんなわけで、状況が変わらないし動かないのはある意味当然といえば当然、と思っていたり。別に変えたくないわけでも変える意思がないわけでもないけど(というか人間は変わってくもんですからね;)、状況を変えるために自分の信念を捻じ曲げるつもりもさらさらない。っつーかそこを変えてしまったら自分じゃない、と思うんですよね。状況は変わらなくても自分自身をよりよくしたい、という気持ちに変わりはないし、そのために努力もする。そういう意味では、数年前の自分よりも、あるいは一年前の自分よりも、数ヶ月前……はあんまり変化してないかもですが;、今の自分の方がいろんな意味でいいと思うし、こんな自分も悪くないなぁと思えるんですよね。

# たぶん、それがきっと「なりたい自分になる」という、いわゆる「自己実現」なんじゃないかと思う今日この頃。
# 自己実現、という言葉のニュアンスが昔はしっくり来てなかったんだけど、こういうことなんだよね、ということが
# 最近ちょっとわかるようになってきた気がしてたりします。

 なので、状況を無理に変えるために、話を捻じ曲げる気はさらさらない。そんなことしたらきっと後悔すると思うし、そういう妥協をしないからこそ今の自分もあるんだと思うんですよね。

 一言でいえば、自分に対して誇れる自分でいたい、ということ。
 誇れる自分でありたい自分、そういう気持ちを持ち続けることが大切なように思う○○歳の誕生日、だったりします。

# ちなみに外見としてどんな女の子が好き?と聞かれたら、ECO のうちの子見てください
# だったりするわけですけどね。(ぉぃこら;)

 というわけで晩ごはん食べたら再び狩りに出ねば〜w。

2008/6/7 19:16 | 4.雑学&雑感 | コメント (5) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
口語表現のバランス問題。

 ぬあーーーーー;;。

 とのっけからアホなこと書いてますが、お仕事関係でちょっと頭を抱えてしまった話。もうすでにシニアなグループに入ってしまったこともあって、就職・転職関係のインタビューを受ける機会が結構ある……のですが、どうしてこう、いつもいつもライター稼業を名乗るのにこうも文章センスがないのか、とツッコミたくなることがしばしばあったりします;。

 や、今回のケースは何かというと、1 時間ほどのインタビューを元に先方のライターさんが Web の記事を起こす、というもの……だったんですが、上がってきた原稿を読んで愕然とするワナ;。ちょっwww、こいつどんだけ偉そうなんだよ状態;。インタビューのときはごく和やかに会話が弾んだのですが、ライターが自分の仕事を偉そうにしてナンボの職業だと勘違いしているせいか、ものすごく色をつけてきた次第。ライターによるこの手の脚色は別段珍しいものではなくて、特に雑誌関係の記事だと煽りを入れる(しかもとんでもない方向に;)ことはしょっちゅうあるのですが、それにしてもこれはひどすぎるよ状態;。

 いやそれともそんなに高圧的に聞こえるような喋り方をしてるんだろうか……と微妙に悩んでしまって、原稿を回してくれた人事部の担当者の人に相談してみたら、

「いやこの原稿はかなりひどいですよね....」

 って、ちょwwww、お願いだからそう思うんだったらいったん先方に突き返してくださいよ状態;。とはいえ突き返したところでそうそううまく修正してくれない、というのは過去の経験から分かっているので、もうめんどいし自分で書き変えよう……ということで全面的にリライトして先方に送り返した……のですが。

 どうしてそこで原稿にむやみに手直し入れるんですか;;。
 いや自分の存在価値をアピールしようとして原稿を改悪するのはホント手間が増えるだけなのでやめてほしいんですけど状態;。

 ……とまあ泣きたくなるような話があったのですが、その手直しの最中に気づいたことが。このライターさんのセンスのなさは具体的には何なのか? というと、それは以下の 2 点だったり。

・文章のテンポを考えていない。
 「575」じゃないですが、読みやすい文章には「読みやすいテンポ」みたいなのがあるんですよね。例えば1文を短めにするとか、複数の文をやたらとつながないとか、「しかし」「ところが」みたいな接続詞をどこで用いるのかとか、その他もろもろ。読んだ時にリズム感を持って読めない文章にならないように工夫しなくちゃいけない。この辺に対するケアがまずものすごく薄い。

・話し言葉と書き言葉の違いを意識していない。
 そしてもう一つが口語表現のバランス。特にインタビュー形式なんかの文章なら当たり前のはずなのですが、こんな言葉を会話の中でしゃべったら絶対頭のおかしい人ですよ、みたいな難しい単語を平気で織り交ぜてくるライターさんって意外に多かったりするんですよね。実際、しゃべり言葉って、論理的にはちょっとおかしい文面であっても、むしろそこに感情がこもっていることが結構ある。そういうニュアンスを意識しないと、感情や思いが伝わらない文章になっちゃうんですよね。

 笑っちゃうような話ですが、過去にあった例としてはこんな記事書かれたことがあります。

「〜〜〜なのがとてもエキサイティングです。」

 思わず読んだときに噴き出してしまったのですが(笑)、こういう場合には、私だったら敢えてこう書きます。

「〜〜〜なのが、とても面白いんですよね。

 これを読んだときに、稚拙な表現だと思って言葉を変えようとするライターさんは結構多いと思うのですが、たぶんセンスがないんじゃないか、と思うんですよね;。決めゼリフなんて、よっぽどカッコいい言葉を使わなきゃ単に上滑りするだけ、なんですよねぇ(← アニメとかでカッコいいセリフを聞き慣れてるとますますそう思うわけで(苦笑))。

 結局のところ、読み手が読んだときにサクサク読めて、かつ何かが伝わってくるかどうか。良い文章かどうかはその一点で決まるのですが、簡単な言葉の組み合わせでも思いを伝える方法はいくらでもあるんじゃないかと思ったり。正直、自分は国語は苦手(単語はホントに出てこない;)なのですが、それでもなんとかなるもんじゃないかな、という気がしてたりします。

 ……っていうかライター稼業なんだから実物以上にカッコよく仕立てて下さいよ、というのが本音なのですが;;。

2008/6/3 01:32 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
ものごとの視座

 ううっ、なんか身体じゅうがいたいワナ;。そりゃまあ昨日、朝から晩(というか夜中)までずっと ECO してりゃ疲れて当然なのですが、それにしても一晩ぐっすり寝てもろくに回復してないのはなぜなのかと小一時間;。とまあそれはともかく、今朝起きてテレビを見ていたときに、ちょっと気になる話が。

・PRADA 携帯
 http://www.nttdocomo.co.jp/product/concept_model/l852i/

 これ、何かというと先日のソフトバンクのガンダム携帯よろしく、10 万円もするという PRADA ブランドの携帯。iTouch を彷彿とさせるデザインにちょっと惹かれたのですが、一方で気になったのが LG 電子というところ。や、LG 電子というと、私なんかはイマイチ映りの悪い液晶モニタやディスカウントストアで安売りされている DVD プレイヤーなどの「安かろう・悪かろう」な商品を作っているところ、みたいなイメージがあって、高級ブランドである PRADA とは逆行するんですよ。で、なんで PRADA と LG 電子の組み合わせなんだ?? とかなり首をかしげてしまったのですが、どうも時代の流れは私のイメージとは全く違っている様子。

 そもそもこの携帯電話、海外で 1 年以上も前に発売されていたもの。LG 電子はここ数年はデザイン重視の商品も多数発売してきていて、高級志向をかなり強めてきているんだとか。日本でこの携帯を発売する上でも、単に通信方式を変更するだけでなく、i モードや i アプリに対応させるなど、きっちり DoCoMo 独自仕様に対応させてきているようで(この辺の記事が参考になるかも)、いやいや技術力として見ても日本の国内大手メーカーに引けを取らないんじゃ? という気がしてかなりびっくり。Web で調べてみても、LG 電子が発売元であるという理由でこの携帯を敬遠するようなエントリはあまり見受けられず、PRADA ブランドと実質的なつくりの良さからかなりの人気を博しそうな気配で、内心「うーむ、そうなのか」、と思ってしまったり。

 なぜこの話が気になったのかというと、これ、結局のところ、自分の視野というか視座が日本ローカルにとどまっていたからこその判断ミス、なんですよね。

 どういうことかというと、例えば仕事でコンペになったとき。国内企業同士でコンペになることは日常茶飯事に起こることですが、本質論を言えば、国内の競合他社に無理に競り勝つ必要はない、と思うんですよね。というのもグローバルに見た場合、日本はかなりの言語鎖国。つまり、日本の国内で A 社と B 社がつまらない小競り合いを繰り返していると、いつの間にか業界全体が国際競争力を失ってしまう、というリスクがあったりする。A 社と B 社のコンペが、結果としてお互いの成長を促すことで共に発展していくモデルが理想とはいえ、現実的にはコンペ=消耗戦だったりすることが多い。その結果、無茶なダンピングや子会社孫会社へのリスク転嫁としわ寄せによって、どんどんみんなが疲弊していく。そして気づかぬうちに、日本という国自体が沈没……というのはさすがに言いすぎにしても、ぽん、と出てきた国外勢や黒船もどきの第三者によって一気に駆逐される、という構図があるんじゃないかと思うんですよ。

 多分、身近なところしか見ていない人にとっては、隣に座っている同僚が自分の敵。
 でも、もうちょっと視野が広い人だと、隣の同僚は自分の仲間で、別の組織が自分の敵。
 ところが社長レベルになると、会社の人たちはみんな仲間で、別の会社が自分の敵。
 けれども実際には、同じ業界の人たちはみんな仲間で、争うべきは他の国の人たち。

 なんていう具合に、視座が高ければ高いほど、実は隣人は敵じゃなくてみんな仲間、という発想を持つことができるんじゃないか、という気がするんですよね。そして、目の前の敵ではなくて本当に戦うべき相手との競争に備えて、仲間同士で切磋琢磨しないと、長い目で見ればヤバいことになる。PRADA 携帯の話を見ていて、(英語ができるかどうかは横に置くとしても;)少なくとも視点や発想をグローバルなところに置いておかないと、いろんな読み違いをしてしまうのではないかと改めて思うワナ。

 きっとさらに視座が高い人は、国はおろか地球レベルで物事を考えたりするのかもしれませんが、まあさすがにそのレベルは自分なんかでは全然無茶。結局、それはどのレベルの物事を自分のリアルな出来事と感じられるのかということとものすごく直結していそうな気もするのですが、でも、なるべく高い視座を以て物事に臨まなくちゃいけない、とは思ったり。いや、難しい話ではあるんですけど;。うむむ。

2008/6/1 12:22 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
セーフティーネット・クライシス

 しまった遺跡荒らしの引きが良すぎて思わず限度を超えて狩りをしてしまうワナ;。や、ECO の狩りってダンジョンの引きがよいととてつもなく稼ぎ効率がよくなるので、こういうときに一気狩りしちゃったほうがラクなんですよね。とはいえさすがに仕事疲れのところで狩りすぎるのはあまりに身体によくないので少し自粛せねば;。

 と、そんなわけで ECO 狩りしながらテレビをつらつらと見てて引っかかったのが、表題の「セーフティーネット・クライシス」という番組。5/11 に放送された NHK スペシャルの再放送だったようなのですが、簡単に趣旨をまとめれば、

・日本の社会構造の変化により、企業福祉や家族による支えあいの構造が弱体化している。
・結果的に、高齢者やシングルマザーなどが十分な生活保障・社会保障を受けられず、貧困層の再生産が発生している。
・この状況をどう解決すべきか。

といったテーマの番組。割とありがちの番組構成で内容的に目新しいものは特になかったのですが、やはり改めて考えさせられるのは、意欲や熱意はあってもお金がないが故に損をしている人たちをどうやったらサポートできるのか、という問題。

 実は先日、同じく深夜にやっていた民放系の番組に出てきたあるセレブなおうちの超お嬢様女子大生がけろっとした顔で美容に 100 万円かける月もありますね、と発言したのを見て思わず頭を抱えてしまったワナ。この子は恥ってものを知らないのか、と;。確かコンサルティング会社の社長の令嬢さんだったと思いますが、一流の大学に通いながら(=そこそこ自分で考える力があるはずなのに)どうしてそんなペットまがいの生き方を平然と許容できるのか、ホントに理解に苦しんでしまったり。まあおそらく生きる尺度(文化)がぜんぜん違う人……ってことなんでしょうけど;、あまりに対極的な二つの例を見てしまうと、改めてこういう問題はどうやったら解決できるんだろうか、と考えてしまうんですよね。

 意欲のある人たちに、いかに低コストで高品質な情報を届けるのか。

 インターネットの普及はこの点に関して大きな成果を挙げたと思うのですが(少なくとも既得権の破壊には一役買っている)、そのインターネットにすら手が届かない or 到達できない層に対しては、もっと別の視点での施策がいるんでしょうね。自分が書籍なんかを手がけている理由の一つにはこうした「情報格差の是正」というテーマがあるのですが(← 低コストで高品質情報を届けられる上に、意欲のない人は書籍なんか読まないというものすごくわかりやすいフィルタが作用するため)、もっと別のレイヤでの施策がないと大きなところではきっと機会格差の是正はできないんだろうなぁ、という漠然とした思いがあります。

 まあ、そんな簡単に解決できる問題じゃないとはわかってるんですが、なんとかしたいと思わずにはいられないテーマではありますねぇ....うーん。

2008/5/14 03:06 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
GW 突入。(え゛?

 ふう〜;。

 というわけで昨日ようやく初校書きあがり。や、この GW 中は自分の好きなことしかしないと心に決めて、書籍書きと ECO 三昧を貫いてきたわけですが、昨日ようやく初校が上がってレビューにまわすことになったり。で、一応、出版に関しては上長の承認をもらう必要はあるのでメールを送ってみたのですが。

「忙しい合間を縫って書いてくれたんですね。ありがとう。」

 いやー、悪気は全くないと思うんですよ、ええ。
 まあ、確かに忙しかったですけどね、主にバーチャルワールドで。(苦笑)

# というか、会社と ECO の行ったり来たりの生活は激しくどうよ??と自分でもツッコミ入れてましたが(笑)。
# あ、あとアキバも行ってきた〜。(違;)

 でもおかげでここまでは来たっ!

