最近のトピック 2006年7月 |
なー、ちょっと諸々忙しすぎる;。や、けろっちゃ氏と一緒に、昔バイトしていた塾のちょっとしたお手伝い作業をぼちぼちやってたりとか、実家にある荷物を片付けたりだとか、細かいタスクをちまちまこなしてるとあっという間に時間がなくなりますねぇ;。そんなわけでネタが供給できないので今日は久しぶりに DLR ネタを一つ。
以前(といっても 4 月頃;)、Disneyland Hotel についてつらつら書いたわけですが、ちょろっと書いたように、このホテル、建物としては Official Hotel 最古ってこともあって、どことなーくボロかったり格調高かったりします。建物は結構ボロいよ、という話を Web 上で見ていたものの、それでも現地に行ってみると想像以上で、ここはホーンテッドマンションの間違い……というのは言いすぎですが;、Officla Hotel 特別価格な宿泊費だよなぁと思ってしまったのは実際のところ。以前、BS-i のベストホテルとかいう番組で日本のミラコスタとかの紹介を見たことがあるんですが、あんなの目じゃないぐらい割高だなぁと思ってしまったり。
けれども、躯体はともかく内装とか調度品類はさすがに手を入れてるようで、ベッドとかはごく普通にいい感じ。ちゃんと天上まわりとかにはピクシーダストのイラストが描き込まれてたりとか、なかなか凝ってました。
……ま、バスは普通に狭かったですけど;。でもアメリカなのにちゃんと大量の水が出たのには感心。(← や、冗談のような話ですが、シャワーの出が悪かったり温度が低かったりというのはアメリカのホテルだとしょっちゅうあります;。日本じゃ絶対に考えられないんですけどね。)
調度品類で一番感心したのはこのルームライト。実はなかなか気付かなかったんですが、灯りをつけると星がつくんですねー。
……えーっと、ルームライトの下に電源タップがありますがこれは持ち込みです;。(← だって電源タップないと生きていけないじゃないですかww)
さてさて、それはともかく。Disneyland の Official Hotel に泊まる楽しみの一つは、なんといってもお部屋の中のアメニティグッズ漁り。なにしろカードキーからしてこんなのなんですよ?
せっかく来たのなら、ことごとく漁って帰るしかあるまい! っつーことで、片っ端から部屋を漁ってみました(ぉ)。やー、いろいろと出てきますね。レターセットとかは結構センスがいいし。
ところで、最近はアメリカでもブロードバンドインターネットが主流になってきていて、ホテルの部屋に LAN ケーブルの口が用意されてることが多くなりました。日本のように無料であることはほとんどなくて、だいたい 10$/day ぐらいで使えるようになってるのですが、Disneyland Hotel の場合は無料。さすがこの辺は Disney Quality。ノート PC を持ち込んでたので blog の更新も出来なくはなかったんですが、ぶっちゃけそんなことしてる暇があったらとっとと寝ろ状態でしたよ現地では;;。(← さすがに仕事のメールだけはチェックしてましたけど;。)
しかし思いっきり爆笑したのは LAN ケーブル。や、ノート PC を接続するための 1m ぐらいの LAN ケーブルもちゃんと用意されてて、まさに至れり尽くせりだったんですが、さすがにこれはディズニー仕様じゃなくてごく普通の 100 円ぐらいの緑のケーブル。……だったんですが、ご丁寧にビニール袋に入れられてて、英語でこんな注意書きが。(写真とっとけば良かったんですが;)
「この LAN ケーブルはお持ち帰り用のアメニティではありません。
部屋の備品なので、勝手に持ち帰らないでください。
もしなくなっていた場合には、後日、クレジットカードに $30 の追加チャージをさせていただきます。」
……おいおい、いくらアメニティグッズ好きだからって 何の変哲もない LAN ケーブルまで持って帰るなよ状態;。や、きっと問答無用で片っ端から持って帰るマニアが多かったってことなんでしょうけど、さすがにこれには思わず爆笑しちゃいましたよ(苦笑)。
というわけで今日はこんな本の書評を。
……ってなんで私はこんな本を読んでやがりますか状態なわけですが、実は最近、ネットラジオを聴くようになって、女性声優陣のトークネタにやたらとダイエット話が出てくるなぁと思ったんですよね。例えば、ちっちゃな雪使いシュガーで心優しい少女サガを演じたはずの浅野ますみんが暴言を連発する(としか言いようがない;)かしましらじお PC では、新谷良子と二人でダイエットに挑戦したりしてる。がしかし、正直言ってこうもダイエットがネタになる理由が感覚的にどうにも分からない……で、先日他の文庫を買ったときに目に付いてちょっと手に取ってみた、という次第。
# 他と違って blog ネタとしては微妙に危険なネタのような気もしますが噛み付かないでください(ぉ)。
で、読んでみたんですが……いやなるほど確かにダイエットって涙なくしては語れないのですねぇ;。
まあ、この本を読んだところで感覚的に分かるようになるというモノでは当然ないんですが、要するにダイエットって、身体の正直で正常な欲求をいかにコントロールするか、という本能との戦いなのか、と。つまり、我々に例えて言うなら、ダイエットとは、我々が心の養分補給のために日々欠かさず摂取しているアニメを半年見るな、と言われるようなもんなんですよ。……それは無理、絶対無理、みたいな話ですよ、確かに。そりゃ女性陣でこれだけ話になるのも当然。(← 例え話が悪すぎです;)
実を言うと、私の場合は普段からリアルマイシスターを見慣れてしまったせいで、外見では全く反応できないタチになっちゃったんですよねぇ。や、兄の私が言うのもなんですが、実際問題としてそんじょそこらの子ではリアルマイシスターには全く太刀打ちできないのですよ;。喋らなければもっといいんですが まあ、反応できない真因は三次元だからだろとかツッ込まれると何も言い返せませんが;、そういう人間なせいか、こうも世間が極度にダイエット(=外見)にこだわる理由がどうもピンとこない。けれども、実際に苦労してダイエットで痩せるとおそらく世界観変わっちゃうんでしょうねぇ;。かつてリアルマイシスターは、ダイエットしてメガネ外したらアホみたいにモテるようになって世界観が変わったと言ってましたが、そりゃモテ子になれば世界観も変わって無理もないのかもしれず。
……とか思って読み進めてたんですが、考え込んでしまったのはこの本の巻末のあとがき。この著者の人、会社を潰してしまって鬱になり、自宅に引きこもってぐーたらしてたら太ってしまってダイエットを始めたらしい。けれども痩せたら自分に自信が持てるようになって、何をするにも前向きに取り組めるようになった、と。つまりこの人の場合、ダイエットして最も良かったのは何かというと、モテ子になったことでもなんでもなくて、かつての自信を取り戻して人生に対して前向きになれたことだ、って言うんですよね。なるほどこれにはめっちゃ納得。最初から、自信を取り戻すためにダイエットしよう、なんて人は皆無でしょうが、本人も後から気付いた副次効果なわけで、なんかすごくいい話だなぁと思ってしまったり。や、外見ばっかり取り繕うのは問題でしょうけど、良いか悪いかはともかく「人は見た目が 9 割」とか言われる時代。こういういい話を聞くと、やっぱり少しは考えないとなぁと思った今日この頃。や、そっち方面は全然ダメな人なので;。> 自分
あと、この本を読んでちょっとショックだったのは、紹介されているおすすめダイエット法。結局、消費カロリーと摂取カロリーのバランス問題だから、食欲との戦いに勝つために、おいしくて低カロリーのものを食え、と。なので鍋ダイエットとかいろいろお薦めされてるわけですが……ってちょっとマテ、これって私の食生活そのものじゃないかよ状態;;。
・野菜中心の鍋物はカロリー低いから満腹になるまで大量に食べても OK。
・野菜は低カロリーで栄養バランスもいいから大量に取るべし。でもジャガイモだけは危険。
・抜きすぎるのも問題だけど、炭水化物を摂取しすぎないようにするのもポイント。
・食べたくなったらケーキとかもOKだけど、ホントにおいしいものを少なめに。
・お酒もどちらかといえば飲まない方がいい。
な゛ー、まんま私の食生活じゃないですか;。や、実は私って、人に会うたびに「また痩せた?」と言われ(←ここまでならまだイイ)、実際問題として年々体重が減り、ついに定期健康診断では欠食児童(要するに栄養失調)とすら診断されたことがあるんですが(この飽食時代にですよ??)、野菜とかめっちゃ好きで、炭水化物そっちのけで食べるんですよね;。普段も量より質重視な人なんですが、なんのことはない、これって無意識にダイエットしてるってことじゃないですか;。最近、さすがにヤバいような気がして、自炊では意識的に量を多くするようにしたので多少は戻りましたが、量だけじゃなくて質を考えなきゃダメなのかと気付く今日この頃。でも野菜炒めとかめっちゃ好きなんだよなぁ……;。
# あ゛ー、摂取カロリー増やさなくても消費カロリー減らせばいいのか。
# つまりさらにひきこもってぐーたらすれば OK なのか?(違います)
それにしてもこういうのを読んでると、やっぱり女性はいろいろ大変なんだなぁと思いますねぇ。よく、男性は女性が前髪を 3 cm 切ってもまったく気付かないとかいわれますが、そりゃこれだけ頑張ってるんじゃ、ほんの少し痩せても褒めて欲しくなるのは無理もないんだろうなぁと思う今日この頃。というか過去何度リアルマイシスターにテストされてその度にアホ呼ばわりされたか分からないわけですが;。> 髪の毛 & 髪型テスト
……と、おそらく著者の意図とは全く違う方向に全く違うショックを受けた本(ぉぃ)。なにげに後半はただのお料理本と化してましたが、でも素直に面白かったです。こういう普段は全く無縁なジャンルの本も、たまに読むと面白いですね。
はー、やっと金曜日。なんか今週はぼちぼち忙しかったけどなんとか答えまではほとんど辿り着けたのでまあよしとしよう。> お仕事 そんなわけで今日は昨日買ったこちらを読んでみたり。
……したんですけどね。いやー、素晴らしい。問答無用で素晴らしい。なんて暖かくて優しい作品なんだろうか、と。
最終巻、やや無理矢理終わらせた感もないわけじゃないです。特に「蒼葉 梢」という人格への人格統合の流れに関してはもうちょっと深掘りも出来たんじゃないかと思うし、「簡単なこと」についてももうちょっとじっくり描いても良かったようにも思います。が、そんなことを全部すっ飛ばしても素晴らしいんですよね、この作品。
ようやく最終巻で語られた灰原のエピソードもそうですが、この作品の良さって、行き着くところ、D.O. の名作「家族計画」と同じじゃないかと思うんですよね。人生、山あり谷あり。いろんな人が、いろんなものを抱えて生きている。挫折経験しかりトラウマしかり幼少時代の虐待しかり。そんな傷だらけの人たちを、等身大のまま受け容れてくれる人や場所を描いた作品、それがこのまほらばなんじゃないか、と思うんですよね。そしてそうした人たちが紡いでいく、穏やかで暖かいドラマが積み重なっていくのが、鳴滝荘という場所。想い出や気持ち、そして絆が、鳴滝荘という器に雪が積もっていくがごとくどんどん積み重なっていってかけがえのないものになっていく。きっとそれは彼らにとっての『心の家族』や『心の家』であり、それが彼らにとっての『新たな原点』になっていくんじゃないか、と思うんですよね。つまり鳴滝荘は、彼らにとって『還るべき場所』であり、彼らにとっての人生史の一つの起点。
「……隆士さん。
私……幸せです……」
梢が最後に万感の思いを込めて語るひと言が、非常に心に響くんですよね。
……ああ、ホントにこの幸せに至るまでにいろいろあったんだよなぁ、と。
全体を通して一つだけ残念だったのは、珠美が救われるエピソードがなかった点(しかも最終巻では事実上スルーされている)ですが、きっとこれは番外編などで補完されるのでしょう……というかそれを期待したいところ;。ちなみにもう一冊のまほらば白の方は過去のカラーイラスト大全なのですが、いやとんでもないカラーイラストの点数に思わず圧倒されました。凄いなぁ、これ;。
それにしても改めて振り返ってみて、こういう人生史としての『重み』を感じさせてくれる作品は先に挙げた家族計画などを始めとして決して少なくないのですが、この作品のように、過去の不幸やトラウマを煽り立てることもなく、かといってテーマを上段に掲げるでもなく、静かに暖かく優しく描いた作品はなかなかなかった、と思うんですよね。帯にある売り文句そのままですが、私もこの作品に向かってひと言。
その出会いに、過ごした季節に、育んだ心に、そして別れに、
――――――――――――――――――――――――ありがとう。
や、ホントに素晴らしい作品でした。小島あきらさん、連載おつかれさまでした。
というわけで今日はちょっと早めに仕事が片付いたので、近場を回っていろいろとお買い物。
写真以外にさらにお勉強の本を 3 冊ぐらい買ってるんですが、さすがに買いすぎだろ状態。というかまた積まれるんだよな、これ……;;。カタログもとらのあなで買ってきたんですが、
「……この特典って何ですか?」
「折り畳み傘です」
縁起でもないものを特典にしないでくださいよ状態;。しかもどう考えてもこんなのコミケ会場でしか使えないじゃないですか;;。そういや昔の特典の扇子もコミケ専用になってるな……
ついでに西友とかビックカメラも立ち寄ってきたんですが、DS Lite が普通に売られていたのには驚き。さすがに行列になってましたが、木曜日の夜の時間帯で結構大量に在庫が残っていたのはびっくり。……っつーかあれだけ苦労して手に入れたのはいったいなんだったんだよ状態なわけですが。しかも 4 色全部あるし;;。
# でも地方は在庫薄でひどいことになっているようですが。
そんなわけでとりあえず CDS だけ聞いてみたり。シャナの続編(違)のゼロの使い魔の OP テーマ「First Kiss」。CDS のジャケの毒々しさに一瞬ビビりましたが;、曲の方はアップテンポの力強い一曲。今期の OP テーマの中ではかなりお気に入り。あとは N・H・K のパズルがちょっといいかなぁと思ったけど食指が伸びるほどでもなく、今クールは全体的にちょっとイマイチな感も。
しかし微妙に暇がないな;。まあ昨年は引越しやらサークル委託やら何やらで今どころの忙しさではなかった気もしなくもないのですが、今年は普通に仕事が忙しいワナ。例年この時期は仕事はあんまり忙しくないんですけどねぇ……うむむ。
# blog を読んでるととても忙しそうには見えない、というツッコミはなしで;。
最近、自分の組織に中途採用の新人くんがぼちぼち入ってくるようになったわけですが、なぜにやたらとメンター(いわゆる相談役)にアサインされるのかかなり謎;。や、今現在も 3 人もアサインされてるんですが、面倒なことは全部押し付けですか状態;。……といってもじゃあ具体的に何をやってるのかとゆーと、実はたった一つだったりするんですよねぇ。それは、
たまにお昼ご飯を一緒に食べに行く。
とゆーもの;。おいおいそれでメンターと言えるのかよと言わそうですが、ぶっちゃけ話、私はこれが一番いいんじゃないかなぁと思ってるんですよね。や、完全な学卒の新人の場合にはまたちょっと話が違うんですが、中途採用だと若手の人でもあんまりあれこれ口を出すべきじゃないと思ってるんですよね。仕事のやり方や進め方については当人のスタイルで決めた方がいいし、子供じゃないんだからお尻を叩かなくてもちゃんと仕事ぐらいできるでしょ? と。ただ、社内の人を紹介してあげるとか、当人が困っていることについてアドバイスしてあげるとか、そんなことぐらいで十分で、そのためにはお昼ごはんを食べながら雑談ベースで、ぐらいがちょうどいいんですよね。
