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最近のトピック 4.雑学&雑感

社会的責務。

「……おまえには大きな力がある。その右手に宿っている紋章のことなんかじゃない。
 多くの人間の想いをその身に受けている。だから、おまえは務めをはたさなくちゃいけないんだ。
 この戦いで死んでいった、多くの人々のためにも……」
(幻想水滸伝II より)

 これ、先日コンプした幻想水滸伝 II の中の一節なんですが、なんというか思わずちょっと考え込んでしまったセリフだったり。あのゲームでは、ホントに田舎の村の平凡な少年が、いつの間にか紋章という名の十字架を背負わされ、ついには一国一城のリーダーにまで押し上げられてしまう。それは本人の持つ資質ゆえに背負わされてしまった社会的責務なんですが、ちょっと「うーん」と考えさせられてしまったんですよねぇ。

 先日も書きましたが、最近、新人君のメンター(トレーナー)役を割り当てられてその新人君と会ってきたんですが、その人がとにかく桁外れに優秀。や、さすがに大学卒業したてということもあって、業界知識も社会人経験もぜんぜんなんですが、資質という観点でいうと、自分なんか全く足元にも及ばないぐらいめちゃめちゃ優秀。で、やっぱりというか予想通り、新人研修でも俄然リーダーシップを発揮してしまっていて、グループ活動ではなんとなくリーダーになってしまうし、結果的に本人もそうせずにはいられない様子なんですよね。(← 実際問題としてこういう人は必ずいる;)

 けれども横並び意識を強く持つ日本人の場合、リーダーとして『目立つ』ことに対して強い抵抗感がある場合がある。特に新人なんかの場合には周りはみんな初対面に近いし、とにかくヘマをしないようにと思うあまり、「自分だけリーダーみたいにやって、周囲との関係を壊すんじゃないか?」といった恐れがあったりする。で、やっぱりこの人の場合もそういう悩みを抱えていた様子で、「意図的にリーダシップを取らないようにして、他の人にリーダシップを取ってもらった方がよいんじゃないかと悩むことがある」というんですよね。で、私が思わず言ってしまったこと。

「いや、そんなことするのはやめた方がいいよ。
 だってあなたがそれを望んでも、きっと周りが許してくれないから。
 だったらその役回りを、どうやって自分の心と折り合いをつけながらやっていくのかを考えた方がいいよ。」

 これ、おそらく間違ってはいないと思うんですが、ホントにこれで良かったのかなぁ……と少し悩みもする。実際問題として、こういう人って結局のところは『出る杭』で、自ずとどうしても目立たずにはいられない。当人が望むと望まざるとにかかわらず、リーダシップを『取らされる』。カレイドスターでは、メイが無理矢理そらをステージに引きずり上げるシーンが印象的でしたけど、そらみたいな『出る杭』は否応なく舞台に引きずり上げられてしまう。

 某氏いわく、「能力を持った者は、それ相応に背負うべき社会的責任がある」。学園アリスでも掲げられたテーマでしたけど、結局、規格外の人は規格外の生き方しか出来ないんじゃないか……とかいうとひどい言い草ですが、実際問題としてそうなんじゃないか? という気もするんですよね。それが、当人にとって幸せなのかどうかはともかくとして。

 結局のところ、何もかも投げ出して、ごく普通に生きられたらなぁ、なんてのは身勝手なワガママ以外の何物でもないのかもしれず。だったらそれとどう折り合いを付けるのかを考えるしかない……というわけで前述みたいなことを言ってしまったのですが、けれどもそれって冷徹なセリフだよなぁ……とも思ったり。だって、結局それってイバラの道を歩んでね、と言ってるようなものでもあるんですよね。

 じゃあどう言えば良かったのか? となると、正直言って別のアイディアがあるわけでもないのですが;、こういう問題はなまじ正解がないだけに、やっぱり難しいですねぇ....いやホントに。

# ……といいつつその一方で、こういう人は「迷っている」ものの自分で答えを出せる人だから、
# どういうアドバイスを出してもきちんと相手の気持ちまで汲んで租借してくれる、というのが
# 実態だろうとも思うんですが^^、でも難しい問題です。

2006/7/19 01:54 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
ワークスタイルの多様性

 今日は大学時代にアルバイトしていた塾の宴会に参加。や、毎年この時期と忘年会の二つには必ず呼んでくれるので欠かさず参加してたりするのですが、すでにアルバイトを卒業してから 10 年近く経つのに今でも呼んでくれるのは嬉しい限り。でじくま氏やけろっちゃ氏、本郷弥生氏はこの塾講師のアルバイト仲間だったんですが、今でもこの塾の宴会は楽しいんですよねぇ。普段、多少ヌルい会社組織にいると、こういう若手ばかりの勢いのある組織の空気に触れるとリフレッシュになるしw。

 がしかし、さすがに大きな組織になってくるとそれなりの問題が出てくるというもの。今回非常に印象的だったのは、ある講師が壇上で延々と最近の若手講師に対する不満と説教を述べ続けていたこと。細かい話は省きますが、端的に言えば、「外見とかルックスとか講義内容以外の雑談などで生徒たちを惹き付けるんじゃなくて、講義の中身でちゃんと勝負しろ」、というもの。いやはや、もともとお説教をだらだら言うタイプのキャラではなかったと記憶してるので、こんな宴会の席で壇上でだらだら不満をぶちまけるというのはよっぽど溜まってたんだろうなぁと思ったり。

 まあ、この不満をぶちまけた人はかなり気真面目なタイプなので、なおさらこういう『上っ面』ばっかり取り繕って中身や熱意の伴わない若手の人たちが許せなかったんでしょうが、でもちょっと根本的なことが分かってないなぁ、と思ってしまったり。一つは、そんなストレートなお説教を聞くぐらいなら最初っからそんなことはしないという点、もう一つはそれでもダメな人は遠からず淘汰されるであろうという点、そして最後に、その説教自体が当人のコンプレックスから来るものであることが見えてしまうのでむしろ逆効果になっているという点;。

 この話をした人と同様のコンプレックスは私も持ってるので(や、私もダメンズですし;)、気持ちは分からなくもない……というより非常によく分かるんですが(苦笑)、根本的なところとして、上っ面と、講義の中身や熱意は(理屈上は)背反するわけじゃない。確かに往々にして両方をうまく兼ね備えたり、あるいはバランスさせたりすることは非常に難しいし、実際問題、この両方をうまく両立させられている人は世の中的に見ても非常に少ない。や、私なんかにはまるっきり無理;。けれども、建前としてはそれを言っちゃおしまい、なんですよね;。

 だからこの話はどういうふうに言うべきだったのかというと、(そのゴールに辿り着く手段や方策についてあれこれ言わずに)もっと単純に、「生徒のためになる授業をして、長期的に見て生徒が幸せになれるようにしてあげることが大切だ」などとすれば良かったんじゃないかな、と。や、実際問題として、「イケメン講師に好かれること」が勉強することの動機になる生徒なら、それでも全然いいはず。実際、大手予備校ではそれで救われている学生だってたくさんいるはずなんですよね。

 生徒が十人十色であるように、講師のスタイルも十人十色。生徒が講師のどこにどんなふうに惹かれるのかも人それぞれ。目指すゴールは同じであってもやり方や進め方はいろんなスタイルがあるわけで、そこに口出しするのはあんまりよくない。要するに、ビジョンやミッションの共有は重要だけど、ストラテジについては自由であってよい。ストラテジ(=ワークスタイル)については裁量権を認めてあげるかわりに、ゴールが達成できなかった場合には冷徹な鉄槌を下す。そこがきちんとしてさえいればいいんじゃないかと思うんですよね。(← や、別にこれはビジネス全般について言えることですが)

 考えてみれば(微妙に内輪ウケですいません;)、私がかつて物理の講師をやってたときは、K 先生、N 先生と私という 3 人が高3の指導に当たってたんですが、全然講義スタイルが違っていて、集まってくる生徒や好かれる生徒のタイプがまるっきり違う、という面白い状況がありましたね。結局、生徒の側も自分のスタイルにあった講師を選ぶので、自ずとそういうクラスタが出来上がる、ってことなんでしょうけど^^。

 そんなことをつらつらと思った塾の宴会だったわけですが、今日の収穫物〜。



 や、School Days の T シャツは帰りがけにけろっちゃ氏からもらったわけですが……これ微妙に凄いんですけど;;。っつーか壊れた二人の無表情が痛すぎるっつーかなんつーか^^。"WHERE IS THE PLACE OF ME?"(私の居場所はどこにあるの?)ってのもなんつーか;。COSPA もすごい T シャツ作るなぁ……;;

2006/7/10 00:42 | 4.雑学&雑感 | コメント (4) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
マイ・リスペクト

 でじくま氏の blog になにげにいいエントリが上がっていたので思わずトラバ。

・考:小橋建太と田村ゆかり
 http://ameblo.jp/digikumacha/entry-10014174227.html

 あ゛ー、これすごいよく分かる。要するに、できる人より頑張る人の方が凄い、ってことなんですよねぇ。

 ビジネスの場では、過程(プロセス)ではなく結果(リザルト)が求められる。「流した汗は仕事じゃない」という、トヨタの有名な言葉がありますが、どんなに汗を流しても結果を出せなければビジネスの世界では認められないし許されない。けれども、人徳であるとか人としての魅力は、結果ではなく、プロセスにこそあるんですよね。

 や、こういうのもなんですが、現代って、頑張ることは恥ずかしいとか、カッコ悪いとか、そんな風潮もあるじゃないですか。もちろん、やみくもに頑張ればいいってもんじゃないですけど、頑張っている人にはやっぱり人を惹き付ける魅力があるんですよね。

 私の数少ないマイリスペクトの一人に、自分の会社の派遣さんの女性がいるんですが、どんなときでも笑顔を絶やさずに、日々似たような事務作業を淡々と、しかもそれでいながら配慮や気遣いを欠かすことなくこなし続ける様子を見ていると、やっぱり頭が下がるというもの。以前、飲み会のときにちょろっと話を振ってみたら、「いやこの職場って、セクハラとかないんで働きやすいんですよ?」と無難な答えを返されましたが、そうはいっても嫌な顔をしたのを一度も見たことがない(しかも 7 年とかそういうスパンで)というのはかなり凄いことなんじゃないか、と思うんですよね。

 ちなみに上記のようなエントリを書いているでじくま氏ですが、私は彼ほどの働き者を見たことがないです;。いやもちろん遊ぶときは遊ぶし、その辺ははっきりしてますけど、才能もあって努力もする人が身近にいるといい意味で刺激を受けます。

 さて、振り返ってみて自分。でじくま氏ほど天賦の才に恵まれたわけじゃないし、別にお金持ちではなかったけれど、人並みより遥かに恵まれた環境で育ててもらった自覚はあり、こういう人たちほど頑張っているのか、と言われると……かなり怠けてるよねぇ、と思わずにはいられない今日この頃。もうちょっと頑張ろう;。

2006/7/1 18:09 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
スリップストリーム

 ぐぉっ、しまった区民税 & 都民税の支払い忘れてた;;。しかも支払期限は月末……ってあと 2 日しかないワナ;。や、こんなの面倒だからネットから支払いできるようにしてくれよと言いたいわけですが、そもそもなんでこんなに持っていかれるかな状態;;。まあ原因は源泉徴収されてない収入が一部にあったからですが、なんかものすごーくブルーな気分になりますねぇ。というか最初っから多めに源泉徴収しといて欲しいんですけど状態。明日忘れずに郵便局に行ってこよう……。

 それはともかく、先日のエントリへの Web ツッコミでこんなコメントが。

> predictable さを厭うとき、人は新しい趣味や分野に手を伸ばすのでしょうね。

 や、それそのうち書こうと思ってたネタなんですけど;。まあせっかくの機会なのでちょっと書いてみたり。

 ここのサイトの blog エントリを見てれば分かると思いますが、私って、趣味を増やすことはあっても減らすことは基本的にない人なんですよね。や、普通は例えば、アニメやゲームを卒業して、新しい趣味として料理を始める、とかいった具合に趣味を切り替えていくと思うんですが、私の場合(もちろん重み付けは変えますけど)前の趣味を捨てるということをしないんですよねぇ。

 いろいろ理由はあるんですが、私って昔っから「卒業」って言葉が大っ嫌いなんですよね。……と、モラトリアムの極みのような発言をしてみますが(ぉ)、例えば「アニヲタ趣味を卒業する」とかいう表現があるじゃないですか。でも、私はそれって卒業じゃなくて中退の間違いだろう、と思うんですよ。や、だってあなた、その趣味や分野を極めたわけじゃないでしょ? と。そうであるにもかかわらず敢えて「卒業」という言葉を使うのは、そこにある種の蔑みのような意識が混ざっているからじゃないかなぁ、と。だって実際問題として AIR みたいな化け物アニメはちゃんと出てくるし、自分の成長と共に、作品の良さが分かるようになってくることだって多々ある。そういうことを考えると、私は(ウェイトを下げたとしても)完全にその趣味を切り捨てるようなことはしたくないし、なるべくしないようにしてるんですよね。

# おかげで収集がつかなくなっているという話もありますが;。> この blog とか

 とはいえ、さすがに似たようなことを長年やってると飽きてくるのは確かで、アニメもゲームもかなり惰性が入っているのは事実;。っつーか、普段の仕事もかなり飽き飽きしてるのは実際なんですよねぇ……;。や、しばらく前に出した本もすでに 3 刷になってたりとか、仕事自体は確かに順風……なんだけど、ぶっちゃけつまらんのですよね;。その原因が、まさに先日書いた "予測可能性"。それもあって、実際、数年前から真面目に仕事をやめるかとか転職するかとかいろいろ考えてたりする;。

 じゃあだったらなんで転職して新しいチャレンジをしないんだよこのヘタレがっ、と怒られそうですが^^、理由は突き詰めればものすごく単純で、後継者が育ってないから。今現在のタイミングで自分が抜けたらあまりにも影響が大きすぎるし(← これは逆に言えばリスクヘッジができていないということなので大きな問題でもありますが)、少なくとも抜けるときには、自分なりのけじめとして、自分がいなくなってもちゃんと問題ない状態にしてから辞めたい、と思ってるんですよね。

 けれども、これってそんなに簡単な話じゃない。なぜかというとこれも理由はものすごく単純で、人って育てるものじゃなくて育つものだから。や、長年に渡って教育にまつわるようなことに携わってきた経験から言うと、基本的に、先生(というとおこがましいので講師といった方がいいんでしょうが)って、生徒を(外部からのチカラによって)「成長させる」ことはできない、と思うんですよ。先生ができることは、生徒が成長する「速度を速める」こと、そしてその「効率を高める」ことだけ。要するに、スリップストリームを作って、それを使ってもらうことしかできないと思ってるんですよね。

 だから、究極的には、成長することに対して貪欲な人、つまり気概のある若手が現れなければ、この問題は解決しないんですよね。(若手が入ってこない組織が不健全といわれるのは、この辺にもやっぱり原因があるんじゃないかと思ったり。)

 最近嬉しかったのは、今年入ってきた新人君(← 自分がトレーナーやってるんですが)がかなりのサラブレッド君で、長期的に見れば絶対に自分を追い越してくれると確信が持てる逸材だったこと。や、普通だったらいつ自分が食われるのかと戦々恐々とするのかもしれませんが、私はむしろものすごく楽しみなんですよね。彼が何年で自分に追いつき、そして追い越してくれるのか。私は今のところ自組織での最年少タイトルホルダーなのですが、きっと彼なら破ってくれるに違いない、そう思わせてくれる期待感。そして実際に記録を破ってくれたときこそ、自分のやってきたことに初めて意味があったと思えるんじゃないか、そんなふうに思っていたりします。

# っていうかもう自分は屍なんだからとっとと踏んづけて乗り越えていってくれよ、みたいな感じ;。

 もっとも一年とか二年でどうこうって話じゃないのでなかなかに長丁場な話ですけど、でも人が育っていく様子を見守るのは、ホントに面白いんですよ〜w。(と、微妙に年寄りくさい発言をするワナ;。)

2006/6/29 00:59 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
未来に対する希望と予測可能性

 今日はどうにも気分が乗らなくて一日中ずっとダウナーモードで完全に参ってしまったり。や、自分って落ち込むときはとことん落ち込む系な人で、最近は歳食ったせいもあってか軽い全身症状(といっても少し気持ち悪いとか頭痛いとか食欲ないとかだるいとかその程度ですが)も出たりするんですよねぇ。もちろん仕事ではそんな寝言も言ってられないので、セルフコントロールしてスイッチを入れる(=自分の感情を完全に切り落としてしまう)ことで対処することが多いんですが、今日はそのスイッチすら入らないワナ;。で、どうにも仕事の効率が上がらないのでとっとと切り上げて帰ってきたわけですが、なんつーか、こういうときってホントに何やってもダメで、帰ってきて料理したらケガをしてしまうワナ;。や、もう踏んだり蹴ったり戦力半減状態ですよ(涙)。

 別に湿度が高いからとか 5 月病というわけでもないのですが、まあ理由は自分でも分かっていてどうにもならないことであることも分かっているわけなんですが、いろいろつらつらと考えてみたときに、結局、問題の本質は、未来に対する希望のなさ、なんだろうなぁと思ったり。や、端的に言えば、「生きてればきっといいことがあるよ」なんて言葉がありますが、そんなのウソだよ、というヤツ;。

 最近思うんですが、「未来に対する希望」って、おそらく「根拠のない期待感」のことを指すんじゃないか、とゆー気がするんですよねぇ。や、どういうことかというと、希望格差社会なんかでよく『挫折の先送り』という言葉が出てきますが、これ、膨らみきった願望が満たせないという『事実』に直面することを避けるために、「きっといつかは願いが叶う」と思って挫折を先送りする、って話ですよね。けれどもそこそこ歳を食ってくればそんな都合のいい魔法なんてないということが身にしみて分かってくるじゃないですか。要するに、数年後、10 年後、数十年後の自分の姿がおおよそ想像できてしまう。

 ……とか書くと、「あんたは日常を頑張ってないからそんな絶望感ばっかり持つんだ」とツッコミ受けそうですが、そういうわけでもないというのがまた根の深い問題なんですよね。や、自分が本気で頑張ったときに、どれぐらいの期間でどれぐらいの成果が出せるのか、それのアタリが付いてしまうんですよ;。つまり、「これぐらい頑張れば、これぐらいのことができて、これぐらい嬉しくて、これぐらいハッピーになりそう」という予測がついてしまう。だから何をやっても自作自演っつーか、マッチポンプ的な辛さがある;(← この言葉、知らなきゃ良かった言葉の一つですね;)。predictabilty (予測可能性、たとえば今期の売り上げがどのぐらいになるとかいつまでにどんなことができるかとか)ってビジネスの世界ではものすごく大切なんですが、人生に関して言えば、predictable であればあるほど絶望の根は深くなるんじゃないか、という気がするんですよねぇ。