[2008/04/26 時点]


[2008/05/10 時点]


# ……っていうか自分でいうのもなんですがひどいな;;。(苦笑)

 まあでも昨日の奥クエの話もそうですが、このゲームをやってると、ホントに人間の良心を感じる瞬間が多いのは確かですね。普段の仕事とか日常生活の中だとどうにもわがまま & 自己中タイプな人たちと接する機会が多くてホントに心が荒んでくるのですが;(まあそういうのに反応しすぎる自分も悪いのですが;)、ECO をプレイしていると、他人への思いやりがものすごく綺麗に連鎖したりループしたりする、みたいなところがある。お金や実生活が絡んでいないからこそ、人間のそういう良心的な側面が引き出される、というところはあるのかもしれませんが、こういうとこは都会で仕事をしてるとホントにヤだなぁ、と思うんですよね。

 そのうちエントリを書こうと思いつつ放置しているのですが;、先月、ボランティアで山梨の方にちょっとしたお手伝いに行ってきたんですよね。正直、体力系のボランティアだったこともあって、あんまりお役に立てなくて申し訳ないところもあったのですが、先方の方々にびっくりするほどものすごくよくしていただいたんですよ。で、あまりにも申し訳なくて……みたいな話をしたときに、先方の女性の一人がこんなことをおっしゃったんですよね。

「わざわざボランティアに来ていただいたのに、
 いやだったなー、大変だったなー、
 と思って帰られたら、やっぱりいやじゃないですか。」


 いやもうこの言葉を聞いたときに思わず感動。本当に下心もなくその場限りのワンショットで来ているボランティアの人たちにそんな気持ちで接することができるなんて、そう簡単にできることじゃない。なんかこの話を聞いて、いかに都会が荒んでいるかを改めて考えさせられたり;。自分ももうちょっと心優しくありたいものです;。

# なので自分的には ECO は心のオアシス
# や、別に自己肯定するわけじゃないですけど(苦笑)。

 そんなわけでこの土日はひととおり仕事も片付いているので、家でまったりと過ごして充電予定。
 少し部屋の片づけとかもして、きれいにしなくちゃですよ〜。

2008/5/10 16:10 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
気付きと成長

 ふう、というわけで今日も一日おしまい〜…なのですが、最近なんでこんなに忙しいのかとふと考えてみたら、毎日の仕事で他の人とおしゃべりしている時間が異様に長いからだということに改めて気付くワナ。要するに昔に比べて会社の同僚と話す時間を大切にしているからなんだよなぁと改めて思ったり。というわけで、今日はなんとなくつらつらと思うことを書いてみるテスト。

 そもそもなんで他の人と話す時間を大切にしているのか? というと、それは他の人と話していることで、自分も何かを気付かされることがあるし、相手も何かに気付く機会が増えるんじゃないかと思うから。や、私は割と教育関係に昔から興味があって、現在も他の人に何かを教えるようなことを仕事にしてたりすることが結構多かったりするのですが、いろいろやってみて至った結論は、

 勉強する気がない人に何かを教えるのは無理。

という当たり前の事実。もちろん、何かしらの知識や技術をワンショットで『伝える』ことはいくらでもできるのですが、現実的にはそうした講義や講習などで教えられる時間というのは非常に限られているし、なにより社会人にとって重要なのは、向上心であったりモラルであったり自己実現を目指す志、あるいは自分で物事を判断し、考える能力であったりすることが多い。こういうものは知識や技術とは本質的に違う(当人の自発的な思考が必要になる)ものなので、『教え込む』ことは原理的に不可能なんじゃないかと思うんですよね。

 そして同じことは自分にも当てはまる。確かに何かしらの知識や技術は本とかを読めば学習できるのですが、実際問題としてはもっと大切なことがたくさんある。つまり他人と話していて、その人がどういう出自を持っていて、どういう思いで仕事とかをやっていて、どういう人生観を持っているのか。あるいは日々どんなことを感じているのか、どんなふうに生きようとしているのか、なぜそういう行動をとるのか。そういった、他人の考え方そのものを理解しようとすることの中で気付かされるものがものすごく大切だったりする。そしてそういうものは、(意外に気付きにくいものですが)日常的な会話をちょっと掘り下げたようなところに、宝石の原石のごとく転がっていることが結構多かったりするように思うんですよ。

 受験勉強のような「カリキュラムがきっちりと整った」領域であればある程度の『詰め込み教育』も可能なのかもしれませんが、特にビジネスの世界のようにある一定以上のプロフェッショナルに対して行われる講義や講習って、おそらく何かを『教える』ことは本質的には重要ではなくて、何かに『気付いてもらう』ことの方が重要性が高いのではないか、と思う今日この頃。学習の効率性、という観点からいえば非効率的なのかもしれませんが、結局のところ

 人間は自分が発見(再発見)したことしか覚えない。

ということなんじやないかと思ったり。なかなか時間を取るのは難しいですが、会話を通して、自分とは異質の考え方を理解しようと心がける(=自ら気付こうと努力する)ことは、非常に難しいんですがやっぱりものすごく重要なこと、なんでしょうねぇ。

2008/3/6 02:42 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
妬みとか嫉みとか;

 ううっ、なんか気づいたら土日が終わってるよ状態;。微妙に疲れてて夕方にベッドに倒れ込み、はたと気づいたら 8 時過ぎ;。しかも気づけばなんにも食うもんねーよ状態で、さずかにリアルマイシスターのチョコで飢えをしのぐわけにもいかず(笑)、やむなくコンビニに買い出しに。それにしても最近のコンビニはホントに便利で、家の近くのローソンだとちょっとした野菜類や乾麺といった料理の材料も多少は揃っていて、値段は張るけどちょっと数品買い足すにのは非常に便利。とはいえお米すらないというこの状況はさすがにヤバいと思う今日この頃。会社から帰る時間帯が遅い & この季節だと夜中は寒いので、買い出しに行くのすらめんどいのですよねぇ……(と激しく引きこもり発言^^)

 というわけで今日はネタがないので、ちょろっとお仕事関係の話題を一つ。

 最近、会社のリーダ系の研修に出されて激しく微妙モードに陥っているのですが(← 管理職は絶対にやりたくない人らしい;)、とはいえ立ち回り上、その研修参加者の取りまとめみたいなことをやらなければならない状況になってしまっているワナ;。といってもまあ飲み会の企画とかその辺ぐらいなのですが、こういうのは誰かが音頭を取らないと結局みんな面倒で誰もやらない状態になってしまうんですよね。そんなこともあって、とりあえずしばらく前に飲み会を開いてみたのです。が。

 これがびっくりするほどえらい面白い & 楽しいんですよ^^。

 や、参加している人たちは、年齢層こそ大差ないものの、部署も違えば仕事内容もぜんぜん違う面子たち。ところが面白いのは、仕事上の壁や悩みが本質的な部分で非常に似ているというポイント。根本原因は見えているのにそれが解決できないとか、人や組織の壁にぶち当たってなかなかうまく物が進められないといった具合に、メタレベル(上位レベル)で考えると、ぶつかっている課題が非常に似ていて、それだけにやたらとお互いに共感しまくり状態になったり。しかも部署が離れている(=利害関係がない)ために、悩みなどを互いにぶつけても、損得勘定抜きで親身になって互いに相談に乗れるという特徴があり、いやはやこれはものすごくいい会合じゃないか、と思わずにはいられなかったり。そんな中で出たちょっと興味を惹かれた話題で、こんなのがありました。

 私の会社は部署ごとに男女比率が極端に違うのですが;、その女性社員の職場は、やたらと女性比率が高い部署。で、その人がいろいろと愚痴り始めたわけですが、よくよく聞いてみるとこんな感じらしい。

・同じ部署で、自分に関する「根も葉もないウワサ」がいろいろ立っている。
・同性からがひどく、「あの人は成果も出してないのに評価されている」とウワサされている。
・主犯格と思われる人は一人で、その人がいろんなところにウワサを流しているらしい。
・実際に業務に支障が出るような問題はないが、なんかものすごくイヤ。

 ……とまあこんな感じ。実際問題として、集まっているメンバはみんな優秀な人たちなので、その人は非常に高い成果を出していることは間違いないはずなのですが、妬みや嫉みがとにかくイヤでたまらなくてなんとかしたい、ということを延々と愚痴っていたんですよね。で、私が一言。

「いや〜、妬みや嫉みを買うのは欠点がない証拠でしょ?
 仕事もプライベートも充実していて、すべてにおいて負けてると思うから根も葉もないウワサを流すんじゃないですか。
 だからそれは、むしろ誇るべきことだと思うんですけど;。」

 ……などと実感を込めて話したらえらい感心されるワナ;。自分的には思いっきり苦笑しちゃったんですが、いやまあ実際問題そうなんですよねぇ。例えば私なんかの場合、割と年齢が若い割には役職が上がってしまってるんですが、その割に飲み会ではいつまでたっても下っ端状態(苦笑)。さらに自分については

「あ、まちばりさんですかー、仕事はできるけどイケてない人ですね(笑)。」

とか確実に言われてそうな気配(笑)。非常につまらない & くだらない話だとは思いますが、実際問題として世の中の多くの人たちは、他人を見下す(or 欠点を見つける)ことで自分を上位に持っていこうとする傾向がある。そういうつまらない悪意を向けられて気分のいい人などいないと思いますが、だからといってそういう他人の思考をコントロールしたり変えさせたりしようとするのは無茶だし、しちゃいけないことだと思うんですよね。

 もし言われているウワサについて、実際に自分に非があるんならそこは徹底的に反省する必要があると思いますが、そうじゃないんなら何を言われても胸を張っていていい、というより胸を張っているべき。もし他人のウワサ(しかも根も葉もないウワサ)がイヤでイヤでたまらないというのであれば、それはプライドがない証拠(自立していない証拠)じゃないかと思うんですよ。

# 見栄と自尊心(誇り)の違いについては何度かこの blog でも取り上げてるのですが、
# 見栄というのは「他人からどう見られたいか」という外面的な欲のことであり、
# 自尊心(誇り)というのは「自分はどんなふうにありたいのか」という内面的な欲のこと。
# 本来、プライドというのは自尊心や誇りのことであって、見栄のことではない、と思うんですね。
# もちろん、他人から悪く思われたい人、他人から悪く思われても全く気にしない人というのは
# いないと思いますが、自分の『主軸』の置き方として、見栄ではなく自尊心や誇りに重点を置く
# ようになっていくことが、大人としての成長の証ではないかと思ってたりするんですよね。
# や、だって『見栄』はどんなに突き詰めても突き詰めきれないし、自分の所在が不明確ですけど、
# 『自尊心』があることは、自律できている証拠じゃないですか^^。

 じゃあお前、イケてなくていいんか?! とかツッ込まれると極めてイタいところではあるのですが(苦笑)、現実的な話をすれば、天は二物を与えない。いやたまに三物も四物も与えられているような人もいますし努力を怠ってよいという話では全くないですが、努力すれば二物が与えられるわけではない、ということは理解した上で、自分の基軸をどこに置きながら頑張るのかを決めることが大切なんじゃないか、と思ったりします。まあ、前述の人について言うと、一度でいいからそんなふうにめがっさ妬まれてみたいんですが、とか言いたくなるものなんですけどね(苦笑)。

2008/2/18 00:52 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
読む自由と読まない自由、そこから広がるモノ。

 えーっと、今日は Web 拍手コメより〜。

> 毎日拝見させて頂いております。最近ECOネタばかりで困っております。
> 以前はもっとネタの幅が広くて楽しかったのに…ちょっと残念です。


 ぐはっ。(笑)
 っていうか思わず自分で苦笑しちゃうあたり自覚意識があったに他ならないわけですが^^、せっかくなのでこれをネタにエントリを書いてみるテスト〜。

 私はネット歴が 20 年を超える人なのですが(え゛?;)、さすがにこれぐらい長くやってると、いろんなトラブルに巻き込まれたりだとかいろんな卓見を読んだりだとかするもの。そんな中でも印象に残っているセリフとして、こんなのがあります。

「ここの書き込みは自由に読む権利があるけれども、読まない自由もある。」

 これ、どんな文脈で出てきたのかというと、昔は今のようにネットがあまり発達していなくて、ある一つの場所に何十人とか何百人の人が集まって、いろんな書き込みや議論を交わしてたんですよね。で、そうなると当然自分の意にそぐわない書き込みや自分のお気に入り作品をけちょんけちょんに書いたりする人もたくさん出てくるわけなのですが(← というか自分にも苦い経験が;;)、そんな場所でトラブルが起きたときに、当時の管理者さんが言ったのが上の言葉だったんですね。当時は若かったのでピンと来なかったのですが、端的にいえばものすごく単純で、自分の意にそぐわない相手を、無理に自分の思い通りにしようとしてもなるはずがない、だから気に入らないなら読まなきゃいいじゃん?(そういう自由もあるでしょ?)という話なんですよね。

 ……と書くと、つまり「気に入らなければうちの blog なんて読むなって意味ですか?」と問われそうな気がしますが、それはむしろ全く違う
 なぜかというと、それだと世界が広がらないから、なんですね。

 これはネット(特に blog)の功罪でもあると思うのですが、昔のネットの世界というのは、良くも悪くも場所が限られていたために、みんなが一か所に集まらざるを得ず、その結果として意見衝突やケンカが絶えなかった。けれどもその一方で、自分と異なる人の意見を読んだり議論したりすることもできたというプラスの面もあるんですね。

 ところが blog というのは個人が気軽に自分だけの空間を作って情報発信できるシステム。その結果として、必然的に閉鎖的な傾向が発生すると思うんですよ。例えばコメントに関して言えば反論コメはつけにくいし(というか反論コメつけるのも面倒でスルーしてしまう)、あるいは数多ある blog の中から自分の好みに沿うもの、言い換えれば自分と似通った感性や趣味の人の blog ばっかり読んでしまう傾向がある、と思うんですよ。結果として、一つの blog には似たような趣味や嗜好の人ばかりが集まり、外界に向かって情報を発信しているように見えながらも実のところは自分の殻により一層とどまっている状況になってしまうこともあるのではないか、と。だから、私は blog をやっていて、Web 拍手でタレこんでもらった面白い本とかの情報は非常にありがたいし、トラバつけたりして反対意見を述べてくれたりするのも非常にありがたかったりするんですよね。なぜなら、そうしたものが、新たな見聞や考え方を得るためのきっかけになるから、なんですよ。

 私が割と幅の広い話題を blog で扱っているのは、読んでいる方の世界が広がるように……というのは大ウソですが(ぉぃ;)、blog を書いて情報を発信している理由には、自分の趣味であると同時に、こんな考え方や感じ方の人がいるという参考になるといいな、という思いも多少はあったりするわけです。

 ……で、だらだら書いてきたけど結局何が言いたいのかというと、ですね。

 せっかくですから ECO を始めてみたりしてはどうでしょう??(ぉぃこら(笑))
 いやだって、もしかしたらそこにはまだ知らない、ものすごーく楽しい世界が広がってるかもしれないじゃないですか(笑)。

 ……とまあオチはともかくとしてぶっちゃけトークをすれば^^、まあ個人の blog なのである程度は手加減してください(苦笑)。
 期待してくださるのは嬉しいものなんですが、期待に応えられるかどうかはまた別の話なので^^。

# といいつつ、ECO ネタに関してはプラス評価の Web 拍手入れてくださる方もいらっしゃるんですけどね^^。
# や、感じ方や捉え方はまあ人それぞれ、ということで FA ?^^

2008/1/22 03:01 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
自分の好きなこと、そして自分の目指すもの。

 さてさて、いよいよ 2007 年も終了なわけですが、例年大みそかにはその年一年を振り返ってみて、ほんのちょっとだけ真面目エントリを書くことにしていたり。そんなわけで今年も綺麗ごとモード当社比 120% 増しで書いてみようかと思ったりします。

 昨年の大みそかのエントリをアップしたあと、数日後に「意味がよくわかんないので補足説明してください」みたいな Web ツッコミがありました。年を超えてから前年のネタを引っ張るのもどうかと思ってそのままにしちゃったのですが、昨年書いた「自分を物語の主人公にしない」というのは何が言いたかったのかというと、要するに何か物事や状況の判断をするときに、自己中心的な解釈(自分を中心にした解釈、自分にとって都合のよい解釈)をしてはいけない、という話でした。