ただ、それでも若手の人の場合には必ず私の方からアドバイスしていることが一つあります。それは、
毎日必ず寝る前に、15 分ぐらいでいいから「作業の進め方」や「作業そのもの」を見直す時間を取ること
というもの。や、最近はどこの会社も忙しくて、特に即戦力を期待される中途採用の人はいきなりプロジェクトに放り込まれるケースが多々あるわけですが、前職からのスキルセット転換が間に合わなかった場合、やっつけ仕事を繰り返すためにいつまでたっても自転車操業になっちゃうことが往々にしてあるんですよね。で、こんなことをいくら繰り返していても、はっきりいってタメにならない。
こうした悪循環を抜け出すためには、客観的に自分の作業の進め方や作業そのものを分析して、それを改善していく必要があるわけなんですが、日々の忙しさにかまけてしまうとついついこうした作業を忘れちゃうんですよね。だから、強制的にでも時間を取って、やり方を見直すようにしないといけない、と思うんですよね。(← 慣れてくると毎日決まった時間を取らなくても作業をしながら常に「振り返り」ができるようになってくるんですが、慣れないうちは強制的に時間を取った方がよい、と。) 例えば品質管理の世界には PDCA という有名な考え方があって、
・Plan(計画):従来の実績や将来の予測などをもとにして業務計画を作成する。
・Do(実施・実行):計画に沿って業務を行う。
・Check(点検・評価):業務の実施が計画に沿っているかどうかを確認する。
・Action(処置・改善):実施が計画に沿っていない部分を調べて処置をする。
というサイクルを繰り返せ、というんですが、要するにこれも漫然と仕事をしないで定期的に仕事のやり方そのものを見直せということなんですよね。こういうのって多くの企業で新人研修などの間に教えてもらうのに、現場に放り込まれるとすぐに忘れちゃうんですよ^^。
個人的な感覚では、全体の稼動の 3 〜 5 % ぐらいをプロセス改善の時間に当てるべきじゃないかと思ってるんですが、なかなかそういうことを実践している人は少ない様子。や、スーパーサイヤ人じゃないですけど、ベースになる実力が少ない人はそれを何倍にするのかを考えて頑張った方が、結果としてのアウトプットの総量は大きくなるんじゃないかなぁと思ったりするんですけどねぇ。
というわけで今日はこれの書評を一つ。
溜池通信の 6/23 の日記で一部引用されているのを見て、ちょっと興味が出たので読んでみようかと思ったらすでに絶版;。やむなくヤフオクで落札して軽く読んでみたり。や、どういう本かというと、将棋の世界は勝負の世界なので、当然のように勝者にスポットが当たる。しかし、超一流棋士たちが痛恨の敗局を喫したとき、いったい彼らは何を失って、何を得たのか。序文にこんな文章が書かれてます。
……勝負の価値は、そこに賭かっているものの大きさで決まる。だがそれは、勝者が何を獲得するかということより、敗者が何を喪失するかということの方が大きいのではないか。そして敗局の中にこそ、その人の真実がありはしまいか。私は多少は将棋が分かるものの、棋士たちの譜面を理解できるほどの実力には程遠いので、この本で採り上げられている棋譜はほとんど分からない。けれども、そこに綴られているのは棋譜そのものではなく、それを作り上げている人間のドラマ。タイトルホルダーの棋士たちが若手に破れたときの痛恨。対局料が安くなったり、サイン色紙を求められて肩書きが書けなかったり、弱くなったとたんにファンたちが離れていったり。目の前に突きつけられるリアルが、失意をより根深いものにする。
そう、風車になればいいんだ。風の吹くまで二年、三年かかろうと、ちょうどいい機会と考えて勉強しよう。そう考えると、肩の重い荷が全部おりた気がした。
何気なくもらした娘の無邪気な言葉(「パパも将棋を習ってるのね」)が、内藤の気分を落ち着かせた。普通なら聞き流してしまうところだ。それを師の声のように聞けたところに内藤の充実が感じられる。
これだ。自分は将棋を「知る者」だった。しかし中原名人は将棋を「楽しむ者」だった。「好む者」よりも上なのだから自分より二階級上ということになる。そうか、それで恐怖心が湧いたのか。F1 のアロンソなんかを見ていても思いますが、確かに勢いのある若手は、何もかもぶち壊して突き抜けていく強さがある。それに対して追われるものの立場にある人はすぐに引退やらなにやらと書きたてられる。実際、老兵は老いては去るのみとか言われるわけですが、けれども本当にそうなのか。
だが大事なことは、敗戦はただマイナスばかりではないことである。敗戦の悲しみを糧にして棋士は立ち直る。沈潜した悲しみがその人を強くし、さらなる飛躍をもたらすのだ。挫折なき人に、超一流はいないのである。順風満帆なだけの人生はなく、挫折を消化しているからこそ人としての厚みが出てくる。おそらくどの業界にもいる『ベテラン』と呼ばれる人々は、そうした域に立っているからこそ『超一流』なのでしょう。や、確かにこれは名著と言われるだけのことはある一作。なかなかいい本でした。
っつーか微妙に仕事が忙しい;。というわけで今日は冷凍食品書き溜めておいたこのゲームの感想を。
レインボーアイランドって、私がやりこんだ数少ないアーケードゲームの一つなんですが、当時ホントにかなりやり込みまくったおかげで今でも身体がプレイスタイルを覚えてるんですよね^^。で、DS のゲームをいくつか見繕おうと思ったときに見かけたので買ってみたんですが、やー、これはなんというか激しく微妙;;。
どんなゲームかというと、虹を描いてそれを敵にぶつけて倒していく、というものんですが、DS のタッチペンを生かすために「ペンで虹を描く」ゲームになってる。……なんですけど、これがいろいろと微妙;。
や、プレイした人でないと分からないと思うんですが、どんな感じかとゆーと。
・タッチペンの精度が低いので、思った場所に虹を描けない。
もともと DS のタッチペンってそれほど精度が高くないので、「虹を描いてぶつける」ということ自体がそもそも難しい。しかもそんなに綺麗に線が引けるわけじゃないので、画面じゅうに、のたうちまわった蛇のような虹が大量に描かれることに;。う、美しくない……;; 当然、タッチペンの精度が低いので、思ったように虹を崩すこともできず;。
・思ったようにダイヤの色を出せない。
かつてのレインボーアイランドをやった方ならご存知と思いますが、このゲーム、敵を特殊な方法で倒すと七色のダイヤが出てきます。で、このダイヤの色は敵を倒した位置に応じて決まっていて、(画面を横方向に 7 分割してそれぞれ)赤・橙・黄・緑・水・藍・紫のダイヤが出るようになってる……んですが、恐ろしいことに横スクロール面があるんですよ;。で、敵を倒した位置に応じてダイヤの色が決まるんですが、それが赤・橙・黄・緑・水・藍・紫・赤・橙・黄・緑・水・藍・紫・赤・橙・黄・緑・水・藍・紫……とループしていて、どこが何色に対応しているのかさっぱり分からない。しかも敵を倒したときに敵が飛び散る方向もランダム(?)になっていて、思ったようにダイヤの色をコントロールできない;。
・なぜか風が吹く。
虹の描き方が変更されたのに合わせて、自機の移動についても「泡の中に入って画面上を自由に移動できる」ようになっているんですが、恐ろしいことにこの自機の泡が「風に流される」。で、油断していると、画面上に仕掛けられた針のトラップにグサリと刺さる;。さらに困ったことに、自機はタッチペンでも移動できるようになっているんですが、自機付近で虹を描こうとすると自機を動かしてしまうことがあって、「ちっがーう!」となってしまう;;。
で、結論。めっちゃストレスが溜まる;;;。
このゲーム、着想は決して悪くないどころかかなりいいんですよ。タッチペンで虹を描き、敵をつまんで投げて倒していく。プレイした瞬間に「おお、結構面白い」と思ったのは本当。けれども、そこに余計な要素を入れてしまったのが失敗なんですね。例えばちょっとプレイしにくくするために風を吹かせてみたり、ステージにバリエーションを持たせるために横スクロールできるようにしたり、BGM もたくさんのアレンジ曲を入れてみたり。けれども、実はそれらはすべてせっかくのこのゲームの面白さをスポイルしてしまうものなんですよ。
考えてみれば、旧作レインボーアイランドはものすごく単純な操作でありながら洗練された面白さを持っている。重要なのは、そのゲームの何が面白いのかを突き詰めて、不要な要素やアイディアは勇気を持って切り落とすことであり、旧作はそれに成功してる。ニューレインボーアイランドは、着想がいいだけに非常にもったいない。なんというか、勇気を持って切り捨てることも重要なんだよなぁ、と思わずにはいられなかった一作でした。
今日は土用丑の日ウナギの日(← 正確には昨日ですが;)、というわけでみんなでうなぎパーチーでありますよw。
や、お店に行くと混雑してるんじゃないか、ということで伊豆栄の出前を取ってみたわけですが、や、意外と出前も便利でいいですねぇ^^。外に食事に行くとなんだかんだで結構かかってしまうものですが、アルコールとかの飲み物類も安く付くし、一番高い仕出し弁当を選んでタカノのデザートまでつけてもたかがしれている。出前料金取られるかと思ったけどそれもないし、こういうのもなかなか悪くないです。……でもうちだと 5 人ぐらいが限界かも;。> 部屋のキャパシティ
しかし今日はなぜか近場に出てきてたリアルマイシスターも合流してパーチーに参戦;。や、グルメ会メンバの方々には大変ご迷惑をおかけしました状態なわけですが、ついでにやってみてもらいました、脳トレ。
ぶいっ。勝ちましたでありますよ隊長〜っ。
……っていうか大人げねーよ自分(笑)。まあ続編の方は 41 才 vs 36 才で負けてるわけですが(ぉ)。
ところで、このうなぎパーチーの前に、けろっちゃ氏と共にハルヒ全話一気鑑賞会(約 6 時間ぶっ通し;)をやってみたんですが、いやこれめっちゃよく出来てますねぇ。正直めちゃめちゃ驚きました。や、要するにソートし直して正しい順番で見てみたんですが、完璧なまでに美しく伏線が張られてきっちりと消化されてるんですよ。
例えば、正しくソートすると最終話の次に来るのは第 4 回放送分の「涼宮ハルヒの退屈」(野球の話)なんですが、「次にみくるちゃんにどんなコスプレさせようか?」の伏線としてナース服になってたり、あるいはみくるをポニーテールにしちゃおうか、というときにキョンが示した反応からハルヒが急にそれをやめちゃったり。っつーかハルヒってめっちゃかわいいじゃないですかwww状態。や、この「かまってちょうだい」光線だしまくりのツンデレがなかなかに good(笑)。しかも驚いたのは、ちゃんとソートしなおすと、涼宮ハルヒの憂鬱Yからちょっとずつハルヒの髪の毛が伸びてるんですよ。や、これ、ポニーテールするためなんでしょうけど、ここまで凝った作りになっていたというのにはびっくり。
さらにイイのが、正しいソート順にしたときの最終話に相当する「サムデイ・イン・ザ・レイン」。ハルヒとユカイな仲間たちが繰り広げる超絶ドタバタハイテンションラブコメがこの作品の勢いのある魅力ではありますが、この最終話は全体的に BGM を押さえて、一部には無音アニメなどを織り交ぜながらものすごく静かにしっとりと物語が進む。そして最後はなんだかんだいいながらも相合傘でラスト。いやー、めちゃめちゃセンスあるじゃないですか^^。
超ハイテンションなハルヒが望んでいたのは、毎日がワクワクドキドキで全く飽きがこないようなドタバタな日々だったはず。けれども、こんな雨の中の憂鬱な、モラトリアムの極みの退屈で色合いのないような物静かなゆったりとした世界の中にも、ちゃんとハルヒが望んでいたものがあるんですよ。かつてのハルヒだったら、寝ているキョンを叩き起こしでもしたものでしょうけど、カーディガンをかけて電気ストーブを彼のそばに移して、のんびりと彼の起きるのを待ち、相合傘で帰る。それはまさに、ハルヒが主人公になれる恋物語そのものなんですね。
いやー、放送順の最終話にもシビれましたが、この最終話にもなかなか感動しました。というか、最初に見たときにはそんな意味が込められているなんて全く予想にもしてなかったのですが、順番を入れ替えて見るとこんなふうになっていたとは正直びっくり。いやー、素晴らしかったです。
というわけで今日は一日よく遊びました……っていうか遊びすぎ;。や、明日からまた頑張るぞですよー^^。
や、なんだかめっちゃ湿っててイヤ〜ンな一日ですねぇ。こんな日はクーラーをがんがんに効かせた部屋に引きこもって「今日もご本にかこまれて、しあわせ」モードですよ、ええ^^。というわけで今日はこの書評〜。
や、この作品、アニメが珠玉の出来なわけですが、原作もさすがに素晴らしい出来。とりあえず 5 巻まで読んでみたんですが、いやさすがにベストセラーになるだけのことはある作品だなぁと感心。……したんですけどね、ひと言言わせてくださいよダンナ。
このアホ女をなんとかしてください;;;。> 小松 奈々
っつーか読めば読むほど呆れてくるわけなんですけど状態。いやー、なんつーか徹底してますねぇ。
「あたしはもっと運命的な恋がしたいんだよ。大魔王のお導き的な出会いで。
あたしも早く幸せが欲しい! てゆーか彼氏が!」
アニメ版を最初に見たときにはちょっとピンと来なかったんですが、この子って端的に言えば、愛されたいけれども他人を愛することができない子なんですね。しかも当人にその自覚がないから、まさに坂道を転がり続けるようにどんどんどん底へと落ちていってしまう。ざっと 5 巻までの彼女の略歴をまとめると、こうなる。
・女子高生時代に、妻子持ちの浅野と不倫関係に。東京への転勤であっさり捨てられる。
・地元の美術学校に進学して、そこで知り合った章司と恋仲に。過去の傷を癒してもらう。
・章司は大学受験のために上京して浪人。彼女は地元に残って一年間の遠距離恋愛モードに。
・卒業後に彼女も章司を追って上京。ナナと同居を始め、アルバイトして食いつなぐ。
・けれども彼女は自分の都合のままに章司を振り回し、挙句の果てには彼を放置プレイ。
・章司は傍で自分に思いを寄せてくれた幸子に本気で恋してしまい、奈々はフられてしまう。
・もう二度と恋で傷つきたくないからと、奈々は同居人のナナとの女の友情に逃避しようとする。
・ところがそのナナは、かつてのバンドの恋人レンとの再会を果たし、ヨリを戻す。
・それを見て奈々は再び恋愛病に。ヤスがダメだと分かればノブに手を出し、手当たり次第にアタック。
・けれどもそんな発情モードの恋は実らず、完全にダメな子モードの奈々はついにバイトすらクビに;。
・そんな傷心の隙間にあっさりとトラネスのタクミが付け入り、お持ち帰りされて食われてしまう。
……正真正銘のアホな子ですかこの子は;。いや救いようがないんですけど状態;;。
彼女の恋愛は決して長続きしない。章司のようにせっかく自分を愛してくれる人に出会えても、彼女はその愛をホンモノに育てることができないんですよね。理由は簡単で、彼女は他人を愛することができないから。
「あたしにとっては章司だって奈々と同じぐらい大切な友達だから、
奈々の肩ばっか持ってあげられない。
あたし、あんたのそーやってすぐに被害者ぶるところどーかと思うし。
確かに今回の事は、けじめもつけずに他の女になびいた章司が悪いよ。
でもそれ以前に、あんたにも落ち度があったと思うよ。」
「そんなの……わかってる……でも……
あたしだって一生懸命やったんだよ、淳ちゃん……
ちゃんと仕事も見つけて……一人前になれるように……」
「だからそれはあんた自身の問題でしょ?
