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気付きと成長

 ふう、というわけで今日も一日おしまい〜…なのですが、最近なんでこんなに忙しいのかとふと考えてみたら、毎日の仕事で他の人とおしゃべりしている時間が異様に長いからだということに改めて気付くワナ。要するに昔に比べて会社の同僚と話す時間を大切にしているからなんだよなぁと改めて思ったり。というわけで、今日はなんとなくつらつらと思うことを書いてみるテスト。

 そもそもなんで他の人と話す時間を大切にしているのか? というと、それは他の人と話していることで、自分も何かを気付かされることがあるし、相手も何かに気付く機会が増えるんじゃないかと思うから。や、私は割と教育関係に昔から興味があって、現在も他の人に何かを教えるようなことを仕事にしてたりすることが結構多かったりするのですが、いろいろやってみて至った結論は、

 勉強する気がない人に何かを教えるのは無理。

という当たり前の事実。もちろん、何かしらの知識や技術をワンショットで『伝える』ことはいくらでもできるのですが、現実的にはそうした講義や講習などで教えられる時間というのは非常に限られているし、なにより社会人にとって重要なのは、向上心であったりモラルであったり自己実現を目指す志、あるいは自分で物事を判断し、考える能力であったりすることが多い。こういうものは知識や技術とは本質的に違う(当人の自発的な思考が必要になる)ものなので、『教え込む』ことは原理的に不可能なんじゃないかと思うんですよね。

 そして同じことは自分にも当てはまる。確かに何かしらの知識や技術は本とかを読めば学習できるのですが、実際問題としてはもっと大切なことがたくさんある。つまり他人と話していて、その人がどういう出自を持っていて、どういう思いで仕事とかをやっていて、どういう人生観を持っているのか。あるいは日々どんなことを感じているのか、どんなふうに生きようとしているのか、なぜそういう行動をとるのか。そういった、他人の考え方そのものを理解しようとすることの中で気付かされるものがものすごく大切だったりする。そしてそういうものは、(意外に気付きにくいものですが)日常的な会話をちょっと掘り下げたようなところに、宝石の原石のごとく転がっていることが結構多かったりするように思うんですよ。

 受験勉強のような「カリキュラムがきっちりと整った」領域であればある程度の『詰め込み教育』も可能なのかもしれませんが、特にビジネスの世界のようにある一定以上のプロフェッショナルに対して行われる講義や講習って、おそらく何かを『教える』ことは本質的には重要ではなくて、何かに『気付いてもらう』ことの方が重要性が高いのではないか、と思う今日この頃。学習の効率性、という観点からいえば非効率的なのかもしれませんが、結局のところ

 人間は自分が発見(再発見)したことしか覚えない。

ということなんじやないかと思ったり。なかなか時間を取るのは難しいですが、会話を通して、自分とは異質の考え方を理解しようと心がける(=自ら気付こうと努力する)ことは、非常に難しいんですがやっぱりものすごく重要なこと、なんでしょうねぇ。

投稿者 まちばりあかね☆ : 2008/3/6 02:42 | 4.雑学&雑感

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