 や、確かに字面だけ見るとごくごく当たり前の話ではあるのですが、現実問題としてはこれってものすごく難しいことなんじゃないかと思うんですよね。というのも(これは一昨年の大みそかエントリに書いたのですが)今の世の中って、何につけても「自分が」「自分は」と考えてしまうもの。例えば、数年前に頻繁に引き合いに出された希望格差社会(挫折先送り社会)という概念。これは簡単に言えば、いつか自分もシンデレラになれるという考えをいつまでも引っ張り続ける若者が増えた、という話に他ならない。それはぶっちゃけ根拠のない妄想に他なりませんが、なまじ自分の中で完結しているだけに他者(あるいは現実)から否定される瞬間が少なく、よほど自分を強く戒めない限り、その妄想から離れることは難しい。そしてそうした妄想(自分を物語の主人公にするような自分勝手な解釈)は、自分の置かれている状況や物事の判断を著しく鈍らせるものなんですよね。

 ある意味、「自分を物語の主人公にしない」ということは Fate の士郎よろしく自分を捨てることに他ならないんじゃ? というツッコミも当然あってしかるべき。けれどもこの自分ルールを一年間守って過ごしてみたら、今まで見えてなかったものがいろいろ見えるようになってきて、なるほどこういう生き方も楽しいものだなぁと思うようになったんですよね。なぜかというと、今まで漠然として自分でもうまく言葉にできなかった、『自分が一番好きなこと/楽しいこと』がはっきりと分かってきたんですよ。それは、

 「他人が自己実現して幸せになる様子を見ること。」
 要するに、人が幸せなのを横で見てるのが一番幸せ。それが自分にとって人生で一番楽しいことだっていうことがわかったんですよね。

 私自身が勘違いしていたことなのですが、私は周囲の人の笑顔を見るのが大好きで、とらは2の真雪よろしく「一生、笑って過ごそうぜ!」と割と本気で思っていたりします。けれどもその一方で、自分本位な人が他人に何かをしてもらって笑顔でいる様子を見ると、むしろものすごく腹が立つ。その分岐点が今まで微妙にわからなかったのですが、要するにこれ、「自己実現」というキーワードで切り分けることができる。つまり、(自助努力による)自己実現を達成して笑顔でいる人の様子を見るのが自分は好きだということに気付いたんですよね。

# この『自己実現』という言葉はものすごくよく使われる言葉の割にその意味が結構分かりにくい
# (一応定義はこちらこちらを参照)と思うのですが、もっと平易な言葉で書けば、
# 願いを自らの力で叶えること。つまり、なりたい自分になること、自分がやりたかったことを、
自らの意思と努力で成し遂げること、ですね。

 ECO にしろ普段の仕事にしろ、そして古くは塾講師をやっていたときにしろ、割と自分は自分が何かをすることよりも他人のおせっかいが大好き……というか冷静に考えれば単なるうざい人なのですが;、けれどもそんな最中にたまに無意識に「なんか自分にもハッピーなことがあるのかも?」と思ってしまう瞬間がある。そしてそれが原因で、冷静な判断を間違えてしまうことがあったんですよね。けれども究極的な発想の根源を、「その人にとって一番いい(その人のためになる)ことは何か?」『だけ』を考える、つまりその人にとって一番いいことは何か、その人の一番を引き出すためにはどうしたらいいか。そのことだけを追及して考えて行動するようにしたら、不思議なことに以前より遥かに幸せを感じてる自分がいたんですよね。そしてそれと同時に、あ゛〜、なるほど自分の目指していた幸せのカタチはこういうカタチだったのか、とも気付いたんですよね。

 以前、私が勤めていた塾の社長やけろっちゃ氏たちと何人かで飲んでいたときに、こんな話が出たことがあります。

「最近みんな(自分が)ちやほやしてもらうことばっかり考えますよねぇ。」
「やっぱり物事は give and take でなくちゃダメですよね。」
「いやいや、人生って give and give でしょ?

 もしかしたらこの話を数年前に聞いていても自分はピンとこなかったのかもしれませんが、今だったら塾の社長さんのこの言葉の意味がよく分かる。要するに、人生って与えることからしか始まらない、ってことだと思うんですよ。もちろん単に与える一方ではその人をダメにするだけに過ぎず、与えるといっても実際にはその人が自己実現に近づくような環境を整えるような手助けしかできない(自己実現するのはあくまでその人の自助努力でしかあり得ない=どんなにうまく勉強を教えようとしても結局学ぶのは学生自身でしかない=他者には勉強を効率的に進められるような支援をすることしかできない)。けれどもそういう手助けの仕方をして、その人が何かを成し遂げたときに幸せそうな様子を見るのはものすごく楽しい(別に感謝してもらう必要性はなくて、その笑顔を横で見てるのが楽しい^^)。いわばそれは他人の幸せのおこぼれにあずかるようなものですが(笑)、自分にとっては、その方が、自分が何かを成し遂げることよりもずっと楽しくて嬉しいことだと気付いたんですよね。

# 私って昔から自分が何かを成し遂げることについては限りなく興味がない人だったんですよねぇ;。
# 例えばよく起業しないかと勧められたりしますが、自分の城を持ちたいとはまるで思わないし、
# 偉くなりたいとも特に思わない。世の中(特に男性)にはこうした地位や名声に対する渇望を持った
# 人が多くて(別にそれ自体は性格傾向の問題なので悪いことではないです)、そういう感情はたぶん
# 自分にもあるんじゃないか? みたいな思いを多少は持っていたのですが、実はそれは単に自分のことを
# よく分かってなかっただけ……ということに気付いたんですよね;。

 そういえば、なのは StrikerS にこんなセリフがありました。

はやて 「あかんなぁ、それやと恩返しとフォローの永久機関や」
なのは 「あはははは」
フェイト「友達ってそう言うもんだと思うよ」

 このセリフ、実はものすごく好きなのですが^^、はやての言うように、もしこの世の中に永久機関があるとしたらそれは思いやりの永久機関。けれども世の中には、残念だけれども give and give どころか take and take しか考えていないような人もたくさんいる。先日、たまたま会社の新人の女の子と話しているときに冗談で、

「だって女性は愛されてこそなんぼのもんでしょ?」
「○○さ〜ん、分かってるじゃないですか〜。」

とかいう話をしたのですが、内心、いやいや分かってないのはあなたでしょ、と思ったり(← 性格悪いですよこの人;)。さすがに take and take は論外にしても;、give and take を暗に意識していると、take がなかったときにキレる。実際このタイプの人は少なくない(自分にもそういうところがあった)のですが、それは暗に見返りを期待した下賤な行動に他ならないんじゃないか、と。先に書いたように、give する内容が、単なる天からのおこぼれもの(タナボタ)であっては意味がない(それはその人をむしろダメにする麻薬でしかなく、Fate の士郎の生き方はそういう生き方だからダメだと思うのです)と思うのですが、その人の一番を引き出すために自分ができるベストを尽くす、そういう行動原理を持って行動し続けたら、きっと自己実現の様子をたくさん横で見られて超ラッキーw、になるんじゃないかと思うんですよね。

 確かにもらうことばっかり考えている人が多い今の世の中の風潮では、自分の生き方の選択はまるっきり多勢に無勢な生き方なのかもしれない。けれどもそういう生き方を貫くことは実に楽しいし、そしてそれが自分にとっての目標であり、自分の生き方の選択であり、自己実現なんじゃないか、と思ったり。そんなことに気付けたのが、自分にとって今年一番の最も大きな収穫だったんじゃないかと思っています。

 ……とまああれこれだらだらと自分トークを続けたわけですが、まあ大みそかなのでちょっとだけお目こぼしを^^。
 まだまだ迷ってばっかりな自分ですけれども、でも来年もまた頑張ってみよう。そんなふうに前向きに思える自分がいるのが嬉しい今日この頃です。

 というわけで、今年もみなさん一年間 blog に来ていただいてありがとうございました!
 ええっと、来年もあいかわらずゲームとアニメと趣味ごったにのぐだぐだトークを繰り返す予定ですが、変わらないことっていいよね? ということで来年もお付き合いいただければ嬉しいです^^。

# さて、これから年越しそば茹でて食べます〜。そして E(ry

2007/12/31 22:04 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
頭の痛い後輩な話・その後

 というわけで blog のエントリ up がえらい遅れましたが;、今日は先日書いたエントリの後日談。

 や、実は先日あんなことがあった翌日の朝っぱらにこの子が私のところを訪ねてきて、この案件をこれからどうやって進めていくつもりなのかの考え方を聞かせて欲しいと言ってきたり。でもって、珍しくヒヤリングモードに入っていたので、自分が考えていたことや思っていたことを淡々と話したら、それなりには納得。先日のエントリに書いたアドバイスなんかも様子を見ながらちょろちょろ話してみたのですが、当人も自己反省していたところがあった様子。まあどこまでホントの意味で理解したのか納得したのかは不明なものの、少なくとも話が噛み合わなかったことを察知して、補正してきたあたりはやっぱり優秀だなぁと非常に感心。

 で、実はさらにその後の後日談があるのですが、その後さらにうちの組織の部門長と飲む機会があってだらだらと二人で話してたときに、今の新人は功を焦っている、という話があったり。これは私も思うところがあって、しばらく前に辞めてしまった自分のメンティーもまさにこのタイプ。最近はとにかく新人の離職率が非常に高くなっていて(いわゆる転職あっせん業界が第二新卒という名目で転職市場を活性化させていることもあるでしょうが)、数年で 3 割近くの人がやめる、なんていう統計データもあるとか。だいたいこの手の人たちには共通する特徴があって、

・自己主張が必要以上に激しい。
・自分の意にそぐわないような他人の話は聞こうとしない。
・最短ルートの作業で成功をおさめたがる。(回り道を極端に嫌う)
・「それは僕のやるべき仕事ですか?」といったセリフを言う。

といったところがある。けれどもぶっちゃけ新人君が出来る作業も、彼らから出てくるアイディアもたかがしれているわけで、10 年選手の業界人に勝てるわけがない。今回仕事を一緒にしているこの子も全く同じタイプだったのですが、なぜまずは与えられた仕事をきっちりとこなすことが重要なのか? あ゛〜、なるほどこう説明してあげればいいのか、と思いついて彼に話したのがこんなセリフ。

「仕事が本当にできる人っていうのは、全くつながりのない別のジャンルの物事から着想を得て、
 有機的に物事を結びつけながら考えたりアイディアを出したり行動したりできる人
なんだよ。
 だから、カリキュラムがしっかり整っていて、最短ルートで必要十分な勉強だけしていれば合格点が
 叩きだせるはず、なんていう受験勉強的な考え方じゃ、本当にいい仕事っていうのは出来ないんだよ。」

 ちょっといいこと言った、自分w。

 というのは冗談ですが(笑)、おそらく重要なのは、このセリフを人事的な上下関係のない人が言うというポイント。こういうセリフは、人事上の上司の人が言うと、結局は自分の意にそぐわない仕事をさせるための方便のように聞こえてしまうはず。だから、全く別の第三者的な立場の人がこういうことを伝えることが重要、なんでしょうね。

 ……というわけで、ちょっとだけでもいい方向に変わってくれるといいんですが、さてはて?

 ところでそのエントリに入っていた Web 拍手へのお返事を〜。

> 吸い尽くすみたいな意識ではなく、どうにか相互に利益をもたらす関係をつくるコツはないものでしょうか?

 えーとですね、相手にもちゃんと何かを返したいと思うのなら、とにかく早く成長して肩を並べられるようにすることが一番大切、だと思います。はっきり言ってしまえば、新人には新人なりの視点やアイディアがある、なんてことを考えること自体が間違い(おこがましい)だと思うんですよ(少なくとも自分はそう思っていました)。そんな中途半端なアウトプットを出すぐらいなら、とっととスキルアップして早くに一人前の戦力になること、それが最も重要なことじゃないかと思うんですよね。私は最初に入った会社では、1 年経ったぐらいのときに 10 年選手とやり合うぐらいのスキルを身に付けていたのですが、そうなれたのも、会社の先輩や上司がとにかく勉強できる環境と時間を与えてくれたというラッキーがあったため。環境が違うとなかなかこうはいかないでしょうけれども、新人君の一番の仕事は、勉強することとスキルアップすること、でしょう。

# とか書くと、新人君は黙って言うこと聞いてろ、とか読まれてしまうかもしれませんが;、
# 言いたいことは言っても別に OK。ただ、自分の判断だとか考えは浅いかもしれない、という
# リスクを念頭に置いた上で、発言なり会話なりをする必要はあるでしょう。そこさえ守って
# おけばそうそうおかしなことはならないか、と。

 ちなみに親睦会の場なんかでも、新人君がバックでお酒のオーダとか出してると、私は速攻でやめさせたりする人です。いやとりあえずピッチャー持って回って全員に挨拶して喋ってこい、と。まあこの辺はまだまだ学生感覚が抜けていないあたりなんでしょうが、その場における自分のロールを的確に判断できることは社会人としての必須能力なだけに、きちんと身に付けてもらわないと困るところではありますね。

2007/11/24 15:11 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
頭の痛い後輩な話

 最近、新人の子と一緒にお客さんのところに行くことがぼちぼち出てきたのですが、うーーーん、と頭を抱えてしまったり。かなり狭き門をくぐってきているはずなので普通に頭はよいはずなのですが、どうにも会話が成立しなくて「???」となってしまっていたり。

 まあ要するに、新人君によくある「部分的にしか物事を見ることができていない」ワナにハマっているのですが、もっと別の視点はないかとか、もっと大局的に物事を見るとどうかとか、全体として何を考えなくちゃいけないのかといった問いかけに対する反応が極端に悪い。その割に必要以上にアグレッシブなので、

「うーん、ちょっと視点がせまくなってない?」
「いえ、もしかしたらそう聞こえたのかもしれないですけど、そんなことはないです。
 ○○とか××とかも考えてますから。」

 ……いやだからそれが狭いって言ってるんだけど状態;。一事が万事こんな感じなので、もう何かを言う気力も失せてしまってぐったり状態に。

 実は最初は自分の説明がうまくないのかと思って手を変え品を変えてあれこれ説明していたわけですが、ある瞬間にはたと気付いたのは、あ゛ー、これ、自分の説明そのものの上手い下手の問題じゃなくて、そもそも人の話を聞いてないんだ、ということ。自分の考え方への必要以上の固執、話のギャップの本質を理解しようとするスタンスのなさ。おそらくこのタイプは当人の持っているロジックで他人から論破されないと話を聞かないのですが、あ゛〜もうめんどい、そこまでやってあげる気も起こらんぞどうしよう状態に。

 社会人なりたての人とか、あるいは学生さんの人たちも多そうなのでズバリ書くわけですが、ぶっちゃけ新人君に必要なものは何か? それは

 かわいげと謙虚さ

です。どうも他人を論破しないと気が済まないタイプの人は多いのですが、名を捨てて実を取るのがビジネスの世界。お客さんからどんなになじられようとも、結果としてお客さんからちゃんとお金を取れていれば勝ち。その場での論破合戦には本質的な意味がないのがビジネスの場なんですよね。そのためには、当たり前ですが先輩や上司にはかわいがられてナンボ。どんなにダメな上司でも、吸えるところを吸うだけ吸いつくすのが、結果として自分の利益につながるんですよね。

