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書評:新平等社会〜「希望格差」を超えて(★×3)

 先日のけろっちゃ氏との会話。

けろっちゃ氏「しかし、先生のブログのECO占有率、かなり上がってますね。w おそらく3割越え。」
まちばり  「あれ? そんなに多い?;」
けろっちゃ氏「うーむ。そんなものでは?」
(慌てて確認してみる……)
まちばり  「げっ、確かに多い;。(気付いてないよこの人;」

 ……というわけで今日は普通の話題を一つ。やや遅ればせながらこの本をようやく読破。



 これ、有名な『希望格差社会』を書いた著者 山田昌弘氏の最新の著作。混迷する格差論争に終止符を打つ決定本、などといった煽りが付されていて、はたしてどんなもんかなー、と読んでみたわけですが、結論から言うとかなり微妙。や、書かれていること自体は個別には間違ってないような気がするし、まあ納得できる部分が多いんですが、全体となるとなんか腑に落ちないというか、違和感があるんですよね、この本。

 要点をまとめるとこんな感じ。

・希望格差が存在すると、社会の永続的発展が失われることになる。
 例えば、企業が自社利益と経済合理性のみを追求していると環境破壊などが進んでしまい、結果的に永続的な経済発展性が失われてしまう。同じように希望格差がこれ以上進むと社会の安定性(治安の悪化など)が無視できないほどに大きくなり、今現在、勝ち組と呼ばれているような人たちも結果的には不利益を被ることになる。よって適度な是正を行い、社会の永続的な発展を取り戻すことが必要。

・施策を考える場合には、「普通に働いていれば普通に報われる」ようにすることがポイント。
 収入格差や家族間格差が拡大するのはニューエコノミーによるものなので、不可避なものである。一方で、普通に働いていても未来に希望が全く持てない社会では、希望の喪失が発生する。重要なのは、ニューエコノミーを否定することなく、「普通に働いていれば普通に報われる」ことが保証されるような社会を取り戻すことである。

 で、そのために所得の適度な再配分を初めとする様々な方策を掲げているわけなんですが、ここまで読んで「??」となっちゃったんですよね。書かれている方策自体にはおおむね異論はないんですが、根本的なところに違和感を感じるんですよ。

 ……で、いろいろ考えてみたわけですが、ああ、なるほど納得。この論旨は山田氏自身の前著での論説と矛盾しているのだ、と。この本に足りないもの、それは「過度に行き過ぎた、肥大化した『期待』の冷却システムの構築」だと思うんですよ。どういうことかというと、確かにこの本の言うように、「普通の人が普通に働けば普通に報われる」ことは重要でしょうが、じゃあ『普通』とはどの程度をもって普通だとするのか? 巻末のまとめにはこんなふうにあります。

 そこで、人々の意識の上でも、社会制度の上でも、「生活の構造改革」を行わなければならない。5章で、希望格差社会を反転させるための施策を具体的に述べてきた。もう一度繰り返せば、@「努力すれば誰でも」生産性が高まり評価できる職につける保証、A「努力すれば誰でも」人並みの生活水準が維持できる保証、B「努力すれば誰でも」新しい価値観をもって希望のもてる生活ができる保証である。
 そして、この保証は、市場に任せていたら自動的に達成されるものではない。経済改革が政府の関与の下に行われたように、生活の構造改革をどのように進めるかがこれからの日本の政府の課題となっているのである。


 前著において山田氏は、従来の日本では教育パイプラインシステムが「膨らみすぎる希望」の適度な冷却システムになっている、と論じていたと思うんですが、このパイプラインシステムの肝は、山田氏自身が述べているように、それが『努力』と『結果』の相応なバランス関係を示す指標になっていたこと、だと思うんですよ。ところが今日では、

・パイプラインシステムに漏れが生じると同時に、そこからの復活が理論上ありうるようになった(=敗者復活戦が認められるようになった)
・オールドエコノミーにおいては突出した大金持ちは数的にごく限られていたし、そうした人たちがことさらにマスコミなどに取り上げられることはなかった。
・しかし今の時代では、そうした人たちが実際に経てきた『努力』がすっ飛ばして報じられ、『結果』だけが一人歩きし、それによって普通の人が身の丈を越えた期待感(夢)を抱き続けてしまっている

 それによって適度なバランス感覚が失われ、結果として『努力と能力に即した分相応の生活』がどの程度なのか、ということに関する客観的な尺度が失われてしまった。それこそが現在のような混沌の生まれる中核原因なのではないか? と思うんですよ。端的に言えば、『努力』と『結果』の相応なバランス感を取り戻して納得してもらうこと、それをセットにして考えないと、山田氏の言うような様々な方策も『砂地に水撒き』の施策になってしまうんじゃないか、と思うんですよね。

 分かりやすく例えて言うなら、お見合い結婚システム(?)が壊れた今日の自由恋愛市場においては、客観的な努力と結果バランスを示す指標が『リアルな現実』しかないのと同じように、教育パイプラインシステムが壊れた今日の社会システムにおいては、客観的な努力と結果バランスを示す指標は『リアルな現実』しかない。結局、身の回りなんかを見ていても、幸せそうにしている人はいろんな意味で「身の丈」を弁えてる人じゃないか? と思うだけに、山田氏がここで述べているような「バラ撒き底上げ(だけの)アプローチ」には違和感を感じずにはいられません。や、もちろんこれはこれで必要だけど、それだけだと足りないかな、という意味で。

 とはいえ、じゃあバランス感覚を取り戻すために必要なシステムって何か? といわれると、ごめんなさいまるで想像も見当もつきません、という感じなのでぜんぜん説得力がないわけですが;。や、私が思いつくぐらいならきっと誰かがとうの昔に考え付いてると思うんですけどね;;。

投稿者 まちばりあかね☆ : 2006/11/7 00:35 | 4.雑学&雑感

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コメント

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