過去の雑記 2003年4月〜6月



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2003/04/14(月)

■ TYPE-MOON 商業ベースへ移行

 おそらくこのサイトをご覧になっている方々であれば周知の事実だと思うが、月姫を制作した同人サークル TYPE-MOON が 4/29 の C レヴォを最後に商業ベースへ移行するそうだ。

 少し Web を見回ってみたが、すでにこの件に関しては様々な憶測も流れているようだ。資産が 1000 万円を超えたとか税金対策とかその他もろもろ。アニメ化やグッズ化を始めとしてすでに同人と呼べる活動の域を超えた現状においては、財務や法務などのオペレーション系業務が個人で賄える範囲を超えていることは想像に容易い。これらがかえって制作の足枷になるのであれば、商業ベースへ移行する(すなわち会社という形態により組織だった動きを取る)ことによって中核メンバが作品制作に専念できる足場を固めた方がよいというのは非常に納得できる話であろう。

 TYPE-MOON の商業化は概ね好意的に受け止められているようだが、商業化でダメになると見ている方々も一部にはいるようだ。もちろん結果的にどうなるのかは「神のみぞ知る」わけだが、私はこの商業化は概ね成功するだろうと思っている。理由は二つ。一つは奈須氏や竹内氏を始めとする優秀なスタッフ陣(※ここで言う優秀とはよい作品を作れるという意味だけではなく、もっと一般的な意味での頭の良さを含む)、もう一つは商業化という行為が『必然的な帰結』として発生していることだ。

 前者については特に述べるまでもないと思うので後者について。一般的に「会社」という組織は利益を出さねばならない。この点はおそらく異論はないだろうし、またこれは趣味として行われる同人活動との大きな違いである。しかしここで注意しなければならないのは、「会社という組織が利潤を出すことを第一義として存在しているとは限らない」という点である。真に優れた組織にとっては、利潤追求は組織存在の前提条件ではあっても目的にはならない。別の目的(ビジョン)を目指した結果として付随的に発生するものが利潤であることが望ましい。TYPE-MOON を例に取って言えば、『月姫』のような自分たちの目指す作品を作り上げてプレイヤーたちの期待に応えること、おそらくそれが第一義であり、その結果として利潤がついてきている、というわけだ。

 では今回の商業化の場合はどうか。彼らの目的が会社設立そのものにも、ましてや IPO (株式公開)による利潤追求にもないことは明らかだ。会社という組織を作ることが「手段」なのか「目的」なのか。もし「手段」であるのなら本当の「目的」は何なのか。タテマエはともかく「一山作りたい」「自分の城を作りたい」ということが裏の、そして真の目的となってしまっている社長さんなどは往々にして多いだろうが、より良い作品を作るため、プレイヤーの期待に応える作品を作るため、作品に対する「想い」や「熱量」をぶつけられるベストな環境を求めていった『必然的帰結』が商業化であったとしたなら、これほど健全で前向きなことはない。いや、会社のような組織の設立は本来こうあるべきなのだ、と言ってもよいのではないだろうか。

 もちろん商業化によって「趣味」と「仕事」の境界という一線を超えているのは事実ではあろうが、彼らの場合は趣味だろうと仕事だろうと情熱が変わるわけでもなければ取り組む姿勢が変わるわけでもないと思う。というか、そうでもなければ『月姫』のような作品が現れることはなかったはずだと思うのだ。

 今回の決断の是非は短期的には Fate/stay night の出来の良し悪しで評価されるだろうが、長期的には彼らが今持っているような情熱と実力をいつまで保ちつづけられるかによって問われることになるだろう。商業化をするという決断は、いわばその終わりなき道を突き進んでいくという意志表示なのではないだろうか。スモールスタートはおろか、設立当初からこれだけの重荷を背負ってスタートするというのは並大抵のことではない。その勇気ある一歩を踏み出した TYPE-MOON に敬意を表すると共に、商業化しようともこれからも変わらず TYPE-MOON のスタッフ陣を応援しつづけたい。

2003/04/24(木)

■ アニメ版 成恵の世界

 これを「参りました」と言わずしてなんと言おうか。今クールスタートのアニメ版『成恵の世界』、これはかなりのヒット作品だ(注:あくまで私にとって、であるが(爆))。原作は傑作というほどの輝きを持っていなかったのだが、アニメ版になって大化けしたとしか言いようがない。見事な仕上がりだ(注:正確には「見事なダメっぷりだ」かもしれないが(^^;))。