# なまじ自分の未来予想図が割と当たるだけにつらい;。

 結果の分かったネタバレアニメやゲームほどつまらないものはない。自分の先行きが見えてきちゃったりすると投げ出したくなったりもするわけで(← や、だからって投げ出したりするつもりは毛頭ないし最後まで全力で足掻きますけどね;)、なんつーか、少しは気持ちを切り替えなきゃなぁと思う今日この頃。や、気持ち的にやさぐれモード入ってるのでこういうときはあんまり考え込まない方がよいのですが(悪循環になる;)、こういうときはしっかり寝てリフレッシュしないといけないかも。明日はお仕事予定なので、気分を一転したいものです。はい。

2006/6/24 00:24 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
心穏やかに生きるために。

 先日の話ですが、会社の飲み会のときにかな〜り年上の女性社員からこんなことを言われたり。

「や〜、○○さんって温和ですよねぇ〜。ぜんぜん怒らないでしょ〜?
 私はもーぜんぜんダメで、昔、マネージャと大喧嘩して、会社で泣かされたことあるんですよ〜。」

※ ↑ 微妙に関西弁でしたが、再現できないので普通の標準語で;;

 んー、部下(しかも女性)とケンカして泣かせる上司ってどうよ?? とか一瞬思いましたが、確かに私って滅多なことでは怒らない & 腹を立てないんですよねぇ。で、なんで怒らないの? とか聞かれたわけなんですが、だって怒るのって面倒っちい(というか他のところにパワーを使いたい)じゃないですか。……とかいう気力面での問題もありますが(ぉぃ)、それ以前の問題として、仕事とか街中とかいろんな場所で怒っている人を見かけるたびに、「なんでそんな些細なことでいちいち怒るの??」と逆に聞きたくもなるんですよね;。

 ……といっても、私も昔(といっても 10 年ぐらい前)は血の気が多かった人なので些細なことでいちいち怒っていたんですが、ある時から考えをちょっとだけ変えてみたんですよね。それは何かとゆーと、

 「相手に悪意や悪気がない限りは怒らない」(というか怒ってもしょーがない)

 実際問題として、腹を立てるケースって、大半は自分が勝手に怒ってる(= 相手に悪意がないのに自分の勝手な誤解や思い込みで怒ってる)んじゃないかと思うんですよね。相手の方も「いやそんなつもりで言った & やったわけじゃないのに;」ということも多い。そういう状況下でホントに怒ってしまうと、簡単にコミュニケーションが壊れてしまう。

 けれども、人が人に純粋な悪意を持つことなんてそうそうない。や、ホントに自分に非がないのに悪意を向けられているときは怒ってもいいと思うんですが、そうじゃないときは、一歩立ち止まって、なんで相手が自分の腹の立つようなことをしたのかということを考えてみることが大切だと思うんですよ。実際、こんな思考回路の私でも過去には本気でキレかけたこともありますが、それだってちょっと立ち止まってみれば、相手がそんな態度や行動に出たのには必ずそれ相応の理由があると思うんですよ。でもそういう理由って、反射的に怒ってしまうと気付けなくなる。だから、頭にかっと血がのぼったときこそ、なんでもいいからちょっとでも気を紛らせてとにかく冷静になって、立ち止まって考えてみないといけない、と思うんですよね。

 ちょっとむっとしたときは、まず相手に悪意があるかどーかを考えて、悪意がないと思ったらなるべく笑って受け流す。で、仮に悪意を向けられていると思ったとしても、なぜそんな行動を自分にしてきたのかを考えてみる。そうすると、案外「むかっ」とすることの大半には、自分に何らかの原因があったりするんですよね(← って、情けない話ではありますが;)。そういう状況において、自分のことを棚に上げて相手に対して怒ったりするのって情けない & 恥ずかしいじゃないですか、いい大人なんだし;。

 まあ本気で怒って本音をぶつけ合うガチの心の殴り合い(ぉ)が必要なこともあると思いますが、少なくともビジネスの場ではみんなもうちょっと大人に振舞おうよー、と言いたくなることも多々あったり。や、みんな大人なんだから分かるでしょ〜??と思うわけで;。(← ってネタが分からない人には分からないですねこれ;;)

 でもまあ実際問題として、『怒らない』ようにするだけで、日々をなんとなく心地よく過ごせるのはホントじゃないかなとも思ったり。なんとゆーか、いちいち細かいことに目くじらを立てて怒ってる人たちを見てると、この人たちにとっての日常って、きっと日々是決戦なんだろうなぁと思ってしまうわけですが(← 言葉の使い方間違ってます;)、やっぱりもっとゆったり心ゆるゆる〜ゆるやかに生きていきたい……とか思うのは珍しい人種なんですかね?;

 ……というわけで、心の平穏を保つためにも だめーぽ D.C.II をプレイ開始でありますよ隊長w。(← それかよ、おい;) や、なんつーか最近ギャルゲをプレイしてなかったので(智代アフター以来?)なぜかえらい新鮮なのですが;;。

# うーむ、今回は音夢が分裂して音姫姉さんと由夢妹になってるのか^^。
# 最初は双子かと思ったんですけど、姉妹なんですねこのキャラたち。

2006/6/17 00:59 | 4.雑学&雑感 | コメント (4) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
情緒不安定?;

 というわけで、今日はなんとなくリアルマイシスターの昨晩の blog エントリに反応してみるテスト。や、さすがにアドレスは晒せないのでリンクは貼りませんが;、どんな話かとゆーと、

・男と女の間には釣り合いってものがある。
・で、自分を客観的に評価してみると、お金はないし稼げないし家事もできないし若さすらもなくなりつつあるという惨憺たる状況;。
・いったい今の自分に何が残ってるんだろう……;

 とかいう悩める話;。なんとゆーか、読んでて「あ゛〜……」とか思ってしまった鬱エントリだったり。

 でもなんてゆーのかな、リアルマイシスターのつぶやきは気持ち的には分からなくもないものの、『釣り合い』っていうのも考え方一つの問題じゃないかなぁと思ったりする今日この頃。とゆーのも、人ってそれぞれ得意分野も特性も強みも違うワケで、全方位オールマイティーなジョーカーあるいは Wild Card Draw 4 みたいな人……はたまにいるけど;、まあ普通の人はそうじゃないし、そんなふうになれるわけでもない。人には良いところと悪いところがあるんだから、人間を二人連れてきて、「釣り合ってる」なんて状態はもともとあり得ないワケで。昨日実家で話したときの話じゃないけど、親戚の話しかり、お金の話しかり、兄弟の話しかり、両親の話しかり、言い出したらキリがないワケで、むしろ釣り合っていないモノ、異なるモノをどううまくやりくりしていくか、というのが本質じゃないかとも思うわけで。

 けれども、そんなふうに前向きに考えられないのは、多分、漠然とした不安感をカタチにせずにはいられないからじゃないかな、とも思ったり。なんとゆーか、不安感に理由付けをせずにはいられなくなってしまう、というヤツ。でもこういうのって危険で、こういうときにあれこれ考え出すと負のスパイラルな思考になるので、考えれば考えるほど悪い結論にしかならない(← 不安感に突破口なんてない;)、みたいなところもあるんですよねぇ。後ろ向きな否定理由を考えたら、『釣り合い』に限らずいくらでも理由をくっつけられてしまう。いわゆる情緒不安定;。

 けれども、以前の会社で私のトレーナー(新入社員にくっつくメンター)になった女性の先輩社員が言ってくれた名言なんですが(まあセリフ自体はよくあるものですが;)、

 「すべての問題は時間が解決する。」

 この先輩、仕事上発生してしまう大量の未決事項についてやたらと神経質になってた新入社員の私を一刀両断してくれたんですが(← 要するに「仔細にこだわらずに細かいことはほっとけ」と言われた;)、実際、だいたいのことは時間が解決してくれるような気が確かにするんですよね。いやー、だってリアルマイシスターは家事ができないとか言うけれど、例えば洗濯機すら回したことがなかった私が今では仕事もしながらそこそこ家事もこなしてるわけだし、レシピ見ないとダメだけどお料理だってそこそこ作ってるわけで。まあ、そういうことなんじゃないかな、と思うわけです。

# いやー、実家出る前はホントにどうなるかと心配しましたが;、まあまだなんとか生き伸びてますよ。
# でも今日はお米が尽きててどうしようかと思いましたが。この前買い忘れた……;

 別にこの釣り合いの話に限ったことじゃないでしょうが、漠然とした不安感や心配って、おそらく生きていれば必ずつきまとう類のもの。お金のことにしろ家のことにしろ将来のことにしろ、なんにしたって歳を食ってくればいろんな不安がつきまとう。けれどもきっと大切なのは、そういう不安、そして挫折にぶち当たったときに、不安も何も一緒に共有して受け止めてくれる人かどうかとか、大変だけどそれでも自分も一緒に頑張ろうと思える人かどうかとか、そういうことなんじゃないかなー、と思ったり。お互いがそういう気持ちになれること、きっとそれが「釣り合い」の本質なんじゃないかなー、と。

 ……などと妹であれば分かりきっているであろうことをうだうだ書くのもなんなんですが;。
 や、なにはともあれ、いろいろがんばれ〜、リアルマイシスターw。(← 自分のことは棚上げして発言(ぉ))

# 愚痴エントリにまともに反応する私も十二分に恥ずかしい香具師なわけですが;。
# 一応、ツッコミを受ける前に自己フォローしておくテスト(ぉぃ)。

 あ、そそ、忘れずに書いておこう、シュークリームおいしかったですw。← これが本題らしい;

2006/6/9 01:30 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
晩婚化と少子化問題

 というわけで今日は男性版の負け犬としては外せない話題を一つ。(違)

 今年の出生率(女性一人が生涯に産む子供の数)、昨年の過去最低をさらに更新して 1.25 まで落ち込んだんだとか。昨日、新聞やらニュースやらでやたらと取り上げられてましたが、私が読んでる複数方面の blog でも、ここ最近、やたらと晩婚化と少子化に関するエントリが。や、単なる偶然だとは思うのですが、これ、手垢がついたネタとはいえ、人によって理由付けや切り口がまるっきり違うので、見ていて非常に面白いんですよねぇ。

 先日、仕事関係での知り合いが電撃入籍(← 付き合い始めてから一週間でいきなり;)して、おいおい凄いなぁと思ったら、やっぱりできちゃった婚だったとか。リアルマイシスターに聞いた話ですが、現在の結婚って、1/3 はできちゃった婚、1/3 は同棲からの結婚。そして普通の結婚は残りの 1/3 ぐらいしかないらしい;。まあ確かに同僚の結婚話を聞いても似たような感じなのでそうなんだろうなぁとは思うわけですが、今どきまともな結婚なんて実際問題として少ないのかもしれず。

 が、ここまではともかくも、話を聞いて驚いてしまったのが、国内某大手企業(超有名で超優良企業ですが)の住宅費補助。なんでも、同棲でも結婚夫婦と同額の住宅費補助が出るんだとか;。や、理屈上は、事実婚にも夫婦と同じ権利を認めよう、ということなんでしょうけれど、これってむしろ結婚を遠ざける原因になるんじゃないかとも思ったり;;。

# ちなみに、同棲してたものの別れてしまって一人暮らしになったのに会社に申請しておらず、
# 後からバレて大ごとになったケースがあったらしい;。や、確かに言い出しにくいわな;;。

 さてさて。出生率が低い理由はいろいろあるものの、そもそも未婚率が高い(そして負け犬な人はおそらく晩婚どころか結婚しない確率が高い)ということを鑑みれば、出生率を改善するにはまず結婚率を高める必要があるはず……なんですが、なぜ今の若者は結婚しないのか? なぜ結婚できないのか? という点については、やっぱり精神論から切り込んでる人が多いんですよね。例えば、

・膨らんだ夢を維持するために挫折の先送りをしている。
 「きっとかわいいお嫁さん、カッコいい王子様がいつかやってきてくれる」という、全く妄想としか言いようのない夢を抱き続けている。で、その夢はきっと叶わないのだけれども、その挫折を先送りすることで現在の自分をつなぎ止めている。

・女々しい男性ばっかりで、魅力ある男性がいない or デレのないツンな女性ばっかりで、まともな女性がいない。
 女性から見たときに、「男らしい」魅力的な男性がいなくなった。または、男性から見たときに、「女性らしい」魅力的な女性がいなくなった。だから結婚しなくなってしまった。(← これ、男性の blog では女性が非難され、女性の blog では男性が非難されてる。で、その言いっぷりが全く対照的だったりする;;。)

・最大の心理的問題は、「恋愛結婚こそ正義」と考える風潮である。
 恋愛してなきゃ人にあらず、ときめいていてこそナンボ、という風潮がこの世に蔓延している。ある女性の blogger はこの風潮はアン○ンなどの女性誌が作り出した負け犬文化だと言ってましたが(ホントかどうかは分かりませんが;)、こういう思考の人たちにとっては結婚=下り坂の始まりなわけで、恋愛結婚とは言うものの結婚なんてあり得ないというワナ;。

・結婚できない若者は、「快楽主義」であることが多い。
 要するに、「面白いこと」「楽しいこと」をたくさんしたいので、束縛になりそうなことを片っ端から拒否する。今の世の中は面白いことなんてたくさんあるわけで、言ってみれば「わがまま」し続けるために結婚なんてしたくない! というパターン。

 などなど。確かにどれも一理あるし、そういう面もあるかもしれない(← というか私の場合は全部当たってる気もするような;)。けれども、私が一番「当たってるなぁ」と思ったのは、実はリアルマイシスターがかつて語ったこのセリフ。

 「恋愛とか結婚なんて、鈍感じゃなきゃやってられない。」

 や、これって実は最も真理を突いてるんじゃないかな、と。語弊があることを承知で書きますが、恋愛なんて言葉一つの関係だし、結婚なんて紙一枚の関係。兄妹や親子のような、イヤでも絶対に切れない血のつながりとは違って、理屈の上では切ろうと思えば簡単に切れてしまう関係なんですよね。そうした脆い繋がりの上に、確かな関係の『重み』を感じられる人、絆を作っていこうとする人。そういう人たち同士じゃないと、仮に結婚しても長い目で見るとうまくいかないんじゃないか、と思うんですよ。そういう絆を作っていくことはものすごく大変なことのはず……なんですが、上述したような「なんとなく」結婚でうまくいっている人たちって、(いい意味で)そうしたことに「鈍感」な人が多い気がするんですよね。で、さらに面白いことに、そういう人たちの方が、不思議なことに、なぜかちゃんとした絆が出来ていたりするように思えるんですよ。

 例えば一例を挙げてみると、つい先日、会社の既婚の女性(いわゆる人妻^^)から言われたセリフ。

 「○○っち(← 私の本名)も、早く結婚した方がいいよ〜。」
 「いや、そうは言いますけどねぇ、相手もいないのにいったいどうしろと;。」
 「○○っちは、選り好みしてるからだよ〜。」

 このセリフ、私は既婚の男性からも女性からも言われたことがあるのですが、私的には結構信じられないセリフだったりするんですよね。だって、選り好みして当然じゃないですか、と。いやだって、旦那さんとかから「半径 5 メートル以内にいたから君を選んだんだ」とか言われたらショックじゃないんですか?? と。

# 『半径 5 メートル以内の法則』= 日本のサラリーマンは、半径 5 メートル以内の女性
# (=会社の同僚や派遣さんなど)のなかから配偶者を見出す、という有名な経験則;。

 けれども、冷静に考えてみればこんな思考回路自体がぶっちゃけアラ探しモードなわけで;、こういう考え方とは対極的な、プラス思考のある種の『鈍感さ』(=マイナス部分に多少目をつぶって、プラス部分を主体に考えられる思考)が恋愛や結婚、引いては絆を作っていくためには必要不可欠なものなのかもしれません。もちろん、妥協しろという意味でもないし、譲れない部分については譲っちゃいけないでしょうけど、プラス思考で考えられる鈍感さというのはとても大切なことなんじゃないか、と。……や、そんなことを語ったリアルマイシスターもかなり敏感な方なのでめっちゃ苦労している様子ですが、そんなリアルマイシスターに過剰な神経質と言われた私はいったいどうすりゃいいんだ状態;。なにしろアニヲタジャンキーですのでどうにも神経質で(ぉ)。← 自分、絶対毒されてるよなー(苦笑)。

 というわけで、話が適当に発散したところで無理矢理締めくくってみるテスト(ぉぃ)。

 私は出生率の低下問題に関して、「子供を産むのが女性の幸せだ」なんてアホなことを言う気はさらさらないですが、男性の立場として正直な本音を言わせてもらえれば、子供を産むという選択肢を持てること自体がめちゃめちゃうらやましいです。や、これって分かる人にしか分からない感覚なのかもしれないんですが、私なんかは CLANNAD をプレイした直後に「女性ってずるい」とかいう感想を持ってしまった人なので(← こんな感想を持つのは世界広しといえど私ぐらいかもしれませんが;)、実際問題として、その選択肢の重要性というか価値を理解せずに一生を終えてしまう人がいたら、めちゃくちゃもったいないよなぁ、とは思います。

 もちろん、それを理解した上で「産まない」という選択肢を選択するのは本人の自由だし、そもそも生みたくても相手がいなくちゃ産めないし、それも含めたいろいろな理由で「産みたくても産めない」人は(男性以上に)本当に不幸だと思います。が、そうではない女性には、男性がどう足掻いても決して手に入れることのできない『選択権』を持っている、という点について、もっと真剣に考えて欲しいなあ、とは思います。

 や、ホントに羨ましいのですよ、実際問題として;。ま、それだけ切り出して論じられるものでないことは私も分かってますけどね;;。

# しかしなんか今日は疲れで頭が回ってないからまとまってないな;;。> エントリ
# や、時事ネタなのでさくっと書いてみたわけですが、もう少し練りこんだ方が良かったかも;。

2006/6/3 01:29 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
プレゼンテーションの極意

 先日、某所で行ったスピーチがかなり好評だった様子で、複数方面から「どうやったらああいうプレゼンができるのか」とか聞かれたり。や、確かにプレゼンって人による上手い下手がかなり出るところではあるんですが、ビジネスパーソンとしてプレゼンスキルの向上というのは確かにめちゃめちゃ重要。なにしろスピーチだけの話じゃなく、お客様の評価も上司からの評価もプレゼンスキルに左右される部分があるわけで、プレゼンスキルが高い人ってそれだけでかなり得をするんですよね。そんなこともあって、世の中にはプレゼンテーションの極意みたいな本も結構出てたりする(私も何冊か読んだことがある)んですが、どの本を読んでも、上手なプレゼンテーションを行う上で一番重要で大切なことが書かれてないんですよね。そんなわけで今日は私が考えるプレゼンテーションの極意を披露してみたり。

 えーと、上手で分かりやすいプレゼンテーションを行うためには場数を踏めとかロジックツリーを作れとかいろいろ言われますが、それはしょせんテクニックだと思うんですよね。ホントの秘訣はたったの一つだと私は思うんですよ。

 聞き手の立場に立って、どういうふうに感じるか、どういうふうに理解されるかを常に考えること。
 そしてこれを、資料作成時、実際の説明時などのすべてを通して行うこと。


 実はこれだけ。実際、他人のプレゼンテーションを聞いていると、「こうしたらもっと分かりやすくなるのに」とか「こういう話し方をした方が説得力あるのになぁ」とか思ったりすることは多々あるはず。ところが、いざ話す側の立場に立つと、とたんにそういった視点をすっかり忘れてしまうんですよね。私はプレゼンをしている最中はマルチスレッド処理をしていて、話をしながら次に話す内容を考えつつ、それを聞いた場合にどんなふうに感じるかを考えてます。なのでプレゼン最中は頭フル回転状態;。

