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というわけで、先日ようやく DVD でハウルを見たわけですが、いやはや、これ、めっちゃ面白いというか、興味深い一作ですねぇ。思わずネタバレインプレを書きたくなってしまったので、ちょっと気合を入れて書いてみたり。(って、こんなもん書いてるから CLANNAD のリプレイが一向に進まないわけですが;。)
「ハウルの動く城」、この作品って要するに、「恋の魔法物語」だと思うんですよ。
冴えない外見でさしたる取り柄もなし、ちょっとひがみ症で自分に対する自信もない。帽子屋の小さな窓から見える世界を眺めること、つまり「夢に憧れる」ことで今の地味な生活に挫けそうな自分の心を支えている少女ソフィー。彼女はいわばシンデレラ(灰被り娘)なわけですが、そんな自分を外の世界に連れ出してくれたプリンス、イケメンボーイなハウル君にソフィーは一目惚れ。物語はそんなベタすぎるシンデレラストーリーから始まります。
……がしかし、問題はその後。ハウルの「イケメンな外見」を取っ払った中身はというと、全力でこれでもかというぐらいのダメ男。しかし恋愛で盲目になったソフィーにとっては、そんな彼のダメっぷりすらも、母性本能をくすぐる『痘痕も笑窪』な恋愛のエッセンス。周りからハウルのダメっぷりを指摘されれば全力でそんなことはない! と否定し、どんどん泥沼式にハウルへの恋心を深めていく。ハウルに対する悪い噂すらも、ソフィーにとっては「私だけが彼の本当の姿を知っている」という自信に繋がっていく。お婆さんになることで自分の容姿や生き様などへのこだわりから解放されたソフィーは、逆にどんどん周囲が見えなくなっていき、「本当の自分の気持ち」(っつーかただの恋心^^)を強めていくんですね。
でも一歩引いてみて、例えば両親とか友人の視点からソフィーの恋を評すると、いやそれは絶対にやめといた方がいいよ;な後ろ指刺されまくりな恋であること間違いなし。いやもちろんハウルにだっていいところはたくさんある。けれども例えばハウルは本当に一生を託せるような男なのかどうか? 恋の魔法が解けちゃったらソフィーはいったいどうするのか? そもそも「動く城」という設定自体が、ハウル=街中の浮浪者、という暗示的な設定を持っている。そういう冷静な視点で物事を考え出すと、ハウルに必要以上に入れ込んでいくソフィーの恋愛はまさに「恋は盲目」としか言いようのない有様で、周りからすると全力で頭を抱えたくなるようなものなんですよね。
それでも当の本人たちからすれば、あのエンディングはハッピーエンドに他ならない。なぜなら、きっかけや経緯はともかくも、エンディングを迎えた二人の間には、間違いなく『絆』があるから。どんなに周囲から後ろ指を指されても、あの二人にとっては確かにハッピーエンド以外の何物でもない。
おおまかに言うとこんなストーリー展開なわけですが、凄いのはこのハッピーエンドに至る展開なんですよね。というのも、物語を振り返ってみると、そこに至る展開は奇跡としか言いようがないんですよ。
きっかけは二人の夢のような邂逅であり、奇跡のような物語を経て、ハッピーエンドに至る……んですが、二人の仲が進展していく様子って、ちょっとでもタイミングや手順がズレるとあっさりと破綻しかねないストーリーラインになっている。例えば、しょっぱなからハウルの男としてのダメっぷりを見せ付けられてたら絶対にソフィーは彼に惚れ込まなかったろうし、ソフィーがお婆さんにならなければずうずうしくもハウルの元で世話焼きなんかしなかっただろうし、母性本能を発揮しまくってハウルの内面へのお節介をすることもなかったはず。逆にイケメンなハウル君の方も、冴えない女の子のソフィーをあんなに大切にすることはなかったはず。すべての物事が、絶妙な偶然の積み重ねによって、二人の絆を深めていく方向に働いていき、最後にはお互いが、お互いにかけられた呪いを解いて絆が出来上がっていく。
