Original Created 2007/10/08 (ver.0.01)
このページは、リトルバスターズ!のネタバレありのゲームインプレッションです。このため、ゲームをコンプリートした上でお読み頂ければ幸いです。(トップページはこちらになります。また、関連する blog エントリはこちらです。)
まず総評を先にさくっと書いてしまいますが、激しく微妙、というのが全体の感想です。まあさすがに佳作レベルは十分にありますが、お世辞にも傑作とは言い難い一作と思っていますので、大変申し訳ないのですがそれなりに酷評です。なので、リトルバスターズ!は大傑作だと思われている方は……あまり読まない方がよいかもしれません;。その辺を含みおきしつつ、読んでいただければ幸いです。
全体として見た場合、構想も非常に大きく、着想自体は決して悪くはない……のですが、それを完全なカタチに作り込むことができなかったという、非常に惜しい & もったいない一作だったように思えます。特に最後の Refrain ルートが手ぬるいという印象で、お前、ちょっwww、作品テーマ忘れてないか?? 状態になってるんじゃないか、という気がしました。以下、簡単にトピック別にまとめていってみます。
全体の構造をものすごく荒っぽく書くと、「修学旅行で事故に遭った友達 10 人が体験した不思議な臨死体験を、ゲーム仕立てに仕上げた」もの。全体的にリアリティは薄く、どちらかというとファンタジーなストーリーですね。ポイントを抑えるとこんな感じでしょうか。(細かいところは突き詰めてませんのでご容赦を;)
両親の死という現実を受け入れられずに塞ぎこんでいた幼い頃の理樹は、恭介が率いる「リトルバスターズ」と呼ばれる遊び仲間たちに迎えられ、暖かな安らげる居場所を見つけ出す。
幼い頃から遊んで来た恭介、謙吾、真人、鈴、理樹の 5 人組は、新学期になってなにか楽しいことをやろうという話になり、野球チーム「リトルバスターズ」を結成。小毬、美魚、葉留佳、クド、来々谷といった仲間たちを新たに集め、絆を深めていく。(この間に、理樹と鈴が付き合い始める。)
ところが彼らが向かった修学旅行で悲劇が起こり、崖の下へ彼ら全員を乗せていたバスが転落。真人と謙吾、恭介たちが身を挺して理樹と鈴を守るものの、理樹と鈴以外は助かりそうもない窮地に陥る。
しかし理樹と鈴はいまだ過去のトラウマを引きずっており、二人だけが生き残ったというその苛酷な現実に立ち向かえるほどの強さを持ち得ない。
二人の先行きを案じた恭介が真人や謙吾たちに呼びかけると、彼らはそれに呼応。それと同時にリトルバスターズのメンバたちの思いも加わり、(鈴と理樹を除く)8 人により虚構世界が作り出される。(これが作品世界)
その虚構世界の中で彼らはモラトリアムに興じるが、恭介のみが理樹と鈴を育て、二人を現実世界に送り返そうと企てる。そのために、理樹や鈴の心を育てるためのシナリオを組み立て上げる(5 人のヒロインたちの救済ルート)。これによって、理樹は現実を生きていく力強さを得ていく。
恭介は同時に鈴についても、交換留学生という制度を介して現実を生きていく強さを身に着けさせようと画策するが、性急に進めた結果、これが裏目に出て失敗し、鈴の心が砕けてしまう。しかも虚構世界のループが元に戻っても、鈴の心は壊れたまま変わらなかった。(これはループが記憶を引き継ぐ特性を持っているためでしょうね)
しかし、鈴の砕けた心すらも理樹は救っていき、さらには真人や謙吾たちをも救ってしまう。それを元に恭介は理樹たちを過酷な現実(=二人しか生き残ることのできない現実)に送り返すことを決意する。
一応、この後は分岐のようになっていて、
送り返された二人がなんとかバスから逃げ延びる Ending。(理樹のナルコレプシーが解消されておらず、鈴もまだ対人恐怖症を克服していないため、二人が生き延びる以外の選択肢がない Ending)
さらに理樹が過去のトラウマを克服し、また鈴が友達を受け入れる選択をすることによって、二人が奇跡的にみんなを助けるという大団円のハッピー Ending。
