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や、今日は一日家に籠もってひたすら Fate 三昧、えらい時間かかってしまいましたがようやくクリア。
なんというか……うーん、評価に困るゲームではありますね。よく出来てはいるんだけど、決定的な自己矛盾をはらんでしまっているというか;。まだフルコンプはしてませんが、以下ネタバレありでざっくりと。(きちんとしたインプレなどはそのうちに。)
本編で使い切れなかったネタや設定を活かして、オムニバス形式のミニエピソードを次々と展開していく構成はとにかく圧巻。こういうミニエピソードの数々を見ていると、いかに Fate 本編が奥深い世界観と確固たるキャラクター造詣の上に成り立っているのかというのを痛感させられます。加えて、単なるファンディスクで終わろうとしない心意気の良さ。きちんとしたストーリー性を持たせた一つの作品に仕上げようとしている点については感嘆させられます。ミニエピソードと本編とを両立させる構成、伏線の張り方、トリックの使い方など、上手な点を挙げ始めれば枚挙に暇がない。さすがは TYPE-MOON、文句なしに超一流、と言えるんじゃないかと。
……が、問題なのはそのストーリーに持たせたテーマそのものの是非、でしょうね;。
念のため、簡単に舞台設定と展開を簡単にまとめると。
・聖杯戦争でバゼットが言峰に殺され、ランサーを奪われる。
・死に際にアンリマユと契約し、バゼットを仮死状態で保存し、彼女に夢を見せ続ける。
それは、存在しない 4 日間の第 5 次聖杯戦争。
・第 5 次聖杯戦争という夢の世界で、アンリマユは士郎というキャラクターを演じる。
(士郎という存在に憑依する。一種のロールプレイングゲームだと考えると解かりやすい。)
この作品のキーポイントは、アンリマユがどのようなキャラクターで、なぜあのような行動を取ったのか、という点。これを簡単に箇条書きでまとめていくと、
・アンリマユの過去
彼は何の理由もなく悪魔として選ばれ、皆の恨みを一手に引き受けることになった。にもかかわらず、彼は皆が望んだ悪魔になりきることができなかった。世の中は悪意にまみれている、と言い切れればよかったのに、彼は人間の生き様が持つ、一瞬の輝きの素晴らしさを否定できなかった。(結果として、恨みきれない=反英雄としての資格を失う=消え去ることになる)
・アンリマユが士郎という役を選んだ理由
彼の望みは、せめて最後に、自らが美しいと感じ、憧れた士郎という存在になってみようとした。士郎の生き様とは、一言で言えば「自分を省みず、全ての人間の正義の味方」であろうとするもの。それはアンリマユとは一見正反対ですが、その実、世界の在り方を愛している(受け入れている)という点については代わりがない。以下のカレンのセリフが象徴的。
「衛宮士郎は自身の欲望を殺し、世の不条理を許せない善人。
対して彼(アンリマユ)は自身の欲望を許し、世の不公平を黙殺する悪人。
正反対の位置づけなのに共通項が多すぎる。
……ふふ。まるで、合わせ鏡の悪魔のよう。
世界を愛しながら憎むか、憎しみながら愛するかだけの話なのに?
こんなにも決定的に違っていながら、ただ順序が逆なだけの貴方たちが?」
・アンリマユ(が演じる士郎)がカレンを気にかけた理由
アンリマユにとって、カレンは士郎と同質の存在。彼女は、自らを省みず、他者を受け入れ、悪魔憑きをすることで他人を救おうとする。その在り方は士郎と同じ。アンリマユはカレンを壊そうとするけれど、半面、カレンの在り方は彼の憧れでもある。
・アンリマユとバゼットが惹かれあった理由
バゼットもアンリマユも、自身へのコンプレックスと無力感(諦観)から、前へ進めずに停滞している。
バゼット:努力して自らを鍛えても、結局自分は何もできないという確信的な敗北感から逃れられない。
アンリマユ:恨んでばかりで、愛したものを食い散らかすことしかできない。このまま消え去り、無に戻るしかないという無念。
・アンリマユがこのゲーム(夢)を終わらせようとした理由
端的に言えば、アンリマユが憧れたのは、他者を愛することの素晴らしさ。(士郎はその体現者) 彼は結局、バゼットのために自らを捨て、自らも前進し、そしてバゼットをも先へと進ませる。それはアンリマユにとっては自身の消滅を意味するわけですが、それを受け入れてなお、彼はバゼットを愛した、ということでしょう。
アンリマユは結局、人々の悪意に晒され続けたにもかかわらず、『生きることそのものの輝き』をついに否定できず、その輝きに憧れ、最後の最後になって、バゼットという一人の女性を愛し、彼女を現実へと還した。結局、この作品をざっくりとまとめると、メインストーリーのテーマとしては「自らのコンプレックスや諦観からの解脱」であり、「生きることそのものへの賛歌」と言えるんじゃないかと。
……が、激しく微妙なのは、このテーマそのものがメタ的な意味を持ってしまっている、という点。
