Last Update 2001/09/08 ver.0.21
なぜ八百比丘尼があのような形で高野山に封じられているのか、また神奈がなぜ朝廷に囲われているのかについて、詳細はゲーム中では語られておらず、また語られている範囲も風聞という形で相互に矛盾する内容もあって定かではありません。推測ですが、おそらく以下のような理由だったのではないかと思います。
翼人はもともと人知を超える力を持つ者として人々から崇められていましたが、朝廷はいつからか、強大な力を持つ翼人を捕らえて、戦の兵器として利用していました。八百比丘尼も、産み落とした神奈を人質に取られ、戦をすることを強要されていた翼人の一人。八百比丘尼にとって、翼人の能力(それは翼人の記憶でもある)とは戦の道具として使われる、忌むべきものであったはずです。八百比丘尼が自分の娘に「神などなし」と名付けたその理由は、おそらく代々の翼人がその能力ゆえに人間に戦の道具として使われてしまっている、その悲しい運命を指して付けた名前だったのでしょう。
朝廷が藤原家派と花山法皇派に分かれており、奈良の金剛峰寺が花山法皇派に属していると考えると神奈たちを取り巻いていた環境が理解できるでしょう。花山法皇は神奈を使って八百比丘尼に戦を強いることによってその権力を維持していましたが、藤原家はまずその鍵となる神奈を奪います。これにより花山法皇の絶対的な力を失わせることに成功しますが、このままではまだ神奈を取り戻される危険性があります。かといって金剛峰寺に捕らえられている八百比丘尼までをも手中に入れることは難しく、両者の争いは一種のこう着状態に陥ります。
これを打破するために藤原家の一派は『翼人という存在』そのものをこの世から消滅させ、花山法皇の逆転の芽を完全に潰そうと策略します。無論、藤原家の一派が直接手を下すことはせず、東国から軍勢を呼び寄せて神奈と八百比丘尼の両方を消滅させ、さらには「人心と交わり、悪鬼と成り果てた」との噂を流布させることにより、人々の翼人に対する同情心を封じ込めようと画策します。神奈や柳也、裏葉たちはこうした策謀に翻弄されていくことになります。
八百比丘尼は度重なる戦の結果、もはや神奈と逢うことが出来ない穢れた身体になってしまっていました。度重なる戦で殺めた亡霊はすべて八百比丘尼に群がる。そうした結果、亡霊は呪いとして八百比丘尼にどんどん蓄積され、八百比丘尼の身体は穢れていきます。その呪いはおそらくは直接的に八百比丘尼を取り殺そうというものであったはずですが、おそらく八百比丘尼は翼人の能力を使ってその蓄積された呪いによって自らが死ぬことを食い止めていたのでしょう。もし翼人の能力を持たない神奈に八百比丘尼の呪いの一部が流れてしまえば、神奈はあっさりと呪いにより取り殺されてしまいます。
望まぬ戦に力を貸さなければならない元凶である、翼人の力。神奈が戦争の道具として使われないためには、神奈に翼人の能力を与えない(記憶を引き継がせない)ことが必要です。八百比丘尼が神奈に逢い、穢れた身体に触れてしまうことで神奈に呪いが流れてしまうと、守る術を持たない神奈は取り殺されてしまう。かといってもし今自ら命を絶てば、翼人としての力を持たない神奈が殺されるのは必至であり、それも出来ない。結局、娘の幸せを願う八百比丘尼に残された道は神奈に自分の存在を知られずに、そして神奈がいつの日か何かの理由で解き放たれることを祈って、高野山でひっそりと朽ち果てていくことしかできなかったのです。それは、翼人という種が願っていた、「最後はどうか、幸せな記憶を……」という願いとはあまりに反する事実。八百比丘尼は娘を想い、幸せな記憶なく、自らが最後の翼人として翼人の記憶と共に朽ち果てていくことを選んだのです。
一方の神奈は物心付かないうちに母親から引き離され、社殿に囲われてきました。翼人であるが故に人々から畏怖の目で見られ、自由もなく異なる存在として一人で過ごしてきた神奈にとっては、姿も知らぬ想像の中の母親だけがぬくもりを与えてくれる存在。そんな神奈がつぶやいた言葉『逢いたい…』、その一言から、柳也と裏葉、神奈の3人の旅は始まります。そして道中、いつしか柳也は神奈にとって主従の関係から、かけがえの無い存在へと変わって行きます。
「これは命ではなく、余の願いである。柳也どの…死なないでほしい」
「ああ、約束する」
主従の誓いではない。神奈の心からの願い。
俺と神奈が交わした、はじめての約束。
しかしそれは、八百比丘尼のもとに辿り着いた後に起こる、悲しい結末により打ち砕かれることになります。
八百比丘尼の元に辿り着いた神奈の願いを聞き、そして柳也と裏葉の話を聞き、八百比丘尼は娘と時を共有することを選びます。
「それなら、わらわの心持ちはわかりますまい」
どんなに近くにいても、近くにいることは出来ても決して娘に触れることの出来ない八百比丘尼の想い。それでも神奈といることを八百比丘尼は選んだわけです。
八百比丘尼は吾妻人と朝廷(藤原家の一派)の両方に狙われることになりますが、八百比丘尼はその場で矢に進んで自らの身をさらして死のうとし、そして翼人の能力を使って回りの兵たちを一掃しようとします。すべての原因は八百比丘尼の翼人の能力にあり、自らが朽ちることで神奈たちが逃れることも出来るだろうと考えたためでしょう。ところがここで八百比丘尼にとっての誤算が生じます。
「触れては…なりません」
「…いやだっ! いやだいやだいやだっ!」
駄々っ子のように、激しく首を振る。
そして神奈は、母君の肩をしっかりと抱き起こした。
「ああ…」
血の気のない唇から、温かな息が漏れた。それは、哀切とも歓喜とも取れた。
抑えきれない想いで八百比丘尼に触れてしまった神奈。その瞬間、神奈には八百比丘尼の身体から亡霊の呪いが流れ込み、神奈は取り殺される運命となってしまう。その神奈を救うために、やむなく八百比丘尼は自分に蓄積された呪いごと翼人の記憶を神奈へと写します。
「母を、ゆるしてくださいね」
「これこそが、わらわたちの務めなのです…」
神奈はなにも答えなかった。
月光の中でまたたいた瞳が、途方に暮れているように見えた。
神奈もこの瞬間、母親がなぜ自分に触れてはならないと言っていたのか、その母親の想いもまた理解したのでしょう。そうして八百比丘尼は息を引き取ります。
朝廷の意図は神奈をも葬ることにあったため、さらに3人を追い詰めて行きます。そして神奈は母から受け継いだ翼人の能力を使い、空へと飛び立ちます。それは柳也を逃がすためでもあり、そして同時に柳也を、神奈が八百比丘尼から受け継いだ呪いから救うためであったのでしょう。神奈が柳也から離れ、一人で呪いを抱え込んで死ぬことができれば、柳也に呪いの影響が及ばずに済む、そう考えたからでしょう。
ところがまた、神奈にとっても誤算が生じます。朝廷は神奈に矢を射掛けて勢いを失わせ、さらに陰陽師の封術で神奈を空に封じてしまいます。そして高野の僧たちは悪鬼と成り果てた(=もはや自分たちにはコントロールできない)翼人を呪い殺すことを狙って呪いをかけました。そしてその呪いはあまりに強く、神奈の心を砕くことになります。