 原作と見違えるまでの作品になった理由は様々にあろうが、ややギャグに偏りがちな原作を綺麗に再整理し、見事なまでにベタベタな初恋ものに持ち込んだのが勝因のように思える。とてつもなく所帯じみていつつも他者への依存性が少なく、いわば良妻の代表格とでも言うべき性格の持ち主。それでいながら少女らしい魅力も垣間見せる成恵のキャラクター造形。この造形は原作のようなコメディ寄りの路線よりもむしろ初恋ものとしての純粋さを持ったシナリオ展開において強烈な魅力を見せる。原作はそうしたベタな初恋な展開をギャグで回避している感がややあるが、アニメ版は逃げることなく直球勝負で挑んでいる。つまり混沌とした「ラブコメ」にしてしまうのではなく、「コメディ」要素を入れつつもしっかりと「初恋」要素を前面に出してメリハリをつけた作りをしていくことにより、キャラの持つ本来の魅力を見せることに成功しているのだ。これは実に見事。この身をよじるような恥ずかしさ、これはまさに見ていてたまらないと言えよう……っていろいろ理屈くっつけて言ってるけど、要するにツボなんですよ、このアニメ版(爆)。

 考えてみるとこうした直球勝負の初恋物語は最近かなり減っている。敢えて改めて言うまでもないだろうが、例えば藍青にしろまほろにしろシスプリにしろ、昨今粗製濫造されている駄目アニメ(注:見ている人間が「駄目」になるアニメ(^^;))は基本的にヒロインがキャラとして自立していない。主人公への依存を前提として成立するキャラであり、その前提で成立する物語なわけだ。これではまともな初恋物語が描けようはずもないだろう。成恵はそうした依存を前提に成り立つキャラではないし、和人も成恵も弱さを持っていても弱さを見せることで成立しているキャラではない。要はごく自然なキャラクター造形であり、だからこそこの作品は成立する。もっともこれは一昔前のヒロインのデフォルトフォーマットであり、今改めて見てみるとかえって新鮮味があるというのもなんとも先祖返りで複雑な感はあるが……。

 キャラ造形だけが素晴らしいわけではない。ストーリー展開も見事だ。第2話のストーリー展開の妙には正直なところ舌を巻いた。パラレルに絡み合うように進む二つの物語、綺麗にハマる伏線、要所ごとにビシっとキマるセリフ。コメディラインで行くところはきちんとコメディで、しかし魅せるべきところはしっかり魅せる。その演出的なメリハリもまた見事。複雑な構造をそつなく綺麗にこなしている。一つ一つの要素は取るに足らないものでも、それらが見事に組み合わさるからこそ生きてくるセリフがある。もちろん作画の良さ、素朴な声優の喋り方なども見逃せない要素だが、それを裏から支える三位一体の脚本・コンテ・演出が見事、そんなふうに思える一作だった。

 原作はこれからまさしくバカップル一直線(死語ですが(^^;))に向かうわけなのだが、果たしてアニメ版がキャラクターたちの魅力をどのように見せてくるのか、非常に楽しみな一作である。

 ついでに余談だが、この作品、オープニング曲とムービーが特筆すべき出来栄え。CooRie のテーマソング「流れ星☆」の畳み掛けるようなメロディラインの流れとムービーの調和が素晴らしい。いたるところで新海風味と言われているこの OP だが、一見の価値ありと言えよう。

2003/05/05(月)

■ ゲームボーイアドバンス SP

 ゲームボーイアドバンス、というとおそらくほとんどの人の認識は「お子チャマ向けゲーム機」だろうが、最近発売されたゲームボーイアドバンス SP(以下 GBASP)、これはお子様向けゲーム機ではない。断言しよう、これは見事なまでにダメダメな 20 台の若者向けのゲーム機である、と(笑)。

 携帯電話よりひと回り大きい程度のとてつもなく小さな本体。電車内でスマートにポケットから取り出して素早くディスプレイを広げてゲームに興じることが可能な携帯性の高さ。それでいながらマシンスペックはスーパーファミコンと同程度はあるし、ディスプレイも 160 x 120 ドット、バックライトつきでバッテリは 10 時間。通学時間、あるいは通勤時間のお供としてこれほど素晴らしいゲーム機も他にないだろう。

