このページは Ever 17
のネタバレを含んでいますが、このゲームはネタが分かってしまうと面白さが激減します。ですので、未プレイの方は絶対にお読みにならず、是非とも
PS2 版もしくは DC 版を購入してコンプリートしてから読むようにしてください。ネタバレなしのゲームインプレッションはこちらにあります。
なお、直リンクから飛ばれてきた方々はトップページはこちらになります。よろしければどうぞ。(^^;)
このゲームの素晴らしさがどこにあるのか、それを語るためにはどうしてもネタバレを避けることが出来ませんが、いきなりその結論を語る前に、何点かこのゲームの構造と設定を要点をかいつまんで再度確認していきたいと思います。これらはココ編のラストで語られていることをもう一度整理し直しているだけですので、すでに分かっている方はざっと読み流して頂ければと思います。
- ブリック・ヴィンケルとはドイツ語で「視点」を意味する言葉で、文脈からゲーム世界を覗き込むプレイヤー(の視点)のことを指す。
- ゲーム中で発現するブリック・ヴィンケルは3つある。
@ 2017年の倉成武編。このシナリオではゲーム世界を倉成武の視点を通して見る。
A 2034年の少年編。このシナリオではゲーム世界を松永ホクト視点を通して見る。
B 2017/2034年を同時に見ることの出来るココ編。このシナリオではゲーム世界を二つの視点から同時に見通す。- このうち、@Aはただの視点。本来的にその時代で得られる知識だけを使ってしかゲーム世界に干渉できない。
- これに対して、Bの視点はプレイヤーがゲーム世界を超越した存在であるからこそ成立しうる視点である。また、それを明確にプレイヤーに意識させるためには@とAの情報や体験が不可欠になる。
- ブリック・ヴィンケルの発現が「ゲーム世界に対するプレイヤーの介入」であるのに対して、偏在するココとは「ゲーム世界に対する製作者の介入」である。(ココ編において、偏在するココが、自分が BW と同様である(=ゲーム世界外の存在である)だけでなく、これから起こることも分かるということを話している。)
- プレイヤーと製作者だけが、3次元空間であるこのゲーム世界を俯瞰し、世界を書き換え、干渉する力を持つ。ただし、どちらの干渉も、常にゲーム世界中のキャラクターの誰かを利用して行われる、というのがこの世界のルール。
- 偏在するココはゲームの導き手、ヒント役としてゲーム中のあらゆるところ(主に少年編)に出現する。
- まず、因果関係を時間軸に沿ってのみ考えると分からなくなる。この世界が『(時間軸までひっくるめて)論理的に自己矛盾なく閉じているか』が重要である(後述)。
- このゲームの二つの世界(@、A)を完全なハッピーエンドに導き、なおかつそれが論理的に内部矛盾を抱えないためには、以下の二つの条件が満たされる必要がある。
- 2017年に、武が深海で復活し、IBFでココと共にハイバネーションに入る。
ただし、このためにはBW(プレイヤー)によるゲームへの4次元的介入により、ゲーム内の2034年のホクトを2017年に連れて行き、武に叫びかけ、歴史を書き換えなければならない。
この操作はゲーム世界中のキャラクターには単独では出来ず、プレイヤーの介在なくしては起こりえない。- 2034年に少年視点(ホクト)としてBWを発現させる。
1. の4次元的介入(ココ編)を成立させるには、武視点編@だけでなく少年視点編AでのBWのゲーム体験が必要になる。少年視点がなかった場合、1. が成立し得なくなるため。- 実はこの内部矛盾が発生しないための条件を考え出しているのは、優春ではなく、ココ編で発現するBW、すなわちプレイヤー自身である。つまり、少年視点編Aのシナリオというのは、未来のプレイヤー自身が仕掛けた罠に自らがハマっている、という形になっている。(未来のプレイヤーが現在のプレイヤーに罠をしかける、というのはSF的なレトリックであって、もちろん実体は製作者がそのように感じさせるように罠をしかけている、というのが正しいが)