あんたはそーやっていつも自分の事ばっかで、章司に対して思いやりがなさすぎだよ。
恋愛だって……人間同士の関わり合いなんだから、
相手を思いやれなきゃ、上手く行きっこないよ。」
章司を失ったとき、奈々は淳ちゃんに、彼女の本質的な問題を端的に指摘されている。けれども彼女は全く学習しない。それはなぜか? 要するにこの子はどこまで言っても自分が一番かわいいんですよね。結局、相手のために何かをすることもできないし、トラブルが起きたときでも相手を貶めることでしか自分のプライド(見栄)を維持できない。だから章司にフラれたときには彼が自分を裏切ったんだ、と言ってしまう。『大魔王』というキーワードがよく出てくるのも、要するに悪いのは全部誰かのせいで、決して自分のせいじゃないから。自分を不幸のヒロインに仕立て上げる一方で、自分の落ち度を率直に反省したり謝ったり振り返ったりすることができないんですよ。けれども、自分に対する無償の愛だけはとにかく欲しい。そんな都合のいい愛なんか、あるわけがないのに。
ナナには言えない。知られたくない。
こんな尻軽女みたいなマネしたなんて知られたら、きっと軽蔑される。
でもね、ナナ。
あたしだって本当は、ナナみたいに真っ直ぐに誰かを愛したいんだよ。
ナナとレンみたいに、強い絆で誰かと結ばれたいんだよ。
ねえナナ、本当はあたし全然大丈夫じゃないよ。
タクミに一夜限りで捨てられるなんて本当はイヤだよ。
おいおいなに寝言言ってやがりますか状態;;。挙句の果てにはタクミが部屋に残した携帯電話の番号と電子メールアドレスに奈々はすがる……って、あんた本気でアホですか状態;。彼女がすがっているのは、別にタクミじゃなくて、タクミが自分に向けてくれる下心満載の愛情(とすら呼べないようなシロモノ)なんですよ。そんなシロモノであってもそれにすがらない限り、彼女は生きてはいられない。
上のセリフの中で、彼女は真っ直ぐに誰かを愛したいと言うけれど、これもさっきの話と全く同じなんですね。要するに、「自分が本気で愛せるような素晴らしい相手に巡り会えないからナナみたいになれないんだ」と言ってる。けれども人間なんて凹凸があって当たり前。彼女は 100 % 自分が愛せるような素晴らしい相手じゃなきゃダメだというけれど、そんな『白馬の王子様』なんて人間界にはいない。奈々が他人を「ありのまま」に真っ直ぐに見られるようにならない限り、つまり相手をありのままに受け容れることが出来るようにならない限り、彼女は誰かを愛することができるようにはならない。
けれども、自分に対する無償の愛だけはとにかく欲しい。だから、満たされないことが分かっていながらも流される。……って、おいおい;。
いやもうここまで徹底して描かれるとさすがに言葉を失ってしまったり。でもまぁ、この作品って確かに時代をうまく捉えているような気はしますね。というのも、いわゆる昨今のモテブームの本質はこれなんですよ。相手から愛されたい、選ばれたいという欲求。それ自体は間違っちゃいないと思いますが、けれどもそれに付随するアクションが自分に向かっている限り、パワーゲームに勝ってもそれだけでは本当に愛して愛されることにはならないし、心が満たされることがない。だって章司が奈々を選んだ本当の理由は、そんなところにはなかったんだから。
この奈々の姿と比べると、ナナの方はめちゃめちゃ対照的なんですよね。見た目はヤンキー、けれどもその中身は非常にピュアなラブストーリー。違う道を歩むと決めたはずなのに、ナナとレンは、2 年間も音信不通で離れていた相手をお互い変わらず想い続けていた。
「レン! 放せ! あたしはあんたとやり直す気はねぇんだ!」
「会いたかった……」
「来るんじゃなかった……」
この二人は、相手のありのままの姿を愛することができる。けれども、だからこそ、この二人には距離が必要なんですよね。なぜならあまりにも似すぎているが故に、一緒にいると二人ともダメになってしまうから。ナナとレンが、トラネスとブラストという二つのバンドに分かれたのも上手いとしか言いようがなくて、二人のわだかまりが解けた上である程度距離を置いて切磋琢磨しあうのが、二人にとってもっとも良い関係なんですよね。今は走らなければならない二人にとって、それは最も美しい愛のカタチなんですよ。
「今はやっぱあたしは意地があるから、もう昔みたいにあんたとは暮らせないけど。
でもたまにこんな風に会って、抱き合ったりお互いのこと話したり、出来ればいいなとは思う。
それでいつかもっと年取って、意地とか見栄とか全部なくなって、
歌うのにも疲れたら……あたしもあの家に戻っていい?」
いやもうどうして奈々とナナでここまで違いますか状態;。や、もちろんナナもナナで十二分に壊れてる輩ですが、それにしてもここまでについては見事なまでに対照的な描写が印象的。でも逆にだからこそ、ここからどうやって奈々が他人を愛することを知っていくのかというプロセスにはものすごく興味が湧くところですね。どれだけ捨てられても振られても学習できない重度の恋愛中毒の奈々が、果たして何をきっかけにして他人を愛することを知っていくのか。
なんてバカで、お手軽な女と思われてる事だろう。
だけどあたしは本来そーゆー女なんだ。
色々あって昔よりは慎重になったつもりでいたけど、17 の夏から何も変わっていない。
今、この瞬間に酔いしれていられたら、
明日のことなんてどうでもよくなる。
それは 20 歳の夏の始まり。
空っぽのあたしは、性懲りもなく恋をすることでしか、自分を満たせずにいた。
うわっ、挙句の果てに開き直ってるし;;。まだ 6 巻目以降は読んでないですが、このコミックスって今ですら 15 巻も出ていて連載中なんでしたっけ。うーん、さんざん失敗して痛い目を見てもそうそう簡単には学習しそうにないどころか今でも学習していないのでは;;。ま、頑張って続きを読みますか……。
# っていうかしまったまたしてもとんでもない長文エントリに;。
というわけで今日はなんとなくこんな軽めの話題を一つ。
土曜の朝といえば、おとぎ銃士赤ずきん。まあゆかりんが出てなければ見なかった可能性が高いアニメなわけですが;、以前のエントリにも書いた通りこのアニメ、ぶっちゃけゆかりん合ってないよ状態;。や、別にゆかりん及びそのファンの方々(主にでじくま氏;)にケンカを売ってるわけではないんですが(← って私も国民なのか;)、そもそも純粋に声質が合っていないんですよねぇ。どっちかというと、これはゆかりんではなく北都 南さんの方がぜんぜん合ってるなぁと思ってしまったり。
この blog を読んでるみなさんならご存知でしょうが、X ゲータイトルで北都 南さんが当ててる声が、コンシューマ移植時にはゆかりんに移植されるケースがあるんですよね。D.C. のさくらとか、とらハシリーズのなのはとか。確かに声質や音域は割と近い二人なんですが、致命的な違いがある。それは、北都さんの声が透明であるのに対して、ゆかりんの声は色がある、という点。や、簡単に言ってしまうと、ゆかりんの声って裏表のあるキャラとか影のあるキャラ向きで、純真な子供のような、純粋な透明感を要求されるキャラにはちょっと向いてない。だから個人的には、
・D.C. のさくら → ゆかりん
・とらハのなのは → 北都さん
・AIR のみちる → ゆかりん
・赤ずきん → 北都さん
というキャスティングの方が腑に落ちるんですよね。(要するに、見かけは子供、頭脳は大人のキャラがゆかりん向き) 私はとらハのなのはは今でもゆかりんより北都さんの方が合っていると思っている人なんですが、ただそれでもゆかり版なのはが許せるのは、本人の努力の跡が声の節々に見られるから。ただ、努力したとしてももともと声質が合っていないものは補正にも限界があるわけで、そういう意味で赤ずきんはちょっとミスキャストだと思うんですよね。
や、商品価値としてどちらの方が高いかと言えば、圧倒的な固定客とファンを持つゆかりんであるのは確かだし、そういう意味でコンシューマ移植などでゆかりんが選ばれるのはよく分かる。けれども、なんというか、努力と適性は別物なんじゃないか、と。CM を見ていても完全に困ったときのゆかり頼みになっちゃってるし、ちょっと違うよなぁと思う今日この頃。
# もちろん、適性(声質が合っている)があればいいかというと、そうじゃないですけどね。
# むしろ適性はあるのにやる気のない声を聞くとホントにがっかりします。
# 例えばコンシューマ版 D.C. の音夢の声とか音夢の声とか音夢の声とか;。
結局のところ、自分の一番向いているところで頑張るというのが一番いいんでしょうけど、世の中なかなかそんなにうまくいくわけではない、というのも実際のところ。振り返ってみて、自分はかなり適性のあるところで働いてますけど、こういうところで適性もある好きなことばっかりやってるのはやっぱり幸せなことなんだよなぁと思う今日この頃かも。けどまあ、こんなことばっかりやってると頭が腐ってくるのも事実なわけで、なんか次のステップを考えねば、ですねぇ。
今日は DS Lite の新色の発売日。そんなわけでちょろっとビックカメラに立ち寄ってみたり〜。
ぶいっw。
や、予想通り近場のビックカメラは穴場でありましたよ隊長w。でじくま氏から譲り受けた DS は当然のように持ってるわけですが、先日、本郷 弥生氏に輝度の高い液晶ディスプレイを見せてもらってなんとなく購入したくなっていたというワナ。
が、会社の後輩がお姉さんの誕生日プレゼントに探している、という話だったので譲ってみたり。
……ピンクは持ち歩くにはさすがに微妙だし、まあいいかなぁぐらいのつもりで譲ってみたわけですが。
あ〜れ〜? なんでだろ〜♪ ど〜してよ〜♪
っていうかなにやってますか自分www。
いやふらっと出かけたヨドバシカメラでなにげに4色全部コンプして売られていたので思わず衝動買い。ホントは欧米方面で売られているブラックが出るまで待とうかとも思ってたんですが、や、目の前に売られてるとつい手が伸びるじゃないですか^^。(← というか他のゲーム機に比べたら圧倒的に安いですからねぇ^^。)
というわけで DS Lite を買ったからには リベンシ でありますよ隊長w。
や、前作では 70 代とかあり得ない数値をたたき出されたわけですが、そんなわきゃねーだろというわけでリベンジw。
ちっ。まあこの程度なら妥協してもいいだろ……(苦笑)
とまあそれはともかく、この「もっと」はめちゃめちゃ面白いですねぇ。前作もそれなりには面白かったんですが、連続減算や暗記演算、漢字合成、さらには音楽ゲーなどなど、前作よりもゲーム性が向上していて非常にいい感じ。これはしばらくやりこんでもいいかなぁと思ったり。っつーかとっとと 20 歳を取り戻せ! でありますよww。
というわけで今日はこの書評を。
第 1 巻のときから某氏の強力なプッシュによりチェキしていたロリコンぷちエロコミックス(ぉ)。連載は新井葉月さんも参加しているコミックハイ!ですが、私はコミックスでチェキ。で、表紙の帯だけ見るとあまりにも直球勝負で頭を抱えたくなるわけなんですが……実はこの作品、
とんでもない良作
なんですよ。っつーか 2 巻では思わず「うっ」と来るシーンも;。涙腺刺激されまくりなんですけどこれ;;。
作中で描かれているのは、いわゆる「マセガキ」な子供たちと、その天邪鬼な行動に翻弄される新米教師。一見するとただのワルガキたちにしか見えない子供たちだけれども、その内実では愛情への強い渇望がある。愛されたい、けれども素直になれない子供たちをどうやってケアしてあげるのか。その答えのない課題に、暗中模索しながらもちょっとずつ手探りで取り組んでいく新米教師、そんな物語になっている。
2 巻を読んではっきりしたんですが、この物語って、本質的には新米教師である主人公 青木大介の成長物語なんですよね。彼のキャラ造詣は非常に青臭いけれど、どこまでも誠実さを持っている、非常に好印象なキャラ。先生という『目上の』立場であっても決してそれを振りかざさないし、生徒を見下すこともないし、謝るところはちゃんと謝るし、目線を合わせて話すことができる。そういう誠実さが彼の良さなんですが、それは同時に弱点でもある。というのも、普通、彼のように『誠実すぎる』(ある意味ではバカ正直な)キャラは、昨今のワルガキたちを扱いきれずに「潰されてしまう」。けれども彼は九重りんがいることによって救われている、つまり、彼は九重りんに育てられていると思うんですよ。
九重りんというキャラは、確かにやることなすことマセガキだけれども、ホントの優しさを知っている子なんですよ。だから、りんは前任の担当教師をこっぴどくやりこめて退任に追い込むほどだったのに、青木先生の誠実な態度に対してはそれを裏切ったり誤魔化したりしないどころか、彼に恋してしまう。いろんなものを見てきている分、彼女は本当の優しさとそうでないものを直感的に嗅ぎ分けてしまうんですよね。だから、りんは青木がいることによって救われているし、そして青木もまたりんがいることによって救われている。そういう、「教師が生徒を育てると同時に、教師もまた生徒に育てられている」という両輪をうまく描いている作品になってると思うんですよね。
「バッカみたい。なにウチまで来てんの!?」
「先生が生徒のこと心配して悪いか!」
「私が心配? なんでよ?」
「……九重が心配だからだ。」
「……ほんとに……?」
「……ああ」
「……裏切ったら……許さないんだから!」
一点だけ難を挙げるとすれば、「九重りん」というキャラが良くも悪くも完成されたキャラになっているところ。この子は本当の優しさを知る女の子ですが、小学三年生にしてここまで優しい子がいたら凄すぎる、と思うんですよね;。こんな優しい子なんて大人だってほとんどいないでしょ、と。表面的な行動のマセガキ具合はともかくも、内面にある『優しさ』に関してはちょっと漫画的というか、出来すぎてるような気がしなくもありません。
とはいえ、私もかつて塾の講師をやっていて、こうした「教師が生徒を育てると同時に、教師もまた生徒に育てられている」というのを実感したことがしばしばあったことを懐かしく思い出しましたが、いずれにせよ、教師と生徒それぞれの成長ドラマをさりげなく織り込んでいるところは非常に上手い。見た目が見た目だけに一歩引きたくなる人も多いでしょうが、2 巻はなかなかヘビーな物語で一読の価値あり。是非読んでみてください。
「……おまえには大きな力がある。その右手に宿っている紋章のことなんかじゃない。
多くの人間の想いをその身に受けている。だから、おまえは務めをはたさなくちゃいけないんだ。
この戦いで死んでいった、多くの人々のためにも……」(幻想水滸伝II より)
これ、先日コンプした幻想水滸伝 II の中の一節なんですが、なんというか思わずちょっと考え込んでしまったセリフだったり。あのゲームでは、ホントに田舎の村の平凡な少年が、いつの間にか紋章という名の十字架を背負わされ、ついには一国一城のリーダーにまで押し上げられてしまう。それは本人の持つ資質ゆえに背負わされてしまった社会的責務なんですが、ちょっと「うーん」と考えさせられてしまったんですよねぇ。
先日も書きましたが、最近、新人君のメンター(トレーナー)役を割り当てられてその新人君と会ってきたんですが、その人がとにかく桁外れに優秀。や、さすがに大学卒業したてということもあって、業界知識も社会人経験もぜんぜんなんですが、資質という観点でいうと、自分なんか全く足元にも及ばないぐらいめちゃめちゃ優秀。で、やっぱりというか予想通り、新人研修でも俄然リーダーシップを発揮してしまっていて、グループ活動ではなんとなくリーダーになってしまうし、結果的に本人もそうせずにはいられない様子なんですよね。(← 実際問題としてこういう人は必ずいる;)
けれども横並び意識を強く持つ日本人の場合、リーダーとして『目立つ』ことに対して強い抵抗感がある場合がある。特に新人なんかの場合には周りはみんな初対面に近いし、とにかくヘマをしないようにと思うあまり、「自分だけリーダーみたいにやって、周囲との関係を壊すんじゃないか?」といった恐れがあったりする。で、やっぱりこの人の場合もそういう悩みを抱えていた様子で、「意図的にリーダシップを取らないようにして、他の人にリーダシップを取ってもらった方がよいんじゃないかと悩むことがある」というんですよね。で、私が思わず言ってしまったこと。
「いや、そんなことするのはやめた方がいいよ。
だってあなたがそれを望んでも、きっと周りが許してくれないから。
だったらその役回りを、どうやって自分の心と折り合いをつけながらやっていくのかを考えた方がいいよ。」
これ、おそらく間違ってはいないと思うんですが、ホントにこれで良かったのかなぁ……と少し悩みもする。実際問題として、こういう人って結局のところは『出る杭』で、自ずとどうしても目立たずにはいられない。当人が望むと望まざるとにかかわらず、リーダシップを『取らされる』。カレイドスターでは、メイが無理矢理そらをステージに引きずり上げるシーンが印象的でしたけど、そらみたいな『出る杭』は否応なく舞台に引きずり上げられてしまう。
某氏いわく、「能力を持った者は、それ相応に背負うべき社会的責任がある」。学園アリスでも掲げられたテーマでしたけど、結局、規格外の人は規格外の生き方しか出来ないんじゃないか……とかいうとひどい言い草ですが、実際問題としてそうなんじゃないか? という気もするんですよね。それが、当人にとって幸せなのかどうかはともかくとして。