へとつながっていく、という物語になってますね。前者は形式上は虚構世界の物語として描かれていますが、内容的に考えるとどちらかというとこちらが True ルートで、後者はやや無理矢理の付け足し感のある Happy Ending になっています。
明文化するほどのことでもないでしょうが、敢えて作品のテーマを端的に書けばこうなるでしょう。
「失われ奪われ続けてもなお、それを受け入れ、(逃避せずに)過酷な現実を生きていくこと。」
生きることは友情や絆を失うこと、それを知ってもなお失われることを受け入れ、その過酷な現実を生きていかなければ、大切な友情やかけがえのない時間は決して手に入らない。それが生まれることの素晴らしさである、というのがこの作品のテーマでしょう。これは OP テーマ「Little Busters!」でも歌われているテーマであり、また作品終盤の Episode:理樹 でも強く押し出されているテーマ。理樹が両親を失ったことによってナルコレプシーになったり、あるいは虚構世界を通じて過酷な現実に立ち向かうために必要な意志の強さを得ていく物語になっていることなどからも、この辺は明らかではないかと思います。
ちなみにこの作品のテーマを「友情」ととらえている人も結構いるようですが(公式の発表に作品のテーマが友情と青春、みたいな説明があったらしいです)、それは過酷な現実から目を背けずに生きていく「動機」(理由)、と捉えた方がより的確でしょう。こちらをテーマとして捉えて、それを描写する手段として前述のポイントがある、と捉えても構わないと思いますが、鈴ルートでどちらに力点が置かれているかというと前者でしょうね。
がしかし、理樹や鈴が、様々な友情を通して、「過酷な現実を生きていくために必要な意志の強さ」を身に付けていくプロセスを何重にも描き込んできたはずなのにもかかわらず、最終ルートである Refrain ルートではそのテーマが力強く描かれなかった、というのがこの作品の最大の問題のように思えます。
その理由を端的に書けば、『過酷な現実』が、「失われたという事実」としてしか描かれてないから、だと思います。
もうちょっと掘り下げて書きますが、確かに恭介が言うように、虚構世界から二人を送り返した先の現実に待つのは、理樹と鈴以外はすべて死んでしまうという、『過酷な現実』に他なりません。けれども、恭介たちが死んでしまうという事実だけが過酷なのではない。
その後に遺された理樹と鈴の心はどうなるのか。どんなに二人が強くあろうとしても、彼らが死んでしまったという事実は決して覆されることがない。しかもその事実はどんなに忘れたくても決して忘れられない。遺された者たちの心は少しずつ蝕まれ、摩耗していき、心が枯れていく。それは決して癒えない遅行性の毒のようなもの。
やがて来る過酷というのは、ある瞬間に突きつけられる「真実」のことではない。時間の経過とともにじわじわと心が壊れていく。それこそが遺された者たちに襲い掛かる真の過酷なんですよ。
でも、この作品ではその真の過酷は一切描かれていない。二人だけが生き延びる Ending ルートは、病院で理樹が意識を取り戻すシーンで終わり、物語はいわゆる「お約束」ものの大団円ルートへと流れていく。大団円ルートの存在自体はまあお約束なので仕方がないにしても、二人だけが生き延びる Ending ルートでやがて来る過酷が全く描かれなかったのは、作品テーマの消化不良もいいところでしょう。
そもそもそんなことは私が指摘するまでもなく、CLANNAD や智代アフターを作った麻枝氏が気付かないわけがない。にもかかわらず描いていないということは、いずれリトバスアフターを作るんじゃないかと邪推するわけですが、ひとつの作品のパッケージングとしては非常に中途半端、と言わざるを得ないでしょう。(というか CLANNAD という実績があるだけに……orz)
