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「祐一……わたし、強くなるよ……
がんばろう……祐一……約束、だよ……」
GJ!!!!
いや〜、問答無用に見事すぎる出来栄え。夜中の 11 時過ぎから追いかける形で 19 話から一気見して 2 時過ぎに見終わりましたが、よくぞこれだけの作品に仕上げたものだと感心しました。ファンタジー作品として多少(?)の矛盾も無視して力押ししていた原作シナリオを見事なまでに再構成。しかもその再構成が、
原作のテーマを全く崩していないどころかむしろより一層強く描いている。
という方向に作り上げられている点には感心しました。(AIR のときにはテーマ解釈の部分にかなりボロがありましたが、Kanon に関してはおそらくかの有名な源内語録という秀逸なテーマ解釈テキストがあったこともあって、作品の方向性や機軸が最後までブレなかった、というところが大きいんでしょうね。)
や、細かい書き込みはまた明日にでも譲りたいと思いますが、ちょっと原作テキストを調べようと思って HDD あさっていたら 1999 年当時に official 掲示板に書き込んだ過去ログが出てきたので、せっかくなのでアップしてみます^^。
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■ 月宮あゆのシナリオに想う……
No.962 by まちばりあかね☆ [ppp89.tokyo-ap5.dti.ne.jp] at 1999/6/12(土) 02:10 削除(コメントを含む)
ここ一週間ほどあゆのシナリオとかをずっと考えてました。
まだちょっと疑問符は残るのですが、だいたい自分なりに結論が出せたような気がします。
こんなのは人それぞれいろんな見方や想いがあるはずなので、そゆのがイヤな人は
無視しちゃってください。こゆ書き込み、嫌いな人も多いと思うし....
ただ、私は他のキャラのシナリオをやればやるほど、ライタの方は何かしらの明確な意志を
持って描かれたのではないか、という気持ちがどうしても強くなり、知りたくなりました。
もし他にもそういう人がいたら、是非とも意見を交換してみたくなり、書いた次第です。
それと、他キャラのシナリオからの引用もあるので、全キャラをクリアしてから読んでください。
書き方で混乱を招かないよう、
あゆ … 今現在、病床に伏せて意識不明の状態にいる、あゆ本人。
「あゆ」… 祐一が街で出会った、赤いカチューシャをして羽根付きかばんを背負ったあゆ。
と書き分けることにします。
◇7年前に起こった出来事は?
祐一とあゆが「学校」、つまり大木の元で遊んでいたときにあゆが樹から転落して事故を起こした、
という点については異論がないと思います。
問題はいつのタイミングで心が思い出を閉ざしたのか、ですが、名雪が祐一のために雪うさぎを
作ってあげていること、秋子さんがあゆを知っていることなどから、事故のあと、おそらく祐一は
死んだ(と勘違いした)あゆを背負って山を降り、その後で現実を記憶から閉ざして幻に生きる
ことにしたのではないでしょうか。
1/19に「あゆ」と名雪が初めて会うシーンでは、名雪が「あゆ」のことを知っていたかどうかが
はぐらかされていますが(……。というふうに意図的に削られている)、少なくとも1/21の
名雪の台詞(「悲しくて、心が潰れてしまいそうなくらい悲しくて…心が、思い出を閉ざしてしまう
くらい、辛いできごと…そんなことが、あったのかもしれないね」)や、祐一がこの街を嫌って
いると知っていることなどから、名雪は何らかの形で事故のこと自体は知っていると思います。
◇祐一の前に現れた「あゆ」は誰だったのか?