その結果、神奈は自らが抱え込むはずだった呪い(八百比丘尼から引き継いだ、亡霊による呪い)をコントロールできなくなり、神奈の想いを強く受け止めている柳也の身体に影響を与えていくことになります。
こののち、柳也と裏葉は西国にある方術師の一団を目指して西へと歩み、そこで神奈を救う方法を模索することになります。ここで、初めて輪廻転生という話が出てきますが、これについてゲーム全体を見ながら整理してみます。
まず、このゲームでの輪廻転生が一般的な輪廻転生と若干異なることは、観鈴やそらが前世の記憶を後天的に取り戻していくことからもお分かり頂けるかと思いますし、また、直接的な輪廻転生関係がなくても、翼人は祝詞により記憶を引き継ぐことができたり、また親子関係によって意志を継いでいくことができる、という描写がされています。
また、柳也と裏葉が神奈の輪廻転生に関して話す時に、
「神奈さまの魂は地上に戻り、輪廻(りんね)を繰り返すことになりましょう」
「人として輪廻転生すれば、呪いもそこで終わるはずだ」
といったことを語っており、これらから、別の種族への輪廻転生が存在すること、また同一種族でも魂が輪廻することがあり得ること、そして輪廻は繰り返されるものであることが示唆されます。つまり、人間であっても輪廻自体は存在する、ということです。
しかし通常の輪廻というのは、記憶を引き継ぐものではありません。つまり、仮に魂が引き継がれていても記憶や経験が全く引き継がれていないために、通常、前世を議論することにあまり意味がない(単に魂が使いまわされているに過ぎないため魂の同一性を議論しても意味がない)、ということになります。おそらく、特殊な事情がある場合(普通に死ぬことができなかった場合や、翼人の力を併用した場合)に限って、翼人の能力である記憶の引継ぎが輪廻に対しても適用され、魂と共に記憶が来世に引き継がれるのだと考えます。これが、神奈→観鈴と、往人→そらのケースです。
記憶が引き継がれない場合、記憶の入れ物としての魂のサイズが種族間で異なっていても(例えば翼人と人間、人間とカラスなど)、記憶の流れ込みによるオーバーフローと、それに伴う精神崩壊は発生しません。このため、普通に死に、土に還された八百丘比尼については記憶の引継ぎがないため、仮に八百丘比尼の魂が輪廻するとしても観鈴のようになることはない、と想像されます。
整理すると、
ということになります。記憶と魂と肉体の関係を例えて言うと、記憶は水、魂は多少の伸縮性のある水袋、肉体は体積が固定のプラスチック容器と捕えると分かりやすいでしょう。
具体例を挙げると、
と整理できます。結論の先書きになりますが、ラストの二人がどのキャラクターと輪廻関係にあるかについては、その部分だけを取り出して議論してもあまり意味がないと思われます。なぜなら、単純な輪廻関係(魂の使いまわし)だけであるなら前世の記憶もなく、意志の引継ぎもないため、前世が誰であるかということ自体はほとんど意味を持たないからです。つまり、輪廻関係の有無ではなく、記憶の引継ぎまたは意志の引継ぎがあったか否かを論じることが重要になります。この点については、最後で再び触れたいと思います。
柳也と裏葉は、神奈を救う方法について模索しますが、もともと神奈が救われなくなっている理由というのは神奈にかけられた呪いによるものでした。再整理すると、神奈の持つ呪いは3つあります。
このうち、1. や 3. の呪いというのは神奈が翼人であるために解くことができない呪いです。柳也は、
「人として輪廻転生すれば、呪いもそこで終わるはずだ」
と語っていますが、それは、知徳が
「本来、翼人とは無垢な魂を持つもの」
「人の身であればたやすく朽ちる呪いも、翼人の御身にはただ蓄えられるばかりとなりましょう」
と語るように、人にさえ輪廻転生できれば朽ちて解けるものだからです。ところが前述したように、空に残っている神奈の記憶(呪いをも含んでいる)が地上にいる輪廻転生先の人間に流れ込んでいく際に、人間の側のキャパシティが不足して死んでしまうために、結果として輪廻転生しきれず、また再び呪いと共に空に漂うことになる。それを繰り返してしまうために神奈は救われないわけです。
一度でも人間の状態を通過すれば、神奈の魂からは呪いが朽ちて癒されるにもかかわらずそれが出来ないジレンマ。柳也は、自分の代ではこの問題を解く解決方法を見つけることができずに、子孫を作り、子孫に神奈を救う願いを託すことになります。
柳也は翼人の力を使えないため、仮に輪廻していたとしても記憶を保つことができません。このため、柳也は裏葉の提案を受け入れ、裏葉と共に子供を作り、そして翼人伝を書き記すことにしたわけです。
「余の最後の命である」
「末永く」「幸せに」「暮らすのだぞ…」
あの晩、神奈が残した言葉。それは神奈の、かけがえのない人である柳也に対する本当の願いであったでしょう。そして柳也は失った神奈、そして空に囚われた神奈をなんとかするために、その後の一生を使うことになります。
裏葉は柳也に対して、自分を使って子供を残すことを提案します。それは柳也にとっては神奈を救える可能性を残せる唯一の方法。しかし、それは柳也から見た場合、自分の心は神奈に向いているにもかかわらず裏葉と結ばれるという、裏葉にとってこれ以上ない苦痛を伴わせる行為でもあるわけです。だから、ここまで裏葉に助けてもらってきた柳也もこの申し出には簡単に甘えることができなかったのです。
「それに、わたくしは嬉しいのです」
「柳也さまのお役に立てることが」
「神奈さまをお救いするお手伝いができることが…」
俺の目を正面から見据え、裏葉は切々と言葉を紡ぐ。
裏葉の無私の心には、これまで幾度となく助けられてきた。
しかし、今度ばかりはそう簡単にすがるわけにはいかない。
躊躇する柳也に対して、裏葉はもう一つの理由を出します。
「ただ…どうかお考えになってください」
「神奈さまも柳也さまもお側になく、この身ひとつで余生が果てるのを待つ…」
「あまりにも、酷な仕打ちでございます」
「せめて忘れ形見を、わたくしにお授けくださいませ…」
この言葉は、柳也の良心による逃げ道を敢えて塞ぐ言葉であり、それを比喩して柳也は
「おまえは本当に、卑怯なやつだよな」
と語ります。しかし柳也にとっては、子供を残すことが、柳也の想う神奈を救うためであることは避けようのない事実。だから柳也はその交換条件として、
「ただし、ひとつだけ条件がある」
「俺は残りの時のすべてを、おまえのために使う」
「それでいいな?」
と語るのです。裏葉のために時間を使うのも、神奈を救うための裏葉の犠牲に対する代償であり、柳也は最後まで神奈のために一生を過ごしたのです。
そして裏葉と残された時を過ごし、約束と共に最後の最後まで自ら神奈の話を切り出さなかった柳也は、ついに最後の日……夏を目前にした日に、外で神奈の話を裏葉と共にします。
俺たちが見つけられなかった道さえ、辿れるのかもしれない。
鼓動が高鳴るのを感じた。
この丘の向こうには、何があるんだろう?
