4. 「思いやり」とは何か


 さて、私はこの作品のテーマを「他者に対する思いやり」だと考えましたが、とはいえ「思いやり」というものは、「言うは易く行うは難し」の典型例ともいうべきものだと思います。「人を思いやることは大切だ」なんて小学生でも知ってますし、日常生活の中で思いやりに触れられれば誰でも優しく暖かい気持ちになれるものです。しかし、いざそれを自分で実践しろと言われると、これはとてつもなく難しいことだと思います。我が身を振り返ってみても、とてもまともに実践出来ているようには思えない、というのが正直なところです。

 なぜ「思いやり」というものがこうも難しいのか? ということを、CLANNAD をプレイし終えてから各個別シナリオを振り返りつつ今一度改めて考えてみたのですが、その難しさの本質には、

の 2 つがあるように思えてきました。そのことを、以下の 2 つの側面からアプローチして考えてみたいと思います。

他者を思いやることの難しさ

 「思いやり」のある行動が具体的にどんなカタチになるのかを、一義的に定義することはできないと思います。相手の性格や置かれた状況に応じて思いやりのある行動は大きく変わり、時として相手に嘘をつくことはもちろん、相手を裏切ること、あるいは振ることもまた、場合によっては「思いやり」になりうる。それは、勝平シナリオで、祐介が椋に返した言葉の通りだと思うのです。

「あ…あの…説得に嘘…というのは間違っているでしょうか?」
「そうだな…」
芳野祐介は背を向け、最後に呟いた。
「そこに愛があるなら…嘘も真実だ」

 しかし、実際にはそうした思いやりのある行動を取ることが難しいのもまた事実です。例えばそれは我が身可愛さを捨てることの難しさであったり、相手の気持ちを汲み取ることの難しさであったり、あるいは思いやりの形の多様性であったりするように思います。

■ 杏ルート(朋也サイド) : 我が身可愛さを捨てることの難しさ

 他人を思いやろうと頭で思っていたとしても、無意識のうちに我が身可愛さがその根底に含まれてしまうことは、結構多いのではないでしょうか? 他人のためにと思いながらも、実はそれが「言い訳探し」であったり、あるいは考えている選択肢の中に「自分が傷つく」という選択肢が入っていなかったりすることは、我が身を振り返ってみても、決して少なくないように思います。

 例えば杏ルートの朋也は、シナリオ後半で自分の本当の気持ちに気付いてしまい、どうすれば二人を傷つけずに済むのだろうかと思い悩みました。

「マジレスするなら…そうだねぇ…
 相手が一番傷つかない方法を探すのがベストじゃない?」
「それが難しいんだろ…」
そう? 簡単だと思うけど?
「どこがだよっ!」
思わず声を荒げてしまう。
そりゃおまえにしてみれば他人事だろうさ。口では何とでも言えるっ!

 春原は朋也の悩みをあっさりと「簡単だ」と切り捨てましたが、それは第三者から見れば、朋也のしていることが自分に対する言い訳探し、自分が傷つくことからひたすら逃れようとしていることが明らかに見て取れるからではないでしょうか?

「あのさ、おまえひょっとして自分が綺麗なままでいたいとかって思ってない?」
その言葉に息が詰まった。
「あと、もう一つ勘違いしてることあると思うんだ。
 おまえさ、今からどう動いても絶対にどっちかを傷つけなきゃいけないんだぜ?
 言ったろ? 一番傷つかない方法を探すのがベストって。
 今のおまえって、どっちかを傷つけるってことが前提としてあるんだぜ」
「…俺は…」
「その上で、自分だけ綺麗なままなんて絶対不可能なんだからさ」

 どちらか一方を傷つけなければいけないことなど、朋也は百も承知している。にもかかわらずそれが出来ないのは、傷つけることによって発生する自分の罪悪感から、無意識的に逃れようとしているからではないでしょうか?

 罪悪感から逃れるということが、いかに無意識的に行われるかということは、杏ルートのラストにおける椋と朋也のやり取りにもありました。朋也は、自分が椋を振ってしまったことに関して、けじめとして椋に謝ろうとしました。しかしそれは、朋也が無意識のうちに罪悪感から逃れようとすることに他ならず、そのことを椋は鋭く指摘しました。

「ごめん。俺…おまえのやさしさに甘えて傷つけるようなことばかりした…
 謝っても許してもらえるようなことじゃないけど…でも…ごめん…」
頭を下げたまま告げる。どんな責めの言葉も受けるつもりだった。
撲たれても構わないと、ただ、謝らなければと思っていた。
「…ダメです…許したくないです…だから…謝らないで下さい…
 謝られると許してしまいそうになります。」

「謝られて…それを許してしまうと…
 あの時間が嘘だったように思えてしまうんです…
 私には大切な思い出です…だから謝らないで下さい。」
あぁ…そうか…。これで謝るのは…単なる俺の自己満足なんだ…。
本当に傷つけるだけで終わってしまうんだ…。

「椋…」
「はい」
「ありがとう」
「はい。朋也くん、私もありがとうございました」

 無意識のうちに行われてしまう『我が身可愛さ』を捨てて相手を思いやることは、よほど自分に厳しくなければ出来ないし、そしてまた常に自省の心を持つことが求められるのではないでしょうか?

 もちろん、「我が身可愛さを捨てる」というのは、「自分そのものを捨てる」ということでもない、と思います。

 例えば祐介は、自らの歌が共感となり、人が生きていく助けになることを知り、それをまっとうしようと心に誓いました。しかし、『皆のために』を突き詰めてその大きさと難しさにぶち当たった祐介は、自分を見失い、そして崩壊の一途を辿りました。そしてその旅路の果てにこの町に戻り、彼はその原点にあった、捨ててはならなかったものに気づいたのではないでしょうか? あるいは、杏シナリオの椋にしても同じことが言えます。詳しくは後述しますが、朋也と恋仲になった椋が、あのまま自分を捨て続けて朋也が望むような姿になっていった先に、本当の二人の幸せが待っていたのかどうかとなると……果たしてどうでしょうか?

 自分を捨てることもなく、けれども我が身の可愛さは捨てて相手を思いやる。それは、言葉ほど簡単なことではないように思います。

 また、思いやりのある行動を取ることの難しさは、ここに述べたような「自分の心の問題」に加えて、「相手がどう思っているのかが分からない」というところにも、大きな壁が存在するように思います。

■ After Story の朋也と直幸 : 同じ境遇になって初めて理解できた気持ち

 この CLANNAD という物語を朋也の物語として見た場合、それは、自己のみに閉じていた「自己中心的な考え方による世界」から、「他者とのつながりや思いやりによって開かれた世界」へと広がっていく、成長の物語だったのではないかと思います。そんな朋也の物語が、最後に父親である直幸との和解によって閉じるのは、それが最も忌み嫌っていた災厄に対する理解と思いやりを意味するものだからではないでしょうか?