あゆが7年前の事故に遭ったとき、あゆの意識(魂)が2つに分裂したのではないでしょうか。
一つは病床に伏せるあゆ。夜明けを待ち、明日を求めるあゆ。
もう一つは祐一と遊びたい、この街に居続けたいという想い。
あゆの意識が7年間戻らなかったのは、あゆの魂の半身である「あゆ」が街に居続けたからではないかと。
前者のあゆの意識(雪の降る中で「夢…夢を見ている…」から語られるすべてのモノローグ)は
事故の記憶を持っているにもかかわらず、後者の「あゆ」の意識は最初、それを全く持っていません。
しかし、祐一の前に現れた(羽根つきの)「あゆ」は、単純にあゆ本人の魂だけではないと思います。
あゆ本人は、自分が赤いカチューシャをプレゼントされたことを知らないからです。
このことは、エピローグ最初の(夢の中で)駅前で祐一を待つあゆが赤いカチューシャをして
いないことからも分かります。
きっと、「あゆ」はあゆ本人が街に残した想い(=ボクも、この街に住みたかった…)と、
祐一の想いとが重なり合って起こした「奇跡」なんだと思います。だからこそ、あゆが消えても
かばんは消えず(=祐一の想いが起こした奇跡だから)、あゆを抱くこともできたのでは、と思います。
実際、あゆのシナリオで「奇跡」という言葉が使われているのはたったの2個所だけです。
一つは1/30のモノローグの「あゆは、確かに存在していた。たとえそれが、どんな奇跡の上に
あったとしても、俺はこの街であゆと再会した。」というところ、そしてもう一つはEDの
エピローグの最後だけです。
◇願いを叶える天使の人形
あゆとの思い出の中で、あゆはこんなふうに語ります。
「大丈夫。きっと見つかるよ。この人形を必要とする人がいれば、必ず…」
名雪、栞のシナリオではあゆがこの人形を見つけて、そしてあゆは最後の願いを祐一の幸せを叶える
ために使っています。(それは結果としてあゆの魂の消滅、「夢の終わる日」を意味していますが)
これに対して、あゆのシナリオの中では「あゆ」が探しても『見つからなかった』のがちょっと
暗示的な気がします。祐一がこれを見つけて、「あゆ」との再会を願う....
きっと、「あゆ」があゆ本人の魂の半身だけから出来ているのではないから、つまり祐一の想いが
合わさっているからこそ、「あゆ」と再会できたのでは? と思います。
ただ本当の意味での最後の願いについては、祐一が「あゆ」の本当の願い(「もう1回…祐一君と、
たい焼き食べたいよ…」)を「あゆ」に強く思わせることで、祐一が少女の3つ目の願いを叶えた
(「あゆ」を元の肉体に戻らせた)と考える方がいいような気もします。
あゆのシナリオにおいて、「あゆ」があゆの願いを叶えた、と考えるのはさすがにどうか、という
気が私はします。もしそうだとすると、人間は想いさえ強ければ生き返れる、ということになって
しまうからです。他のキャラ(名雪、栞のシナリオ)で奇跡を起こす対価としてあゆの自己犠牲が
ある以上、「あゆ」の願いが叶うためにも何らかの対価が必要になるはず。
でも、あゆのシナリオでそれがないのは、きっと「あゆ」があゆの元に戻るだけであゆは意識を
取り戻せるから、だったのではないかと思うのです。つまり、「あゆ」の願いを叶えたのは「あゆ」の
持つ力ではなく、祐一だったのではないでしょうか。
一点だけ上記の考えを揺らがせる台詞が栞のシナリオの中にあります。
それが夢オチ説とでも言うべき、次の台詞ですよね。
「私の、私たちの夢を見ている誰かは、たったひとつだけ、どんな願い事でも叶えることができるんです」
「もちろん、夢の中だけですけど」
でも、私はこれは単純に、栞が純粋に幸せすぎて考えた「妄想」なのではないか、と思います。
栞シナリオでどうして栞が助かったのか、の解釈にもよりますが、栞が助かったのは、なによりも
栞自身が生き続けたいと思い(「私、本当は死にたくなかったです…っ」)、手術などを受けて
奇跡的に生き返った、それを陰から支えていたのが「あゆ」だったのではないかと。
栞のシナリオのラストや名雪のシナリオのラストがあゆの夢の中の話であると解釈できるような
台詞はここ以外には特にないですし。
……とりあえず超長文になってしまいましたが、書き込んでみました。
完全にシナリオを追い切れているかどうかは分かりませんが、今現在の私の想いです。
#真琴シナリオと舞シナリオは基本的には独立ですよね。雪の降るシーンがないですし....