- これにより、因果関係が時間軸までひっくるめてメビウスの輪のように閉じている。すなわち、@とAの経験がBのココ編でのBWの行動を作り出し、それがAという人為的な事故の原因を作り出している。Bが無ければAがないし、Aが無ければBがない。両者は互いに依存しあうことで初めて成立することができる。(2. は、Bによる歴史改変によってAがなくなること=このゲームそのものの論理矛盾を発生する、ということを言っている)
- ただしここでそもそものお膳立てを誰がどのような順序で行ったのかについてあれこれ考えるのはこのゲームにおいてはあまり意味がない。これはゲームで語られる4次元視点においては時間の前後関係を絶対的には定義できないためである。もう少し詳細に説明すると、以下のようになる。
- 例えば三次元空間に住む我々は、時間軸については過去→未来へ向かっての一方通行となる。すなわち明確に前後関係を定義できるが、空間のx,y,z軸についてはこれらを相対的にしか定義できない。例えば、空間上に2定点A,Bがあったとき(2平面でも同じ)、以下の2つはどちらも正しい。なぜなら、二定点を立体的に裏側から見ればもう片方が正しくなるためである。
- AはBの前にあり、BはAの後ろにある。
- AはBの後ろにあり、BはAの前にある。
- しかし三次元空間から見たときに、以下の2つが同時に正しいということはあり得ない。なぜなら、三次元概念においては時間軸に対して明確に前後関係が規定されているためである。
- AはBの未来にあり、BはAの過去にある。
- AはBの過去にあり、BはAの未来にある。
- ここで、空間上の2定点の関係として、以下が正しくないのは明らかであり、このような二定点は決して存在することができない。
- AはBの前にあり、BはAの前にある。
- つまり三次元的視点から見た場合、「時間」に対して絶対的な前後関係を明確に定義することができるが、「空間」に対しては絶対的な前後関係を明確に定義することは出来ず(もし行うのであれば視点を固定化して次元を下げなければならない)、二つの事項の前後的関係に『矛盾があるか否か』しか語れない、ということになる。そしてまた、矛盾がある前後関係を持つ二定点は決して存在し得ない。
- 上記のことを四次元視点に拡張して考えると、以下のように言うことができる。
- BW視点においては「時間」に対して前後関係を定義することは出来ない(視点によっては2017年は2034年の後に存在することも可能、これは実際ココ編で行われている)。
- しかし二つの時空間の依存関係の間に矛盾がある(=タイムパラドックスがある)場合には、決してその二つの時空間は存在し得ない。
- つまりBW視点(ココ編)においては2017年と2034年のどちらが先に起こったのか、また何が最初に起こったのかは実は重要ではなく、いわば鶏と卵の関係でしかない。(仮に最初に鶏と卵を作ったのは誰か、何故かを根源的に突き詰めるとしても、それはすなわち世界を創造した神を突き詰めることでしかなく、製作者であるというのが答えになってしまう。)
- ゲーム中では『タイムパラドックス』が起こらないことが重視されているが、これは4次元的視点において2017年と2034年の間の依存関係に矛盾がないこと、それだけを保証すれば二つの世界が正しく成立しうるということを指している。
別の言葉で言い換えれば、このゲーム世界はこのゲーム世界として無矛盾に閉じて完結しているからこそ正しく存在できるのであって、Yu-noのように「別の巨大な時間軸で連続している」的な世界観ではない。Yu-noの世界観は「巨大な時間軸」という概念こそが実は三次元的な発想に縛られた概念なのだが、Ever 17が持つn+1次元の概念は、まさにその意味において4次元的な概念である、と言える。- まとめると、プレイヤーと製作者たちの関与によりこのゲーム世界を『(時間軸までひっくるめて)論理的に自己矛盾なく閉じた依存関係を持つ時空間』として再構築できれば、それはゲーム世界(n次元)の中の"現実"として正しく存在することができる、ということである。