# とか書いている自分は超腹黒なわけですが;。(苦笑)
# でもこの子については、メンターやってる人から「メンタリティがダメだ」という暴言を
# 聞いてたのですが、まあなんというか妙に納得できる話ではあるなと改めて思ったり。

 損して得取る、みたいな考え方は学生さんにはきっとなじみがないのでしょうが、結構重要な考え方ではありますね。……しかしこれをいつのタイミングでどうこの子に伝えるのか、というのはまた一つ大きな課題なのですが;。

2007/11/21 02:22 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
やっぱりというか

 Web 拍手のコメント多かったです^^。> 言いっぱなしやりっぱなし。のエントリ
 なのでいくつかお返事を〜。

> ちなみに経済原理による解決ってどんなのがあるんでしょうか。

 ええっと、「貧乏人は医者にかかるな!」という論理。要するに、「安価な商品に対しては低水準なサービスしか受けられない」と。現在の日本は、商品の価格帯によらず安全・安心が保証されなければならないという「安全神話」がある。そしてそれが「安全・安心が得られなかった」というクレームにつながっています。しかし、経済原理に基づけば『安かろう・悪かろう』なわけで、安価な商品で高水準なサービスは受けられるはずがない。

# 特に日本の場合には、「アフターサービスはすべて無償でなければならない」という思い込みがありますね。
# 釣った魚にエサはやらない、という論理。

 おそらく、理不尽なクレーマーの多くはさほど収入水準が高くはないでしょう(というかいい大人なら大人げない発言はしないものですからね^^)。高水準なサービスを提供するために物価が上昇すれば、おのずとそうした人たちは物が買えなくなり、安さを追及せざるを得なくなる。結果、高水準なサービスはお金持ちにしか得られなくなっていく……というのが経済原理による解決、です。

 もちろん医療のように「これがなければ生きていけない」類のサービスについては、価格が一方的に上昇するということはないでしょうが、そのかわり「最低限保証される医療の水準」が極端に下がっていく、ということになると思います。すでにアメリカなんかだとそういうふうに世の中が進んでいますね。良いのか悪いのかは別にして、クレーマー & 訴訟社会という意味ではアメリカが日本の先行モデルケースと言えるんじゃないかと思います。

> 下流社会の現場は個人主義ばかり。冷徹な経済主義に反発してでもまとまってくれたらと
> そんな現実味のない期待をしたいくらい

 あわわ、最後が切れてしまってる;。すみません〜;;。
 個人主義、というのは言い方を変えると「オレ様主義」でしょうか。まあでもそういう人たちが徒党を組んだらどうなるか……と考えると、それもそれで微妙な気がしなくもなかったり。

> 第三者の視点で論じるのか、その世界でうまく立ち回る方法を考えるのか、によって全然
> 違う解がありそうな気がします。「情けないけど経済原理で解決するしかない」であるに
> しろ、知恵の絞りどころはあるはず。電話クレーマ対応はAI+初音ミクとか(苦笑)。要は
> コストかけずに満足させりゃいいのです。

 確かにこの意見は一理あるなぁと思ったり。まあ AI + 初音ミクは冗談にしても^^、企業側の視点としては消費者がクレーマーになることを前提とすべきだし、その中でアフターサービスに関して高い C/P を求めていく、というのは当然考えるべきポイントなのでしょう。先日紹介した番組の中では、アフターサービスに関して前向きな位置づけや機能(商品開発へのフィードバックや新商品のアイディアの源泉にする)を持たせることでかかるコストに正当性を持たせていたように思いますが、他にもやり方はあるかもしれませんね。が、しかし。

> ECOネタ以外はレス付け難いなぁ(苦笑)。

 ちょっwwww。
 それはいったいどーゆーことですかと小一時間。(笑)

 しかしま〜確かに激しく ECO やりたいのはあるわけですが、あと半月は我慢の子;。12/7(金)に SAGA7 実装があるのと、12/9(日) で ECO が 2 周年、というのが重なるのでそれまではひたすら。まあぼちぼち仕事も忙しいので(明日もお仕事予定なので;)、ここは無理せず仕事やりためておくのが吉かも、ですよ〜。

2007/11/17 00:08 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
言いっぱなしやりっぱなし。

 というわけで今日は少し早目に帰宅してぼちぼち片付けとかしてたのですが、ふっとテレビをつけたらこんな番組が。

・日経スペシャル ガイアの夜明け
 「クレームに立ち向かえ! 〜苦情処理の企業戦略」

 番組の内容を簡単に説明すると、とにかくアホみたいに増え続ける消費者からのクレーム。対応を一歩誤れば火に油を注いで企業存続すらも危うくしかねない昨今の実情があり、「言った者勝ち」の様相を呈するクレームをどう処理すべきかにどの企業も頭を悩ませている。そこに真正面から取り組んで、クレームを積極的な商品改善の場として会社のプロセスに組み込んでいる企業の事例と、さらにはクレームから気付きにくい消費者のニーズを読み取り、アイディア商品を開発してビジネスチャンスへとつなげていく事例を紹介する、というもの。

 タイトル自体に惹かれてつらつらと見ていたのですが、まあ内容そのものは割と地味……というかよくあるクレーム対応の現場だよな、とは思ったのですが、ただ非常に一方的な番組だったのも事実。要するに、結局のところ「クレームを素直に受け止めて、それをどう生かしていくのかを考えるべきだ」という趣旨であり、クレーマーと化している消費者側の問題については一切触れなかったんですよね。(要するに、消費者側がクレーマーと化して罵詈雑言を言いまくるのは前提条件とみなした番組になっている)

 けれども、お客様相談室(という名のクレーム対応係)に寄せられる電話での罵詈雑言は、何度聞いても呆れるばかり。30 分以上の罵詈雑言に平謝りを続けたクレーム対応係の方が、電話が終わったとたんにやり場のない怒りを持て余してしまっている様子がホントにかわいそうとしか言いようがなかったですが(いくら仕事とはいえ)、こういうのを見てしまうとホントに経済原理を以て解決するしかないんじゃないか、という悲しいことを考えずにはいられないようにも思えてきます。正直なところ経済原理を以て解決するというのは全く思いやりのカケラもない冷徹な世界であって、最後の手段だと思うのですが、言いっぱなしやりっぱなしで理屈も論理も通用しない人たちに対抗しうる『最後の手段』は、実際のところ、経済原理という名の暴力しかないようにも思えてきます。

# この点に関しては企業側にだって責任が、という話は当然あるでしょうが、企業側に関しては
# おそらく顧客側が企業を選ぶので、自浄作用が効きやすいと思うんですよね。
# ただ、顧客側は「数の暴力」がまかり通ってしまうので、そういう自浄作用が効きにくい。
# (ただでさえ、民主主義というのはラクしたがる人たちに優しい世界ですからねぇ;)
# なので、なんかつらつらと考えると「どよ〜ん」としてきちゃうんですよねぇ;。

 先日、でじくま氏の blog に「貧乏人は医者にかかるな! 医師不足が招く医療崩壊」という本の書評が上がってましたが、医療の世界もこうしたクレーマーまがいの患者(正確にはその親族なのでしょうが)に悩まされている業界であり、ある意味では世の中の先行きを占うひとつの指標になるのかも、という気がします。「言ったもん勝ち」の世界は、端的に言えば恥を知らない人たちが公然と闊歩する世界だと私は思いますが、モラルの問題を経済原理で解決するというのは、正直寂しい……というか情けないようにも思うのですが、どうでしょうね?

2007/11/14 00:54 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
未来の予測

 しばらく前のことですが、会社でメールを読んで一瞬「ぷちっ」となりかけるワナ。自分は怒るのがめんどいという脱力系な人なので基本的に滅多に怒らないのですが、その日はたまたま虫の居所が悪くて「ちょっww、おまwww」状態に;。あ゛ー、いかんいかん、冷静にならねばと思ってちょっとうろうろしたりと微妙に不審者状態に。

 でもって落ち着いてからメールを返したわけですが、どうして毎度のことながらこの人はこうも失礼なこと言うのかなとがっくり状態。で、よーく考えてみると、ああなるほど、その次に何が起こるのかとか、その先に誰がどう動くのかとか、そういうことを全く考えてないメールなんだな、と気付いたり。

 メールでなくてもこの手の話はしょっちゅうあるんですよね。典型的によくあるのが、大企業ならではの無茶苦茶な要求。仕事柄、大企業のお客さんとお付き合いすることがしばしばあるのですが、とんでもない失礼なことを言ってくるお客さんもたまにいたりする。大企業であっても概して若い人たちだとそういう「奢り」みたいなものはないことが多いのですが、マネージャクラスの人たちになってくるとホントに何様のつもりだろう、みたいな人もいて頭を抱えたくなることも。ぶっちゃけ「あなたが偉いんじゃなくて会社が偉い」のですが、こういう人たちって、自分のセリフがどういう結果をもたらすのか、その後に誰がどういう動きをすることになるのかをあんまり考えてないんじゃないか、という気がするんですよね。

 なぜって、そういうことを言われてしまうと、ビジネスライクなお付き合いしかできなくなるから。

 確かに理屈上は、同じお金を払う人には同じサービスを提供すべき……なんでしょうが、実際問題として人間はやっぱりウェットな生き物で、恩義を感じる人にはできる限りのことをしたいと思うのが人情というもの。けれども利権を振りかざされればこちらも身を固くせざるを得ない。例えば、先日狩り出されたお仕事の件も、同僚がお客さん先で罵声を浴びせられて心が挫けちゃったのが原因なのですが、正直こういうことをされたお客さんに対してだと一定以上頑張る気が起きないんですよね。冷たくされれば義務は果たすけれどもそれ以上のことはしないよ、となってしまう。正直な話、「あ゛ー、この人たちめちゃめちゃ損してるなぁ」と思うこともあって、その辺に気付ければ大きなブレイクスルーがあるんじゃないかなぁ……、と思うこともあったりします。

# もちろんウェットにやるばかりがよいというわけではないんですけどね。実際、仕事に対して不真面目な人も
# いるわけで、そういう場合にはドライにやらざるを得ないこともある。要するにドライとウェットをうまく
# 使い分けたり組み合わせたりすることが重要で、杓子定規に対応しちゃいけない、ってことなんですけどね。

 しかしこういうのって実のところ他人の欠点はよく見えるけれども自分の欠点は見えにくいものなわけで、ホントに気をつけなきゃいけないのは自分自身。実は先日、はたとめちゃめちゃ失礼なことをメールに書いてたと気付くワナ;。ちょっと調子に乗ると物事を多側面的に見られなくなってしまうことが私はしょっちゅうあるのですが、今回もまさにそのパターンで、う゛〜あ゛〜、ごめんなさい状態;;。一度書いてしまった内容は取り消せるものではないので、それによって起こる問題はすべて真摯に受け入れるしかないのですが、最近この手のミスが割と多いような気も。まあ子供じゃないんだから誰かが怒ってくれるなんて都合のよいことはあり得ない上に、他人の気持ちを読むのは割と苦手な人なのでますます注意しなくちゃいけないのですが、ホントに普段から意識しなくちゃいけないですね;。

2007/9/26 03:10 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
転職のワケ(今度は真面目な話;)

 というわけで今日はちょろっとお仕事に出かけつつ秋葉原巡礼してお買いもの〜。



 って、いじってる時間がないので取り付けはちょっと後回し;。や、今週は火消し支援に召喚されて微妙に面倒なことになってたり。実はお客さんから罵声を浴びせられて(精神的に)挫けてしまった人に代わってのヘルプで召喚されてるのですが、(こちらにも非があったとはいえ & お客さんとはいえ)罵詈雑言の類を浴びせかけてくるのはさすがに大人じゃないなぁと思わずにはいられなかったり;。や、そんなやり方して怒鳴っても、お互いいい結果にはならないんですよね;。どうせやるなら裏からこっそり手を回せ、とか思ってしまう自分は腹黒サラリーマンなわけですが(ぉぃ;)、どちらにしても怒られた子はいきなり一週間、体調不良でお休みモードに;。

 心療内科系な対応は上司に任せて、私の方は現場の技術的なところでのリカバリに入ったのですが、これがなかなかに難しい。予想以上に設計が難しいとこもあって、時間を置きながらちょろちょろとブラッシュアップ中。や、こういうのは時間をかけたところでいい結果が出るわけではないので、適度に時間を置いて寝かせながらアイディアを練っていく必要があったり。そんなわけでこの三連休はちょろちょろと会社に出てお仕事する予定ですが、時間をかけずに成果を出すために何が出来るのかを考えながら進めたいと思ってたり。

 でもってまあそれはともかく、なんか昨日は ECO の二次職転職話だけ書いたら終わってしまったので;、今晩はちょっとは真面目な話を書こうかと;。や、自分が転職するわけではなくて、知人が自分の会社に転職してくるという話なのですが、面白い話を聞いたので。

 今週の半ばぐらいの話ですが、とある上司から急きょ、入社予定の人の接待の席に同席してくれという依頼が。聞けばなんと以前お世話になったお客様の会社のマネージャさんで、「え゛?」状態に。一般的に、取引先からの人材引き抜きというのは基本的には NG というのが当たり前で、もしそれを行うのであれば何らかの仁義を切るのが普通。これは大会社同士であればごく当たり前な話なのですが、今回の話は相手の会社さんが日本の名だたる大企業さんで、しかも日本の超大手の優良会社さん。そこの部長さんという、どう考えても普通だったら転職なんてしないだろうという人が転職してくる、という話を聞いて激しくびっくりせざるを得なかったり。で、いったいこれはどーしたものなのか、という興味もあって接待の席に参席してみたのですが、いやこれが実に面白い話だったんですよね。

 この方、すでに 40 歳を超えている管理職な方なのですが、もうすでにお子さんも結構大きくなっているそうで、あんまり冒険できる状況でもない。しかも日本の大企業ってとにかく従業員を守るという思想がものすごくきっちりしていることもあって、このまま定年まで頑張れば給与も(上がることはなくても)下がることもない。確かに輝かしくはないかもしれないけれども予定された将来が待っている。確かに自分の会社は年俸制なので、うまくいけば給与は上がるけど、当然成果が出せなければ給与は下がる。状況だけ考えればどんなに仕事がつらくてもリスクを取るべきではない、というのが常識的な判断。

 そんな感じなので、GW の頃までは転職なんて考えてもいなかったらしいのですが、周りの知人が転職したのを見て「まあ聞くだけ聞いてみてもいいかな?」ぐらいの気分でエージェントの話を聞いてみたらしい。けれどもまだ転職を踏み切る気にはなれなかったそうなのですが、最後に決め手になったのが、エージェントの放ったこのひと言だったらしい。

「○○さん、最近、お子さんに元気な後ろ姿、見せられてますか?