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No.1036 by まちばりあかね☆ [ppp24.tokyo-ap5.dti.ne.jp] at 1999/6/12(土) 14:30 削除
RES、ありがとうございます。>わーにんぐさん、MIDOさん、紫楽さん、Maokuさん
やはり掲示板でいろいろなご意見を頂けると、考えが深まりますね。
◇わーにんぐさん
>あえて、突っ込ませてもらいますが、これでは病院に行った時に、
>主人公はあゆが生きていることを知るはずです。
実はここは私もいろいろ考えたのですが、祐一はあゆのことを死んでしまった、または
もう助からないと思い込んだのではないでしょうか。
問題は、木から落ちたあゆを、果たして誰が病院まで連れて行ったか、ということだと
思うのですが、小学生の足とはいえ、駅から歩いて30分かかるような『秘密の場所』に
そんなに人がぞろぞろ来るとは思えないのです。つまり、あの時点であゆを病院に連れて
いけたのは祐一以外には有り得ないのではないかと。
名雪のシナリオとあゆのシナリオを見比べてみると、おそらく7年前の事故の日の一日は
こうなっていたのではないでしょうか?
・当初、祐一が自分の街に帰る予定だった日の午前中に、あゆの事故が起こる。
1/27祐一「それにだ、まだ今日と明日があるだろ?」
1/28あゆ「明日…まだ、会えるよね?」祐一「そうだな、午前中だったら大丈夫だ」
1/29「でも…。そんな時間も、今日で終わる。」
「だから、少しでもたくさんの思い出を、残しておきたかった。」
などの台詞から、祐一はこの日の午後に帰る予定であったことが分かります。
・あゆの事故が起こり、祐一はあゆをおぶって山を降り、病院へと運ぶ。
このあと、病院に名雪と秋子さんや祐一の家族が駆けつけますが、意識不明の重体に
なっているあゆのことに耐え切れなくなり、祐一は病院から飛び出してしまう。
この時点で、この日のうちに帰ることは不可能になり、帰るのは翌日に延期されます。
・このあと、祐一は夜中まで駅のベンチで泣きつづけ、そこに名雪が雪うさぎを持って
なぐさめに来てくれる。名雪が祐一にここで告白したのは、名雪がずっと好きだった
祐一を、悲しみの底から何とか救いたかった、その想いの一点に尽きると思います。
(1/23名雪「…家に帰ってなかったから…ずっと探してたんだよ…」
「…祐一……さっきの言葉、どうしてももう一度言いたいから……明日、会ってくれる?」
そして、約束の日…。ひとりぼっちで佇む少女の元に、俺は最後まで姿を見せることはなかった…。)
この背景があることを考えると、名雪の告白の台詞ってめちゃめちゃ重たいです。
・そしてその翌日、祐一はあゆの記憶を幻で上書きし、記憶の底に閉ざしたのだと思います。
これだけのことがあれば、祐一の普段の行動は急激に暗くなったはずで、祐一に非がない
(というか、不幸の事故であったことを知っていた)家族も秋子さんも名雪も、事故の
日の出来事に関する一切の話題を封印したのではないでしょうか。名雪は7年前のことを
知っているにもかかわらず、祐一に質問をぶつけられたときにとぼけます(1/22)。
とはいえ、秋子さんはまさか祐一が7年前の事故を忘れてしまっているとは思っておらず、
そこで祐一に「7年前の冬に、この街で何があったか…ご存じですか?」(1/21)という
質問をぶつけてみたのだと思います。
>ただ、それなら何故主人公にそのことを教え無かったのでしょうか?
>名雪が主人公に記憶を取り戻して欲しいと思っていた(名雪の台詞の随所にそういう台詞があります)のは、
>自分が教えるのではなく、自分自身で思い出して欲しいと思っていたからでは無いでしょうか?
>つまり、もしかしたら、主人公はあゆが生きていることを知っていた、あるいは
>少なくとも、名雪は主人公があゆが生きていることを知っていると思っていたのではないでしょうか?