ゲーム本編中で語られる謎解きと、上述した作品構造とその設定を前提に、なぜこのゲームが傑作なのかを考えてみると、以下の4つが一つの作品に見事に共存しているためである、と言うことができると思います。
確かに上述した4要素は、良作あるいは佳作と言われる作品であれば一つや二つは持っているものなのかもしれませんが、これらを極めて高いレベルで融合し、見事な調和を持ってプレイヤーに語りかけてくる本作品は、まさに数年来に見る大傑作であると言わざるを得ません。真に優れた傑作とは、様々な要素(文学性、技巧性、エンターテイメント性、その他色々)を共存させつつも、独り善がりになることなくそれを分かりやすい形でプレイヤーにコミットさせていくことができるものを指すのだと、本作品をプレイして改めて実感させられました。プレイヤーよりも10段ぐらい高い視点で作りつつも決して独り善がりにならない本作品は、まさにプロフェッショナルが作った作品だと言えます。これからも、是非ともこのような傑作を作り出していってもらいたい、そして多くのプレイヤーの方々にこの作品を味わってもらいたい、そう強く思わせる一作でした。
以下、Official の Web サイトに書いた設定考察や、生体反応の謎などについて、いくつかおまけとして載せておきたいと思います。また気が向いたら何か加筆するかも。(^^;)
なお以下の解釈は読みやすさ・書きやすさから断定調で書いてはいますが、四次元世界の考察などは大ウソが入っているはずですし、また作品解釈も必ずしもこれが唯一の答えではないと思います。実際、Official サイトでは他の説を採用して一貫した解釈を導き出している方もいらっしゃいます。特に研究者の方などその筋の方はかなり差し引いてヨタ話ぐらいのつもりで読んでくださると助かります(^^;)。
このゲームで言われている「四次元」がどのようなものかを正しく理解するためには、"n次元"と"n+1次元"をアナロジー(類似性)で突き詰めていくと分かりやすくなると思います。このアナロジーを元に考えると、このゲームの最後で行われた「二つの時刻における史実の同時書き換え」がどのような意味を持つのかが明らかになってきます。
三次元の世界には(x, y, z, t)という4つの軸があります。ただしこのうち t軸(時刻軸)の進行については不可逆であることに注意してください。
これに対して、n+1次元、すなわち四次元の世界には5つの軸があります。その5つ目の軸を仮にa軸とすると、(x, y, z, t, a)という5つの軸があることになります。このa軸の正体が何であるかは我々は知ることができませんが、四次元の世界におけるa軸は三次元の世界における t軸のように不可逆な軸になっているはずです。
このときパラレルワールドの概念が、三次元の世界と四次元の世界では若干異なります。
まず三次元の世界においては、同一の時刻tに対して、ある(x, y, z)は一つしか観測できません。要するに、ある時刻tにおいて矛盾無く存在できる空間(x, y, z)は三次元人から見ると一つしかない、ということです。そしてこの空間は時刻t軸に対して連続的に変化していくため、三次元人から見ると、空間そのものが連続的に変化する、というのは当たり前のように感じられます(この空間が連続したもののことを一般的には「歴史」と呼ばれています)。ただし、歴史をどの時刻tで切り出したとしても、空間内での矛盾は発生していません。