「あんた、もう十分頑張った…だからさ、もう休めよ…」
「…もう…いいのだろうか…
 …もう…おれはやり終えたのだろうか…」
「あんた…何もかも犠牲にして、俺をこうして育ててくれたんじゃないか…
 もう十分だよ…もう…」
「…そうか…いつのまにか…やり終えていたのか…
 …それは…よかった」

 確かに、直幸が朋也に対して行ってきた仕打ちの数々は決して許されるようなシロモノではなく、「ろくでもない親」であることには違いありません。けれども、朋也は渚を失って父親と同じ境遇に立たされ、想像を超える辛さを初めて実感することができました。それによって、たとえ朋也にとってトータルがマイナスであったとしても、初めてその気持ちを思いやって、父親を許すことができたのではないでしょうか?

「俺は…あの日の親父と…同じ場所に立ってるんです。
 まったく同じなんです…なのに…今の俺は…弱くて、情けない人間です…」
「いえ…あの子も、弱くて、情けない人間でしたよ。我がままばかりで、乱暴で…
 人間としては、駄目な人間です…
 でも…ただ、ひとつだけ…わたしは今も誇りに思いたいのです。
 人間としては、駄目だったけど…父親としては、立派だったと。
 朋也さんも…そう思ってくれますか」
「…………はい」

 本インプレの第 2 章において、有紀寧ルートを通して『レッテル張りの危険性』について考えましたが、他者を思いやるためには、各種の前提条件を捨てたり、あるいは論理的な客観性やバランスを排除することも、時として必要になるように思います。朋也の場合、その人生を振り返れば、いくらでも直幸を糾弾することはできるでしょう。けれどもそうした『理屈の上での正しさ、正当性』をすべて取り払い、さらに相手の立場に立ってその気持ちを汲み取る努力をしない限り、相手の気持ちには近づくことすら出来ないのではないでしょうか。

 そうした思いやりの境地に初めて立つことができたからこそ、朋也は初めて父親を許すことができ、その人生に思いを馳せて、子供のように涙を流したのではないでしょうか?

親父の穏やかな顔…。すべてをやり終えた顔…。
それを見ていると、ぽろぽろと涙が零れだした。
この人の人生は、幸せだったのだろうか…。
一番幸せな時に…愛する人を亡くして…
それでも…残された俺のために頑張り続けて…
俺みたいな…親不孝な息子のために…
どんな孝行もできなかった息子のために頑張り続けて…
それで…幸せだったのだろうか…。

 それは、すべての前提条件と言い訳とレッテル張りを取り払って、相手に「共感」することによって初めて見ることの出来た、相手の内に秘められた『気持ち』のように思えるのです。

 おそらくかつての朋也にとっては、直幸のそうした苦しみは思いも寄らなかった部分でしょう。しかしそれは、「こんな可能性もあるんじゃないか?」と様々な可能性に思いを馳せることによって初めて近づいていくことができるものであり、理屈を言い訳にして思考を閉ざしてしまった場合には、決してたどり着くことができない場所であるように思うのです。

 そしてそれと同じことは、私は叩かれまくっている杏ルートについても言えるように思うのです。

■ 杏ルート(杏・椋サイド) : 『見えない』ところに隠された椋の『こころ』

 杏ルートに関しては、第 1 章の「テーマ・設定・シチュエーション主導で展開される恣意的なストーリー」の項で論じたように、あまりにストーリー展開が恣意的で、プレイヤーの納得感に欠けるものだったと思います。そして、その意見を覆すつもりも私はありません。しかしそのことを盾にしてしまうと(=レッテル張りをしてしまうと)、杏ルートの中にある『気持ち』を汲み取る事ができなくなってしまうのではないでしょうか? 第 1 章で述べたような問題点を『いったんすべて横に置いておいて』、その上でなお杏ルートを考えてみる必要があるのではないでしょうか?

 実際にそのようにして考えてみると、このルートは双子の姉妹による痛みを伴う恋愛劇であったわけですが、そのシナリオを読み解く鍵は、二人の内面的な逆転関係を把握して、その二人の心の動きを追いかけるところにこそあるように思えてきます。

 まず、杏と椋は双子ですから、基本的な能力面での差はそれほどないでしょう。実際、料理をすぐに覚えてしまう才能の高さや、日常会話などで見られる機転の早さなどは二人に共通しており、こういった部分での大きな差は感じられません。

 しかし、外面と内面の持ち方は全く正反対でした。外見からすると、椋が引っ込み思案で杏が積極的に見えますが、内面的にはむしろ逆。勝平ルートで椋が見せた心と意志の強さ、それとは対照的に、雨に打たれ涙を流し、朋也に抱きしめられながらもなお朋也を突き放すことしかできない杏の不器用なまでの弱さ。椋が占い好きであることも、一見すると意志の弱さから来る占い依存症のようにも見えますが、これについても椋は次のように語りました。

「ゲームでも占いは占いですよ」
「でも、人が直接やるのと比べると、どうしても薄っぺらいというか人情味に欠けるというか…
 これってあらかじめ設定されてる言葉だろ?」
「えっと…それはそうなんですけど…それでも占いですから。」
ニコリと笑って言う。
占いの目的は未来に対するきっかけです。
 この言葉をどう受け止めるかは、私たち次第ですよ。

 つまり、占いはきっかけにすぎず、自分で行動を起こすことが一番大切なのだということ、それを誰よりも知っているのが椋だと思うのです。

 それらを意識した上でシナリオテキストを読んでいくと、その行間からは二人の内面、つまり椋の必死なまでの強さと、杏の脆すぎる心の弱さが様々な場所から感じ取れるように思えます。このシナリオの展開の鍵は、シナリオテキストには直接的に書かれていない椋の心とその行動にあり、一見すると二人のイニシアティブは杏が取っているように見えながらも、実はストーリー展開の本質部分のイニシアティブは椋の方が取っているところに肝があると思うのです。

 例えば、杏が椋を朋也に引き合わせたのは、椋が杏に相談を持ちかけたからでした。しかしストーリー終盤で明かされるように、この相談には椋の『計算』が働いていました。朋也に対する『もやもやした気持ち』を素直に恋だと認めたのは椋が先であり、同じような気持ちを抱く杏に対して、先に相談を持ちかけるという先手を打って出たのも椋だったわけです。

