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目の前のリスクからの逃走 : 希望格差社会

 知人からの推薦で、山田昌弘氏の「希望格差社会」という新書を読んだ。著者の方はもともと「パラサイトシングル」という言葉を提唱した有名な人なのだそうだが、私は本書を読むのが初めて。一通り読んでみたが、読めば読むほど鬱になる、非常にシビアな『良著』だった。

 本書の要点をなるべく簡単な言葉でまとめると、おおよそこんな感じになる。(乱暴ですが(^^;))

  • ここ 10 年弱のビジネスの国際化などによって、社会に構造的な変化が生じた。個人の自由が高まる半面、個人が自分の行動に対して責任(リスク)を負わされるようになってきた。
  • その中で人々は横並びで自分の生活レベルに対する過度な期待を抱く一方、実力が伴わない多くの人はきっと頑張って報われないという実感から、日常的な努力を放棄するようになり、ますます期待を実現できなくなる。その結果、勝ち組と負け組の二極化がさらに加速する。
  • 負け組はリスクを先送りすることで自分の夢を維持しようとするが、10 年?20 年後には破綻して、若者層が社会にとっての不良債権と化すだろう。

 期待と努力は卵と鶏の関係なので、どちらが本質的原因と言うことは難しいが、本書は負のスパイラルに陥っている若者層の現状を極めて的確に捉えていると思う。例えば、結婚できないパラサイトシングル(←というか私のことですが(笑))に関する言説を引用してみよう。

 理由はいろいろあっても、パラサイト・シングルは結婚相手のいない独身者であり、フリーターの大多数は、サービス業や専門職の下請け等に従事する単純労働者である。現実に送っている日常生活は、理想とする将来に結びつくわけではない。(中略) つまり、現実の日常生活と将来の理想的な生活に決定的な断絶があるのが、パラサイト・シングルやフリーターなのである。

 この断絶に、「夢」が入り込むのである。パラサイト・シングルの語る結婚生活の夢は、男性ならかわいい奥さんが文句も言わずに家事をしてくれるといったものだし、女性なら収入が高くてかっこいい男性が、家事を手伝ってくれるといった夢である。(中略)

 ここに、自己実現の罠が生じる。(中略) 結婚にも同様のロジックが働く。一度、理想的な結婚生活を夢見ると、理想の切り下げができなくなってしまうのだ。妥協すれば、いままで何で待っていたのだろうという後悔が出てきてしまうからだ。(中略) 理想の仕事や理想の相手に到達できなければ、今まで、フリーターやパラサイト・シングルをやっていたという「苦労」が一気に水泡に帰す。そういう状態に直面することを避けるために、フリーターやパラサイト・シングルをし続けなくてはならない状況に追い込まれているとも言えるのだ。

山田 昌弘氏「希望格差社会」 p.217?218より引用(下線は原著にはない)

 うわーっ、すいません、ごめんなさい(汗)。……と謝りたくなるほど身も蓋もない、デリカシーのカケラもない分析。心情的には思わず反発したくなるが、冷徹ながらも非常に的確な社会分析を行っている。

 階層振り分けパイプラインシステムとしての教育論なども交えながら、こうした現状分析に対して、山田氏は最終的に以下の二つのポイントを改善施策として提言している。
  • 過度な期待の調整(冷却)システムの構築
  • コスト(努力)とリターン(報酬)に対する正当な見積もりの提示システムの構築
 端的に言えば、現在の社会構造に併せた形で、個々人の『身の丈』に見合った希望・期待を持たせる(場合によっては過度な期待を諦めさせることも含めて)ような社会システムを作り上げるべきだ、ということ。それにより、将来に対して「見通しが立たない」というリスクが抑えられ、社会を安定させることができる、というわけである。

 確かに、心情的にこの結論や提言が納得できるかと言われると辛いものがあるし、実際、amazon の書評を見ていても、比較的多くの人たちが感情的に納得していない様子が窺える。しかしこの本が指摘している、「普通の人たち」(=ボリュームゾーン)を救う社会システムの欠如と、それによる若者層の不良債権化と社会の不安定化は、残念ながらおそらく正しい指摘だと思う。細部の正確性はともかく、「日本は将来的に立ち行かなくなる」という日常的な皮膚感覚と、具体的な客観データとをうまく橋渡ししており、総体としての議論は的確ではないだろうかと思う。一部に我田引水な議論もあるとはいえ、非常によくまとめられた良著であった。

 私なりに敢えて一つだけコメントすると、個人向け施策と、ボリュームゾーン向け施策とは異なるものである、ということもきちんと書いておくべきではないかと感じた。本書の最後の提言には具体的な説得力がない、と批判している人が多いが、それはボリュームゾーン(=一般人)向けの議論を、自分自身(=個人)向けの議論と混同してしまっているからではないだろうか。本書は社会学的な視点からの施策(つまり『なるべくたくさんの人』をまとめて救うための施策)を議論しているため、その対策はかなり抜本的で大掛かりになってしまい、「現実性がない」と感じられてしまうのかもしれない。しかし、山田氏が描き出した『現在の絶望的な日本の状況』に対して、我々ひとりひとりがこれをどう捉え、どう対処するのかは全く別問題である。

 例えば、本書の中では「横並び意識を改め、分相応の生活をして、お金の掛からない趣味や家族の団欒を楽しめば、幸せな生活を送れる」という考え方は無理がある、としているが、それはマクロ施策として『一般人全員』に適用するのが無理だと言っているだけであり、ある個人として見たときには、これが現実的な選択肢になることもある(実際、そうやって心豊かな暮らしを手に入れている人たちもいる)。つまり、社会システムとして「多くの人たちをまとめて救う」施策は難しくても、個々人のレベルで見た解決策(=自分にのみ当てはまればよい解決策)には、様々なものが考えられるのではないだろうか。

 そういう意味で本書は、20 代や 30 代ぐらいの人たちが、「今」の自分の在り方、これからどうすべきかを改めて考え直す、いいきっかけを与えてくれる一冊ではないかと思う。予備知識も全く要らず、ゆっくり読んでも一週間とかからず読めるだろう。もともと学生向けの講義をまとめ直したものらしいが、先行きどうなっても構わないという世捨て人でもない限りは、この本を読んでちょっとだけ頭をひねって考えてみてもいいのではないだろうか。むろん夢や希望なしで人は生きていけないが、かといってそれらが『奇跡』によって皆に等しく天から降り注いでくるほど、きっとこの世の中は優しくない。そう、

『起こらないから奇跡って言うんです。』

っていうことである。(←これが書きたかったのかよ、おい(^^;))

投稿者 まちばりあかね☆ : 2005/2/12 00:00 | 4.雑学&雑感

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