これに対して四次元の世界においては、同一のパラメータaに対して、ある(x, y, z, t)が一つしか観測できないことになります。要するに、あるパラメータaにおいて矛盾無く存在できる歴史(x, y, z, t)は四次元人から見ると一つしかない、ということです。しかしこの歴史はパラメータaに対して変化を遂げていくので、四次元人(BWや偏在ココ)から見ると、歴史そのものが連続的に変化していくのが当たり前ということになります。この歴史が連続したもののことをここでは「時空間」と呼ぶことにしましょう。ただしこの時空間をどのようなパラメータaで切り出したとしても、歴史内での矛盾は発生していません。
ここまでの知識を元にパラレルワールドとは何かを考えてみると、以下のようにまとめることができます。
- 三次元空間におけるパラレルワールドの概念とは、『仮に同一の時刻tに対して、ある空間が複数存在していたとしても、それを見ることができない』というものです。
- これに対して、四次元空間におけるパラレルワールドの概念とは、『仮に同一のパラメータaに対して、ある歴史が複数存在していたとしても、それを見ることができない』というものです。
話を分かりやすくするために、このゲームの内容に落とし込んで考えてみましょう。
このゲームでは、三次元空間=ゲームの中の世界、四次元空間=プレイヤーや製作者の世界、として描かれています。すなわち、三次元空間における(x, y, z, t)という4つの軸は、ゲームの中の世界における空間と時間です。イメージをつかんでもらうためにもう少し分かりやすく書くと、ゲームの中に我々と同じような三次元空間が広がっている、と思ってください。ゲーム中のキャラクターたちが実在人物である、というように考えるとよいでしょう。
ゲーム世界の住人は、ただ一つの歴史しか体験することができず、それ以外の歴史はパラレルワールドになっています。(注意して欲しいのは、「違う空間」がパラレルワールドなのではなく、『違う歴史』がパラレルワールドである、という点です。Y型分岐における因果律の進行軸はt軸ではなくa軸である(前後の因果関係はt軸ではなくa軸により規定される)、というトリックに気づかないとこの点は誤解されやすいです。これについては別セクションでもう少し詳しく解説します。)
そして四次元空間における(x, y, z, t, a)という5つの軸は、ゲームを俯瞰するプレイヤーの時空間です。本来的なa軸は何の軸だかは分かりませんが、このa軸はこのゲームでは「プレイヤーのゲームプレイ時間軸」になっています。そしてプレイヤーは、ココたちの住む世界、歴史をa軸に沿って見る(ゲームをプレイする)ことによってまさしく「俯瞰」することができます。
ここで、a軸の進行につれて(x, y, z, t)は変質していっていることに注意してください。つまりゲームプレイが進むにつれて、ゲーム世界内の『歴史』(史実)自体が変化していく、ということです。
この現象をゲーム世界内部の住人から見ると、ゲーム世界内部の住人はa軸上のある点に対してしか固有でなく、a軸の進行を認識することができません。つまりプレイ時刻15:00のときのゲーム世界(歴史)内部の住人は、プレイ時刻15:30のときのゲーム世界(歴史)を認知することができません。(パラレルワールドになる)
さて、三次元空間(ゲームの世界)において時刻が滞りなく進行していくこととは、その空間が『矛盾なく』『わずかずつ』『連続的に』変化していくことを意味します。これは我々の三次元空間で考えてみると分かりやすいのですが、我々の住む空間は時刻の進行と共にわずかずつ変化していきますが、どの時点を取り出してもその空間内に矛盾はなく(例えばAの右にBがあり、Bの右にAがある、といったことがない)、なおかつそれがわずかずつ変化していきます。
これに対して、四次元空間(ゲームをプレイする立場)においてa軸(ゲームのプレイ時刻)が滞りなく進行していくこととは、その時空間(すなわちゲームの歴史そのもの)が『矛盾なく』『わずかずつ』『連続的に』変化していくことを意味します。つまり、ゲーム世界の歴史がゲームのプレイ進行に伴って変化するためには、