結局のところ、何もかも投げ出して、ごく普通に生きられたらなぁ、なんてのは身勝手なワガママ以外の何物でもないのかもしれず。だったらそれとどう折り合いを付けるのかを考えるしかない……というわけで前述みたいなことを言ってしまったのですが、けれどもそれって冷徹なセリフだよなぁ……とも思ったり。だって、結局それってイバラの道を歩んでね、と言ってるようなものでもあるんですよね。
じゃあどう言えば良かったのか? となると、正直言って別のアイディアがあるわけでもないのですが;、こういう問題はなまじ正解がないだけに、やっぱり難しいですねぇ....いやホントに。
# ……といいつつその一方で、こういう人は「迷っている」ものの自分で答えを出せる人だから、
# どういうアドバイスを出してもきちんと相手の気持ちまで汲んで租借してくれる、というのが
# 実態だろうとも思うんですが^^、でも難しい問題です。
今日はけろっちゃ氏と共に、以前バイトしていた塾でぼちぼち打ち合わせとかしてたわけですが、その後の飲みで微妙に深酒。う゜〜、ちょい飲みすぎたかも;。というわけで今日はこれの書評を一つ。
大地監督のアニメ版がかなり冴えていた一作だったので、とりあえず原作を買ってみたり。ちょうど 3 巻が売れ切れだったのでとりあえず 2 冊だけ買って読んでみたんですが、いやー、確かにこれもいい作品。系統としてはトラウマ癒し系の少女恋愛モノですね。
「そういう好きじゃなくて……ホントにホントに好きかって聞いてるの。」
「……ごめん。分かんない……」
「なんだそれ―――
じゃあいい。そういうのは……要らない……
付き合うんなら……好きになってから……付き合って……」
期待いっぱいで高校に入学したヒロインの高橋七美が出会ったのは、女子に大人気の矢野元晴。ちょっとノリが軽めの見た目とは裏腹に、彼は癒されえない傷を負っている。それは、昔の恋人との死別。彼は恋人を交通事故で失ってしまい、心を閉ざして生きている。その癒されない傷に、七美は気づいてしまう。見た目とは裏腹の、彼の優しさと繊細さ、そして誠実さに彼女はどんどん惹かれていく。けれど、彼女には決して彼を癒すことができないというやるせなさ。
「あんたはどうせ……奈々さんしか見えてないんだ……」
矢野のかつての恋人は、矢野と付き合いながらも彼に隠しつつ昔の男と逢っていた。かつての恋人が交通事故にあったのも、昔の男と逢っていたとき。彼を裏切った彼女が悪かったのか、それとも彼女に寂しさを感じさせてしまった彼が悪かったのか。もはや答えは分からないけれども、その過去はトラウマとなり、確実に今の彼を苦しめる。
「決めた。クリスマスプレゼント。
『約束』、ちょうだい。
『絶対、オレから離れない』って約束。
……絶対。絶対、絶対、オレのこと、『裏切らない』って。」
結局のところ、矢野は過去のトラウマから人間不信になっている、つまり他人を信じることができなくなっている。そうした矢野の癒されえない傷と閉ざされた心を、愚直な彼女の心が開き、そして癒していく。ある意味ではオーソドックスな少女恋愛モノなんですが、それを繊細なイラストに溢れる豊かな感性で綴っているあたりはとにかく素晴らしい。
まるで、パズルがひとつひとつはまっていくように。
あたたかいのに、震えていた手。
―――いとしい。
初めてその言葉の意味を知った、15 歳の冬。
……っていうか 2 巻にして神セリフ連発なんですけど^^。や、これからさらに 8 冊ぐらい続くというのは逆に言えばここからのドラマをきっちり描いてくれてるってことでしょうけど、確かにこれはいい作品ですねぇ。アニメ版の出来も非常に良かったですが、原作の肝をきっちりと掴んで作品作りをしてる印象があります。残りのコミックスも暇を見つけて買ってきますかね……ってまた積んでどうするんですか自分;;。
# そそ、アンケート、ご協力いただいた方々、thx です。
# 二重投稿は避けてくださいね^^。や、一週間後ぐらいにちゃんとデータ公開しますので。
というわけで今日はこんなお題を一つ。
や、今日は祖父の仏壇に先日書いた本をお供えするために、久しぶりに母方の実家に行ってきてみたり。なかなか行く機会が作れなくて随分経ってしまったわけですが、ようやく時間が取れたので行ってきたり。全然意識はしてなかったですが、実はちょうどお盆だったんですねぇ。我ながら good timing でありますよ、隊長w。
そんなわけで上の写真はいわゆる送り火。や、実際に目にするのはおそらく小学生の頃以来なんですが、めっちゃ懐かしいですね。そういえば昔、こんなことやった記憶があるなぁ、と。でも今どきの子供たちの多くはこういう慣わしごとは全く知らないかもしれないですね。
それにしても、自分の書いた一連の本を祖父に見せることができなかったのは、(どうにもならないことではありますけど)やっぱり残念。実は私の祖父もいくつか本を書いたり、教育系の職業に就いてたんですが、この祖父の影響をかなり強く受けてるんですよね。> 自分 内容の良し悪しは分からないにしても、そういう本を書いたことを知ったらきっと喜んでくれただろうなぁと思うと、なんともいえない気分になる。あと 1 〜 2 年ぐらい長生きしてくれたら……というのは「たられば」なので仕方のないこととは分かってるんですけど、ね;。
う゛ー、今日は積まれた本をぼちぼち読んでたわけですが、多すぎ;。っつーか片付かねーよ状態。今日はどしゃぶりを避けて買出し行ったぐらいで普通に引きこもりなわけですが、それでも王国からのお届けモノはやってくるw。や、王国に国民登録はしているのにどう見ても非国民にしか見えない自分ですが、私のかわりに納税を肩代わりしてくれる、姫に忠実な国民が身近にいるおかげで継続的に支援物資は投下されていたり^^。そんなわけで先日届いたのはこちらのブツ。
確か DVD と CDS の同時購入者を対象とした全プレ特典だったと記憶してますが、申し込みをした記憶はからっきしございません。……っつーかでじくま氏 thx でありますよww(← ぉぃこら^^)。や、着弾したのは今週頭だったような気がしますが余裕で積まれておりました;;。
しかし永遠の 17 歳に突入してからというもの若さに磨きがかかっているように見えるのは気のせいですかそうですか。……っつーかこれを見てると最近の美容系の技術は凄いなぁと思わずにはいられません。や、だって自分が子供の頃の感覚って、三十路といえば明らかにおっさんおばはんの世界なわけで;、当時にこのジャケ見てたら確実に頭を抱えていたような気が(苦笑)。
# 余談ですが、前回のコンサートのときに割と身近でゆかりんを見たんですが、肌の皺とかを見て
# まあやっぱり年齢相応だなぁと思わずにはいられなかったとかなんとか;。
# この子の良さは「若さ」じゃないので、若さを前面にアピールするようなこの手の衣装とかは
# 果たしてどうなんだろう? という気もちょっとしますね。使い捨てにされなきゃいいですが。
で、まあそれはともかく、でじくま氏からの贈り物はこれだけじゃありませんw。最近のいただきもののヒットとしてはこちらのブツ。
や、中身はなにかとゆーと、こちらの湯のみ。以前にもらったマグカップと並べてみるとかなーりいい感じ。
どちらもピンクの発色がかなり綺麗な上に、実用品としての出来もかなりいい。この手のグッズって安物プリントものだったりすることも少なくないですが、ちゃんと滑り止め加工もされてたり、やたらと持ちやすいマグカだったりと、実用品としてかなり good な出来。でじくま氏も後悔してましたが、特にこのマグカは複数個買い込みしておいた方が良かったですねぇ。実際問題としてめちゃめちゃ使いやすいので。ちなみにこのマグカ & 湯のみにはさりげなーい共通点が。や、底にゆかり画伯のイラストがついてたりするんですよ。
……えーと、この脱力しそうなイラストがなんともはや(苦笑)。そして今日はさらなるブツが着弾。
なー、10/1 & 10/7 にファンクラブイベントですか;。私は参加したことないですが、結構マターリなイベントらしい。まあせっかくの国民の権利なので申し込みしてみようかと思ったり。でもキャパ 2,000 人で会員数 4,000人(退会した人とかもいるだろうから実際にはもうちょい少ない?)ぐらいだから、まあそこそこの倍率なのかもしれず。
……でも申し込みめんどい。郵便局行くのめんどい;。← ヒッキー & 超ものぐさですよこの人;
っと、しまった昨日のエントリに書き忘れたわけですが、しゅごキャラ! の帯の売り文句。
『Rozen Maiden』の PEACH-PIT 先生 最新作!
……冷静に考えてみて、なかよし KC の帯でそれはないだろ状態;。や、売るためなら見栄なんてかなぐり捨ててもよいってことですか;。まあ販売戦略としては非常に正しいと思います。
# っつーかこういうコミックスって何万部ぐらい出るんですかね?
# その昔、どこかで 1 万部を切るようなコミックスはもともと出版しないという書き込みを読んだことがありますが、確かに 1 万部= 400 万円ぐらいの売り上げだと、大手出版社では採算ラインに乗らないでしょうねぇ;。
# となると数万部 〜 10 万部ぐらいがオーソドックスに普通なんでしょうか?
ま、それはともかく、先日から地味にアンケートなるものを設置してみたり(ぉ)。や、一度はやってみたかったりしたんですが^^、なかなか時間が取れなくて放置してたんですよね。そんなわけで blog 右側の Site Contents のところからアクセスできますので気軽に答えてみていただけると嬉しいです。ぜひぜひ。
……っていうか面白いコメントを楽しみにしてます(ぉ)。
仕事も微妙に忙しくて積まれてる本がまるで片付かない今日この頃なわけですが、今日はこれの感想を一つ。
や、Rosen Maiden の作者の PEACH-PIT さんがなかよしで連載してる作品「しゅごキャラ!」。コゲどんぼさんといい、この PEACH-PIT さんといい、なかよしも外部招聘には余念がないなぁと思うわけですが、もともと男性ヲタ向け作品を書いてる人なだけに果たしてどうかなぁと思いつつも読んでみた……わけですが。
うぉ、お、面白いじゃないですかこれww。
ちょっと予想外なぐらいに普通に少女漫画してるんですけど^^。
どんな作品かとゆーと、口下手でいじっぱりでひねくれたことしか言えない小学生の女の子、日奈森あむ。ところが周囲からはそれをクールでカッコいいと誤解されるし、普段来ているゴスパンク服だって実は母親の趣味。けれどもホントはピンクのフリフリな服も着たいし、もっとかわいくて素直な子になりたい。ある日、ホントの自分になりたいと強く願ったら、突然 3 つのたまごが彼女の元に現れる。そのたまごから生まれてきたのは「しゅごキャラ」と呼ばれる不思議な子供たち。彼女たちはあむの性格や能力を突然チェンジさせてしまうことができる不思議な力を持っていて、それによって少しずつあむが変わっていく……というそんなお話。要するに、なりたい自分となれない自分、という典型的な変身ものマンガ。
「うそじゃないよ。絵もてつぼうもぜんぶ、あむちゃん自身の力。
だから……おねがい。信じて。あたしたち(なりたい自分)のこと―――」
この「たまご」は、@ 大人になると消えてしまう、A 普通は一人に一つしかないのに あむは 3 つも持っている、という設定になっているんですが、要するにこの「たまご」って、『未来への可能性』そのものなんですよね。そう考えると、この作品ってものすごくポジティブだなぁと思うんですよ。なぜあむは 3 つもたまごを持っているのか? 普通の人は「本当の自分」と「今の自分」にそんなに大きな違いはないけれど、あむのように本来の自分を潰してまで周囲が望むキャラを演じているような子の場合には、「本当の自分」と「今の自分」に大きなギャップがある。こういうギャップってネガティブトークが出てきそうなものですが、この作品の場合はむしろ逆で、自分の意志次第でどんな子にだってなれる可能性があるじゃないか、というものすごく暖かいメッセージを投げかけてきているように思えるんですよね。
思い返してみれば、Rosen Maiden も端的に言えばひきこもり更正マンガ(ぉ)だったわけですが、しゅごキャラ!は、未来に希望を持てない子供たちへの癒しのメッセージなんじゃないか、と思うんですよ。確かにシニカルなモノの見方をすれば、それは挫折の先送り(=未来に希望を持つことはできても実際になれるとは限らない)とも言えるわけですが、けれども無条件に未来に夢を見ることは、子供だけに許された特権だと思うんですよね。そういうメッセージを含ん……でいるのかどうかは今のところ分かりませんが;、こういう作品も非常にいいですね。
しかし PEACH-PIT さんって何を描いてるのかと思って調べてみたら、現行作品だけでも Rozen Maiden, しゅごキャラ!, ZOMBIE-LOAN の 3 本立てみたいですね。これだけの数の連載を回してるということは CLAMP 同様に一人じゃないんだろうと思ったらやっぱりそうみたいですね(えばら渋子さん、千道万里さんのユニット)。過去作品を調べてみたら……ってえ゛? DearS ってこの人たちなんですか;。や、イラストが受け付けなくて挫折したんですが、ちょっとびっくり。
シュガ^2 もそうですが、この作品ももうちょっとイラストがかわいければ大ブレイクしそうな気がするだけに、少しもったいないですね。とはいえ、正直「Rosen の作者がなかよしというのはさすがに無茶では?」とか思ってたのをいい意味で裏切ってくれたのはたいしたものですね。今後に期待w。
そんなわけで今日はなんとなくネットで見かけた占いをやってみたり^^。
・ほへと占術研究室 数秘占術
http://www.geocities.jp/standing_art/hoheto/kazu.html
や、なんでもエゴ(自我)の性質を知り、自分や他人の理解を深めるらしいわけですが、とりあえずやってみたりw。えーと、私の場合はこんな結果〜。
今年の誕生日は来ましたね、それから XX 日目です。年齢 YY 歳は 困っている人を見返り無しで助けてあげて下さい、そんなゆとりあるいい運気です、幸せを分け合いましょう。 ・基本性格 特殊な人で鈍感で極端です。だからとことんまでやらなければ気が済まない。 物事をじっくり見つめていきます。 一度決めた事の変更ができず、融通の利かない不器用さがありますが、逆に信用を得ます。 白黒をはっきり口に出すので誤解を受ける事や知らずに傷つける事もあります。 ・人間関係 愛深くさらに博愛精神もあります。やさしいが逆に回りがわがままになる事もあります。 人見知りをするというか自分を表現するのに時間がかかる、しかし認められると信用されます。 仕事の人間関係とプライベートを分けすぎる。 スケールの大きい人物です。 ・生活 ペットや子供に溺愛しすぎる。 同じものを毎日食べたりしすぎないように。 派手な人は派手、黒系は黒と一貫し過ぎ。 ・金運 お金を貯めるには目標金額を立てれば、それに向けて貯金をします。 が目標を達成すればいきなり分けのわからないものの衝動買いに注意。 |
というわけで溜まったアニメをぼちぼち消化中。や、D.C.II で発生したビハインドがなかなか取り戻せないわけですが、なんとかだいたいここまでの新番も消化できた感じ。そんなわけで新番の感想をざくっと書いてみたり。
・N・H・Kにようこそ!
……すげぇ。というか久しぶりに言葉を失ってしまったアニメ。いやもちろん後ろ向きに;;。っつーかですね、こんなものを公共の電波に乗せちゃっていいんですか状態;;。
原作をご存知ない方のために軽く紹介すると、籠もり続けて早 3 年、大学中退以来、外出先はコンビニだけ、友人の数はもちろんゼロで、1 年間は他人と口をきいたことがないというニートでひきこもりのる佐藤達広 22 歳。思考回路は超電波で、大学を中退したのもひきこもりなのも、すべては巨大な悪の組織 N・H・K、日本・ひきこもり・協会の仕業に違いない! とか言い出す始末。しかしそこに突然舞い込んだ一人の美少女、中原 岬。彼女は今のひきこもり生活から彼を社会復帰させるためにサポートしてくれるというとんでもないプロジェクトを持ちかけてくる。果たして彼女は何者なのか、はたまた彼女もまた N・H・K の陰謀なのか?? ……とかゆー作品;。
……なんですけどね、その映像化がとんでもない。まさに公共の電波で電波垂れ流しとしか言いようがない作り。や、普通この手の電波ネタ(精神病ネタ)ってそれなりに隠匿されてきたと思うんですが、こうも直球勝負で映像化してきたのはある意味度胸あるなぁ、という印象。よくやってくれました、という類のものじゃないですが;、でもかなりびっくり。というか目が覚めましたよええ;。
どうでもいいけど岬ちゃんの声優の牧野由依さん……って、え゛? ARIA の OP のウンディーネとかユーフォリアを歌ってる人じゃないですかこの人。調べてみたらツバサ・クロニクルのさくらの声とか当ててたらしいですが、なかなか上手いですね。
・ゼロの使い魔
主にくぎみーを楽しむアニメw。しかしなんつーか、ホントにこの手の作品は粗製濫造ぎみに大量制作されてるし……;。ま、でもくぎみーだからとりあえず許すことにしときます(違)。
・つよきす Cool x Sweet
ヒロイン全員ツンデレってあーた……;;しかし中身はよくあるタイプの作品なのに ED が I've なのでちょっと気になるワナw。監督の木村真一郎氏の指名鑑賞でしたが、そこそこ安定はしているものの、シュガー以来どうもこれという作品に出会えないですね。
・となグラ!