「私…ずっと思っていたんです…負けたくないって…渡したくないって…
 …お姉ちゃんに負けたくないって…」

「…知っていたんです…
 ずっと前から、お姉ちゃんが誰を見ていたのか…
 わかっていたのに…私は朋也くんの事を好きになってしまいました…
 お姉ちゃんの気持ちを知っていたのに、朋也くんとのことを相談しました…」

「私…すごく卑怯なことをしました。
 お姉ちゃんの性格を知っていながら…
 相談すれば、お姉ちゃん…自分の気持ちを押さえてでも私に協力してくれるって…
 …わかっていたのに…わかっていたのに…相談したんです…」

 そして椋は朋也と付き合うことを始め、あの手この手で朋也との絆を深めていきました。

 椋は杏が朋也に恋していることをいち早く見抜いていたわけですが、同じように、朋也が本当は誰に心惹かれているのかということも、おそらくは付き合い始めてすぐに気付いたのではないかと思います。朋也がその気持ちにはっきりと気付いてしまう前に、椋は必死になって朋也を繋ぎ止めようと様々な努力をしました。杏と朋也がキスしていたという噂を自分の噂で上書きしようとし、必死になって料理も覚え、さらには腕に絡みついてみたりと、体を張ってまで朋也の心を自分に惹き付けようとしていきます。そしてその一方、姉である杏に対しては毎日のように朋也との話を積極的に持ちかけて精一杯の牽制をしていたことが、杏の話からも伺えました。

 しかし椋が朋也に好かれるように努力することは、椋が杏に近づいていくということであり、それは朋也に杏のことをより強く意識させていくことに他なりませんでした。

「そうですね、少しお姉ちゃんみたいですね」
藤林は笑って俺の視線を受け止めた。気にして…ない?
「えっと、前に…岡崎くんが言ってくれました。
 もう少し物事を前向きに考えた方がいいんじゃないかって。
 そうすれば、お姉ちゃんみたいになれるって。だから、そうしてみました。
 少しだけ考え方を前向きに…その…大胆にしてみたんです。
 どうでしょうか?」
藤林が笑っている。そのこと自体は悪いことじゃない。
でも…。なんだろう…この胸の奥がざらつくような感覚は…。
目の前で笑っている彼女が…。藤林が…。
杏とダブる…。
何かが背筋を駆け抜けた。
ゾクリと…違和感が俺の中に滲みていく…。

 あるいは、姉である杏に対する牽制もまた、むしろ杏にそのもやもやした気持ちをはっきりと認識させていくことに他ならなかったのではないでしょうか?

 そして破局への引き金を引いたのもまた、他ならぬ椋だったように思います。その曖昧な関係をはっきりとさせるために椋は朋也に自分への気持ちを聞きました。しかし朋也はそれにはっきりと返答できなかった。結果としてそのことは、朋也に対して、自分の気持ちに本気で向き合わせることを後押しする形になってしまっているのではないでしょうか?

「…あの…朋也…くん…私のこと、好きですか…?」
「え…」
時間が止まった気がした。
『私のこと、好きですか…?』
単純な質問だ…。
むしろ…付き合っている俺達の間で交わされる質問としては滑稽なもの…。
恋人だというのなら…答えるのに時間なんて必要ないだろう。なのに…。
「………」
俺は答えられなかった…。

 つまり、朋也を繋ぎとめるために、考え得るありとあらゆることを行う椋の必死の努力は、むしろ破局への後押しにしかなっていなかった、ということではないでしょうか。Bad End ルートでは、椋が自らのアイデンティティを潰してまで、朋也を繋ぎとめようとする様子が描かれています。

「私じゃ…ダメですか…?
 私じゃお姉ちゃんの…代わりになれませんか…?
 もっとお姉ちゃんみたいになりますから…
 髪も伸ばします。お姉ちゃんみたいに積極的になります。
 料理とかもたくさん勉強します。
 足りない部分があれば教えて下さい。
 私…頑張りますから…朋也くんが望む女の子になりますから…」

「…好き…なんです…
 朋也くんのこと…好きなんです…
 そばに…いさせて下さい…」

 その痛ましいまでのすべての努力が空回りし、自らの首を締める形になっていたことに気付いてしまったときの椋の気持ち、それはとても正気ではいられないようなものだったのではないでしょうか?

 結局、このイベントを契機にして、朋也は自分の気持ちに向き合うことになり、自分が本当に好きな子が杏であることに気付いてしまうことになりました。降りしきる雨の中、杏もまた自分の気持ちを偽りきれないことを悟ってしまいました。

でも…気が付いたら涙が出てた…止まらなくって…
 何度も…何度も何度も自分に言い聞かせても、それでも止まらなくって…
 もう…あんた達のこと…普通に見てられなくって…
 今日の昼休みも…またあそこで一昨日みたいなことするのかなって…」
溜まったニガイ空気を押し出すように、重々しく言葉を吐く。
「そんなこと考えてたら学校にいてられなくなった…」
「…遅かったのよ…」
「…気づくのも…ごまかすのも…」

 それでもなお、杏は自らの心を完全に閉ざし、椋のためにその身を投げ打つ覚悟を決めました。(このため、このイベントの翌日以降は以前以上に、自らの心を固く閉ざした、表面的に明るい杏に戻っています)

「朋也…あたしは…藤林杏よ…藤林椋じゃないの…」

背中を向けたまま、杏は一度目を閉じた。そしてそのまま小さく笑って言う。
「ばいばい…」

 もはやそこに解はないと思われる最悪の状況を、最後に綺麗に纏め上げたのは、タロットカード占いを行って見せた椋でした。

「以上のカードから導かれる、朋也くんの未来は…
 後悔と不安、弱さの中で本当の自分を見つけることが出来ます。
 自分が一人ではないということを憶えておいて下さい。
 すれ違うことに焦りを感じることもあると思いますが、それも一つの道です。
 自分の気持ちに素直であれば、きっと道は輪となって元ある形に戻ります。」
「…つまり?」
私たちはうまくいきます」
ニコリと、椋は笑顔で言った。

 ここで言う『私たち』とは、もちろん、杏と朋也、椋の 3 人のことを指しています。朋也と杏に足りなかったのは、自らも傷つく覚悟であり、一歩を踏み出す勇気。朋也は春原という援助を受けて、そして杏は椋に背中を押されて、二人は覚悟を決める。その二人をうまく引き合わせるために双子の入れ替えという見事な芝居を打ったのが、他ならぬ椋でした。朋也の本音を杏にぶつけさせることで、杏の閉じきった心を開くことに成功します。

「…椋が逃げるなって…
 もし、あたしが本当に朋也のことを好きなんだったら逃げちゃダメって…
 …怒られちゃった…」

「自分の気持ちに背中を向けたまま前に進めなかった。
 それどころか、立ち止まってることさえ出来なくて…逃げ出すしかなくて…
 ヘコんでた…
 そしたら椋に怒られた。逃げちゃダメって。
 同じ落ち込むなら、ふられて落ち込めって…
 その時は一緒に泣いてあげるからって…
 椋…泣きそうな目で…それでも笑いながら言ってくれた

 杏と椋との入れ替えトリックはあまりに技巧的と言えば技巧的で、私はかえってシラけてしまったクチではあります。しかし、すべての努力が空回りしていたことに気付いてしまったとき椋が感じたであろう空虚感、そして未だ朋也のことが好きであるにもかかわらず、杏の背中を押すことを決めた決意とともに流された涙はどれほどのものだったのでしょうか?

