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書評:ノーフォールト

 というわけで本日はこちらの書評を一つ。



 医療現場における避け切れない医療事故と、医療訴訟により心をすり減らし、追い詰められていく女医さんの物語。もともとでじくま氏の blog で取り上げられていた一冊なのですが、興味があったのでとりあえず密林クリック。で、思いっきり積んでおいたのを土曜日にちょろっと読み始めたらリトバス放置して一気読みしてしまうワナ(え゛;)。この本を書いた岡井氏は昭和医大の産婦人科の現役教授だそうで、35 年にわたる現場の医師経験と、現在の医療現場や医療訴訟などを鑑みて筆を取ったそうですが、その圧倒的な臨場感と迫力ある展開に驚くほど引き込まれる一冊でした。

 や、医療現場や医療訴訟の問題、そして特に産科の惨状や訴訟リスクの高さなどは複数の医者の友達からいろんな形で聞かせてもらっていたのでその辺での目新しい事実はなかったのですが、とはいえドキュメンタリー風に描かれるとやはりかなり印象が違ってくる。誠意を尽くしてあたった妊婦が、「避けられない事故」で亡くなり、その遺族から訴えられることによって心身をすり減らしていく。しかもそれが当事者ではなく、周囲の心ない人たち(遺族の関係親族や弁護士など)によって引き起こされていく。そんな物語が克明に描かれている一冊です。

# 特に、院内感染から敗血症を起こしてあっという間に多臓器不全で死亡、という症例は、
# 私の友人の父親がまさにそうだっただけに他人事とは思えないものがありました。
# その話を聞いたとき、現代の医療で細菌感染で死ぬなんてことがあるのか?? とびっくり
# したのですが、それがおそらく素人の感覚そのものなのだろうとも思ったのを思い出します。

 この物語にこれほどまでに引きずり込まれる理由の一つに、ヒロインの奈智の見事な造形がありますね。人一倍感受性の強いヒロインの奈智は、新しい命が生まれる瞬間に立ち会えるお産という職に魅せられ、産科医となる。けれどもその感受性の高さは諸刃で、新たな命が生まれる喜びを産婦と共に享受できる半面、人一倍、深く傷つきやすい。奈智は訴訟を通して産科に対する情熱を失い、そして大学病院を去っていこうとするわけですが、その真の原因は、彼女が信頼を裏切られたことにある。奈智は訴訟を通して PTSD に陥っていくわけですが、彼女の医療行為がノーフォールトであったと科学的に立証されても、なお奈智は以前のような勇気を奮い起せない。それは、自分が患者とその家族に対して寄せていた「信頼」を、訴訟という形で裏切られ、それによって彼女が他人を信頼することができなくなってしまったから。

 人から寄せられている信頼を裏切るということは、人を殺しかねない極めて危険な行為でもあるんですよね。なぜなら人の信頼を裏切ることは、「マジメにやるなんてバカじゃん??」と人の気持ちを傷つけ、生きる情熱を削いでしまうから。それは人を(精神的に)殺すことに他ならない。奈智がこの一件によって失ったものは、産科への情熱ではない。本質的には「生きる情熱」を失ってしまったんですよね。(だから「逃げ」を打つような道(この作品の場合には子供であるとか開業医の道であるとか)を模索しようとしてしまう) そしてその情熱を失った様は、確実に周囲の医師へと伝染していき、さらに泥沼の様相を呈していく……文字通りデフレスパイラルとしか言いようのない惨状。

 ではなぜそんなことが起こるのか? 読んでいる最中に、これはシステムの不整備によるものだよなぁと思っていたのですが、その辺のところは巻末に岡井氏自身が綺麗にまとめていました。この辺に関しては先に挙げたでじくま氏の blog のエントリがよくまとめられているので改めて書き直すことはしませんが、リスクを担保する手立てとしての「保険」「補償」システムがきちんと構築されていないという点が一番大きな問題。こんなこと書くとお医者さんに怒られそうですが;、ぶっちゃけ私も遺族として同じ状況に立たされたら、どんなに頭で理解していたとしてもやり切れない感情の矛先を医師や病院にぶつける可能性が高いと思うだけに、システムの不在を訴訟という形で補填する現在の在り方は正直なんとかしてほしい、と思わずにはいられません。

 医療事故は絶対に防ぎたいものです。しかし、どの科の医療でもまったく無くすということは、残念ながらできないのです。ですから、医療事故の問題は、"過誤"と認定するかどうかを争うという狭い視点で議論するのではなく、どうやって事故の発生頻度を減らすか、事故に遭った被害者をどう救済するかの視点から考えなければいけません。

 この辺を読んで思いましたが、私も概ね岡井氏の主張に同意で、「ハズレを引いた人だけが不幸を見る」的な現行の状態を脱却するためには、リスクを社会全体で均質化して請け負うようなシステムが必要になるはず。そして他国にはすでに先進的なシステム事例もある。なのにそれがなぜ日本に import できないのか? いろいろ理由はあるでしょうが、阻害要因の一つに、やはり日本の未成熟なマスコミの問題があるよなぁ、と思いました。この本の中でもこのポイントには触れられていましたが、特に最近は某超大手新聞会社ですらも下品としか言いようのない記事を載せて、みんなを煽って人の悪い面ばかりを引き出してしまうこと、ひいてはそれが数の暴力に繋がっている部分が少なくないように思えます。そしてそうしたものが「公平中立なシステムの構築」あるいはそこへの取り組みすらをも難しくしている面が少なからずあるんじゃないか、と。

 いずれにしても別にこの話に限ったことではなく、日本という国は人の足を引っ張り合うことが常態化している側面があり、その非生産的な活動が結果的に正常な進化を妨げていることがよくあります。医療現場の現状はまさにそうした負のスパイラルに面しているわけで、こういう本を読むと、改めてとにかく一刻も早い改善が望まれると感じます。まだ自分は健康だからよいものの、将来のことを考えるといろんな意味でぞっとするものがある……そんなふうに思わずにはいられない一冊でした。物語的にはラストがやや安直な気がしなくもないですが(私はあのまま第一線を退くというストーリーラインでもよかった気がします)、とはいえかなり引き込まれるのは確か。専門用語が多く、最初はややつまづきを覚える人も多いと思いますが、その辺はあまり気にしなくても読み進められるので、興味がある方はぜひ手に取ってみていただきたい一冊ですね。

# ……っつーかいいかげんリトバスに戻らないと、ですよ;。
# なんかこのペースだとコミケと重なりそうな気配なのでかなり恐ろしいのですが;;。

投稿者 まちばりあかね☆ : 2007/8/8 01:56 | 4.雑学&雑感

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コメント

お世話になります。とても良い記事ですね。

投稿者 グッチ 折り財布 : 2012年11月10日 08:09

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