昔大好きだった幼なじみがエロエロ大魔王になって戻ってきてくれるというベタなアニメ;。しかしとなグラがお隣暮らしの略なのはともかく、制作が「初恋のベランダ愛好会」ってのに思わず吹き出しそうに^^。なんですかそれは^^。
・まもって! ロリポップ
ん〜……なんというかひと言で言うと、激しく微妙;。OP/ED も今ひとつ垢抜けてないし、作画も今ひとつコストをかけ切れていない。しかも UHF 局での放映で、特におもちゃなどが展開されてるわけでもない。なんというか、限られたコストをいろんなところに分散投資したらものすごく平凡な作品になっちゃった、という感じで、せっかくのアニメ化なのに非常にもったいないという印象が。まあきらレボと同じく肩の力を抜いて流し見できる作品ですが;。
そういや先日、かみちゃまかりんが読者人気投票でトップだった、という話を書きましたが、ネットでちょっと調べてみたら、2004 年前後の投票が凄いことに。「まもって! ロリポップ」ってかみちゃまかりんと並んで双璧としか言いようがない得票率じゃないですか;;。連載終了後になってさすがにランクは下がったようですが、なるほどこの得票率を見れば確かにアニメ化の筆頭候補に挙がるのも当然なのかも。
しかし原作の 1〜3 巻を以前読んだ限りではそんなに化け物じみた作品とも思えなかったんですが、後半戦で大化けしたんですかね;。ちょっと残りの巻も買ってきてみますか.....(← その前に積まれてる本をなんとかしろ;)
・おとぎ銃士赤ずきん
「じゅ〜すぅぃ〜♪」……や、意味不明だからそれ;。というか全く脈絡のないところでこのセリフを打ってくるのが完全に意味不明;;。
・僕等がいた
セカイ系の恋愛モノ少女漫画ですが、いやーこれなかなか素晴らしいですねぇ。ここまで見た新番組の中では一番センスがいい作品っぽい。
(……矢野は……どういう女の子を好きになるんだろう?
どういう女の子を好きになったんだろう……?)
(さっき別れたばっかりなのに……すぐに逢いたくなってる……)
掴めないけれど、触れられないけれど、透けて見えるその痛みに共感してしまうし、惹かれてしまう。その心の機微が繊細な描写の中に織り込まれていて非常に上手い。こういう作品はじっくり見たくなりますね。とりあえず原作は 2 冊買ってきたので後ほど読破予定。……ってまた積んでるよおい;;。
・貧乏姉妹
なんというか、今どきの癒し系アニメですね、これ。かみちゅ!なんかもそうですが、情緒ある昔ながらの日本の風景を背景に描かれるライトなストーリーとちょっとした幸福感は、なんだかんだで我々の琴線に触れるものがありますね。加えて声優のキャスティングが良い。あす の声優に金朋さんを起用したのは大正解だったんじゃないか、という印象。しかしお姉さんの方、これ坂本真綾さんなのか;。全く気付かなかった;;。
とりあえず続投は、僕いた、N・H・K、貧乏姉妹、まもロリ、ゼロといったところですかね。ゼロとまもロリが微妙ですが、どっちも見流せば済む話だし……と思って先週分をつらつらと消費してたわけですが。
うわわわわわ〜〜〜〜っ;;
きたきたきたきた実写来ちゃったよぉぉぉぉっっっ;;。> きらりんレボリューション
いや油断してただけに OP 見て吹きそうになったんですが;。というかいつもながらやっぱりアニメで実写はやめようよ……とか思わずにはいられなかったりするわけですが。うむむ。
昨日のエントリに書いた School Days の鬱 T シャツ、せっかくなのでとりあえず寝間着代わりに着てみたわけですが、妙に寝つきが悪かったような気が;。え゛ーっと、なんかの呪い? あるいは怨念?;
というわけで今日は劇場版 DEATH NOTE の話題。昨日の塾の宴会の前にでじくま氏たちと劇場版をざくっと見てきたので軽く感想を書いてみたり。ひと言で言えば、「おお、意外によく出来てるじゃん?」という感じですね、これ。
100 分ぐらいの尺の実写版映画なわけですが、原作をアレンジした面白いシナリオに組み立てられている。原作を知らなくても十分楽しめるように分かりやすくストーリーが組み立てられているし、逆に原作の設定を知っていると、最後のあたりはデスノ設定の縛りの中でどうカタを付けていくのかが興味深かったところ。
ただ、致命的な難点は……いやぶっちゃけですが、ライトとエルのキャスティングがあんまりよくない点、ですね。ひと言で言うと、どっちの俳優も「賢そうに見えない」んですよ。や、インテリ臭がまったくないとでもいうか;。セリフの喋り方にもキレの良さがなくて、語れば語るほどキャラが崩れていく(涙)のがものすごく残念。演技指導でもっと改善できたんじゃないかと思うだけに、ちょっともったいなかったです。
# キャスティングとしてはミサミサが一番合っていた気が^^。
トリックとして「?」となったのは、ラスト付近でライトがボールペンを取り出したシーン。緊迫感を煽る演出効果を狙ったのかもしれませんが、デスノートへの書き込み内容を考えればあそこでボールペンを取り出すのは百害あって一利なし。でじくま氏は次作への伏線では?と言ってましたが、……んー、どうだろ? という印象。
あと個人的にひっかかったのは、詩織を犠牲にした後、リュークに「お前、彼女のこと好きだったんだろ?」と問われてライトが一瞬、悔恨にも似た複雑な表情を見せるところ。これ、ある意味『分かりやすい』演出なんですが(例えば女性客などには好かれそうな演出に見える)、私はライトというキャラは、どちらかというと、そういう悔恨の感情を無理矢理『飲み込んでしまう』タイプじゃないかと思うんですよね。自分の目指すもののために徹底的に自分の感情を殺し、湧き上がってくる罪悪感や悔恨の感情を飲み込んでいってしまう。けれどもそれによって、彼自身がどんどん壊れていき、ついには人としての心を失ってしまう。だからこのシーンは、どちらかというと、無理矢理強がってみせる表情の方が納得のいくものだったような気がします。(まあこれは人によってどっちかがいいのかは違うところだと思いますが)
11 月公開予定の THE LAST NAME はエルとの直接対決ですが、さすがに尺を考えるととても収まりきらないだけにどういうふうに原作をアレンジしてくるのかは楽しみですね。……っていうわけで、また秋になったら見に行きますか^^。
今日は大学時代にアルバイトしていた塾の宴会に参加。や、毎年この時期と忘年会の二つには必ず呼んでくれるので欠かさず参加してたりするのですが、すでにアルバイトを卒業してから 10 年近く経つのに今でも呼んでくれるのは嬉しい限り。でじくま氏やけろっちゃ氏、本郷弥生氏はこの塾講師のアルバイト仲間だったんですが、今でもこの塾の宴会は楽しいんですよねぇ。普段、多少ヌルい会社組織にいると、こういう若手ばかりの勢いのある組織の空気に触れるとリフレッシュになるしw。
がしかし、さすがに大きな組織になってくるとそれなりの問題が出てくるというもの。今回非常に印象的だったのは、ある講師が壇上で延々と最近の若手講師に対する不満と説教を述べ続けていたこと。細かい話は省きますが、端的に言えば、「外見とかルックスとか講義内容以外の雑談などで生徒たちを惹き付けるんじゃなくて、講義の中身でちゃんと勝負しろ」、というもの。いやはや、もともとお説教をだらだら言うタイプのキャラではなかったと記憶してるので、こんな宴会の席で壇上でだらだら不満をぶちまけるというのはよっぽど溜まってたんだろうなぁと思ったり。
まあ、この不満をぶちまけた人はかなり気真面目なタイプなので、なおさらこういう『上っ面』ばっかり取り繕って中身や熱意の伴わない若手の人たちが許せなかったんでしょうが、でもちょっと根本的なことが分かってないなぁ、と思ってしまったり。一つは、そんなストレートなお説教を聞くぐらいなら最初っからそんなことはしないという点、もう一つはそれでもダメな人は遠からず淘汰されるであろうという点、そして最後に、その説教自体が当人のコンプレックスから来るものであることが見えてしまうのでむしろ逆効果になっているという点;。
この話をした人と同様のコンプレックスは私も持ってるので(や、私もダメンズですし;)、気持ちは分からなくもない……というより非常によく分かるんですが(苦笑)、根本的なところとして、上っ面と、講義の中身や熱意は(理屈上は)背反するわけじゃない。確かに往々にして両方をうまく兼ね備えたり、あるいはバランスさせたりすることは非常に難しいし、実際問題、この両方をうまく両立させられている人は世の中的に見ても非常に少ない。や、私なんかにはまるっきり無理;。けれども、建前としてはそれを言っちゃおしまい、なんですよね;。
だからこの話はどういうふうに言うべきだったのかというと、(そのゴールに辿り着く手段や方策についてあれこれ言わずに)もっと単純に、「生徒のためになる授業をして、長期的に見て生徒が幸せになれるようにしてあげることが大切だ」などとすれば良かったんじゃないかな、と。や、実際問題として、「イケメン講師に好かれること」が勉強することの動機になる生徒なら、それでも全然いいはず。実際、大手予備校ではそれで救われている学生だってたくさんいるはずなんですよね。
生徒が十人十色であるように、講師のスタイルも十人十色。生徒が講師のどこにどんなふうに惹かれるのかも人それぞれ。目指すゴールは同じであってもやり方や進め方はいろんなスタイルがあるわけで、そこに口出しするのはあんまりよくない。要するに、ビジョンやミッションの共有は重要だけど、ストラテジについては自由であってよい。ストラテジ(=ワークスタイル)については裁量権を認めてあげるかわりに、ゴールが達成できなかった場合には冷徹な鉄槌を下す。そこがきちんとしてさえいればいいんじゃないかと思うんですよね。(← や、別にこれはビジネス全般について言えることですが)
考えてみれば(微妙に内輪ウケですいません;)、私がかつて物理の講師をやってたときは、K 先生、N 先生と私という 3 人が高3の指導に当たってたんですが、全然講義スタイルが違っていて、集まってくる生徒や好かれる生徒のタイプがまるっきり違う、という面白い状況がありましたね。結局、生徒の側も自分のスタイルにあった講師を選ぶので、自ずとそういうクラスタが出来上がる、ってことなんでしょうけど^^。
そんなことをつらつらと思った塾の宴会だったわけですが、今日の収穫物〜。
や、School Days の T シャツは帰りがけにけろっちゃ氏からもらったわけですが……これ微妙に凄いんですけど;;。っつーか壊れた二人の無表情が痛すぎるっつーかなんつーか^^。"WHERE IS THE PLACE OF ME?"(私の居場所はどこにあるの?)ってのもなんつーか;。COSPA もすごい T シャツ作るなぁ……;;
うぐぅ、昼寝しちゃったらあっという間に一日が終わってしまったり。まあおかげでかなり体力は回復したわけですが、消化物がまるで進まず。本とか積まれまくってるし、あ゛ーもうなんとかせねばですよ;。
# しかしこうしてまた再び昼夜が反転する、と;;。
そういや先日、本郷弥生氏から DS Lite を見せてもらいましたが、あれなかなかいいですねぇ。私はでじくま氏から譲り受けた DS を使ってるんですが、DS Lite の方が液晶パネルの輝度が全然高くてものすごく見やすい。DS Lite が売られてるのを見かけたのはビックカメラでたったの一度だけ、ですけど、あのとき買っておくべきだったのか……うむむ。でもそんなに DS でゲームやるわけでもないしなぁ、と迷うテスト;。
ま、それはともかくそんなわけで、やっと終わりましたでありますよ、隊長〜;。
全ステージクリアすると★×1個、そしてメダルコンプすると★×2個なんですが、いやー、疲れました;。出張中とかずーっとやりこんでましたが、いったい何時間プレイしたんだこれ状態;;。でも、まあなにはともあれひとこと。
めっっっちゃ面白かったww。
いやー、すごいじゃん任天堂っ。こんな面白いゲームを作れるというのは凄すぎですよww。
このゲームの何がそんなにすごいのか。いくつかポイントをかいつまんでみると、ですね。
・様々な趣向が凝らされた、70 にものぼるステージ群
前半戦は従来同様の、割とオーソドックスなステージ構成なんですが、後半になるにつれてとにかくステージが多彩になってくる。トランポリン、回転ジャンプ台、流砂、竜巻、巨大ウツボ、フロート板、ロープ、火山弾、金網、ぶら下がり虫、ネッシー、浮き樽などなど、挙げ出すとキリがないほどのネタが詰め込まれているんですよ。先へ進めば進むほど、次はどんな面が出てくるのかというワクワク感がそこにある。そしてそれだけ多彩なステージでありながら、決して期待を裏切ることのない『作り込み』がきちんとなされている。それが凄い。
・簡単操作でありながら幅の広い多彩なアクション
マメマリオ、スーパーマリオ、ファイアマリオ、巨大マリオなどの多彩な変身が楽しめるのはよくご存知でしょうが、それより凄いのは十字コントローラと 2 つのボタンだけで、とんでもなく多彩なアクションができるという点。二段・三段ジャンプ、坂道滑り、ヒップドロップ、カベキック(カベをキックして上に登っていく)、水面走り、綱渡り、金網回転、つたゆらしなどなど。そしてそれらがすべて直感的な操作でできるので、慣れてくるとまさにアクロバティックなアクションが自在にできるようになるんですよ。マリオを動かしているだけで楽しい、そういう感覚が味わえるところが凄い。
・幅広いプレイヤーを受け容れることができる懐の広さ
正直なところ、最初にマニュアルを見たときには「操作が難しすぎて覚えられないだろこれ;」とか思ったんですが、極端な話、このゲームって昔のスーパーマリオみたいなプレイをしていても十分クリアできるんですよね。全体的に難易度は低めで、1 UP もいろんなところでラクにできる(ちなみに私の場合は常時 40 機ぐらいのストックが;)。GBA でプレイしていたここ最近のスーパーマリオブラザーズって、あまりの難易度の高さに投げ出したものもあるんですが、このゲームは豊富なお助け機能により、超一流プレイヤーでなくてもクリアできる程度の難易度に設定されてる。そこがいい。
・やり込みゲーとしてのボリュームの大きさと奥の深さ
けれどもメダルをコンプしようだとかの欲が出ると、とたんにキバを剥いてくるんですよこのゲーム;。特に後半面のメダルはいったいどーすりゃいいんだよと投げ出したくなるほどに無茶な配置がされているものもあったりして、1 個のメダルを取るのに延々 1 時間ぐらいリプレイしたものもあったり。けれどもそのやり込みすらも面白いと感じさせてくれる。
……などなど、魅力を挙げだすとキリがない。で、ふと思ったんですね。このゲームにハマってるときの感覚、これって東方シリーズをやりこんでるときの感覚に近い、と。上にこのゲームのいいところをいくつか挙げてみましたが、これらは実は東方シリーズにも概ね当てはまる。もちろん仔細は違うけれど、プレイヤーを飽きさせないだけの魅力がある、という点については全く同じなんですよね。こういうゲームをやってると、ホントに面白いゲームはゲームデザインによって作られるのであって、ハードスペックが面白さを決めるわけじゃない、と痛感させられます。
私のようなオールドゲーマーにとって、スーパーマリオブラザーズは忘れることのできないファミコン時代の超名作ですが、これをここまで素晴らしい形にリメイクしてくれた本作は、まさにニューの名前にふさわしい、新世代のゲーム機で生まれ変わったスーパーマリオブラザーズだと思います。いやー、任天堂、素直に凄い。こんなゲームを作れるスタッフがいるということに驚嘆すると共に、ホントに嬉しくなりますね。粗製濫造ぎみのありきたりのゲームに食傷気味な今日この頃ですが、まだまだゲームは捨てたもんじゃない、そう思わせてくれる嬉しい一作だったと思います。
おそらく DS を持っていない方はこのゲームはプレイしてないと思いますが、DS 本体を入手してもプレイすべき一作かも。スーパーマリオブラザーズに熱狂した世代の人には是非プレイして欲しい一作です。おすすめ^^。