 上のセリフにしてもそうです。椋は杏が告白すれば朋也がそれを受け入れること、つまり杏の告白が成功することなど百も承知していたはずです。にもかかわらず、「同じ落ち込むなら、ふられて落ち込め」と、泣きそうになりながら説得した椋の気持ちはどれほどのものだったのでしょうか?

 また以上を踏まえて考えると、椋のセリフは額面通りに受け取ることはできず、その裏側に隠された彼女の心に思いを馳せることが必要だと思うのです。例えばこのシナリオのラストにおいて、謝ろうとする朋也に椋は次のように語りました。

「謝られて…それを許してしまうと…
 あの時間が嘘だったように思えてしまうんです…
 私には大切な思い出です…だから謝らないで下さい。

 なぜ椋は『敢えて』朋也に謝らせなかったのでしょうか? 私はこのセリフも、額面通りには受け取れないと思うのです。表面上こそ『自分のために』謝らないで欲しい、という言い方をしていますが、私にはこれはむしろ、朋也がこれからもずっと杏と付き合っていけるようにするための椋の心遣い、思いやりであり、敢えて朋也に罪を負わせるためのものだったように思えてならないのです。朋也が背負い続けることになるこの罪は、これからもずっと杏のことを思い続けていく上での支えの一部になっていくのではないでしょうか?

 さらに言うなら、私がもし椋と同じ立場に立たされたとしたのなら、とても自分を保ったまま椋のような行動を取れるとは思えないのです。だって、自分を潰してまで朋也に好きでいてもらおうとしていたのです。自分の気持ちを殺し、自分を何らかのカタチで騙しでもしない限り、とても椋がやってみせたようなことはできないのではないでしょうか? もし仮にそうだったとすると、智代ルートの朋也、あるいは After Story ルートの早苗がそうであったように、椋はすべてをやり終えた後になって、はたと自分の失ったものの大きさに気付くことになる。そして、どこか朋也や杏の知らぬところで、失ったものを思って大泣きするのかもしれないように思うのです。

 このシナリオを振り返ってみると、杏や朋也の内面はプレイヤーにも非常によく伝わってくるように描かれていました。しかし、半面、椋の方はそうした内面描写あるいはそれを掴み取りやすいシーンがほとんどといっていいほどありません。しかし、見栄という名の嘘で塗り固められた恋愛など、世の中には掃いて捨てるほどあるはずです。椋みたいなやせ我慢をして、影で泣いている子も実際にはいる。自分から明らかに見えている「分かりやすい」部分だけが、その女の子の真実ではないと思うのです。

 このシナリオの展開の鍵を握っているのが「意図的に描写が避けられている椋の内面や行動」だったとするのであれば、表面上こそ杏ルートですが、その本質は、「描かれることのなかった椋の本当の姿」にこそあるのではないでしょうか?

 椋の内面は断片的にすら描かれていない以上、本当のところ、椋がどのように考えていたのかについての正解が何であるのかは分かりません。私がここで行ったような「本当の椋の姿」に思いを馳せるのも、ただの電波な解釈と一刀両断することもできると思いますし、正直言って、自分でも電波だなぁと思います(^^;)。けれども、それはこのシナリオを担当した魁氏を槍玉に挙げて、シナリオライター叩きをしているだけでは、決してたどり着くことも思いを巡らすこともできないもののように思うのです。有紀寧ルートで述べたように、レッテル張りというラベリングは、やはり自分の目や思考を曇らせる危険性を孕んでいると思うのです。

 ここまで After Story や杏ルートを例にとって、「相手の気持ちを汲み取ることの難しさ」を考え、実際に「すべての理不尽を横に置いておいて、せいいっぱいの解釈」をしてみたわけですが、そうはいっても、「だからといって直幸の仕打ちは許されるのか?」「杏ルートは素晴らしい出来といえるのか?」と問われれば、それはやはりおそらく No と答えざるを得ないでしょう。例えば杏ルートについて言えば、敢えて椋の内面描写をすることを避けたのだとは到底思えないのも確かです。シナリオライターでもない私が言うのもなんですが、強引な展開、技巧に偏りすぎているラスト、杏や椋がなぜ朋也のことを好きになったのかも全然描かれていない、杏も朋也もその行動は薄っぺらい、などなど、どう考えても褒められたものではないと思います。仮にこの杏ルートの本質が椋の側にあるとするのなら、杏と朋也はその引き立て役でしかない。その作りは、決して褒められたものではないでしょうし、叩かれて当然のことでしょう。

 しかし、叩いてしまうことによって見えなくなってしまうキャラクターの気持ち、そういうものもあるかもしれないのではないでしょうか? 時と場合によっては、すべての前提条件、理屈による思考、言い訳やレッテル張りを取り払わないと、相手の気持ちの理解には至らず、結果的に本当の思いやりに至ることもないように思えてならないのです。(私が、杏ルートを叩きたいにもかかわらず、それに躊躇してしまうのは、ここに理由があります。)

■ 渚&After Story ルートでの二人の同棲 : 思いやりと支え合いのカタチ

 あるいは、相手の心情が理解できたとしても、思いやりや支え合いの具体的なカタチが時と場所によって大きく変わる、という難しさもあるかと思います。例えば、場合によっては「距離を置いて見守る」ことが、相手に対する思いやりになることもあるのではないでしょうか?