子供のころ、旅空の下で感じたあの気持ちが、入道雲のように沸きあがってくる。
時を越えてさえ、俺は旅を続けることができる。
かけがえのない翼に、ふたたび巡り会うための旅を。
これ以上、望むものはない。
思い残すことは、もうなにもない。
柳也のしたことはすべては神奈のために。すべてをやり終えて最後を待ちます。そして、最後にそれを側でずっと助けてくれた裏葉……自分のために自分のすべてのわがままを受け入れてくれた裏葉に、柳也は最後の頼みとしてこう語りかけます。
「ひとつだけ、聞いてくれないか?」
「すべてを忘れて…幸せになっても、いいんだ」
「神奈のことは、忘れていいんだ」
「俺のことも、忘れて、いいんだ…」
裏葉の言葉は強い否定の言葉。そして、強く握り返される手。
指先から伝わってくるもの。
溢れるほどの想い。
だから、俺は己に問う。
俺は頑張れただろうか?
俺は幸せに暮らせただろうか?
柳也は、最後に自分に問い掛けるのです。神奈のために費やした自分の一生を振り返り、頑張れただろうか、幸せに暮らせたのだろうか、と。そして最後に気付くのです。
そして、気づいた。
その答えは初めから、ここにあったのだ、と。
神奈に向かって自分の一生を費やしたはずだったのに、本当はそうではなかったことに。
「…そう…か…」
「それでこそ…俺の…連れ添い…だ…」
柳也にとっての連れ添いとなるべき人は神奈ではなく裏葉であったことに最後に気づくのです。柳也にとってのゴールは、神奈ではなく、裏葉であったことに。
だからあの世では、柳也は裏葉と共に、神奈の待つ空の向こうへと消えていくのです。
そして物語は、DREAM編へとつながっていきます。柳也のセリフに対する裏葉の最後の返答である、
「わたくしは、ひとりではございません」
「神奈さまと柳也さまが、これからもおそばで導いてくださいます」
「産まれてくる子もおります」
「わたくしは幸せでございます」
「これからも末永く、幸せに暮らしとうございます」
というところから、裏葉は柳也の願いの通り、生まれてくる子に法術を教え、そして翼人伝を継いでいったと思われます。それが、残された裏葉にとっては柳也そのものだからです。最後に裏葉がどのように死んでいったのかについては語られていませんが、最後の法術を人形に篭めるために消滅したとも捕えられるでしょう。いずれにせよ、柳也の意志は代々受け継がれ、そしてついに1000回目の夏、DREAM編の往人に受け継がれることになります。
神奈が人間へ輪廻転生する先として生まれた観鈴は、翼人の持つ特性の一つである記憶の引継ぎにより、空にある神奈の記憶を少しずつ、後天的に受け取っていくことになります。そらが往人の記憶を思い出していくのが観鈴を看取る時であったり、また観鈴が癇癪を起こすときが友達が出来そうになったりするときだったりすることを考えると、前世と似たようなシチュエーションに置かれた場合や、前世の琴線に触れる状況に置かれた場合に記憶が流れ込んでくる、と考えられます。(またこれに加えて、夢でも非常に多くの記憶を受け取ります。)
つまり、観鈴の癇癪というのは、観鈴にとって大切な人(友達であったり家族であったりする)が出来そうになると、心を壊された神奈が空で見続けた記憶、すなわち柳也が死につづける記憶を受け取るために起こっていると考えられます。
そのため観鈴は本当の両親からも扱いに困られ、大都市のような大勢の人の中にいられないことが原因だと考えた郁子と敬介は、静かな田舎町で健やかに育ってくれることを願い、晴子に観鈴を預けます。それは晴子にとっても望まなかったこと、そして観鈴にとっても傷を作ることでした。
「晴子叔母さんは嫌がったけど…結局わたしはここで暮らすことになった」
「でも、晴子さんには自分の生活があったから…ひとつ屋根の下だけど、別々に暮らしてるの」
「わたし、本当に邪魔者だから…ずっと晴子叔母さんにも迷惑かけ続けてる」
「だから、何も言わない。贅沢とか…迷惑かけないように、ひとりで遊んでたの」
真実はAIR編にて語られますが、終業式の前日、観鈴はひとりぼっちの夏休みにならないよう、勇気を出してみんなにお願いして回ります。ところがことごとく断られ、自分の癇癪を知っているせいだと自分を苛み、そして諦めます。本当は、小さな静かな田舎町だからこそ健やかに育ってくれるはずと願って送られたこの町だったのにもかかわらず、実際には小さな町ゆえに観鈴の癇癪はみんなに知られてしまっており、気持ち悪がって観鈴に近づこうとしないのです。
そんなとき、諦めかけていた観鈴の前に現れた、この町の者ではない青年、それが往人でした。往人は端から見ればどう見ても人相の悪い、とても好かれそうにはないタイプの人。それにもかかわらず、観鈴はもう一度だけ、と勇気を振り絞って無理に明るく取り繕って往人に語りかけます。
「それで…もし…いいひとそうだったら、わたし、遊ぼうって誘ってみる」
「それで、もう一度だけがんばってみる」
「ほかの人と一緒にいられるようにがんばってみる」
「そうしても、いいよね」
「こんにちはっ」
「でっかいおむすびですねっ」
「飲み物なくて、大丈夫ですかっ」
初めはヘンな女の子と感じた往人も、次第に母親に封印された記憶を少しずつ取り戻し、観鈴が自らが探していた空の上の少女ではないかと思い始めます。
しかし結局は観鈴は癇癪を起こし、さらには癇癪を二人で乗り越えたことから、二人の身体は一気に悪化の一途を辿ります。ここで、観鈴が病んでいくのと往人が病んでいく症状は比較的良く似ていますが、身体を病ませる原因となる事情はそれぞれ異なっています。
まず観鈴の身体が壊れていくのは、柳也や裏葉が語っていた通り、神奈の魂(記憶)を観鈴の人間の身体では受け取りきれないためです。そのため、夢を見ることを通して記憶を受け取っていくにつれて、二つの症状を引き起こします。一つは肉体の崩壊。それは、観鈴の身体が動けなくなったり、あるはずのない羽の痛みを感じたりすること。そしてもう一つは人間としての精神の崩壊。最後が近づくにつれて、それまで過ごしてきた晴子との生活の記憶を失っていくことです。
