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D.C.II 〜ダ・カーポ II〜 天枷 美夏ルート

 というわけで今日のお題は美夏ルートのインプレをざっくりと。いやなんつーか、しょっぱなから爆笑^^。

 ちぃ! こんなところでバナナミン切れか……」
 なんですかそのカラータイマーの点滅音はっ;。しかも点滅音の周期が短くなってるし;;。

 や、冗談はさておき、これはよく出来てるシナリオですねぇ。ギャルゲのお手本のような綺麗なストーリー展開で、目新しさはないけれどもとにかく綺麗にストーリーを展開してくれたなぁと感じさせてくれる一作。重たいテーマを扱いながらも、決して安易な結論付けをせずに綺麗にまとめてくれたのは見事でした。以下ネタバレありで。

「美夏が自分を美夏だって思う意識はこの人工知能の中にあるカタチないものだ。
 回路が、機械が美夏なんじゃない。わかるか?」
「忘れるな。行動を制限されている市販のロボにだって、心は――感情はあるのだ。」


 今回の美夏も前作同様、ネジ穴搭載のゼンマイ型ロボット(笑)なわけですが、前作と違って本作はかなり直球勝負の作りになってますね。ロボットものというと、主人公がヒロインのロボットを(人間じゃないのに)愛せるか、みたいなギャルゲストーリーになることが多いですが、本作はそういうテーマ設定をせずに、むしろものすごく普遍性のあるテーマである、いわれのない差別と迫害(= ロボットであるという理由だけで差別や迫害を受ける)を選んでいる。つまり、人類とロボットは敵同士、という単純な構図を掲げながらも、でもミクロスコピックに見るとある一人の人間とある一体のロボット同士ではなんら違わない『心』を持っていて、そこに気付くことが、いわれなき迫害をやめるきっかけになる、と。

 この構図は戦争モノとかの作品で出てきますよね。つまり、あの国の人間はみんな蛮族だ、とレッテル張りをして、敵である人間を個人として見ないようにしてしまう。そうしないと相手を殺すことなんてとてもできない。

 委員長(麻耶)の天枷に対する辛辣な態度は、こういったレッテル張りそのもの。民生品ロボットのμの設計者である麻耶の父の沢井博士は、ロボット問題で様々な人権団体や女性団体からバッシングされ、ついには自殺に追い込まれる。家族を崩壊に追い込んだロボットという存在が許せない麻耶は、八つ当たりだと知りつつも天枷につらく当たらずにはいられない。

「そうね。別に今言ったことの責任が天枷さんにあるわけじゃないってことくらいは私でもわかる。
 でも、私はロボットを許すわけにはいかないの。
 私の幸せを奪ったロボットと同じ学び舎にいることはできない……」


 けれども、美夏が身を挺して交通事故からかばった男の子が麻耶の弟だったことから、彼女はロボットを『個体』として見るようになる。それをきっかけとして彼女の態度が変わっていく構図は、ベタすぎるなぁと思いつつも説得力がある。

 でもこのシナリオでホントに上手かったところは、そこから作品を安易なハッピーエンドに持ち込まなかったこと。個々人というミクロスコピックなレベルで見ると、麻耶のように、見方や考え方を改める人たちが出るかもしれない。けれども、マクロスコピックな『大衆』によるいわれなき迫害は、個人がどんなに叫んだところでなかなか変わるものではない。得体の知れない『世間の常識』という名のレッテル張りは、そんなに簡単に変わるわけがないんですよね。

 だからこの作品では、『雰囲気に流される大衆』(= 勇斗を救った美夏をヒーローとして掌を返したように持ち上げる生徒たち)を描きながらも、『そうそう変わることのない大衆』(= それでもやっぱり美夏はロボットなので退学させざるを得ない)を描いている。けれども、そういう絶望的な『大衆』を描きながらもこのルートのラストは非常に前向きな印象を与えてくれるんですよね。なぜなら、次世代を担う『若者たち』が変わっていく様子を描いているから。作中で幾度となく「時代」というキーワードが出てきますが、それが変わっていくことを予感させるような作りになっているのがものすごくいいんですよ。

 美夏によって解決されることのなかったこの問題(= 大衆による謂れのないレッテル張り)が、数年後のエンディングではあっさりと片付いてしまっている……というのはまあギャルゲのお約束というかご愛嬌;。ただ、このエンディングすらも決して安直な説得力のないハッピーエンドではなく、「きっとこんなふうに解決されていくはずだ」ということをちゃんと考えた上でのものであることを、私は高く評価したいんですよね。

 実は作品の最初の方で、μを見て美夏が語ったセリフにこんなセリフがあります。

「でも、あいつも……エモーショナルサーキットにリミッターがかけられていた……なんか、可哀想だ……」

 このセリフから想定されることは何か。もともと過去に美夏が受け容れられなかった理由は、なにより美夏が、人間とほとんど同様の感情を持っているにもかかわらず、人間ならざる存在であったこと。このために、ロボットからは感情回路が取り外されることになった。要するに、人間がロボットを支配するために、首輪をつないだ状態にしたわけなんですよね。ところが当然そのような形にすれば、ロボットといえそれほど売れるはずもなく、研究も先細りするしかない。これが、美夏が作られたのがかなり過去であったにもかかわらず、その後、数十年に渡ってめぼしい発展を遂げなかった理由(最新型のはずのμと美夏に大差が見られない理由)なんでしょう。

