家族計画 ネタバレゲームインプレッション

Last Update 2002/05/19

おねがい

 このページは、D.O.の家族計画のネタバレありのゲームインプレッションです。このため、ゲームをコンプリートした上でお読み頂ければ幸いです。よろしくお願いします。
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本作品は果たして満点をつけられる作品か?

 このゲームは、シナリオテキストの良さ、音楽の良さ、綺麗なグラフィック、見事なOPムービーなど多岐に渡る素晴らしい要素を数々に持っており、間違いなく歴代十本の大作にリストアップされるであろう作品です。ですが、プレイ終了後の私の感想としては「未完の大器」。そう思わずにはいられない作品でした。加点法で評価するのなら満点をつけていいと思う半面、減点法で評価するとどうしても70〜80点程度になってしまいます。

 その理由は、骨格の甘さと詰めの甘さにあります。無理のある展開、たたみきれていないプロット、ラスト近辺の不十分な演出とテキスト。おそらく、手前二つは分かっていてもどうにもしようがなかったのだろうし(だからこそうまくギャグで誤魔化している)、最後の項目は単純にシナリオの詰めの時間が不足していたのではないかと思います。コンセプトの良さ、設定の素性の良さを持ち、常に前に向かう心地良さ。それでありながら、冷静に思い返してみて「あれ?」と思わせてしまうおかしさ。私はリプレイしてみて気付いたのですが、鋭いプレイヤーならファーストプレイ時に無茶を感じているはず。それがプレイヤーを「シラけ」させてしまった場合、このゲームの評価が一変しかねない。そういう脆さを持ったゲームなのではないかと思えます。

無理のあるシナリオ展開

 もう少し具体的にシナリオを見てみると、このゲームにはシナリオ展開のために無茶をしている点がかなりあります。例えば、

などなど。また青葉や準が使っていたヤクの話など、各自が抱えていた問題が解決されきっていないEDも数多くあります。これらはさらりと流されていたり、ギャグによってラッピングされていたり、EDそのものの向いている視点が違っているなどにより、意図的に『隠されて』いますが、ちょっと冷静に考えれば明らかにおかしい。しかも上に挙げた項目は枝葉末節イベントではなく、シナリオ上のコアイベントであり、シナリオ構造そのものが不完全である、と言ってよいでしょう。

 つまりこのゲームは、極論すると「欠陥のある構造をギャグや視点逸らしにによって隠蔽している」と言えます。私がこの作品をどうしても真の名作だと言い切れない理由はここにあります。真の名作は、欠陥のない構造をギャグで『魅せる』ものだからです(そんな作品があるかどうかは別として)。このため、この作品を減点法で評価するとどうしても70点〜80点になってしまうのです。

 意外にもこの点に触れているレビューが見かけられないのも気になりますが(私が探した範囲では)、おそらくそれはこのゲームを多くの人が加点法で評価しているか、もしくはその構造の多重度、複雑さに『騙されて』いるからではないかと思います。

 しかし、このゲームを加点法で評価した場合、私も多くのレビュー同様、満点をつけてなお余りある数少ない傑作と言って良いと思います。その理由は二つあって、

です。

複雑系をスケールだけ変えて複雑系のまま描いた作品

 『家族』を描いた作品といえば真っ先に麻枝氏らの一連の作品(MOONやAIRなど)を思い出す人が多いと思いますが、彼らの作品では、論理的な矛盾、抜け漏れが極力排除されています(成功しているか否かは賛否両論でしょうが)。また彼らは問題提起と考察の積み重ねでテーマを掘り下げていくタイプのアプローチを取っており、現実社会にある現象の『断面』(側面、と言ってもいいでしょう。例えば「母と娘」など)を切り出し、そこを徹底的に論理的に煮詰めていくという方法で他に類を見ない「深み」を持った作品を作り上げるのが得意だと思います。

 これに対して家族計画のアプローチは、切り出している断面・側面の『数』を多くし、それらの集合体として『家族』を描こうとしています。つまり、家族計画では『家族』というものを多層的・多角的に捉え、血縁/非血縁、喜怒哀楽、絆、信頼、関与、そうした意識的・無意識的な様々な感情を小さなイベントの積み重ねで多彩に織り込んでいっています。これは、深さを追及していく麻枝氏らのアプローチとは全く異なるアプローチ方法と言ってよいでしょう。

 ところがこの二つのアプローチは「テーマの描出に対するスタンスの違い」と単純に割り切れないものがあります。例えば、そもそも『家族』とは何か?という質問に対して、それは「母と娘である」という答えを出した場合、それは正解の一つでしかありません。もし「母と娘こそが家族のすべてである」と言われたら多くの人が疑問符を提示するでしょう。つまり、『家族』というもの(状態)はもともと複数の要素(その一つ一つは取るに足らない小さなことかもしれませんが)が混沌として集まって出来上がっているものであって、断面を切り出してしまうとそれは万人が納得できる『家族』ではなくなってしまうのです。