それに対して往人の身体が病んでいくのは、空にいる神奈からの影響を往人の血筋によって受け取ってしまうためでしょう。神奈にかけられた呪いというのは、人間の身体に入ればたやすく朽ちる呪いでした。つまり、往人は観鈴に流れ込んだ後の魂(記憶)から直接に呪いの影響を受けているのではなく、空から観鈴に流れ込んでくる途中の神奈の記憶から呪いの影響を受けているのだと考えられます。神奈の呪いは柳也や裏葉たちに降り注ぐもの。二人の晩を境に観鈴は一気に記憶を取り戻していき(つまり神奈の記憶が非常に多く流れ込んでくるようになり)、集まってくる神奈の記憶から柳也の血は強く呪いの影響を受けるようになり、往人は一気に病んでいくことになります。(AIR編で晴子が観鈴に心を寄せているにもかかわらず呪いの影響を受けないのは、神奈と晴子の間に関係がないためであり、また観鈴と離れる、つまり観鈴に流れ込んで来る神奈の魂から物理的に距離を取ることによって呪いの症状が緩和されるのもこのためです。)
しかし、観鈴と往人はその症状が似ていたために、そして往人が母親から聞かされていた言葉「二人の心が近づけば、二人とも病んでしまう」というところから誤解をしてしまいます。往人は自分が観鈴の近くにいるから観鈴の症状を進行させているのだと思い込むのです。そのため、往人は観鈴の気持ちを知りながらも観鈴を生き長らえさせるために自ら観鈴の元を離れます。それが、観鈴にとってのさらなる悲しみを引き起こすことを知りながら。
そしてバス停で空を見上げた往人は、母と旅に出た時を思い返し、その記憶を取り戻して行きます。ここで語られる、往人の母の想い。往人の母親は、柳也の一族に課せられた運命を背負ってずっと生きてきました。しかしそれは、柳也の一族にとっても救われぬ無限の繰り返しであったことは言うまでもありません。法力が衰える前に、次の世代に希望を繋ぐため、人形に力を封じ込めてきた一族。往人の母親もまた、そうしていつか誰かが願いを解き放つ時のために、願いの一つとなって人形に還ったわけです。
しかし往人の母親もまた、神奈の母親と同様、自分の息子にその悲しい宿命を背負わせることを望みませんでした。往人の母親があの夏の焚き火で翼人伝を焼き払ったのかどうかは定かではありませんが、少なくとも往人の記憶を消し、そして違う道を歩んでも良いようにしました。おそらく、柳也の血筋と神奈の魂とが引き合う以上、いつかは思い出す時が来る。それでもそのときまでは、宿命のない自分の人生を歩めるように。そして、往人が本当にその女の子を助けたいと思ったときに手助けとなるように、人形に蓄積された願いを解き放つ方法を往人に教えるのです。
そして往人は思い出すのです。自分が旅に出た、本当の理由を。
俺は見つけていた。あの日、失ったもの。
あの日から、それを探すために生きてきて、そして、それを見つけていた。
俺はただ、笑ってくれる誰かがそばにいればよかった。
俺はそうして、ひとを幸せにしたかった。自分の力で、誰かを幸せにしたかった。
そうしていれば、よかったんだ。
ずっと探していたものとは、そんなありふれたものだったんだ。
あいつはいつだって、俺のそばで笑っていてくれたのに。なのに今、俺はそれをなくそうとしている。
いつだって俺は気づくのが遅すぎる。また失ってしまうのだろうか。
往人は人形に心を籠めることを思い出し、そして観鈴の元へと戻ります。一度は逃げ出した観鈴の元へ。神奈の魂の呪いから逃れて症状が良くなった往人とは違い、観鈴の症状は良くなるどころか完全に悪化してしまっていました。
「だから、俺はおまえのそばにいる。もうひとりで、夜を越えることもない。」
「俺がいるからな。俺が、笑わせ続けるから。」
「おまえが苦しいときだって俺が笑わせるから。」
「だから、おまえはずっと、俺の横で笑っていろ。」
「な、観鈴……」
しかし観鈴はもはや手遅れ、往人もまた観鈴と共に朽ち果てることを選びます。その後悔の念は人形に呼応し、そして往人は人形に心を籠めるのです。
俺はただ、こいつのそばにいたいだけなんだ。
ただもう一度、観鈴の側で穏やかな日々を過ごしたいだけなんだ。
ただ、観鈴を笑わせてやりたいだけなんだ。
もう一度…
もう一度だけやり直せるのなら。
そうすれば、俺は間違えずにそれを求められるから…
そして解放された人形の力と往人の想いと願いは、AIR編へと続いていきます。
歴代の法術師たちが力を封じていった人形は、二つの奇跡を引き起こしました。一つは、往人を観鈴のそばに居続けることの出来る「そら」に転生させ、そしてそらを最初の時点に連れ戻すこと。そしてもう一つは、観鈴のキャパシティを少しだけ増やしたことです。これにより、神奈の記憶を受け取りつづけて崩壊しかけた観鈴の身体は多少具合がよくなり、しばらく後にはふらつきながらも自動販売機にジュースを買いに行けるようになります。
もともと法術とは、人知の及ばぬ不思議な術であり、法術を持つ西国の寺院に翼人が住んでいたことからも、翼人が人間に与えた知恵の一つが法術であったと考えられます。ですから、法術の力が蓄積された人形により往人がそらとして転生できたことについてはある程度説明がつくかと思いますが、それ以外の部分については、歴代の法術師たちの思いが引き起こした奇跡と呼ぶ以外に説明は難しいと思います。いずれにせよ、往人が最後に願った、観鈴の側で健やかな日々を過ごし、もう一度やり直したいという思いはそらへの転生という奇跡を引き起こします。
AIR編では、そらという第三者の視点を用いて物語を描くことにより、DREAM編では隠されて見えなかった観鈴や晴子の思いといったものが解きほぐされていきます。中でも7/26の往人との言い争いの後の晴子の独白が、DREAM編で明かされなかった最も大きなセリフでしょう。苦しむ観鈴の話を往人から聞いてもそっけない態度を取らなければ晴子は自分を維持できないのです。
「あいつの言う通りや…実の親やないからとか…そんなん関係あらへん…」
「うちがあの子といたいだけや…一緒にいたいだけや…」
いつ連れ戻されるかも分からない観鈴、そして観鈴が癇癪を起こさないように距離を取る晴子。観鈴もまた、自分が厄介者として晴子に預けられたと思い込んでいることから晴子とは距離を取り、すべてがすれ違い。しかし、事情を知らないが故の往人の言葉は晴子に深く突き刺さり、観鈴の生まれの家である橘の家に行き、正式に観鈴を引き取れるようかけ合うわけです。