- その変化した先の歴史が、現在の歴史に対してわずかに連続的に変化したものでなければならない。
- その変化した先の歴史が、それ自体が一つのものとして内部矛盾を抱えていてはならない。
という2条件を満たしていなければなりません。
実はこのゲームにおける、プレイヤー及び製作者のゲーム世界への干渉(すなわちBWと偏在ココの干渉)とは、まさに『ゲームの歴史の書き換え』(a軸進行に伴う三次元空間の歴史の連続的変化)をもたらすものに他なりません。
例えば我々の日常生活において、空間中の物質は手を触れ動かすことにより位置座標を書き換えることができます。これと同様に、我々プレイヤーはゲームをプレイするという四次元的体験においてゲーム世界に干渉し、その歴史を書き換えることができるのです。
ただし、なんでもかんでも書き換えが認められるわけではありません。その条件とは上に示した2つの条件であり、ゲーム中では、
- 2017年に、武が深海で復活し、IBFでココと共にハイバネーションに入る。
- 2034年に少年視点(ホクト)としてBWを発現させる。
の2つを同時に行うことである、というわけです。この二つのことを同時に行えれば、変質した先の時空間(ゲームの歴史)は原点に対して『矛盾なく』『わずかずつ』『連続的に』変化したことになります。(もちろん、ゲームスタート時点の歴史とはゲーム世界内部から見た場合にはパラレルワールドの関係になります。)
上記の整理から、このゲームの流れを整理すると、以下のようにまとめられるかと思います。ここで、左→右の流れがゲーム内時刻軸t軸の流れ、上→下の流れがプレイヤー時刻軸a軸の流れ、になります。ゲーム世界内の人間(キャラクター)から見た場合にはある一つの歴史しか認知できず、右から左方向へ戻ることができません。ゲーム世界外の人間(プレイヤー、BW)から見た場合には複数の歴史を認知することができ(下の複数の「行」を認知することができ)、なおかつ一つの歴史内で右や左に自由に移動することができますが、下の歴史から上の歴史に状態を戻すことはできません。
→ t軸(ゲーム内時刻)
↓a軸(プレイ時刻)
2017年 2017年事故後〜2034年事件前 2034年 2034年以降 歴史(1) (ゲームスタート時におけるゲーム世界内の史実) @ BW発現、ココ&武 死亡 (つぐみルート) 優春、第三視点理論を構築 A BW召還、優秋救出(優秋ルート) ココ編 (B BWが四次元的視点(プレイヤー視点)で歴史全体を俯瞰し、歴史を改変する) ↓ パッチ適用 ↓ パッチ適用 歴史(2) (ゲーム終了時におけるゲーム世界内の史実) ココ&武 冬眠 優春、BWからの声を元に第三視点理論を提唱 冬眠しているココや武を救出 グランドフィナーレ
- 歴史(1)の中では優春は独自に第三視点理論を構築している。ココと武の死亡は後から知るので手の打ちようがない。彼らを生き返らせる唯一の手段は、歴史(1)そのものを書き換えて別の歴史を成立させることしかなく、そのためにはBW(ゲーム世界より高次元の存在)の力を借りざるを得ない。これを考え出したのが優春。
- ココ編では、@とAに対して同時にパッチを当てることにより、歴史(2)へ歴史を改変。偏在ココが顕在化(ゲームの製作者がココの姿を借りてプレイヤーにヒントを与える)し、この作業を手助けする。
プレイヤー視点(四次元人)から見た場合、a軸(ゲームプレイ時刻軸)は逆行不可であるため、歴史(2)が歴史(1)に戻ることはありません。……というのが大きな枠でのざっくりした私の解釈です。
これをゲーム世界の住人から見て「救われた」と見るかどうかは難しいところですが、このゲームの面白いところはゲーム中の時間軸とプレイヤーの時間軸とをうまく利用して、ユーザに四次元人の感覚(^^;)を味あわせたところにある、と思います。実際にはゲームという形態の限界上、プレイ時刻が1秒変わるとゲーム世界(歴史)が変化する、という形には完全にはなっていないですけれども(当たり前ですが)、十分によく仕掛けられている、と言っていいのではないでしょうか。