 ゲーム前半の渚ルートでは、朋也と渚の同質性と、その支え合いの双方向性が強く描かれていました。理由こそ違えど、朋也や渚、陽平たちは、進学校という環境下においてはドロップアウト組であり、一人ではそのどん底から抜け出すことができませんでした。しかし、最初のうちはすれ違いの多かったやり取りも、少しずつ互いを理解し、近くに寄り添い、励まし合うことで支え合い、そして皆が変わっていくことになりました。

数週間前までは想像もできない光景だった。
渚と出会ってから、いろんなことが変わった。
それは俺だけじゃない。
今の春原もだ。
渚と出会った人間は、みんな変わっていく。
どんな方向かはわからなかったが…少なくとも最低から違う場所へ向けてだ。

 つまり、朋也と渚は「互いに手と手を取り合い、支え合うことによって」坂道を登り始めたわけですが、このときの二人の関係は、『すぐそばにいて、(明示的に)何かをしてあげること』あるいは『一緒に何かをすること』が互いの支えになっていたように思います。一緒に演劇部を再建すること、3 on 3 のバスケの試合を一緒にすること、創立者祭で挫けそうになっている渚を支えてあげること、そうした「具体的な行動そのもの」や「問題を共に解決していくこと」が、互いの支えになり、絆を深める理由となったのではないでしょうか?

 このような支え合いの形は非常にギャルゲ的で分かりやすいのですが、After Story ルートに入ると、この二人の思いやりの形、支え合いの形が大きく変化しています。前半部の渚ルートのラストで、渚と共に卒業できなかった朋也は、二人で一緒に卒業したかったと涙ながらに渚に語ります。そんな朋也に対して、渚は明確な否定をしました。

「俺もやっぱり…留年するべきだったんだ…」
違います、朋也くん。そんなことで足を止めたらダメです。
 がんばれるなら、がんばるべきなんです。進めるなら、前に進むべきなんです。
 朋也くんは、進んでください。」
「………渚は、強くなったな」
「はい。だから、わたしは…もう一年がんばります
「そうか…そう決めたのか、渚は」
「はい。決めました」

 そして After Story ルートに入ると、朋也もまた、古河家の住み込みバイトというぬるま湯の生活に甘えることをやめ、渚を自らの手で幸せにしようと心に決めて仕事に就き、二人で同棲を始めます。

 ここでの重要なポイントは、二人の距離は同棲という形でさらに近づいたものの、むしろ互いに距離を置いてそれぞれが努力をしている、というところだと思います。同棲を始めた直後の朋也が妙に自制的・禁欲的であることもまたそれを表わしています。朋也のモノローグを少し引用してみます。

ふと、今のふたりが滑稽に思えた。
今日から始まる暮らしが、単なるままごとのような気がして。
ただ、渚を自分の力で幸せにしたいという一念で、ここまでやってきたけど…
これから先、たくさんの困難が待ち受けているだろう。
きっと現実はそんなに甘くはない。
その現実に対して俺たちはあまりにも子供で、簡単に折れてしまいそうにも思えた。
それを越えないと本当の強さなんて、わからない。
今は、自分たちで頑張っている気になっているだけだ。

今、渚を抱いてしまっては、あまりに俺自身が情けなかった。
あまりに惨めで、立ち直れなくなりそうだった。
そんなために、渚を連れてきたんじゃない。

 あるいは、創立者祭のイベントも象徴的だったように思います。自分のミスで創立者祭に行けなくなったとき、祐介は朋也に創立者祭に行くように言いますが、朋也は決して首を縦には振りませんでした。

「頭なんか下げなくてもいい。帰れ。」
「帰れないです」
「…楽しみにしてたんだろ。学園祭だ。おまえ、自分で言ってたじゃないか。
 彼女、待ってるんだろ?」
「はい」
なら、側にいてやれ。それが岡崎の役目だ
だから行けないんです
「どうしてだ。今日は楽しんでくればいい」
「もし、俺がこのまま放り出して学校へ行ったら、あいつが悲しみます。
 俺…あいつに嘘はつけないです。だから絶対に心から楽しめないっす。
 それに自分のしでかしたことは、自分で責任を取らないと、顔向けもできないです。
 ですから、この作業はしないといけないんです。」

 朋也が祐介の助けを借りて、黙って渚と共に創立者祭で遊んだとしても、おそらく誰も責めはしなかっただろうと思います。しかしそうした『欲』、即物的な情のカタチに流されず、朋也が誠意を尽くした対応をすることで、結果的には現場でも周囲からの好評を得ることになり、すべてが丸く収まっていくことになっていました。それは、二人が距離を置いて、それぞれに自立を始めた証拠と言えるのではないでしょうか?

いろんなことが、軌道に乗り始めた。
仕事はあの日以来、順調。
夜になれば、渚とたくさん話ができて、仕事の疲れを吹き飛ばせた。
朝起きるのだけは相変わらず辛かったけど、渚の寝顔を見ていると、やる気が湧いてきた。
渚も学校では、仁科と杉坂と会って話すことが多くなった。
それは、合唱部が活動を終え、ようやく時間ができたからだった。
そうして、ふたりの生活は落ち着きを見せ始めた。

 多くの場合、ギャルゲ的文脈における『思いやり』は、相手が喜ぶ具体的な行動や、共同作業による問題解決といったカタチを取ります。それは物語的な必然とも言え、実際、CLANNAD 前半部(個別キャラルート)の渚ルートではそのような思いやりや支え合いが見られました。しかし After Story ルートの同棲編では、必ずしもそうした「分かりやすい」思いやりのカタチや結果というものがないものも多々ありました。

 上に挙げた創立者祭のイベントもそうですが、朋也と直幸の二人の不和に関してもまた、別のカタチの思いやりと支え合いが見られたように思います。渚は朋也を直幸に再会させ、すべてを投げ出しそうになる朋也をなだめて疎遠にならないようにと努力しました。そしてその後、直幸が逮捕されたときもまた、渚は拘留所へと向かう朋也に無理矢理付き添っていきました。

歩いていく先に…女の子がいた。こっちを向いて、立っていた。
「おまえ、こんなところでなにしてんだよ…」
「一緒に、朋也くんのお父さんに会いに行きます」
「戻ってろ」
「どうしてですか。ついていってはダメですか」
「駄目だ」
「今だけはわがまま言わせてください。とても大事なことですから」
「俺にとっては、大事かもしれない。けどな、おまえには関係ないだろ…
「それはそうかもしれないですけど…
 でも、わたしひとりは思っていたいです。わたしにも、大事なことだって…
 朋也くんが、わたしに関係ないって、そう思っても…
 わたしだけは関係あって、それはとても大事なことだと…そう思いたいです」
「…………勝手にしろ」

 渚がついていったところで、朋也の父親の問題が解決するわけではありません。しかし、その後の渚へのプロポーズへの流れからも分かるように、ここでは二人が朋也の父親の問題を『共有』することが大切だったのではないでしょうか? 具体的に問題を解決していくのではなく、問題を共有し、共に経験していくこと。それが互いへの思いやりであり、支え合いであり、絆を深めていくことであったように思うのです。

 そう考えると、After Story ルート前半の同棲編は、即物的・物理的な問題の解決による思いやりや支え合いから歩みを進め、それぞれの努力による自立と、問題の共有と経験を通して精神的な絆を深めていくところに、その意味があったように思えます。そしてそれぞれが思いやり、互いを支えあいながらも頑張って自立を果たした象徴として、渚の卒業式が存在するのではないでしょうか?