ああ、なるほどです。私は祐一があゆの生死のことを知っていたことはないと思うのですが
(上記の7年前の事故の1日のことを考えると)、名雪があゆの生死のことを知っていた
可能性は確かに十分有り得ますね。名雪からその話題を出すことは絶対にタブーだったはずと
思いますが、あゆの生死のことを知らなければ祐一に「思い出せ」とは言えないはずですからね。
うーん、なるほど。
>つまり、あゆ以外のエンディングでは「あゆ」は「最後の願い」をして街を去ります。
>どのEDに行くことになっても、あゆ結局は目を覚ましたのだと思います。
いえ、多分「あゆ」以外のEDではあゆは死んでしまうのだと思います。おそらく、「あゆ」が
あゆの元に戻り、そして自分の命と引き換えに、栞や秋子さんを救ったのではないかと。
というのは、栞シナリオや名雪シナリオに出てくる最後の雪のテロップである
「今…。永かった夢が終わりを告げる…。最後に…。ひとつだけの願いを叶えて…。」
は、(病床の)あゆの夢であり、そして、あゆのシナリオとは違い「終わり」という言葉が
使われています。あゆのシナリオでは、あゆの覚醒を
「ボクは、ずっと待っていた。来るはずのない夜明け。だけど…。」
「夢の中で同じ風景を眺めながら、明けない夜に身を委ねながら…。だけど…。ゆっくりと、夜が白み始めていた。」
など、「夜明け」という言葉で代替しています。決して「終わり」という言葉は使われて
いません。意図的に使い分けられているのは、あゆが死んでしまうから、ではないかと。
かなりキツい解釈ではありますが、栞・名雪シナリオのあゆの最後の夢のテロップの
「夢。夢が終わる日。雪が、春の日溜まりの中で溶けてなくなるように…。
面影が、人の成長と共に影を潜めるように…。思い出が、永遠の時間の中で霞んで消えるように…。」
の「雪」「面影」「思い出」とは、おそらく「あゆ」のことを暗示的に指していると思うのです。
「あゆ」はあゆの魂の半身とはいえ、7年間の月日を経て消滅しかかっていた。
しかしそれでも祐一の想いがあったからこそ存在し得たものなのではないかと。
祐一が栞や名雪のことを想い、「あゆ」のことを忘れてしまった場合、それは結果として
あゆの死をもたらしてしまうものではないでしょうか。
多くの方々もおっしゃっていますが、栞や名雪のシナリオのEDはあゆの犠牲の上に立って
いる、と考えると素直に喜べない部分は確かにあるかもしれません。
>すいません、この辺りの論理が我にはちょっとわかりにくいです。
>できれば、もう少し噛み砕いて解説して欲しいです。
>あと、赤いカッチューシャを知らないはずの「あゆ」が何故、赤いカッチューシャをしていたのでしょうか?