 言葉の意味は、当の本人がどういう意図で言ったかではなく、相手がそれをどう受け取り、どう理解したかによって決まる……というのはものすごく当たり前のことなんですが、日常生活や仕事の場に戻ってみると、自分も含めてなかなかこれが難しい。もちろん人間だから、たいていは、話す側がどういう意図で言ったのかをある程度は汲み取ってくれるものですけど、話す側の意識としては、それに頼っちゃいけない。

 だから、説明することで手一杯にならずに、聞き手の立場に常に立って、どういうふうに理解されるのかを意識しながら話を進めると、もっといいプレゼンができるんじゃないかと思うんですよね。……や、もちろん言うは易し行うは難しの典型例ではありますけどね;。けれども、そういう訓練をするのがまずは最初なんじゃないかな、と思ったり。

 でも冷静に考えてみると、これって別にプレゼンに限った話じゃないかもしれないですけどね;。先日、とある同人誌を読んでたときに、まるでストーリーが分からなくて「????」となっちゃったんですが、よーく見てみるとキャラごとにセリフのフォントが変わってて、それが分かったとたんに「あーなるほど」状態。分かってしまえばなんてことはないのですが、多分、作り手の立場や語り手の立場にいると、そういう初見の読み手や聞き手の立場に立つのがものすごく難しくなるんですよね。確かに、作り手や語り手というのは、読み手や聞き手に比べて遥かに深いレベルで思考してモノを作り出しているんですが、それが逆に浅いレベルでの思考を妨げることがある、という点にも注意しなくちゃいけないんでしょう。

 私も仕事柄というか立場上、プレゼンしなくちゃいけないことは非常に多いんですが、大人数の前で話すのは面倒くさいのであんまり好きではなかったりします……こういう blog で気軽に毒電波を垂れ流すのは好きなんですがー(ぉ)。

2006/6/2 01:14 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
中途半端;

 今日は仕事帰りにでじくま氏と惑星のランデブー。……っつーかつい 5 日ほど前に名古屋でも逢ったような気がするのは気のせいですかそうですか;。いや、単に先日買い占めておいたピンクのサイリュームを引き渡してきただけなんですが、このピンクのサイリュームってなかなか在庫がないんですよねぇ。東急ハンズやロフトをこまめにチェキしてるんですが、意外に持ちも悪い(ぶつけて壊してしまうこともあれば発色が悪くなることもある)ので、見かけたときに買い占めておかないと、いざ必要なときに入手できなくなるワナ。週末の福岡遠征のために必要だというので引き渡してきたんですが、そもそもそれ以前に、手持ちのサイリュームがないという事態そのものがあり得ないのですが(笑)。> けろっちゃ氏

# ま、そんなわけで週末は福岡凱旋公演を楽しんできてください^^。> けろっちゃ氏 & でじくま氏

 さてさて、そんなわけで今日の本題。先日の書評 blog エントリ(年収 300 万円時代を生き抜く経済学)への Web 拍手でこんなツッコミが;。

> blog を拝見していると、まちばりさんって社会的にかなり勝ち組なんじゃないかと思えてくるのですが
> (そしてそれに納得し得るだけの説得力がこの blog から感じられるのですが)
> 素朴な質問として、まちばりさんって何歳なのでしょうか?
> 具体的な年齢は流石に聞けませんが、とりあえず30歳を超えられているのかが気になる次第であります。;

 あ゛ーう゛ー;。とりあえず、いわゆる男性版の負け犬であることは間違いないのですが;。
 でも世の中一般の負け犬はもっとちゃんとしてるよな……なので実のところはただのタチの悪いヲタ;。

# 一応捕捉しておくと、負け犬 = "30代以上・未婚・子ナシ" の女性を指す言葉。
# 酒井順子さんの『負け犬の遠吠え』という本で有名になった言葉ですね。
# これ、ぶっちゃけ男性にも全く同じ論理が当てはまるんですが、これはまた別のエントリで。

 でもって、私が勝ち組なのかという話について。一般に勝ち組というのは年収を基準にして切り分けられてますが、私はそれって正しくないと思うんですよ。つまり、勝ち組って収入だけでは測れない、と私は思ってるんですよね。私は収入に加えて、さらに以下のような属性を持っていることが「勝ち組」であることの条件だと思ってます。

・自分だけが働くのではなく、プロデューサやマネージャとして他人に動いてもらうことによって所得を生み出せる人。
・モノを消費するのではなく、(二次加工物ではなく一次創作物を)生み出すことのできる資質を持つ人。

 少し捕捉すると、まず、自分ひとりの腕一本で稼ぐ職人気質を持つ限り、いわゆる勝ち組になることは難しい。実際、例えば赤松 健のような売れっ子漫画家しかり、都築氏のようなクリエイターしかり、こういう人たちって、実は超一流の職人であるだけでなく、同時にプロデューサやマネージャとしての資質を持っている。まずそういう資質が必要。

 そしてもう一つは、消費タイプ(ヲタクタイプ)ではなく創造タイプ(クリエイタータイプ)であること。例えば私は生粋のアニヲタですが、アニヲタであること=消費者として常に「お金を吸われる側」の立場にいることになるんですよね。つまり、消費することではなく、生産すること、創造してモノを作り出すことができるという資質が必要。(これは広義には会社を起こすといった資質も含まれますね)

 で、私にはそのどちらの属性もないんですよ;。
 だから、長期的には沈んでいくであろうことが見えている。というわけで、勝ち組ではない;。

 ……えーと、今どき流に言うとプチ勝ち組?(違) まあ要するに、当面の年収が多少高いだけで安定はしてない。だから、いわゆる世の中一般に言われるような勝ち組ではない……というのが正直ベースのホントの話、です。

 余談ですが、私にとっての問題(ジレンマ)は、周囲の人はそうは見てくれない & 思ってくれない、という点なんですよねぇ。もう時効だと思うので書いちゃいますけど、会社で私の行く末を案じてくれる年上の人たちが、私のことを見かねて;たまに女性を紹介してくれることがあるんですよね。で、数年前に何人か実際に逢ってみたこともあるのですが、ぶっちゃけトークで言えばもう勘弁してください状態だったんですよ。や、あなたの好きなのは私の肩書きとお金なのね、という;。

 まあでも分からなくもないのです、それも。かつてリアルマイシスターにさらりと「お兄ちゃんから仕事取ったら何にも残んないじゃん」と言われましたが(← 言われた当人も納得してしまって何も言い返せないワナ;)、そういうパターンってお金の切れ目が縁の切れ目なわけで。そりゃまあ私なんかに興味を持ってくれる人なんてそうなんだろうなぁと自分も納得してしまうわけで、それ以来 会社関係で紹介されても一切お断りさせていただいていたり。や、気遣ってもらえるのはものすごく嬉しいんですけどね;。

# というか、パートナーにお金を求めるのなら、まずは親が財産を持ってる人を探すべきだろと思ったり。
# や、今だとどっちかといえばその方が確実性が高いんじゃないかと思うんですけどねぇ……。

 一般に、勝ち組/負け組って仕事の出来不出来で切り分けられてますけど、でも本来、仕事なんてしょせんは RPG (ロールプレイングゲーム)にすぎない。仕事でもらった賞なんて、ゲームの全国大会で優勝したのと同じ価値しかない。っつーか、そんなものは自分のプライドにはならないと思うのですよ。むしろ自分にとっては、CLANNAD のネタバレゲームインプレみたいなものを書くことが出来た(ただし未完成(ぉ))、みたいなことの方がよっぽど誇りに思えるわけです……が、概してこういう考え方をすること自体が勝ち組ではないことの証左(と同時に負け犬であることの証左;)だと思うんですよ。

 結局のところ、私のようなプチ勝ち組のタイプ(= 当面の一時的な給与が良いものの、基本的には「使われる者」の側にいて、将来性がない中途半端なタイプ)に最も必要なものは、目先の数字に惑わされて気が緩んでしまないようにすること(= 将来的に稼ぎ続けられるとは思わないようにする)じゃないかと思ったり。や、もらえるものはきちんともらうことは当然ですが(そんなところで遠慮しても仕方がないので;)、それを自分の長期的な実力と勘違いしないようにすることが重要じゃないかと思ったりします。こと、近い将来にも Web 2.0 モデルへの移行に伴う余波も考えられるし(これについてはまた別エントリで)、今の時代はプチ勝ち組であることは何の保証にもならないと思う今日この頃。

 中途半端なエセ勝ち組は慎ましく生きていくのが一番です……というかそれ以外の選択肢など最初から存在しないと思ったり;。まあ、私の場合はわがままに好きなこと好き勝手やってるんですから、そもそも贅沢なんか言っちゃいけないとも思うんですけどね^^。

2006/5/25 00:26 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (1) | このエントリへ拍手
モノの良し悪しと売り上げの関係

 先日、ハレ晴レダンスがオリコン daily ranking で 2 位になるという快挙を遂げたわけですが、それに併せて長門有希役の茅原実里さんの blog が荒らされてた様子。や、趣旨はどんな感じかというと、要するにオリコン 2 位という快挙を成し遂げたのは全部 2ch とか VIP 板によるブームというか特需のおかげだから感謝しろ、とかいう荒らし。

 なんかこれ読んだときに「??」と違和感を覚えてしまったんですよね。え゛? そんなの当たり前では?? みたいな。が、考えてみたらそれは作り手に対する消費者側の根深い誤解によるものなんだろうな、ということを思ったり。

 まあ荒らし書き込みを真面目に取り上げて議論しても仕方ないんですが、要するにこの非難の根底にあるのは、「この CD が売れたのは中身が良かったからだなんて思い上がるなよ」っていうもの。けれども、モノ作りに携わっている人であれば、そんなことは普通言われるまでもなく常識として分かってることだと思うんですよ。つまり、売り上げが良かったからといって、自分の作ったものがモノとして良かったからたくさん売れたんだ、なんて思ってる作り手なんて、厨房じゃあるまいし普通はそうそういないでしょ、と。

 実際、何らかのモノ作り(特に一般消費者向け)に携わったことがある方ならすぐに実感することだと思いますが、あるモノがどれだけ売れるのか、って、ものすごくいろんな要素が絡み合うんですよね。もちろん製品やサービスが良い方が売れやすいのは確かですが、製品やサービスが良いからといって必ずしも売れるとは限らないのが今の世の中。マーケティングしかり、プロモーティングしかり、あるいは時代の流れやタイミングしかり、いろんな要素が混ざり合った結果として初めて売り上げが決まってくる。確かに作品そのものは作った人だけのモノかもしれませんが、売り上げ枚数といったものは、それに関わった『みんな』のものだと思うんですよ。それは、いわゆる企画やプロモーションを行った『作り手』だけじゃなくて、周囲に購入を勧めたりするクチコミしてくれた消費者なども含めての『みんなのもの』じゃないかと思うんですよ。

 そもそもハレ晴レダンスのようなバイラルマーケティング(クチコミベースで良さが伝わり、たくさんモノが売れていくというもの)って、『消費者の立場でありながら作り手側と同じ立場に立てる』面白さがあるからこそ成功するわけだし、あるいはコンサートやライブなどでの『一体感』もまた、同様なところにポイントがあると思うんですよね。だから、今回のハレ晴レダンスの場合は、(実際に何位になるかは不明ですが^^)ブームの仕掛け人たちをもひっくるめて万歳、とかしても全然良いという類のものだし、それぐらいのことは作り手だって分かってると思うけどなぁ……と。実際問題、思い上がってるようなクリエイターって、なんにもしなくても自ずと淘汰されるんじゃないかと思ったり。

 加えてモノを書いたことのある人間として素直な感想を言うと、実際に自分の書いた本を他の人に薦めてくれる人がいるっていうのは、めっちゃ嬉しいことなんですよね。だってそれって、モノ自体が良かったということのなによりの証拠じゃないですか。売り上げなんていくら良くても、ホントに自分の書いたものが良かったものなのかどうかなんて分からない。けれどもそういう「周りに薦めてくれる人がいる」というのはなにより自分の作ったモノが良かった証そのものだし、そういう人がいてくれるのはなにより嬉しい話じゃないですか?? ……とか思ったりするのは私だけですかね?^^

 ちなみにハレ晴レダンスは結局 weekly では 5 位だったとか。や、なかなか素晴らしい成績じゃないですかww。

2006/5/19 01:08 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:年収 300 万円時代を生き抜く経済学

 というわけで今日はこんな本の書評を書いてみたり。



 いや私も今でこそ給料はかなりもらってますが、正直なところ将来に渡って今の給与水準が続くとは全く思えない上に医者なんかと違って安定してるわけでもなし、10 年後とか 20 年後とかにいったいどうなっているのかと考えるとめっちゃ不安になるんですよね。や、もちろん今でも赤字になるわけでは全くないのですが、一人暮らしって何もしてなくても生活費が固定的にぼろぼろ出ていくわけで(← 当たり前;)、やっぱり生活するのは何かと物入りだなぁと思う今日この頃。半年ぐらいで引越し出費前の貯蓄水準まで巻き戻せたものの、「このペースの貯蓄で将来的に果たしていいのか?」とか考え出すとキリがない;。結局のところ、一番大切なのは『身の丈にあった生活をする』(=支出が膨らまない生活をする)ことなのは間違いないわけで、その辺で何かヒントが得られるかな? と思って本屋で手に取ってみた本だったり。

 この本、書いてあることはものすごく明瞭。まず、世界全体を見たときの平均世帯年収は 300〜400 万円。つまり、今の日本人の給与水準は高すぎる。小泉内閣がやったことはアメリカ型社会への構造転換だから、おそらく今後の日本の給与水準は以下の 3 つに階層化する(しかも各層は固定化して階層間の移動はますます難しくなる)、というんですね。

 @ 1 億円以上稼ぐような一部の大金持ち
 A 年収 300 万円前後の世界標準の所得層
 B 100 万円台のフリーター層

 で、さすがにBだと生活できないからAになろうよ、と言ってるわけですが、この中で@の人たちしか幸せになれないのかというとそんなことはなくて、実際、ヨーロッパなどではAの人たちが悠々自適に幸せに生きているし、江戸時代などを振り返れば多くの人たちは幸せだった。にもかかわらず、今の時代になぜAの人たちが幸せになれないのかというと、一つは身の丈にあった生活をしていないこと、そしてもう一つが、人生で楽しめる「自分にとっての何か」を見つけていないことだ、っていうんですよね。

 特に前者の指摘は非常に興味深くて、日本は物価が高いから、給与が高くても豊かさはないんだという言論に対して、それは違う、とはっきり書いている点。日本の物価が高いのは、たいていの場合は高いモノを消費しているから(=ぜいたく品を当たり前のように享受しているから)だ、というんですよ。日本であっても、中国製の衣服を着て、アジアの野菜とオーストラリアの牛肉を食べてれば生活費なんてそれほどかからない。世の中にある「モノ」には大きな価格差があるけれど、安い方を買っても価格差ほどの品質差はない、というんですね。(グローバル化というのは全世界で同一のものが同一コストで入手できるようになることだ、という指摘は目から鱗。なるほど。)

 ではなぜこれが出来ないのかというと、それは要するに生活に対するつまらないプライド(見栄)があるから。それを気にしなくなるために最も良い方法はなにかというと、自分が本当に楽しめる(打ち込める)何かを作ることだ、というんですね。実際、何かを目指して頑張ってる人は、毎日カップラーメンでも文句なんか言わないじゃないか、と。そういうものがない人は、つまらないところで張り合って、それが無意味なプライドになっちゃうんだ、と。

 いやー、これ、すごいよく分かる感覚ですね。だってこれ、アニヲタグッズを買うために食費や生活費を切り詰めるという感覚そのものじゃないですか(爆)。豪勢な家に住む、カッコいい車に乗る、おしゃれな服を着る、おいしいものを食べる。これらは多くの人にとっては当たり前の欲だと思うんですが、こういうのってエスカレートしだすと本気でキリがない。あんまり切り詰めすぎるのもまた問題でしょうが、どっかで妥協しないといくらでも欲が膨らんでしまい、そして一度欲が膨らんでしまうと、それを戻すのがとてつもなく難しくなる。収入が増えたのに合わせて支出を増やすことって、非常に危険なことなんですよね。(概してそういうことをやってしまう人は多いですが;。) だから、生活水準を上げすぎないようにする(身の丈にあったものにする、場合によっては下げる)ことがものすごく重要だ、というんですよ。

 や、この blog を見てれば明らかなように私は結構な浪費家ですが、そうはいってもヲタクって実にお金がかからない趣味でもあるんですよね;。いやもちろんヲタクだって DVD とかを買い漁ればそれなりにお金かかるんでしょうけど、でも、車、ゴルフ、習い事、アウトドア、インテリアなどの一般的なハイソな大人の趣味に比べたら圧倒的に低コスト。だって日帰りスキーに一回行くお金で、コミックスなら数十冊は軽く買えてしまう。たまに会社の同僚とかに、数十万円のソファーを買ったとかいう話を聞きますが、正直言って絶対額の高さに本気でぎょっとしてしまうんですよ。だってそんなの 5000 円のチーデークッションでいいじゃん、みたいな(違)。でもおそらく一般の人は、そんな安っぽい生活には耐えられないんじゃないか、ヲタでもない限りそういう生活には苦痛を覚えるんじゃないか、とも思うんですよね。

 ……と、そんなことを思って読んでたら、ちょっとマテ、この人も十分なヲタじゃないか、と;。や、実はこの著者の人、ミニカーや食玩のコレクターらしくて、こんなことを書いてるんですよ。

 もちろん、集めているのは B 級品ばかりだから、コレクター仲間にまず金持ちはいない。
 そして、私が「友情」を感じるのは、そうした人たちなのである。


 思わず苦笑。実はこの著者の人ってかなりのお金持ちで、年収だけ見たらとんでもない勝ち組高給取りの一人なんですが、にもかかわらず生活費が全くかさまないのは要するにヲタだからじゃないのか、と;。いやー……なんかこれ読んで妙に安心しちゃったり。ヲタはどこまで行ってもヲタなのだ、みたいな(ぉ)。(← すいません、めっちゃ失礼な発言ではありますが^^。でもこの人が言うように、いわゆる勝ち組お金持ちの人との会話が噛み合わない、というのはものすごくよく分かる感覚;。)

 確かにお金って天下のまわりもので、「ないと困るもの」で「いくらあっても困らないもの」の類ではある。けれども仮にお金があったとしても、生き方と合わせて考えないと、ホントに無用の長物になっちゃうものだよなぁ、とは思います。行き着くところ、生き方の話そのものと言えばそのとおりですけど、身の丈に合った生活、っていうのはものすごく重要なこと。正直、今は身の丈以上だと思ってるだけに、生活感覚が緩まないようにしなくちゃなぁ、と再実感させてくれる一冊ですね。

 しかしその昔、一生を終えるにはどのぐらいのコストが必要になるのか(=どれぐらいの貯蓄が必要になるのか)と計算してみようかと思ったんですが、結局ライフプランがないとまるで算出できないことに気付いて諦めたんですよね。普段の日常生活では、

