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TV版 AIR #6 ほし -star- シナリオ考察

 せっかく blog 作ったことですし、誰かにトラバされることを期待して(笑)、先日の AIR #6 について軽くシナリオ考察を。(原作・アニメ両方まとめて思いっきりネタバレしてますので、未見の方はご注意を。)

 トップページにも書きましたが、先日放映された TV版 AIR #6 の美凪編は、神降臨としか言いようのない出来で、ある意味では原作以上に洗練された一作でした。「詰め込みすぎで、泣く暇がない」という批判も一部にはあるとはいえ、よくあの物語を 30 分という尺に詰め込むことに成功したものだと思います。

 美凪スキーな人(笑)は気付いたかと思うんですが、TV 版 AIR #6 では、原作の美凪シナリオの肝だった設定の一つを大きく変更しています。それは、美凪の言う「自分の罪」。アニメ版では、妹が欲しいと願ったことそのものを罪だと言いますが、これだと話の筋がちょっと通りません。というのも、その後の妊娠中毒症という不幸な出来事が起こったのは美凪のせいではないし、それにより心を病んだ母親に寄り添うのは美凪の思いやりでこそあれ、贖罪というのには多少無理があります。

 これに対して原作の美凪が言う「罪」とは、母が妊娠中毒症を患ったときに、母親を救いたいがあまりに妹(みちる)のことを憎んでしまったことでした。憧れた妹のことを、一瞬とはいえ憎んでしまった美凪。(美凪のせいではないとはいえ)妹は生まれてくることができず、母は心を病み、家族は離散。そしてさらに自分を気遣って空から降りてきてくれた「みちる」に居場所を求めてすがるのに、自ら一歩を踏み出すことは決してできない。そういう自分の汚い心、醜い心を全部ひっくるめて、星に綺麗にして欲しい(父親が残した言葉)と願う。あの時、そして今、自分の心がもっと清ければこんなことにはならなかったのに、という、いわば「ありもしない救い」を屋上で待ち続けるのが、美凪(=止まってしまった風)でした。

 もちろん、美凪 & みちるシナリオは、ラストの二人の別れのシーンが秀逸であることは言うまでもありません。不幸な出来事で笑顔を失った人々と、それに対してみちるが最後に祈った願い。それはそこだけ取り出しても十分に胸に刺さる名シーンではあります。しかし原作がただの「泣きゲー」で終わらなかったのは、そこに「凪」の描写が含まれていたからでしょう。立ち止まってしまった美凪と、彼女がその凪の中で見つづけてきた夢。望まざると動き出してしまう時、やがて訪れる別れ。「凪」はそこに立ち止まれば枷になるし、逆に変化を受け入れた者にとってはそれは暖かさや美しさを育み、美しい想い出へと変わっていくものになる。原作ではそうした『凪』のプラス面とマイナス面をうまく描出し、それが変わっていく一連の流れを丁寧に描いているからこそ、往人のモノローグが心に響きます。

  でも、この別れは悲しくない。
  寂しいけれど、悲しくはない。
  俺たちは、もう知っているから。
  たとえ、どんなに離れていようと、俺たちの間を隔てるものは、空気だけだということを。
  そして、望みさえすれば、いつだって氷が溶けてゆくようにその距離を埋めていけるということを。


 これと比べると、TV 版 AIR は、みちるの想いと願いを昇華させ、美凪をその過去の呪縛から解放することには成功しているのですが、美凪シナリオのもう一つのテーマである、『凪』の描出には成功していません。というより、意図的にバッサリと切り落としています。また、これにあわせて一部のシーンやセリフの順番なども微妙に変えています。例えば、夜の駅舎でみちるが泣き出してしまったり、あるいはみちるを自宅へと連れていく流れも少し違っています。少なくとも、この TV 版 AIR が初見になる人の場合には、「凪」(=立ち止まってしまった風)がなぜ美しいのか? という部分に感動して涙することは難しいように思います。

 しかし、この TV 版 AIR の凄いところは、30 分の尺に納めるためにこのような表側のテーマに話を絞り込みつつも、そこで決して諦めることなく、『分かる人だけが分かればよい』ように、裏側のテーマを行間に織り込んでいることでしょう。自分からは決して行動を起こさない美凪、三人の星の砂の移し替え、そして最後の父の新しい娘とのやり取り。こうした原作の重要シーンを無理のない範囲できちっと織り込みつつ、ラストではロングスカートからパンツルックに着替えた美凪に、往人から「飛べない翼(=凪)にも意味はある」という言葉が投げかけられる。これは取りも直さず、美凪 & みちるシナリオの裏側のテーマを的確に捉えたもの。こういう的確な作りを見ると、「ああ、このスタッフの人たちはホントに AIR のことをよく分かって作っているんだなぁ」と感じさせられます。

 敢えて切り落とされて残念だったところとしては、みちるが最後の最後にシャボン玉を膨らますのに成功するシーンでしょうか。(みちるの壊れてしまうシャボン玉は、生まれてこなかった命の比喩なんですが、それが最後にあの一家の食卓の団欒のあとに綺麗に成功する、という象徴的なシーンが原作にはありました。) ですが、圧縮気味の作品の中にこうした穏やかな時間のカットを入れることの難しさを考えると、致し方のない部分でしょうね。

 原作を単にトレースするのではなく、きっちりとそのエッセンスを理解した上で再構築してきた作品、それが TV 版の AIR でしょう。美凪の自宅での再会シーンや別れのシーンは原作以上に原作してますし、原作を知っていれば想像を膨らませる余地がたくさんある。加えて、美凪やみちるの微妙なニュアンスを表現しきった作画陣、そして背後にあるものまで含めてその微妙な心情を声に乗せ切ってみせた田村ゆかりさん(みちる)と柚木涼香さん(美凪)。特に声優さんに関しては DC/PS2 のときの演技と比べてみると、人が変わったとしか思えないほどにその演技は神掛かっている。脚本もコンテも演出も演技もすべてが神だと思うのは、ファンとしての贔屓目が入っているからかもしれませんが、それを差し引いても素晴らしい出来です。

 作品への愛があり、実力も伴い、コストもきちんとかけている。想いも力も兼ね備えたこんなアニメ作品は、まさに空前絶後という言葉が相応しそう。いよいよ TV 版 AIR も折り返して今週はいよいよ dream 編ラスト。残り 6 話、果たしてどういう作り込みをしてくるか、今から楽しみです。

[参考資料]
美凪シナリオ編(TRUEルート)・解釈
多少時間がある方は、この機会にもう一度ゲーム版の AIR の美凪ルートをリプレイしてもいいかも。TV 版も十分感動的なのですが、いやゲーム版もこれまた神としか....(^^;)

投稿者 まちばりあかね☆ : 2005/2/13 23:43 | 3.アニメ&コミックス

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