つまり、士郎=アンリマユ=プレイヤー、4 日間の繰り返される聖杯戦争=このゲームそのもの=ゲームに興じるプレイヤー、という構図が成立しちゃうため、作品のテーマは『とっととゲームやめて現実世界で生きることの素晴らしさを実感しろ』とも取れてしまう。
「苦悩は誰にも理解されない。それは内だろうと外だろうと同じ事だ。
いいか、ここには救いなんてない。ただ苦しいだけだ。
目を覚ませよマスター。アンタは死なないかわりに、永遠にここで苦しみ続ける気か?」
要するに、コンプレックスがあったって、それを抱え込んで現実にコミットしていけ、というんですよね;。そして、
なんであれまだ命があるのなら、まだ十分成すべき事がある筈だ。
それが可(ぜん)でも不可(あく)でも構わない。
そもそも現在(いま)を走る生き物に判断など下せない。
全ての生命は。
後に続くものたちに価値を認めてもらうために、報酬もなく走り抜けるのだ。
要するに、死ぬ気で走り続けろ、というんですよね。(なんか強者の理論ですけど(^^;)。) 実際これらのセリフに限らず、メタ的解釈を誘発しかねない表現は多々あって、「視点」とか「■(わたし)」とか「ゲーム」とか。いかにもメタ的解釈をしてくださいね、といわんがばかりの作りをしている。
しかし、『とっととゲームなんてやめて現実回帰しる!』というメッセージを、ファンディスク=ファンがモラトリアムをだらだらと楽しむための作品で真っ向勝負でプレイヤーにぶつけてくる、というのは、あまりにも『ベタ』すぎる作りだと思うんですよ。こういうループゲームで現実回帰をメッセージとして投げつけてくる作りは別に目新しいわけでもなく、コンプレックスからの解脱というテーマとの絡め方も珍しくない。というより、使い古されたネタと言っていい。端的に言えば、「なにをいまさら」状態なんですよね;。
むしろこのゲームの場合、メタ解釈することが、せっかくの手の込んだ作りを台無しにしかねないリスクを孕んでいる。だいたい、そういうモラトリアムを楽しんでいるファンを食い物にしているのは、他ならぬ TYPE-MOON さんでしょうが、という;。エヴァの庵野監督のように筆折り宣言するならともかく(って、結局こっちに戻ってきちゃいましたがねぇ(^^;))、そんなわけでもないのに今更こんなベタベタなメッセージをベタベタな方法で打ち出してこなくても、と思うんですよ。
端的に言えば、この作品は メタ解釈されてはいけない ストーリーを持っている。
だから、メタ臭は徹底的に打ち消すように作っておかなくちゃいけなかったと思うんですよ。
正直言って理解に苦しむのは、キレもののスタッフ陣がこのことに対して無自覚とは思えないのに、どうしてこのような作り方にしたのか、という点。こんなベタベタなメタ言及ネタを入れなければ最強のエンターテイメント FD として手放しに褒められたんですが、なぜ?? という疑念が頭から離れません。
なので、評価としては★×3 ぐらい。や、ファンディスクとしてはおつりがくるほどの良作だと思うんですが、なぜこんな作りにしたんですかねぇ? うむむ。
うーん、とりあえず推敲もなんにもせずに思いついたことを書きなぐってみましたが、うーん、評価に迷う作品ですね、ホントに。
あ、そうそう、掲示板ですが結局データのサルベージができないので、やむなく新規に作成しました。Fate 関連などでコメントありましたら掲示板の方でも OK です。……っつーかこのエントリ長すぎ;。きょうのばんごはんエントリは分けよう(^^;)。
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ゲームやマンガ、雑感などいつも楽しく見させていただいてます。ゲームの作品解釈などいつも為になるのですがFate hollow/ataraxiaに関しては最近リプレイしていて納得できない部分があったので今更と思いつつコメントします。
僕が疑問に思ったのはまちばりさんの”アンリマユにとってカレンの在り方は憧れでもある。”とする部分と”アンリマユとバゼットが惹かれあった理由の自身へのコンプレックスと無力感(諦観)”とする部分そしてメインテーマの「自らのコンプレックスや諦観からの解脱」の部分です。
なぜならアンリマユは過去に”彼は何の理由もなく悪魔として選ばれ、皆の恨みを一手に引き受けることになった。にもかかわらず、彼は皆が望んだ悪魔になりきることができなかった。世の中は悪意にまみれている、と言い切れればよかったのに、彼は人間の生き様が持つ、一瞬の輝きの素晴らしさを否定できなかった”
この事からアンリマユは 世界の悪 他人の悪 自分の悪 を含め この世すべての悪(と善)を肯定した存在になったのにもかかわらず自身のコンプレックスや無力感=人としての小さな悪、人としての欠陥。を許せないバゼットに共感し同じような悩みを持つとは考えられない。