で、まあそれはともかく、クリアすると裏モード(ルイージモード)発動w。
や、さすがに打ち止めにしますけどね;。いやキリないし;;。
今日は世間的には七夕とかいう日だったらしいですが、なぜか高校時代(※ 男子校です;)の部活の友人たちと久しぶりの飲み会に。っつーかおまえら頼むからうちの blog を捕捉するなよ状態なわけですが(ぉ)、集まった 7 人のうち既婚者が 1 人しかいないのは果たしてどうよ? 状態。ま、まぁ最近は晩婚化が進んでますしごにょごにょ;。
# 今さらながらに思うわけですが、高校時代はこの部活の部長さんをやってたんですよねぇ。
# にもかかわらず存在感が薄いのは、きっとジャンケンに負けて部長になったからです;。
しかしさすがにこれぐらいの歳にもなってくると、人それぞれいろんな仕事をしていたりもするわけですが、消息不明の友人も結構出てくるんですよね;。私が高校時代に一番仲が良かった(というかお互いに足を引っ張り合った)友人も今ではすっかり消息不明で、すでに誰も消息知らず。かつて彼が作ったと思わしきホームページの残骸から、2000 年頃に機動戦艦ナデシコにハマっていたらしいというところまでは判明していますが(ぉ)、今ごろいったいどこで何をしているものやら。死ぬまでにもう一度会って話をしたいものですが、せっかくの七夕だし、とりあえず願ってみるのもいいのかもしれません。
# と、ありきたりなネタでまとめてみるテスト(ぉ)。
# っつーか酔ってるのでイマイチ頭が回らん……;
……ま、それはともかく。
なんでみんなそんなに詳しいんかな;;。> メイド喫茶とか乙女ロードとか;;;
# や、極度なアニヲタは私ぐらいしかいないはずなんですがねぇ。
# というかすでにこの辺はコモディティ化してるってことですか;。まあ確かにブランチとかで取り上げられてるぐらいだし;;。
でじくま氏から出てるぞーとのツッコミを受けて早速購入してきてみたり。
や、いつもいつも数巻前に遡って読み返さないとすっかりストーリーについていけない作品なわけですが、今回は割と最近に出た本なので一冊前から読み返してみたり。
で、感想。
……いや凄い、これ;。読み終えた瞬間に全身から力ががくっと抜けるような感じとでも言うか。
推理モノとしてのトリックの緻密さもさることながら(というかついていけないほど複雑すぎるのに、破綻している印象を受けないという凄さ)、それにもまして、最後の一瞬まで緊張感の張り詰めた二人の激突。そして最後に残る表現しがたい感情。『圧巻』という言葉がこれほどまでに相応しい作品も他にないんじゃないか、と。
実の父を自らの道具として見殺しにし、最終巻の前半では高田をいとも簡単に切り捨てた強烈なまでの冷徹さが、作品のラストをより重たいものにする。真正面から捉えた『死』というもの、その重さと恐ろしさ。読んでいて気分が悪くなるようなリアリティがそこにあって、とにかく言葉を失ってしまう。
第 1 部(初代 L 編)は推理バトルとしての側面が強かったように思いますが、第 2 部は単なる推理モノに留まることなく、ラストできちんと『人の命』という幹の部分をかっちり押さえた作りにしてきたのは凄かったですね。この物語って、夜神 月の『生き様の死』をもって終わるしかない作品ではあるのですが、2 代目 L が言うように、その終わり方は『完膚なきまでに』月のプライド、すなわち彼の生き様を叩きのめすものでなければならない。ただ、彼の生き様で否定されるべきものは、彼がこの理不尽な世の中に対して感じる『憤り』ではない。彼の持つ正義感、自らが正しいと思うことを信じて正義とすることそのものは否定されるべきではない。否定される点はただ一点、『人を人が殺す』という行為。ラストで単に推理バトルに敗れて月が捕まる(あるいはリュークに殺される)というだけでは解決され得ないこのポイントをきっちり押さえ、そしてなぜそれが否定されるべきなのかを、自らが身を持って知る『死の恐怖感』によって描き切るという構成。構成自体はミエミエですが、画力の凄さがその見え透いた構成に有無を言わせぬ説得力を持たせてるんですよね。さすがです。
いやー、それにしてもホントに凄い物語。原作者の大場つぐみが誰なのかに関しては超トップシークレットと言われ、様々な説があるようですが、どっちにしてもこれだけの物語を作り上げたその手腕は素晴らしいとしか言いようがない。そしてまたそのストーリーラインを見事な画力で描いた小畑氏やそのスタッフの手腕も、文句なしに超一級と言っていいと思います。ホントに素晴らしい作品、おつかれさまでした。> スタッフのみなさん
昨日はかなーり悔しい結果だったのでもう一個トライしてみるテスト。や、今度は点数出ないヤツで;。
・ルパン三世キャラクターチェック
http://goisu.net/cgi-bin/psychology/psychology.cgi?menu=c030
というわけで結果!
「あなたのルパン三世キャラクタータイプはこんな感じ!
あなたは【石川五右エ門】なタイプ。
地味なようでいて、いぶし銀な魅力で惹きつけるあなた。
そんなあなたを「ルパン三世」のキャラでいうならば【五右エ門】がぴったり。
普段は後手にまわっていても、ここぞというピンチのときは、愛刀斬鉄剣で道を切り開きます。
ちょっぴりガンコなところがタマにキズですが、そんな自分なりの信念を貫くところが、
あなたの良いところともいえるでしょう。
友達の中では、ダークホース的な存在を狙いたいところです。」
……いぶし銀ってどういうことよ?; えーっと、枯れてるってこと?;
ま、それはともかく。
「五右エ門情報:
1・五右エ門は江戸期の名盗・石川五右衛門の十三代目の子孫である
2・五右エ門の斬鉄剣はチタン合金も斬れるが、コンニャクは斬れない
3・五右エ門はスキーとウインドサーフィンができる」
最初の 2 つは知ってたけど 3 つ目のは知らんかった;;。
「天才度 54%
クール度 27%
ダークホース度 100%
狡猾度 82%」
ダークホースってどういうことよいったい;;;。っつーかこの数字はいったいどういうことかと小一時間;。
# ところで全然関係ないですが、ルパン三世に出てくる五右エ門って「衛」じゃなくて「エ」だったのね;。
# なにげにそこを知らなかったワナ。むー、一応はルパンのファンなんですけどねぇ。
そういえばルパン三世といえば毎年この時期に TV スペシャルをやるんですが、ここ数年久しく見てないですねぇ。今年もやるのかなぁと思って調べてみたら、金曜ロードショーは 7 月いっぱいは「ハウルの動く城」→「となりのトトロ」のコンボの様子。ということは 8 月頭かなぁと思うわけですが、思いっきり忘れそうな気配かも;。
けろっちゃ氏からのタレコミなので早速プレイしてみたり。
・ATOK 日本語ドリル
http://www.atok.com/doriru/?w=atokcom
えー、とりあえず何も言わずにやってみましょう。というわけで私の結果。
『まちばりあかね☆さんのテスト結果です。
39 点
ちょっと意地悪な問題もありましたから、成績の不振をあまり気にすることはありませんが、やはり総合的には、やや常識不足の感じはあります。新聞・雑誌・書籍などを読むときに、ふりがなのついている語にちょっとだけ立ち止まって、日本語力の自己確認をしてみるのも、案外にいいかもしれません。
ただ、いつも間違った日本語を使ってしまうのは問題ですから、パソコンでの入力時には、前後の文脈までを正しく理解して変換してくれるATOKをお使いになることをおすすめします。 』
うわっ、ひ、ひどす(ry
けろっちゃ氏「しかし、あかねさんならもっと高得点が出そうな気がしますが。」
まちばり 「いやー、日本語苦手ですよ私。」
けろっちゃ氏「えー。でじくま氏といい、あかね氏といい、文書いて飯食っているヒトじゃないですか。」
まちばり 「食ってない食ってないwww。> blog」
まあでも、一般に言われる国語力と、分かりやすい文章を書く力は別物ですよ;。ちなみに私は高校時代、国語がめちゃめちゃ苦手でしたし(赤点当たり前;)、大学入試の模試も得点の 9 割が自由作文というあり得ないスコアリングをしていた人ですが;、要するに、分かりやすい文章を書く能力って、難しい単語を使いこなす能力ではなく、論理的な論旨と文章構造を作り上げる能力なんですよね。その辺をすっ飛ばして、単語力を国語力だと勘違いすると、こういうテストになっちゃうんですよ。
……すいません負け惜しみだって分かってますからツッコまないでください;。うわーん(涙)。
なんでも夏のこたつ氏は今日は親御さんと TDS に出かけているらしい。や、なかなか親孝行な人だなぁと思ったりするわけですが、なんか意味もなく微妙に悔しいので今日は Disneyland ネタを一つ(ぉ)。
TDR には Disney Resort Line と呼ばれるモノレールが走っていて、舞浜駅と TDL、TDS の間を巡回してるわけですが、DLR にも似たようなモノレール、その名も Disneyland Monorail(ってまんまですが;)があります。
このモノレール、Disneyland Hotel の宿泊者にとっては実はめっちゃ便利な乗り物なんですよね。ホテルは DLP から結構離れた場所にある(普通に歩くと入り口まで 10 分ぐらいはラクにかかる;)んですが、ホテルの近くにモノレールの発着所があって、ここから乗り込むとあっという間に DLP の Tomorrow Land まで行けるんですよ。しかもパーク内直結なので、パスポートを持ってる人ならタダ乗りできるという太っ腹仕様w。
# まあ要するに、「パーク内の乗り物」という扱いなんですけどね。
# そのため入り口ではちゃんとセキュリティチェックやパスチェックがあります。(上の写真の右側)
なので、Disneyland Hotel に泊まってるときは、このモノレールで一気に Tomorrow Land に行ってしまって、そこで Space Mountain の Fast Pass を取るのが吉、ってヤツなわけですねw。まあ、Disney Downtown をのんびり歩きながら巨大な Disneystore でグッズ漁りを楽しむのもオツですが、DCA (Disney California Adventure) の入り口にあるつり橋なんかも駆け抜けたりするので(できれば明るいうちに)一度は乗ると楽しいですね。
ところで Disneyland といえば、地獄の沙汰も金次第もとい、Official Hotel 宿泊者に対する優遇措置があったりします。それはこれ。
や、夜の帰りの時間はこのモノレールってとんでもない混雑になるんですが、ホテルのカードキーを提示すると別の列からさくっと乗れるんですよね。初日はせっかくなのでこのモノレールで帰ってみたんですが、まともに行列に並んでたら歩いた方が早いかも状態なわけで、いやはや助かりましたよ状態。
さらに加えてもう一発。この Monorail の終着駅付近には、建設中のアトラクションが一つあったり。"Finding NEMO" というアトラクションなんですが、その工事中の現場を上から見たりできるんですよ。こんな感じ。
うーん、これどんなアトラクションになるのかは分かんないですけど、レールみたいなものが見えるあたり、TDS の海底二万マイル(でしたっけ?)みたいなアトラクションになるのかもですね。
# しかし、Monorail の終着駅のところでちゃんと覗き見できるように目隠し布に穴が開けてあったのには笑いましたが。
# いや確かに覗き見したくなりますよねぇ、なんとなく^^。
と、まあ DLP とか DCA については随分詳しい私ですが、TDS についてはからっきし分からない今日この頃。でもって昨晩、チャットで聞かれたわけですが……
夏のこたつ氏「で、明日シーのほうに行って来るんだが、何かお薦めはある?」
すいません全く分かりません。っつーか、そんなことは対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェース ゆきに聞け! ですよ。
# あ゛ー、漢字は違いますけどね;。> リアルマイシスター
コミックス 2 巻と、溜まっていたアニメ版をまとめて一気に消費して、さきほどアニメ版最終話も鑑賞したんですが……
すっ、すげぇっ。
京アニ、超GJ! じゃないですかこれww。いやもうめっちゃシビれましたよ。> アニメ版最終話
いや〜この作品、どういう話なのかアニメだけでは今ひとつ理解できなかったんですが、最後まで見てみて、こういう作品だったのかぁ、とめっちゃ納得。以下、思いっきりネタバレで。
アニメ版では #12 でようやく設定が出てきますが、この世界はハルヒが見ている夢のようなものかもしれなくて、それゆえに彼女は神としての力を持つ。けれども彼女自身はそのことに対して無自覚で、彼女を楽しませ続けなければこの世界そのものが崩壊してしまう恐れがある……という舞台設定。
ハルヒの感じる憂鬱、そしてあの傍若無人ぶりは、要するに、自分が人生の『ヒロイン(主役)』になれないことに対する心の叫びなんですよ。世界で一番の最高の人生(=普通じゃない面白い人生)を送りたいのに、全くそれに及ぶことができない「ありふれた」自分と「ありふれた」日常。普通はそんな「ありふれた」人生に折り合いをつけて生きていくものですが、ハルヒの場合にはそれができなくて、なんとかそこから脱却しようともがき続ける。でもそんな人生なんてそうそうあり得ないという理性が彼女の思考にブレーキをかけ、そして実際にそんな「面白いこと」なんて起きるはずもないという事実が、彼女を憂鬱にさせる。それが「ハルヒの憂鬱」の正体。
けれどもハルヒの憂鬱は、平凡じゃない日常、例えば宇宙人とか未来人とか超能力者によって解消されるわけではない。なぜなら、彼女の憂鬱の真因は、面白いことが起きないからじゃなくて、自分がお姫様(=主役)になれないことに起因しているから。だから、彼女の憂鬱は平凡な日常の中でこそ解消される。ライブアライブで一瞬ハルヒが感じた充実感、それは彼女が物語の主役になれた瞬間だと思うんですよ。
「あと一日あったら、しっかりした準備が出来たのにね……
あんなのでよかったのかなって少しは思うけど、
なんていうの……? 今、自分は何かをやってるって感じがした……」
そして物語は、ハルヒが白雪姫、sleeping beauty になることで締めくくられる。
「オレ、実はポニーテール萌えなんだ。
いつだったかお前のポニーテールは、そりゃもう反則的なまでに似合ってたぜ。」
「はぁ? バカじゃないの?」
この物語が、日常の象徴である学校の中での王子様のキス(けれどもその相手は平凡極まりないキョンのキス)で締めくくられるのも、ハルヒがお姫様になることで、自分という人生の物語の主人公になることができたから、だと思うんですよ。
だから最後は、ポニーテールを作ってきたハルヒに、キョンがひと言、褒め言葉をかけるんですね。そのひと言だけで世界が変わってしまう、魔法の言葉を。
「ハルヒ……似合ってるぞ。」
そして物語は、ちょっとひねくれものの二人のでこぼこデートの始まりで締めくくられる。やー、素晴らしいじゃないですかw。ちょっとシビれましたよこのエンディングは^^。GJ! > 京アニ
なるほどこういう話だということが分かると、キョンのこのキャラ造詣も非常によく分かる。要するに、キョンもハルヒと同じで天邪鬼なんですよ。つまり、彼のキャラ造詣はモラトリアムの極みで、一見するとハルヒとは対極的に「平凡な日常」を望んでいるようにも見える。けれども実は、ハルヒにかき回されることを内心では望んでいる。だから、この物語で色褪せた世界から脱却したのは、ハルヒだけじゃなくてキョンも、だと思うんですよね。
「オレはなんだかんだいって、今までの暮らしが好きだったんだな。
オレは連中ともう一度逢いたい。まだ話すことがいっぱい残ってる気がするんだ。」
「あんただって、つまんない世界にうんざりしてたんじゃないの?