 あ゛あ゛あ゛、これ言われちゃったら確かにキツいよなぁぁ、と思わずにはいられなかったり;;。実際、今年の夏休みはお子さんと遊ぶ時間もろくに取れなかったらしく、宿題を見てあげる時間もなかったんだとか。年間の残業時間が普通に 1,000 時間ぐらいになっていたそうで(← 日本の大会社って従業員を守るといいながら意外にこういう勤務実態のところも少なくないのです;、特に管理職の方々は)、そんな状況下でこんなこと言われたら……そりゃ考えますよね;。

 でもこの話、さらにちょっといい話もあって、この件、奥さんになかなか切り出せなかったそうなんですね。なぜかというと、やっぱり子供のことを考えたらハイリスク・ハイリターンな仕事には就いて欲しくない……というのが一般的な感覚でしょう。けれども、実際にいよいよ転職がほぼ決まりかけたときに奥さんにこの話をびくびくしながら切り出したら、あっさりと「ふーん、そうなの」と流されて、一言も「なんで??」とか「どうして??」とは聞かれなかったとか。まあ冷静に考えてみれば、子供と遊ぶ時間すら全く取れない(子供の方も仕方がないと諦めかけている)ような状況下での転職話となればそれを妨げる理由はないのですが、このことが本人にとってはものすごく救いになった、と言ってたり。

# いやなんというか、内助の功ってまさにこれだよね、と思わずにはいられなかったり。
# いろいろ言いたいこともあったでしょうに、旦那が頑張れる居場所を作ってあげられる奥さんって凄いなぁと話を聞いてしみじみ。

 私の場合、転職したのが若かったとき(20 台後半)だったということもあって「ハイリスク・ハイリターン」ということに対して意識が全くなかったし(失うものが何もない人にとってはハイリスクじゃないですからね;)、実際のところ、今の時代は自転車と同じでおっかなびっくりで乗っているとリスクが高いけど、走り続けた方がむしろリスクは低いと思うので、この人が取った選択肢って、おそらくむしろ安全策ではあるんですよね。けれどもそれは私のように昔からそういう環境に慣れているからこそ言えるセリフ。この方のように、日本の超大手優良企業で 40 歳を越えて転職、という一大決心をしたということについてはホントにすごいなぁと思わずにはいられなかったり。

 私も技術力で負けるとは思ってないですが、けれども精神面での強さではこういう人にはかなわないだろうなぁと思うだけに、こういう人を見習って強くならなくちゃなぁと思ったりします。チャレンジの形はいろいろあるけど、チャレンジし続けてこそ見えてくるものがあるはず。まあ、そう一朝一夕になんとかなるものじゃないんですけどね;。

2007/9/16 03:13 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
口語表現の敬語と丁寧語

 しばらく前のことですが、あるメールを読んでて「?」となってしまったときの話。や、一応立場的には私の方が上なので丁寧語とか敬語とかを一生懸命使っている。で、日本語としては別に間違ってないし、『文法的には』間違った表現はないんだけれど、妙な気持ち悪さというか居心地の悪さを感じたり。なんというか、イメージ的には取引先からの詫び状をもらったときのような印象をその文面から受けたわけなんですが、ふと考えてみるとこの手の「妙な堅苦しさ」を持った文面書く人って確かにたまにいるよな、と思ったり。で、せっかくなのでエントリを起こしてみるテスト。

 おそらくここに来てる方でもそういう妙な堅苦しさを持った文面を受け取ったことがある人は多いと思うんですが、この手の文面を書く人って別に悪気があるわけでも悪意があるわけでもなくて、純粋に言葉の使い方が下手なだけ。じゃどこに違和感を感じるのかというと、それはものすごく単純で日常会話で絶対に使わない表現を使っているというところ、なんですよね。

 例えば、日常生活の中で他人に何かをお願いするときのことを考えてみると。

「〜してくださりませんか?」 ← 舌とか噛みそう><
「〜してくださいませんか?」 ← 割とオーソドックスだけどちょっと堅苦しい
「〜していただけませんでしょうか?」 ← 頑張って丁寧語を伝わろうとしている気持ちは感じるけどややくどい;
「〜していただけませんか?」 ← この辺がもっとも無難な表現
「〜していただけますか?」 ← 微妙に高圧的なので注意が必要
「〜していただけないですか?」 ← ちょっと砕けた表現との組み合わせ。言葉としてはおかしいけれども気持ちは伝わりやすい。
「〜してもらえませんか?」 ← これは依頼ではなく命令なので、目上の人へのお願いとしては不適切

 これらの表現の中で、どれが正しくてどれが間違ってる、という絶対的な基準はもちろんないのですが、上に行くほどちょっと違和感というか堅苦しさがあり、下にいくほど馴れ馴れしいというか砕けた印象がある。それは端的に言えば、日常会話で使う口語表現からの距離感じゃないかと思うんですよね。

 例えば、名前につける最高ランクの敬語表現は「〜殿」。だから公的機関からの宛名とか賞状の類には「〜殿」を使うのがフォーマットになってるわけですが、だからといって日常生活の中で「まちばりあかね殿」とか書かれたらかなりキモい、というか全力でドン引き;。普通は「〜さん」とか「〜様」あたりがメールとしてはおそらく無難。(← や、別に「〜殿」と書かれたメールが来たわけじゃないですが;、わかりやすい例なので^^)

 もちろんこの辺はその人の属するコミュニティや業界内におけるプロトコール(マナーに関するルールや慣習)によって変わるので、挨拶に(夜会っても)「おはようございます」ということもあれば、「ごきげんよう」ということもあるはず。けれども重要なのは相手の人のプロトコールに合わせてこの辺の力加減を工夫すること。我々は自分が普段使い慣れていない言葉を「すっ」と受け取れないので、普段使わない敬語や必要以上の丁寧表現を見ると、かえって「気持ちがこもっていない形ばかりの敬語や丁寧語」→「慇懃無礼」、となってしまう恐れもあると思うんですよね。

# そういう意味で、先の例で挙げた「〜いただけませんか?」は秀逸な使いやすい言葉ですね。
# 前の会社で先輩の女性社員がよく電話口でこの言葉を使っていたところから私も使うようになったのですが
# 結構使いやすいというか、便利なキーワードです。

 ……などとあれこれ書いてみたわけですが、そもそもお前が日本語のことを語るな状態であることは間違いないのですが;。っつーか入試のときとかの国語の点数は聞くな状態だし;。ううっ;;。

2007/8/29 02:49 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:ノーフォールト

 というわけで本日はこちらの書評を一つ。



 医療現場における避け切れない医療事故と、医療訴訟により心をすり減らし、追い詰められていく女医さんの物語。もともとでじくま氏の blog で取り上げられていた一冊なのですが、興味があったのでとりあえず密林クリック。で、思いっきり積んでおいたのを土曜日にちょろっと読み始めたらリトバス放置して一気読みしてしまうワナ(え゛;)。この本を書いた岡井氏は昭和医大の産婦人科の現役教授だそうで、35 年にわたる現場の医師経験と、現在の医療現場や医療訴訟などを鑑みて筆を取ったそうですが、その圧倒的な臨場感と迫力ある展開に驚くほど引き込まれる一冊でした。

 や、医療現場や医療訴訟の問題、そして特に産科の惨状や訴訟リスクの高さなどは複数の医者の友達からいろんな形で聞かせてもらっていたのでその辺での目新しい事実はなかったのですが、とはいえドキュメンタリー風に描かれるとやはりかなり印象が違ってくる。誠意を尽くしてあたった妊婦が、「避けられない事故」で亡くなり、その遺族から訴えられることによって心身をすり減らしていく。しかもそれが当事者ではなく、周囲の心ない人たち(遺族の関係親族や弁護士など)によって引き起こされていく。そんな物語が克明に描かれている一冊です。

# 特に、院内感染から敗血症を起こしてあっという間に多臓器不全で死亡、という症例は、
# 私の友人の父親がまさにそうだっただけに他人事とは思えないものがありました。
# その話を聞いたとき、現代の医療で細菌感染で死ぬなんてことがあるのか?? とびっくり
# したのですが、それがおそらく素人の感覚そのものなのだろうとも思ったのを思い出します。

 この物語にこれほどまでに引きずり込まれる理由の一つに、ヒロインの奈智の見事な造形がありますね。人一倍感受性の強いヒロインの奈智は、新しい命が生まれる瞬間に立ち会えるお産という職に魅せられ、産科医となる。けれどもその感受性の高さは諸刃で、新たな命が生まれる喜びを産婦と共に享受できる半面、人一倍、深く傷つきやすい。奈智は訴訟を通して産科に対する情熱を失い、そして大学病院を去っていこうとするわけですが、その真の原因は、彼女が信頼を裏切られたことにある。奈智は訴訟を通して PTSD に陥っていくわけですが、彼女の医療行為がノーフォールトであったと科学的に立証されても、なお奈智は以前のような勇気を奮い起せない。それは、自分が患者とその家族に対して寄せていた「信頼」を、訴訟という形で裏切られ、それによって彼女が他人を信頼することができなくなってしまったから。

 人から寄せられている信頼を裏切るということは、人を殺しかねない極めて危険な行為でもあるんですよね。なぜなら人の信頼を裏切ることは、「マジメにやるなんてバカじゃん??」と人の気持ちを傷つけ、生きる情熱を削いでしまうから。それは人を(精神的に)殺すことに他ならない。奈智がこの一件によって失ったものは、産科への情熱ではない。本質的には「生きる情熱」を失ってしまったんですよね。(だから「逃げ」を打つような道(この作品の場合には子供であるとか開業医の道であるとか)を模索しようとしてしまう) そしてその情熱を失った様は、確実に周囲の医師へと伝染していき、さらに泥沼の様相を呈していく……文字通りデフレスパイラルとしか言いようのない惨状。

 ではなぜそんなことが起こるのか? 読んでいる最中に、これはシステムの不整備によるものだよなぁと思っていたのですが、その辺のところは巻末に岡井氏自身が綺麗にまとめていました。この辺に関しては先に挙げたでじくま氏の blog のエントリがよくまとめられているので改めて書き直すことはしませんが、リスクを担保する手立てとしての「保険」「補償」システムがきちんと構築されていないという点が一番大きな問題。こんなこと書くとお医者さんに怒られそうですが;、ぶっちゃけ私も遺族として同じ状況に立たされたら、どんなに頭で理解していたとしてもやり切れない感情の矛先を医師や病院にぶつける可能性が高いと思うだけに、システムの不在を訴訟という形で補填する現在の在り方は正直なんとかしてほしい、と思わずにはいられません。

 医療事故は絶対に防ぎたいものです。しかし、どの科の医療でもまったく無くすということは、残念ながらできないのです。ですから、医療事故の問題は、"過誤"と認定するかどうかを争うという狭い視点で議論するのではなく、どうやって事故の発生頻度を減らすか、事故に遭った被害者をどう救済するかの視点から考えなければいけません。

 この辺を読んで思いましたが、私も概ね岡井氏の主張に同意で、「ハズレを引いた人だけが不幸を見る」的な現行の状態を脱却するためには、リスクを社会全体で均質化して請け負うようなシステムが必要になるはず。そして他国にはすでに先進的なシステム事例もある。なのにそれがなぜ日本に import できないのか? いろいろ理由はあるでしょうが、阻害要因の一つに、やはり日本の未成熟なマスコミの問題があるよなぁ、と思いました。この本の中でもこのポイントには触れられていましたが、特に最近は某超大手新聞会社ですらも下品としか言いようのない記事を載せて、みんなを煽って人の悪い面ばかりを引き出してしまうこと、ひいてはそれが数の暴力に繋がっている部分が少なくないように思えます。そしてそうしたものが「公平中立なシステムの構築」あるいはそこへの取り組みすらをも難しくしている面が少なからずあるんじゃないか、と。

 いずれにしても別にこの話に限ったことではなく、日本という国は人の足を引っ張り合うことが常態化している側面があり、その非生産的な活動が結果的に正常な進化を妨げていることがよくあります。医療現場の現状はまさにそうした負のスパイラルに面しているわけで、こういう本を読むと、改めてとにかく一刻も早い改善が望まれると感じます。まだ自分は健康だからよいものの、将来のことを考えるといろんな意味でぞっとするものがある……そんなふうに思わずにはいられない一冊でした。物語的にはラストがやや安直な気がしなくもないですが(私はあのまま第一線を退くというストーリーラインでもよかった気がします)、とはいえかなり引き込まれるのは確か。専門用語が多く、最初はややつまづきを覚える人も多いと思いますが、その辺はあまり気にしなくても読み進められるので、興味がある方はぜひ手に取ってみていただきたい一冊ですね。

# ……っつーかいいかげんリトバスに戻らないと、ですよ;。
# なんかこのペースだとコミケと重なりそうな気配なのでかなり恐ろしいのですが;;。

2007/8/8 01:56 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
法人は人に非ず;

 ええっと、先日、第二新卒に関するエントリを書いたらこんな Web ツッコミ拍手が;。

> やっぱり社会人はいいこと言うなー、とか思ってたらそういうオチですかい

 うぐぅ;、ご期待に沿えず申し訳ないです;;。じゃあせっかくなので、社会人らしくちょっとはいいことを書いてみるテスト。えーと、もしこの Web 拍手を書かれたのが学生さんだったらぜひとも覚えておいて欲しいことがあるのですが、それは

 「絶対に『会社』のために働くな。」

ということだったり。……と、これだけ書いても意味不明だと思うので以下説明を。

 私は前職をたったの 3 年で退職しているのですが、そもそもなぜそんなあっさり退職したのかというと、それは最初のお仕事での失注経験によるもの。や、私が新入社員として最初に入ったのはかなりの大規模プロジェクトだったんですが、それが 1 年半後にまさかの失注;。まあ失注自体は社会人経験をしていればどこかで必ず経験するものだとは思いますが、実は私がこのときショックを受けたのは、この失注で当時私の上司だった本部長と統括部長が、まとめてクビを飛ばされ、そしてそのときのプロジェクトチームがみるみるうちに解体されていったことだったりします。

 まあ今にして思えば、失注金額などもろもろを考えればそりゃクビを切られて当然、みたいなところもあるのですが、いわゆる日本の古典的大企業でありながらもあっさりとクビを切られたのを見て、「あ゛、これはダメだ;」と直観的に気付いたんですよね。それはなにかというと、会社に対して何かをしてあげるようなことをしても全く意味がない、ということ。

 や、どういうことかというと、日本的な企業の場合には、少なからず社員に対して、会社に対する隷属を求めるような部分があります。要するに「丁稚奉公しろ」というもの。多少の不満があって文句言わずに働け、でもいずれちゃんと終身雇用なり給与なりでそうした奉公に対しては報いてあげるから、みたいな雰囲気が少なからずある。いわば昔の時代で言うところの『血の契約』みたいな文化は、実際いろんなところに残っているんですよね。

 けれども、例えばサービス残業をしたとしても、もしそれが「先輩」や「上司」などのためではなく、「会社」のためだったとしたら、それは全くの無意味、ということに気付かされたんですよね。なぜなら「会社」というのは極めて無機質でドライなものだから。

 会社を形作るのは社員であり人間であり、そこには血が通っている温かさがある。
 けれども、会社そのものには血も涙もない。極めて冷徹な「論理」により構築されている世界なんですよね。