ラスト前スパイラル・ラダーでカレンの”「彼女は貴方を殺そうとしているのに?どうして貴方は彼女にこだわるのです」”と言う問いに対して”どうしても何もない。女(カレン)を抱いたのは怒りと欲情から。彼女(バゼット)に構うのは、憧れと愛情からだ。”と言っている事からも
バゼットの在り方に肯定的に読み取れる。
ではアンリマユはバゼットのどこに憧れたのかと考えたときバゼットと士郎の共通点である「叶うかどうかわからない理想を追い求める姿」であると。カレンに対しての怒りもそこに起因する。・アンリマユが士郎という役を選んだ理由も「自分を省みず、全ての人間の正義の味方」の是非ではなく「自分を省みず、全ての人間の正義の味方であろうとする姿に憧れたから」でそんな士郎に憧れたアンリマユ=プレーヤー。
そしてこれらの事や「今まで積み上げてきた歴史には意味がある」、「貴方は、ロックスター」発言から考えてメインストーリーのテーマは「たとえ叶うかどうかわからなくても理想を追い求めることはそれ自体が美しい事である」。
最後に「プレイヤー+■(わたし)」=アンリマユー>一つでも多くの日常を知りたかった「■(わたし)」と士郎に憧れたプレーヤーに別れて「■(わたし)」はhollowを一枚の絵として完成させた。
投稿者 ヒッピー : 2007年7月23日 11:09
ヒッピーさん、はじめまして。書き込みありがとうございます。
ううっ、すみません、どうもレスつけるのはサボり気味なので;、かなり遅いリプライですみません。
# しかもさらに Fate hollow/ataraxia はかなり記憶が飛んでるのですが;。
ヒッピーさんが書かれていることは、私のインプレとそんなに矛盾していないように思います。
> この事からアンリマユは 世界の悪 他人の悪 自分の悪 を含め この世すべての悪(と善)を
> 肯定した存在になったのにもかかわらず自身のコンプレックスや無力感=人としての小さな悪、
> 人としての欠陥。を許せないバゼットに共感し同じような悩みを持つとは考えられない。
いえ、アンリマユとバゼットが共感しあったのは、「前に進めずに停滞している」という『状況』に
ついてであって、善悪の判断基準を共有することで共感しあったのではないです。
この辺が恋愛感情の面白いところで、「全く水と油としか思えない二人が、『置かれたシチュエー
ションの類似性』によって共感しあって惹かれあっていく」、というところがポイントです。
そして、
> ではアンリマユはバゼットのどこに憧れたのかと考えたときバゼットと士郎の共通点である
> 「叶うかどうかわからない理想を追い求める姿」であると。
であるにもかかわらず彼女が停滞している様を見て、自らを捨てて彼女を進める、という物語では
ないかと。
> そしてこれらの事や「今まで積み上げてきた歴史には意味がある」、「貴方は、ロックスター」
> 発言から考えてメインストーリーのテーマは「たとえ叶うかどうかわからなくても理想を追い
> 求めることはそれ自体が美しい事である」。
このポイントをメインテーマとみるべきかどうかについては、判断がちょっと難しいと思います。
もちろんこれをメインテーマとみてもよいと思いますが、それにしてはメタ的解釈を誘導するような
表現が多かったので、私は掲題のインプレのような解釈をしています。
作品全体のメタ臭が強かったのでこういう解釈を私はしましたが、とはいえその辺を差し引けば、
確かにヒッピーさんのような解釈の方が「ストレートな」解釈なのかもしれませんね。
この辺はちょっとリプレイしてみないと判断がつかないかも、です。
投稿者 まちばりあかね☆ : 2007年8月10日 03:42
なるほど、価値観が違っても共感や恋愛できるということですね。そう考えると納得できるのですが、
アンリマユは”無に戻るしかないという無念。”という感情を持っていたのでしょうか。
繰り返しになりますがアンリマユは”この世すべての悪(と善)を肯定した存在になった”。バゼットと同じような無力感を感じていたのはこの事がある前までで、その後は無である事も受け入れたと思ったのですが。バゼットとアンリマユの関係はFate/stay nightの士郎とエミヤみたいなものかと。
それでも共感や恋愛できると思うのですがラストの”自らを捨てて彼女を進める”の部分が変わってくると思います。
メタ的な表現が多かった理由について僕はそもそもゲーム中に出てきたアンリマユなんてもともと存在しなくて無色のアンリマユ(第三次聖杯戦争に呼ばれた奴)とプレイヤー(Fate/stay nightをプレイして士郎に感情移入した奴)があわさってできた虚像なのかと想像してたのです。
投稿者 ヒッピー : 2007年8月22日 20:53
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投稿者 恵梨香 : 2012年9月11日 08:53
お世話になります。とても良い記事ですね。
投稿者 グッチ ショルダーバッグ : 2012年11月10日 15:22