# というかですね、この二人だけ生き延びるルートのラストの「何が不服だ?」→「みんながいない。」
# ……いやそうじゃなくて鈴が成長してないのが不服なんだけど、と全力でツッコミ入れてましたが;。
# 大団円ルートではあっさりと鈴も理樹も成長するわけですが、あれだとさすがに描写が軽すぎる、と
# 言われても仕方がないのではないかと思います。
サイズや丈を考えると商業的に一つの作品で作るのが無理、というのも分からなくもないので、少なくともここはちゃんとアフターのようなものを作ってもらってぜひ補完して欲しいところ、だと思います。もちろんそこには新たな人々との新たな出会いがある、完全に新しい作品になるのでしょうが、そういうものを描いてこそこの作品のテーマは初めて物語として閉じるのではないか、と思うのです。
では全体ルートのテーマ問題が解消されればそれでよいのかというと、個別ルートにもいろいろと問題がありました。実際、Web 上の評価を見ても個別ルートはあまり面白くなかった、という意見がかなり根強い様子。ただしクドはかわいいという意見は共通……でも自分的には小毬イチオシですが何か?(違)
私は個別ルートの着想や個別のサブテーマ設定自体は決して悪くなかったと思うのですが、それをきちんとカタチにできていなかったこと(=テキストに落とし込めなかったこと)が、個別ルートの最大の敗因ではないか、と思うのです。作品の全体構成を振りかえってみると分かりやすいのですが、この作品の個別ルートは、要するに各キャラクターが現世に残した未練やトラウマを昇華させ、幸せのうちに成仏させる(=救済する)というもの。その救済のカタチは何だったのか、というのをものすごーく簡単にまとめるとこうなります。
小毬:最愛だった兄の死の悲しみを受け入れること。
クド:母の死を受け入れず理樹に逃避したかつての自分をやり直すこと。
美魚:イマジナリフレンドである美鳥の消滅を受け入れること。
来々谷:感情を芽生えさせること。
葉留佳 & 佳奈多:お互いの苦しみを理解し、コミュニケーションを取ること。
おまけとして……
真人:自分を認めてくれる存在に出会うこと。(かつては恭介であり、理樹はそのリフレイン)
謙吾:家督のしがらみから自分を解き放ち、友達と思いっきり遊ぶこと。(※ 真人や恭介と異なり、謙吾がこの世界を壊すことに反対していたのは彼自身がこの楽しい日常に焦がれていたから。)
問題なのは、これら 5 人のヒロインの救済のシナリオが必要以上に物語として複雑化してしまったという点。その理由はおそらく 2 つあって、@ 必要以上に恋愛要素を絡めようとしたこと(恋愛要素が必須なのは来々谷だけでしょう)、A 「世界の秘密」に触れられないが故に不完全なファンタジーになってしまったこと。特にAは割と致命的で、どのルートも『現実回帰』の色を帯びるシナリオであるにもかかわらず、それを現実ではない虚構世界の中だけで描かなければならない、という構造的な矛盾をはらんでいる。このため、それを回避すべくどのシナリオもいろいろな技巧を凝らしています。が、個別ルートでは「世界の秘密」に触れられないが故に、プレイヤー側は真実と虚構の区別があることすら分からない。結果として技巧をこらしたはずのシナリオは意味不明なテキストとなり、それを延々と見せ続けられるというよろしくない構成になってしまっていました。
正直に白状すると、特にクドルートの後半はプレイしていて相当にストレスが溜まりました。確かに作品世界の設定が分かれば、クドルートはおおまかにこういうことだったんだろう、と分かります。(ゲーム中に起こしたメモ書きしか見てないのでもしかしたら一部間違っているかもしれません;)
クドの母親C・イワノヴナ・ストルガツカヤはテヴア共和国航空宇宙局 TASA の宇宙飛行士。新型実験炉を搭載した有人宇宙船を打ち上げる国家プロジェクトの主要メンバーの一人。
クドにとって母親は尊敬の対象であり、自分もまた宇宙飛行士になりたいと思っていた。しかし才能豊かな母親に遠く及ばない自分に劣等感を感じ、クドは日本へと逃げてくる。
打ち上げの直前に、母親から戻ってこないかという誘いの手紙が来る。しかし自分を初めて認めてくれた理樹と修学旅行に行けなくなるという理由からその誘いを断る。
ところがロケットの打ち上げが失敗。宇宙産業への過度な投資を行っていた国策が倒れると同時に、大規模な暴動が発生。災害の引き金となった航空宇宙局関係者や政府関係者を公開処刑しはじめる。