 ゲームの面白さがマシンスペックに比例しないのは当たり前のことなのだが、GBASP には思いの他よく出来ているものが結構ある。逆転裁判、F-ZERO、悪魔城ドラキュラ、グラディウス、ゼルダ、などなど。これらはいずれもシステムデザインが優れているのだが、PS2 などではマシンスペックを持て余す。やや奇妙な言い方だが、GBASP あたりが「ちょうどフィットする」マシンスペックなのだ。任天堂が狙ったかどうかは定かではないが、GameCube のようなハイスペック据え置き型ゲーム機と、GBA のようなロースペック携帯型ゲーム機というプロダクトミックスは大正解。そしておそらくは GBASP を投入したことにより、若干年齢層の高い 20 台のゲーマー層を取り込むことになったのではないだろうか。定量的にどの程度かは想像がつかないが、この層は子供たちに比べてそれなりにお金もあるので少なからず市場が広がったのではないかと思う。

 このゲーム機、即売会の行列待ちにはとんでもない威力を発揮するのでお薦め。夜明け前の数時間の暗闇の中でも、はたまた商業ベースや壁サークルの長蛇の列でもさくっとゲーム。先日の C レヴォでも使ってみたのだがとてつもなく効果が高く、ゲームが途中なのでとりあえず行列、なんていう本末転倒なことをやってしまう始末。これを持っていると行列があまり苦ではなくなる。もっともこのゲーム機、枕もとなどに置いておくと睡眠時間が確実に吸い取られるのでこれまた要注意ではあるのだが(^^;)。

 しかしこの GBASP を見ていると携帯電話や i-Mode がブームになった時のことを思い出してしまう。携帯電話や i-Mode は、既存のサービスの場所や時間の制約を外すことによって大成功したのだが、GBASP もそれに似ている。ヒット作になりうるものは身近なところに転がっているのだなと改めて感じさせてくれる。

 年末からの購入需要も一段落、そろそろ在庫も普通に出てくるようになったので夏コミ向けに購入してみてはいかがだろうか? ソフトは上に書いたとおり、逆転裁判あたりがおすすめ。地雷ゲームも少なくないので事前に Web 上で評判を調べてから購入することもお薦めしたい。

2003/05/14(水)

■ 技術の進化がもたらす弊害

 たまには真面目な話を書いてみようと思ったり。今ひとつまとまってないですが、なんとなく。

 溜まりに溜まった仕事関連の未読雑誌を消化していたときの話。ある雑誌の記事にこんなことが書かれていた。「最近は実装技術の進化により容易な実装(プログラム開発)が出来るようになったが、半面、安易な設計によりまともに動作しないアプリが増えた」という。私自身、まだたったの 6 年間しかこの業界に携わっていないが、この話には非常に実感がある。

 本来、技術の進化は人々を煩わしい非本質的な作業から解放し、本質的な作業に向かわせるメリットを持つ。これは実際その通りなのだが、現実を鑑みると二つのデメリットもあると思える。

 技術進化が結果として人を苦しめるというのは非常に逆説的で皮肉な話ではある。しかしどちらもその本質は、顧客ニーズの本質化と高度化に人々がついていけていないということであり、そしてそうした本質的な難しさに追随・対応できるプロフェッショナルが少ないということであり、またそうしたプロフェッショナルを育てるプロセスも全くといっていいほど確立されていないということである。(と書いてみると踏んだり蹴ったりですが(^^;)) ほとんどの人が知るように、今日のビジネス環境は厳しい品質・コスト要求に常にさらされ、『今すぐにアウトプットを出す』ことを要求される。短期的なゴールを達成することに手一杯で、長期的な展望になどとても手が回らない、結果として上に述べたような問題が表面化する、そういう悪循環に満ちている。

 マルコフニコフ則よろしく「富めるものはますます富み、貧するものはますます貧する」。同様の話はビジネス雑誌などを読んでいる限り、別に IT 業界に限らずほとんどの業界・業種に共通して言える話のように思える。身近な話で言えば、粗製濫造されるゲームやアニメ。良い作品と悪い作品には天と地ほどの開きがある。今クールのアニメの惨状を見てみればそれは一目瞭然だろう(ちなみに今クールのアニメ制作数は史上最高の本数らしい)。我々の「肥えた舌」を満たしてくれる作品は残念ながらそれほど多くはない。その本質的な理由は上に述べたことと同じではないだろうか。