 @ 無駄な出費は避ける(=積みゲーは避ける)
 A 大きな支出は避ける(=セレブな趣味は持たない)
 B 勉強のための支出は惜しまない(=自分への投資は別枠扱い)
 C 出費はランニングコストベースで考える(=単価が安くても利用頻度が低いものは割高とみなす)

 あたりには注意してるんですが、じゃあそういう生活で貯蓄は十分なのか? というところになるとさっぱり見当がつかない、というのが正直なところ。まあ幸い実家がごく普通の家だったのでセレブな趣味は一切ないし(やりたいとも思わない;)、一人身ならどうにでも収支は合わせられるんじゃないか? と思ったりもしますが、でも実際問題としてせめて路頭には迷わずに済ませたいものです;。

# お金の計算が苦手な人って、どこまで行っても苦手なのかもしれない、と思う今日この頃;。

2006/5/17 01:49 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
行き過ぎた管理主義

 や、今日は溜まった本をぼちぼち消化してたら、ちょっと昔の日経ビジネスで、行き過ぎた社内管理の話が載ってて非常に面白かったり。どんな話かというと、最近、日本版 SOX 法やら個人情報保護法やらで、とにかく企業内の管理体制の強化が問われるようになってきたんですけど、さすがにこれはやりすぎだろみたいなものが横行してる、という話。

・会社内への USB メモリの持込禁止(機密情報の持ち出し禁止のため)
・私物 PC の利用禁止(Winny などによる情報漏えい防止のため)
・会社のメールの検閲(機密情報の漏洩防止のため)

 まあこの辺はよく分かるわけですが、

・トイレに離席する前には必ず机の上を整頓
・空港よろしく金属探知ゲートを通ってから会社のフロア入り
・施錠できるケースにノート PC を入れて、それを施錠できるロッカーに収納

 いやそこまでするのか状態なわけですが、さらに行き過ぎるとこんなのまであるらしい。

・(本人の不注意で)ある社員が転倒骨折したら、正しい歩き方に関する指導があった

 さすがにこれはネタじゃないかと思ったんですが、昨今の過剰な管理主義を鑑みるとあながちネタとも言い切れないところが怖い。いや事実だったらどこの笑い話ですかと言いたくなるような話ですが、ここまで行かなくても名刺などの個人情報の取り扱いについては多少うるさいルールがどこの会社にでもあるでしょう。

 なぜこうも管理主義がエスカレートしてしまうのか? 日経ビジネスでは、それはルール作りが目的化してしまうからだ、と説明していましたが、この説明だけだとちょっと粗っぽくて、もう少し突っ込んで考える必要があるんじゃないかと思うんですよね。

 ちょっと話が逸れますが、その昔、吉野家の社長さんがアメリカ産牛肉の輸入に関して、こんな名言を言ってた記憶があります。

 「安全と安心は違う」

 (とりあえず例えの良し悪しは横に置いておきますが)アメリカの牛肉だって、大半は大丈夫なんですよ。問題なのは、だからといって全部が全部大丈夫なわけではない、ということ。食品を食べる以上ある程度のリスクはつきものですが、そのリスクと検査コストのトレードオフによって、『このぐらいの確率で大丈夫』という妥当な落としどころを決め、それをもって安全とするんですよね。本来、安全というのはなにもかも全部が大丈夫、という意味ではなくて、ある一定の確率以下にリスクが押さえ込まれている状態のことを言うんですよね。

 これに対して消費者が感じる「安心」というのは心理的なものだから、(それが天文学的な低確率であったとしても)大丈夫じゃないものがひとつでもあると簡単に損なわれてしまう。けれども、それはコストに見合わない過剰品質である、ということも忘れちゃいけないんですよ。食べ物を食べる以上リスクはあるわけで、取り立てて狂牛病だけバカみたいに騒ぎ立てるのは、心理的には分かるけれども理論的には正しくないんですよね。

 で、振り返って考えてみると、組織においてトラブルがない、ミスがないというのは、実はめちゃめちゃリスキーな状態なはずなんですよ。なぜって、そんなことあり得ないから。ルールを増やしたところで現場の人間がそんなものを全部覚えていられるはずもない。実際、ルールはたくさんあるけれども現場では USB メモリは持ち込み放題、個人情報も逃げ道ばっかりで、実態として全然ルールが守られてない、なんてことはよくある話。実際には、ミスゼロ = ミスがあっても隠蔽されている状態、と考えるのが適切なんですよね。

 本来、人間はミスを犯すものだし、大人数の企業であればどうしても「ろくでもない輩」が紛れ込んでしまうもの。そうした回避が難しいミスや、ごく一部の人たちがしでかすトラブルを、ルールや規則によって 100 % 回避することは原理的にできないんですよ。にもかかわらずそれをゼロに押さえ込もうとすると、非現実的なルールが大量に積み上げられてしまうことになる。さらに悪いことに、こういう状況になると現場の人間も罰則を恐れてミスを隠蔽しようとしてしまう。

 思うに、こういうときに現場で運用できないようなルールを作った人が罰せられないことが結構大問題じゃないかと思うんですよね。実際にこうしたルールがあったにもかかわらず情報漏えいが起きた、というときに罰せられるのは、おそらくルールを作った人ではない。ルールを作った人は、「こういうルールがあったにもかかわらず、守らなかったヤツが悪い」と言う。でもそもそも現場が守れないようなルールを作ったのが悪いんじゃないか? というツッコミは、本来当然あってしかるべきなんじゃないか、と。

 こうしたことを鑑みれば、本来はこういうアプローチが正しいはず。

・最小限のルールで最大の効果を上げるようなピンポイントのルールを作る。
・仮にミスが発覚しても、それがある一定以下(管理しきい値以下)の場合には評価上不問とする。


 本来、こういうのはリスクとコストのトレードオフで、想定されるリスクによる損害の大きさに応じてかけられるコストなども変わってくる。けれどもいずれにせよ科学的(統計的)なアプローチは必須……なのですが、意外にこうした取り組みは工場の生産現場などにおける品質管理に比べるとかなり遅れている、という印象があります。もちろんそんなに話が単純でないことは私も百も承知しているのですが、少しでもそういう方向に近づけていかないと、現場が疲弊するだけなんじゃないかなぁと思う今日この頃。……や、うちの会社も最近うるさくて面倒になりつつ^^。

2006/5/13 00:02 | 4.雑学&雑感 | コメント (5) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
blog の読者と blog の個性

 な゛ー、GW 中の不摂生がたたって毎晩寝つきが悪いワナ;。とっとと昼夜反転の時差ボケ生活をなんとかせねばと思うわけですが;、なかなかさくっとは戻りませんねぇ。うむむ。そんなわけで今日は軽めの話題を一つ。

 ちょっと昔の話ですが、巡回先の のりさんの日記で面白いエントリがあったので軽くツッコミ入れてみるテスト。や、細かいとこは読んでみていただきたいわけですが、ひと言で言えば、blog で自分のことさらすなんて考えられないよ、とかいうお話。

 考えてみるまでもなく、私の場合は毒電波垂れ流しな blog をだらだらと書いてるわけですが、かといって、別に自分のことを不特定多数に晒してるという気はあんまりないんですよね。多分その理由は 2 つあって、

・書けることと書けないことは、それなりに自分の中で線引きしてる。
・この blog を読んで不快感を覚えたりするような相性の合わない人は、多分この blog を読んでない。

ということなんじゃないかな、と。

 私はネットの世界って、パソコン通信の時代からインターネットの時代に移行した頃から、徐々に意味が変わってきたと思うんですよ。その昔、夏のこたつさんと話してるときに、いったいどんな人が私の blog を読んでると思うか? という私の質問に対して、「オフラインの友人や知人、またはファンか信者^^」とか即答されたことがあるんですが、表現の良し悪しはともかくとして;、多分これ、今のネットの姿の本質を突いてるんじゃないか、と思うんですよね。

 パソコン通信の時代は、良くも悪くも nifty-serve とか pc-van とかの『限られた空間』に、老若男女様々な人が集まってくるモデルだった。だから、年齢詐称やネカマなんてのは当たり前だし、荒らしが来るのも当たり前。だって、そこ以外に行くところがないんですから。ところが、パソコンが使いやすくなってインターネットの時代になると大量の人が流れ込んでくるようになると、別にイヤな人たちとは顔を合わせる必要がなくなる。つまり、興味のないものとかイヤなものはそもそも読まなくてもいいような状態になっちゃったんじゃないか、と思うんですよ。

# そういえば nifty-serve も終了しちゃいましたねぇ……。しみじみ。

 実際、みなさん自身もどんな blog を読んでるのか? となると、声優とか芸能人とかの有名人を除けば、おそらくは自分の嗜好や感性に合ってるとか、個人的な知り合い or 友人 or 兄妹だとか、面白いエントリが多いとか、そういうところを中心に選んでるんじゃないか? と。というかなにより実際問題として、自分がそういう blog しか読んでない;。そうすると、多分、この blog の読者層のメインは、私と似たようなひきこもりヲタか Imaginary Children 感性の人たち、となるんじゃないか(ぉぃ)と思うんですよね。おそらくパソコン通信の時代だったら、うちの blog って荒らしに徹底的に叩き潰されてる;と思うんですが、それが起こらないのは、おそらく上述のような理由なんじゃないかなぁと思います。要するに、こんなちまっこい blog を叩いてもめんどいだけ、と;。(← や、だからって荒らさないでくださいね、お願いですから;)

 まあ、個人の心境とか日常生活とかをどこまで書くのか or 書けるのかはどちらかというと個人の性格の問題でしょうけれども、ネットや blog がこれだけ一般化してくると、少なくとも書き手の個性なり感性なりが出てない blog が面白くないのは確かだと思ったり。そういう意味では、のりさんの日記は十二分すぎるほどに個性的だと思えたりするわけですが、のりさんのように、自分をネタにせずにサイトの個性を出せるってのは凄いことだと思います。っていうか、本来は私の blog みたいに自虐ネタとか生活とかをネタにするのは最後の手段なんですよ、きっと^^。

 ……と思ってたら、先日遊びに来た大学時代の友人からの Web 拍手コメント。

> ○○です.充実していますね.もっとも,私には..

 や、ヲタじゃなきゃ絶対に無理です、うちの blog は;。← ちなみにこの友人はカタギです。っていうか無理して読まなくても;;。

# で、それはともかく、のりさん、生きてますか〜? ちょっと心配になった;。
# blog とか日記とかって、止まると心配になりますよねぇ。
# や、私も何回か blog 止めちゃったことがありますが、やっぱり心配されましたし;;。

2006/5/10 01:11 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
目は口ほどにモノを言う?

 (注)ここは本屋じゃありません;。



 や、私の場合、ベッドの横に未読の積み本がまとめて置いてあるのですが、読み終わるとベルトコンベア方式で別の場所に積み上げていくんですよね;。で、適度に溜まった段階でダンボール箱とかに詰め込んで保存。……我ながらダメすぎる;。ちなみに未読本は現在 20 冊ぐらい……ええっと、頑張りたいと思います;。

 さてそれはともかく先日の資格試験のエントリへのツッコミに関連して、Web 拍手でこんなコメントが。

> 「今現在のその人の価値ってのはそもそも過去無くしてはありえないのでは?」

 いやいや、そういうことを言いたいのではなくて;。過去の事実(経歴とか学歴とか職歴とか資格とか)だけから現在のその人(個人)を推測して評価・判断するのは間違いだ、というお話なんですよ。

 もうちょっと正確に書くと、こういうことです。

 こたつさんが書かれている場合が一つの典型例ですが、経歴や資格は、統計的には概ね当たっていることが多いものです。例えば、医学部生は頭がいい。それはだいたい当たってます。けれども、だからといって全員頭がいいわけじゃない。『7 割ぐらいの確率で当たっていればよい場合』には過去の経歴を使ってもそんなに外れた判断にはならないのですが、『100 %確実な保証が欲しい』場合には、せいぜい最初のフィルタリングぐらいにしか使えない、というのが経歴や資格だと思うんですよね。そして同時に、フィルタリングを先にかけてしまうと、「すぐそばにあるホントの宝石」を見落としてしまう危険性があると思うんですよ。

 むろん、こたつさんの書かれているような「迅速な判断が求められるビジネスの世界」であるとか、「大量採用が求められる就職活動」などにおいては、効率性や迅速性の観点からある程度の歪さを受け容れた上で経歴や資格をまず重視、とせざるを得ない場合も多い。けれども、それはあくまで歪な判断方法である、ということを理解した上で行われるべきじゃないかと思うんですよね。

# や、なんでこんなことを思うのかというと、そういう実例が実際に身の周りにごろごろあるから。
# 例えばリアルマイシスターは経歴も資格も高くないんですが、ガチバトルしたら確実に負けます;。> 自分

 じゃあ、経歴や資格でフィルタリングをかけないとすると、何を元に他人を判断すればよいのか?

 私の場合、まず真っ先に見るのは、その人の普段の『目つき』だったりします。不思議なんですが、魂が宿っているような目つきをしている人はたいてい実直で、仕事でも成果をきちんと出してる人だし、穏やかな目つきをしている人は、優しい心の持ち主であることがほとんどなんですよ。逆に、デレのないツン(笑)の人とかは本気で目つきが悪い。というか、いつでもイライラしているような目つきをしてるんですよね。や、要するに心が穏やかじゃない、ってことなんですが、自分の場合はこういうタイプの人とは経歴の良し悪しを抜きにして、すぐに距離を置いてしまったりします;。

 男性でも女性でも、ファッションやメイクを変えれば雰囲気はがらっと変わるものですが(いわゆる「人は見た目が9割」の法則^^)、目つきだけは結構ごまかしが効かないんじゃないかと思う今日この頃。もちろん、笑顔のときは誰でも表情が緩むので、そうではない普段の顔つきを見るのが一つのポイントになりますが、『目は口ほどにモノを言う』の例えの通り、目つきってホントにその人のありのままが出てしまうんじゃないかなぁという気がします。

 ……にしても、デレのないツンツンタイプはホントに苦手です、私;。先日でじくま氏とそんな話をしたのですが、女性のこのタイプの人って結構タチが悪いような気がしたり。こういうタイプの人って事務系の女性社員の人に多いように思うんですが、なんで他人をそんなに簡単に怒ったり見下せたりできるんだろうみたいな発言をぽんぽんするので、話してるとホントにイヤ〜な気分にさせられることが多いんですよねぇ;。私が気にしすぎなんでしょうけれども。

2006/4/30 02:05 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
企画と下請けと飼い殺し

 最近はゆるゆるなエントリばっかり書いてるので、たまには少しは真面目なエントリもだらだらと書いてみたり。

 割と大きな会社だとある程度軽い作業は外注とか下請けとかに出してるケースが多いと思うんですが、「下請け」って言葉は上下関係を強く意識させるのでよくないってことから、「協力会社」って言葉が使われたりすることが結構あります。が、言葉ばかりで実態は協力なんかしてない、なんてのはよくある話。

 どこの業界でもある程度分業化が進むと、企画作業と実際の製作作業を分けることは当然のように行われるんでしょうが、そうなってくると世の中には必ず勘違いする人が出てくるんですよね。「企画こそが神である」、と;。まあ確かにいい企画を作れる人はみんなを救えるので神だけど、ろくでもない企画しか作れない香具師ほどタチの悪いものはないんですよね。

 最近、仕事関係で不幸にもそういう人に当たってしまったんですが、こういう人によくありがちなのが、協力会社さんとの付き合い方を何か勘違いしちゃってるケース。発注者の論理を全力で振りかざして、こちらの状況を全く鑑みない。ま、もちろん仕事の理屈としては正しいんですが、このやり方だと、支払い金額以上のものを引き出せないんですよね。良くも悪くも人間って感情の生き物なので、褒めるところは褒めて、締めるところは締める、というふうにメリハリつけないと、「この人のためならちょっと頑張ってもいいかも?」とかいう気分になれない。で、結果的には発注する当人が損をする;。

 どんなことでもそうですが、(相手を育てることも含めて)相手の実力以上のものを引き出すことって、ものすごく重要なことなんですよね。そういう win-win な関係になるためには、相手を「リソース(資源)」とみなさず、(たとえ契約上の上下関係があっても)対等な関係として相手を尊重する「姿勢」が大切になる。そしてそれは、なによりお互いがハッピーになるための近道でもあるんですよね。私は幸いにしてクジ運がいいのかホントにいいお客さんに恵まれてるのですが(例えばうまくいけばちゃんと褒めてくれたり、場合によってはやんわりと諭してくれるとか)、こういうお客さんだとちょっと色をつけて頑張りたくなる。逆に、「お金さえ払えば動いてもらえるんだろ?」みたいな態度で接してくる人に対しては全力で仕事を断りに行くこともあります。(← や、ホントはビジネスとしてはいけないんですけど、めっちゃわがままな人なので^^。)

 もっとも、褒められすぎるっていうのも怖いんですよね。特に「腕一本」タイプの仕事(=その人自体に価値があるタイプの仕事)の人の場合には、いわゆる「飼い殺し」になる怖さがある。例えば声優さんを例に取ると、ほとんどの声優さんって、たいていは他の誰かでも代替が効いてしまうんですよ。今は一線級の声優であっても、次の若手世代に似たような声質の声優さんが出てくればそちらが登用されてしまうという恐ろしさ。井上喜久子さんみたいに「誰も真似できない独自の世界」を作り上げるとか、大山のぶよさんみたく「この声はこの人以外あり得ない」とか、金田さんとか能登さんみたく「この声質はこの人以外にはあり得ない;」とかにならない限り、常に飼い殺しにされるリスクをはらんでるんですよね。

 でも飼い殺しにされかねない人たちであっても、おそらく仕事がうまく回ってるときはめちゃめちゃ居心地いいんじゃないかと思うんですよ。例えば私の両親の知り合いに都内の某所で料亭やってる人がいるんですが、不況の煽りで会社員の接待は少なくなったのに、若い作家さんとか役者さんの接待が結構あるという話を聞いて衝撃を受けたり。若いうちにこういうのを経験してしまうと世界観が狂っちゃうんで、普段からよっぽど自制心を持ってないとかなり危険なんじゃないかと思うんですよね;。

 結局のところ、互いの良いところはフラットに尊重して認めつつ、自分に対しては常に自制心を持つこと、っていうことなんでしょうけれども、これってなかなか難しいものなんですよね。いやはや、私もなまじ今の会社は気楽で居心地いいだけに、飼い殺されないようにしないとですよ;。

# うーん、しかしまとまりのないエントリだな、オチもないし;。

2006/4/22 02:27 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
う゛わっ。

 しまった目が覚めて酔いも冷めると微妙に恥ずかしいエントリに;。> 昨晩のエントリ

 でもこういうのもまた一興というか、恥ずかしいエントリは今に始まったことではないし、とっととたくさんエントリを上げて後ろに流してしまうことにしよう……。(← 考え方間違ってます;)

 ついでながら霜月さんのコメントへ。マジレスすべきなのか かな〜り迷うとこなのですが、マジレスしてみると。

> まちばりさんが思い描く「優しい」ってどんなのですか?