そして残された観鈴と往人は想いを重ね、そして往人は再び消滅し、そらと観鈴だけが残されます。
観鈴は往人が解放した人形の力により、キャパシティが少しだけ増加し、そして再び目を覚まします。しかしこのとき、観鈴はそらと共に、完全に一人で家に取り残されます。往人もいなくなり、晴子もいなくなり、何度起きても変わらない、誰も来ない部屋を前に、ついに彼女は悲しみをこらえきれなくなります。
「結局わたしが、がんばっても、人に迷惑かけるだけで、いいことなんてひとつもなかったんだ」
「わたしもあきらめていたらよかったんだ」
「ずっと…誰も好きにならずに、ひとりでいればよかったんだ」
「わたしだけが犠牲になればよかったんだ」
「わたしだけが不幸だったらよかったんだ」
「はぅっ…」
「うあぁぁーーーーーーーーーーーん…!」
ひとしきり泣いたのち、観鈴は諦めます。意味を見出せない自分の生に。頑張っても、何もないことに。そして、静かに死が訪れるのを待って寝入るのです。
そしてついに観鈴が苦しみ出し、最後の時を迎えようとするとき、そらは前世の記憶、往人であったときの記憶を思い出していきます。往人が観鈴を失った、あのときと似たシチュエーションを経験することによって。記憶を取り戻し、失っていく中で、往人はすでに法力のなくなった人形を使って観鈴をようやく笑わせるのです。そして往人という記憶が消えていく中で、今一度の奇跡が起こります。
大丈夫だよ、おまえは。おまえは、強い子だから…
十分強い子だから…それが取り柄だろ。な、観鈴。
だからきっと、辿り着ける。ふたりで目指したゴールに。
誰も辿り着けなかった…ゴールに。頑張れ、観鈴。
「往人さん…」「嫌だよ、ひとりにしたら…」
ああ。ずっと、近くにいるからな…俺は。ずっと、ずっと…いっしょだ。
だいじょうぶだ。絶対…わすれないから。みすずのにおい…温もり…笑顔。
離ればなれになることがあっても、それを目指して、俺は歩いていくから。
「いかないでよ、往人さぁん…」
人じゃなくなっても…どれだけ遠くなっても…ずっといっしょだから。いつまでも、いっしょだから…
…みすず。さようなら…
そしてついに人であったときの記憶を完全に失い、観鈴の元にはそらだけが残ります。往人のうち、観鈴のそばに居続けたいという、その強い思いだけが残ったそらが。
観鈴は、そらが往人の生まれ変わりであることを知ると同時に、もう往人がどこにもいないことを知ります。どこかにいるかもしれないという一縷の望みも絶たれ、二度と逢えないことも分かった観鈴。そして朝に再び目覚めたとき、観鈴はもう一度、往人のことを思い返すのです。なぜ往人が最後に現れたのかを。そらが往人でないことを知りながらも、観鈴は自分に問い掛けるように、そらへ語りかけます。
「ね、往人さん…往人さんは、最後にわたしのそばにいてくれたんだよね…」
「わたしのことを思って、いてくれたんだよね」
「最後にはやっぱり、戻ってきてくれて…がんばれって、わたしに何かをくれたんだよね」
「それは大切なものだから…すごく大切なものだから…」
「だからこんなことで諦めちゃダメだよね…」
「往人さん、わたし、ひとりでも、がんばれるかな」
「ひとりぼっちでも、がんばれるかな」
「がんばらないとダメだよね…」
「だから、あきらめたら、ダメだよね…」
「ひとりでも、がんばらないとダメだよね…」
往人が最後に観鈴に与えたもの。それはひとかけらの勇気、絶望の淵に沈んでいた観鈴を救うひと筋の光。そして観鈴は、もう一度この世界で最後を目指します。二人で目指したゴール、なぜ自分たちが悲しみを繰り返していくのか、その真実を確かめるということを。そしてその悲しみを終わらせ、次からは幸せになれるようにすることを。
確かに、観鈴が努力を決意しても、その終焉が死であることに変わりはありません。柳也と同じく、努力の果てのゴールが死であることは、最初から決定づけられているのです。それでもなお、観鈴はそこに自分が生きていく意義を見つけ出したのです。往人が残した想い、それと共にゴールを目指していくということに。一人きりでも、頑張っていこうと決意するのです。
ところが、誰にも迷惑をかけずに一人きりで頑張っていこうと決意した観鈴の元に再び晴子が戻ってきます。橘の家で無理矢理観鈴を引き取ることを承諾させ、そしてこれからは何があっても本当の親子として過ごそうと決意した晴子が。
そのことは、観鈴にとってはとてもつらいことでした。本当は心から望んでいた晴子との家族の暮らし。しかし自らが心を寄せれば晴子は往人と同じように病み、死んでいってしまう。往人に加えて晴子までをも失いたくない観鈴は、晴子の想いを喜びで受け止めながらも、晴子を突き放そうとします。
「お母さんのご飯、いつもおいしくない…だから、もう作ってくれなくていいよ」
「ひとりで作って、ひとりで食べるの…ずっとそうしてきたから、これからもそうするの…」
しかし、今まで十数年、抑えつづけてきた観鈴の想いは止めることができませんでした。
「お母さん…」
「うあぁーーーーんっ…!」
「うぁ…ごめんね、わたし…一緒にいたい」
「お母さんとふたりで生きていきたい」
観鈴はこのとき、どうやったら晴子を救うことができるのかを考えたことでしょう。そして出した結論が、「自分の夢を晴子にしゃべらない」ということ。夢が原因で自分が病んでいくこと、そして往人に夢を語っていたことから出した結論がそれだったのでしょう。
実際には、往人が病んでいったのは夢が原因ではなく、また晴子は柳也の血筋ではないため神奈の呪いから影響を受けることはなく、心を近づけても晴子に呪いが及ぶことはありませんでした。しかしそんなことを知らない観鈴は、晴子と一定の距離を保ちつつ、晴子と新しい生活を築いていくことを決意するのです。髪の毛を切り、新たな子供となった観鈴は、誰に向かってでもなく、こう語ります。
「また今日からがんばる、わたし」
「ここからスタートだね」
「ぶぃっ」
「にははっ」
と……そう、ゴールを目指して、ここからスタートするのです。
神奈の魂の記憶を、逃げることなく受け入れるようになった観鈴。観鈴は、母親と一緒に頑張っていく様子をそらへと語ることで、自分を勇気づけながら一歩ずつ進んでいきます。