その薄氷を踏むような、そして魔法のようなストーリー展開は、第三者的には 「うわー、ソフィーってば泥沼にどんどんハマっていってるよ;」 な展開にもかかわらず、当のソフィー本人の視点では もうめちゃめちゃドキドキな恋愛体験。それは恋愛のよい面も悪い面もひっくるめて、まさに『恋の魔法』としか言いようがない。それがこの「ハウルの動く城」の真の姿だと思うんですよ。
Web 上での評価をいくつか見たり、仲間内からの評判なども聞きましたが、これは男性と女性とで評価が真っ二つに分かれるのも無理はない、と思います。その理由を「この作品は説明不足だから」というところに求めている評価も結構見かけたんですが、それは明らかに違う。男性と女性で評価が真っ二つに割れるのは、物事の見方が、そもそも男性と女性とで全く違うからだと思うんですよ。
例えばハウルのダメっぷり。男性の冷静な視点では「こいつはダメ男」と一刀両断されるでしょうが、女性の視点では、ハウルの評価が時と状況に応じて大幅に変わってしまう。例えば、しょっぱなから彼のダメっぷりを見せ付けられれば恋愛対象になることなどあり得ない。けれども本編のように、彼の別の面の良さを知った上でダメっぷりを見せ付けられれば、「私がいなくちゃダメなのね」と、むしろ彼への想いを強める材料になる。つまり、女性は『客観的事実』ではなく、『流れの中での価値』(コンテキストの中での価値)を見ているんですよ。ここを理解できると、ストーリー展開がいかに見事かが分かる。ソフィーがお婆ちゃんになるという設定の使い方とか、各要素をどういう手順で見せていっているのかとか、まさに神業としか言いようがない。映画が終わったあと、見終わった女性たちがおしなべて魔法にかかったかのごとくハウルに恋してしまうのも無理はない、と思えます。
しかし半面、世の中の多くの男性たちがこの作品で居心地悪く感じるのも無理はない。なぜって、このストーリーラインって、ぶっちゃけ『内面を頑張って磨くことになんて何の価値もない』、中身がダメでも外見がキムタク イケメンで、まずベタ惚れさせて上手く騙せれば 見せれば全然 OK、って言ってるようなものだから;。『真面目に頑張ったって、あなたの努力なんて実は女性にとっては全くの無価値・無意味ですよん♪』って言われれば、そりゃ居心地悪くなるのも当然でしょう。2ch では「結局キムタクなら何をしても許されるのかよ」とか言われてるようですが、これ、ハウルの評価としてはめちゃめちゃ的確です。要はその通りなんですよ、なぜなら彼は女性に「恋の魔法」を見せてくれるから。や、切ない話ですな(涙)。
私は居心地悪く感じたというよりは、むしろ「まあ無理もないよなぁ」と思ったクチですが(女性が夢のような恋愛に憧れるのは当たり前;)、それよりも何よりも、私はこの「ハウルの城」の巧妙な作りにも感心したんですよね。先にも書いた通り、この作品は、ちょっとでも要素がブレたり枝葉がくっついたりすると、一瞬で二人の仲は崩れ、恋の魔法が解けてしまう。ある意味、作りとしてはベタベタな少女漫画と言ってもいい。さらには「老婆になる」という設定が、女性特有の身勝手さや都合の良さをうまく隠蔽して、自らと向き合うことすらなくその恋を成就させてしまう。こうした完璧なまでに『女性にとって都合のよい』物語を作り上げられる宮崎監督は、女性的な感覚・感性を完全に理解し、把握している、っていうことなんですね。要するに、宮崎監督はキムタクなんかよりよっぽど凄い(爆)。
しかしその一方で、宮崎監督がこんなベタな大衆アニメを平然と作っている、って事実にもショックを受けるんですよね;。確かにこれは一般大衆(特に女性)にはウケる作りだし、よくこの小さな針の穴を通しきるようなストーリーラインを作り上げたものだとは思うんですが、おそらく原作(児童文学)が持つ教育的な側面などは「ごっそりと」切り捨てられちゃっている。私は原作を読んでませんが、おそらく、この作品はちっぽけなプライドにすがって生きているソフィーが本当に大切なものを取り戻し、そして逆に外見ばかり取り繕うハウルが心の優しさを得ていくストーリーラインだろうと思うんですよ。でも、そんな部分はほとんど痕跡程度にしか残っていない。DVD 特典映像の原作者インタビューで、原作者が微妙に言葉を濁していたのはその辺が原因なんじゃないか? と思うんですよ。