 だから、万人が納得できる『家族』像、すなわちその混沌さ、全てを飲み込む底なし沼的な深さを描こうと思ったら、断面切り出し&追及型のアプローチではなく、複雑系のままスケールだけ変えて描くアプローチが必要になるのではないでしょうか。本作品の中盤に淡々と描かれている、取るに足らない「つまらない」エピソードは『家族』を描出する(正確には家族を作り上げていくプロセスを描出する、と言った方がよいのでしょうが)ためには絶対に必要なものだったと思います。そして、その淡々と描かれるエピソードの積み重ねを面白く乗り切るための手法がギャグだったのでしょう。

 中盤が長い、うざい、ムダだという意見も散見されますが、それはユーザ側が明確なテーマ性をこの作品に求めてしまったためか、もしくはギャグそのものがその人にヒットしなかったせいではないでしょうか。もちろん、この家族計画も各キャラのシナリオの根底にはそれぞれのテーマは存在していますが(だからこそラストも破綻はしていない)、中盤では各キャラのテーマは前面に出されていません。『家族』の断面を多数描き、立体的で漠然とした「絆」……『家族』を描き出すこと、終盤のテーマを描くための土台を作り上げることが中盤の目的だからです。

 明確なテーマ性を前面に出し、側面・断面切り出し型で掘り下げていくスタイルが昨今のギャルゲ業界の主流なのですが(それはKeyが定型化したのでしょうが)、上述したような「漠然とした」絆(しかもそれが直接的には男女の色恋沙汰やラストに結びつかない)をユーザの心の中に立体的に作り上げていく中盤のアプローチは非常に上手かったと思います。よくぞこれだけの多数かつ多面的なミニエピソードを考え出し、うまく組み上げたものだと感心します。

 なお余談ですが、AIRも家族計画もいずれ劣らぬ大作であるにもかかわらず、統計的に見た場合には家族計画の方が高評価を得ている、というのが非常に特徴的です。エロゲー批評空間の統計情報によれば、2002/5/19時点でAIRは82点、家族計画は88点という平均点。ここで非常に興味深いのが、高得点層はAIRも家族計画も分布が大差ないにもかかわらず、AIRの得点分布が低得点層の方まで裾を伸ばしているという点。作品的なあざとさが感じられるとかキャラの幼稚性などが原因なのかもしれませんが、作品トータルとしてみた場合、家族計画の方が万人に受け入れやすいものだったということはおそらく確かでしょう。

トラウマ要素盛り沢山だが、決して陰湿にならない視点の良さ

 昨今の流行はなんといっても鬱ゲー。主人公やヒロインは必ず過去にトラウマを持っていて、それを元に鬱のどん底に追い詰めていき、それを解放することによって大団円、というのが定番化しています。トラウマ&鬱ゲーを定式化したのはなんといってもKanonでしょうし、それを進化させて新しいフェーズに持ち込んだのは君が望む永遠、でしょう。

 家族計画もまた各人が過去にトラウマを持って集まった仮想家族であったわけで、これでもかというぐらいのトラウマだらけのキャラたちでした。

 春花が多少特殊な事情ではあるものの、全般すればトラウマの塊のようなキャラばかりで、これらの設定を元に鬱ゲーに持って行くことも十分可能でしょう。がしかし、本作品はそういう展開にはなっていません。

 それは司という主人公の視点が、常に「今」または「未来」を向いているためです。準が司のことを称して語るセリフである「司、変わるの? また、踏み出すんだ。」がこれを端的に表現しているでしょう。仮に過去のネタを引っ張るにしても、基本的に「今」の枠組みから過去の話を見ており、必要以上に過去を根掘り葉掘り掘り起こすことをしていません。つまり、

のではなく、

という形で作品が描かれています。準シナリオのラストは前者、春花シナリオはこの視点からは捉えられないなど、もちろん例外はありますが、全体的な方向付けとして視点が前向きであるということは確かではないでしょうか。

 その結果として、確かに本作品は非常に泣ける作品ではありますが、流される涙の質が他作品とは全く違うのです。過去の哀しみに対するマイナスの涙ではなく、未来が開けたことによるプラスの涙。哀しみに対するマイナスの涙はかなり控えめだと思うのです。作品をプレイした後に非常に前向きな感覚になれるというのが、本作品を感動の名作たらしめている一つの所以ではないでしょうか。