 こと日本の場合、国民性にも仕組みにも問題があるように思える。本質的な問題を見極めずに「今出来る範疇でやることをやって、あとはラクをしたがる」気質。いや私自身も常にそうした誘惑にかられているわけだが(^^;)、現実問題として頑張ってもたいして評価されないという年功序列・横並びの現実の下では、こうした状況を打破すべく「もっと頑張ろう」という前向きな気持ちを持続しづらいのも当たり前。結果、「多様な価値観」やら「ゆとり」やらというウケの良い言葉で「努力」や「根性」といったかつての日本の美徳(^^;)が二律背反的に否定・破棄される。アメリカのように「ゆとり」を捻出するために仕事で「努力」するという『共存』『良循環』モデル、そしてそれを可能とする仕組み(価値観や制度も含む)が日本には致命的に欠けている。つまり、仕組みと気質とが見事に悪循環している。こんな状況を鑑みていると、これを断ち切るにはどこかで破綻して全員で痛い目を見ないと本質的な解決にはつながらないのではないかというやや絶望的な感もしてしまうのだ。

 雑誌ではよく小手先な梃入れでしかなく本質的な問題を先送りしているという論旨の記事を見かけるのだが、こうも要素が絡み合って悪循環しているパズルを本質的に解決することなど到底できなさそうに思える。とはいえ、やはりせめて今できることをやってよりよくしたいのも確か。ではまずどこを改善すべきか。一つ着手できそうなポイントとして、マスメッセージの修正があるように思える。例えば技術進化により「楽になりました」というマーケティングメッセージを出すことは容易だしウケもいいし部分的には正しいのだが、「このためより本質的な問題に注力できるようになりました、そしてその本質的な問題とは○○と○○と○○です」というところまで含めた情報伝達が必要なのだろう。「サルでも分かる J2EE」なんていうタイトルは非常にキャッチーなのだが、本質的なことを考えたらそんなはずがなく、せいぜい「はじめての J2EE」あたりが的確なタイトルだろう。

 良識ある真実を含んだメッセージ。人に何かを伝えるときにはより高いレベルの規律(規範)が必要なのだろうということを一人の技術者として改めて思ったりする今日この頃。将来に向けた投資というのは何事につけても大変なのだが、結局、そういうことをしないとツケを払うのは我々自身なのだということを今一度考え直さなければならないように思える。

2003/05/17(土)

■ GBA ゲーム寸評

 先日の雑記でゲームボーイアドバンス SP の話を記載したが、その後すでに結構な数のゲームをプレイしてしまった。しかしいろいろとプレイしてみて、作品の質のバラツキがかなり大きいことも実感。ここではプレイしたゲームの寸評をざっくりとまとめておきたい。(※逆転裁判のゲームインプレは通常ページに掲載しました)

◇ F-ZERO (任天堂) ★★★

 「一点読み」と聞いてピンと来る人は相当な通。スーパーファミコン時代のゲーマーには忘れられない一作のはず。コースレイアウトは全く違うが、ゲーム感は昔の F-ZERO そのもの。昔、スーファミでハマったことがある方々には強くお薦めしたい。秋葉原だと \980 程度で売られている店もあるのでデフォ買いしてもよいだろう。

◇ 悪魔城ドラキュラ Circle of the Moon (コナミ) ★★★

 こう言ってはなんだが、GBA でもここまでしっかりとドラキュラが出来るのか!と驚いてしまった一作。城がとにもかくにもだだっ広い。ドラキュラはもともと作品の素性が良く、ムチを振ってるだけでもそれなりに面白いのだが(^^;)、スペルカードと呼ばれるカードを集めて主人公を強化していくなどのコレクション性もあり、非常に長く遊べる一作に仕上がっている。……といいつつ私はラスボスがクリアできずに断念。(友人に貸したらレベル 99、カードコンプリートというセーブデータつきで返されてかなりビビりましたが。(^^;))

◇ グラディウスジェネレーション (コナミ) ★★

 完全新作のグラディウスなのだが、全般して微妙にグラディウスらしくない部分が目立つ。パワーアップシステムしかり、ステージデザインしかり、BGM しかり。確かにモアイ面や高速スクロール面、クリスタル面、逆火山面などオリジナルからうまくイメージを引っ張ってきている部分は多いのだが、微妙に「何か違う」という印象を拭えない。とはいえ、背負っているものの大きさを考えれば、全部をひっくるめてよく健闘している一作。過度に期待しなければ十分に楽しめると思う。
 余談だが、このゲームの最大の敵はコントローラのサイズではないかと……スティックでプレイしてたら絶対に楽勝でクリアできるのにっ、と思うことしばしば(笑)。