「わたしは強くなりたかったんです。
 わたしは、体は弱いですけど…それでも強く生きたかったんです。
 そして、そんな勇気をくださったのが、ここに居るみなさんです。
 この一年間は、ほとんどひとりきりでした…
 それでも…それでもやっぱり、わたしは…それでもやっぱりわたしは…
 二度とない、この学校生活を、かけがえなく思います。
 一度は嫌いになってしまった学校です…
 卒業するのに五年もかかりました…
 ひとりで残る学校は寂しかったです。
 でも今は、大好きです。
 最後には…がんばれたわたしが、過ごした場所だからです。」

 問題の直接的な解決や、相手がすぐに喜ぶような行動をしてあげることばかりが、相手への思いやりとは限らない。場合によっては、問題や悩みを共有することや、そばにいてあげることそれだけが相手への思いやりになることもある。この渚の卒業式は、それぞれが自立を果たし、その先にあるさらに深い思いやりと絆を得た象徴として存在するように思うのです。

他者からの思いやりを汲み取ることの難しさ

 ここまでいくつかの例を取り上げて「相手を思いやること」の難しさを考えてみましたが、思いやりの難しさは、相手を思いやることの難しさだけではないと思います。この作品では、常に人の繋がりは双方向的に、両側面的に描かれていました。そのことを元に考えれば、自分が他者に宛てた思いやりを相手が受け止めなければ空振りになってしまうのと同じように、他者から自分に宛てられた思いやりをいかに汲み取り、それを受け止めるのかというのも、実は他者への思いやりと同じぐらい大切なものなのではないでしょうか?

 先ほど杏ルートの話の中で取り上げた、「朋也に謝らせない」という行為が、実はもしかしたら椋の思いやりだったかもしれないと考えられるように、一般には、相手から向けられている思いに気付くことが難しいことも非常に多いのではないかと思うのです。2 つほど例を挙げて考えみたいと思います。

■ 幸村ルート : なかなか気付きにくい、他者から向けられた思いやり

 幸村ルートで語られた通り、荒んだ朋也と陽平を引き合わせることを仕組んだのは幸村でしたが、その意図は、二人を学校から辞めさせないためでした。しかし、当時の二人は荒んでおり、とても他人から向けられた思いを汲み取れるような状況にはありませんでした。公子から幸村がかつて工業高校で生徒指導をしており、決して生徒を退学させなかったという話を聞き、朋也はこう話しました。

「岡崎さんは…どう思いますか」
……人は、見かけによらないっすね
俺は思ったことを口にした。

 確かにそれはこのときの朋也の本音だったでしょう。けれども、後に朋也は、幸村が朋也と陽平のことをいつでも気にかけていてくれたという話を、公子から聞くことになります。

「最後の教え子、というのは、担任を受け持ってるとか、そういう意味ではないんです。
 こういう言い方は、岡崎さんたちに悪いですけど…
 最後に世話を焼いた、という意味です。
 幸村先生から、そういうふたりがいるってことは話に聞いてたんです。」
「ああ…それなら、そうですよ。
 もしそれが二人って言うんなら…俺と春原です。」

伊吹さんと話をしたのは、何ヶ月前のことだったろう。
今になって、あの話をリアルに思い出していた。
あの時の俺はなんて答えていた?
「…人は、見かけによらないっすね。」
馬鹿か…。
結局、俺たちは、子供のままだった。
あの人がいなければ、俺たちは進級さえできずにいた。

幸村はわかっていたんだ。
俺と春原、別々のまま学校生活を送っていたら…
辞めてしまっていたことを。
だから、引き合わせたんだ。

 そのことをきっかけに、二人は自分たちを支えていてくれた存在、自分たちに向けられていた思いやりに、初めて気付くことができたのではないでしょうか? だからこそ二人は初めて、『他人』に対して心からの感謝をするのだと思うのです。

そして、どちらが先でもなく老教師に駆け寄り、その正面で深く礼をしていた。
これまでの人生で、どんな目上の人間にもしなかった行為だ。
それを今、ここで、初めてふたりはした。

 自分たちのことだけでせいいっぱいだった彼らの場合、公子という第三者によるたまたまのきっかけがなければ、おそらく最後まで幸村が向けてくれていた思いやりに気付くことはできなかったのではないでしょうか?

 そして同じような「思いを汲み取ることの難しさ」は、風子ルートにおける公子にも見られるように思うのです。

■ 風子ルート : 「思い込み」がもたらした公子と風子のすれ違い

 風子ルートは、この作品中ではやや異色のファンタジックストーリーで、特にそのラストで公子に願いの篭もった木彫りの彫刻を渡すシーンがとても印象的でした。ですが、ここではこの物語を、風子や朋也の視点からではなく、敢えて公子の視点から見てみたいと思います。確かに風子が消えていったりするシーンはそれだけでも『泣ける』のですが、私は杏ルートと同様、このルートも公子の側から見た方がその本質を汲み取りやすいように思えるのです。

 まず、公子と風子はかなり歳の離れている姉妹でした。歳の離れた弟や妹をお持ちの方であれば実感されるかと思うのですが、歳が離れている分、公子の姉としての自覚はとても強かったのではないでしょうか? 公子と風子はずっと寄り添いあうように一緒に育ってきましたが、おそらく公子は風子の面倒を人一倍よく見て、とても大切にしてきたのだろうと思います。ところが、おそらくはそうしたある種の溺愛が、公子の目を曇らせていた部分もあったのかもしれません。公子は、親戚との旅行の時に一人で大好きなヒトデと戯れている風子を見て、妹があまりにも自分に依存しすぎていることに気付きました。

「あの子はいつも、私といつも一緒にいました。
 あの子は、私の前では、自分らしく振る舞える子だったんです。
 でも、家の外ではそうじゃないと気づいたのは、すごく後で…
 知らなかったんです。あの子が、あんなに友達を作るのが苦手だったなんて。」