ぽん、と僕の頭に手を置く。
「往人さん…わたしはまだ、夢を見てるよ」
「いろんなことわかってきた」
「夢はどんどん、昔にさかのぼってる」
独り言のように、彼女が喋っている。
「だから、もうすぐわかるよね…空のわたしが背負っているもの」
「そうすればきっと、その子を助けてあげられる」
「わたし、がんばるからね」
「お母さんと一緒に」
往人にもらった勇気と共に、そして晴子と一緒に観鈴はゴールを目指します。しかし同時に、観鈴の身体は間違いなく崩壊していきます。それと並行して起こる、生みの父親である敬介の登場。敬介は折に触れて観鈴の様子をこの町まで人知れず見に来ていたわけですが、留守の間に家で観鈴の話を取り付けられていたことを知り、晴子の元へと直接出向いてくるわけです。晴子は追い返すものの、不安になり観鈴に問い掛け、そして観鈴は答えます。
「わたしの本当の家は、ここ」
「家族って、そんなもんだと思う」
「一番、自分がいて、幸せな場所。そこがわたしの家」
「血が繋がってるかどうかなんて関係ないよ」
「わたしが一番いたい、この場所。ここがわたしの家」
「そして、ずっとそばにいてくれる人が、家族」
「だと思うよ」
お母さんがいて、そらがいる。それが観鈴にとっての家、そして家族。ところが、観鈴は神奈の記憶を受け取ることにより現世の記憶を崩壊させてしまいます。そして観鈴の様態を知った敬介は3日間の猶予を与え、晴子はその3日間でもう一度、母子というものを思い返すことになります。記憶のない観鈴、自分のことをおばさんと呼ぶ観鈴、言うことを聞かない観鈴を前に、晴子が望んだ最後の一日。それは、一緒に時を過ごすことでした。
「もう、うち贅沢言わへん」
「明日最後の一日や」
「一日中、ふたりで一緒にいよ」
「うちの希望はそれだけや」
「な、観鈴」
そして最後に晴子は、観鈴を連れて海へ行きます。二人で来ることが出来なかった海へ。晴子は自分の無力さも知り、母親というものの大きさも知った上で、敬介に観鈴を手渡します。しかし観鈴は心で覚えていました。自分が選びたい道、これからもずっと歩いていきたい道、その先にゴールがある道を。そして観鈴は、晴子とそらの待つ家族の元へと再び帰ってくるのです。
このとき、晴子の呼び方がママに変わるのも、昔と同じ状況に戻ったというのではなく、新しい家族を再構築したという意味合いが篭もった「ママ」なのでしょう。だから夏祭りでは、昔、果たすことができなかった恐竜の赤ちゃんを買うことを、もう一度やり直して、新しい形で経験するのです。
この夏祭りの夜、次に寝てしまったら自分は死ぬことを、観鈴は本能的に悟っていました。そのため、観鈴は疲れきった母親を寝かし、そして自らはこの夏の思い出を絵日記に綴ります。
実際にはこの夜、観鈴は起き続けていることができずに寝てしまい、観鈴は最後の夢(星が生まれた頃の最初の翼人の記憶)を見てしまいます。この夢を称して、観鈴は「かなしい夢」と言います。それは、この夢(エンディングで語られる、最初の翼人の語り)がすべての始まりであり、それによって翼人という種族に課せられた運命が分かったためでしょう。
最後まで夢を見切ったことによって、空にいた神奈の記憶はすべて観鈴に取り込まれ、神奈にかかっていたすべての呪いは消滅します。呪いが解けたことによって、空の少女である神奈は救われ、そして人間である観鈴を経由して輪廻が起こるため、もう二度と不幸が起こることもなくなります。しかしその代償として、観鈴の身体はもうもたず、観鈴の死が近づきます。
往人との約束を果たし、その努力の果てのゴールに待っているのは観鈴の死。それは避けようのない事実。そのゴールを、観鈴は晴子と共に、青空の下で迎えることを望みます。
しばらく風を受け続ける。
いつのまにか彼女の瞳が閉じていた。
安らかな顔だった。
それはすべてをやり終えた後のような。
そしてそんな中、そらは実感するのです。
子守歌のように、母親の声だけが心地よく聞こえてくる。
うとうとと、たゆたう。
その中で僕は感じていた。
僕たちは家族であるということ。
この中にいれば、ずっと安心できるのだということ。
観鈴は、そのゴールへ向けて一歩ずつ歩いていきます。
「ぜんぶ、した」
「なにもかも、やりとげた」
「もうじゅうぶんなぐらい…」
「この夏に一生ぶんの楽しさがつまってた」
「すごく楽しかった」
「もう一度だけがんばろうと決めたこの夏やすみ…」
「往人さんと出会ったあの日からはじまった、夏やすみ…」
「いろいろなことあったけど…」
「わたし…がんばって、よかった」
「つらかったり、苦しかったりしたけど…」
「でも…がんばって、よかった」
「ゴールは…幸せといっしょだったから」
「わたしのゴールは幸せといっしょだったから」
「ひとりきりじゃなかったから…」
神奈も、そして神奈の輪廻転生先となった少女たちも、皆、一人で不幸のうちに死んでいきました。しかし、観鈴のゴール、観鈴の死に場所は、ひとりきりではない。幸せといっしょなのです。
そしてついに辿り着いたゴール、それは観鈴の死。観鈴はそれをこう語ります。
「やった…」
「やっと…たどりついた」
「ずっと探してたばしょ…」
「幸せなばしょ…」
「ずっと、幸せなばしょ…」
神奈が、そして神奈の輪廻転生先となった少女たちが辿り着くことができず、そして観鈴自身もずっと探していた幸せな場所、ずっと幸せな場所。ささやかな幸せ、暖かな母のぬくもり、家族を掴み、観鈴は息を引き取るのです。
そして最後に、観鈴が残した絵日記がテロップと共に語られます。絵日記に描かれていたもの、それは観鈴と晴子とそら、そして恐竜のぬいぐるみでした。観鈴はそらが往人の生まれ変わりであることを知っていたにもかかわらず、そらを描きました。それは、観鈴が晴子と作った家族にいたのは、往人ではなくそらだったから。観鈴はこの夏を振り返って、「この夏に一生ぶんの楽しさがつまってた」と述懐しています。青空の曲をバックに流れるテロップ。それは、果たせなかった経験でもあり、晴子とそら、観鈴の3人の家族が果たした思いでもあるのです。
