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先日、でじくま氏の家に遊びに行ったときに見かけたこの本を読了。
1999 年に起きた東海村での臨界事故のドキュメント。放射線により壊れ、そして朽ちていく命を淡々と綴った一冊。なんというか、こういう本というのは何を書けばよいのか迷ってしまうものなのですが、かつて学生のころに感じていた恐ろしさと重なることがあったので、ちょっとその辺について書いてみようかと思います。
「放射線は怖い」「原子力は怖い」。おそらくそのこと自体は多くの人がなんとなく思っていることだと思うのですが、じゃあ放射線や原子力がどのようにどの程度怖いのか、となると今ひとつピンとこない人が多いんじゃないか、とも思います。でも、放射線の怖さは、簡単に言えばこう表現できると思うんですよ。
『目に見えない、非常に微細で非常に大量の散弾銃の嵐』
そんなものを全身に受けたら生きていられるはずがないわけで、考えただけでもぞっとする。けれども、放射線に対してそういう認識を持っている人はおそらく少ない。それは、目に見えないもの、実感が湧かないものに対して、人間は恐怖をあまり感じられないからじゃないか、と思うんですよね。
私が今でも忘れられない大学時代の光景の一つに、化学実験室の試薬台があります。
いわゆる学生実験室の共用の電子秤の周囲に、酸化剤の一つである褐色の二クロム酸カリウム (K2Cr2O7) がぶちまけられている。しかも一人二人の仕業じゃない。薬包紙の上に二クロム酸カリウムを瓶から出すときにこぼれてしまったものなんですが、これを見たとき唖然としたんですよね。仮にも化学科の学生がなんでこんなことを平然と出来るんだ、と。
二クロム酸カリウムは高校生の化学でも出てくる典型的な試薬ですが、別名を六価クロムという。その名前を聞けば一般人ですら有毒物であるとすぐに分かるはず。にもかかわらず、その実感が湧かないんですよね。それはおそらく、二クロム酸カリウムなんて受験によく出てくる当たり前の試薬だから。これを見たとき、化学実験の怖さを感じたことをよく覚えています。
# いや今だからこそ言える話ですが、化学の道に進むのをやめた理由の一つにこれはありますね。
# 要するに、目に見えない、実感できないような危険なものを取り扱うことが怖くなった、という。
# それが直接的原因ではないんですが、遠因にはなっているよな……と。
端的に言えば、危険に対してどれだけ敏感か、という話ではあるのですが、目に見えない危険であるとか、物事を楽観視することによるリスクの軽視とか、そういうことは確かに日常茶飯事に存在している。この本を読んで、改めてそういうものの怖さを感じました。
それにしても、本書に綴られている、亡くなられた大内さんと家族の姿には、いろいろ考えさせられるものがありました。同じ立場に立ったときに、こんなふうに強くいることが出来るのだろうか、と思うと、正直なところ自分には無理だろうな……とも思ってしまいます。あくまで事実を淡々と綴っている本なのですが、にじみ出てくる様々なものにいろいろ考えさせられる本でした。もともとは NHK スペシャルだったそうですが、番組の方も機会があれば見てみたいものです。
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