パラレルワールドをうまく使ったゲームというと何といっても Yu-no が有名ですが、Yu-no や一般世間で考えられているパラレルワールド(世界がY型に分岐していくという考え方)は、Ever 17が提示しているパラレルワールド、タイムパラドックスの考え方と相反しているのではないかと考えています。
もちろん一般的にパラレルワールドと言った場合にY字型分岐のことを指していることは承知しているのですが、Y字型分岐だけでパラレルワールドを捉えてしまうと、2017年と2034年に同時にパッチを当てて別の歴史の流れに移行する、という考え方がうまく説明できないのです。これについて、少し以下に説明を加えたいと思います。
一般的なパラレルワールドの考え方は『時刻の進行』において取りうる選択肢の違いによって世界が分裂していくという考え方を取りますが、三次元と四次元の類似性から考えて見るとややおかしなところがあります。
まず三次元の世界において、1つのリンゴを2つに切ったAとBがあったとき、それらは完全に全く独立なものではありません。なぜなら、リンゴの断片Aとリンゴの断片Bとは元を正せば同じリンゴだったからです。つまり空間中の2つの物体は、『時刻軸t』にそって原因と結果があります。すなわち、三次元においては一方向進行となる時刻軸tが因果律を決めています。
では四次元の世界において、二つの歴史XとYがあったときそれらの間の関係性を決めているものは何かを三次元のアナロジーで考えると、それは四次元空間において一方向進行となっている5つ目の『次元軸a』であるはずです。つまり四次元空間中の2つの歴史は、次元軸aにそって原因と結果があるはずです。つまり因果律は4つ目の次元軸tではなく、次元軸aによって決められているのではないでしょうか。
そして、三次元の世界において時刻軸tに沿って物事が進行していく場合に、二つの物体AとBが同時に変化(移動)をしていけるのと同じように、四次元の世界において次元軸aに沿って物事が進行していく場合には、『ある時刻t1の事象とある時刻t2の事象とが同時に変化していく』ことが可能であるはずです。そしてa軸の異なる二つの歴史のことを三次元から見たときに、これがパラレルワールド(観測され得ない歴史)になるのだと思います。
この考え方からすると、Y型分岐という考え方は狭い見方でしかパラレルワールドを捉えられておらず、一つの歴史の二つの時刻の事実を同時に書き換えて歴史をずらす、という発想を取り得ません。しかしEver 17の四次元空間に対する概念というのは歴史上の二点の事実を同時に書き換えることにより歴史をずらすという発想であって、Y型分岐よりもより四次元的な考え方に近いのではないだろうかと思います。
もっともこの考え方はこのゲームではコンセプトとして使われているのであって、実際のシナリオテキスト上では厳密に上の話が突き詰められているわけではなく、もう少しドラマチックな形に歪められて表現されていますし(ホクトが2017年に戻って呼びかけたり、深海で武が復活したり、など)、ゲームのプレイ時にはt軸とa軸は現実的には混在しています。とはいえ、最終的にt軸とa軸を同一の軸であるかのようなゲームデザインになってしまったYu-noに比べると、Ever 17のゲームデザインは単純ながらも実は非常に面白い概念を取り扱っていると言えるのではないでしょうか。
本編の内容から考えるとあまり重要性のある部分ではないのですが、まあこんなものもある、ということで。
- 不明確なポイントは以下の2点。
- IBFやヒンメルが生体スキャンの範囲内に含まれているか。
- プレイヤー(BW)、製作者(偏在するココ)、空が生体スキャンの数に含まれているか。
※BW現象は熱を持って発生することが確認されている(偏在ココが遺跡に現れるときにそのような表記あり)ため、生体スキャンにカウントされる可能性がある。- カウント対象となりうる存在は以下の通り。