 そのことを知った公子は、少しでも妹を自立させようと、高校入学前の春休みに苦しみながらも敢えて風子を突き放しました。

「でも、このままじゃダメだと思って…
 春休みに入ると、私はあの子を突き放して過ごしました。
 とても、辛かったんです。一緒に過ごさない休みなんて初めてで…」

 そんな公子の思いを風子は苦しみながらも汲み取り、入学式の朝、頑張ってたくさんの友達を作ると言って出かけていきました。ところがその矢先に風子は不幸な事故に遭ってしまいます。

 「でも…その寂しさが、新しい学校で友達を作ろうっていう意気込みに変わればいいと思って…
 そして、入学式の朝…あの子は、言ってくれたんです。
 頑張って、たくさんのお友達を作るって…
 あの子もわかってくれたんだと思います。
 ………。
 あの朝は、とても清々しい朝でした。本当に気持ちのいい朝だったんです。
 なのに、あの子は寂しい気持ちのまま…」
その日の帰りに事故は起きた。
そして、公子さんは、風子に冷たくあたったままなのだ。
その時のまま、時間は止まってしまっているのだ。
なんて…なんて辛い日々を過ごしてきたんだろう。
そして…それは、まだ終わっていないのだ。

 事故後、公子は苦しみ続けたのち、高校教師を退職して病院で眠る風子に付き添い続けることになりました。

 ところで、公子が今もずっと風子に付き添い続ける理由は何故でしょうか?

 確かに上に引用した部分で朋也が推察しているように、その一部には、風子に冷たくあしらったことに対する後悔(=もっと上手な方法で風子に同じことを伝えることができなかったのだろうかという後悔)と、風子に対する贖罪という側面もあるかもしれません。しかし、私にはそれだけが理由であるとも思えません。

 事故が起こるまでの経緯をもう一度改めて思い返してみます。高校入学の前、今まで寄り添うように育ってきた二人は、一緒に過ごさない初めての休みを経験したわけですが、風子と同様、それは公子にとってもとても寂しく、辛い日々だったろうと思います。そして風子から、たった一言とはいえ「頑張ってたくさんのお友達を作る」と伝えられたとき、公子は自分の思いが正しく風子に伝わったことに喜ぶと共に、風子のこれからの輝いた未来に思いを寄せたのではないでしょうか? ところがその直後に風子は事故に遭い、その未来が突然閉ざされてしまう。先の一言を公子が受け取っていることを前提にして考えると、公子は、冷たくあしらったことを後悔するよりも前に、風子の未来が閉ざされてしまったことそのものに対して絶望したのではないかと思うのです。

 このことに加えて、公子と風子が今までずっと二人で一緒に育ってきたことも含めて考えると、事故によって公子が絶望したのは、

  1. これから幸せを掴もうとする矢先にその未来が打ち砕かれ失われたこと。

  2. そして公子が、風子と共に歩んでいくことができなくなってしまったこと。

の 2 つについてではないかと思うのです。

 そしてさらに、風子にとって公子が支えであったように、公子もまた風子という心の支えを失ってしまったことにより、前に進めなくなっていたのではないでしょうか? 公子は風子のことを次のように語りました。

「風子がそんなときに…結婚なんてしてしまっていいのか…
 私ひとりが幸せになってしまっていいのか…
          ← B
 ずっと考えているんです。
 ふたりで、あの子の目覚めを待つようになってから…
 今日も私と祐介くんで…あの子と話をしてきました。
 でも…やっぱり、あの子は今も、可哀想なままなんです
  ← A
 だから、迷ってるんです…私は…」

 そして、公子は祐介との結婚に関しては、次のように語りました。

公子さんは笑顔で返してくれる。
けど、その言葉は、前向きなものじゃなかった。
「ええ、そうですね。
 目を覚まして、元気になって… 
 普通の子と同じように学校に通うようになってから… 
   ← A
 その時、言います。お姉ちゃん、結婚しますって… 
    ← B
 それが今は一番だと思ってます。」

 だから公子は祐介との結婚に関して、公子は風子の育ての姉として、(A) 風子が再び未来を取り戻し、(B) そして別の道を歩みだすということを伝えてからにしたい、と言うのではないでしょうか?

 しかし、そんなふうに姉が今のままに留まることはもちろん風子の願いではなかったはずです。公子にとって、極度な人見知りで引っ込み思案で歳の離れた妹はなによりも守るべき存在でしたが、なまじ甘えられて慕われている分、その姉を思う気持ちに気付きづらかったのではないでしょうか?

 しかし、公子には見えなかった風子の姉への思いは、風子の友達である渚や朋也には痛いほどよく分かっていました。だから渚や朋也は二人を引き合わせるために公子を創立者祭に連れてきたわけでしたが、そこでも公子は風子を見ることができず、そしてこんなことを語りました。

「夢しか見ることができないなら…せめて、その夢の中では…
 この学校を駆け回っていてほしいんです…たくさんのお友達と一緒に。
 でも…もし、本当に…あの子が、この学校で学生生活を送っていたら…
 岡崎さんと渚ちゃんは、あの子と友達になってくれていましたか…?」

「よかったです。それだけでも、救われた気がします…
 人付き合いが苦手で…友達が少ない子でしたから…
 だから、一緒に居てあげてください…どうか…夢の最後まで…。」

 確かにその言葉は、姉である公子の、妹に向けた切なる願いと思いだったろうと思います。けれども、その言葉に対して、朋也と渚はこう語りました。妹のことをそこまで思うのであれば、妹から姉に向けられている思いを受け取ってくれ、と。

「なら…なら、どうか…お願いです。彼氏と結婚してください。
 あいつの…友達である俺たちからの…お願いです。
 あいつは、そう願ってるはずです。

「そうです、先生、結婚してくださいっ…
 先生の幸せが、自分の幸せだって…
 先生のことが大好きなふぅちゃんは…
 ぜったいに、そう思ってるはずですっ…

 それは、妹である風子から、姉である公子に送り続けられていた精一杯の思いの代弁だったわけですが、それを聞いたとき、初めて公子は、妹が自分に向けてくれていた思いの存在に気付くことができたのではないでしょうか?