 究極的に一言で言えば、『相手にとって一番良いことのために自分を捨てられる』こと。
 例えて言うなら、ぴたテンの美紗。私の大好きなセリフなんですが、

「天使は見返りを求めず人間の幸せを望み……
 そして幸せの方向にほんのちょっとだけ背中を押してあげるのがお仕事っス。」

 や、さらっと書いてはみましたが、実際にはとんでもなく重たいことですけどね;。
 自分にはとてもできないっス;。

2006/3/26 11:56 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
なりたい自分となれない自分

 今日は大学時代の友人と久しぶりの飲み。や、ついさっきまで 5 時間ぐらい飲んでて思いっきり酔っ払っててかなり回ってるんですが(← とっとと寝ろ;)、毒電波の垂れ流しで勢いに任せてつらつらと書いてみたり。

 さすがにそれなりの年齢になってくると話題もそれなりに枯れたものになってくるわけですが、お互いに自分の内面的なねじれ構造をきちんと認識できているあたりには思わず苦笑してしまったり。や、端的に言えば、なりたい自分となれない自分に構造的なギャップがあるとか、そういう話。

 例えば、人生をどんなふうに過ごして、どんなふうになりたいのか? 私の場合は数年前にようやく明確な言葉にすることができたんですが、

・人生の目標:いつでも笑って生きていたい。
・自分の理想像:優しい人とか、思いやりのある人と言われるような人になりたい。
 (↑ や、笑ってくれてやってもいいですが;。自分でも苦笑しちゃうので;。)

 けれども、それとはかけ離れたところにいる今の自分。リアル社会で「凄い人」と言われることはあっても、気遣いができる人とか言われることは絶対にないと自分で確信を持って言えるし、自分が今進んでいる方向性が、上の方向性に合致しているとも到底思えない。要するに、自分が進んでる方向は、晴子の手の鳴る方向とは全然違っている。

 染み付いた考え方や慣れ親しんだ生き方を、微修正していくことはできても、抜本修正することは難しい。

 自分のどっかに根本的な勘違いがあるんだろうなぁとは漠然と思うし、周囲から見れば、どこが間違ってるのかなんて一目瞭然なのかもしれない。けれども、それが分かったところでなかなかそんなに簡単に変えられるものでもないし、おそらく、多くの人はそれを克服できるほど強くもないんじゃないかと思ったり。や、そんなの甘えだよと言われればその通りなんですが、そのことに気付かないほど鈍感なフリをすることもできない人の場合には、結局、自己矛盾を抱え込んで強く生きていくしか生きる術がないのかもしれません。

 なりたい自分と、なれない自分。ま、泣き言言っても仕方ないし、直せるところは直していけばいい。間違いだと分かったところは正しくしていけばいい。その積み重ねで正解に辿り着けるとは限らないけれど、そうやってちょっとずつ進んでいくしかないんだろうな、と思う今日この頃。

 なんかアホなこと書いてる気もするけど、まあ酔っ払いの愚痴ってことで、たまには許してくださいな;。
 ……酔いが醒めたときに思いっきり削除したくなってる可能性も大ですが;、えいやっと書いてみたり。

2006/3/26 01:57 | 4.雑学&雑感 | コメント (5) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
人が信用と信頼を失う時

 私はどちらかというとどこかの特定のお客さんに付くのではなく、割と後方支援的な立場で複数のお客さんを横串で仕事することが多かったりするんですが、それは特定のお客さんにべったり付いてしまうと組織全体の底上げができなくなるため。……がしかし先日、あるマネージャ(私の上司ではないですが)から割と大きめな仕事を追加で振られそうになって、「ちょっとマテ」となったときの話。私が仕事を受けるのを渋ってると、そのマネージャがこんなことを言い出したんですよね。

「だからぁ、そんなこと言っても他にもう振れる人がいないんだよ。
 来期は売り上げを○○に伸ばさなくちゃいけない状況なんだから、
 ○○っちも、もうちょっとは組織のことを考えてよ。」

 このセリフを聞いた瞬間に、あ゛ーこのマネージャはダメだ、と思ったり。や、もちろん短期的な売り上げのことしか考えていない点もダメなんですが;、本質的な問題はそうではない。相手を気遣った「フリ」をして、その実は自分のことしか考えていない、という点が致命的。一言で言えば、私の場合、こういう人って信用できないし、信頼できないんですよね。

 仕事をしているといろんなタイプの人に出会いますが、私はどちらかというと、野心丸出しでもいいから本音できちんと話してくれる人の方がまだ信用できる。なぜかというと、そういう人は土壇場で裏切るとしても、人の善意に付け入るような裏切り方はしないから。でも、先のマネージャタイプの人は危険。なぜかというと、こういう人は他人を踏み台にすることに罪悪感を持たない(正確には、自分が罪悪感を感じないようなストーリーを組み立ててしまう)から。

 まあ一度や二度の発言なら悪気のない ものの弾みということもあるでしょうが、こういうセリフが割と日常的に出てくる人はとにかく危険。以前、こういうタイプの人から一緒に会社を立ち上げて仕事をしないかと誘われたことがあるんですが、丁重にお断りさせていただいたり。や、いくら奇麗事を並べ立てられても結局は自分のお城を作りたいだけなのね、というところが見えてしまったりすると、どんなにおいしそうな仕事でも私は受けられない & 受けたくないタイプだったりします。結局、信用 & 信頼できない人とは冒険したくないし、できないんですよね(← 小心者ってのもありますが;)。

# 逆に、情に訴えられるとめちゃめちゃ弱い & 断れない、というのが弱点だったりもする;。
# や、考えてみると、私をうまく扱ってるマネージャはこの辺が上手いよなぁ……;。

 人に信頼してもらうこと、人を信用することって、感情も絡むだけにものすごく難しい。相手に信用してもらう、信頼してもらうために、自分はどんなことができるのか? 逆に、何をもって他人を信頼・信用するのか? 気軽に相手のことを信頼・信用するのはさすがに論外ですが、じゃあどうすれば信頼したりされたりできるのか? と考えると、これほど難しい問いはない。

 私には『背中を安心して預けられる』友人が何人かいますが、多分そういう信頼や信用って、長い時間の中でゆっくり培われていくものなんですよね。結局、信用や信頼って細かいことの積み重ねでしか得られないものだと思うんですが、そういう友人がいるってことはホントにありがたいことです。はい。

2006/3/14 01:32 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
評論本の良し悪しはどこで決まる?

 そんなわけで今日も積まれまくった同人誌やらコミックスやらをぼちぼち消化(ちなみに今日はコミックス 8 冊と同人誌をいくつか;)。で、ある評論本をちょっと読み始めてみたりしたものの、30 分と経たずに撃沈;。えーと、何を言いたいのかよく分からないんですけど状態;。

 ふと思ったんですが、評論本って数多出ている割には良し悪しにはかなりの差があるじゃないですか。じゃあそれはどの辺で決まるのか? と改めて考えてみると。

(1) 平易な言葉で分かりやすく説明しようとしているか。
 結論を先に書く、分かりやすい全体構造で書く、平易かつ的確な言葉で書く、といった基本が出来てない評論本って実は意外に多いような。なぜか文系の人が書く評論文って「分かりにくくても文章として高尚」なことが優先されることが多かったりするような気がします。

(2) 客観性を持ったデータを示せているかどうか
 持論が正しいかどうかに関する客観的なデータを示すことは、評論本では非常に重要なポイントのはず。確かに、文系的な評論文は白黒付きにくいものも多いんでしょうけれど、巧みな文章で「共感」を呼び、それによって説得力を持たせようとするのは、インプレならともかく、レビューとか評論文としては失格なんじゃないかと思ったり。

 実は私、サブカル系の評論本があまり好きではないんですが、その理由は上記 2 つを満たせている評論本を見たことがほとんどないから。特に(2)に関しては、似たような持論を持つ人たちが集まって、互いの感覚を強化し合っているようなケースが多くて、傍から見るとまるっきり閉鎖空間的な論壇になっているような雰囲気を醸していることも。そんな中で展開されている評論には、なんというか、強い違和感を覚えることが多いです。(← もっともこれはサブカル系評論本に限った話じゃないですが;)

 んー、読んでて説明が分かりにくかったり納得感が得られないような評論って、往々にしてさほど優れた評論ではないことも確かではあるんですけどね。ほら、アレですよ、巧みな言葉で議論を煙に巻くような識者やコンサルタントや教授がロクなもんじゃないのと同じように(ぉ)。ホントは多少の誤解含みでもいいから、一言で要約してみせることが大切だと思うんですが、どうもこういう感覚は理系的なものの様子。……だから私は国語が苦手なのかも(汗)。

 しかし最近ではこんな便利な文章要約ソフトもあるらしい。や、さすがに要約精度はまだまだ甘いでしょうけれども、google が Web 上のあらゆるデータを整理したことで成功したように、要約技術も金脈になりうるものでしょうねぇ、きっと。

2006/3/6 00:32 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
お世辞のいえない体質

 先日のお客さんとの飲み会での話。以前、私がお客さんから渡されたドキュメントをレビューして、そのコメントで「予想以上にドキュメント作成が早くて、方向性もズレてないので非常に良いと思います」みたいなことをメールで書いたんですが、なぜかこんなことを聞かれたり。

お客さん「○○さん(←私の本名)、これって本音な話、どこまでお世辞だったんですか?」

 や、お世辞じゃないです、と即座に切り返したわけなんですが、いやそうやって受け止められていたのかということがちょっと意外だったり。全然素直に受け止めてもらえればよかったんですけどねぇ;。

 人によってこの辺は全然違うと思うんですが、私って実はお世辞が言えない体質だったり;。や、普通の褒め言葉は言えるんですが、事実を屈曲させたりだとか、等身大以上に褒めたりすることができない。まあ性格の問題が大きいんですが、そういうお世辞って、結局自分に帰ってきてしまうと思うんですよ。インプレとかを書いていても、つい色を付けたくなることはよくあるんですが、それをやってしまうと、後で別のもっといい作品が出てきたときに一貫性がなくなってしまう。オオカミ少年の話じゃないですが、それを繰り返すとお世辞でお世辞を塗り固めていく必要が出てきてしまって、結局、言葉を信頼してもらえなくなっちゃうんじゃないか、と。(← これは仕事上もかなりそう思ったり。自社製品を売り込むことより、中立で誠実であった方がずっとお客さんに信頼してもらえるし、結果的にも成功する、というのは一般則。)

 もしやるとしたら、相手の悪いところを意図的に黙っている。要はプラス面だけを等身大で褒めて、マイナス面は敢えて伏せておくんですよね。学生の頃、ある人に「社会人になって絶対にやっちゃいけないことは、相手の面子を潰す事だ」みたいなことを言われたことがあるんですが、これは確かにその通り。聞く耳を持ってないときには何を言っても無駄じゃないかと思うんですよね。言葉や気持ちを相手に伝えるのはただでさえ難しいことですが、それが相手の非にかかわることならなおのこと。仕事をやっていると、よくでたらめプロジェクト(笑)なんかを見かけますが、面と切って「ダメじゃん」とか言っても関係が悪化するだけ。いかにそれをうまく伝えるのか? という部分で工夫しないといけないんですよね;。

 こういう部分って、理屈では単純でも気持ちとか気分とかがかなり左右する範疇なだけに、なかなか難しいものですよねぇ。

 ……なーんてことを、お世辞を言われるのが大好きな人間が書いても全然説得力ないわけですが;。
 や、こういうのを鑑みるに、ホントに私は管理職とか向いてないだろうなぁと思ったり。歳食ったらどうするんだろ;。

2006/2/21 00:17 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
クイズダービーな話。

 I/O の方はぼちぼち大詰めですがなかなか終わらず;。そんなわけで今日は雑談を一つ。先日の日経ビジネスに面白い記事が掲載されてたんですが、ちょうど Web にも up されてるのでまずはこちらを。

・「金持ち、勝ち組、インテリはテレビなんか見なくなった」
 http://nb.nikkeibp.co.jp/free/tvwars/interview/20060127005218.shtml

 や、私はテレビがないと生きていけない人ですが;、この大橋 巨泉氏のインタビュー記事、確かに的を射てるんですよね。びっくりしたのは、クイズダービーが絶対に 27 分しか撮らせなかったという話。司会者にそこまでの発言権があるというのにも驚きますが、なるほどだからあの面白さがあったのか、とも納得する。

 この記事の中で非常に的確な指摘だと思ったのは、最後に、テレビが日本の民度低下に影響しているということはありませんかという質問に対して、そもそもそれは逆の話だ、と切り返している点。結局視聴者って、自分の属するコミュニティに合った、見たいと思うものしか見ないんですよね。もちろん、芸能界の裏話を共有したがる人=噂話が好きなオバさん=程度の低い人、という乱暴な等式に関してはおいおいと言いたくなりますが、その人が属するコミュニティと、その人が見る番組との間に相関関係があるのは確かでしょうね。主にアニメとかアニメとかアニメとか

 ただ、結局のところこの話も、行き着くところは『質』の話なのかな、という感じはしますね。このインタビュー記事、巨泉氏が『質』(仕事の単価、と言った方が的確かもしれない)を高めることに腐心していた様子が読んで取れるんですよね。時代背景も違うだろうから一概に言えるものじゃないでしょうが、なんかそんな気がします。

 それにしても、クイズダービーというのは懐かしい名前ですね。ヒントでピントとか、ぴったしカンカンとか、あの手のクイズ番組は小さい頃、結構よく見てたものですが(← 世代が割れる;)。

2006/2/13 01:11 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
レビュー & インプレ書きの効能

 や、某所で某氏の日記を読んで、諸処の事情でここでリプライしてみるテスト(ぉぃ)。

 えーと、インプレやらレビューを書くやらで、果たして物書きのスキルが上がるのか、という話。経験談から言うと、間違いなく上がる、と思います。こういうのもなんですが、文系の人間ならともかく、理系の人間って、普段、あんまりモノを書かないんですよね。で、普段モノを書かない人は、いざ書こうと思っても上手く書けない、と。

 私は実際に、チーム内で書かれた文章をレビューしたりすることもあるんですが、論理展開がおかしい、という以前に、そもそも「てにをは」レベルからしておかしい、という文章がかなり多い。モノ書きってプレゼンと同様に割と総合的なスキルが求められるんですが、ストーリーラインの組み立て方、トピックの見せ方などは、ある程度訓練が求められるところでもあって、それは一朝一夕に養われるものではない。だから、「文章の書き方講座」とかを短期的に受けても、文章力ってあんまり伸びない。むしろ、継続的に文章を書き続けるようにしていた方が、結局は力が伸びると思うんですよね。

# 英語と同じだよねー、というのはその通り……なのですが、全然英語を勉強してない私;。

 ただ、むやみやたらと文章を書いても意味がないのは確かで、多分この辺がポイント。

・量は少なくても OK。けれども質の高い文章を。
・要点を押さえるようにして、だらだら書かない。
・しばらく寝かせてセルフレビューしてからアップ。

 で、こんなめんどい作業なんて、よっぽど好きか興味の向くことでしか続けられないんですよね。なので、自分の興味の向く題材で書き続けるようにすると、めっちゃいいのではないかと思ったり。

 と、そんなこんなで今日は自分のサイトの自己肯定をしたりしてみるテストでありました。っていうか、なにげにこの blog、オープンしてからほぼ一年経ってる上に、昔に比べて明らかにエスカレートしているワナ;。

 我ながらよく続いてるなぁ、ホントに(汗)。← っていうかこの人絶対アホですよ;

2006/2/11 16:45 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
ゆかりんマーチはデスマーチ〜♪

「ちったかた〜 ちったかた〜 ちったかちったかた〜♪
 ゆかりんマーチ ゆかりんマーチはデスマーチ〜♪ ちったかたったかた〜♪」


 というわけで、先日トラバをいただいたデスマーチなお話から、つらつらと雑感を書いてみたり。(トラバ先はこちら

 えーとですね、顧客の要求水準の極度な高度化が起こるのはイノベーションのせいだ、というのは確かにそういう面もあるでしょう。けれども、イノベーションが起こると人間がボトルネックになっていく、という主張はちょっと違うのではないかなぁと思ったり。なぜなら、仕事の総量というのは、質と時間の両方によって決まるものだから。

 顧客の要求水準が高まることで要求される仕事量が倍になったとしたら、それは残業して働く時間を二倍にするか、仕事の回し方とかやり方を変えて、仕事の質を二倍に上げるかするしかない。で、概して人間って前者の選択を取りがちなんですが、それがデスマーチを呼ぶ原因の一つではないか、と。

 こういう言い方は乱暴であることを百も承知の上で書きますが、イノベーションっていうのは、すべての人を幸せにするものじゃなくて、イノベーションを起こした人と、それについていくことができる人を幸せにするもの。例えばコンピュータ業界では日々技術革新が起こっているわけですが、その技術革新についていけなくなって、今できることしかやらなくなったら負けだと思うんですよ。日銭は高密度で稼ぎつつ、余らせた時間で勉強する、というスタイルを作らないと、あっさり置いていかれてしまうんですよ、日本勢ではなく海外勢に。質を高めることをやめてしまったら、働く時間を増やすことでしか給料を維持できなくなる。しかしそれにも限度がある。その限度を超えたらどうなるのか? おそらく話は単純で、給料が減っていくんですよ。

 確かに日本人って勤勉によく働いている人は多いけれども、頭を使わずに身体だけ動かしているような人も多いんじゃないか、とも思うんですよ。一時的に忙しくなるのは仕方ないにしても、定常的に忙しいのだとしたら、それは無理矢理手を止めてでも、仕事のやり方を見直して、最適化していく必要がある。私は就職した頃から、定期的にもやもやした考えを整理したり、普段の仕事のやり方を振り返ったりするようにしてますが、こういう時間をちゃんと取ることってものすごく重要なことなんじゃないかと思うんですよ。

 私は人一倍心配性なので、10 年後や 20 年後にホントに食っていけるのか? といつも心配になりますが(いやマジで;)、なんというか、ただ漠然と今の仕事を続けているような人を見るとある意味不思議でなりません。や、そりゃまあ、親の財産とか旦那さんとかに救ってもらえる人はいいかもしれませんが(っつーか羨ましい;)、そういう後ろ盾がまるでない人はいったいどうすればよいのか? と;。← この辺、かなりの小心者らしい;

 アメリカなどの先進諸国を見るに、これから日本でも二極化はさらに進むわけで、別に勝ち組になんてならなくてもいいから普通組には居残りたいと思う今日この頃。結局そのためには、イノベーションにとにかく食らいついて、なんとか振り落とされずについていくことがまずやるべきことじゃないかと思うんですけど、どうでしょうね?