もっと面白いことが起きて欲しいと思ってたんじゃないの?」
「思ってたとも。
あのな、ハルヒ。オレはここ数日で、かなり面白い目に遭ってたんだ。
お前は知らないだろうけど、世界はお前を中心に動いていたといっていい。
お前が知らないだけで、世界は確実に面白い方向に進んでたんだよ。」
最後の仕組まれたデートのシーンで、キョンのセリフがどことなく違った印象で聞こえるのは、我々の世界へのイメージが変わったからなのか。字面はあいかわらずの天邪鬼なセリフなのに、どことなく心躍るようなセリフの語り口。世界の何もかもが色鮮やかに変わったかのように見えてくるのは素晴らしいとしか言いようがない。
いやはや、天邪鬼な恋愛モノとしては超一流な作品ですねぇ。要するに、恋することで、世界が変わる、っていうお話なんですよ。もちろん原作の良さがあるのは間違いないですが、コミックス版と比較してもラストのインパクトが全くといっていいほど違う。ハイクォリティな映像が訴えかけてくるものはこうも違うのか、と痛感させられるほどの素晴らしい出来でした。いやー、京アニ、すごすぎとしか言いようが。この調子で Kanon でも素晴らしいものを見せてもらいたいものです、はい^^。
[2006/07/03 02:10 追記]
さっき、でじくま氏と Messenger で話してみましたが、原作を知ってる人からするといろいろある様子^^。や、私はアニメ版とコミックス版しか知らないので違和感なく綺麗に恋愛ドラマをまとめてくれたなぁと思うわけですが、原作はラブストーリー一辺倒というわけでもなく、ミステリ要素も強いみたいですね。まあとりあえずアニメ版しか知らない人の感想ってことで許していただけると^^。
というわけで昨日&今日で消費したものの中から目に付いたものをいくつかピックアップ。っつーかこの週末はいったい何冊 & 何本消費したんだ……っていうか考えるのやめやめ;;
・シュガシュガルーン 最終回
な、長かった;;。や、なにげに全 51 話(4 クール)もあったわけですが、まあ少女漫画とはいえ好みの系統ではないので何度見るのをやめそうになったことか;。シナリオは手堅くまとめられていた感がありますが、目を見張るプラスアルファがなかったのが残念。設定自体は悪くなかった(売れる少女漫画としての要素は備えていた)と思いますが、いかんせんショコラのキャラ造詣が天邪鬼すぎてヒット作にはなれなかったような気が。
・吉永さん家のガーゴイル 最終回
ハートフルご町内アニメの看板に偽りなく、最終話も心温まる話で締めくくってくれましたね。多々ある伏線や設定を並列で片付けていったのでやや無茶があるなぁとは思ったものの、最後の落としどころをママさんとパパさんのエピソードに持ってくることで綺麗にまとめてきてくれました。無難な作品だけど、こういう作品はもっとあってもいいなぁと思ったり。……っつーか梨々が萌えwww。
・ハヤテのごとく! 7 巻
あいかわらずこの作り込みの細かさはいったいなんなんだと小一時間^^。今回は Heart to Heart のハヤテ探しが楽しいかも(笑)。
・アニマル横町 7 巻
豚の角煮を作りながらのんびり読破^^。あいかわらずえらい細かい作り込みはさすがですが、この p.112 の著者が書き忘れましたページ……いやこれは素で間違えたのかネタなのか??(笑) 区別がつかないあたりがアニ横仕様ですかそうですかw。
ちなみに今週のアニメも凄い。とゆーかバンク使いまくりに爆笑wwwww。って何回やれば気が済むんですかこれ^^。
・ARIA #13 「その でっかい自分ルールを…」
「影の部分だけ踏んで家まで帰る自分ルール」「石畳の線だけ踏んで帰る」……あーやりましたよ自分も^^。今でも地面のタイルを見るとつい自分ルール作って踏みたくなるんですよねぇ(苦笑)。
それにしてもお話の方はあいかわらず抜群。何でも自分で決めて何でも自分でやろうとするアリスは、他人の行為を受け止めるだけの心の余裕がない。それはある意味『子供』ということなんですが、アテナ先輩が差し出した手に対して噛み付くアリスに対して、アテナ先輩はあっさりと、
「ううん、違うの。正義の味方気取りなんて、そんなんじゃないの。わたしは、アリスちゃんの、味方気取りなの。」
と言うんですよね。思いやりを受け止めにくいアリスと、それにカチリと噛み合わせるように、するっと内面に入り込んでいけるような言葉を投げかけられるアテナ先輩の組み合わせが絶妙なストーリーでした。……でも似たような話は前クールの第 6 話でやってるような気もするんですが;。
・涼宮ハルヒの憂鬱
いやー、これめっちゃ素晴らしいじゃないですか。ちょっと長くなるので別エントリに切り出し。
・おとぎ獣士赤ずきん
……すいません、切ってもいいですか?(ぉ) 普通は第1話というと気合を入れるものですが、かなりのまったり展開。えらい子供向けだなぁ……と思いきや、CM は「大魔法峠 DVD」→「MELL アルバム」→「OP テーマ PV」と、どう見てもヲタ向け;。いやおかしいだろそれ;;。
しかしこれ、赤ずきんはゆかりんが声を当ててるわけですが、はっきり言って合わないと思います;。や、なのはにゆかりんが声を当ててるときに感じたのと全く同じ違和感が。んー、声質の問題は演技力とか努力とかとは全く無関係な話なわけで、CM を見ていてもゆかりん頼みみたいなところがひしひしと感じられるだけに激しく微妙。
……とまあ、こんなとこでしょうか。しかし ARIA はともかく、ストパニが 2 クールというのにはちょっと驚き;。
お買い物でふらっと街に出てみたわけですが、あ゛、あ゛つ゛い〜;。っつーかなんなんですかこの温度は;;。や、今日だけの話じゃないんですが、こんな温度じゃ干からびちゃいますよ自分。昨日作った冷凍バナナでも食べて涼もう……
# や、果物の値段が下がってきたのでいろいろ冷凍もの作れそうな感じですねー。
# 冷凍バナナとかめっちゃ安上がりなおやつじゃん、みたいな^^。
そんなわけで今日の収穫はこんなもの〜。
……っていうかケバい;。や、こういうのめっちゃ苦手;;。> 左
というかですね、同じ薔薇なのにどうしてこうも違うのか、と。(当たり前)
といいつつ曲の方は実は結構好きだったり。NANA という作品に合わせた『壊れた』ラブソングですが、この手の曲って壊れながらもきちんと体裁を整えなければならないわけで、その辺のバランス感覚が大切。この曲はそのバランスがいいですね。
しかし高いよなぁ。なにげに \1,680 もするんですが……って書いてる最中に気付いた、しまった iPod 持ってるんだからダウンロード販売で購入すれば良かったじゃないか、と;。調べてみたらなにげに 1 曲 200 円……激しく後悔;;。や、DVD なんか激しくどうでもいいんだし状態。
で、ちょっと調べてみたんですが、たまにいくつかのアニソンも入ってる様子。なないろなでしことか、割と数回聞くだけで終わりそうな曲も結構あるし、んー、ちょっとこれからは iTunes もちゃんと調べてから購入した方がいいかもですねぇ。
うなー。頭痛い;。や、D.C.II のおかげで 2 週間分ぐらいアニメとコミックスとゲームが溜まってしまっててぼちぼち消化していたわけですが、消化しきれん状態。っつーか普段ですらギリギリのスケジュールでこなしてるのに、数十時間とかごっそりと持っていかれるゲームをやるのはやっぱり無茶がありますねぇ。携帯ゲーム機だとなんだかんだでごまかしながら時間が捻出できたりするものですが。来期はアニメが減るのでラクになることを期待しよう;。
というわけで D.C.II インプレのオーラスは芳野さくらルート。や、前回のエントリで書いたとおり、このルートはまさに快作で、最後の完全ネタバレルートらしいなかなかの出来に仕上がってました。さすがにこのルートは設定が全部出ている超ネタバレルートなので、一応反転しておきます。Ctrl + A で適当に反転して読んでください。(総評は反転なしで最後に。)
まず最初にひと言。
またしてもおまえが黒幕なのかぁぁぁぁっっっ;;;。> さくら
っていうかさすがにツッコミを入れずにはいられなかったワナ;。
や、なーんか中盤あたりからきな臭い香りがぷんぷんしてて、「うーん?」とか思ってたんですが、まさかさすがにホントにそうだとは思わなかったり。簡単に要点をまとめれば、
・さくらは寂しさのあまり、クローン(おそらく純一のクローン?)を作り出してしまう。それが主人公の義之。
・義之を生かし続けるために使ったのが、まだ研究途中だったプロトタイプの『願いを叶える魔法の桜』。この桜の木の魔法によって、義之はかりそめの命を与えられることになる。
・ところがその魔法の桜がシステムの欠陥から暴走を始めてしまう。桜の木を枯らせば問題は収まるけれど、それをしてしまうと義之を失うことになる。
・桜の木を枯らさずに済ませるために、さくらは桜の木のシステムの欠陥を補おうとする。けれどもその綻びはどんどん大きくなって、さくらでは収集しきれなくなってしまう。
・事態を収拾するため、さくらは桜の木に同化してその暴走を制御しようとするけれど、失敗;。
・そしてついには音姫が幕引きをしなければならなくなってしまう……恋人になった弟くん(義之)に、自ら引導を渡さなければならなくなってしまうという苦しみまで背負わせて。
……って、どう考えてもあなた一人がすべての諸悪の根源なんですけどっ;;。> さくらさん
けれども、確かにどう考えてもさくらが悪いんだけれども、だからといってさくらを責められるのか。魔法の力ゆえに成長することもなく、前作から 50 年以上たった今でも当時の姿そのままであり続けるさくら。お兄ちゃんだった純一も、恋敵だった音夢も、そしてことりも美春も誰も彼もみんな大人になり、家族を作って幸せになっていく。そんな中、彼女は時の流れから一人取り残され続ける。
「……あのふたりも、パパとママになっちゃったんだ。
自分と好きな人との子供が生まれるのって、どんな感じなのかな。」
「……おかしいよね。
ふたりが結婚して、赤ちゃんが生まれて、パパとママになったのって……すごく嬉しいことなのに。
なんか、心から『おめでとう』って思ってないみたいだよ、ボク……」
「ダメだよ。ちゃんと、お祝いしてあげなきゃ。
ふたりがいくら幸せだからって、絶対、羨ましがったり、妬んだりしちゃダメだからね。」
そう自分に言い聞かせて、彼女は精一杯の笑顔を浮かべる。
さくらを苛む寂しさ、そして孤独感。彼女は悪魔に魂を売って、不完全な魔法の桜の木のプロトタイプを持ち帰り、義之くんを作り出す。義之くんは、さくらが産み出した唯一の家族であり、つかの間の幸せ。その幸せを手放せないが故に、さくらは事態をどんどん悪化させてしまう。
義之くんのためだけを思うのなら――、
実は、もう一つだけ手段が残ってる。
桜の暴走を止める方法。ボクが、完全に枯れない桜をコントロールする。
今までは桜の回路と同調し、システムの穴を埋めてきただけ。
だから完全に制御すればいい。ボク自身がそのシステム自体となれば不具合は起きない。根本的な解決方法。
ボクなら……それができるはずだ。
ただ、これまでと決定的に違うのは……桜の制御をし続けなくてはいけないということは……
それは、命を落とすのと同じこと。ボクはもう二度と、戻って来れなくなる。
ここまで差し迫っても、ボクはまだ決心することができなかった。
さくらはここまで事態が差し迫っても、なかなか自分を捨てる決心ができない。けれどもこのルートで本当に素晴らしかったところは、この後の、さくらが覚悟を決めるシーン。
姉弟みたいに育ったふたりだから。本当に……家族みたいなものだから。
ううん、もっと違う意味で好きなのかもしれない。
……義之くんは、こんなにも想われてるんだ。
音姫ちゃんだけじゃない、由夢ちゃんだっている。友達だってたくさん……。
「……ボクが何とかするから。大丈夫だよ。義之くんはいなくならないよ。
もう一つだけ……とっておきの方法があるんだ。だから大丈夫だよ。」
こんなに想っていてくれたんだ……ボクはお礼を言わないといけないね。
……ありがとう。
「約束するよ。大丈夫だから……信じていて。」
音姫ちゃんを何度もそう言い聞かせながら、―――ボクは決心を固めた。
このシーンって、さくらが本当の意味で義之の母親になっていくシーンだと思うんですよね。義之は、さくらが自らの寂しさを埋めるために、自らの手で創り出したものだった。けれども、義之がみんなから想われていることを知って、さくらは初めて気付くんですよね。義之は自分のものじゃなくて、一人の人間である、という当たり前のことに。だから、さくらは義之の母親として、自分を捨てる覚悟を決める。それは、母としての息子に対する愛情そのもの。このシーンは、母親になれなかったさくらが、本当の意味で義之の母親になっていくシーンだと思うんですよ。
「……だから、守ってあげなきゃいけないんだよね。
可愛い子供たちに、傷を負わせたりしちゃいけないんだ。」
けれどもさくらは、魔法の桜の木のシステム(夢を見せ続けてくれるシステムの誘惑)に負けて、桜の木に取り込まれてしまう。そこでさくらが見続けるのは、自ら産み出した、自らが願う幸せな夢の世界。
(……これもみんな夢……だけどね)
(……なんだか疲れてしまった)
こんな幸せそうな自分を見ているのがつらくなったのかもしれない。
今、この事態を終わりにすることができるのは、音姫ちゃんだけだっていうことも……。
結局、音姫ちゃんには……こんなひどい選択をさせることになってしまった。
結局、さくらはどこまでも弱かった。孤独に負けて義之を作り出し、そして義之と共に歩めなくなることを恐れて事態を悪化させ、最後もまた自らの夢という誘惑に負けてしまう。自分を捨てて義之を守ろうとしたはずが、やっぱり自分に負けてしまうんですよ。
けれども、音姫が桜の木を枯らし、春の季節が巡って再び桜の木が満開になり、さくらの意識が再び戻ったとき、彼女は初めて本心から願うんですよね。自分の幸せではなく、他人の幸せを。
確かに――この世界は優しくはない。
夢見ることが、恥ずべきことのように扱われて、嘲笑われる。
叶えようとした努力の末に、現実を思い知らされる。
そんなことが少なくない。
『人が人を大切に想うことが力になる』。
『願えば叶う。祈れば通じる』。
そんなのはボクが見た夢でしかない―――けれど、
ボクもまた祈った。
夢は、願いは――強く想えば、必ず叶う。
「どうか。どうか……お願いです。あの子たちの想いが……
こんなにも人を大切に想う純粋な想いが……悲しむことしかできないなんて……!
そんなことがあるなんておかしい……!
幸せになれないなんて、絶対におかしいよ!
