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適正価格

 さてぼちぼち寝ようか……と思ったら blog を更新していないことに気付くワナ;。や、今日はけろっちゃ氏と会う約束だったわけですが、微妙に予定変更食らって明日に順延、そんなわけでお仕事に行ってきたり。や、明日やる予定だった本の原稿チェックを前倒しでやってきたんですけどね;。

 で、ふと思ったこと。
 ……言うまでもないことだけど、本の値段って、中身の質とか価値をあんまり考慮しないで決められてるなー、と;。

 や、実は原稿チェックしてたらすでに値付けを決めていたらしく、値段が表紙に入れられていたんですが、私の感覚からするとどう考えても倍の値段をつけてもよいぐらいに思える本。類似の情報が出てないとか、他の本との情報価値とかの差を考えて妥当な値付けを行うとそれぐらいだろう、と思ったんですが、出版社がつけてきた値付けは全く違うロジックで数値が叩き出されている。

・出版までにかかった出版社内のコスト(版組コストとか)
・ページ数から見た妥当な価格

 で、前回に出した本よりページ数が少なくて、なおかつ出版までの作業プロセスの見直しもかけたおかげて百万円ぐらいコストが浮いたおかげで前回に出した本より安い値付けが付いていた……んですが、うーん、それは出版社内部の都合だろう、と小一時間;。

 でも、適正価格の決定ってちょっと考えてみるといろいろと厄介なんですよね。

 文化的配慮云々とかの話を横に置いておくと、質による価格差をこうしたものに反映させるロジックはおそらく 2 つあって、初期価格設定を変えることと、ディスカウント率を変えること。後者は再販制度によって規制されているので、販売元による初期価格設定権のみが強く生きてくる。最近では質によって初期価格設定を変えるということも行われるようになってきていますが(例えば売れそうなアーティストについては PV の DVD つけて \2,000 でシングルを売るとか)、基本的には「従来の流れを踏襲した」一律の価格設定になっている、のが普通でしょう。

 でも自分で自信を持って、そしてそれ相応の時間を投資して作ったものに対しては、(市場原理に見合った)正当な対価を価格として設定すべき、と思うんですよね。それは、不当に自分を安売りしない、という意味において重要。買い手の立場からすれば「安ければ安いほど嬉しい」のは当然ですが、だからといって(仮に採算が合ったからといって)「価格を安くすればするほどいい」という性質のものではない、と思うんですよね。私は普段の仕事でも営業による安易なディスカウントに強烈に反対する人なのですが、それは自分の仕事の価値の安易なディスカウントを認めたくないから、でもあります。価値があると思うのなら、その価値に見合った価格を設定するのが、作品に対してのこだわりではないか、とも思うのです。

 客観的に適正な価格の設定というのはそれ自体非常に難しい作業ではあるのですが;、自分の作品に対してこだわりがある人は、価格に対してもっとこだわっていいんじゃないか、という気がします。作品に対するこだわりは、価格に対するこだわりにも反映されてしかるべきではないのか、とも思うわけです。

# もっともその一方で、自分の仕事の価値を客観的に評価することの難しさもあります。
# 仕事してると、だいたい多くの人は自分の仕事の価値を高いと考えがちですからね;。

 ……まあこの辺、言い尽くされた議論だとは思うんですが、自分がその渦中に立たされてみるといろいろと思うところはありますね。(苦笑)

投稿者 まちばりあかね☆ : 2007/2/25 04:09 | 4.雑学&雑感

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コメント

>客観的に適正な価格の設定というのはそれ自体非常に難しい作業ではあるのですが
むしろ主観的に価格を設定する方が適正か否かの判断が難しくなるような気がします。俺がいるのは完全に作業時間で価格が決定する業界ですが、やはり“手間”と“特異性(能力的希少価値)”で測るのがもっとも容易かと

それはそうと日本の出版物はページあたりの単価が高すぎだと思います。
刷数が少ない分単価を上げなければ利益を確保できない事情は理解できますけど、洋書に比べて製本が丁寧すぎてますし、なまじ丈夫な分中古市場が肥大化して需要をだぶつかせる原因になっているような気がします。
情報なんて所詮水物だし、紙製品としてはリサイクルしても、本としては使い捨てでいいんじゃないかな?