 ……と、マイメロ見ながらこんなエントリ書いてるようじゃまるで説得力がないわけですが何か?
 っていうか今週のマイメロも凄まじい出来としか言いようが……;。

2006/2/1 00:16 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (1) | このエントリへ拍手
因果な商売

 というわけで今日はけろっちゃ氏とひたすらドキドキぱにっくライブラリーをプレイ。
 ……というかですね、この手の対戦パズルものってプレイしてるとキリないです;。今日もなにげに 3 時間ぐらいぶっ通しで連続して対戦してたわけですが、さすがに疲れたり^^。いやこれホントにパーティゲームとしてはいいですね。というか本編は未プレイなわけですが

 そんなわけで今日はこれといってネタもないので、ちょっとした小ネタを一つ。

 先日(といってもかなり前)、漫画業界の話のエントリを書いたんですが、後日なぜかリアルマイシスターと Messenger で大議論に発展したり。や、発端はマジック業界の話で、実はマジック業界って漫画やアニメ業界なんかと同じでネタ屋とパフォーマーに分かれてて、ライセンスとかが大変なんだぞー、というところからスタートしたんですが、挙句の果てには娯楽産業はダメだとかというとんでもない話に陥るワナ;。

まちばり「いやでも娯楽産業はなくならんでしょ、絶対。不況知らずというわけじゃないにしても。 」
ゆき  「うん、勿論。だけど、そこで低コスト・高品質を求められることに不満がある or 適応出来ないなら、必要不可欠なものでも創る人になるしかないと思う。」

 おいおい一刀両断してきましたよこの人状態;。がしかし、リアルマイシスターが言ってることは確かに正しい。

 実は私の妹は演劇業界でマネージャの仕事をやってるんですが、マネージャの仕事って、乱暴に言えば役者を飼い殺しにする仕事なんですよね。わがままを言いまくる役者を適度にあしらい、適度にちやほやして、時としては子守のお仕事までする。けれどもそうやってでも、役者に働いてもらってお金を稼いでもらう、それがマネージャという仕事。たまにマネージャ仕事の悲惨さを聞いたりするわけですが、ぶっちゃけあり得ないとしか言いようがない話もよく出てくる。っていうか役者さんあなたいったいおいくつですか、みたいな;。

 しかしそのわがままが限度を越え、稼いでくるお金とのバランスが取れなくなってくると、役者はあっさりと切り捨てられてしまう。実際、妹の事務所でもどうにもならなくなった役者を切ろうか切るまいかという話になったりしたそうですが、妹いわく「みじめだよー、女優の成れの果て。」……おいおいせつなすぎるでしょうが;。要するに現実認識力も社会適応力も弱いので、切られたときになって初めて気付く……というか気付ければまだマシな方、と。

 でも、それって会社に飼われている社員だって同じことなんですよね;。つい先日、自分の組織の中核メンバとも言えるマネージャの一人が退職(会社を興すらしい)したんですが、その人いわく「居心地よくてつい長居してしまった」、と。流れることをやめた水は濁るとよく言われますが、よほど意識をしっかり持ってないと、つい停滞しちゃうものなんですよね。

# まあ私もどうしようか迷ってるんですよー、とかいう話をその人に振ったら、まだその組織でやること山ほどあるだろうとたしなめられましたが;。いやまーそうなんですが;;。

 私も今の会社で早くも 6 年目。たいていのことは通ってしまうようにはなったものの、そんなふうに組織の中で居心地よく感じているときこそ、実は危険信号なのかもしれず。普段からそういう意識を持ってないと危ない、ってのはどの業界でも同じ話なのかもしれないです。うむむ。

2006/1/29 00:59 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
他人の生き方の否定

 ここしばらく続いているライブドア関連のニュース。や、私は株を全くやらない人なので特に被害があるわけではないのですが、さすがに事が事だけにいろんなサイトで取り上げられてますね。信用取引で一夜にして 1 億円の借金が出来たとかいう話を聞くと、改めて株の恐ろしさを感じる今日この頃。で、新聞なんかでもいろいろコラムなんかが載ってるわけですが、やっぱりというか必ず出てくる便乗な論調。

 「楽して稼ごうなんて人の道として間違ってる。額に汗して真面目にこつこつ働くべきだ。」

 や、こういうことって、絶対に言っちゃいけないことだと思うんですよね。当たり前のことですが、ハイリスク・ハイリターンな生き方って世の中にいくらでもあると思うんですよ。先日のエントリで挙げた漫画家もそうだし、芸能人しかり、投資家しかり、スポーツマンしかり、起業家しかり。こういう人たちって、ハイリスク・ハイリターンな生き方をしている。で、そもそもそういう生き方って、性格的に、出来る人と出来ない人がいるんですよね。

 私は株式投資を全くしませんけれど、それは暇がないというよりは度胸がないから;。や、自分って石橋を叩いて壊す人なんですが;、私みたいなリスクを取れないヘタレな人は、地道にこつこつと働くしかないんですよ。けれども株式投資ができる人って、それなりに度胸もあって、リスクを取る覚悟がある(はず)。まあ人によっては勇気というより蛮勇としか言いようのないような場合もあるかもしれませんが;、そういうハイリスク・ハイリターンな生き方をするというのは、その人にとっての「生き方の選択」なんですよね。先に挙げた論調は、そういう他人の生き方を否定するセリフだと思うんですよ。

 だから、こういうときに言うべきことがあるとしたら、それは以下の 3 つなんじゃないかと。

・徹底的に自己責任を取らせること。今回の件で自己破産に陥ったような人を安易に救済しないこと。
・ハイリスク・ハイリターンの恐ろしさを知らずに、安易に株に手を出す人へのセーフガードを作ること。
・ハイリスク・ハイリターンの恐ろしさをきちんと若者に伝えて、自己責任原則で生き方を選ばせること。

 ライブドアが叩かれるのはやむを得ないと思いますが、それに便乗して、他人の生き方をあれこれ言うのはちょっとよろしくないんじゃないかなぁと思う今日この頃。往々にして、この手のセリフを言う人ってその人自身はリスクを取る覚悟が出来ないタイプの人が多いだけに、ますますこの手のセリフを安易に言うのは気をつけなきゃいけないと思うんですけどねぇ……うむむ。

2006/1/27 01:43 | 4.雑学&雑感 | コメント (1) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
量より質

 たまたま Web をふらついていたら FIFTH EDITION さんという blog でこんなエントリを見かけたり。えーと、まずはリンク先の文章を一読してみてください。(できればコメントまで含めて。) 興味深いエントリなので、ざっくりと私見を書いてみたり。

 この議論って、おそらく漫画業界だけの話じゃないと思うんですよ。私が属するコンピュータ業界はもちろんのこと、家電量販店や外食産業などなど、すべての業界に存在する、いわば『経営の苦しみ』そのものなんじゃないかと。

 というのは、お客様である読み手の側の要求水準がどんどん上がる(作画にしろストーリーにしろ)のは当たり前のことで、例えば外食産業なら「より安く、より美味く」という要求に常に晒され続けている。少なくともそうしたお客様の要求水準のエスカレートに追随すること、さらにそれを超えていくことができなければ、その仕事の『価値』を維持することはできない。リンク先のエントリでは作画にかかるコストが膨大になりすぎている現状を問題だと指摘しているのですが、私はそれって『今現在起きている』表面的な問題の一つに過ぎないような気がするんですよね。

 例えばアニメ業界の場合にも、同じような問題に突き当たり、動画や原画をコストの安い海外へ切り出すことで生き凌いできた。けれどもそれでもコスト下げ要求は止まらず、深夜時間枠やセル DVD などの活用でなんとか生き凌いでいる。でもそれで終わりかというと、そんなことは決してない。単なる作画コストの問題だけでなく、求められる企画の斬新さ、短期間での企画立案〜制作、マーケティングなど、あらゆる部分で際限のない改善をこれからも求め続けられる。すなわち、『立ち止まったら負け』。それはある意味、経営の苦しみでしかないんじゃなかろうか、と。

 おそらく他の業界に比べた場合の漫画業界の問題は、漫画家個人に求められる資質があまりにもマルチタレントであるということ、そして基本的には『町工場』的な少数精鋭での作業が求められる分、業界全体としてのシステム化が進みにくいということ、すなわち漫画業界の特殊性によるものなんじゃないかと思います。

 例えばアニメ業界では、監督、シリーズ構成、脚本、原画、動画、音響、撮影、特殊効果、演出などにタスクが細分化されているし、コンピュータ業界のシステム開発でも、同じように業務設計者やアプリケーション設計者、プログラマ、テスターなどの分業が進んでいる。けれども、それは大人数での制作をより効率的に進めるための必然でもある。漫画業界だけじゃないと思いますが、少人数でのゲリラ的な制作で『なんとかなってしまう』業界って、システム化の取り組みが遅れてしまい、力技で解決しちゃうケースが多い(=問題を先送りにする)んじゃないかと思うんですよ。で、結果的に『どうにもならなくなった』頃に問題が噴出してきて途方に暮れてしまう。それが今の状況なのかな、という気がします。

 そういう視点で見ると、多分この話って漫画業界に限った話じゃない。確かに漫画業界は他の業界に比べて厳しい状況に立たされているのでしょうが、大なり小なり似たような話(=問題を先送りにすること)はよくあるんじゃないか、と。そしてまた、『どうにもならなくなった』頃にそのことに気付いても手遅れになっちゃう、と思うんですよね。

 私が属するコンピュータ業界にしたって、ホントに怖いですよー。だって、ひと昔前には一人月 100 万円といわれていたプログラマの外注単価は、今や 30〜40 万円程度にまで下落。いやまあ確かに当たり前で、技術は進化してるのにプログラマのスキルはろくに進化してない。この厳しい経営環境の中で単価が下落するのもそりゃ無理がない、というもの。この状況で今の給料を維持したければ、『量』ではなく『質』を高めるために鍛錬を続けなきゃどうにもならないんですよね;。それでもいずれ立ち行かなくなることもあるんでしょうが、そのときは好きだろうがなんだろうが、もうその仕事をやめざるを得ない。良くも悪くも経済原理にかなうものはやっぱりないわけで;。

 レッドオーシャンに巻き込まれないようにするには、とにもかくにも仕事の『質』を高めること、が大切なんでしょうね。物量に頼る方策では無理がある、というのはいろんな業種・業界が証明してくれているわけですし;。

2006/1/12 00:25 | 4.雑学&雑感 | コメント (4) | トラックバック (1) | このエントリへ拍手
『わがまま』という名の現代病

 2005 年最後の blog エントリはいつも通りゆる〜く締めくくろうかとも思いましたが、せっかくなので思いっきり自分のこと棚上げモードで少し真面目な話を書いてみたり。

 リアルマイシスターの blog で知ったんですが、毎年恒例の今年の漢字は『愛』なんだとか。これを見たとき、不謹慎ながら思わず苦笑。や、それは今の日本に一番足りないものなんじゃないか? と思ったり。

 「オマエになんか言われたくねーよ」な話であることは百も承知しつつも書いてしまうと、愛って好きとか恋の延長線にあるんじゃなくて、どっちかというと、思いやりの延長線上にあると思うんですよね(by CLANNAD^^)。無私の愛、なんて言葉が成立するのは、要するに「愛は見返りを求めない!」から(by CROSS†CHANNEL^^)。がしかし、振り返ってみて、今の日本は果たしてどうなのか?

 今年というよりはここ 5〜10年ぐらいの連続的な現象なんでしょうが、最近、「希望格差社会」や「下流社会」といった、いわば日本国内の二極化現象を分析する本がいくつか出版されて、私も興味深く読んだわけですが、なんか本質的な部分での違和感を感じてたんですよ。これらは、『持ち続ける以外に対処のしようのなくなった、膨らみ切った夢を持つ若者たち』を描き出した本なんですが、もっと話は単純なんじゃないかと。で、先日ふと気付いたんですが、要するに一言で言えば……

 現代にはびこる最大の病、それは『わがまま病』
 端的に言えば、他人よりも常に自分のコトを優先させてしまうライフスタイル。それが根幹にあるのではないか、と。

 先日、立川 恵さんのサイトでこんなエントリを見かけましたが、まあ無理もないよなぁ……とは思うものの、そもそもなんでこんなことが起こるのか? これ、「善意を上手く受け取れない不器用な人だから」という理由じゃなくて、おそらく「自分が思ったり感じたりしたことは常に正しい」になってる人が多い(=他人がどういう意図でその行動を行ったのかがわからない or そもそも考えない人が多い、他人を顧みない人が多い)ことが根幹にあるんじゃないか、と思うんですよ。

 日常生活の中でも、他人の善意を受け取ったときに感謝をしない or できない人が多い。この人は、文句を言ったり腹を立てたりする回数と、他人に感謝する回数のどちらが多いんだろう? と思うこともしばしば。相手の立場に立って物事を考えられない人は、概して仕事も二流三流であることが多いんですが、下手すると自覚症状すらなくそういう生き方をしちゃってる人はなにげに多いんじゃないかと思うんですよ。よく、「自分のことで手一杯だから他人のことを考えられない」とか言われますが、そうじゃなくて、「もともと他人のことなんて考えるつもりが毛頭ない」んじゃないかと思うことも。

 要は『わがまま』。自分が主体で、基本的に思考のほとんどが「自分」中心で動いてしまっている。そしてそういう人たちに自省を求めるような社会システムがない(=欲しいオモチャはいつか必ず買ってもらえるとか、dreams come true とかいった無根拠な確信がある)、というのが今の日本の若者世代なんじゃないか、と思うんですよ。さらに、そういう人たちがある一定数を超えると、デフレスパイラルのごとく、みんながラクな方に流れてしまう。「他人のために何かをすることは絶対に良いことだ」という士郎ライクな生き方は、単に他人に善意を食われる生き方でしかなくなってしまう。結局、身勝手になった者勝ちってことで、桜ルートの士郎みたくなっちゃう;。

 本来、自分と他人のどっちが大事? というのはバランス問題なのですが、人生って他人のために痩せ我慢をしてナンボのもの、なんていう発想はもはや死に絶えた考え方じゃないかと思ったりするわけです。

# 夏のこたつ氏に言わせると、「日本は暴動が起こらないだけまだマシ」だとか。
# ……まあそれもそうなんですが;。

 そんな自分を含めた;わがままな人たちばっかりの現代において、『愛』なんていう言葉が今年の漢字として採り上げられてしまうこと自体、果たしてどう捉えたらよいものか。いや今の世には愛がないと言いたいのか、それとも愛が欲しいのか、愛に飢えてるなのか、愛って素晴らしいなのか、や、私にはよく分かりませんが、あんまり前向きな話にはなりそうにないような気もしたり;。

 ……と、真面目なエントリを書いてみたものの、今年の漢字って実はそんな凝った理由で選ばれてるわけじゃないんですけどね。深読みしても意味ないじゃん状態;。

 ま、なかなかそんな単純な話ではないことも理解しつつ、最もわがままで最も思いやりがないのはオマエだろ;という自分ツッコミを全力でしながらも、それでも来年は今年よりもっと良い年になることを願いつつ、そして来年は今よりもっと頑張らねばと思いながら、今年最後のイベントに出撃でありますよ、隊長(爆)。



 や、今年のオーラスは原点回帰なイベントですよ〜?
 というわけで、みなさま良いお年をお迎えくださいませませ^^。

2005/12/31 17:43 | 4.雑学&雑感 | コメント (59) | トラックバック (2) | このエントリへ拍手
敗者復活戦を認めない日本人

 学生の方にはあまり馴染みがないでしょうが、日経ビジネスという社会人向けの雑誌の記事の一つに、「敗軍の将」というのがあります。これ、なにかしら社会的に大ポカやったとか、巨大プロジェクトを失敗させたとか、そういう人たちを毎週選んでインタビューをするというもの。……なんですが、しばらく前(どの号かは書きませんが)に、私が前の会社で関わっていたプロジェクトの話が出ていて、かなり感慨深かったり。実はそのプロジェクトの失注のおかげで今の会社に転職したという経緯があるんですが、あれがなかったら今の自分はないよなぁ……とふと昔を振り返ってしまったり。人生、何がどう影響するのかは振り返ってみないと分からないもんです。

 しかしこれを読んでいて思ったんですが、なぜ「敗軍の将」なんていう記事が延々と続いているのか? いやもちろん世の中の人間がそうしたスケープゴートを求めている、というのが一番大きな理由でしょうが、そもそもなぜ日本ではこうも失敗した人をつるし上げて袋叩きにしたがるのか?

 考えてみると、日本には敗者復活戦を認めない文化があるんですよね。一回失敗を犯したら、二度とその分野では再挑戦が認められない(あるいはそれを許さない)。そういう考えが日本人の底に結構根強くあるんじゃないかと。しかしそれって要するに、人間が成長する可能性を見限ってるんじゃないか、とも思うんですよ。

 仕事の場だと結構よくある話ですが、小さな失敗ならともかくも、何かしら一度大きな失敗すると、二度とその人には大きな仕事が振られなくなる。それは、再び大きな失敗をすることを避けるためのリスクヘッジだと説明することもできますが、本質的には「その人が成長する可能性は絶対にない」と切り捨てているのと同じことなんじゃないか、と。なぜそこで、「もしかしたらその人は成長するかもしれない」と少しでも温かい目で見守ってあげることができないのだろうか、と。

 長年、何らかの形で教育に関わるような仕事をしてきて思うことですが(← 実は中学・高校の教育免状も持ってたりする;)、人って何らかのきっかけで変わったり成長したりすることは必ずある。もちろん、すべての人がいつでもそうだとは思いませんが、「かつてこういう人だった」という過去のレッテルにとらわれてしまうと、『今の』その人の本当の姿を見失うことになってしまうんじゃないか、と思うんですよ。

 確かに今の日本においては、敗者復活戦を認めない空気が主流であることは間違いないでしょう。けれども少なくとも自分が他人と接するときには、それを認めるぐらいの度量を持っていたいものですねぇ、などと思う今日この頃。

# ……なんか書き始めたはいいがうまくオチが付けられないエントリだな、これ。うむむ;。

2005/12/6 00:26 | 4.雑学&雑感 | コメント (6) | トラックバック (3) | このエントリへ拍手
要素分解

 最近はほとんど休日出勤なんてしてなかったんですが、今日は止むに止まれず出勤。ノルマなんてとうの昔に達成してるんだからもう勘弁してください状態なわけですが、あぶれた仕事を回そうにも回す先もすでにオーバフロー気味で、今日出勤してたのは私だけではなかったというオチ;。仕事に山谷があるのは仕方ないんですけどね、CLANNAD がリプレイできないのはなんとかして欲しいわけですよ(涙)。

 そんなわけで、たまには雑感な話題でも書いてみたり。

 ここ最近もやもやと考えてたことがあったんですが、資料のイラスト作ってる最中にふっと頭の中に答えが浮かんで腑に落ちたり。あ゛〜、なるほどそういうことか、とようやく納得。何のことはなくて、単に個々の要素に分解して答えを見つけただけの話なんですが、これがなかなかうまく要素分解できなかったんですよね。

 ある程度以上複雑なことになると、どう分解すればいいのか分からなくて途方に暮れたり、あるいは分解そのものをしないが故に問題を不毛にしてることが多い。例えば身近な例では母娘喧嘩とか。第三者的に聞いてるとたいてい双方に多少は非があるわけですが、自分の非と相手の非をきちんと分解せずにお互いをなじり合うから不毛な争いに。しかも感情が絡んで意固地になったり、微妙なニュアンスの違いを見過ごさないからますます手のつけようが;。← 一応我が身の安全のために書いておきますが、最近はさすがにないですよ(^^)。