 よく「会社に裏切られた」という表現を使う人がいますが(例:何十年もこの会社のために身を粉にして働いてきたのにこんなにあっさりとクビを切るなんて会社の裏切りだ、とか;)、私はそもそも「会社や組織を(あたかも人間であるかのごとく)信用する」なんてこと自体が間違ってる、と思うのです。なぜなら、会社や組織そのものには『情』なんてものがないから。仮に上司や社長にどんなに情があったとしても、会社や組織の判断としてそうせざるを得なかったらそうするしかない。特に経済がシビアになればシビアになるほど、そこには「情」というウェットなロジックが働く余地はない、んですよね。

 そういうこともあってか、私は今でも上司や部下、そして同僚といった「人」が困ってるときに何かを手伝ったり協力することには全く抵抗感がないし、誰かに何かをしてもらったら、できる限りその恩に報いたいと思っています。……が、対会社という意味では徹底的にドライにやる、というスタンスを貫いています。つまり、会社から何かしらの支援を受けたのであれば、それは仕事のアウトプットという形で返すし、やった仕事の分に見合うだけの給料はきっちりもらう。会社や組織の売上が悪いから、なんていう理由で意味不明に連帯責任を取らされるようなことは論外、という感じ。

# この辺、若手の人だったり小さな会社だったりすると、「上司」(管理職社員)と
# 「会社」との区別がつかないかもしれませんが、この二つは全くの別物です。
# その人『本人』(=人間としての本人)と、「部長職」といったロール(役割)は
# 別物だと考える必要がある、というわけです。

 先輩や上司、同僚などの本人たちにとってプラスになることなら協力を惜しむ理由は全くない、と思いますが、本人たちではなく「会社にとって都合のよいこと」だとするのなら、そこはきっちりと冷徹に損得勘定を働かせて行動すべきだろう、と思います。例えば「業績が悪いからあなたの仕事の働き分だけ給与が出せない」というのであれば、とっととそんな会社はやめるべきだし、逆に「自分の働きよりもお金をもらっている」と思うのであれば、それに甘んじることなく、きっちりと給与に見合ったアウトプットを叩き出すべき、でしょう。

 対人関係はあくまでウェットに、けれども会社や組織との関係は徹底的にドライに。

 まあこれは私の場合の仕事に対するスタンスというか考え方なのですが、いずれにしても「会社に裏切られた」なんて思うようなことがないような仕事のやり方はするべきじゃないかなー、と思ったりします。

2007/7/26 01:48 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
第二新卒

 ふー、ようやくりゅうくんさんのところも一人目がついに JobLv 50 に到達。Wiz さんが 50 に到達したのですが、だいたい 2 時間ぐらいで Lv 1 個分ぐらいの稼ぎの効率なのはなんともはや、という印象。ホントに便乗育成を覚えてしまうと普通の育成はやりたくなくなるよなぁと思わずにはいられなかったり;。ナイトさんもここまで来ればソロ狩りできるんじゃないかと見てるのですが、なにげに MAG カンストなヒール専用ナイトさんが激しく使えることに気付いてしまうワナ。や、明らかに本来の使い方ではないわけですが、こういう使い方の方がなにげに便利なのは確かなんですよねぇ^^。

 そんなわけで今日は午後にちょろっとお仕事。や、中途採用関係のセミナーでパネルディスカッション形式でお話ししてきたのですが、いわゆる転職あっせん会社関係のところでの説明会。まあ仕事自体は適当かつ無難にこなしてきたのですが、うーん、と考え込んでしまったのがエージェントというお仕事そのもののこと。果たしてエージェント経由で転職するのっていったいどうなんかなー、という気がしなくもなかったり。

 もちろん流動的で適材適所な人材流通を促進させるという意味において、転職あっせん会社が果たす役割は非常に大きいものがある。……のですが、その一方で微妙なのは昨今非常に増えてきている第二新卒と呼ばれる転職システム。これ、要するに入社数年目のボリュームゾーンをターゲットにして積極的に転職をあっせんしよう、というものなのですが、どうも私の感覚からするとちょっと微妙な気がするんですよね;。

 最近の転職エージェントの手数料は成功報酬型が基本。つまり転職をあっせんして実際にそれが成立した場合には、その人の契約年棒の約 3 割程度(率は条件により変化)を企業側から報酬としてもらう、というシステム。……ということは、転職あっせん会社が売り上げを伸ばすためには、一件あたりの成約手数料を増やすか、成約件数そのものを増やすのどちらかが基本。で、実際、人事部の人なんかと話してみるとその傾向があるらしく、あっせんされる人材は中間層があんまりなくて、本部長とかのクラスの人たちか、あるいは新卒かに分かれているような気配だとか。まあ感覚的な話なので実数データはないのですが、確かに転職サイトを見ると実際「第二新卒」というキーワードはよく出てくる様子。

 ……なんですが、私はこういうのを見ると「うーん、踊らされてない??」とか思っちゃうタイプの人なんですよね;。

 や、先日話した新人くんの話ではないのですが、確かに最近は「3 年で 3 割の新卒が辞めてしまう」と言われるぐらいに忍耐がまったくない若手が増えているのが事実。まあホントに優秀な人がより優れた環境を目指して、という例外的なケースもないわけじゃないでしょうがさすがに 3 割近くという数字にもなるとそれだけでは説明がつかないのも実際のところ。加えて言えることとして、

 ホントに仕事ができる人は、転職なんて積極的に考えない。

という一般的な傾向があるんですよね。や、いいのか悪いのかはともかく、実際、優秀な人材は手放したくないのが企業側の都合。となれば、会社のシステム内でできうるありとあらゆる手段を使ってその人の居心地をよくしてあげるのが基本。ひと昔前では優秀な人はとにかく社内結婚させて家買わせて守りに入らせる、という技も行使されていたとか聞きますが(ホントですかね;)、まあさすがにそこまではいかなくとも、ハード面・ソフト面であらゆる便宜を図ることはよく行われています。実際、私も他の企業さんに行って優秀だなー、来てほしいなー、と思う人に話をしてみると、居心地がいいという理由でやんわり断られることが少なくなく、なるほど企業の方も引き抜き防止のために結構がんばってるなー、と思うことがあります。

# ちなみに人事の人に話を聞くと、やはり一番優秀な人材が採用できるケースは人づての紹介らしいですね。
# 1 時間ぐらいの面談ではなかなかスキルを把握するのも難しいですが、人づてだといろんな意味で確実性が高いです。

 とはいえ、まあこういう形で仕事をせざるを得ないのもやむを得ないのかもしれず。や、今日たまたまそのエージェントの人と話したのですが、今はどうもいわゆるヘッドハンティングが非常にしにくいらしい。実は数年前から個人情報保護法の施行に伴って、名簿を使って電話をかけることが事実上禁止されてしまったために、優秀な人を捜しあててコンタクトすることそのものが極めて難しくなったとか。名刺一枚とっても取扱いがうるさく言われるわけで、なるほどそういう状況になっちゃったらやむを得ないよなー、と思ったり。

# ……で、どうしてるんですかと聞いたら今は mixi や GREE でのハンティングが有力なんだとか。
# ああ、なるほどこれは上手い! という感じ^^。
# でもメールなんて来たことないよ自分〜;。(← その価値がないと判断されてるだけだと小一時間(涙))

 いずれにしても、こういう転職エージェントだとかコンサルタントだとかを使おうと思う場合には、その人がその人の都合だけのロジックで動いていないかどうかを見極めることが重要。まあもちろん 100% 自分のためだけに動いてもらうことは当然に不可能なのですが、win-win の関係になれるようなところをうまく見いだせないとなかなかうまくいかないのは確か。何事もそうですが、相手がどんなロジックで動いているのかを把握することはめちゃめちゃ重要ではないかと思ったりします。

 でもどちらにしても、安易に転職してほしくないのは確かなんですけどね。よく言われる、最近の若い人は簡単に文句を言う & ストレス耐性に欠ける、というのはホントかどうか分かりませんが(たぶん最近の人じゃなくてもストレス耐性はない;)、「文句をつければそれが許される」のは日本という国がそこそこ平和で経済的に安定している今だからこそ成立する図式。その辺のところをわきまえておかないと、結局最後に苦労するのはその本人だろう、と思います。

 頑張ればいつかきっと報われる、なんていう気休めを言うつもりは私は毛頭ありませんが、頑張らない人はたぶん報われない……どころか安定した生活すら送ることが難しくなってくるわけで、その辺のことはそこそこ自覚しておいた方がきっと無難じゃないかと思ったり。実際、やはり 5 年ぐらいやってみて初めて見えてくるものもたくさんあるわけで、その辺の見極めを誤るときっと損をするんじゃないかと思ったりします。

 ……という私は入社 3 年目で前職を退職したのでえらそうなことはまっっったく言えないのですが;。うぐぅ;。

2007/7/23 02:31 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
う゛ーあ゛ー。

 や、少し前の話ですが、私がメンターをやっていた新人くんがいきなり退職;。おいおいまだ一年半しか経ってないのにいきなり退職とはよっぽど私がキライでしたか状態。……というのは冗談で;、私がメンターを半年ぐらい担当したあと、現場に配属されてその実情を知り、情熱を持てなくなってリタイア、という流れの様子。

 まあ実際のところ、別にこの手の転職自体は私にはあまり違和感はなくて、以前の会社に入ってきた大学関係の後輩はいきなり 1 年目でやめて医者になってしまったり;。そもそもやりたいことと仕事との間にギャップがあればどうせ長続きはしないし、一度しかない人生を悔いなく生きる方法は人それぞれなので、私はどんな転職であっても基本的には応援するタイプなのですが、応援するにしても「うーん」と微妙に唸ってしまうこともあったりします。それが今回のケース。

 この新人くん、実際のところは桁違いに優秀で、新人さんたちの中でも微妙に浮き気味。まああまり積極的にコミュニケーションを取るタイプでもなく、和気あいあいとみんなとやるタイプでもなくて、微妙にみんなに引かれてるなー、とは思っていたわけですが、辞めるという話を聞いたのも退職の 1 週間前。でもってとりあえず一回飲みにでもいかない? と誘ってみるも音沙汰なし;。で、たまたま退職前に出社してたときに 1 時間ほど話すことができたのでどんな感じなのか聞いてみると、どうもこういうことらしい。

・自分はもっと大きな仕事をやりたいと思っている。
・特に会社の意思決定プロセスにかかわるような仕事をやりたいと思っている。
・今の仕事の延長線でそれができるとはちょっと思えない。しかも情熱も湧かない。
・なので転職することにした。

 これ、ぱっと聞くと非常によくある退職理由なのですが、思わず聞き返してしまったのがこの質問。

「意思決定プロセスにもいろいろあるけれど、どういう意思決定プロセスにどのレベルでかかわりたいと思ってるの?」

などと聞いたら妙に考え込んでしまって、「う゛……そこまでは考えてませんでした」って、おい、考えなくちゃダメだろ;と微妙にツッコミを入れざるを得なかったり;。

# この新人くん、経歴からして割と挫折知らずな子なのですが、入社当時から
# やたらと高みばっかり見ている気配があって、微妙になだめてたんですよね;。
# や、実際問題として 1 年や 2 年で出せる成果なんてたかがしれているので、もっと
# 先を見ながら仕事するようにしてね、とは言ってたのですが、同期で入った子の方が
# バシバシと結果や成果を出し続けていたり、現場に放り込まれてなかなか思うように
# 勉強時間も取れなかったりとデフレスパイラル状態にたたき込まれてたんですよね。
# 矛先が別のとこ向かなきゃなーと思っていたら案の定の結果になってしまって、あ゛ー、状態;。

 まあもともとのポテンシャルは非常に高い人なので、どこに行ってもそれなりにうまくやっていくだろうとは思うのですが、その一方でコミュニケーションスキル不足から来るデメリットを果たしてどこまで補えるのだろうか、と思うところもあったり。単に私が見えていないだけならよいのですが、今のようなキャラだと誰もあなたみたいなリーダーなんかについていこうなんて思わない状態になることが目に見えているので、いろんな意味では心配になったり;。

 とりあえず「次の会社では自分からいろんな人とコミュニケーションを取るようにしてね」と自分のコミュニケーションの取り方の例なんかも含めて伝えておきましたが、果たしてどうなることやら。10 年後とかに大物になっている可能性もある半面、からっきし使い物にならない口先だけの人になるリスクもあり、次の会社(業界変えるらしいですが)ではうまくやってほしいものだと思ったりします。

# まあその一方で、こういう(ちょっと変わった)タイプの優秀な人材をどう生かすのか、
# というのは私や組織にとっての課題ではありますね。無理して仕事してほしい、とは
# 思いませんが、つまらない理由で衝動的にやめてほしくないのも実際なので;。

 ……や、なかなかに難しい問題なんですけどねー;;。うーん。

2007/7/19 01:26 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
旧友来りて……なんだっけ;;

 というわけで今日のおひるごはん〜。



 や、新宿アイランドタワーにある王様、バーガーキング。実はゆかりんの伝書鳩でネタにされて以来、一度食べに行こうと思っていたわけですがなかなか叶わず、ひと月以上経ってから攻略するハメになるワナ;。や〜、まあとりあえずどんなもんだろう? というわけでダブルワッパーチーズを攻略してみたわけですが、ひとこと言わせてください。



 このキツさはメガてりやきの比じゃないです><。
 というかこれはいったいなんの冗談だろうと小一時間;。いやはやすさまじい重たさとしか言いようが;;。

# ちなみに豆知識ですが、バーガーキングのあるアイランドタワーにはマクドナルドの本社があります。
# ……っつーかさすが王様、バーガーキング。^^

 そんなわけで今日の夜は高校時代の部活関連の同期飲み会。今度結婚する友人たちを交えての飲み会だったわけですが、大学に入って以来、事実上の音信普通だった高校時代の友人がまさかの参戦。いやはやこれは内心かなりびっくりすると同時に嬉しかったり。や、この歳になってくると文字通り一期一会という言葉を意識することが多くなってきて、仕事にしてもプライベートにしても、もうこの人とは二度と会う機会はないんだろうなぁ……と思うことがしばしばあります。生活圏が変われば付き合いも変わるのが人の世の常。便りがないのは無事の知らせとは言うものの、少なからず寂しさを感じるのも事実なわけで、まさかこんな簡単に再会を果たすというのは驚きと言うより他になかったりします。

# や、私みたいに blog を延々とやってる、みたいな人ならそれなりに偶然発見されることもきっと
# あると思うんですが、普通はそんなことは滅多にあり得ないわけで;;。

 しかし返す返すもなぜ私が高校時代にあの部活で部長さんをやっていたのかさっっっぱり分からないのですが(確かなすりつけ合いになったような記憶があるわけですが;)、今でもたまにこういう会合があるのはやはり楽しいもの。大学時代にはほとんどなくて、社会人になってからたまに飲んでるわけですが、歳を食ってから再会するといろいろと変わっていて面白いものではありますね。……もっとも久しぶりに再会を果たした友人からはさらに 130% ぐらいパワーアップした、みたいなこと言われましたが;。それってどういう;;。

# まあなにはともあれまた機会があったらぜひ飲みましょう〜。> all

 あ、ちなみに帰宅してからはちゃんと 3 時間ほどこなしてますよ?