- 2017年:確定→つぐみ、ココ、優春、武、桑古木。不確定→田中陽一(ヒンメル)空、BW、偏在ココ
- 2034年:確定→つぐみ、優秋、沙羅、桑古木、ホクト。不確定→空、BW、偏在ココ
- 2034年:2パターンあり。
歴史改変前:確定→つぐみ、優秋、沙羅、桑古木、ホクト。不確定→空、BW、偏在ココ
歴史改変後:確定→つぐみ、優秋、沙羅、桑古木、ホクト。不確定→武(IBF)、ココ(IBF)、空、BW、偏在ココ- ピピは機械であるため生体スキャン対象外。チャミは除外して解説。(入れると数がオーバ)
- A 少年視点2034年での生体反応5〜7について
- シナリオラストでの生体反応1について、2034年においてはココと武は「共に生きている(冬眠している)」か、「共に死んでいる」かのどちらか。Aにおいてはココも武も「共に死んでいる」のだが、いずれにしても1になることはない。よって、シナリオラストでの生体反応1とはプレイヤー(BW)のことを指す。
そもそも誰もいないはずの中央制御室を「見る」ことの出来る視点が中央制御室にある、ということは、BW(プレイヤーの視点)が中央制御室に発現していることを意味する。偏在ココ(製作者)と考えるのも一つの手だが、ココが実体化していない状態なので、BWと考えた方がよいと思われる。よって、BWや偏在ココはカウント対象になりうる。- 次に生体反応5〜7については空がカウント対象と考えると5〜8の間で変動しなければならない。よって、空はカウント対象外。以上より、Aにおける生体反応5〜7 = つぐみ、優秋、沙羅、桑古木、ホクト、BW、偏在ココ。
- B ココ編2034年での生体反応5〜7について
- 2034年においては、ココと武は「共に生きている(冬眠している)」か、「共に死んでいる」かのどちらかであるが、どちらを仮定しても結論は同じになる。
- ココが生きている場合
IBFのココが生体スキャンに含まれている場合、武も含まれるはずなのでつぐみ、沙羅、秋優、ホクト、桑古木、武、ココの7人もしくはそれ以上の値で停止するはず。よって、IBFは生体スキャン範囲外である。よって、Bにおける生体反応5〜7 = つぐみ、優秋、沙羅、桑古木、ホクト、BW、偏在ココ- ココが生きていない場合(歴史改変前であると考えた場合)
この場合は、IBFが生体スキャン範囲内であるか否かは不明だが、IBFに生存者はいない。よって、Bにおける生体反応5〜7 = つぐみ、優秋、沙羅、桑古木、ホクト、BW、偏在ココ- @ 武視点2017年での生体反応5〜7について
- 先に、シナリオラストでの生体反応1について考える。
ゲームのラストではココがIBFに生存しているが、Aを考慮するとこの生体反応1はBWであると考えるのが妥当。よって、IBF(下層部)は生体スキャン範囲外。- 次に、生体反応5〜7について。
Bから空もスキャン範囲外。ヒンメル(田中陽一)がスキャン範囲内に含まれると考えると、生体反応は6〜7もしくは8で変動しなければならない。よって、ヒンメルもスキャン範囲外。よって、@における生体反応5〜7 = つぐみ、ココ、優春、武、桑古木、BW、偏在ココ。- まとめると、以下の通り。
- IBFやヒンメルは生体スキャンの範囲外。
- プレイヤー(BW)、製作者(偏在するココ)は生体スキャンに含まれる。ただし値は不安定。
- 空は生体スキャンの数に含まれない。
- @の生体反応5〜7 = つぐみ、ココ、優春、武、桑古木、BW、偏在ココ
Aの生体反応5〜7 = つぐみ、優秋、沙羅、桑古木、ホクト、BW、偏在ココ
Bの生体反応5〜7 = つぐみ、優秋、沙羅、桑古木、ホクト、BW、偏在ココ
@、Aのラストの生体反応1 = 中央制御室に出現したBW
※mailto:akane@pasteltown.sakura.ne.jp (まちばりあかね☆)