クドは打ち上げの失敗を知ってもなお理樹と一緒に居続けるために現地に戻らなかった。しかし修学旅行へ行く直前に、テレビ局を占拠した集団が流したクドの両親の公開処刑の映像を見てしまう。そしてさらにクドの手元へ、母親の個人認識票(ドッグタグ)が遺品として届けられる。
クドは激しい後悔の念に駆られながら、そのドッグタグを持って修学旅行へと出かけるが、そこでバスの転落事故に遭う。
彼女は母親に憧れ、その傍らにいたいと常に思いながらも内面と外面のギャップに苦しみ、母親に甘えることができず、優しくしてくれた理樹の元にずっと居続けたいと思ってしまう。結果、彼女は激しい悔恨の念に捉われることになるのですが、この虚構世界で理樹はクドの後押しをし、彼女はその過去をやり直し、『今度は』母親の元へと駆けつけることになる。
「『こすもなーふと』にはなれませんでしたが。
だからこれ(=母親の元へ行き、自分が人身御供になったこと)は、私の、のぞんだ結果です。
私はしあわせです。とても、とても、とても。」
灼け焦げたドッグタグは、クドが母親を想う『気持ち』の残骸であり、鎖に繋がれたクドは、母親への懺悔の念のイメージ(=人身御供として処刑された両親のかわりに自分が人身御供になるというイメージ)。ドッグタグを理樹に捨ててもらうことで、この世への未練を断ち切るつもりだった。けれども理樹への思いは断ち切れない。
誰か(=母親や理樹)を好きだったいう気持ちを捨てることなんか、できやしない――!
だから『これ』(=ドッグタグ)はクドの手に還るべきだった。
後悔も。(=母親の元へと行かなかったという後悔)
好意も。(=理樹に抱いた好意)
自分が抱いた気持ちは捨てられない。
母親の元へ行けなかったという後悔も、そして理樹に抱いた好意も、どちらも決して捨てられない。だから理樹はドッグタグをクドの元へと送り返す(ここは虚構世界ならではのファンタジーですね)。そしてクドはドッグタグを打ち壊し、理樹の元へと還る現実を選択する。そこに待っているのは、薄暗い鎖に繋がれた世界ではなく、綺麗な蒼から紅へたどるカーテンのように染まった、どこまでも続く空。そしてクドは理樹の元へと還ってくる。
……と、おそらくこういう筋書きになっているのでしょう。がしかし、こういう形で筋書きを追いかけてみても、すっと腑に落ちないポイントが出てくるのです。中でも大きなポイントは、結局、クドが母を想う気持ちと理樹を想う気持ちとは背反だったのか? という点。母の遺品であるドッグタグを「打ち壊す」必要性・必然性がはっきりしていません。現実回帰するために、そして今の気持ちを大切にするために理樹を選んだというのであれば、彼女の癒えない悔恨をどのような形で決着させるのかが問題になる……にもかかわらず、そこのところは手つかずになっているんですよね。
他のルートはここまで難解ではないにせよ、舞台設定が分からないが故に何を語りたいのかがよく分からなくなってしまっているルートもある(特に来々谷ルートが典型的)。「なんとなくこういうことを言いたいんだろう」という漠然としたイメージは沸いても、溜まっていくフラストレーションの中で 5 キャラを攻略していくのは正直ストレス的にも限度があって、結局プレイが延々と延びいていくハメに;。ええっと、プレイを始めてからクリアまでに 3 か月もかかった Key のゲームってこれが初めてなんですけど状態。
CLANNAD などと違って横方向に物語がほとんどリンクしていない作品だったにもかかわらず、物語の中核要素がはっきり分からない(最後までクリアしてみないと意味がよく分からないものが多い)シナリオになっていた、というのは、内容以前にゲームとしてどうなんだろう? という気がしてなりません。クドルートであれば、いっそ割り切って恋愛要素を抜きにしてしまうことでストーリーをもっと分かりやすくし、個別ルートでもそれなりにカタルシスを味あわせるようなものにすればよかったのではないか、と。加えて回収されていない伏線も多く(特に鈴のトラウマの原因が結局明かされておらず、トラウマ解消という形での物語の結末を迎えていないのも気になるところ)、全体を終えてみても消化不良感が残ってしまったのはやはり残念なところです。