「どうしてでしょうか…。おふたりの言葉には、不思議な力がありますね…
 本当にあの子が、そう思ってくれてる気がします…
 今日まで、そんなこと…思えなかったのに…
 私が結婚するなんて…
 風子を置いてひとりだけ幸せになることだって、思ってたのに…

そんな思いこみをしてるほうが自分勝手っすよ

「そうですよね…
 私が自分の幸せを捨ててしまって…それで、あの子が喜ぶはずがないですね…
 わかりました…私、決めました。私、幸せになります。」

 その後、公子は祐介との結婚を決め、妹からの思いにせいいっぱいに応えるために、自分が幸せになって、その幸せを風子に伝えるんだという気持ちに変わっていったわけですが、その転機を与えたのは、なにより妹が向けていた思いに初めて気付くことができたことだったのではないでしょうか? 公子は自らの思い込みを解くことにより、初めて妹の思いに気付くことができたのだと思うのです。

 確かにこの時点で、ある意味では風子と公子の物語はいったん閉じているのですが、物語はさらに続いていきました。

 創立者祭が終わると、徐々に人々は風子のことを忘れていきます。春原も現実を知り、綺麗に風子のことを忘れてしまい、渚や朋也もまた、現実とのズレを補正しきれなくなり、風子を認識できなくなっていく。それは、不自然だった出来事を記憶から捨て去る、つじつま合わせ。

 その中で風子は、ヒトデという木彫りの彫刻を通して、形でも言葉でもない、なによりその思いをこの世に残そうとしていました。ヒトデは、親戚との旅行で海辺で一人で戯れ続けた、風子にとっての孤独の象徴。そのヒトデを通して、風子は姉への思いを残そうとしていたのではないでしょうか? ただ、大好きな姉の結婚を祝福するために。自分の代わりに祝福してくれる人を残すために。風子のことを見れなくなった人たちが流した涙もまた、その風子の残した思いに触れたがゆえのものだったのではないでしょうか? ヒトデの木彫りの彫刻、それは誰が触れても暖かくなれる、思いの象徴なのではないでしょうか?

渚がそれを抱きしめる。不思議と、俺も穏やかな気持ちになる。
そして気づくと…俺と渚は、手を握り合っていた。
「手…つないじゃってます」
「だな…」
「すみません…いつのまにか、つないでました」
「いつのまにか、つないでました…」
「不思議です…」
「ああ…」
「もう少し、このままでもいいですか…」
「ああ」

 そして、学校の結婚式に、なぜかなんとなく集まってしまった学校のみんな。それは、風子の残した思いがかなった『現実』の光景でしたが、それと引き替えであるかのように、風子は消え去っていってしまいます。

 ここで考えてみたいのですが、創立者祭のとき、みんなには見えた風子がなぜ公子にだけは見えなかったのでしょうか? もちろんこれも、光の玉が起こした奇跡という線から解釈することもできるとは思うのですが、私はその一番の理由が、公子の「思い込み」にあったように思えてなりません。創立者祭のとき、公子は朋也にこう語りました。

「あの…岡崎さん。こんな、噂を知ってますか?
 今、この学校に、風子がいるって…元気に、駆け回ってるって…
 それも…お友達と一緒に…」

「もちろん、そんなことあるはずがないってわかってます。
 だって、毎日、私はあの子の寝てる姿を見てますから…」

 先に述べたように、自分が結婚することについても、それは風子を置いて自分がひとりだけ幸せになることだと思っていたわけですが、それもまた公子の思い込みの一つ。風子の思いを公子がうまく汲み取れなかったこと、風子のことを見ることができなかったことは、公子のそうした思い込みが原因ではないかと思うのです。

 しかし、風子のことを涙ながらに話す朋也に対して、公子は最後にこう答えました。

「どうしましたか、岡崎さん」
「公子さん…聞いてください。
 こんな風景を…待ちこがれていた奴がいたんだ…
 こんな日を目指して…頑張っていた奴がいたんだ…
 たったひとりで…たくさんの祝福を集めた奴が…
 ずっと、そばにいたんだ…
 俺…そいつと頑張っていたんだ…ずっと、頑張ってた気がするんだ…
 それで…俺は…そいつのこと…好きだったんだ…」

「そうですか…
 本当に、岡崎さんは…
 ずっと、あの子と一緒にいてくれたんですね

 このセリフは、直接的には朋也に対する思いやりから出てきたものだと思いますが、風子が学校になどいるはずなど決してないと思い込んでいたら絶対に出てこないもの。つまり、公子は最後の最後になって、初めてすべての思い込みを取り払うことができたのではないでしょうか? だからこそ、もう消える寸前のギリギリの瞬間であったにもかかわらず、公子は風子の姿を見ることが、そしてその姉への思いの象徴である木彫りの彫刻を受け取ることができたのではないかと思うのです。

「え…」
俺は顔を上げる。
それは、公子さんの手の中にも。その姿が見えた気がした。
今、みんなにも見えているだろうか…。その姿が…
かつて、一緒に過ごした女の子の姿が。
見えているはずだった。
だって、それが…あいつが集めた…思いの形なのだから。
その姿が…消えていく…。
まるで、夢でも見ていたかのように…。

おめでとう、おねぇちゃん。
いつまでも、いつまでも、幸せに。

その思いを残して…。
ずっと、ずっと幸せに。
その一言のために、頑張ってきた日を後に…。
長かった日々を後に…。

「ふぅ…ちゃん…」

 それは、姉である公子と、妹である風子の互いへの思いやりが初めて通じ合ったことによって生まれた、一瞬の奇跡だったように思えてなりません。

「お姉ちゃん、おめでとうって…
 いつまでも、幸せにって…
 そう、ふぅちゃん、言ってました…
 たぶん、夢の中で…祝福してくれてたんだと思います。
 それがきっと届いたんです。」

 さて、ここまで幸村ルートや風子ルートについて考えてきてみましたが、改めて考えてみると、他者から自分に向けられている思いやりに気付き、それを汲み取ることは、自分が相手に思いやりを向けること以上に難しいことのように思えます。幸村ルートでは自分にそうした気持ちを汲み取るだけの余裕がなかったことによって、そして風子ルートの公子の場合には自分の思い込みによって、そうしたものに気付けなくなっていたのではないでしょうか?

 もちろん、相手の行為を何でもかんでも自分に都合よく拡大解釈して、「それは愛だ」と勘違いすれば、それはただのストーカーさんです(^^;)。ですが、どんなときでもいきなり相手の行為を「悪意だ」と決め付けるのではなく、「相手が自分に向けてくれているセリフや行動は、もしかしたら善意によるものなのでは?」と、ほんの少しでも考えてみることが大切なのではないでしょうか? 相手から向けられている気持ちに気付くことはとても難しいことですが、気付こうという気持ちすら持たないのは、非常に寂しいことのように思えるのです。

 ここまでで、各ルートのシナリオを一通り解釈してみましたが、最後の章では渚&After Story ルートの全体像を改めて考え直してみて、After Story の True End の持つ意味と、CLANNAD という作品についてまとめてみたいと思います。



本ページへのリンクはご自由にどうぞ。ご意見、ご感想などありましたら、掲示板またはメールにてお願いいたします。
Pasteltown Network Annex Pastel Gamers / まちばりあかね☆