魔法が想いの力なら――この想いの奇跡を見せてください!」
このシリーズ作品における『正しい魔法の力の在り方』って、人が人を大切に想うことが力になる、つまり他者を大切に想う願いこそが魔法を生み出す、というものだと思うんですよね。だから、さくらとみんなの義之への願いゆえに、義之は人間として新たな生を受け、再び音姫たちの元に戻っていく。そんな綺麗な幕引きになっているんじゃないかと思うんですよね。
でも、そんなさくらの幸せはどこにあったのか。
……もしかしたら、さくらが作品のエピローグで過去に飛ばされたのは、さくらの悲しみを知る、純一の最後の願いによるものだったんじゃないか、と思うんですよね。
作中でははっきりと語られていませんが、義之を生かし続けるためには桜の木を存続させることが必須条件。そのためにさくらは同化による桜の木の制御を試みたわけですが、これに失敗してしまう。残された純一は、音姫に辛い選択をさせる前に、少しでも可能性があるならと、さくらと同じことを試みてるんですよね。
「これはひどい孫娘がおったもんだな。まだ失敗すると決まったわけじゃないだろうに。
信じなさい。お前のおじいちゃんは、そこまで弱くもオッチョコチョイでもないよ。
それにね……親ってのは、子供より先に死ぬもんだよ。ましてや孫だ。
おじいちゃんはもう、十分に生きたさ。例え失敗したところでなにも後悔はない。
それに、かわいい孫娘の頼みだしね。喜んで引き受けるよ。
だけど、もしおじいちゃんが失敗した時は……わかるね?」
「……はい。」
「……さてと。それじゃ、幼なじみの尻拭いに出かけるとしますかね。
今度の仕事はずいぶん、かったるい仕事となりそうだけど。」
けれども純一も、桜の木を制御できずに失敗してしまう(そもそも純一は魔法使いの血統ではないので、そんなに簡単に成功するはずもないのですが;)。そのために万策尽きて音姫が桜の木を枯らす以外に方法がなくなる……というのが筋書き。となると、純一は桜の木に取り込まれているはずで、桜の木が再び満開になったときに、意識を取り戻しているはず。
純一はさくらの想いを知りながらも、音夢を選び、そして純一と音夢は息子や孫にも恵まれた。でも、それをすぐそばで見守っていたさくらの苦しみや悲しみを、純一は誰より深く知っていたはず。
「さくら……もう……謝らなくていい。
独りで寂しいとか、だから何かに頼りたいなんて思うのは当たり前のことだろう。
それをわがままをしたみたいに言うんじゃない。それは人並みの幸せだろう?」
以上を踏まえて考えると、おそらくさくらは純一の願いによって、もう一度「やり直し」できるようにしてもらったのでしょう。つまり、記憶を消された上で、過去のイギリス(=彼女の魔法使いとしての始まりの場所)に飛ばされた(=リセットされた)。もしかしたら、さくらが幸せになれたかもしれない未来に辿り着けるように。それはダ・カーポ、繰り返される物語……。
いかんせん情報が少ないので断言するだけの材料はありませんが、細かいところはともかく概要としてはこんなストーリーラインだったんじゃないかな、という気がします。
さて、そんなわけで総評。
いやはや、ひと言で言えば予想外の拾い物(ぉ)。や、実際のところ作品の中身には全然期待してなくて、単にいずれアニメ化もされるだろうし、まあ必修科目なんだろうなぁぐらいのつもりで買ったんですが、プレイしてみるとなかなかに筋が良かった、という印象。ぶっちゃけトークですが、この手のゲームで作画がイマイチというのは致命的だろう(というか前作の七尾奈留さんのイラストとどうしても比較されちゃうし;)と思ったものの、プレイしてみるとあまり気にならない。それはちゃんとキャラの魅力を描けているということ、つまり作品全体の総合力の為せる技でしょう。攻略キャラは 6 キャラと少ないものの、OP/ED 含めて 8 曲もある豪華な挿入歌。や、お金があるっていいよねという感じ;。
ただ、うーん、万人に勧められるゲームじゃないのは確かですね。由夢のインプレのところで少女趣味なストーリーと書きましたが、全体的に(特に由夢や音姫ルートは)共感することによって感動するタイプのゲームなので、理詰めでカタルシスを味わうタイプのゲームが好きな人には全くお薦めできない、という印象。加えてどう見ても攻略対象なのに攻略できないキャラもいるわけで(茜とかいいんちょとか)、おそらく PS2 版になったときにキャラ追加……だとすると、今、無理に手を出さなくても;。
とはいえ、前半戦はともかく後半戦の由夢+音姫+さくらの 3 ルートが素晴らしくいい出来だったので、個人的には十分に元が取れたかなという印象。や、なんかだらだらとインプレ書いちゃったなぁという感じですが、これぐらいのインプレを書かせる程度には十分面白かった、んじゃないかと思います。
でじくま氏の blog になにげにいいエントリが上がっていたので思わずトラバ。
・考:小橋建太と田村ゆかり
http://ameblo.jp/digikumacha/entry-10014174227.html
あ゛ー、これすごいよく分かる。要するに、できる人より頑張る人の方が凄い、ってことなんですよねぇ。
ビジネスの場では、過程(プロセス)ではなく結果(リザルト)が求められる。「流した汗は仕事じゃない」という、トヨタの有名な言葉がありますが、どんなに汗を流しても結果を出せなければビジネスの世界では認められないし許されない。けれども、人徳であるとか人としての魅力は、結果ではなく、プロセスにこそあるんですよね。
や、こういうのもなんですが、現代って、頑張ることは恥ずかしいとか、カッコ悪いとか、そんな風潮もあるじゃないですか。もちろん、やみくもに頑張ればいいってもんじゃないですけど、頑張っている人にはやっぱり人を惹き付ける魅力があるんですよね。
私の数少ないマイリスペクトの一人に、自分の会社の派遣さんの女性がいるんですが、どんなときでも笑顔を絶やさずに、日々似たような事務作業を淡々と、しかもそれでいながら配慮や気遣いを欠かすことなくこなし続ける様子を見ていると、やっぱり頭が下がるというもの。以前、飲み会のときにちょろっと話を振ってみたら、「いやこの職場って、セクハラとかないんで働きやすいんですよ?」と無難な答えを返されましたが、そうはいっても嫌な顔をしたのを一度も見たことがない(しかも 7 年とかそういうスパンで)というのはかなり凄いことなんじゃないか、と思うんですよね。
ちなみに上記のようなエントリを書いているでじくま氏ですが、私は彼ほどの働き者を見たことがないです;。いやもちろん遊ぶときは遊ぶし、その辺ははっきりしてますけど、才能もあって努力もする人が身近にいるといい意味で刺激を受けます。
さて、振り返ってみて自分。でじくま氏ほど天賦の才に恵まれたわけじゃないし、別にお金持ちではなかったけれど、人並みより遥かに恵まれた環境で育ててもらった自覚はあり、こういう人たちほど頑張っているのか、と言われると……かなり怠けてるよねぇ、と思わずにはいられない今日この頃。もうちょっと頑張ろう;。
というわけで引き続いては音姉(おとねえ)こと朝倉 音姫(おとめ)ルート。や、どっちかとゆーと腹黒な妹キャラの方が好みなのでこっちはまああんまり期待してなかったわけですが……
や、やられた……;
くっ、音姉かわいいじゃん;。おかしい、お姉ちゃん属性はないはずなのに;;。
このキャラ、生徒会長・才色兼備・超過保護なおねーちゃん。甘えさせてくれるキャラでありながら、べたべたと甘えてくる、いわゆるだだ甘キャラ。完全無欠なお姉ちゃん然とした強さを持ちながらも、少女としての弱さも見せる、その二面性が魅力的なキャラですね。や、お姉ちゃんというと TH2 のタマ姉のように「いつまでたってもお姉ちゃん」というタイプのキャラ造詣も多くて、その場合は主人公との関係性が常に「年上・年下」の構図なんですが、音姫の場合にはこの関係がふとしたタイミングでころっと逆転するんですよね。いわゆる「可愛げのあるお姉ちゃん」。割とベタなキャラ造詣なはずなのに、妙な新鮮味があるのがなかなか good ですね。
以下、ネタバレありでざっくりと書いてみたり。
このルートのキーポイントになってるのは、やっぱり二人の関係性。上に書いたように、「お姉ちゃん然としていながらも実は弱さを持つ」ところがキャラとしての魅力なわけですが、「いつまでたっても年上のお姉ちゃん」から「肩を隣り合わせて歩いていく恋人」にどう変わっていくのか。ざっとシナリオをまとめてみると、こんな感じ。
「……大丈夫。なにも問題はないよ。」
やっぱり、今度も音姉はそう答えた。
さすがに、今度はちょっと堪えた。
俺は音姉の力になってあげたいのに。
音姉にそう言われてしまったらなにもできなくなるわけで―――、自分の無力さがいやになる。
「……けど、お願い事があるかな。」
「好きです。弟としてじゃなく、ひとりの男の子としてあなたが好きです。私と付き合ってください。」
普段の無理がたたって倒れてしまった音姉を看病していた最中、義之は彼女から告白される。ところが一週間と経たないある日を境に、音姉が態度を翻して弟くんに冷たく接するように。どう傍から見ても、音姉は何かを抱え込んで独りで苦しんでいるのに、自分を頼るどころか突き放してくる。ようやく同じ目線で支えてあげられると思った矢先の出来事に、再び義之は無力感を味わうことになる。並びたいのに並ばせてもらえない、助けたいのに助けさせてくれないじれったさ、そして無力感。
イライラが胸に募る。
音姉の態度にもそうだけど、でも、一番頭にくるのは、
あんなにフラフラになっている音姉に何もしてあげられない自分の不甲斐なさだった。
けれども、音姉が義之を避けるのも無理はない。その真因は、彼女が魔法使いとしての使命(= 島のみんなの命を救うために桜の木を枯らすこと)を全うすれば、桜の木の魔法が失われて弟くんが失われてしまうという、究極の選択を迫られていたため。音姫が、そんな選択肢を選べるはずもない。彼女は義之を失うことを恐れて桜の木を枯らすことをためらい、事態をさらに悪化させてしまう。
「選べないよ、私、選べない。だって……生まれて初めて好きになった人なんだよ?
これから一緒にお勉強したり、手をつないだり、色んなところにデートに行ったり……
したいこと、いっぱいあったのに。
どうして、何もしないままさよならなの?
私、さよならするために、弟くんのこと好きになったんじゃないよ……?」
でもそこには選択肢などない。放置すれば、さらに事態が悪化していき、最後には崩壊してしまう。
だから義之に出来ることはたった一つ。自分を捨てて、音姉の背中を押すことだけ。
「音姉……俺、音姉のこと、好きだ。
だけど、それと同じくらいこの島が……この島の人たちが大好きなんだ。
その人たちを救ってやれるのは、音姉しかいない。……わかるだろ?
自分の役割に負けるな。まっすぐに前を見て、しっかりと顎を引いて、自分の役割を全うしなさい。」
残酷な願いだというのは、わかってた。
だけど俺たちには最初から、これ以外の選択肢は用意されていない。
あとはただ、音姉が決心してくれるだけ。
結局、音姉は弟くんの願いを聞き入れて桜の木を枯らすことになる。そしてその日からゆっくりと、けれども確実に義之は人々の記憶と認識から消え去っていくことになる。
……これが『忘れられる』ってことなんだ。
いや、やめよう。覚悟してたことじゃないか。
そう、俺は全部わかってた。わかった上で、音姉に頼んだんだ。後悔なんてない。
これが基本的なストーリー展開。そしてこの後、友人、そしてさらには最愛の人にすら忘れ去られていく『恐怖感』が、えぐるように描かれていく。
けれどもこのシナリオで本当に描きたかったのは、『忘れ去られていく恐怖感』じゃない、と私は思うんですよね。
じゃあこのシナリオの一番のポイントは何か。私はこの音姉ルートって、本質的には由夢ルートと全く同じエッセンスを持ってると思うんですよ。それは何かというと、「どうにもならない後悔」。つまり、ある確信を持って自ら決断したことが、後から心に重くのしかかってくる、というシチュエーションを描いていると思うんですよ。
まず由夢ルートの場合。由夢は先行きに待ち構えている『別れ』と『不幸』を知りながらも、覚悟を決めて義之と恋人となった。けれども、いざ義之が消えてしまった後に由夢に残されたのは、途方もない後悔の念ばかり。
兄さんと手を繋いで歩くなんて、そんなこと、もう二度とないのに。できないのに……。
兄さんのいない世界。そんな世界を二ヶ月も過ごしてきた。
永遠のように長く感じる時間。こんな時間がこれからもずっと続くのかと思うと、わたしは挫けそうになる。
どうして諦めたりなんかしたんだろう。
どうして、あんな簡単に兄さんが消える未来を受け入れたりなんかしたんだろう。
もっと努力をすれば良かった。
可能性があったかもしれないのに。
兄さんと一緒に過ごせる未来があったかもしれないのに。
そして音姫ルートの場合。音姫が桜の木を枯らさなければ、いずれ島の人たちに命の危険が訪れる。二人にとっては、義之が音姫の背中を押すという以外の選択肢はあり得ない。だからそれを選んだ。けれども、いざ自分の存在が失われていく状況になったら、冷静でいられるはずがない。
そう、音姉にはきっと見えていたんだ。今俺を取り巻いてるリアルな世界が。
……音姉の背を押したのは、俺だ。
他の何者とも比べられないほど重い決断をさせてしまったのは、この俺だったんだ。
今になって、ようやく理解できた。
あの時の音姉の、心臓を串刺しにされるような胸の痛みが。
もう後戻りはできない。
何が起ころうとも、時間の矢印を逆に戻すことはできない。
「……正義の味方って、けっこうキツいものだったんだな。」
俺の言葉は、冷え切った壁に吸い込まれ……やがて消え失せた。
どちらも、ある瞬間には「絶対にこうするしか他にない、他に道はない」という確信を持って、その選択肢を選んでいる。けれども後になって、自分が選択したという『事実』が、後悔として延々と重くのしかかり、心が潰されていくんですよ。由夢シナリオでは由夢が、そして音姫シナリオでは主人公と音姫がその苦しみを味わうことになる。おそらくこれが、由夢ルートと音姫ルートの一番の肝であり、二つのシナリオで描かれている『痛み』の本質だと思うんですよね。
音姫ルートって、確かに見かけ上は鬱展開なんですが、いわゆる一般的な鬱展開とはかなり違う。というのも、普通、鬱展開って自分が何かを『選べない』ことによって発生していることが多い(例えば「二人のどちらも傷つけたくない」とか「二人のどちらも大切だ」とか)。けれども音姫ルートと由夢ルートの鬱展開はそうではなくて、自分が何かを『選んだ』ことによって発生しているものなんですよ。しかもそれ以外の選択肢がなかったからこそ、悔やむに悔やみきれない。
考えてみると、この描き方って、智代アフターなんかとはめちゃめちゃ対照的なんですよね。智代アフターは、「苦しみながらもその選択を取ったことに誇りを持って生きていけ」と言うのに対して、D.C.II は「それでもやっぱり後悔するし、やっぱり心は苦しいよね」と言うんですよ。前者はものすごく理性的で、後者はものすごく情緒的。や、それはどっちがいいとかいうものではなくて、物事の見方の両側面なんですが、D.C.II は智代アフターのようなある種の『キレイゴト』を一切抜きにしている分、共感してしまうとその『痛み』、つまり「どうにもならない後悔の念」がダイレクトに伝わってくる物語になっている、と思うんですよね。それだけに痛いし、痛すぎる。
ただ……この辺は人によって好みがめちゃめちゃ分かれるとこかもしれませんね。人によっては、「この女々しい鬱展開をなんとかしろ」と言うかもしれないんですが、でもこの物語は、徹底してその痛みを描くところにフォーカスしているからこそ成立している。実際シナリオを振り返ってみても、由夢シナリオにしても音姫シナリオにしても、この痛みは自助努力によって解消されるわけではない。(=義之が天から零れ落ちた奇跡によって復活することによって、タナボタ的に痛みが解消されている。) それはなぜかというと、「どうにもならない後悔」であるためには、ストーリーライン上、自助努力で解消されるような苦しみであっては『いけない』から。それ故にこの作品は、「どうにもならない後悔」から来る痛みを描いてはいるけれども、その挫折は乗り越えられるものではないんですよね。だから、「この女々しい鬱展開をなんとかしろ」というのはちょっと的外れな指摘でもあるし、受け入れられない人には受け入れられない物語なんじゃないかな、という気がするんですよねぇ。
や、私は智代アフターのような強さも D.C.II のような弱さもどちらも受け入れられる人(どちらの心情も分かるので)ですが、無意識のうちに物語に何かしらのカタルシス(=問題の解決や、挫折からの脱却)を求めてしまうタイプの人にはちょっと受け入れられない作品かもしれません。(まあ、見かけハッピーエンドなので、そこで納得しちゃう人も多いとは思いますが。)
ただ、全体を通してまとめてみれば、やっぱりよく出来ているんですよねぇ。由夢ルートと突き合せて考えてみれば、何を描きたかったのかは明らかだし、えぐるような痛みをきちんと描いてくれた点は評価されてしかるべき。加えて、いわゆる鬱展開といってもよくある『気持ち悪い』タイプの鬱展開とは全く違う点は、十分に評価に値すると思うんですよね。……というか、かなり油断していたゲームなだけに作りの上手さにびっくりしました。なんというか、カタルシスを味わうタイプのゲームではないけれど、曲芸団ってこんなにしっかりした物語も描けるのか、と。いや素直に感心しました。
……なんですが、この後に連荘で D.C. ルート(芳野さくらルート)をやったら、なにもかもぶっ飛んでしまうワナ;。っていうかなんですかこの快作ルートはっ;;。や、これはなんつーか凄い出来かも。
というわけで、さくらルートのインプレはまた後日に;。さすがに疲れた....
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