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というわけで、昨日書けなかった TV 版 AIR 最終話の話。「もう、ネタバレしてもいいよね……?」ということで、以下、原作・アニメ版まとめて思いっきりネタバレしてますので、ご注意を。また、内容的には AIR ネタバレゲームインプレッション を補完する内容になっているので、そちらも見て頂いた方がよいかと思います。
さて、さきほどざっくりと PC 版の AIR をリプレイしてみました。さすがにプレイしてから 5 年も経つとかなり自分も冷静になっていて、かつ当時に比べると随分と解釈力も上がっているので、なるほどとすっと腑に落ちる点が非常に多かったです。Standard Edition が出たらきちんとリプレイしようと思ってるんですが、ここでは端的に AIR という作品をまとめてみようかと思ったり。
この作品の構造的な要点を一言でまとめると、「冷徹な悠久の時の流れの中にある、人間のちっぽけな幸せの物語」、なんでしょう。
「今日の夢はね、羽根のある恐竜さん。気持ちよさそうに、がおーって飛んでた。
そのもっと上を、わたしが飛んでるの。
わたし、肩からうしろを見てみた。つばさがあったの。
真っ白なつばさで、わたし、空を飛んでた…」
「そか、ええ夢見たな」
「ううん。かなしい夢だった。世界でいちばんかなしい夢。」
なぜこれが悲しい夢なのか? ミクロスコピックに解釈すると、これは人間に翻弄される翼人たちの運命を指しているようにも思えますが、本質はそうではない。この作品の「悲しみ」は、人の幸せも不幸も喜びも悲しみも、すべてを超越したところでただ淡々と流れ続けていく『時の流れ』そのものにあると思うんですよ。
時は冷徹に流れ、そして空はどこまでも果てしなく続いている。そうした悠久の時の流れに対して、あらゆる生命はちっぽけな存在であり、無力です。種もまた、滅び行き、いずれは眠りにつく運命から逃れることはできない。それでもなお、すべての生命、もちろん我々人間もまた、生きていかなければならない。
そんな悲しい定めから生命が逃れることができないのであれば、せめてそれぞれの最後には幸せな記憶を。それは時の流れに翻弄される、生命の切なる願いでもあるでしょう。(柳也にとっては裏葉と連れ添って神奈の元を目指した日々の記憶であり、神奈にとっては柳也たちと過ごした幸せな日々の記憶であり、観鈴にとってはお母さんの笑顔の記憶でした。「わたし、忘れないよ、お母さんの笑顔……」というセリフや絵日記はここにかかってきます。)
時の流れに立ち向かえるほど、わたしたちは強くもありません。
わたしたちもいつの日か、滅びる時を迎えるでしょう。
それは、避けようのない結末。
けれど、最後は…
星の記憶を担う最後の子には…
どうか、幸せな記憶を。
その時こそ…
わたしたちは役目を終え、眠りにつけるのでしょうから。
そしてその思いは、その後に続く命へと受け継がれていく。その連なりが、生命の進化の歴史を作り上げていく。これが、作品の舞台装置として仕掛けられている大きなコアモチーフになっているんですよね。
実際、この「悠久の時の流れの中における、生命の進化のモチーフ」は、AIR という作品中のいろいろなところに現れてます。例えば、翼人は設定上、モノリスの役割を果たしているし(生命の進化を見守り、知恵を授けてその成長を促す)、そして最後には翼人は眠りにつき、そこから新たな人類として少年と少女が現れる。また、そらはカラスですが、恐竜が進化して鳥になった、という学説も最近では一般的になっているそうです。
こうしたどうにもしようのない「時の流れ」と、そこに積み重なっていく「生きとし生けるものの物語」を、AIR という作品は『冷徹』に描いている。ラストシーンのセリフを見てみても、それは明らかでしょう。
「じゃあ、その前に確かめにいこうか」
「ん? なにを?」
「君がずっと確かめたかったこと」
「この海岸線の先に、なにがあるのか」
「わたし、そんなこと言ったっけ…」
「言っていないかもしれない。でも、そう思ってると思ったんだ」
「そうだね…確かめてみたい」
今なら、その先に待つものがわかる。僕らは。
「じゃ、いこうか」
彼女が先に立って、待っていた。
「うん」
「この先に待つもの…」
「無限の終わりを目指して」 ← このセリフは TV 版ではカットされてますが
海岸線の向こうにあるものは未来。無限に続く「時」の終わりを目指して、それでも「生きとし生けるものの物語」は続いていく。だから、少年少女は AIR という物語を次の言葉で締めくくる。
ただ、一度、僕は振り返り呟いた。
その言葉は潮風にさらわれ、消えゆく。
「さようなら」 ← 旧人類の存在の象徴としての観鈴と往人に向かって
こういう全体構造を踏まえると、ぶっちゃけこの作品には即物的なハッピーエンドなど存在しない。ラストの少年少女についても、こうした進化モチーフを踏まえて考えれば、作中の誰かの転生であっては『いけない』(=作品中のすべてのキャラクターは眠りにつかなければならない)、ということになる。こうした、極端なまでに冷徹な視点が、AIR という作品の根底に流れている。