投稿者 LaughCat : 2007年2月26日 00:09

製本の問題はそう思います。日本ではペーパーバックみたいな本が少なく、一気に文庫本になってしまいますね。ちょっと極端すぎるように思います。

価格決定ですけど、やはり再販制度を外して、その上で出版業界を自由化するのがいいでしょう。その中で著者が自分の考えにあった出版社を選びやすくなってくればまた違うかと。

話は変わりますが、日本でも著作者の図書館などへの寄贈がもう少し増えるといいですね。何もかも地方自治体任せではなく、ボトムアップの文化が今少し必要と思います。

投稿者 夏のこたつ : 2007年2月26日 20:09

む、このエントリ、話題が膨らみますね。

> やはり“手間”と“特異性(能力的希少価値)”で測るのがもっとも容易かと
その希少価値のところを測るところにどうしてもある程度の主観性は混ざるでしょうけど、基本的にはそれが最も簡単だと思います。

> それはそうと日本の出版物はページあたりの単価が高すぎだと思います。
これについても同感です。こたつさんも指摘されている通り、ペーパーバックに相当するものがない、と。
アメリカの本だと、雑誌でも本当にペラペラないかにも安そうな紙を使っていることも多いのですが、流行り廃りの多い情報については基本的にはペーパーバックのような製本でも十分、だと私も思います。

実際、出版業界と仕事してみて思ったことは、未だ「情報」ではなく「製本作業」や「版下作り」でお金を稼ぐモデルになっている、という点。例えば数千部程度の出版部数なのにもかかわらず版下作りに 100 万円からのコストがかかるようなモデルになっている本も少なくなかったりして、どう考えてもおかしいだろう、と言いたくなったりします。放送業界と同様、「チャネル」という既得権益の壁の厚さ、というところはあると思います。(もちろんそうじゃない人もたくさんいることはわかってますが)

再販制度の廃止、というのは理論上はともかく現実的には結構難しいかと思います。もしそうだとすると、紙媒体と書籍流通経路が技術破壊により崩れたときがターニングポイントになるんじゃないかな、と。

あと Web 拍手でいただいたコメントへのリブライですが、

> 「適正価格」ですが、こだわりがある以上価格への反映が必要だと思います。
> しかし廉価多売で知識を広めることで、高い評価が生まれることもあるのでは、とも思います。
 (↑ ちょっと書き直しました;)

ええっと、もちろんそういうこともあると思いますが、もう少し条件とかを整理した方がいいかも、ですね。価格を下げて多売し、内容やその存在を広く知ってもらう必要があるケースはいくつかのパターンが考えられます。

・そもそも知名度が低い(ブランドとして確立されていない)ので、値段が安くないと手にすら取ってもらえないケース。(例:知名度の低い化粧品とか。)
・知名度は高いけれども、公益性とか道徳性を考えると、ある程度安価な価格設定をすべきだと考えられるケース。(例:小学生が使うジャ○ニカ学習帳とか。)
・それ自体で利益を上げられなくても、それをきっかけとして別のものやサービスを購入してもらって利益を出せるケース。(例:携帯電話の端末とか。)

この辺、一概に言えるものではないですが、正確にどのパターンなのかを考えないと無駄な廉価販売になってしまう危険性もありますね。(売れないものを無理矢理売ろうとして低価格戦略のワナにハマる、というのはよくある話だと思います。低価格化によって市場を拓くというのは割とレアケースでしょうね。)

投稿者 まちばりあかね☆ : 2007年2月27日 01:08

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