 複雑な問題を複雑な状態のままで考えることが必要な場合もありますが、普通の人間の頭脳って割と単一思考しかできないので、要素分解しないと複雑な問題に答えを見つけることができないことが多い。そして切り分け方の上手い下手で、問題がきちんと解けるかどうかも変わってきてしまう。そういう意味で、ちゃんと物事を切り分けて考えること、って非常に重要ですね。あ〜、あと、しばらく問題を寝かせておいてから再考するというのも重要かも。断続的に考えると新しい発想が出てこなくなるし。

 しかし最近この手の要素分解に結構時間がかかってる気が;。職業柄、こういうのはホントは一瞬で出来ないといけないんですけどねぇ、ゆるいアニメばっか見てるから頭がゆるくなるんです、とか言う人嫌いですw。

# まぁ否定はできないですけど;。

 ……というわけで今から 深夜の学校 西友に 魔物狩り に行ってきまつ。
 や、食料備蓄が尽きてるのですよ(汗)。明日は料理日和(?)なわけですし。

2005/11/20 00:02 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
自己否定により崩壊するエンターテイメント

 先日のエントリにけろっちゃ氏から面白いツッコミ受けたのでちょっと真面目に考察してみるテスト。

> アニ横のシュールさは小さなおにゃの子(≒りぼん読者)には厳しいかと。
> したがって、本誌の部数増には多分つながらないでしょう。(汗
> ただ、アニメ版マイメロのようなケースもあるので、大丈夫なのか。

 私の推測なんですけどね、先のエントリで示した部数データはこう読むべきじゃないかと。実は、少女漫画 3 誌の合計部数を取ってみると、ぎょっとするほどキレイに推移してるんですよ。

 478 (1995年) → 458 → 375 → 312 → 263 → 268 → 252 → 242 → 226 (2004年)

 私のような大きなお友達(ぉ)の場合はともかく、ちっちゃなおにゃの子の場合は今月のなけなしのお小遣いから「1 冊だけ」どれかを選んで買う、だと思うんですよ。で、どれを買うかは、そのときどうしても読みたい作品があるか、あるいはぶっちゃけ 付録が欲しいかどうか で決める。あるいはゆかりん CD が(ry つまり、同じパイを 3 誌の間で食い合ってる。けれどもそのパイそのものが減少傾向にある、と見るべきなんじゃないかと。(ちなみに 1995 年→2003 年での 0〜14 歳の人口は約 1 割減なので、少子化の影響で説明しきれる数字ではない)

 このことからいえることは、りぼんが V 字回復するためには単にヒットタイトルを出すだけではダメで、業界そのもののパイを広げるようなムーブメントが必要である、ということ。

 こういうパイの維持というのは長期的な経営の観点からは非常に重要……っつーかそうしないと縮小均衡するだけになっちゃうんですよね。有名な話ですが、例えばマクドナルドは子供向けマックセットをかなり安価に提供していますが、あれは子供にマクドの味を覚えこませて、忘れられないようにするため。よって少女漫画が取るべき戦略、それは ちっちゃな女の子向けの刷り込み大作戦、ということになるわけでありますよ、隊長。

 ……って、そんなわきゃありませんな;。パイが減っている真因を分析しないと、対策も練りようがないわけで。

 私の推測ですが、パイが減ってるのは少女漫画を卒業する年齢が下がってるからじゃないですかね? これはゲームなんかにも当てはまる話ですが、昨今のギャルゲが「ギャルゲからの卒業」をテーマにすることによって自己崩壊を起こしているのと同様に、昨今の少女漫画もまた、現実世界の恋愛ゲームを模することによって自己崩壊を起こしているような気がするんですよ。つまり、作品が取り扱っているテーマそのものが、作品自身を否定し、プレイヤー(読者)を卒業させる契機を与えるようなものになっている、ということ。それは作品の持つ『良心』としては重要なことですが、ビジネスとして見た場合には結構致命的だという矛盾を孕んでしまっている。

 作品としての良心と、ビジネスの規模拡大(といわずとも規模の維持)を両立させるようなトピックやテーマを見つけ出すこと、それが今のゲームやアニメ、漫画といったものに求められているんじゃないかという気がするんですよね。(私には、それが何かという答えは分かりませんけれど。)

 まあ、私はどうせ 死ぬまでヲタク でしょうから最後まで付き合うつもりではいますけれども、正直な話、サブカルってもっと可能性が大きいものだと思うだけに、この程度で終わって欲しくないなぁ、とは思ったりするんですけどねー。

2005/11/6 23:11 | 4.雑学&雑感 | コメント (3) | トラックバック (1) | このエントリへ拍手
きれいごと

 今日はちょっと仕事で「ぉぃぉぃ」モードなことがあったりしたので、軽く雑記を書いてみたり。

 今やってる仕事のひとつで手戻り(作業のやり直し)があったんですが、その理由というのがチームメンバ内で情報をきちんと共有できていなかったせい。で、実際に作業をするの私だったので軽くツッコミを入れてみたわけですが、

「なんでこんなことになったんですかね?」
「いやだから僕は○○って言ったんですよ。」


 ……あ、頭痛い;。頼むからふんぞり返ってそんなこと言わないでくれよ状態。まあ実際問題としてこういう人って少なくないんですが、これの何がまずいかというと、問題点は二つ。

 ひとつは、こういう発言をすることによってむしろ周りの心象を悪くする & 信頼をなくす、という点。心情的に自分のミスを認めたくない気持ちが先に立ってしまうのは仕方ないんですが、だからといって周囲がそれを受け入れてくれるかどうかは別の話。むしろそういう発言が自分の評点を落とすことになぜ気付けないのか、と。

 そしてもうひとつは、せっかくの反省の機会をみすみす捨ててしまっている、という点。「だから言ったじゃん」というけれど、実際にはそれは「言ったにもかかわらず、上司や周囲を説得できなかった」ということでもある。なぜ説得できなかったのか、そういうふうに反省した方が、次にきちんとつなげていくことができる。

 何事もそうですが、後から振り返って理屈や理由をくっつければ、なんでも綺麗事に出来ちゃうんですよね。
 時間が経つほど物事は美化される、とかよく言われますが、美化することで自分の罪から逃避しちゃうという危険性もある。

 や、上のようなセリフは自分もつい口を突いて出てしまいそうになりますが、常々気をつけないといけないですねぇ;。

2005/10/25 22:35 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評「下流社会 〜 新たな階層集団の出現」

 希望格差社会に引き続いてお薦めされたので読んでみたり。……い、痛い(^^;)。なんつーミもフタもない本なんだと小一時間;。

 ざっと内容を整理すると、ですね。

・日本はかつては全員が中流に属するような社会だった。
・ところが今は上流・下流への二極化が進行中。しかも実態は中流の大半が下流に没落するという形で。
・この「下流」は所得も低いが、その本質は意欲も能力も低いという点。その結果として所得も低くなる。

 つまり、さまざまな物事に対する関心・感度・意欲の低さが下流の本質。ひきこもりヲタはその典型である、と。……うわ〜、ミもフタもないっすねぇ;。しかし否定もできないというワナ。

 下流社会に対する具体的な提言はおまけみたいなもので非常に弱かったですが、ただ全般して、時代の空気については的確に読んでるように思えたり。特に、勝ち組・負け組の議論は結構本質を突いてる気がしていて、端的に言えば、日々夢見て暮らしてるのが負け組の本質である、という点。……うわ、当たってるよ。>自分;

 この議論って希望格差社会の主張と結構合致していて、要するに、身の丈を超えて過度に膨らんだ夢は『持ち続ける』以外にやりようがなくなる、という話なんですね。実現できるかどうか+αぐらいの夢は、現実で実現していこうという前向きなやる気をもたらしてくれますが、それを超えるともはや努力では実現できない=持ち続けるより他にない、という話になってしまう。結局、自分の身の丈を正しく知り、その上で『自分の出来る範囲+α』ぐらいで頑張っていくのが最も健全なんですよねぇ。……もっとも、自分の身の丈を正しく知ることほど難しいことはないわけですが;。(仕事とかがうまく回ってるときは過大評価しがちだし、逆にうまくいってないときは過小評価しがちになるため) こういう本を読んでいると今どきの社会で普通の人生送ること自体が奇跡という気もしてきますねぇ。

 で、それはともかく、横で流してる Canvas 2 のエリスがめっちゃかわいいんですが。
 っつーかちょっと拗ねた名塚さんの声質が良すぎ。本編の中身は全く覚えてないのにw。

2005/10/25 01:03 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
衆議院議員選挙投票日

 というわけで今日は衆議院選挙日。普段は選挙なんて面倒なのでスルーな私ですが、今回はさすがに行こうかなという気になってたり。や、引越し直後なので実家まで戻らないといけないわけなんですけどね;。

 今回の選挙、確かに前面に押し出されたテーマといい解散への流れといい、ドラマ的な演出により国民が踊らされてる感もありますが、それでも国民に真意の場を問う形に持っていったのは見事だとしか言いようがない感があります。というか、今回ばかりは「たかが一票」でも意思表示のために行かなきゃいけない、という気にさせてくれた時点で凄いことなんじゃないか、と。こういう「分かりやすい構図」を作り、国民に「意思表示の場」として選挙してもらう、というのは今まであるようでなかったような気がするんですよね。

 えー、それでも行きたくない、という方には 選挙に行きたくなるおまじない、みたいな(^^;)。

# しかしこれ、出典どこですかね?(笑)

2005/9/11 11:01 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
感謝の気持ち

 先日、ひと月前にお世話になった不動産屋にご挨拶に上がってみたり。たまたまこの前の TBS アニメフェスタの直前に空いた 30 分ぐらいの時間で立ち寄ったんですが、お世話になった方にうまくお会いできてほっと一息。

 今回の物件探しでは何軒か不動産屋を回ってみたんですが、ホントにお店によって全然空気が違うんですねぇ。その中でも最終的にお世話になった不動産屋さんは全くといっていいほど地味なお店。店舗はちょっと怪しげな歓楽街にあるし、活気もやる気もなさげに見える。ぶっちゃけホントに大丈夫かよ? とか思ったんですが、きちんと話を聞けば筋が通っているし、おかしな物件を薦めてくることも一度もなし。特に担当してもらった人はこちらのニーズをゆっくりと、それでいながらきっちりと把握していってくれて、最後にドンピシャな物件を薦めてきたのは見事としか言いようがなかったです。いやはや、さすがにこの道 15 年のプロは違う、という印象でした。

 先日、で・じ・くまっちゃ氏と話していたときに、今の世の中はプロフェッショナルへの敬意の念が足りないんじゃないか、という話が出たんですが、実際そうなんでしょうねぇ。確かに仕事の場合、善意でよくしてもらったのかプロの仕事としてよくしてもらったのかは切り分けできないものですが、それでもよくしてもらったときには感謝の気持ちを返したいもの。お金の報酬ではなく感謝の気持ちの贈り物って、何物にも代えられないんですよ。私はよく「ホントに感謝の気持ちを示したければ体を動かせ(=自分で直接何かをしろ)」と言うのですが、確かに今の世の中はそういう人って減ってるのかもですね。

# まあ、私が夢見ているのは馬鹿正直すぎる世界なのかもしれませんが;。

2005/8/27 00:08 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
ジャンクフード

 某グルメ会の主催でありながらジャンクフードもかなり好きというよく分からない私ですが;、久しぶりに無性に吉野家に行きたくなって襲撃。いやホントに久しぶりだったんですが、びっくりするほどメニューが充実してますね。すでに 牛焼肉定食 みたいなものも提供されるようになっていたとはちょっとショック。もともと吉野屋はこの手のファーストフード店の中では味が良い方ですが、この辺の新規メニューの味も(値段を考えれば)悪くない感じ。

 以前、「吉野家の経済学」 という本を紹介しましたが、この本には狂牛病(BSD)以前の吉野家の話しか書かれてなかったんですよね。で、BSD 以降はどうなったんだろう……とか思ってたんですが、実はすでに黒字化しているそうで、一日あたりの平均来客数も 500 人ぐらいまで回復してるんだとか。提供する商品を主力 4 商品に絞る MM4(メニューミックス4)とかいう戦略で営業黒字化を果たしたらしいです。

 いやこれってちょっとびっくりする話ですね。敢えて牛丼を再開しない戦略を一環して取り続け、それでいながらこれだけの長期に渡る BSD 問題からきっちり回復しているとは。看板主力製品を失ってもなお復活するっていうのは、普通の企業ではなかなかないことなんじゃないかと。

 いやはや、実際には現場での身を切るような仕事があってこその話だと思いますが、これからも B 級グルメのトップであり続けてほしいものです。

2005/8/11 00:12 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
資産と負債

 で・じ・くまっちゃ氏からいいツッコミを受けたのでエントリを立ててみたり。

> プランA:3000万円の物件購入→10年後資産価値は確実に3000万円以下に下がる
> プランB: 3000万円を年利5%で運用(簡単ではないが)→年150万円を住居費に充てても10年後に資産として3000万円は手元に残る

 この考え方、半分正解で半分間違いじゃないかと私は思ってます。

 根底にある考え方は「何を資産と捉えるか」という問題ですね。一般的な認識では「現金に換金できる価値を持つ手持ちの財産」のことを資産と呼びますが、投資家は資産と負債を以下のように捉えます。

・ お金を生み出すもの=資産
・ お金を減らすもの=負債

 この視点から考えると、不動産は資産ではなく負債なんですね。何ら利益を生み出さないから。

 しかし問題は、「お金でお金を生み出す」こと自体がそんなに簡単ではない、ということ。プラン B の最大の問題点は、で・じ・くまっちゃ氏も書いているように、3000 万円を年利 5 %で運用することの難しさ、でしょう。

 ある一定の余剰資金と投資知識を持っているのであれば、「お金でお金を生み出す」モデルへと生活自体をシフトしていくのは適切な判断と思いますが、手元資金がない場合に投資できるのは自己の能力(腕一本でお金を生み出す能力)でしかないんじゃないか、というのが私の考えです。今の世の中の場合、少なくとも数百万単位であれば自己投資次第で変動させられるわけで。

 この辺の考え方については非常に良い本(結構有名ですが)があります。

 「金持ち父さん貧乏父さん」 (ロバート・キヨサキ)

 私も技術職で一生食っていけるとも思っていないので、どこかでそういうスタイルにシフトせなあかんのだろうなぁとはぼんやり思うんですが、性格的な問題もあるんでなかなか難しいですね。私の近くにも起業した知人がいるんですが、なんつーか、ああいう独占欲というか支配欲の強さにはやや付いていけないところがあったりします。

 ……や、要するに自分が単なる 平凡で小市民なヲタ というだけの話なんですが;。

2005/8/9 23:58 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
久しぶりの気まぐれ雑記

 なんか今日はかなりバタバタしてたので、とりあえず以前書いておいた気まぐれ雑記を一つアップしてみたり。

 ……や、昔バイトしてた塾の講師総会の二次会カラオケで 振り付け付きで ふたご姫 OP をみんなで熱唱してたような気がしますけど、気のせいですよね、多分;。

# しかし一糸乱れぬ振り付けってどうよ? 状態ですな(汗)。

2005/7/11 00:28 | 4.雑学&雑感 | コメント (2) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:吉野家の経済学(★×3)

        体は 吉野家で 出来ている
 「――――I am the bone of Yoshinoya.」


 身体の半分はマクドと吉野家で出来ている、という大学生は結構いそうな気配ですが(汗)、そんな吉野家の店舗の裏側にあるシステムを垣間見る事ができる非常に面白い一冊。吉野家の社長と東大教授の対談形式で綴られており、物珍しさもあって半分シャレで買ってみたのですが、非常に面白くて一気に読んでしまったり。

 我々消費者って、特に深く意識することなく「吉野家」というサービスを受けるわけですが、実際にはこういうフランチャイズってノウハウの塊みたいなもんなんですよね。例えば牛丼が 280 円に値下がりしたとき、「すげー」と思うことはあっても、それが「吉野家」というチェーンにとってどういう意味を持つのか、どうしてそんな値下げが可能なのかということになると、ほとんど見当がつかない。あるいは吉野家の三拍子が、歴史と共に「早い、安い、うまい」から「うまい、安い、早い」に変えられたことも気付いていない人が多いかもしれない。ご飯のよそい方一つ取ってもそこにはノウハウがある。その一方で徹底的なノウハウの蓄積に基づくマニュアル運営の功罪についても議論されていて、フランチャイズの奥深さを物語ってくれます。

 吉野家が実は日本一のワイン消費量を誇っているといったトリビアとか、標準店の損益分岐点は 700 万円/月、一日 20 回転といった数値データなども豊富に示されている。普段我々が気付かない「裏側」の存在に気付かせてくれる、非常に面白い一冊です。吉野家という極めて身近な外食が題材になっていること、そして前提知識ゼロで読めるというのがいいですね。

 書かれたのが BSE 問題の深刻化の前なので、最近の吉野家の苦境や業態変化については整理されていませんが、それでも学ぶべきところはたくさんありました。これを読んで思わず吉野屋に行ってしまいましたが(^^;)、品数が増えてオペレーションが複雑化し、かなり変わっている様子なども見て取れて面白かったです。こういう本、もっと増えて欲しいですねー。

2005/5/1 22:17 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:トヨタ生産方式−脱規模の経営を目指して−(★×3)

 というわけで今日は久々の off。溜まってたコミックスとアニメを一気に消化して無借金経営……にはならず。っつーか未読多すぎなんですけど(涙)。一日かけても消化しきれない量溜め込んでいったいどうするのかと小一時間;。ついでに机の中を整理しはじめたらこんな感じ。



 ……なんで棒が出てくるかなぁ(苦笑)。まあ明日使うからいいんですけどね。

 そんなわけで今日は少し真面目(?)な書評を一つ。

 前々から興味はあったものの、なかなか読む機会がなかったトヨタ生産方式の本。ここ数年、コンピュータ関係の書籍でも結構用語を見かけるようになってきたので、とりあえず 一冊買って 読んでみたり。……いやこれは面白い。私は雑誌で聞きかじりぐらいにしかトヨタ生産方式のことを知りませんでしたが、なるほどこういうことなのか、と納得。

 トヨタ生産方式を特徴付けるキーワードの一つである「カンバン」。ご存知ない方もいると思いますので、ざっと説明しますとこんな感じ。

 一般的な考え方だと、作業工程が A → B → C と進むのであれば、最終的な生産計画から A, B, C の必要数量を見積もり、それぞれが個々の計画に基づいて生産作業を行う。ところがこれをやってしまうと、最終的な生産計画が下方修正された場合などに柔軟な補正がかけづらくなり、工程の間に部品の在庫の山が出来てしまう。それが結果として生産原価を上げてしまう。(部品在庫を保有・管理するのはコストがかかるので)

 これを避けるためには、後工程から前工程に対して「この部品がいくつ欲しい」と注文をかけるようにする。そうすると、前工程は「必要数量」しか作らなくなるので、作りすぎが押さえられ、適性在庫が保たれるようになる。この 後工程から前工程に発注をかける際に使う伝票を、トヨタ生産方式では「カンバン」と呼んでいます。……と、ここまではよく雑誌なんかでも説明されてます。