観鈴も柳也も、自分たちの努力の果てのゴールはいずれも死でした。しかし二人とも満足のうちに息を引き取るのです。それは、ゴールが避け難い死であっても、幸せと一緒だったから、一人きりではなかったからでしょう。
そして晴子もまた、時を経て新しい一歩を踏み出します。家族のすごさを知り、その幸せと辛さを身を持って知った者として、晴子は新たな道を選び、歩き出します。晴子が選んだ道、それは保育所で子供と接して生きていくこと。いろんな家族に囲まれ、学び、そして教えていくことを晴子は選びます。
自分が死ぬことを知りながら「これからはずっとおかあさんといっしょにいるの」と語った観鈴。それは、観鈴が晴子の中でいつまでも記憶や想いという形で一緒に居続ける、ということを言いたかったのでしょう。
しかし、そんな中で完全に取り残された存在がいます。それは、観鈴のそばにいたいという想いだけが残っているそらです。そらは、晴子に背を押され、空へ向かって飛び出します。すでにあの世に旅立ってしまった観鈴を追って。そしていつの日にか、観鈴を連れて地上に戻るために。
その無限へと還ってしまった少女。
今もひとりきりでいる少女。
だから僕は彼女を探し続ける旅に出る。
そして、いつの日か僕は彼女を連れて帰る。
新しい始まりを迎えるために。
飛べるだろうか。
彼女と一緒に飛ぼうとした空。
今も恐かったけど…
でも飛べる。
これは、往人が消え去ったDREAM編のラストと同じく、そらが空へと飛び立つという、物語の終焉の形の一つです。そらという立場からこの終焉を見れば、バッドエンディングでしかありません。果たしてその後、そらがどうなったのか? それは他のバッドエンディングと同じくゲーム中では語られておらず、いわばプレイヤーの想像に委ねられてはいます。しかし観鈴は確かに幸せのうちに息を引き取っており、仮に次に輪廻転生することがあったとしてもそれは記憶を引き継がない形での輪廻転生です。そらにとっての終焉がバッドエンドであっても、もはやそらが観鈴を連れて帰る、もしくは観鈴がその記憶を保ったまま地上のどこかに蘇り、そして幸せを掴むというような、「その後の幸せな物語」は有り得ないのです。
DREAM編のラストや他のバッドエンディングと同じように、このパラレルワールドではすべてがハッピーエンドを迎えることは残念ながらないのです。
しかし、これほどまでに観鈴とそらを苦しめた、翼人という存在は一体何だったのでしょうか? それが、最後のテロップの中で語られます。
この星はまだ、歩きはじめたばかり。
だから、わたしたちはここに生まれた。
つまり、それはこの星の記憶。
わたしたちは、星の記憶を司るものなのです。
翼人は、星の記憶を司るものとしてこの星に生まれました。それはなぜなら、星が彼らを必要としていたからです。地球に生まれる生命を育み、膨大な記憶の蓄積をもって、新しく生まれた種を導く存在。恐竜たちと同様、人類もまた翼人たちから知恵と知識を授けられ、そして育ってきたわけです。
時の流れに立ち向かえるほど、わたしたちは強くもありません。
わたしたちもいつの日か、滅びる時を迎えるでしょう。
それは、避けようのない結末。
ここで語られるように、翼人はいつしか過去の遺物として消え去らねばならない存在であるのかもしれません。時の流れに逆らるほど、強い存在ではないのでしょう。しかし、果たして人類という種が翼人を必要としなくなるほど賢い種として成長できたのかどうか、それは残念ながら疑わしいと言えます。実際、1000年前、人は翼人を戦の道具として使い、憎しみや争いで空を覆い尽くしたのですから。これでは、たとえ時の流れとして翼人が滅び去らねばならなくなったとしても、翼人は幸せに滅びていけるとはとても言い難いでしょう。
しかしその過ちから1000年、柳也と裏葉やその家系の子供たちは多くの犠牲を払い、ついに往人と観鈴により最後の翼人である神奈の呪いを浄化することが出来たわけです。
とはいえ、神奈の呪いが解けたとしても、もはや翼人は過去のものとして消え去っていくべき存在です。最後の翼人である神奈は、空へと霧散して消えていくときに、自分を救ってくれた観鈴に対してこう語ります。
別れの時が来ました。わたしは空に届けます。
この星の最初の記憶を。あなたと暮らした、幸せな日々の記憶を。
翼人である自分(神奈)が消え去るべき時が来ました。私(神奈)は空に届けます。
自分たち一族が紡いできた星の最初の記憶を。
そして、あなた(観鈴)に取り込まれて過ごした、幸せな日々の記憶までを。
悲しむことはありません。わたしはいつまでも、あなたと共にあるのです。
雨粒が大河となり、そして海に集まるように…
1000年の時をかけて、ようやく解放された私がこうしてすぐに霧散していくことを悲しまないで下さい。
翼人という存在は確かに消え去っていきますが、私はいつまでも、あなたと共にあるのです。
私が空に霧散したとしても、それが雨粒となり、雨粒が大河となり、そして海に集まり、
それを元に、母なる海が新たな生命を育んでいくのですから。
だから…あなたには、あなたの幸せを。
その翼に、宿しますように。
だから、翼人という存在は消え去り、この星の未来はあなたたち人類に託します。
翼なき存在である人類にも、もう翼人と同じように、自分たちだけで進んでいくための翼(意志)があるのです。
だから、あなた(観鈴)も、あなたの幸せを、その自分の翼に宿して生きていってください。
そして神奈は、幸せな記憶の彼方へと消え去って行きます。太古の地球の姿のイラスト……それは翼人一族が記憶を紡ぎ始めた最初の時の記憶であり、そして霧散していく神奈がこれから過ごしていく記憶の空間(いわば神奈にとっての「あの世」)でもあります。そこへ神奈は飛び立っていくのです。
こうして、翼人という存在はついに終焉を迎えることになります。