 ……なにげに 4 人 6 キャラパーティなわけですが;。みなさん毎晩毎晩ホントに遅くまでおつですよ〜;;。(← お前がゆーなww。)

2007/7/14 03:39 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
本棚整理

 というわけで今日は会社の部門の共有本棚の整理作業〜。ううっ、微妙に筋肉痛が;。……ってなんでそんな雑務をやってるんだ?? とか思われた方がいるかもしれませんが、そりゃ激しく大間違い。実は部門の共有本棚は、事実上私の完全なる支配下に置かれていたりします。(え゛?;)

# 実は私、アホみたいに本を購入する人だったり。
# 会社の経費で落とせることもあって、過去には半年で 20 万近く書籍を購入したことも;;。
# で、そんな本は自宅に置いておけるわけがないので、会社の本棚を独り占め司書を自主的にやってたり。

 しかしそんなことをやってるとたまに白い目で見る人がいたりするわけですが、いやー、あなた書籍のチカラを馬鹿にしちゃいけないですよと全力で突っ込みたくなることがしばしば。というか、なんであれほどよくまとまっているリソースを活用しないのかと問いたくなるケースがしょっちゅうあります。

 例えば社会人になると、よく研修に行ってトレーニング受けてくるとか結構あるわけですが、意外にみんなが意識していないのがトレーニングにかかる費用。社会人向けの研修の場合、1 日あたり 5 万円ぐらいかかるトレーニングなんて割とザラにありますが、5 万円もあったらいったいどれだけの本が購入できるのかと考えると、書籍はとんでもなく割安であることは明らか。要は、やる気さえあれば書籍ほど安価なトレーニングマテリアルはないんですよね。

# なんて書くと、「書籍だとなかなか勉強する気が....」という人も多いでしょうが、
# 相性が合わない本に当たったらとっとと捨てるのが吉。仮に 5 冊ぐらい買って
# 1 冊しか使わなくても、トレーニング受けるよりはよっぽど安いことが多いんですよね;。

 そして過去の経験から言うと、机の上に並んでいる本をざっと眺めると、だいたいその人の実力が分かることが多い。まあこれは技術職の場合に限られるのですが、入門書しかないとか古い本ばっかりとか無意味に洋書ばっかりという人は、だいたい実力的にもイマイチ;。優秀な人は、ピンポイント的に良著を何冊か持っていることが結構多くて、地に足のついた実力の持ち主であろうことは結構推測がつくことが多いです。

# まあぜんぜん書籍が並んでいないというやたらときれい好きの人もいて、
# そういう人はさっっぱり見当がつかないのですが;。割と両極端だったりするし;。

 たかが本。されど本。私は読む速度が遅いので本郷氏やでじくま氏の読破速度を見ているとホントに感心しますが(基本的に活字が嫌いな人なので;)、それでもしっかりした幹を持つまとまった知識の習得のためにはやはり書籍での学習が重要だと思っていたり。と書きつつも最近はあんまり本読んでないので、ちょっとは読まねば〜;。

2007/6/29 03:18 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
Be yourself.

 う゛あ゛、しまった ECO やりこんでたらこんな時間に;;。や、さすがに今から ECO エントリまとめるのもつらいのでとりあえず今日はこのネタを一つ。や、先日の話ですが、本郷氏からこんなメッセージが届いたり。

「唐突に先生のブログで見栄とプライドの違いについて書いた文章を探してみたのだけれど見つからず、どこでしょう?」

 ええっと、その話はえらくいろんなところに書いてるのでどこだか自分でもすっっっかり忘れてますが、ローカル HDD 内のファイルを検索してみたら Fate/stay night のセイバールートのインプレの中に書いた話であることが判明。あ゛ー、そういや確かにそこにズバリと書いたなぁ、と思ったわけなんですが、それと同時にぱっと思い出したのが、表題の "Be yourself." という話。

 この言葉、あるマネージャさんがキャリアプランの話をする中で自分の生き方を語ろうとしたときに使った言葉なのですが、初めて聞いたときからめちゃめちゃいい言葉だなぁ、と思ってたんですよね。この人はその若さとはうってかわってとんでもない高いキャリアを持ってる凄まじい人なのですが、その人いわく、自分のキャリアを考えるときには常に "Be yourself." であることと一致するかどうかを考える(要するに給料だけの話ではなくて、その仕事が "Be yourself." であることと一致しているかどうかを考える)そうなんですが、あ゛ー、それはものすごくそうだよね、と思ったり。

 "Be yourself." という言葉。一般的には、おそらく「自分らしく生きよう」と訳されると思います。
 だけれども、私は「誇り高く生きよう」という意訳の方がしっくり来る気がするんですよね。

 前掲の Fate/stay night のインプレの中にも書いたのですが、「誇り(プライド)」とは「自尊心」のことであり、「見栄」のことではない。プライドや誇りというのは、『自分を尊び、他からの干渉を受けずに品位を保とうとする心理や態度』のことであり、そのベクトルは「自分の心のありよう」、すなわち自分の内側に向けられるべきもの。本来、他人からどう言われようと「自分はこうあろう」と思う気持ちこそがプライドの本質。"Be yourself." という言葉は、自分自身が考える、自分自身の理想の姿であろう(近づこう)とする言葉のように思うんですよね。だとすると、"Be yourself." とは「自分らしく生きよう」ではなく、「自分自身のあるべき姿を目指そう」、つまり「誇り高く生きよう」ということになるんじゃないか、と。

# この「自分らしく生きよう」という言葉、年始になると特に女性の blog で今年の抱負みたいな形でよく見かけます。
# ……が、実際に傍目で見ていると「わがままな自分を受け入れて認めよう」的な居直りとしか思えないケースもあり;、
# いやそれは大の大人が堂々と書くにはかなり恥ずかしい発言じゃないのか?? と思うことが結構あったり;。

 や、自分はどーよ? と言われてみると、実際問題、そういう生き方には憧れるけれども客観的評価としてはそれとは程遠い超腹黒人間だと思うわけで;、結局、ある程度のところで折り合いをつけながら生きていくしかないのでしょう。ただ、それでもある程度は "Be yourself." であることを目指しては生きていきたいものだなー、とは思います。……や、少なくともそういうものを目指していないとすぐにヘタレる情けな人間なのですよ自分;(苦笑)。

2007/6/24 04:46 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
なるほど納得。

 先日の金銭感覚エントリへの Web ツッコミより〜。

> 金銭感覚って相場観なので、絶対額ではなく対象あってのもの。1万円のラーメンは想像
> できないけど5千万のマンションなら感覚分かるし。生活設計・道楽設計・生涯設計があって
> その範囲で感覚が養われるのではないかと。

 なるほどこれは言い得て妙だな、と。金銭感覚のすべてがそうだというわけではないでしょうが、一面として「割安」「割高」を判断できる能力が金銭感覚だというのは確かにそのとおりですね。

> 私がせこいからでもあるのですが、まちばりさんってエイヤ散財が多い気がします(苦笑)。

 ぐはっ。たたた、確かにそれは当たってるかもしれず;。先日も某春ドレスを……(え゛?;)

 もっともしばらく(といっても結構長い;)散財してたのは、精神的にぶっちゃけやってられるか状態に陥ってたせいだったり。や、もうお金のことをあれこれ考えるのが面倒になった時期があって、精神状態を保つために散財するという最悪のパターンに陥っていたわけですが、幸い腐った精神状態は複数方面からのきっかけを元にほぼ是正。

 最終的にリアルでいくら散財したのかは考えたくもないのですが(といってもしょせんヲタ的な散財なのでホントにひどいことにはなりませんが;)、ただ実際にしばらく散財してみて、お金っていうのは適切な使い方とか楽しむ使い方というのがあるんだな、とは思いました。手持ちのお金は有限なわけなので、結局のところは目的意識を持ってメリハリをつけて使うことが重要。要するに、どこにどのぐらいのお金をかけるのか、そしてある範囲内で最もパフォーマンスを出せる方法はなんなのか?(=割安なお金の掛け方はなんなのか) 当たり前のことではありますが、結局はこれに尽きるんだよなぁ、とは思います。

# このへんは、一人暮らしを始めたおかげですべての経済的な収入・支出を
# 自分のみでコントロールするようになった、というのも一因してますね。
# まあ、だからといって若いうちは一人暮らしはお勧めしませんが;。

 ……とはいえ、収入と支出という概念の延長線で金銭感覚を捉えているあたりが、本質的にはサラリーマン的発想である、ということもわかってるんですけどね;。ええっと、いわゆる金銭的負け組発想? かも?;

2007/6/12 02:18 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
お仕事の進め方

 というわけでずいぶんアップが遅れてしまいましたが本日のエントリ。ほっしーさんの 6/8 の日記に面白いネタがあったので食いついてみるテスト〜。

・成長しない人 (06.08 01:44)
http://hossy.info/diary/

# というかトラバ打てないです ><

 えーと、要点をひとことでまとめると、会社の人からこんなことを言われて凹んだという話;。

「仕事の幅を広げようとしないんですか?
 いつも担当箇所だけやっていて、苦手な箇所から逃げ続けているような。」


 ……いやそんなの多かれ少なかれみんなそうでしょ、と思わずにはいられなかったり。

 どんな文脈でこの発言が出てきたのかわからないので真意は図りかねますが、私は、仕事の幅を広げれば仕事ができるようになるというものではない、と思います。ものすごく単純化しますが、仕事のやり方には大別すると

@ 幅を広げることで仕事の質を高めていくタイプ。(マネージャなど)
A 深掘りしていくことで仕事の質を高めていくタイプ。(研究職など)

の 2 種類がある。「Aの方法では勝てなさそう」という理由で@の方法を良しとする人が多いのは確かなのですが、実際には@のやり方が唯一の解じゃないんですよね。

 例えば私の場合は英語ができないことが結構な問題になりつつある気がしますが、苦手だしやりたくないのでやらないという姿勢を貫いています(ぉ)。英語ができれば確実に仕事の幅が広がることはわかっている。けれども、自分にとって最も貴重な時間というリソースをそこに投資したくないという判断で今の状況になってます。でもまあおそらく仕事はそこそこ?;。

 まあ、確かに@にしてもAにしても、そればっかりのタイプの人は、一般的に仕事では使い物にならないことが多いです。@の「広く浅く」のタイプの人は、概して仕事が粗くてアウトプットがいい加減になりがちだし、Aの「狭く深く」のタイプの人は、いわゆる専門バカになりがち。軸足を@またはAに置きながらも、それなりにAや@のスキルを持つ、というのがおそらくは理想形でしょう。

# そんなわけで私の場合には、基本の軸足はAで、部分的に@を持つという形。
# でもだからといって@についてはなんでもやる、ではなくて、好きなことだけやる、という形ですね。

 私は専門色の強そうな新人さんに対しては、まず一本、軸になるものを作るように薦めています。要するに依って立つところを作るということなのですが、少なくともあるエリアで業界トップクラスに到達するまでは、専門一本でも十分にいけるんじゃないか、とは思っていたり。まあそこまでいかなくても、専門エリアで行き詰まりを感じるようになるまでは無理に幅を広げようとしない方がよい(というよりもすべきではない)、とか思ったりします。

# や、実際問題としてプロジェクトリーダなどの観点からすると、
中途半端な専門バカほど扱いに困るものはないのですよね;。
# この手の人は妙な見栄(≠プライド)も強いので結構困ります;。

 人間のメンタリティ(性格指向)はそんなに大きくは変わらないものなので、そこを捻じ曲げようとしてもなかなかうまくいかないというのも実際のところ。自分のメンタリティを無理に変えるのではなく、それを生かせるような仕事のやり方を考えることが重要なんじゃないか、と思います。

# どちらにしても、ほっしーさんみたいに優秀な方だと、上司や同僚の方も
# おそらくかなり扱いに困るものだろうとは思うのですが(苦笑)。

 まあでも、基本的にサラリーマンってリスクは会社が取ってくれる(失敗しても命は取られない^^)ものだと思うので、極めて低リスクでいろんなことに足を突っ込んでみるバーチャルゲームだと考えると結構楽しいんじゃないか、とも思います。はい。

2007/6/10 14:38 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
マネージャのお仕事。

 というわけで昨日の続きを書いたりするわけですが、マネージャの仕事とは何か。一言で定義するとこうなります。

 マネージャの仕事とは、プロデューサ業である。

 って別にアイマスの影響では決してないのですが;、何が言いたいのかというと、要するにマネージャという仕事は裏方業なんですよね。つまり、あらゆる意味で部下が一番居心地よく一番パフォーマンスを発揮できる環境を整えること、そしてそれを通して結果を出してもらうこと、これがマネージャのお仕事。それはいわば芸能界におけるプロデューサ業に等しい。

# 芸能界のプロデューサって、まさに文字通り「だだこねわがままっ子に言うこと効かせる」仕事。
# 漫画家の担当さんなんかもまさに同じ位置付けになるでしょうね。

 そしてそのプロデューサ業をこなすのに一番重要なメンタリティは、「自分が主人公にならない」こと。これがおそらく技術職(専門職)の人間が管理職になるときに一番問題になるメンタリティギャップだと思うんですよ。や、概して技術職の人間って、あるエリアで自分が一番になりたいと思っているし、(一番とはいわないまでも)成果を出しているからこそ、評価され、マネージャに推薦され、マネージャになっていく。けれどもこのメンタリティ、つまり

自分ぼくが一番ガン○ムをうまく使えるんだ!」

というメンタリティ(本音)が、管理職(マネージャ)になるときに本質的な問題になると思うんですよ。例えばいくつかよくある事例を引き合いに出してみると、こんな感じ。

@ 自分の成功体験を元に、「同じようにやること」を求めてしまう。
A 部下の成功を褒められない。※ 褒めない、ではなく、褒められない
B 自分のチームが出している成果をアピールして、自分が一番のマネージャになろうとしてしまう。

 実はこのことに気づいたのは、つい最近自分の直属のマネージャとケンカをしたときのことだったりします。や、マネージャから指示された内容が明らかに検討不足で、そこを突っ込んで突っ返したら言われたセリフがこれ。

みんなだって協力してやってくれてるんだから、君もやってよ。」

 で、いやだからここがこれこれこういうふうに検討不足でしょ、だからこうすべきでしょ、と言ったわけですが、半ば感情的になって返ってきたメールがこれ。

「少しはみんなに協力しようって気にはならないんですか?」

 あ゛あ゛あ゛、頭痛すぎるよこの人状態;;。要するにこのマネージャは、「みんながやっているから」という私の良心に訴えかける形で行動を強制してきているのですが、その本質にあるのは、自分が考えているプランが最良であり、そして私がそのプラン通りに動いてくれないという不満。というのはこの文脈、実は「みんなに」という言葉を「マネージャである自分のために」という言葉にリプレースできるんですよね。

# この手の部下への指示方法は非常によくあるんですが、最悪ですね。

 私は明らかに間違っているやり方に対してはよほどの特殊事情がない限りは首を縦に振らない(少なくとも「みんながやってるから」とか「マネージャだから」なんていう理由では絶対に動かない)人なのですが、そのことに対して極度なフラストレーションを感じていた様子。でも、その背景にある最大の問題はなにかというと、「自分が一番ガ○ダムをうまく使えるんだ!」というメンタリティ。実はこのマネージャ、技術者としては超優秀だったのですが、事あるごとに「マネージャなんてやりたくない」と連発。