そして末莉シナリオについて

 この作品は『家族計画』という名の『擬似家族の絆』を作り上げていく過程を描いたものですが、多くのシナリオの焦点は、擬似家族を通して上手な対人関係を持つことができるようになった司が、さらにその延長線として恋愛をしていく、というところにあります(もちろん副次的に各人が抱えているトラウマが解放される、といったところはありますが)。ところが唯一、末莉シナリオだけはもっと大きなもの、すなわち『本当の(血縁のある)家族の絆』と『擬似家族の絆』を多層構造として描き出すということを行っており、末莉というキャラクター自身の魅力もあってこのゲームの最高峰のシナリオと称してよい出来栄えになっていると思います。

 末莉シナリオでなんと言っても素晴らしいのは、十年がかりの高屋敷再建計画にあります。高屋敷再建計画の十年間とは、家族計画に関わった各々のメンバが自分自身の生活や家族を作り上げていく十年間です。彼らは家族計画を通して家族の絆というものを各人様々な形で実感することになるわけですが、それが期せず望まずして奪われてからの十年間、彼らは各々が自らの生活を作り上げ、その中で沢山のものを育み、山ほど『大切なもの』を作り上げていくのです。司と末莉の場合は『本当の(血縁のある)家族の絆』を。

 十年後に高屋敷家で再会した人たちの中にはきちんとした生活を持っていない人もいるのでは?と思われるかもしれませんが、「高屋敷家に再び戻るまでの間」はお互い敢えて意識的に顔を合わせないようにしていた(春花も含めて)ことから考えて、集合した全員がそれぞれ自立した生活を持っていると考えてよいでしょう。期せず望まずに散り散りになったとはいえ、十年という時を経て未だ自分の生活(家族じゃなくても構わない、要するに自分の生き方)を持っていなかったとしたら、出資はともかくこの十年後の再会に顔を出すことなど恥ずかしくて出来ないでしょう。末莉シナリオの最後で語られる、「十年、かかったんだなあ。皆がこうして、集まれるようになるまで。」というのはお金のことだけを言っているわけではありません。それは司が「それでも二人で十年という時間をかけ、六畳一間のアパートで、不器用に愛を探した。−今はもう、違和感はない。」と言うように、自分の生活を築くのには十年はかかるということなのです。

 そして十年間という時間を過ごした証として司と末莉が持ち寄った土産話、それがEDで高屋敷家に連れていった、二人の娘達なのです。(他の人たちは一人で来ていますが、司と末莉が連れて行った娘達はそれ自体が家族計画に繋がる土産話であるという点がポイントです。同窓会にむやみに家族を連れていっても仕方ないでしょう。他の人たちがどんな土産話を持ってきたのか、それはまあ空想の世界のお楽しみでしょうね。)

 結局、家族計画に関わったメンバにとって『高屋敷家』とは何なのか? それは末莉シナリオのモノローグで語られています。

  むろんその間、新しい家族を作る機会だってあるだろう。
  一切合切が、夢ばかりの可能性。
  それでも。それでも−
  『高屋敷司&末莉』
  そこに家があって、人がいるなら。

 そこに家があって、人がいるなら、そこには家族という「絆」が生まれる。家族計画のメンバにとって、家族計画というのは傷ついた羽根を互いに休め合った、かけがえのない人生の一ページ。『高屋敷家再建委員会』は今の自分を形作る過去への大切な思いを形にする計画(過去に戻る計画ではない)なんですよね。家族計画、その絆の証が「高屋敷の家」そのもの。住むための家を作るためではなく、失った「絆」を取り戻すための夢への投資、それが「高屋敷再建委員会」。だから、再会は高屋敷の家で。彼らが高屋敷家を以前と全く同じ木造二階建ての形で再建したのも、それは再び共同生活を始めるためではなく、彼らの絆の証である「高屋敷家」という場所で再び皆が再会する、ただそれだけのためなのです。

まとめ

 すべてを飲み込み、そしてそこにある「家族」というもの。形があるようで、形のない存在。金、家、土地といった生臭いものから、食事、家の傷、弁当、会話、ケンカといった日常的なもの、そして絆、血縁有無、思い出、信頼関係といった心理的なもの。

 「家族」なんて、そんな単純なものじゃない。そう誰もが分かっていながらも、単純化してしか描けなかった今までの作品に対して、不完全ながらもそうした多重的・多層的・複合的な形を持った「家族」というものを描いてみせたのが本作品『家族計画』と言えるのではないでしょうか。非常に意欲的であり、素晴らしかったと思います。

 確かに、アラもあるでしょう。ノレない人もいたでしょう。そうした部分、春花の言葉を借りて「すべて許す」と言いたい。私的には十二分に心に残る一作でした。


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