 しかし、理屈はともかく現実的にこれをどうやるのか、となると難題だらけ。なぜなら 前工程の人たちは、「部品 A1 が 1000 個欲しい」と言われたら、すぐに A1 を 1000 個作らなければならない。あるいは「部品 A3 と A8 と A7 をそれぞれ 300 個ずつ欲しい」と言われたら、すぐにそれに対応しなくちゃいけない。それってとんでなく大変なことのはずで、これが出来なければこのカンバン方式は成立しない。これをどうやって解決してるんだろう? と思ってたんですよね。

 で、実際にはどうするのかというと、後工程から注文をかけるときに、意図的にロットを小さくしてやるんだそうです。例えば、最終的に作りたいものがコロナとカリーナだったら、午前中にコロナを、午後にカリーナを、といった具合にまとめて生産することをしません。そのかわりに、コロナとカリーナを同一のライン上で交互に流してやるんだそうです(つまり、生産ロットを小さくする)。

 本来、鋳型や金型は交換するのに時間がかかるので、生産ロットを小さくするとどの工程もかなり手間が増えるんですが、こういう状況を作られると否がおうにも知恵を絞らなければならなくなる。実際、知恵を絞ったり道具を工夫すれば、こうした「手間」はどんどん小さくしていくことが出来るそうで、金型の取り替え作業も昔は数時間を要していたものが今では 3 分まで短縮されたとか。そうした積み重ねによって、結果として生産調整のかけやすい、多種少量生産が可能な柔軟な生産ラインが出来上がっていく、というんですね。

 この話の肝はどこにあるのかというと、カンバン方式に代表されるトヨタ生産方式が、結局のところ「現場の人間に創意工夫を迫る仕掛けを持っている」、というところ。見た目としては確かにカンバンが行き来しているのかもしれませんが、現実的にそれを実現するためには現場の人間の創意工夫が絶対必要不可欠で、それを自ずと求める仕掛けになってるんですよね。つまり、具体的な手法ではなく、改善と創意工夫を求める仕掛けになっていることにこそトヨタ生産方式の肝がある。ああ、なるほど、という感じ。

 書籍の後半は今一つ密度が薄かったですが、前半部分は一番の肝の部分が書かれているので非常に参考になりました。これ、1978 年に書かれた本なんですが、今でもその本質部分は全く変わらないんじゃないか、という気がします。なかなかいい本でした。

# そういえば書いてて思い出しましたが、セル生産方式の話は出てきてないですねぇ.....。
# これはまだまだ後の話なんですかね?

2005/4/24 01:18 | 4.雑学&雑感 | コメント (5) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
午後のお茶と読書の巻。



 ……賞味期限、4/7(木) なんですけど。(汗)

 そんなわけで今日はお茶しながらのんびり読書。どれも割と面白かったので軽くインプレ。

■ ウェブ戦略としての「ユーザエクスペリエンス」(★×3)


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4839914192/

 仕事の関係で Web サイトの基本的な骨格のデザイン方法について調べるために購入した本の中の一冊。3 時間ぐらいで気軽に読める本とはいえ、興味深い示唆を与えてくれるものでした。

 例えばこの blog は「えいやっ」とサイトのデザインを決めてるわけですが、大規模サイトになるとそうはいかない。一貫性のある使いやすいシステムを実現するためには、サイトの戦略(Strategy)→要件(Scope)→構造(Structure)→骨格(Skelton)→表層(Surface)と、段階を踏んだ適切な検討をしなければなりません。……と、ここまでは割と当たり前の話なんですが、この本はさらにもう一歩踏み込んでいて、

・ アプリケーション開発者の視点と Web デザイナの視点の両者を融合する
・ 各プロセスにおける主要タスクを定義する

というところまで示しているんですね。実はこの両者の橋渡しって意外に行われていなくて、システム開発系の本はアプリケーション開発者の視点でしか書かれてないし、デザイン関係の本は Web デザイナの視点でしか書かれてない。それぞれが別々の方法でユーザビリティを高める手法を模索してるんですよね。その両者を併せ持った立場で書かれているので、腑に落ちる話が非常に多いです。例えば、マスタページ(ページテンプレート)の構造を決めるために必要な要素は、

@ インタフェースデザイン:アプリケーションの持つ機能にアクセスする方法の検討
A ナビゲーションデザイン:中核となるナビゲーションシステムの識別
B 情報デザイン:ユーザに的確に情報を伝達するための最適な要素の配置の検討

の 3 つである、というのも確かにその通り、という感じ。こういう全体骨格をバッサリと切ってくれる本は有難いですね。勉強になりました。

# 以前、「デザインカンプ」(デザイン見本)って用語を聞いてどういうスペルか分からなかったんですが、Design Composition の略だったんですねぇ。納得(^^;)。

■ 「かまやつ女」の時代―女性格差社会の到来(★×0)


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4895000761/

 溜池通信で紹介されてた一冊、奇妙なタイトルに惹かれてざくっと読破。見た目はちょい厚めですが中身は軽めなので 1 時間ちょいぐらいで読めてしまう本。かまやつ女ってなんじゃらほい? と思ったら、こんな感じ らしい。えーと、こんな子、街中で見かけたことないんですが、ホントに日本に生息してるんですか?(汗)

 ……まあ私も他人のことをとやかく言える格好をしてないヲタなのでアレですが、通して読んでみたところ、結局言いたいことは 希望格差社会 とだいたいダブってる。明日に希望を持てないから、「頑張ろう」ではなく「のんびりゆっくり」という価値観を持つようになり、それがかまやつ女を作り出す。そんな彼女たちは大きな夢を語れど自分からは何もしようとしない。その一方でキャリア組はファッションも一流で完全な勝ち組の様相を呈していて、二極分化は埋められない差になっている。希望格差社会が描き出したのとほぼ同じ現状認識を、若い女性たちのファッションから読み取っている切り口はなかなか興味深かったです。この問題はやっぱり結構値が深いですね。

 ……が、そういう内容以前の問題として、女性に対してえらく失礼な本だとは思いましたが。同性の女性が書くならともかく、男性がこういう本をこういうふうに書いちゃいけないと思うんですが、私は。その辺、中身はともかくちょっと気分を害する一冊だったようにも思えたり。うぐぅ。

■ マリア様がみてる 〜 妹オーディション(★×4)


http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4086005689

 というわけで最後に 口直し 本命のマリみてを読破。……くそう、活字だけでここまで萌えるとは。(笑)

 いや〜、マリみてでは久しぶりの大ヒット、素晴らしい一冊でした。軽くネタバレありで。

 最近はサイドストーリー的な話が多かったのでやや食傷気味だったのですが、今回の一冊はここ最近のマリみてに欠けていたものが完全に復活した、という印象。それは端的に言えば、「絆」とか「縁」といったもの。そういった『目には見えないけど確かに存在するもの』が存分に描かれていたんじゃないかと。

 随分昔の雑記に、マリみての本質は「友情が織り成していく少女たちの成長物語」にあると思う、と書いたことがありますが、ここまで話が進んでみた上で振り返ってみると、この作品には「絆」とか「縁」といった言葉が非常によく似合う気がするんですよね。

 言うまでもなくこの作品の姉妹(スール)制度は一種の疑似恋愛なわけですが(百合モノだし(^^;))、そういう文脈で読み解くといろいろ感慨深いものがある。きっかけは些細な偶然でも、積み重なっていく想い出が絆を作り上げていく。そしていつの間にかお互いがかけがえのない存在になっていて、振り返ってみれば最初の些細な偶然も、二人に縁があったとしか言いようがないように思えてくる。

 デタラメから始まった主人公の祐巳と祥子さまの関係はまさにそれなわけですが、それをなぞるような着地を見せた由乃の妹(プティスール)騒動は、その先にある祐巳と祥子さまの関係に重なってくるんですよね。こんなデタラメから始まった二人の出会いがこれからどんなふうな絆を作り上げていくのか。そういう「未来」を感じさせる暖かい読後感が非常に心地よい一作だったように思えます。

 マリみてはノベル系が苦手な私でも割とさらっと読めるのがいいですね〜。さらに大きく話が動いていきそうな気配もありますし、ここからしばらくは楽しくなるかも。

 ふう、しかし今日は活字まみれでさすがに疲れたです。最後に これ でも眺めて寝るかな……(^^;)

2005/4/10 01:14 | 4.雑学&雑感 | コメント (8) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
書評:「先生はえらい」(★×2)

 私たちが敬意を抱くのは、「生徒に有益な知見を与えてくれる先生」でも「生徒の人権を尊重する先生」でも「政治的に正しい意見を言う先生」でもありません。
 私たちが敬意を抱くのは「謎の先生」です。
 「先生の中には、私には決して到達できない境位がある」ということを実感するときにのみ、弟子たちは震えるような敬意を感じます。

(「先生はえらい」内田 樹 氏)

 某氏から薦められている本は後回しにして(汗)とりあえず軽いところから。というわけでタイトルに惹かれて 内田 樹 氏の「先生はえらい」をちょろっと読破。一応中高生向けの本、ということもあって 1 時間ちょっとぐらいで読める軽い本なんですが、あいかわらず上手いこと言うなぁ、という印象。中身は最初と最後の 20 ページぐらいを読めば十分、という内容なんですが、「学ぶということは基本的に主体的なプロセスだ」ということを、いつものことながらの上手い言い回しでサクサクっと書いてます。

 しかし先頭に書いた引用は、実際問題として鋭いし、言い得て妙ですね。「先生はえらい」というのは一種の誤解で、相手に分からないところがあるからこそ敬意を感じる。それは恋愛のようなものだ、という比喩も上手い。『先生から学ぶのは、有益な技術や知識である』という思い込みが、この世から尊敬できる先生という存在を消し去った理由なんだ、という本書の指摘は、悲しいかな確かにその通りのような気がします。オチもミエミエですがなかなか good(^^;)。

 このシリーズ(ちくまプリマー新書)は初めて読みましたが、中高生向けと言いながらも視点そのものがヌルいわけではない割に語り口が軽いので、気軽に寝転がって読むにはちょうどいいですね。時間かからず読めますし。

# しかしこれを「ちくま"プリチー"新書」と読み間違えた私もかなり終わってるような気も。
# ……いやだって、帯がピンクなんだもん。(汗)

2005/3/14 00:19 | 4.雑学&雑感 | コメント (4) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
国民年金は何年で元が取れるか?

 今、テレビ見ていて初めて知ったんですが、60 歳までの約 40 年間で支払った国民年金を 65 歳から受け取った場合、たったの 8 年間、つまり 73 歳で元が取れる計算になるんですか。うはー、それは確かにお得かも。

 国民年金は給与天引きなので、そもそもいくら払っているのかすら知らなかった人ですが(汗)、トータルで 640 万円ぐらいの支払いにしかならないということにも驚き。いやもっと全然高いかと思ってました。

 私は将来の受け取りには全然期待してなくて、どちらかというと社会の安定のための税金の一種、という見方をしている人ですが、しかしこれからの高齢化社会を考えると果たしてどうなることやら。結局、将来の受け取りが期待できない以上は、今時点で稼いで、自分で溜めておくしかないですからねぇ。

 ……や、アニメの DVD やらグッズやらゲームやらに消えていくので全然溜まらない、というツッコミはヤボ、ということで(汗)。

2005/3/13 19:26 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
陪審員制度

 実は以前からちょっと気になってたんですが、先日録画しておいた NHK の特番を見ていろいろと驚き。

・ 4 年後にスタートの予定。
・ 対象者は抽選+面接で選出される。特殊な事情がない限り拒否することはできない。
・ 計算上、抽選に当たる確率は 13 人に 1 人。

 陪審員の身の安全を確保するように危険な案件は外したり本人の情報は隠したりだとか、なるべく日常生活に負担をかけないように論点を絞って裁判する仕組みを導入するだとか、いろいろな工夫を考えている様子。

 世論調査によれば、裁判に対するイメージはかなりマイナス(時間がかかる、分かりにくい、閉鎖的)であるにもかかわらず、いざ自分が当事者になることに関しては比較的多くの人が消極的な様子(参加したくない 64%、その理由としては人を裁くことに抵抗 41%、正しい判断ができない 37%、など)。どちらの数値も心情的にはわかるので、実際に運用が軌道に乗るまではかなりモメそう。

 ただ総じて言えば、オープンにすることで説明責任も生じるし、長期的に見ればきっといい方向には進むだろうとは思うんですけどね?。しかしいろいろと驚きました。ふむむ。

#関係ないけど、昨日のエントリ、やはり「ですます」調は微妙に blog に合ってないかも(汗)。
#blog = 独り言モードがいいのかな?(^^;)

 あ、ついでですが花梨ルート始めました。Windows の方で(笑)。

2005/2/15 01:54 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
目の前のリスクからの逃走 : 希望格差社会

 知人からの推薦で、山田昌弘氏の「希望格差社会」という新書を読んだ。著者の方はもともと「パラサイトシングル」という言葉を提唱した有名な人なのだそうだが、私は本書を読むのが初めて。一通り読んでみたが、読めば読むほど鬱になる、非常にシビアな『良著』だった。

 本書の要点をなるべく簡単な言葉でまとめると、おおよそこんな感じになる。(乱暴ですが(^^;))

  • ここ 10 年弱のビジネスの国際化などによって、社会に構造的な変化が生じた。個人の自由が高まる半面、個人が自分の行動に対して責任(リスク)を負わされるようになってきた。
  • その中で人々は横並びで自分の生活レベルに対する過度な期待を抱く一方、実力が伴わない多くの人はきっと頑張って報われないという実感から、日常的な努力を放棄するようになり、ますます期待を実現できなくなる。その結果、勝ち組と負け組の二極化がさらに加速する。
  • 負け組はリスクを先送りすることで自分の夢を維持しようとするが、10 年?20 年後には破綻して、若者層が社会にとっての不良債権と化すだろう。

 期待と努力は卵と鶏の関係なので、どちらが本質的原因と言うことは難しいが、本書は負のスパイラルに陥っている若者層の現状を極めて的確に捉えていると思う。例えば、結婚できないパラサイトシングル(←というか私のことですが(笑))に関する言説を引用してみよう。

 理由はいろいろあっても、パラサイト・シングルは結婚相手のいない独身者であり、フリーターの大多数は、サービス業や専門職の下請け等に従事する単純労働者である。現実に送っている日常生活は、理想とする将来に結びつくわけではない。(中略) つまり、現実の日常生活と将来の理想的な生活に決定的な断絶があるのが、パラサイト・シングルやフリーターなのである。

 この断絶に、「夢」が入り込むのである。パラサイト・シングルの語る結婚生活の夢は、男性ならかわいい奥さんが文句も言わずに家事をしてくれるといったものだし、女性なら収入が高くてかっこいい男性が、家事を手伝ってくれるといった夢である。(中略)

 ここに、自己実現の罠が生じる。(中略) 結婚にも同様のロジックが働く。一度、理想的な結婚生活を夢見ると、理想の切り下げができなくなってしまうのだ。妥協すれば、いままで何で待っていたのだろうという後悔が出てきてしまうからだ。(中略) 理想の仕事や理想の相手に到達できなければ、今まで、フリーターやパラサイト・シングルをやっていたという「苦労」が一気に水泡に帰す。そういう状態に直面することを避けるために、フリーターやパラサイト・シングルをし続けなくてはならない状況に追い込まれているとも言えるのだ。

山田 昌弘氏「希望格差社会」 p.217?218より引用(下線は原著にはない)

 うわーっ、すいません、ごめんなさい(汗)。……と謝りたくなるほど身も蓋もない、デリカシーのカケラもない分析。心情的には思わず反発したくなるが、冷徹ながらも非常に的確な社会分析を行っている。

 階層振り分けパイプラインシステムとしての教育論なども交えながら、こうした現状分析に対して、山田氏は最終的に以下の二つのポイントを改善施策として提言している。
  • 過度な期待の調整(冷却)システムの構築
  • コスト(努力)とリターン(報酬)に対する正当な見積もりの提示システムの構築
 端的に言えば、現在の社会構造に併せた形で、個々人の『身の丈』に見合った希望・期待を持たせる(場合によっては過度な期待を諦めさせることも含めて)ような社会システムを作り上げるべきだ、ということ。それにより、将来に対して「見通しが立たない」というリスクが抑えられ、社会を安定させることができる、というわけである。

 確かに、心情的にこの結論や提言が納得できるかと言われると辛いものがあるし、実際、amazon の書評を見ていても、比較的多くの人たちが感情的に納得していない様子が窺える。しかしこの本が指摘している、「普通の人たち」(=ボリュームゾーン)を救う社会システムの欠如と、それによる若者層の不良債権化と社会の不安定化は、残念ながらおそらく正しい指摘だと思う。細部の正確性はともかく、「日本は将来的に立ち行かなくなる」という日常的な皮膚感覚と、具体的な客観データとをうまく橋渡ししており、総体としての議論は的確ではないだろうかと思う。一部に我田引水な議論もあるとはいえ、非常によくまとめられた良著であった。

 私なりに敢えて一つだけコメントすると、個人向け施策と、ボリュームゾーン向け施策とは異なるものである、ということもきちんと書いておくべきではないかと感じた。本書の最後の提言には具体的な説得力がない、と批判している人が多いが、それはボリュームゾーン(=一般人)向けの議論を、自分自身(=個人)向けの議論と混同してしまっているからではないだろうか。本書は社会学的な視点からの施策(つまり『なるべくたくさんの人』をまとめて救うための施策)を議論しているため、その対策はかなり抜本的で大掛かりになってしまい、「現実性がない」と感じられてしまうのかもしれない。しかし、山田氏が描き出した『現在の絶望的な日本の状況』に対して、我々ひとりひとりがこれをどう捉え、どう対処するのかは全く別問題である。

 例えば、本書の中では「横並び意識を改め、分相応の生活をして、お金の掛からない趣味や家族の団欒を楽しめば、幸せな生活を送れる」という考え方は無理がある、としているが、それはマクロ施策として『一般人全員』に適用するのが無理だと言っているだけであり、ある個人として見たときには、これが現実的な選択肢になることもある(実際、そうやって心豊かな暮らしを手に入れている人たちもいる)。つまり、社会システムとして「多くの人たちをまとめて救う」施策は難しくても、個々人のレベルで見た解決策(=自分にのみ当てはまればよい解決策)には、様々なものが考えられるのではないだろうか。

 そういう意味で本書は、20 代や 30 代ぐらいの人たちが、「今」の自分の在り方、これからどうすべきかを改めて考え直す、いいきっかけを与えてくれる一冊ではないかと思う。予備知識も全く要らず、ゆっくり読んでも一週間とかからず読めるだろう。もともと学生向けの講義をまとめ直したものらしいが、先行きどうなっても構わないという世捨て人でもない限りは、この本を読んでちょっとだけ頭をひねって考えてみてもいいのではないだろうか。むろん夢や希望なしで人は生きていけないが、かといってそれらが『奇跡』によって皆に等しく天から降り注いでくるほど、きっとこの世の中は優しくない。そう、

『起こらないから奇跡って言うんです。』

っていうことである。(←これが書きたかったのかよ、おい(^^;))

2005/2/12 00:00 | 4.雑学&雑感 | コメント (0) | トラックバック (0) | このエントリへ拍手
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