◇ ダライアスR (PCCW / タイトー)

 あのダライアスが GBA で蘇る! という触れ込みで登場した一作だったのだが、これが残念なことに絶望的な出来だった。基本的なシステムデザインを間違えている。やたらとでかい自機、上下にスクロールするために画面全体を見渡せないじれったさ、必要以上に前に出てくるボスキャラ。BGM も絶望的で、あの ZUNTATA の名曲がショートループされてるわ音程は外れてるわと踏んだり蹴ったり。その上ファンからすれば期待感を裏切られるような構成。さすがに GREAT THING がいないことを知った日には絶望感を味合うこと間違いなし。ダライアスファンであるのなら「知らなかったこと」にしておいた方がいい、そんな気すらしてしまう一作だった。本当に残念。

◇ スーパーマリオアドバンス2 (任天堂) ★★

 私としては初代のスーパーマリオブラザーズがプレイしたかったのだがどうやら GBA にはないようなので、やむなくこのゲームを購入。さすがに任天堂の看板ゲームだけあって面白いのだが、これがかなり難しい。コントローラさえ大きければ……(^^;) 気軽に楽しむにはやや辛い印象のある一作。

◇ ギャラクシーエンジェル 盛りだくさん天使のフルコースおかわり自由 (ブロッコリー) ★

 ……タイトル長すぎ(^^;)。とまあそれはともかく、ゲーム内容は気軽に楽しめるミニゲームの詰め合わせ。良くも悪くもお子様向けのミニゲームばかりなのだが、それを前提として見てみればかなりよく出来ている意欲作。ミニゲームは数十個、CG も数百枚は下らず、BGM も 30 曲以上詰め込まれているし、これまたよく喋る。かといって粗製濫造というわけではない。CG の作画もよいし、BGM の出来もかなりのもの。システムの方もかなり手が込んでおり、細かいところまでよく作りこまれていて非常に感心する。作り込みの度合いで言えばコナミの作品群に匹敵する出来栄えで、小学生ぐらいの子供たちであればかなり長い間楽しめるゲームだろう。
 ……とはいえ、このゲームを購入する主たる年齢層がどこにあるのか??という気はする(^^;)。さすがに中学生以上ぐらいの年齢だとこのミニゲームはつらいのではないだろうか。

◇ キャッスルヴァニア 暁月の円舞曲 (コナミ) ★★★

 実はキャッスルヴァニアというのがドラキュラシリーズの一作だということをこのゲームをプレイするまで知らなかったのだが、プレイしてみるとこれが非常に面白い。使うのは剣なのだがプレイ感覚はまるっきりドラキュラ。マップも広大、ボスキャラも豊富、グラフィックも GBA としては最高級クラスに美しく、ドラキュラファンであれば間違いなく楽しめる一作。敢えて難点を言えば、あまりの稚拙さに倒れそうになったその脚本とセリフ。ゲームはこんなにもよく作りこまれているのに、稚拙なセリフがすべてを台無しにしている感があり、非常に残念。しかしゲーム自体はボリューム感も十二分にあり、ボスラッシュモードも搭載、クリア後にユリウス(ムチ使い)でプレイすることも可能と至れり尽せり。まさしく骨までしゃぶれる楽しい一作。

◇ ドラゴンクエスト III (エニックス) ★★

 GBA で GBC のゲームをプレイできると知って購入。さすがに歴史的名作と呼ばれるだけのことはあり、スタート時点から非常に引き込まれる一作。まだ Lv 13 前後の表世界なので先は長いのだが(^^;)。
 実はドラクエ III の購入と併せて最新作のキャラバンハートも購入して 1 時間程度プレイしたのだが、比較にならないほど III の方が面白く感じられる。簡潔なシステム、しょっぱなから目を引くイベント、分かりやすいシナリオ。ゲームのシステムとしての美しさはかくあるべし、そんなふうに感じられる一作である。

 これ以外にも何本かプレイしているもが、書くべきほどの内容もないのでとりあえずこの程度で。全般して言うと、コナミを初めとしたいくつかの作品は携帯ゲーム機とは思えないほどよく出来ており、多少古い世代のゲーマーであれば間違いなく楽しめるものが数多くある。GBASP の購入を迷っているのであれば、是非購入をお薦めしたいところだ。


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