祐一の目の前に現れた「あゆ」が、単にあゆの魂の半身であるのなら、祐一が作り出した幻で
ある赤いカチューシャをしていることはないはずです。ということは、「あゆ」はあゆの魂だけで
存在しているのではなく、祐一の想いが重なって(奇跡によって)具現化したのだろう、と。
だからこそ「あゆ」には少なからず祐一の願望が具現化されている部分があるのではないかと。
赤いカチューシャ、「あゆ」がいなくなってもなくならないかばん、そしてその面影。
名雪の面影が全くないのに、「あゆ」には面影が残っている。でも、EDでのあゆは必ずしも
面影が残っているとは言えないですよね(髪型を差し引いて考えても)。
>第三者から見れば全然「奇跡」じゃありません。
>でも、本人たちにとって大切な「奇跡」なのだと思います。
それは確かにそうですね。「奇跡」ということ自体が言葉のアヤ、というのは同感。
>>一点だけ上記の考えを揺らがせる台詞が栞のシナリオの中にあります。
>これはNo923の「あゆの命、栞の命」の臓器移植ネタを一押しなのですが・・・
私はこれもどうかなぁという気がします。というのは、もしそうだとすると、栞はあゆのことを
知っていて、あゆのことは祐一に黙りつづけて......って栞ちゃん、とんでもない子かも(^^;)。
ということになっちゃうような気がするからです。わーにんぐさんも書かれておられますが、
>蛇足・・・秋子さんの「奇跡」
>秋子さんがたかが車にぶつけられた程度で死ぬはずないじゃないか(笑)
秋子さんにしろ栞にしろ、絶対に助からないと思っていたのは名雪や当人の思い込みだと
いう考えもあるのでは、と思います。(現代の最高峰の医学を以ってすれば治る可能性が
0ではなかった、という。)
栞や秋子が助かったのは、「あゆが起こした奇跡」とも考えられれば、「必然的に医学的に
助かるものだったが、当人たちはそれを『奇跡』と呼んでいる」とも考えられるのではないと。
まあ、前者と考えた方がロマンチックではありますし、私はそう思っているのですが。
◇MIDOさん
>運んだのが、主人公なら生きていれば連絡くらいはいってる
>と思うんですよ・・・・・・
>でも来なかったんですよね・・・・・
多分、連絡自体は入っていたものの、両親や秋子さんが話を止めていたのではないでしょうか。
上記した私の推測を元にすると、祐一が深い悲しみを乗り越えて、なんとか普通の生活を取り
戻せるように、両親や秋子さんは可能な限りの万策を尽くしたと思うのです。
その策が、当人にその悲しみを直面させることではなく、その話自体をタブー化することで
あったのではないかと。(腫れ物には触らない、っていう考えですね。善し悪しはともかく。)
>あゆは主人公と共に生きることを望みます
>7年間眠り続けて、それを克服していかなければいけないのに
そうですよね。でも、あゆと共に幸せになっても、きっと名雪は祐一のことを想い続けると思う。
この3人は、みんなが幸せになることが難しい3人ですよね。うーん。
◇紫楽さん
>物語をより感動的なものにするためにアンフェアな手法を使ったと言ってしまえば、それまでですが。
難しいところですが、私の解釈であってもアンフェアな手法と思われる場所がないわけでは
ないですし。うーん......まあ程度問題なんじゃないですか?
◇Maokuさん
>秋子さんは商店街で「あゆ」を見たときからすべてを悟っていたんでしょうね。
>だから主人公の記憶がもどり、あゆの意識が戻るまでまで伏せて
>置いたんだと思います
秋子さんが「あゆ」を見たとき、あゆのことを思い出したのは間違いないと思いますが、
秋子さんがどこまで気づいていたか、については難しいですよね。
これについては.....うーん、もうちょっと考えてみます。
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この過去ログ、懐かしいですね。確か当時は電車通勤してたんですが、会社への通勤の最中に、シナリオテキストを印刷してマーカー引いてテキストチェックしていた記憶があります……っていうか昔からやってることが変わらないな;。当時は解釈力があんまりなくて、この作品から「現実逃避とその受容と克服」というテーマを読み取ることはできなかったですね。昔から設定解釈の方ばっかりがんばる、というのが癖だったりするわけですが;。
しかし当時掲示板で激論を交わしていたあの人たちは今ごろどうしているのだろうか……^^
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あ゛あ゛、HDD に残ってる過去ログというか .txt メモ見返してると面白いです。(笑
ちなみに下のが 6/10 時点での自分のまとめメモ。
確か当時、カチューシャの謎に気づいた人がいなくて、そのことに気付いてあゆ分裂説を発想し、
そこからシナリオ解釈をまとめ上げた記憶があります。懐かしい^^。
……こたつさんの書き込みとかもなぜか HDD に残ってるし(笑)。
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あゆのシナリオ
あゆが7年前の事故に遭ったとき、あゆの意識は2つに分裂する。
一つは病床に伏せるあゆ。夜明けを待ち、明日を求めるあゆ。
もう一つは祐一と遊びつづけたい、この街に居続けたいという想い。
あゆが7年間、意識不明をずっと続けていたのは後者のあゆの魂の半身が街に
居続けたから。そう考えると、あゆのシナリオの中で語られる「奇跡」は、
この魂の半身が祐一の想いによって具現化して赤いカチューシャをした
あゆとして現れたのではないか? 半身のあゆには事故の記憶が一切なかった
こと、一方で(意識を失いつつある)病床のあゆの魂の半身は、事故の記憶を
持っている。
あゆと祐一の「想い」が合わさったのが今、祐一の前にいるあゆ。
祐一が自分の閉ざした記憶の扉を開いていくことにより、あゆは
もう半身の記憶をよみがえらせていく。(記憶の回復がほとんどシンクロして
いたところからもそれが推測できる)
ラストの学校のシーンでは「ボクのこと忘れてください」、これを祐一が
受け入れず、あゆの半身が自ら「もう一度たいやきを食べたい」と思ったから
元の体に戻ることができた、のでは。
結局最後にあゆの願いを叶えたのは祐一ではなかったが、まあそれでもいいかも。
あゆ・ストーリーダイジェスト(?)