けれども AIR という作品は、そうした冷徹な視点としての「悲しみ」を一方で持ちながらも、他方ではそこにいるちっぽけな人間の、とてもちっぽけな、けれども大きな幸せを描いてみせたと思うんですよ。
観鈴は生まれながらにして「死すべき運命」を与えられていた。それは直接的には翼人にかけられた呪いによるものですが、全体構造を踏まえて考えれば、それは生命に対して宿命的に与えられた運命そのものを象徴している。けれども、そうした「死すべき運命」は不幸ばかりじゃない。その運命を受け入れ、それでもなお運命に立ち向かって頑張った先には、ちっぽけでも大きな幸せが待っている。
このテーマって、完全なまでに CLANNAD と符合するんですよね。すべてが変わらずにはいられないこと、悲しい定め、死すべき運命を超えられるものがあるとしたら、それは人のつながり、小さな物語であるということ。一つ一つはちっぽけでも、それが積み重なることによって、長い長居、生命の歴史が紡がれていく。それは、生命としての、長い長い、旅の物語でしょう。
もちろん、AIR という作品はこうした「大きな物語」そのものを描きたかったわけではないと思います。そうではなく、小さな物語のバックボーンとして「大きな生命の進化の過程」を冷徹に描くことで、そこにある「ちっぽけな幸せ」のかけがえのない大切さを描くことに成功した作品 、それが AIR だったんじゃないかと私は思うんです。
こう考えると、なぜ TV 版 AIR の最終話が不完全燃焼だったのかというのも分かります。要するに、「大きな生命の進化の過程」という、バックボーンの物語がごっそりと抜け落ちてしまってるんですよね。「ちっぽけだけれども大きな幸せ」については完璧なまでに再現してるし、形式的にはゲーム版のシナリオをなぞってはいるものの、このバックボーンの物語がうまく再現できていないんですよね。
別れの時が来ました。
わたしは空に届けます。
この星の最初の記憶を。
あなたと暮らした、幸せな日々の記憶を。
悲しむことはありません。
わたしはいつまでも、あなたと共にあるのです。
雨粒が大河となり、そして海に集まるように…
だから…
あなたには、あなたの幸せを。
その翼に、宿しますように。
このセリフって、バックボーンの物語を考えれば絶対に削っちゃいけない部分だし、神奈が幸せな記憶を持って最後の翼人として滅びていくという描写も全然違う意味に書き換えられてしまっている。代わりにこんなセリフがあったりするんですよね。
「どうしたの?」
「なんでもないんだ、ちょっと昔のことを思い出していた。」
ちっがーうっ!!(笑) この二人は滅んでいった翼人(神奈)や、ゲーム中の旧人類(観鈴や往人)の後を継ぐものとして現れた新人類の象徴として存在するのであって、超越者の視点に立つ存在でなければならない。端的に言えば、神奈や観鈴たちと同一線上のに並んで存在してはいけないし、新たな翼人的な存在(記憶を継ぐもの)であるとするのもニュアンスが違ってしまう。
観鈴のゴールシーンにしても、原作では観鈴の掴んだ「最後の幸せな記憶」がとても丁寧に描写されているのに、アニメ版では晴子の思い出しか描写されていない。それって全然違うじゃん、と。そういや 9 話のラストの柳也&裏葉のシーンもかなり誤解してたように思えるし、実は滅び行く生命の「最後の幸せな記憶」の描写については全滅なのでは……(汗)
確かにあの原作の冷徹な視点は、(私も含めた)多くのプレイヤーの心理的反発を買ったわけですが、今改めて作品を振り返ってみると、これがあったからこそ AIR という作品は歴史に残る名作になったんじゃないか、とも思います。CLANNAD も確かに名作ではあるんですが、ある意味ではあの作品は暖かすぎる。AIR という作品は、暖かさと同時に、徹底的に突き放した冷徹な視点が存在していたからこそ、プレイヤーの心に突き刺さる物語になっていたのではないか、そんなふうに思います。
しかし改めて思うんですが、当時は気付かなかったけど、我々はやはり凄い作品をプレイしていたんでしょうねぇ。当時、麻枝氏がプレイヤーの理解力のなさを嘆く発言をしていてバッシングされてましたが、今になって思えば、麻枝氏の心情も無理もないことだったように思えます。Standard Edition が出たら、じっくりリプレイしたいものです。
# あ、このエントリへのリプライはコメントでもいいですが、長文の場合は 掲示板 の方でもよいかと思います(^^;)。
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誘導されたのでスレ立てました(違
投稿者 なゆた : 2005年3月28日 01:58
確かにあの原作の冷徹な視点は、(私も含めた)多くのプレイヤーの心理的反発を買ったわけですが、今改めて作品を振り返ってみると
投稿者 Armani Watches : 2011年11月9日 16:22