例えば、私は宮崎監督の「天空の城ラピュタ」が大好き……っつーか あの作品のおかげでアニヲタになった といっても過言ではないんですが;、私があの作品に子供心に引かれたのは、不器用ながらも大好きな女の子のために頑張ろうとするパズーの姿だったり、シータとパズーがそうした冒険を通してかけがえのないものを掴んでいく姿だった。作品を見終わったあとに、前向きな気持ちで頑張ろうという気にさせてくれる、そういうおみやげをプレゼントしてくれる冒険活劇だったと思うんですよ。
しかしこの「ハウルの動く城」という作品で、宮崎監督は、いったい何をおみやげにプレゼントしてくれるのか。「恋愛のドキドキ感」こそが、宮崎監督が子供たちや後世の人たちに伝えたい『想い』なのか。ディズニー映画は大衆映画だと豪語して貶めた宮崎監督自らが、こんなベタな大衆作品を作っているという事実が私には納得できない……というか、良くも悪くも大衆作家になってしまったというのが非常に残念に思えて仕方がないんですよ。(← まあその考え方そのものが男性的だ、と言われればそれは否定できませんけどね;。)
いや、良い悪いを議論してどうなるもんでもないんですが、ある意味これほど世相を反映したアニメ作品も珍しいし、それゆえに興味深い作品ではありました。けれども総じて言えば、目指す志が低いという意味において、激しく微妙 としか言いようがないのも事実。なんつーか、ラピュタに感動した人間としてはちょっと残念な作品ではありますね。同じ城なのにこうも違うのか、みたいな;。
でも非常に興味深い作品ではありましたねぇ。思わずこんな長文 blog を書いてしまう程度には。(^^;)
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今晩、NTVでやってたので、この批評を参考に見てみました。カットされてるせいか、いまいち分かりづらい内容だったのが残念です。
ハウルはいい味出してましたね。まちばりさんが仰るように、たしかに女の子なら惚れるますねw
ただ、一緒に見てた友人曰く「これ、原作はシンプルな恋物語。戦争とかはアニメオリジナル部分が多い」だそうで。
個人的には、いろんな要素が多すぎてストーリーについていけない人のほうが多かったんじゃないかと邪推。大衆的なら、もっとシンプルにしてもいい気が…子供が劇場で我慢してられる映画とは思えないんですが――
投稿者 雀バル : 2006年7月21日 23:48
NTV での放映は私は見られませんでしたが、カットされていなくてもかなり意味不明なシーン多数。> 映画版
突然、戦争に駆り出されてるハウルとか;。
> ただ、一緒に見てた友人曰く「これ、原作はシンプルな恋物語。戦争とかはアニメオリジナル部分が多い」だそうで。
そうなんだろうなぁと思います。原作者が怒るのも無理はないというか。
> 個人的には、いろんな要素が多すぎてストーリーについていけない人のほうが多かったんじゃないかと邪推。大衆的なら、もっとシンプルにしてもいい気が…子供が劇場で我慢してられる映画とは思えないんですが――
というか、この作品はそれなりの歳の女性(ぉ)が感性で感じ取って楽しむ作品、ですね。
別にこの作品に限らず、もののけ姫なんかも子供向け作品とは言いがたい作品になっていましたし、本当の意味での子供アニメは初期の作品ぐらいだったんじゃないか、という気もします。
まあ、別に子供が見て害があるという類の作品ではないけど、毒にも薬にもならない作品ではありますね。
その辺が、私自身はちょっと失望したところでもあるのですが;。
投稿者 まちばりあかね☆ : 2006年8月4日 02:39
こんにちは、またブログ覗かせていただきました。また、遊びに来ま〜す。よろしくお願いします
投稿者 グッチ 財布 二つ折り : 2012年11月10日 08:58