7年前に祐一との遊びの最中に樹から落ち、意識を失ってしまったあゆ。
目の前で大切な人を失っていく現実を祐一は受け入れられず、その悲しい
現実を心の奥に押し込めて、安らぎのある幻を選んだ。
…赤いカチューシャをもらって喜ぶあゆの幻の想い出として。
そしてそれから7年が経った。
「…また…ボクと遊んでくれる…? …約束…してくれる…?」
あゆの想いは(幽体となって)それからの7年間、この雪に彩られた街の
中で、たった一人で祐一の帰りをひたすら待ちつづけていた。
そして今、祐一の幻の想い出と合わさり、一つの奇跡を起こす。
祐一の、想い出の中のあゆとの出会い。
「夢」「思い出」「奇跡」
高いところが苦手
夢。
夢を見ている。
また同じ毎日の繰り返し。
終わりのない夢の中で、
来るはずのない朝を望んで、
そして、同じ夢の中に還って来る…。
赤くて、
白くて、
冷たくて、
暖かくて、
悲しくて、
嬉しくて、
そして…。
また同じ毎日の繰り返し。
ずっと前から、何年も前から気づいてた。
終わらない夢を漂いながら…
来るはずのない夜明けを望みながら…
ボクは、ずっと同じ場所にいる。
→「同じ場所」とは病院のベッドの上。
私はこのカチューシャがあゆのシナリオの解釈を決める一つの鍵になるかと
思っています。まだ自分の考えがまとまり切ってないんですけれども。
あゆのシナリオは疑問点だらけ....考えるほど深みにハマっていきます。
暗示的なセリフや行動がものすごく多いですよね。
カチューシャに関して整理すると、
・商店街で出会ったあゆは最初からカチューシャをしていて、かつカチューシャの
ことを知っていた。
・EDのシーンでは、あゆはカチューシャをしていない。
・カチューシャに関して、祐一の回想シーンの中で「幻」であると語られている。
といったあたりでしょうか。総じて解釈すると、
あゆ以外のシナリオでは、あゆが人形を拾っている。
→どう願いを叶えたかは分からないが、あゆの願ったのは祐一の幸せ。
まあ、あくまで一つの解釈ぐらいに思って読んで欲しいのですが(^^;)、
> ゲーム中、雪が降るアニメーションとともにテロップが流れるシーンありますよね?
1/7〜1/14の朝に雪と共に流れるテロップは、今、病床に伏せているあゆが見ている
夢だと思います。というか、そう解釈すると全部すっきり行くように思います。
夕焼けをバックにしたエピローグのテロップも同様ですね。
でもあゆのシナリオはまだ解けない謎がいくつかあります。
答えなんて人それぞれいくらあってもいいと思うのですが、私は自分なりの答えが
出るまでじっくりあゆのシナリオを吟味したいって思っています。
そゆ意味ではまだあゆのシナリオはクリアしたとは言えないかも....
投稿者 まちばりあかね☆ : 2007年3月16日 03:26