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2005 年最後の blog エントリはいつも通りゆる〜く締めくくろうかとも思いましたが、せっかくなので思いっきり自分のこと棚上げモードで少し真面目な話を書いてみたり。
リアルマイシスターの blog で知ったんですが、毎年恒例の今年の漢字は『愛』なんだとか。これを見たとき、不謹慎ながら思わず苦笑。や、それは今の日本に一番足りないものなんじゃないか? と思ったり。
「オマエになんか言われたくねーよ」な話であることは百も承知しつつも書いてしまうと、愛って好きとか恋の延長線にあるんじゃなくて、どっちかというと、思いやりの延長線上にあると思うんですよね(by CLANNAD^^)。無私の愛、なんて言葉が成立するのは、要するに「愛は見返りを求めない!」から(by CROSS†CHANNEL^^)。がしかし、振り返ってみて、今の日本は果たしてどうなのか?
今年というよりはここ 5〜10年ぐらいの連続的な現象なんでしょうが、最近、「希望格差社会」や「下流社会」といった、いわば日本国内の二極化現象を分析する本がいくつか出版されて、私も興味深く読んだわけですが、なんか本質的な部分での違和感を感じてたんですよ。これらは、『持ち続ける以外に対処のしようのなくなった、膨らみ切った夢を持つ若者たち』を描き出した本なんですが、もっと話は単純なんじゃないかと。で、先日ふと気付いたんですが、要するに一言で言えば……
現代にはびこる最大の病、それは『わがまま病』。
端的に言えば、他人よりも常に自分のコトを優先させてしまうライフスタイル。それが根幹にあるのではないか、と。
先日、立川 恵さんのサイトでこんなエントリを見かけましたが、まあ無理もないよなぁ……とは思うものの、そもそもなんでこんなことが起こるのか? これ、「善意を上手く受け取れない不器用な人だから」という理由じゃなくて、おそらく「自分が思ったり感じたりしたことは常に正しい」になってる人が多い(=他人がどういう意図でその行動を行ったのかがわからない or そもそも考えない人が多い、他人を顧みない人が多い)ことが根幹にあるんじゃないか、と思うんですよ。
日常生活の中でも、他人の善意を受け取ったときに感謝をしない or できない人が多い。この人は、文句を言ったり腹を立てたりする回数と、他人に感謝する回数のどちらが多いんだろう? と思うこともしばしば。相手の立場に立って物事を考えられない人は、概して仕事も二流三流であることが多いんですが、下手すると自覚症状すらなくそういう生き方をしちゃってる人はなにげに多いんじゃないかと思うんですよ。よく、「自分のことで手一杯だから他人のことを考えられない」とか言われますが、そうじゃなくて、「もともと他人のことなんて考えるつもりが毛頭ない」んじゃないかと思うことも。
要は『わがまま』。自分が主体で、基本的に思考のほとんどが「自分」中心で動いてしまっている。そしてそういう人たちに自省を求めるような社会システムがない(=欲しいオモチャはいつか必ず買ってもらえるとか、dreams come true とかいった無根拠な確信がある)、というのが今の日本の若者世代なんじゃないか、と思うんですよ。さらに、そういう人たちがある一定数を超えると、デフレスパイラルのごとく、みんながラクな方に流れてしまう。「他人のために何かをすることは絶対に良いことだ」という士郎ライクな生き方は、単に他人に善意を食われる生き方でしかなくなってしまう。結局、身勝手になった者勝ちってことで、桜ルートの士郎みたくなっちゃう;。
本来、自分と他人のどっちが大事? というのはバランス問題なのですが、人生って他人のために痩せ我慢をしてナンボのもの、なんていう発想はもはや死に絶えた考え方じゃないかと思ったりするわけです。
# 夏のこたつ氏に言わせると、「日本は暴動が起こらないだけまだマシ」だとか。
# ……まあそれもそうなんですが;。
そんな自分を含めた;わがままな人たちばっかりの現代において、『愛』なんていう言葉が今年の漢字として採り上げられてしまうこと自体、果たしてどう捉えたらよいものか。いや今の世には愛がないと言いたいのか、それとも愛が欲しいのか、愛に飢えてるなのか、愛って素晴らしいなのか、や、私にはよく分かりませんが、あんまり前向きな話にはなりそうにないような気もしたり;。
……と、真面目なエントリを書いてみたものの、今年の漢字って実はそんな凝った理由で選ばれてるわけじゃないんですけどね。深読みしても意味ないじゃん状態;。
ま、なかなかそんな単純な話ではないことも理解しつつ、最もわがままで最も思いやりがないのはオマエだろ;という自分ツッコミを全力でしながらも、それでも来年は今年よりもっと良い年になることを願いつつ、そして来年は今よりもっと頑張らねばと思いながら、今年最後のイベントに出撃でありますよ、隊長(爆)。
や、今年のオーラスは原点回帰なイベントですよ〜?
というわけで、みなさま良いお年をお迎えくださいませませ^^。
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善意を食われる事に関する危惧ってのはある意味日本的ですね。
というのは、社会はそういう事が当たり前にあるというニヒリズムが
そもそもあまり蔓延していないこと自体が異例かと。
民主主義国は性悪説が常道ですからね。NHKの受信料の制度とか、
拒否しても罰則が無いことに世界の大半の人は驚くらしいです。
それでも、そういう社会の仕組みを作るなり、モラルが高いなりで
ある一定以下に寄生虫のような人間を押さえ込んだ社会が、
今日先進国と言われている国ではないかと思ったりします。
投稿者 夏のこたつ : 2006年1月5日 23:24
なるほど確かにそうかもしれません。> 当たり前にある
要するにかつてはモラルがあって、それを強制する仕組み(学校制度など)が
あったけれども、その強制力が弱まってきた、ということでしょうか。
しかし、右肩上がりの時代を超えてもまだその仕組みをうまく維持できている
国って存在するんですかね? 実際のところはないような気もするのですが。
投稿者 まちばりあかね☆ : 2006年1月7日 21:57