しかしその一方で、前半戦の共通ルートとミニゲームの出来映えには瞠目すべきものがありました。総勢 10 人ものリトルバスターズたちが見事なまでに入り乱れる『楽しい』学園生活。ミニゲームのアツさもさることながら、恭介から矢継ぎ早に繰り出されるミッションは楽しいことこの上ない。バカとしか言いようがないんだけれども、それこそが楽しい。それはきっと幼き時代にしか体験することのできないものですが、確かにそこには友情があり、青春がある。
実はこのインプレを書きながら、最後にきちんとバトルランキングと野球ミニゲームをやってみようということで一通りプレイしたのですが(もちろん結果はランキング一位で野球も勝利ですが)、いやもうなにって純粋に楽しすぎる。っていうか
試合前日におまいら何やってやがるんですか;;;(笑)
みたいなイベントまであって思わず大笑いしてしまったのですが、そこにあるのは溢れんばかりのみんなの笑顔。おそらくそれこそが生きる活力であり、失われてもなお求め続けずにはいられないもの、なんですよね。(だからこそ虚構世界が崩れ去るときの最後はみんなでマウンドに上がり、青春の1シーンを最後に共有する)
バッティング練習をしながらお互いに飛び合う掛声。
次々と入れ替わっていく番狂わせの連続のバトルランキング。そしてそこにある、不思議なまでの一体感。
最後のホットケーキパーティが祝勝会に変わる、というのも非常に心憎い演出で、ああ、これこそが人が求めて止まない友情であり絆の形なんだよな……そう思わずにはいられない、素晴らしいシーンだったように思えます。
AIR, CLANNAD, 智代アフター, Little Busters! という作品の一連の流れで見ると、そこには目をそむけたくなるような『過酷な現実』があり、そしてそれと同時に、過酷を乗り越えていく原動力としての家族愛があり、友情があり、青春がある。こうやって 3 作品を俯瞰してみると、描かれてきたテーマ(あるいはテーマを描くための手段)はどれも本質的な部分で変わっていない、という印象があります。しかし、「他者を思いやる気持ちこそが愛である」とする CLANNAD と比べるとどうしても内容的にこじんまりとしてしまった感もあり(意味的には CLANNAD が Little Busters! の内容を包含してしまっている)、壮大な仕事をやり遂げてしまった前作と比較すると、やや苦しい部分もあったのではないかと思います。(そういう意味で、麻枝氏が本作でシナリオライターを引退するという噂も分からなくもありません。)
ただその一方で、AIR や CLANNAD などよりも遥かに力強く『青春』を描きだすことに成功した点については高く評価されてしかるべきだろう、と思います。過酷な現実と何をもってどう向かい合うべきなのか? というテーマは、この世を生きる人間の多くに共通して降りかかる問題であると同時に、決して答えの出ない命題でもあるでしょう。その命題に愚直に挑み、シナリオを紡ぎだし続けている麻枝氏はやはり超一流と評されてしかるべきだと思いますし、手を変え品を変え、何度でも描かれてしかるべきテーマだとも思います。
Little Busters! という作品は、全体として評価を下すのであれば残念ながら傑作とは言えないでしょうし、またいろんなところで『甘さ』の目立つ作品ではありました。けれどもリトルバスターズたちが過ごしたあの輝かしい笑顔にあふれる日常は、確かにホンモノだったと感じさせてくれただけに、非常に惜しく感じられる部分が大きい作品でした。
# ……やっぱり、鈴アフターとか出してくれないですかね;。
と、全体としてはかなりな酷評となってしまいましたが;、作品に対する期待度の裏返しなので仕方がないかな、という気もします。次回作がどうなるのか分かりませんが、ぜひ頑張ってほしいところです。
ps.
ちなみに自分が一番感動したシーンは、理樹が恭介に手を差し伸べるシーンだったりします。
いや、あれは泣けますよねぇ……;。
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