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や、ようやく終盤の大詰め。大枠としての骨子は前回エントリに書いた通りでしたが、それにしたってこれはどうよ?状態;。
A パートは割と良かったかも。ミーアは議長と行動を共にするうちに、自分の行動に酔い始める。これは力を持った者が陥りがちな典型的なワナですが、とはいえミーアが言ってること自体は全然間違ってないんですよ。ラクス=クラインというのは群集にとってはカリスマでありアイドル(=偶像)である。そしてそれは、その中身(実態)に意味があるのではなく、その行動や行為にこそ意味がある、ということでもある。そういう意味で、確かに彼女は『ラクス=クライン』だったんですよ。
けれども、ミーアが『ラクス=クライン』になってしまったのは、当の本人であるラクスが、本来負うべき社会的責任を放棄して、そこから逃げ出したからでもある。そしてそれが、ミーアという一人の少女を不幸にしてしまう。ラクスがミーアに対して流した涙、それは自らが負って立つべき責任を放棄したことによって、一人の少女の一生を不幸にしてしまったことに対する涙なんですよね。
……と解釈するのが妥当な筋なんでしょうが、このアニメ見てるとそんなに好意的な解釈をしていいのかどうか疑問に思えてくるというワナ;。や、だって、
キラ「後になんないと分かんないことも多くて……。」
いやそれはお前たちがあんまりにも考えなしで行動しているからだろうと小一時間;。思わず吹きそうになったり。
それにしても、Destiny Plan って……いやどうなんでしょうね。あくまで若者の視点で描かれているので、自由の御旗を掲げるキラたちこそが正義として描かれてますけど、彼らのように全力でわがままを振り回し続けるおこちゃまを許してしまってよいのかどうか。彼らは自らに課された社会的責任も何もかもすべて放棄して、ある意味「自分たちに与えられた能力を無駄遣いして」好き勝手に生きようとする。
普通、若者がそういうわがままを振り回しても許されるのは、当人たちにあまりたいした「力」がないことと、まだ大人じゃないから、というお目こぼしなんですけど、若者だからといって、キラたちのようになまじ力もあり血筋の良い人間たちがそんなことやっていいのかよ、とも言いたくなる。上流貴族には上流貴族の生き方があると同時に、社会的責任というのもある。けれども、彼らは「一般人と同じ思考回路を持った上級貴族」なんですね。(だからこそ腐女子向けドラマとしてウケる。その構図は韓流ドラマなんかと同じだろうし、エマなんかもこれに似てますね。)
でも、現実的には社会をそこそこの安定性で動かしていかなければならないのも事実。そこそこ秩序ある世界を実現するために『ゆるい』Destiny Plan を(おおっぴらでなく)導入することは、社会システムの安定化のためには欠かせないとも思うんですよね。人間って、甘やかすととことん付け上がる生き物でもある……とは思いたくはないですが、実際そういう面がないとは言い切れないんじゃないか、と。
まあこの作品の場合、これみよがしに Destiny Plan をおおっぴらにしちゃって「議長=悪」という単純構図を作り上げて安っぽい結論へと向かうんだろうなぁという気がしますが、テーマ的には非常に重要な命題を扱っているような気もしますね。それだけなんとも惜しい気はします。もうちょっと議長側の理屈も前面に押し出して、Chaos な結論に持っていっても悪くないような気がするんですけどねぇ。
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