 ところが、ここで(どこの企業かは出てきませんでしたけど)ある企業がロボットを愛玩人形として売り出すという商売を考え出してしまう。白井博士の手により、人間と同様の身体と人間と同様の感情を持つロボットとして作られた美冬(μの開発コード名)。それは自らの手で人間と同じものを目指す研究だったにもかかわらず、博士の意志に反してこのロボットのエモーショナルサーキットにリミッターをかけることによって、この企業はこれを愛玩人形にしてしまったんですよね。これによりロボット開発はビジネスとして大成功する半面、麻耶の家族が崩壊することになってしまう。

 ビジネスとして大成功したということは研究開発費が大量に得られたということでもあり、これによって再び弾みがついたロボット開発は、次の段階を迎えるための一手を打つ。それがエピローグで語られているロボットの社会進出。もともとエモーショナルサーキット(感情回路)自体は美夏の時代に完成の域に達していたわけですが、この回路のリミッターを「条件をつけて」解除したんですね。つまり、老人福祉介護や警察など「市民の理解が得られやすい」ような場所で働くロボットに感情を持たせるようにし、これをマスコミと癒着してアピールしていく。これにより、ロボット=マニアの愛玩人形というネガティブだった印象を、社会や人間と共生していけるポジティブな印象へと変えていき、それによって美夏たちロボットが人間と共に歩いていける世界を少しずつ創っていく……

 おそらく、これが美夏シナリオの大まかなバックボーンストーリーなんですよ。そう考えると、この美夏というのは『壮大な計画の中での想定外の再起動』。当初は、美夏はすべての準備が整った段階でこの風見学園に投入される予定だったと思うんですが、そこに至る前に彼女は再起動してしまった。それはこの巨大な構想全体からするとむしろ想定外だったはずで、その辺のことを踏まえた上でのエンディングやエピローグになっていたと思うんですよね。

 このバックボーンストーリーは決して声高々に語られているものではないんですけど、(おそらく)ちゃんとこういうことを考えた上でシナリオを組み上げている、という点は高く評価するに足るルートだと思います。バックボーンを考えれば、「未来をどう変えていくか、人間とロボットが共存できる世界をどう作り上げていくか」というところに、作中のいろんな要素が綺麗につながっていく形になっているのが良い。

 ぱっと見はかなり地味なストーリーですが、作り込みはしっかりしていて感心。いやなかなかに良かったです。

投稿者 まちばりあかね☆ : 2006/6/25 03:56 | 1.ゲーム(Windows)

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コメント

はじめまして。いつも読ませて頂いております。

>美夏によって解決されることのなかったこの問題(= 大衆による謂れのないレッテル張り)が、数年後のエンディングではあっさりと片付いてしまっている

というのは、十年単位でしたらありうるかもしれません。例えば、拙サイトで採りあげたhttp://www.hardproblem.org/diary/archives/2005/03/23/224656.phpという論文があります。曰く、発達段階の早期においてinteractiveなロボットを人間の一種として扱っているかもしれないとのことです。もしある世代における幼児たちがそうしたロボットと触れ合う機会が多ければ、刷り込みによって、彼らはロボットを人間と同等のものだと”自然に”考える可能性もあると思います。そのような観点から見ると、上記引用部における「大衆」の感情の動きは説明可能ではないかな、と。推論に推論を重ねたものですが、一応ご報告させていただきます。

投稿者 cogni : 2006年6月25日 10:31

cogni さん、はじめまして。書き込みありがとうございます。

刷り込みについては、自分も十二分にありうる話じゃないかと思います。
実際、例えば PC や携帯、あるいはネットに対する抵抗感などは世代によって
全くといっていいほど違う。あるいは同じ世代であったとしても、家庭環境に
よって、例えば外人さんへの抵抗感なんかは全然違ったりしますよね。
そういうことを考えると、子供が『育つ』環境が物事の考え方に与える影響は
かなり大きくて当然かな、という気がします。
ロボット……まで行っちゃうとちょっと話が飛躍するのでアレですけど^^。

もし障害があるとすると、それはむしろ旧世代の人間たち、かもしれません。
例えばロボットの社会進出について若者たちは前向きに考えるにもかかわらず
旧世代の人間たちは心理的抵抗感からそれを認めない、とか。

投稿者 まちばりあかね☆ : 2006年7月9日 02:29

べっ、べつにアンタのためじゃないんだからね!d(´∀`*)グッ♪ ttp://s.64n.co/

投稿者 俺だ : 2012年2月18日 18:24

自身のある方は「美沙」までメールください。(人・ω・) http://b8y.in/

投稿者 : 2012年7月23日 08:10

カッコいい!興味をそそりますね(^m^)

投稿者 グッチ アウトレット : 2012年11月10日 04:58

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