ところで、DREAM編、AIR編、このグランドフィナーレの3つを比較してみて頂きたいのですが、この3つはごくわずかずつながらも変化をしていっています。DREAM編では、観鈴はそらに逃げられてしまっており、またAIR編のときにいたそらは、堤防に腰掛けている観鈴のそばにはいません。なぜでしょうか? これは、この3つの世界がそれぞれパラレルワールドのためだと考えられます。さらにこれらのパラレルワールドは単純なパラレルワールドというわけではなく、さらに1レベル上の大きな時間軸の上で連続していて、何らかのはずみで再び元の時間に戻る。そういう構造になっているのでしょう。具体的には、DREAM編からAIR編への時間シフトは往人の解放した法力が時間軸に影響を与えて見かけ上の時間がAIR編の最初の時間へと変化します。そしてAIR編からグランドフィナーレへは神奈の消滅が影響を与えて同じようなことが起こったと考えられます。
そしてすべての物語の最後、グランドフィナーレでは、翼人である神奈という存在が消滅したかわりに、翼人を不要として新たに生まれた人類……いわば新人類とでも呼ぶべき存在が、母なる海から生まれ立ちます。
波の音…。
潮の匂い…。
いつから僕はここに立っていたのか…。
いつから立っていたのか……少年には分かりません。急に意識が浮上してきたのですから。しかし確かに、翼人という存在を必要としない人類が新たに地上に降り立ったのです。少年と少女……いわば新人類のアダムとイブが。
彼らが、翼人という存在から地球の記憶を引き継いだのかどうか、それは定かではありません。彼らはおそらく元々はただの子供だったでしょうから、記憶のすべてを引き継ぐことは不可能だったでしょう。しかし彼らは翼人が残した最も大切なものを引き継いでいます。彼らはこう語ります。
「じゃあ、その前に確かめにいこうか」
「この海岸線の先に、なにがあるのか」
「わたし、そんなこと言ったっけ…」
「言っていないかもしれない。でも、そう思ってると思ったんだ」
「そうだね…確かめてみたい」
翼人がいなくなった今、すなわち種の進化を促進する存在がいなくなった今、新人類である彼らは本能的に知っているのです。何をすべきかを。見えない海岸線の先を確かめに行くこと、すなわち先の見えない未来へと進んでいくということを。
つまり翼人が最後に残したもの、神奈が「わたしはいつまでも、あなたと共にあるのです」と語って残したもの、それは明日へと踏み出す足先、無限に続く道の終わりを目指す力、進化していく力、成長していく力、意志なのです。
ではなぜ、海岸に立った二人はこんな言葉を観鈴と往人に残したのでしょうか?
このグランドフィナーレは、DREAM編→AIR編の関係と同じように、AIR編の終了後、翼人という存在がなくなり、人類(及び翼人の意思を引き継いだ新人類)のみによって新たに紡がれていく世界の始まりを表しています。
しかし、果たしてこの『始まり』というのは観鈴たちにとって本当に幸せな始まりだと言えるのでしょうか? 例えば観鈴は、AIR編のパラレルワールドで、確かに幸せのうちに息を引き取り、安らかに眠ったのです。それを再び引きずり出して生き返らせたグランドフィナーレでは、いくら翼人の呪いがなくなり神奈の記憶の引継ぎによる苦しみがなくなったとしても、本当に幸せになれるのかどうか……AIR編のラストで観鈴が感じたような幸せな結末を迎えられるのか、定かではないはずなのです。
だから、彼らは語るのです。
彼らには、過酷な日々を。
そして僕らには始まりを。
往人と観鈴には、もう一度、再び幸せを掴むために過酷な日々を過ごさなければならないことを。そして、全く新たなスタートを切る自分たちには、全く新しい始まりが待ち受けていることを。
この結末は、先ほど述べたように、視点によっては必ずしもハッピーエンドとは言えない内容ではあります。さらにはこれから先、観鈴と往人がもう一度やり直した結果がバッドエンドになる可能性も十二分にあり得ます。新たな人類として生まれた少年少女もまた、「僕らには始まりを」と言っているのであって、その結末が幸せである(「僕らには幸せを」)とは言っていません。そんなことは言えるはずもないのです。未来は分からないのですから。
しかし、翼人という存在がなくなった新しい始まり、全く新しい再スタートにおいては、『未来へ希望をつなげること』それこそがハッピーエンドなのではないでしょうか。逆説的な言い方をすれば、バッドエンドになる可能性もある、それもまたハッピーなことなのではないでしょうか。人は、まだ見えぬ明日、未来へと希望をつないでいくものであり、明日が見えないからこそ幸せをまた幸せと感じられるものではないでしょうか。
未来永劫、幸せであることを約束された未来と、未来永劫、幸せであるとは保証されていない未来。あなたならどちらを選ぶでしょうか?
『可能性』……未来へ希望をつなげること、それがAIRの提示したハッピーエンドなのかもしれません。
最後に、物語はプレイヤーを少年の視点として描いて締めくくられます。すべてのキャラクターたちは皆、あるべきところに戻っていきました。柳也と裏葉は空の向こう(あの世)へと旅立って行き、神奈はその使命を終えて空(記憶)へと還ってゆき、観鈴と往人(そら)は堤防の上へと戻ります。
女の人が僕らに気づき、手を振っていた。
僕は手を振り返す。
すでに翼人という存在がなくなり、皆、自分たちだけで歩いて(成長して)いかなければならなくなった。観鈴や往人、そして少年と少女の先に待つものが何かは分からない。そんな観鈴と少年との間で交わされるエールとして、お互いが手を振ります。
そして、自らの力で成長していこうという者の決意と、別々の道を歩いていく決意としての別れの言葉。
下ろした手を固く握る。
ただ、一度、僕は振り返り呟いた。
その言葉は潮風にさらわれ、消えゆく。
「さようなら」
AIRという作品でパラレルワールドを使って展開された物語は一つの夢のようなもの。最後には、皆が新しい一歩を踏み出していきました。
『まぶたの裏に描きはじめた絵は霞んで 手のひらでこすっても
いつか見えた優しさはもうない ひとり踏み出す足だけ見てる』
そして無限の終わりを目指す少年と少女は、置いていくすべてのもの(ゲーム中で出会った観鈴や往人たち)を思い出として心に刻んで、新しい世界へと旅立って行くのです。
『そう終りは別れとあるものだからすべて置いていく
朝には日差しの中 新しい歌、口ずさんでる』
新しい可能性を求めて、そして終わることのない可能性の果て、無限の終わりを目指して……
※mailto:akane@pasteltown.sakura.ne.jp (まちばりあかね☆)