 ……そりゃそうだろうなー、と思わずにはいられなかったり;。

# ちなみにこの件は、結局私が全部プランを作り直して、「私からご提案させて
# いただく」形にしてカタがついたのですが、面倒くさいことこの上なかったり;。
# 自分の生産性を奪うマネージャほど邪魔な存在はないです;。

 でも結局、このことから言えることは何かというと、

 自分が一番うまく出来ると思っているエリアではマネージャにならない方がよい。

 ということだと思うんですよね。根幹にある発想として、「メンバーみんなをプロデュースしたい」と思える状況にならないと、おそらく本質的にマネージャとしての仕事はできないんじゃないか、と思うんですよね。なので、さんざんマネージャ研修には行かされているもののマネージャになるのは拒否しまくっているという自分ですが(ぉ)、まあやるとしても、今の自分のテクニカルエリアとは違うエリアでやるべきなんじゃないか、と思っていたりします。

 ……ところで Web 拍手で「なのは SS の話はどうよ?」というツッコミが複数入ってましたが、まだ見てないので今度見てからコメントします(ぉ;)。

# あ、誕生日おめでとコメント入れてくださった方もありがとです〜♪

2007/6/9 00:14 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:一分間マネージャ「何を示し、どう褒め、どう叱るか!」

 というわけで今日はこちらの書評を一つ。



 一分間マネージャ(The One Minute Manager)という本。マネージャ向け啓蒙本の古典的タイトルで、自分の部署の本部長から読んでみたら? と勧められたので読んでみたり。100 数十ページの薄い本であるにもかかわらず、1983 年に第一刷が発売されてから増刷を重ねまくっているらしく、自分が読んだのは第 86 刷。これは期待できるかな? ということで一通り読んでみたわけですが……うーん、激しく微妙、という印象。1983 年当時としては画期的な本だったのでしょうが、現在の本としてはちょっと使えないな、という印象があったり。

 どんな内容が書かれているのかものすごーく簡単に書くと、マネージャが部下の力を引き出すためには、心地よく仕事してもらうことが重要で、そのためには以下の 3 つをそれぞれ 1 分間で(=なるべく短サイクルかつ短時間で)うまくやることが重要だ、という話。

@ 目標設定(課題や目標を具体的に行動できる形で定義・共有する)
A 称賛(うまくいったこと・やったことを具体的に褒める)
B 叱責(うまくいかなかったことについて、行動だけを具体的に叱る)

 そしてどの項目についても「行動」(何をするのか・したのか)のみを評価し、「人間」そのものを評価しないこと。すなわち「やったこと」のみに対して責任を持たせて、それ以外のことについては評価しない(人物そのものは必ずコミットし、人間そのものを否定するようなマネは絶対にしない)こと、という説明がなされています。

 ふむふむ、なるほど、とある程度は読み進めたわけですが、でも最後まで一通り読んでみて思ったことは、「書いてあることは間違ってないし具体的に実践できるという意味で非常に価値があるけれども、なんとも物足りないし味気ない」。本質的なところがすっぽりと抜け落ちてる気がしたんですよね。それは何かというと、マネージャの仕事の本質の定義と、それを実践するためのメンタリティの部分。まあ後者の部分については、もともとこの本が徹底的に「行動のみを評価対象とする」という立場を貫いている(本人がどんな人柄だとかどんな物事の考え方をするのかには踏み込むなというスタンスを取っている)ので当然かなとは思うんですが、マネージャの仕事の定義のところについての説明がすっぽり抜け落ちてるんじゃないかな、と思うんですよね。

 でも最近、なんか妙にマネージャ系の研修にいろいろ引っ張り出されてたりしていろんなマネージャの仕事の定義を聞いたのですが、その中で一つだけ「目から鱗が落ちた」説明があったんですよね。それはこういうもの。

「マネージャとは、コントロールできないものから結果を引き出す責任を担う仕事である。」

 あ゛あ゛、これはまさに言い得て妙な定義だ、と思わずにはいられなかったり。どういうことかというと、今日におけるマネージャの仕事は、部下を「管理すること」じゃないんですよね。従来型の労働集約的な仕事(いわゆるブルーカラー的な仕事)の場合には、機械を「管理」するのと同様に、労働者(部下)を機械部品のごとく「管理」して「働かせる」ことが必要だったのかもしれない。けれども今日において(特にホワイトカラー的な色合いが強い仕事において)成果を出すためには、様々な性格・気質を持った人たちに、それぞれに合ったスタイルで実力を発揮してもらって成果を出してもらう必要がある。

 そのためには、部下の人たちを「制御しようとする」ことは禁忌なんですよね。なぜって、他人に支配されるのがイヤな人が大半だから。一般的に人間は他人に支配されることを望まないわけで、特に今の時代のように自分が物語の主人公だと思いこんでいる人たちが蔓延している状況だとなおさらでしょう。

 つまり私なりの言葉でマネージャという仕事を定義すると、こうなります。……と書きたいとこですが長くなったので明日に(ぉ。

2007/6/8 00:27 | 4.雑学&雑感 | コメント (169) | トラックバック (4) | このエントリへ拍手
かえりみち、じゃなくてまわりみち。

 並んで歩くのはかえりみち。でも前に進むためにはまわりみち。

 って何の話かというと;、しばらく前に塾の社長と飲んだときに出たお話。社長が今、自分の右腕とすべく育てている人がいて、その人にいろんな仕事上の雑務を文句を言わずに全部やってもらうようにしてるらしいのですが、その話を聞いて、あ゛ー、かなり本気で人を育ててるなぁと思ったり。まあ実際にそれだけで右腕になれるわけではないにしても、実は非本質的に見える仕事の積み重ねが仕事の本質で、その下積みが大きく花開くところを狙って育成しているなぁと思わずにはいられなかったり。

 最近、自分の組織でトップの人から今度新設されるあるポジションの打診をされたわけですが、その中身は今の組織での約 50 人規模の人材育成担当ポジション。っつーか一騎当千の人材をその規模で育てろということがどれだけムチャな話だか分かってますよね?? 状態なわけですが;、規模以上に厄介なのは、中途半端に優秀な人が多い、という点。

 例えばひとつ例を挙げると、一年前に自分の会社に入社した IT エンジニアの某 A くん。かなり優秀な若手であることは間違いないのですが、最近どんな雑誌読んで勉強している? という質問の答えがハーバードビジネスレビュー。その答えを聞いてあまりのことに頭を抱えてしまったり;。それ以外の新人くんも、アメリカに留学したいとか巨大なプロジェクトやりたいだとか、ちょっと冷静に自分の実力を鑑みてみようよ、状態。意欲は買うけどさすがに気が早すぎるでしょ、と言わずにはいられなかったり。

 結局のところ、その人が最終的にどんなことがやりたくて、そこに向かってどういうロードマップを引くのか、という問題ではあるのですが、重要なのは手軽に出せる成果を場当たり的に積み重ねても、永続的に続く大きな成功にはつながらないということ。もちろん仕事である以上、形を整えたり、ある程度目に見える短期的な成果を出すことは非常に重要なのですが(特に会社という組織は1年サイクルで結果を出すことが求められるものなので)、華々しいように見えたとしても1年ぐらいで出せるような結果というのは、実際にはたいした仕事じゃないんですよね。

 その昔、塾の先輩でお世話になったある研究者が言ったのは、「どんな仕事でも、基本的には5年ぐらいが1サイクル」。研究テーマにしてもなんにしても、きちんとした実のある成果が出てくるまでには最低でも5年ぐらいはかかる、ということ。そのためにはまわりを見ない方がよいことも案外多かったりするのですが^^、大きな成果を上げる人というのは短期的な成果に一喜一憂しない、重心が低い位置にあるような人なのかもしれません。

2007/6/5 00:25 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
適性・適職診断プログラム

 えらいアップが遅れてしまいましたが、とりあえず本日分のエントリ。ええっと、最近見かけた適正・適職診断プログラム。

・福島人材派遣センター
 http://www.haken.co.jp/haken/profiling.html

 90 問の質問に回答すると、気質的な特徴がどんなものかが分析されるというもの。人材派遣会社のものなのでそれなりに信憑性もあるんじゃないかなー、というわけで早速トライしてみたわけですが。

90題へのご回答誠にお疲れさまでございました。

あなたがご回答なさった際に強く顕れた一面は・・・
『統率する』
気質です。

良い精神状態の時
 単刀直入・誠実・精力的・気取らない・自信がある

悪い精神状態の時
 反抗的・鈍感・傲慢・自己中心的・懐疑的

性格
 何事にも第一人者になろうとする自己主張タイプ。自分より弱い立場の人を守ろうという意識が強く、多くの人から頼られる存在。

注意
 力の絶対性を信じ、周囲を完全に支配することを望む。自分に敵対する人たちの欠点を徹底的に攻撃する闘争的な態度をとる傾向もある。

仕事
 主導権を握るのが上手なので、起業家、経営管理者、労働組合指導者、スポーツ選手などに向いています。


 ちょっwwwww
 というか自称ひきこもりとしては激しく納得がいかないのですが、これってどうよ??状態;;。

# とはいえ確かになんか状況的にそうなっていることはしばしばあるのは事実なのですが;。

 しかしこの手の適性診断プログラムはネタとしては面白いけど、実用性的にはどうなんだろうと思わずにはいられなかったり。そういや最近エゴグラムも久しくやってないからリトライしてみるかな……;

2007/6/4 21:08 | 4.雑学&雑感 | コメント (3) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
医療難民問題

 というわけで ECO エントリばっかり書いてるとまた某氏に怒られそうなので;、昼間にやってた噂の東京マガジンの番組の話を一つ。や、噂の東京マガジンを見てると親子丼ぐらい簡単に作れるじゃんとまさに鬼の首を取ったかのようなことを考えてしまうのですが(ぉぃ)、今日は残念ながらやって Try はお休み。で、やってたのが噂の現場、しかも内容が自治体病院から医師が流出していってしまう、という現状の話。

 番組の中身はこちらを見ていただくとよいかと思いますが、夕張市の問題などをはじめとして最近よく取り上げられるようになってきたこの問題、いつもながら根深い問題だなぁと思わずにはいられなかったり。構造的な問題であるが故に、そんなに簡単に解決できる問題ではないだろう、と思うんですよね。

 勤務医の過労死、医療ミスと医療裁判リスク、自殺。小児科医が足りない現状、そして崩壊していく自治体医療。それぞれの人たちがそれぞれの立場で少しずつ改善していく努力をしているのでしょうが、経済原理に基づいた顧客要求水準の高騰などは食い止めようがなく、いくら努力してもそれに追いつくことができない。そしてそれぞれの立場の人たちの一部に自分中心にしか物事を考えない人がいることが、さらに事態の悪化に拍車をかけるという構造。

 ……そりゃまあ、解決するわけがないですよね;。

 ただこういう番組を見るたびに思うのは、こういう状況や問題に対してどう処するのかは自分自身の問題として受け止めないといけないんだろうな、という点。や、要するに誰かがお膳立てして解決してくれる問題ではない(少なくともマクロスコピックにはすぐに解決される問題ではない)以上は、上記のような事実を事実として受け止めた上で、それを解決するのではなく回避する方法を考えないといけないんだよな、と。

 例えば、地方医療が崩壊するという事実を前提条件として考えるのであれば、地方に住むのはなるべく避ける → 都会は居住コストも生活コストも割高だけど自分の生活スケールを小さくしてそこに住む → そのためにはちょっとがんばってお金を稼ぐ、という解決プランが考えられる。もちろんそれは全員に当てはめられる解決策ではないですが、少なくとも個々人ベースにおいては運を天に任せるのではなくて、自分から回避行動を起こしておく(あるいは完全に「諦める」といった選択肢を自らの意志で取る)ことは非常に重要なのだろう、と思います。

 や、あらゆる格差問題(希望格差、収入格差、生活格差、恋愛格差、医療格差などもろもろ)のすべてに共通することは、運を天に任せることそれ自体がリスクであるということですからね;。もちろんすべての問題が解決できるはずがないですが、従来型の国民全体の護送船団方式はあり得ない、という事実を踏まえて考えることが、個々人ベースでは重要なのではないか、と思ったりします。

2007/5/28 00:37 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
お客さま気分。

 今日は会社の他部門とお客様(協力会社さん)とのミーティングになぜか呼ばれたり。や、内容的に多少うちの部門と絡むかも? という話があり、先日の社内ミーティングで話をつけて先方の部門だけで調整してもらうようにしておいたはずなのですが、なぜか会議開催通知が送られてきてやむなく参加。……したものの、数分遅れで到着した会議室にはお客様が待ちぼうけ。おいおいいったいどういうつもりだと内心思いながらもそつなくお客様と会話していると、のんきに他部門のメンバが登場。で、遅れた上に言ったセリフ。

「今日はご足労いただいてありがとうございます。
 では……ええっと、誰が話しましょうか?」(と、私の顔を見る……)
(いやいや、ここは当然あなたが話すべきところでしょう、と目線で返す)
「ええっと。」(と、さらに私の顔を見る。お客様側もやたらと困惑。)

 さすがに社内の恥を社外にさらすわけにもいかなくてやむなく私が話したわけですが、どう考えてもおかしいだろと小一時間状態;。

「……というわけなんですが、ええっと、何か補足とかあったらお願いできますか?」
「いや特にないです。」

 ……ってあのなー;;。ちょっといいかげんにしようよ状態。あなたがオーナーシップを持ってるのにそのいいかげんな仕事っぷりはいったいなんなんだと思わずにはいられなかったり。これ、要するに私はお客さまモードで仕事してるんですよね;。

 や、エントリを書くためにこの人を槍玉に挙げてしまったものの、実はこの手の話って(仕事の場に限らず)結構多い。要するに、周りの人たちがお膳立てしてくれた仕組みの中で気分よくちやほやされながら仕事したい(あるいは日常を過ごしたい)、というモードの人たちなんですが、仕事とはいえこういう人たちの相手をしているとかなり頭抱えたくなるのは実際のところだったり;。

 致命的なのは、当人たちにはそういう自覚意識がないというところで、さらにひどいときには自分たちはむしろ被害者と本気で思っていることがある、という点。しばらく前にも火消しプロジェクトに行ったときにほとんど同じような状況になったのですが、こういう人たちって、ミーティングが終わった後にこんな発言をするんですよね。

「まったく、あいつらがちゃんと仕事しないからこんな状況になるんだよな。」

 いやそれはそっくりそのままあなたのことなんですけど状態;。自分が自分の恥をばら撒いてることにすら気付かないのか、と情けなくなってしまうのですが;、結局のところはこれも他人事モードの仕事っぷり(=自分は当事者ではなくお客様)であることから来る問題なんですよね;。

 実際のところ、こういう方々は遠からず淘汰されていくのでいちいち腹を立てても全く無意味なのですが、さすがに他部門から巻き添えを食らうのはご勘弁モード。あれこれ言うのも面倒になってつい自分で引き取って片付けてしまうことも多いのですが、こういう人たちを相手にするときにはあんまり甘やかしすぎるのもやはり問題なのかも;。

2007/5/23 01:46 | 4.雑学&雑感 | コメント (5) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
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