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私たちが敬意を抱くのは、「生徒に有益な知見を与えてくれる先生」でも「生徒の人権を尊重する先生」でも「政治的に正しい意見を言う先生」でもありません。
私たちが敬意を抱くのは「謎の先生」です。
「先生の中には、私には決して到達できない境位がある」ということを実感するときにのみ、弟子たちは震えるような敬意を感じます。
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>相手に分からないところがあるからこそ敬意を感じる。それは恋愛のようなものだ
尊敬という行為は、まさにその通りかもしれませんね。
例えば、自分の好きなアーティスト(ミュージシャン、声優、作画家など)は
まさに「 私には決して到達できない境位が(そこに)ある 」から好きになるわけで、
好きになった以上、相手の事(仕事や作品など)をもっともっと深く知りたい、
という欲求が自然と沸いてくるのものです。
まぁ、そう考えると「先生だから偉い」のではなく、「自分が尊敬できる人は
自分にとって先生である」と考える方が自然かもしれません。
>『先生から学ぶのは、有益な技術や知識である』という思い込み
教育とは自分達のクローンを作る作業のことではないし、
学力とは知識をコピー(移植)する事ではない、と思うのですが、
世間ではそう思っている親も少なくはない実情が影響しているかもしれません。
また「 個性とは才能のことで、役に立つ能力だ 」と考えて
「子供の個性を伸ばそう」という呼び声の元で、ひたすらエリート教育に
熱を上げる親も少なくはないと思います。
無論「個性」そのものは才能や能力ではなく、それは自体は目立たなくても
役に立たなくても個性は個性として存在します。
こうした、ある種の誤解が人としての生き方や生かし方の幅を狭めてしまって、
結果として歪んだ教育観を助長しているようにも思えます。
投稿者 ネコジラ : 2005年3月14日 22:43
この問題はいろいろ難しい話ではありますよねぇ....。
むやみに先生に対して敬意を持てばよいというわけではないし、
実際問題として、尊敬するに足るプロフェッショナルな資質を持った
先生が今どれだけいるのか? となると、確かに疑問もあります。
私の祖父は教育関係の職に就いていたのですが、最近の教育の危機が
叫ばれるよりもかなり前に、教師の質の低下について嘆いていました。
ただその理由については、昔と違って教師という職業そのものに
魅力がなくなったところが大きい、ということを言ってました。
(要するに、昔は教師という職業が非常に安定していて収入も良く、
みんながなりたい職の一つだったので自然と良い人が集まった、と)
実際、本当に教師の質が下がったのかどうかは分かりませんが、
生徒あるいは親の側にも問題の一端があることも確かで、鶏と卵の
議論をしていても仕方はないんでしょうね。
「長幼の序」という言葉がありますが、こういう言葉も「実際に尊敬
できない人かもしれないけど、まずとりあえず敬ってみて、それから
考えよう」という文脈で捉えることができない人が増えてることは、
やっぱりあんまりよろしくないよなぁ....とは常々思います。
……まあ、私が割と「長いものにはまず巻かれてみてから考えよう」
というタイプの人間だからかもしれませんが。(^^;)
投稿者 まちばりあかね☆ : 2005年3月18日 22:33
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